レポート

観察を通じて「?(フシギ)」と「!(ハッケン)」を得る — 生態学を題材としたサイエンスカフェから

2020.03.06

室井宏仁 / サイエンスライター

生態学とはなんだろう?

 昨今、全国の都市部で様々な野生動物が目撃されるようになってきた。環境保護の機運がますます高まる中で、自然と人間との関係を追求する生態学も注目されてきている。しかし一口に生態学と言ってもその研究対象は幅広く、また実際の研究がどのように進められているのか知る機会は少ないのが現状だ。

 そもそも生態学とはどのような学問なのか。そして科学者は一体何を考え、何を目的にして研究を進めているのか。北海道大学科学技術コミュニケーション教育研究部門(CoSTEP)が主催する「サイエンスカフェ札幌」にゲストとして招かれた、同大学環境科学院の小泉逸郎(こいずみ・いつろう)准教授の話を中心に探った。

 CoSTEPでは、様々な学問分野の専門家や実践者を招いた「サイエンスカフェ札幌」を定期的に開催している。ゲストの選定を含め、企画立案や折衝、当日の司会進行はCoSTEPのスタッフのみならず受講生も主体となって担当し、科学と社会のつなぎ役を目指す人材育成の場ともなっている。

 小泉さんは昨年10月に行なわれた『動物のおもしろい「生き方」探してみた 〜進路に迷うサケからシャイなリスまで!?〜』に登場。自らが専門とする北海道の野生動物について過去の研究成果を紹介しながら、学問としての生態学を語った。

会場には小中学生から高齢者まで120名の参加者が詰めかけた
会場には小中学生から高齢者まで120名の参加者が詰めかけた

森のラジオ放送局、スタート!

 サイエンスカフェは「森のラジオ放送局」で放送されている架空の番組「科学者お悩み相談室」の公開収録、という形式で進行した。カフェの来場者は公開収録の参加者、スタッフは番組の進行役、そしてゲストの小泉准教授はリスナーの悩み相談に答える科学者、という役どころ。来場者参加型の劇仕立てのイベントというわけだ。

ゲストの小泉逸郎・北大准教授(左)と進行役のCoSTEP受講生(右)
ゲストの小泉逸郎・北大准教授(左)と進行役のCoSTEP受講生(右)

 さらに今回は、タイトルにもある「?」と「!」がキーワードとなるという。それぞれ「はてな」、「びっくり」ではなく「フシギ」、「ハッケン」と読む。これらはどう関わってくるのだろうか。

 最初の「お悩み」は「上司に海外への転勤を提案されたが、興味がありながらも受け入れるか迷っている」というもの。これに対し小泉さんは「外に飛び出していく」動物の例として、日本人にも馴染み深いサケを挙げた。「?」と同時に画面に映し出されたのは、体色も大きさも違う2匹のサケの写真。

「降海型」ヤマメ(上)と「残留型」ヤマメ(下) (画像提供:北海道大学CoSTEP)
「降海型」ヤマメ(上)と「残留型」ヤマメ(下) (画像提供:北海道大学CoSTEP)

 ここで来場者に向けてクイズ。この2匹の関係は、赤の他人なのか、恋人同士なのか、恋のライバルなのか、はたまた父親とその愛娘なのか。…正解は、恋のライバル、つまり、パートナーとなる雌を奪い合う雄同士というわけだ。そしてここでもう一問。同じ種類、性別の魚にも関わらず、これほどまでに姿かたちが違う理由はなぜだろうか。

 小泉さんによると、サケ科の魚類には、成長の過程で川から海にすみかを移すものと、川に残るものの2種類がいるという。例えばヤマメという魚は、一生を生まれた川で過ごす「残留型」と、海に出て海水への適応能力を身に付ける「降海型」がいることが知られている。このうち後者は海洋で豊富な餌を食べることで体長が大きくなり、また体色も変化した状態で生まれた川へ戻ってくる。いわゆる「サクラマス」の名称で市場に流通しているのは、実はこの「降海型」になったヤマメだ。

 意外なことに、こうして海洋へ出ていく個体の多くは、様々な理由から川で大きく成長できなかったものの方が多いという。ヤマメを対象にした研究では、0歳の夏に体長が7〜10センチを超えた個体の半数以上が川に留まることが明らかになった。餌などの環境条件が良い場合、残留型になる傾向がより強いとみられる。さらに小泉さんの研究グループでは、ある個体が残留型になるかどうかの確率が、グループ内の順位によって変動することを明らかにした。すなわち、ヤマメは自身が川に残るか海へ向かうかを、周りの個体に応じてある程度の範囲で意思決定しているという。

「回遊」する研究者からのメッセージ

 実は小泉さん自身も、サケと同じく「大移動」を経験してきた一人だ。岡山県出身で、幼少期から大の釣り好きでもあった小泉さんは、中学生時代から北海道への憧れを持っていたという。大学進学とともに渡った北海道では当初高分子化学を専攻していたが、大学院から生態学に分野を転向した。

