サイエンスクリップ

ライフジャケットで津波から命を守れる可能性が高まる

掲載日:2018年6月25日

大きな津波が来れば、多くの人が溺死で犠牲になる。だが、この溺死を簡単な方法で防ぐことができるかもしれない。ライフジャケットの着用である。海上・港湾・航空技術研究所、海洋研究開発機構などの研究チームが、津波発生装置でつくった波と人形で実験した結果、ライフジャケットを着けていない人形は渦に引き込まれて水中に没し浮上できないこと、またライフジャケットを着けた人形は渦に引き込まれずに水面に浮上していられることがわかったのだ。将来の大津波での溺死を防ぎ、多くの命を救える可能性を示す実験である。

写真1 実験に使用された、ライフジャケットを着けた人形(論文より)
写真1 実験に使用された、ライフジャケットを着けた人形(論文より)

犠牲者の死因の多くは津波での溺死

2004年のスマトラ沖地震(マグニチュード9.1)や東北沖で起きた2011年の大地震(マグニチュード9)で大規模な津波が発生したことは、もちろんご存知だろう。スマトラ沖地震では死者・行方不明者数が23万2000人(内閣府防災担当「主な津波被害の概要」)、東北沖大地震では2万2000人(内閣府防災担当「緊急災害対策本部取りまとめ報」H30年3月版 )にものぼり、津波をともなう地震による過去の災害を調べた研究によると、その死因のほとんどが津波によるものだった。津波の犠牲者を具体的にみると、水中で瓦礫(がれき)や岸壁と激突して命を落とした可能性もあるが、ほとんどは溺死だと考えられている。

では、津波の犠牲者は、どのようにして亡くなったのか。いつまた起きるかわからない大地震・大津波から命を救うためには、それを確かめることが重要だ。

きっかけは東日本大震災と釣り船衝突事故

そもそもなぜ津波で人は溺れるのか。犠牲となった人たちは、津波の中で泳げなかったのだろうか。水面に浮かぶ木材などにつかまれなかったのだろうか。

論文をまとめた元武蔵野赤十字病院外科部長の栗栖茜(くりす あかね)さんは、水につかった際の低体温症の研究を続けてきた。その栗栖さんが、今回の研究に至ったきっかけを次のように説明する。「2011年3月11日に起きた東日本大震災の津波による死者数、行方不明者の数の多さにショックを受け、ずっと『なぜなのか?』と問い続けてきました。死者数、行方不明者の数のケタがちがう。なにか特殊なメカニズムが働いているのではないか?」。そこへ飛び込んできたのが、8900トンの自衛艦と小さな釣り船「とびうお」が広島沖で衝突した2014年1月の事故だった。この事故では、釣り船の4人のうち船長を含む2人が亡くなった。外傷は全くなかった。「このときも『なぜ?』と考えました。『泳ぎの達者な人たちが、けがもないのになぜ溺れてしまったのか?』。そして、犠牲者は17ノットもの高速で航行していた巨大な艦船の渦に巻き込まれ、水面に浮上できなくて死亡したのではないかと考えました」

そこで栗栖さんは、「津波による犠牲者は、津波の渦で水面に浮上できなくて溺死した」という仮説を立て、海上・港湾・航空技術研究所、海洋研究開発機構などの研究者と研究チームをつくり、検証実験を行なった。

津波にのまれると、人はもう浮き上がれない

実験では、水深1.3メートルのプールの底に高さ1メートルのコンクリートブロック塊を設置し、その上に重さ48キログラム、身長165センチメートルの人形を横たえて、波高50センチメートル前後の津波を起こした。人形の比重は人体とほぼ同じ1に調節した。ライフジャケットを装着した人形と、していない人形が、津波にのまれた後にそれぞれどのような動きをするのかを観察した。ライフジャケットは、釣りなどで使用されるごく一般的なタイプを使った。津波にのまれたとき重要なのは、呼吸ができるよう頭が水中に沈まないことである。そこで、人形の頭の動きも追跡した。

図1 人工津波実験の模式図。赤い人型のマークは実験に使った人形。これをコンクリートブロックの上に寝かせて、図の左側から津波を起こし、側面の窓から観察した。(論文より)
図1 人工津波実験の模式図。赤い人型のマークは実験に使った人形。これをコンクリートブロックの上に寝かせて、図の左側から津波を起こし、側面の窓から観察した。(論文より)

ライフジャケットを装着していない場合、津波が到達すると人形はプールの底に沈み、水中で激しく波にもまれて頭部が水上に出ることはなかった。頭部の上下運動の軌跡を見てみると、水中で不規則に上下方向に動いていたことがわかる。つまり、たった波高50センチメートルほどの津波でも、人は水中で発生した渦に巻き込まれて水面に浮かび上がることができず、呼吸ができなくなると考えられる。

