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船酔いと呼気中の二酸化炭素濃度の関係明らかに ?南極観測船しらせで研究?

2017.12.11

田端萌子 / サイエンスライター

 船酔いをしやすい人としにくい人との違いはなにか。その疑問が解明できそうだ。大きく揺れる船中で、船酔いがひどい人と船酔いしない(または軽い)人の呼気では、後者の二酸化炭素濃度(以下EtCO2)の値が高くなることが分かった。これにより、船酔いの症状が重症化しそうな人をあらかじめ予想することが可能になる。第54次南極地域観測隊(活動期間:2012年〜2014年)の長谷川 達央(はせがわ たつひさ)隊員を中心とする研究グループが南極に向かう南極観測船「しらせ」で研究を行い発見した。

写真1.南極観測船「しらせ」での激しい航海の様子 提供:国立極地研究所
写真1.南極観測船「しらせ」での激しい航海の様子 提供:国立極地研究所

乗組員が叫んでしまうほど荒れる南極への航路

 南極に向かう船内は、緯度40度ぐらいから南下するにつれて大きく揺れるそうだ。これは暴風域に突入するためで、南緯40度から50度は”the roaring forties(ほえる40度)”と呼ばれている。南半球の航海については、南緯40度で「ほえる」、南緯50度で「狂う」、南緯60度で「叫ぶ」ほど船内が荒れるとも言われる。しらせ乗組員のベッドには、船が傾いたときに転げ落ちないように掴まるためのバンドが備え付けてあり、暴風域に突入する前には、家具や段ボール箱は動かないようにしっかりと固定される。第47次隊の初代しらせ(第51次隊からは、より揺れにくい2代目しらせが就役)での航海時には最大42度傾いたという記録が残っている。ちなみに1998年の長野オリンピックで競技が行われた長野県白馬ジャンプ競技場(ラージヒル)の最大傾斜は37.5度。どれほど船内が荒れるか少しはイメージできるだろうか。

写真2.観測隊員船室の様子。荷物はひもでしっかりと固定されており、背後のベッドには、落ちないようにつかまるための黒いバンドが設置されている(しらせ船内見学時に筆者撮影)
写真2.観測隊員船室の様子。荷物はひもでしっかりと固定されており、背後のベッドには、落ちないようにつかまるための黒いバンドが設置されている(しらせ船内見学時に筆者撮影)

 南極へ航海する船内において、船酔いは医務室受診理由の40パーセントを占めるという。しらせでは、観測隊員は航路でも実験作業などを行うが、船酔いがこれらの業務の大きな支障となっているのだ。研究グループの長谷川氏は「症状が重い人もいる割に船酔いは検査などでの所見がなく、研究しづらい病気です。検査で重症度などが客観的にわかる指標があれば、予防・治療方法の研究の助けになるのではないかと思います」と研究のモチベーションについて話してくれた。もちろん船酔いは南極観測に限らず、漁船やコンテナ船など一般的な船上業務や、客船での観光においても大きな問題である。

 そもそも乗り物酔いは、耳の奥の内耳(具体的には三半規管や前庭※1)が非日常的な揺れで刺激されることで起こる。酔いの結果、自律神経系が乱れ、顔色が青白くなったり、冷汗が出たり、頭痛、唾液の増加、嘔吐などの症状が起こる。

※1 内耳内にある空間のひとつで、平衡感覚を生み出していると考えられている。

 乗り物酔いに関する研究はいくつか行われてきた。例えば、曲がりくねった道路を走る車中でDVDを見ながら乗り物酔いの重症度を測るという実験では、乗り物酔いが重症化するほど呼気中のEtCO2値が低下するという結果が得られている。今回のしらせでの実験の目的は、同様の変化が船酔いでも起こるかを検証することだった。

船酔いしにくい人は二酸化炭素を多く吐く

 実験に参加したのは南極観測隊員14名(うち男性12名、女性2名、年齢23歳?53歳)。EtCO2値測定と主観的な船酔い度調査を、出港前に1回、出港後3日間3?4時間ごとに13回行った。EtCO2測定は被験者が3回行った呼吸の平均値を取った。主観的な船酔い度調査は、アンケート形式のSSMS(Subjective Symptoms of Motion Sickness)の回答値をスコアリングしたものを使った。

