サイエンスクリップ

沖縄で海の酸性化と向き合う「栗原研」訪問

2016.03.23

写真 1. 栗原晴子氏
写真 1. 栗原晴子氏

 「こんにちは、どうぞ!」。栗原晴子助教は親しみのある笑顔で出迎えてくれた。ここは、琉球大学理学部海洋自然科学科の栗原研究室だ。彼女は2015年、科学技術・学術政策研究所(NISTEP)から科学技術イノベーションに顕著な貢献をしたとして、「ナイスステップな研究者」に選出されている。テーマは、「海洋生物の観察による、地球規模で進行する海洋の温暖化及び酸性化の把握」である。海水と海の生物の関係を探る栗原氏とは、どんな研究者で、どんな研究生活を送っているのだろうか。

沖縄から海洋酸性化に迫る

 栗原研究室には、中国、スリランカからの留学生を含む6名の学生と1名の研究員、1名のポスドクが在籍している。ここでは、海水温の上昇や酸性化によって、海洋生物が、今、どのくらい、どのように、なぜ影響を受けているのか、また、将来どのような影響を受けるのかを、実験とフィールド調査の両面から研究している。

 現在、世界では、地球温暖化の原因の1つである二酸化炭素の増加によって、海水の酸性化※1が進んでいる。IPCCの2009年の報告によると、産業革命時(1770年代~1830年代)の全海洋の酸性度はpH8.2だったのに対し、現在はpH8.1、200年後にはpH7.6からpH7.4になると見込まれている。海水の酸性化が進むと、炭酸カルシウム(CaCO3)が形成されにくくなり、炭酸カルシウムによって貝殻や骨格をつくるサンゴや貝、カニなどの甲殻類が、体をつくれなくなったり、死滅したりすると考えられている。

※1 海水の酸性化:海水中の水素イオン濃度が増加する現象。水素イオン濃度pHが7.0のとき中性、それより小さいと酸性、大きいとアルカリ性となる。海水はアルカリ性(pH8.1程度)だが、海水中の水素濃度が増えるとpHの値が小さくなり酸性(中性)に近づく。

 海水中の変化を、化学式で表すと、以下のようになる。

CO2+H20 ←→ H++HCO3- ←→ 2H++CO32-

 水に二酸化炭素が溶けると、水素イオン(H+)と炭酸水素イオン(HCO3-)、さらに、水素イオンと炭酸イオン(CO32-)が発生する。水素イオンが増加すると、炭酸平衡のため、CO32-は水素イオンと結合してHCO3-が増加する(矢印左向きの反応によりCO32-の濃度は減少する)。生物は炭酸カルシウムを形成する際、海水中のCa2+とCO32-を利用する。従って海洋酸性化が進行するほど、炭酸カルシウム形成の材料である海水中のCO32-の量が減少するため、炭酸カルシウムを形成しづらくなる。

 栗原氏が沖縄に住み始めた頃のエピソードを教えてくれた。沖縄県では、お風呂のシャワーが数カ月に1回程度詰まる。水道水に多くの炭酸カルシウムが含まれており、それが結晶化してシャワーの穴を埋めてしまうためだという。地元の人に、シャワーヘッドを食酢に漬けておくと穴の詰まりが解消されると教えてもらった。これは、弱酸性の食酢によって炭酸カルシウムが溶解するためだが、沖縄の人々は経験的にこのことを知っているのだと驚いた、と話した。

 栗原氏の研究室では、人工的に酸性化させた海水でサンゴなどの生物を飼育し、その成長度などを調査してきた。例えば、今世紀末に至るとされる海水の酸性値から、1000マイクロアトム(μatm)の二酸化炭素を加えた海水をつくり、そこでバフンウニの生育状況を調査したところ、ウニの受精率や幼生の骨格形成が抑制されてしまうことと、生殖器の発達や産卵が通常より1カ月ほど遅れることが分かった※2 。また同じ条件の海水で9カ月飼育したバフンウニの体腔液中の酸性度とマグネシウム濃度は、普通の海水中のバフンウニよりも低くなっていたことも分かった。詳細な数値は下記の通りだ。

バフンウニの体腔液の酸性度マグネシウム濃度
酸性化海水pH7.0348.6mmol/L
普通の海水pH7.6150.3mmol/L

 さらに、16日経過した時点で、餌の摂取量が30パーセントほど抑制された、という結果も出た。海水の酸性化によって、バフンウニの体内も酸性化が進み、殻をつくるカルシウムを取り入れにくくなる上に、生育活動が滞ることを示唆している。

