サイエンスクリップ

一般市民が自らつながるDIYバイオコミュニティー

2019.05.20

室井宏仁 / サイエンスライター

 一般市民でも生命科学の実験ができる街のDIYバイオ実験室では、専門家ではない市民が講師となって、興味を持つ市民に専門的な実験技術を教えていた——。こうした活動の意義を語り合うサイエンスカフェについては、昨年11月に「日曜大工感覚で遺伝子を操作する『DIYバイオ』と社会のあり方」として報告した。今回は、たんなる講演会とも趣味の実験教室とも違うDIYバイオ実験室を実際に訪ね、その現場を通して、科学と社会のかかわりについてさらに考える。

渋谷の街中にバイオ実験室!?

 日本有数の歓楽街にして若者文化の発信地である渋谷。その一角、とあるビルの階段を2階へ上ると、目の前に鉄製のドアで仕切られた部屋が現れる。中に入ると、そこにはフラスコやビーカー、ほこりや雑菌を避けて実験を行なうためのクリーンベンチ、試薬類が入った冷凍庫や冷蔵庫などが所狭しと並ぶ。生命科学を通したつながりの場を提供する、「FabCafe MTRL(ファブカフェ・マテリアル)」内のバイオ実験室「BioClub(バイオクラブ)」だ。2016年の開設以来「バイオへの興味を持つすべての人に開かれたコミュニティー」をうたい、個人や団体向けに実験スペースを提供するほか、国内外の研究者やバイオテクノロジーに関わる技術者を招いてのトークイベント、初歩的なバイオ実験技術のワークショップなどを開催している。

写真1 BioClubのラボスペース。もとは倉庫だった場所を改装して作られている。
写真1 BioClubのラボスペース。もとは倉庫だった場所を改装して作られている。

 訪問したこの日は、有志の手による少人数ワークショップ「やってみようDNA鑑定」が開催されていた。4名の参加者と2名の講師は年齢もバックグラウンドもさまざまで、だれも生物学を専門的に学んだことがない。まさに一般市民の手による、一般市民を対象とした生命科学の実践型ワークショップだ。

 今回の目的は「手を動かしながらバイオテクノロジーの基礎を学び、技術に親しむ」こと。まず、市販されているウシとブタのレバーの細胞から、それぞれのDNAを取り出す。このDNAこそが、生物の遺伝情報をもつ極微のひものような物質だ。じつは、ウシとブタのDNAの大きさはかなり違うが、この段階では量が少ないので違いが見えにくい。そこで次に、DNAを複製するPCR法という技術を使って、DNAの量をもとの100万倍以上まで増やす。増やしたDNAを大きさに応じて分離し、違いを観察する。プロの研究者が日常的にこなすこれらの作業を自分の手で追体験し、バイオを体で知るための第一歩とする取り組みだ。

説明を聞き、実際に手を動かして初めて身につく実験の基本

 実験に先立ち、参加者向けに短いレクチャーが行なわれた。まず、事前に配布された資料を読み合わせながら、「作業前に手を洗ってからゴム手袋をはめ、アルコール消毒をする」「微生物や有害物質を含む廃棄物は20分間、120度での滅菌処理をしてから廃棄する」など、実験室で守るべき基本的なルールを確認。その後、実験スペースに移動し、液体を移し替える際に使うピペットの扱い方を練習した。所定の分量をきちんと量り取れているかを確認してから、本番の実験操作に移る。

 基礎の基礎から、全員の理解度を確認しつつ、実験が進んでいく。「まずは実験室のルールや器具の使い方についての知識をきちんと共有することが大事です」と語るのは、講師の一人であるチャン・ジコンさん。金融機関に勤務するチャンさんは、8年前に有志で開いた生物教科書の輪読会をきっかけに、自分でバイオテクノロジーを学びなおしてみたいと思うようになったという。それ以来、オンラインで受講できる生物学の講義などから知識を吸収しつつ、BioClubのさまざまなイベントにも参加してきた。今回、初めて他人に教える側に立つチャンさんは、「生物学の用語などは座学でも得られるが、現場で守るべきルールや研究倫理には、実践を通してしか伝えることができない部分も多い。今回のワークショップは、それらをきちんと学ぶものとして企画した」という。

 工夫は他にもある。例えば初学者向きに作った今回の配布資料では、バイオテクノロジーのハードルを下げるため、専門用語はなるべく使わないように心がけた。また、参加者に対して、パソコンやスマートフォンを活用した情報収集のコツについても事前に伝えたという。実験の計画で参照した論文や、試料として使用するウシやブタのDNAの形などは、すべてインターネットを通して自由に閲覧、ダウンロードできる。現在は、動画投稿サイトで解説を見られるバイオ実験も多い。

 異なる分野の研究者や一般市民のあいだで科学の専門知識を共有する「オープンサイエンス」の流れが、バイオテクノロジーにも到来している。誰もが多くの専門知識に直接アクセスできるようになったことが、DIYバイオという活動を動かす大きな鍵といえそうだ。

仲間をつくりコミュニティーを広げる

 実験は進み、取り出したDNAからウシとブタそれぞれに特有の部分を切り出す段階に入った。実験台の前で参加者と作業内容を確認しているのは、もう一人の講師であるダニエル・サンゴリンさんだ。チャンさんとはBioClubの活動を通して出会って意気投合し、今回の企画では配布資料の制作と実験指導を務めている。