写真2 津波が到達してから2秒ごとの、ライフジャケットを着ていない人形の動き。底に沈んでから上下に動き、ふたたび水面には現れなかった。(論文より)
写真2 津波が到達してから2秒ごとの、ライフジャケットを着ていない人形の動き。底に沈んでから上下に動き、ふたたび水面には現れなかった。(論文より)
図2 ライフジャケットを着ていない人形の頭部と津波水面の軌跡。縦軸は水面などの高さ、横軸は津波が到達してからの時間(秒)、紫のラインは水面、赤いラインは頭部の軌跡を示す。赤いライン(頭部)は紫のライン(水面)の下で激しく上下した。(論文より)
図2 ライフジャケットを着ていない人形の頭部と津波水面の軌跡。縦軸は水面などの高さ、横軸は津波が到達してからの時間(秒)、紫のラインは水面、赤いラインは頭部の軌跡を示す。赤いライン(頭部)は紫のライン(水面)の下で激しく上下した。(論文より)

一方でライフジャケットを装着した人形は、体が水中に沈んでいても、頭はつねに水上に出ていた。頭部の動きの軌跡は、水面の動きに合わせたゆるやかな動きを示し、人の場合でも呼吸し続けることができると考えられる。

写真3 津波が到達してから2秒ごとの、ライフジャケットを装着した人形の動き。体は水中にあるが、頭部はつねに水面より上に出ていた。(論文より)
写真3 津波が到達してから2秒ごとの、ライフジャケットを装着した人形の動き。体は水中にあるが、頭部はつねに水面より上に出ていた。(論文より)
図3 ライフジャケットを着た人形の頭部と水面の動き。縦軸と横軸、紫と赤のラインは図2と同じ。赤いライン(頭部)は紫のライン(水面)よりつねに上にあり、水面の動きに合わせてゆるやかな動きを示した。(論文より)
図3 ライフジャケットを着た人形の頭部と水面の動き。縦軸と横軸、紫と赤のラインは図2と同じ。赤いライン(頭部)は紫のライン(水面)よりつねに上にあり、水面の動きに合わせてゆるやかな動きを示した。(論文より)

浮き上がれず、呼吸を求めて慌て、溺れる

みなさんは、波打ち際で波にのまれて、慌てもがいた経験はないだろうか。人はいちど水中に引き込まれると、呼吸を求めてもがく。浮き上がれないまま呼吸のペースが速く深くなり、その結果、水が大量に気道に入ってしまう。こうなるとすぐに意識を失い、4〜5分間で心肺停止から死に至る。過去の津波をみると、どんなに泳ぎが得意な人でも、津波にのまれてしまえば生還することは極めて難しい。

1に「てんでんこ」、2に「ライフジャケット」

巨大津波の被害を何度も受けてきた三陸地方では、古くから「津波てんでんこ」という言い伝えがある。「津波が来たときには、各自『てんでに』高台に走れ」という意味だ。津波がきたときに生き延びるには、1秒でも早く、1センチメートルでも高い所へ避難するのが大原則だ。しかし津波が迫るスピードは沿岸部でおよそ時速40キロメートル。自動車のスピードと等しい。逃げ遅れる可能性は、おおいにある。

「そのような事態にどのように対処すべきかの議論が、これまでほとんどおこなわれてこなかったと思います。今回の研究でライフジャケットが有効であることが、とりあえず証明されました。今後さらに高い波高の人工津波での実験を行いたいと考えています」と栗栖さん。

より多くの命を救うために、次なる課題

近い将来起こると考えられている南海トラフ地震では、大規模な津波の発生が予想されている。今回の研究結果をもとに、津波の到達が予想される場所ではライフジャケットを準備しておくことが、大きな減災につながるのではないだろうか。加えて、栗栖さんは「より一層重要なことは、ライフジャケットの改良です。コンパクトな構造で、着用に時間のかからないライフジャケットの開発が望まれます」。また、押し寄せた津波はふたたび沖に引いていくので、ライフジャケットを装着した場合、沖に流されてしまう可能性がある。そして、長く水につかっていれば、体の熱は奪われてしまう。素早く救出するためのシステムの研究も重要だ。

今回の研究では、ライフジャケットを着けていない人形が津波にのまれると水中で発生する渦に巻き込まれて浮上できないこと、ライフジャケットを着けた人形は渦に巻き込まれずに水面に浮上し続けることが明らかになった。「逃げること」や「防潮堤を設置すること」にこの新たな術が加わることで、津波を生き延びる可能性が大きく広がったといえるだろう。

「津波は、波が来るのではなく海が来るのだ」と聞いたことがある。その水面の盛り上がりは、波などという言葉では尽くせないほど巨大なのだ。「たった50センチメートルの津波でも、その破壊力は強烈です」という栗栖さんは、今後、1メートル、1.5メートルの高さでの実験も計画している。大津波は、必ず来る。津波から命を救うための研究の今後に注目したい。

(サイエンスライター 田端萌子)

ページトップへ