 2003年に学位を取得後、フィンランドで2年間、アメリカのシアトルで1年間の留学を経験。帰国後母校である北大に教員として赴任、という「まさにサケの回遊のような人生を送ってきた」と語る。「自分も30歳を超えてから新しい人生が始まるとは思ってもみなかった。もし興味があるのならば、まずは行ってみてほしい。必ず世界が広がる」と来場者にエールを送った。

 小泉さんの動物にまつわるトークはまだ続く。都市化に伴い市街地でも目撃されるようになったリスの調査では、段ボールで姿を隠しながら、どのくらいまで距離が近づくと逃げ出し始めるか(逃避始距離)を測定。その結果、都市に住む個体は7メートルほどまで近づくことが可能であるのに対し、郊外に住む個体は20メートルほどで逃げ始めることが分かった。

 また都市に住むリスの場合、人間が近づいた時と捕食動物のはく製が近づいた時で逃避始距離が異なっていたことから、ヒトとそうでないものを区別していると考えられるという。同じ種類の動物でも、住む場所によって「大胆さ」や人間に対する反応が異なる、というわけだ。

草食化するクマたち—『森の観察会』と質問コーナー

 会場内では小泉さんの研究にまつわる様々なものも展示された。特に印象的だったのは、水棲生物の生体展示だ。ヤツメウナギやニホンザリガニなど、都市部では見る機会の少ない動物を実際に触りながら観察することができる。そのほか、サケやヒグマなどに関する標本やフィールドワーク時の装備品にも、カフェの開始前から来場者の注目が集まった。

生体展示されたヤツメウナギ
生体展示されたヤツメウナギ

 休憩時間中に行なわれたのは、こうした展示物を利用した「森の観察会」。来場者は入場時に配布された付箋を持って会場内を回り、展示を観察。それぞれが感じた「?」や「!」、また小泉さんへの質問を書き出し、各ブースに設置されたボードに貼り付ける。小中学生から高齢者まで、幅広い年齢層の参加者が展示を楽しみ、解説スタッフや小泉さんとの対話を楽しんだ。

「観察会」終了後、クマの展示ブースに寄せられた「?」と「!」の付箋ボード
「観察会」終了後、クマの展示ブースに寄せられた「?」と「!」の付箋ボード

 「観察会」のあとは、ボードに貼られた付箋の内容を共有しつつ、小泉さんに質問を回答してもらう時間。最初にピックアップされたのは「クマはサケを食べないんですか?」という質問。これに対し小泉さんはクマの頭骨の標本を示しながら、ものをすりつぶす歯と、肉を引きちぎる歯を両方持つ、雑食動物特有の構造をとっていることを説明。海外のクマの中には、1頭あたり40日間で700匹ものサケを食べるものもいるが、現在の北海道では約8割が草や木の実などの植物食だという。

クマの頭骨標本を使って質問に答える小泉さん
クマの頭骨標本を使って質問に答える小泉さん

 その上で「なぜ最近札幌市内にクマやシカが出没するようになっているのか」という質問がピックアップされた。小泉さんによると、近年ではダムや堰堤などの建設により、サケがクマの生息する内陸部にまで遡上することが難しくなってきているという。こうした変化のため、クマなどの野生動物が新しい栄養源を求めて人里に降りてこざるをえなくなっている、と解説する。

 実際、道東に生息するヒグマを対象に過去100年間の食性変化を追跡調査した研究では、陸上動物への依存度は56%から5%に、サケへの依存度は64%から8%に低下していることが明らかになっている。環境の変化が野生動物の食性に影響し、ひいては人間との関係も変化させている例と言えるだろう。

 他にも「川に残った小さいサケにも繁殖能力はあるのか」「魚をサンプルとして捕獲する際になぜ釣りで採らないのか」などの質問があがり、最後まで活発な質疑応答が行われた。

サイエンスカフェを通して好奇心を育てる

 生態学は生物の観察を通し、その多様性について理解しようとする研究分野だ。これを続けるうえで必要なものとして、真っ先に小泉さんが挙げたのは「好奇心」だ。「好奇心は全ての人が生まれながらに持っている財産。これをいかにうまく保ち続けられるかが幸せに生きる秘訣」と語る。

 さらに、形も色も様々な生き物に対する好奇心は人間の想像力をかきたて、新たなモノやサービスを生み出す源泉ともなる。実際、人類史に残る美術品や工業製品には、生物や自然物をデザインのモチーフとして制作されたものも少なくない。例えば、研究活動の基本をなす好奇心が、人間とは何かという根源的な問いを理解するだけでなく、文化を創造する力にもなりうる、ということだ。

 その好奇心を育てるために必要なのが「?」と「!」、つまり身の回りの様々なものに対して疑問を持ち、自分なりの答えを見つけ出すプロセス。今回のサイエンスカフェでは、単に研究者の話を聞くだけでなく、会場を最大限活用して展示スペースとし、かつそれらを見て感じたことを表現・共有する機会が設けられていた。

 生きた生物を相手とする研究分野ならではだが、ボードに貼られたたくさんの付箋は、来場者の反応の大きさを如実に物語る。こうした体験型のサイエンスカフェの取り組みが今後どのように展開していくのか、継続して注視していきたい。

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