 船酔い症状が重い7名のグループ(図中では◎、SSMS最大値>5)と船酔い 症状が軽い7名グループ(図中では?、SSMS最大値<5)を分けて同様にプロットすると、症状が軽いグループのEtCO2値が高くなる傾向が見られた(図1)。

図1.船酔い症状が重いグループ(◎)と症状が軽いグループ(?)で分けたEtCO2とSSMSの関係図。縦軸がEtCO2値、横軸は船酔い度を表すSSMS値で、右に行くほど船酔いの症状が重いことを示す。EtCO2とSSMSには図中に示された右肩下がりの直線のような相関関係が見られる(論文より抜粋)
図1.船酔い症状が重いグループ(◎)と症状が軽いグループ(?)で分けたEtCO2とSSMSの関係図。縦軸がEtCO2値、横軸は船酔い度を表すSSMS値で、右に行くほど船酔いの症状が重いことを示す。EtCO2とSSMSには図中に示された右肩下がりの直線のような相関関係が見られる(論文より抜粋)

 また、船酔い症状が重いグループと軽いグループの出港前と航海中のEtCO2値を比較すると、症状が軽いグループのEtCO2値が出港前より航海中の方が高くなり、症状が重いグループのEtCO2値は低くなっていることが分かる(図2)。

図2.船酔い症状が重いグループ(◎)と軽いグループ(?)のEtCO2値、出航前後の比較。左が出航前、右が航海中(論文より抜粋)
図2.船酔い症状が重いグループ(◎)と軽いグループ(?)のEtCO2値、出航前後の比較。左が出航前、右が航海中(論文より抜粋)

 では被験者個人の変化はどうだろう。船酔い度が大きいグループ7名ひとりひとりのデータから、EtCO2値とSSMS値(船酔いの症状)にはなんの相関関係も見られなかった。つまり船酔い症状が現れてからEtCO2値が低くなったり、重症化するほどEtCO2値が低くなったりするわけではなかった。これは先に述べた自動車での乗り物酔い実験の結果とは異なるものだった。

カギは呼吸のリズム

 ではなぜ、船酔い症状が軽い人のEtCO2値は高くなるのだろうか。研究グループは、これらの人々は無意識に呼吸をゆっくり深くしているのではないかと考えている。実は、1分間あたり10回以下のゆっくりとした深い呼吸は、乗り物酔いの症状を軽くするという研究報告がある。また一般的に、時間当たりの換気量が多いほど呼気中のEtCO2値は減少する。研究グループは、船酔い症状が軽い人たちの中には、ゆっくり深く呼吸をした人がいたのではないか、その結果時間あたりの換気量が減り、EtCO2値が高く出たのではと考察している。

 研究結果はどのように生かせるだろう。船酔い対策としては、皆さんもご存知のように事前に酔い止め薬を服用する方法がある。しかしこれには眠気や集中力の低下を引き起こす副作用があり、船上業務に支障をきたす可能性がある。酔い止め薬の使用は必要最小限に留めたいところだ。そこで、乗組員のEtCO2値を測定することによって船酔いしやすいかどうかを判断し、船酔いしやすい人にだけ酔い止め薬を投与するということが可能になる。長谷川氏は課題と今後の展望について「今回の実験では、被験者の人数が少ない点から、今回の実験データのみではまだはっきりしたことが言えないところがあります。反復して多くの被験者からのデータを取ることで酔いやすい人と酔いにくい人を分けるカットオフ値が明瞭になってくれれば良いと思っています」と語る。

 今回の研究での被験者は、実は当初16名だったのだが、そのうち2名はひどい船酔いのためドロップアウトした。残った14名の被験者の中には嘔吐しながらも実験に参加し続けた人もいたようだ。船酔いという大きな問題解決に貢献しようと、過酷な条件でもデータを取り続けた研究グループ、被験者のみなさんに敬意を表したい。

(サイエンスライター 田端萌子)

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