 沖縄に、硫黄鳥島という島がある。その付近の海水は、火山性のガスによって二酸化炭素濃度が高い。栗原氏らの調査によって、特に二酸化炭素濃度が高いエリアでは、固い骨格を持たないサンゴの種類「ソフトコーラル」が多く棲息することが分かった※3。将来海水の酸性化が進めば、サンゴの多くがソフトコーラルに置き換えられ、多様性が失われてしまうのでは、と懸念されている。海水の二酸化炭素分圧と棲息するサンゴの関係は、下記の通りだ。

CO2分圧2258311,465 (μatm)
優勢なサンゴの種類ハードコーラルソフトコーラル棲息サンゴなし
写真 2. ハードコーラルの骨格。主に炭酸カルシウムから成り、ヒトの骨のように固い。(栗原研究室にて筆者撮影)
写真 2. ハードコーラルの骨格。主に炭酸カルシウムから成り、ヒトの骨のように固い。(栗原研究室にて筆者撮影)
写真 3. 研究室内の水槽実験システム。二酸化炭素の濃度、水温、光を制御しながら生物を飼育する。常に新鮮な海水を供給するよう独自に開発した「流水槽」というシステム。
写真 3. 研究室内の水槽実験システム。二酸化炭素の濃度、水温、光を制御しながら生物を飼育する。常に新鮮な海水を供給するよう独自に開発した「流水槽」というシステム。
写真 4. 屋外の水槽実験システム「流水槽」。常に新鮮な海水を供給するよう独自に開発した。外気温や日光はコントロールせず、二酸化炭素濃度のみを制御する。沖縄という島の環境を利用し、より自然な状態で、二酸化炭素濃度の変化のみを捉えることができる。
写真 4. 屋外の水槽実験システム「流水槽」。常に新鮮な海水を供給するよう独自に開発した。外気温や日光はコントロールせず、二酸化炭素濃度のみを制御する。沖縄という島の環境を利用し、より自然な状態で、二酸化炭素濃度の変化のみを捉えることができる。

ブラジルから生物研究の世界へ

 日々、海洋生物を見つめ続ける栗原先生は、子供時代をどのように過ごしたのだろう。日本で生まれた直後、大学で物理を教える父親の仕事でブラジルに渡り、中学1年生まで過ごしたそうだ。小さい頃は、熱帯のさまざまな葉っぱをコレクションし、「葉っぱ図鑑」を作って遊んだという。「今思えば生き物が好きだったのかも」と栗原氏は昔を振り返るが、研究者になるきっかけは別の理由からだった。

 日本に帰り、言葉の不自由さや環境の変化などから「ブラジルに帰りたい」と思う日が続き、ブラジルに帰るためにはブラジルの役に立つ人になればいいのかもしれない、「そうだ、アマゾンの研究者になろう」と思い立ったという。余談だが、話しながら明るい笑い声を上げる栗原氏を見ていると、「なるほど」と、ラテン文化圏で育ったという経歴に納得してしまった。

 その後、理系の道に進み、北海道大学理学部生物学科では「マウスの発生」、大学院の東京大学と京都大学では「ウニの発生」の研究を行った。その頃、「発生学」で純粋なサイエンスとしての面白さを感じながらも、もっと社会とのつながりのある研究ができないかと考えたという。悩んだ結果、海水中の重金属濃度とウニの発生の関係など、生物の発生と環境をテーマにした研究にシフトしていった。

フィールドで出会った生物のカオス

 実験とフィールド調査の両輪で海洋調査研究を進める研究者は、日本では珍しい。学生時代から実験中心の研究をしてきた栗原氏が、フィールド調査を始めたのは5年前に遡る。「実験室では分からないこともあるだろう」と、フィールド調査への興味を抱き始めていたところに、ダイビング好きの学生が訪れた。その学生が研究室に入ったのを機にフィールド調査を始め、現在では、沖縄だけでなく硫黄鳥島やパラオ、フィリピンにも出かけているという。