写真2 参加者を前に実験操作を説明するサンゴリンさん(中央)。
写真2 参加者を前に実験操作を説明するサンゴリンさん(中央)。

 今回のように一般の参加者を募ってバイオ実験を行なう場合、物品の調達や連絡調整など、事前準備にかかる手間はどうしても大きくなる。だが、準備に関わる人が増えれば、作業を分担して一人当たりの負担を減らせる。何か問題にぶつかったときに知恵を出し合い、解決方法を探るチャンスも広がる。「DIYバイオの活動を行うには、仲間がいたほうが絶対にいい」とチャンさんは力説する。

写真3 参加者と実験スケジュールを確認するチャンさん(中央)、サンゴリンさん(右)。
写真3 参加者と実験スケジュールを確認するチャンさん(中央)、サンゴリンさん(右)。

 「BioClubという場を使って自分から何かやろうとする人が出てきたことは、とても大きな変化だ」と話すのは、BioClubを受け入れている株式会社ロフトワークの石塚千晃(いしづか ちあき)さんだ。BioClubでは、立ち上げ当初から、DIYバイオ関係だけでなく、生活に密着したバイオの話題を伝えるイベントも多く実施してきた。これまで取り扱ってきた話題は、生物から染料を取り出す「藍染め」や、農村地域における「虫追い祭り」など多岐にわたる。生命のしくみやバイオテクノロジーを身近な話題に絡めて面白く知っていこうという思いを常に念頭におき、バイオが生活のあらゆる部分に関係していることを社会に伝える試みを続けた。その結果、チャンさんのように、自分で企画を立てる側、すなわち教える側に立つ市民が出てきた。それが重要なのだという。かつて教えられていた側が教える側に回るというサイクルでDIYバイオのコミュニティーを広げていきたい、ということだ。

 コミュニティーが大きくなり、出入りする人が増えてきた場合、改めて考えなければならない点も出てくる。例えばゲノム編集などのより高度な実験に取り組む場合、倫理面や安全面に問題が生じないようにすることが大きな課題となる。例えば、知識の乏しい個人がリスクの高い実験を行なうことはけっして歓迎できないが、だからといって、そのような実験を最初から一切禁止するような管理の仕方は、オープンなコミュニティーには馴染まない。石塚さんは「どのような運営が適切かを考える組織を、自主的に活動する人を中心に作る必要がある」と話す。具体的には、そのコミュニティーを構成するメンバーそれぞれが何をしたいのか、何を必要としているのか、どんなビジョンを持っているのかといった事柄を共有するための組織だ。そのうえでコミュニティーの自治的な運営を実現できれば、特定のテーマをグループ単位でより掘り下げて実践したり、新たなサービスやプロダクトを開発するプラットフォームとして機能させたりすることも可能になるだろう。

写真4 隣接するカフェスペースでのディスカッションの様子。
写真4 隣接するカフェスペースでのディスカッションの様子。

 こうした話を聞きながら、DIYバイオは集合知的な側面を持つことに改めて気づかされた。参加者は最初から正しい実験の進め方を教わるのではなく、トライ・アンド・エラーを繰り返しながら知識と技術を習得していた。その中で得られた経験は、成功、失敗を含めて共有・記録され、以降の実践に還元される。ここで重要なのは、生物学の教育を受けたことのあるいわゆる専門家も、他と同じ一人の「参加者」だということだ。例えば今回のワークショップでは、バイオ関連企業に勤める人が実験計画の策定に関わったことで、手順を一気に効率化できたという。「手順の細かい部分についてチェックをお願いしたり、基本的な技術を確実に伝えてもらったり、専門家がDIYバイオで果たせる役割はたくさんあると思う」とチャンさんは語る。その一方で、専門家側も、ふだんは接する機会のない人々との共同作業を通じて、新たな気づきや発想を得られる可能性がある。一人の「参加者」という同じ立場でラボを運用しながら、専門家と一般市民がお互いを理解していくことが、このBioClubという場所の大きな目的だと感じた。

バイオのすそ野を広げるためには「継続」が重要

 今回のワークショップは、利用者が立てた企画に対してラボスペースを提供した初のケースだ。恒常的な利用者数がまだまだ限られるなかで、チャンさんやサンゴリンさんのように自主的な活動を行なう人たちを支援することが、BioClubの当面の目標になる。チャンさんは「一過性のイベントに終わらせず、同様のワークショップを毎月、継続的に開けるような体制を作りたい。今回来てくれた人たちの中から、次のワークショップの先生になる人が出てきてくれれば」と期待を込める。実際に参加者の一人は、「専門的な話題に詳しくなった非専門家が教える側に立つ、というシステムは、地域の将棋・囲碁クラブでの指導のシステムに似ている。自分も教える側に立ちたい」と話した。そのほか、「受講にあたっての心理的・金銭的なハードルが低く、気軽に参加できた。知識を持っていない人間にとってはありがたい」「個人では実験用の試薬をそろえることは難しいので、場所と道具を提供している場所があることが貴重」という声も聞かれた。

DIYバイオは、科学への参加者を専門の科学者以外に広げ、新たな科学の知を作り出す「シチズンサイエンス」の流れの中に位置づけられる。今回の取材を通じて、専門的な教育と訓練を受けた人だけが科学を実践できるというこれまでの常識が、確実に変わりつつあることを改めて認識できた。この新しい流れがどのような変化を社会にもたらすのか。学問の世界や企業によって主導されてきた既存の生命科学とどう関わってくるのか。日本におけるDIYバイオの取り組みを、これからも追っていきたい。

(サイエンスライター 室井宏仁)

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