インタビュー

第1回「川島教授プロフィール 研究テーマに出会ったあるきっかけとは…」(川島隆太 氏 / 東北大学 加齢医学研究所教授)

2006.06.07

川島隆太 氏 / 東北大学 加齢医学研究所教授

「道を拓く 脳のメカニズムに迫る」

川島隆太 氏
川島隆太 氏

脳の研究成果をもとにしたゲームの監修などでおなじみの川島隆太東北大学教授を迎え、脳のメカニズムに迫ります。

第1回のインタビューの中では、プロフィールを中心に、自らの言葉で、研究のきっかけとなった熱い思いを語っていただきました。

―子どもの頃はどのようなお子さんでしたか?

私はですね、それこそ、あまり勉強は好きではなくて、外でよく遊ぶというタイプの子どもでした。受験期には、それなりに勉強しましたけど、学校の勉強はあまり好きじゃなかったですね。 ただ勉強しないと親に怒られるものですから、仕方なく本を読んで過ごす時間は長い時間持っていたように記憶しています。

―ご家庭の環境は?

僕自身は本を読むことも好きではなかったんですけれども、勉強しないでウロウロしていると両親に叱られた。仕方なく自分の勉強部屋に帰るんですね。ところが僕は勉強が嫌いだったんで参考書も買ってなかったんです。することがないんですね。 僕の部屋に実は両親の大学時代に読んだ本が、本棚に全部並んでいて、仕方なく両親が大学時代に読んだ本をペラペラめくって夜を過ごしていた生活を送っていました。

―ご両親について

父はですね、物理の学者をしていました。放射線医学にかかわる物理学をやっていました。母は薬剤師だったんですけども、僕が生まれ育った頃は専業主婦をしていました。

―好きな科目を教えていただけますか?

数学とか理科が好きでした。小学校の時は算数を好きでした。算数とか数学系がなぜ好きだったかと言うと、ある一つの原理原則だけわかれば、あと勉強しなくても何とかなったんですね。
ところが国語とか社会というのはきちんと時間をかけて勉強しないとできなかったものですから、サボりたかったのもので、どちらかと言えば理科や算数、数学が好きだったんです。

―ご性格、ご趣味は?

まず基本的には非常に短気な方だったと思っています。わりと頭に血が昇りやすい自分。ただ面白いことに、それを客観的に見ている自分がいるのも感じていました。
カッと思うんだけども、それを「いや、待てよ」と抑える自分がいることを自分自身では感じていました。

あと親からはよく「お前はだらしない」と言われて育てられてきたので、自分自身の行動を見ていると、周りが整理整頓されていないと気持ちが悪いというタイプの人間です。

昔は身体を動かすのが好きでしたので、テニスをしたり、外で活動していたんです。 最近、忙しくて身体を動かすこともできなくて、最近じゃ、「趣味は何か?」と言われると、そうですね、嫌な言い方になるんですけど、研究している時が一番楽しいんですね。
ただこれ、学者というのは、そうでないと暮らしていけないかなという一面があって、研究が趣味でないと非常に辛い商売ではありますので、厭味な言い方ですけど「趣味は仕事です」と言うようにしています。

―高校時代は?

高校の時はですね、遊びでラグビーとかやってはいたんですけど、部活動は入らずに、帰宅部ともちょっと違うんですけど、割合楽しく過ごしていました。

―なぜ医学の道を志したのですか?

私が医学部を目指したきっかけというのは、実は中学校の時の夢にあります。

なぜ自分がそんな思いをしたか、未だによく思い出せないんですけど、私自身は「人類の最後を見てみたい」と思ったんですね。
その根っこにあったのは、いろんな思いの中で「人はなんで生きているんだ。自分は今、なんでここにいるんだ」ということをすごく疑問に思って「それは必然なのか、偶然なのかを知りたい」という、そういう幼い哲学をした時期があります。
そんな時に出した僕の結論というのは「自分の脳をコンピュータの中に移植することができれば、自分はコンピュータの中で生きてられる。そういう形で人類が滅びた瞬間を自分の目で見た時に、なぜ人が地球の上に生まれたかを知ることかできるんじゃないか」。こんなことを考えたんですね。

この思いを高校に入ってもズルズル引きずっていて、大学を選ぶ時に、じゃ、脳の研究をしてみたい。脳の研究はどこから入っていけるか。僕がパッと思いついたのが「医学の研究からだったら入れるかな」と考えたわけです。

―脳に興味をもった理由は?