 狙い通り、フィールド調査ではいくつもの発見があった。例えば、1日の中でも、海水の二酸化炭素濃度(つまりpH)がダイナミックに変化していること。日中、植物プランクトンや藻、サンゴと共生している褐虫藻などが行う光合成の影響で二酸化炭素濃度が低下する一方で、夜間の二酸化炭素濃度は上昇するのだ。また、通常、実験室では死んでしまうような高い二酸化炭素濃度の海水環境でも、サンゴが元気に生きる特殊な環境が存在することも分かった。パラオのニッコー湾は、地形の関係で流れが滞留しやすく、他の海域よりも水温と二酸化炭素濃度が高いことが知られている。サンゴは一般的に水温や二酸化炭素濃度に敏感で、例えば水温30度以上ですぐに白化(白くなって死んでしまう現象)してしまうとされてきたが、水温32度でも多様なサンゴが生息している。

 「でも不思議なことに、そこではサンゴがモリモリと元気に生きていたんです。驚きました」と栗原氏。実験室だけでは決して分からなかったことだ。「フィールド調査では、生物間の関係など、実験室では再現できない複雑な因子を含めて見ることができます。一方、実験では、未来の海水をシンプルにシミュレーションすることができます。フィールド調査と実験を組み合わせないと、将来像は正確には見えてこないと思います」。お話をうかがいながら、栗原氏がフィールド調査と実験結果とのギャップの中に想像を超えた生物のたくましさを発見し、驚き楽しんでいる印象を受けた。

海洋酸性化はなぜ悪いのか?

 海水の酸性化が進むと、ソフトコーラルが優勢になると前述した。ではその何が問題なのだろうか。生物界には、弱い生物(環境変化に敏感な生物、餌が限定的な生物など)から強い生物(適応力が高い生物、何でも食べる生物など)まで存在し、環境の変化が起こると環境に適応できない弱い生物から段階的に死んでいく。ハードコーラルは、炭酸カルシウムの骨格が体の大部分を占めるため、海水の酸性化により骨格を作ることができず生き残ることができない。この場合「弱い」生物に位置づけられるだろう。つまり温暖化に伴い海水の酸性化が進むと、ハードコーラルは淘汰され、サンゴの多様性が失われる。例えば、熱帯の魚の中には、特定種のサンゴにしか棲めないものもいる。現在、世界には800種ものサンゴが存在すると言われているが、種類が減ると生態系にどのような影響が出るかは未知数だ。

 もう1つ想定される問題は、サンゴ礁やサンゴからなる島ができにくくなるということだ。沖縄の石垣島や宮古島などは、死んだサンゴの骨格が堆積した部分が隆起してできた。ソフトコーラルが優勢になると、このような島が新たにできる可能性が減少すると考えられる。

 「環境が変わると、必ず生物も変わるんです。かつての地球では、今よりも二酸化炭素濃度が高く、暑い時代がありました。しかし、ゆっくりと環境が変化したために、生物は適応してきました。海水の酸性度も、緩衝作用※4により、大きくは変化しなかったことが分かっています。一方で、人為的な環境変化の特徴は、スピードが速いということです。海や生物が変化に追いつけないスピードで温暖化や海水の酸性化が進むので、どれほどの影響が及ぶのか分かりません。これからどうなるの?という感じです」

※4 酸や塩基を加えても水素イオン濃度がほぼ一定に保たれること

2つの目標

 栗原研究室では、約2年間、沖縄沿岸域の海水温、二酸化炭素濃度、酸性度を継続的にモニタリングしてきた。その観測データと経験を生かし、将来的には、全国の沿岸部での観測ネットワークを作りたいと話す。全国のデータを網羅的に分析すれば、亜熱帯、温帯沿岸域の生物相や生態系、また水産学的重要種の変化が分かり、より大きな視点で環境の変化を捉えることができるだろう。

 もう1つ挑戦したいテーマは、他の海域よりも二酸化炭素濃度が高いパラオのニッコー湾では、なぜサンゴが元気に棲息できるのかを突き止めることだ。その湾では特別にサンゴの餌となる動物プランクトンが多いのかもしれず、あるいは、生息するサンゴ自体がもともと二酸化炭素に耐性のある種なのかもしれない。もしくは、生物の相互作用が影響していることも考えられる。その謎に迫るために、ニッコー湾のサンゴを沖縄の海に移植して、その変化を観察する予定だ。

この取材を行なった直後、栗原氏は早速フィールド調査のためにパラオに発った。3月19日には東京でのサイエンスカフェが開催予定だ。多忙を極める元気な研究者から、今後も目が離せない。

*写真および図版提供:琉球大学 栗原研究室

 サイエンスライター 田端萌子

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