これがなかなかよく思い出せないんですけども、一つはおそらく失恋したことなのかなというのがあります。

自分の思い通りにならない人間が目の前にいる。その人はその人の人生を持っている。自分は自分の人生を持っていることに初めてその時に気がついて、不思議でしょうがなかったんですね。
それまでは天動説の中にいて、自分の周りを世の中が動いていると感じていたのが、どうもそうじゃない。自分は動かされているんだと気がついて「だったらなんで自分は、何の目的で、ここでこうして動いているかを知りたい」と感じたんだと思います。 大体、中学校2年生くらいの時に、こんな思いを持ちました。

―脳を研究テーマに選んだのは?

未だに実は僕の研究の目標は「人間の脳というのはどういうものかかということを科学的に知る」ということで、その先の僕自身の野望というのは、やはり僕、川島隆太という脳をコンピュータに移植したいという野望は未だに持ち続けています。未だに実は僕の研究の目標は「人間の脳というのはどういうものかかということを科学的に知る」ということで、その先の僕自身の野望というのは、やはり僕、川島隆太という脳をコンピュータに移植したいという野望は未だに持ち続けています。
中学校の時の夢をそのまま持ったまま大学で活動しています。
もちろん自分たちの研究でどこまで至れるかということはわかっていますから、自分の夢は単なる夢だということはわかっていつつ、でももしかしたら何かの偶然でブレークスルーが100個くらいトントントンと、生きている間に起こって、可能になるのかもしれないという希望は捨てていません。

―なぜ研究職を選んだのですか?

医学部というところは実はすべて学ぶものですから、僕自身、内科も外科もすべての科の知識は持っています。
実際に僕が大学院に入った時に、私の指導教官の方針で医師としての立場でものを考えないと他の学部の出身者に負けてしまうという考えがあったものですから、内科の研修も受けることがありました。

医者とは何ぞや、臨床とは何かということは私自身はわかって活動しているんですけども、いろいろやった中で、やはり目の前の人を助けたいという思いはある。
医者としては極めて正しい方向性だと思いつつも、自分自身の脳に対する興味は捨てられなかった。

脳に関して深めていくことは臨床の中ではなかか難しいので、思い切って医者の道を捨てて研究の道に入ろうと考えました。大学院の頃に臨床をやり、基礎トレーニングも受け、最終的に基礎を選ぶという決断をしました。

―千葉のご出身だそうですが なぜ東北大学に進学されたのですか?

大学を受験する時に、実は東北大学の医学部を受けるか、京都大学の医学部を受けるか迷った時期がありました。

その時に丁度、「青葉城恋歌」という佐藤宗幸さんが歌った歌が大ヒットしまして「ああ、仙台ってすごくいいところなんだ。行ってみたい」と思ったのが、ここの大学を選んだ本当の理由です。

―医学部時代はどう過ごされましたか?

大学時代はですね、まず医学部というところは勉強がすごく厳しくて、僕たち笑い話でよく言うんですけど「大学受験もう一度しろと言われたらやる気がする。でも医学部をもう一度卒業しろと言われたら絶対嫌だ」と思うくらい、ものすごく一杯勉強をさせられました。
覚えることが山のようにあるんですね。

かなり勉強に時間をとられたんですけど、そうした中でも部活動、ラグビーも一生懸命やりました。日中、テニスに行ったり、あとは昼休みに友だちと碁を打ったりという形で、結局、遊ぶことに一生懸命になったかもしれません。

両立というか、学びの方はやらないと卒業できませんから、やらざるをえなくて、必死でやっていった。
遊びの方は意欲的に取り組んだということだと思います。

―若い方たちにアドバイスを

僕はですね、青臭いんですけど、まず一度、哲学してみてほしいと思っています。
哲学って言っても難しいことではなくて、今、たとえば「自分たちがここにいる意義は何だろうか」ということをいろんな角度から真剣に考えてもらいたいと思うんですね。

結論が出ないのはわかっています。
「人は一体どこから来て、どこに行くのか」という永遠の哲学、これが実は自然科学の根底であって、人文科学の根底であって、それから宗教の根底であるんですね。人がつくりあげてきた文化的なものは、すべて同じ根っこを目指している。
「自分はどこから来て、どこへ行くのかを知りたい」というところにあるんだと思っています。

ですから自分なりに時間を使って、一体自分はどこから来て、どこに行こうとしているかということを考えてもらうことで、自分がこの先、何をしたらいいかということが見えてくるんじゃないかなと信じています。

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