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「サイエンスデイ」で多彩な体験型企画に9,600人「心豊かな未来社会」目指し「対話フォーラム」<第2回>「科学や技術が目指すべきものとは」

科学技術振興機構 サイエンスポータル編集部

掲載日:2016年7月21日

「知的好奇心がもたらす心豊かな社会の創造に向けて」をテーマに「サイエンスデイ」(主催・特定非営利活動法人natural science、科学技術振興機構など共催)が17日、仙台市内の東北大学川内北キャンパスで開かれ、多彩な110の体験型企画に9,600人以上が参加した。今年は10回目の記念大会で共催イベントとして「心豊かに生きたい∼災害とあなたの残したい未来社会」と題した「対話フォーラム」(主催・科学技術振興機構)も開催された。フォーラムには東北大学の防災科学研究の第一人者や東日本大震災後「傾聴移動喫茶」と名付けた活動を続けている僧侶、新しいライフスタイルを提唱している東北大学名誉教授らに宮城県立多賀城高校の6人の生徒も参加し、大震災から5年が経過した今、未来に向けて何を目指すべきかについて熱心に語り合った。
(2回目は「対話フォーラム」での講演内容を中心にレポートする)

「対話フォーラム」はそのポスターやチラシの中で次のように問い掛けている。「海に囲まれ、四季に恵まれた日本は、深刻な災害とくらしの再生、自然との共生を歴史に刻んできました。科学技術の発展した現在では、世界最先端の自然災害科学研究が進められています。優れた知識や技術は、大災害によって大きなダメージを与えられた人々のこころ、人と人との関係、そして社会を再生させるための大きな助けになります。しかし、それだけで十分でしょうか?科学や技術は何を目指して発展するのでしょう?20年、30年後、わたしたちは何に幸せを感じ、どのような社会を求めているのでしょうか?」

フォーラムの開始に当たり、司会のフリーアナウンサー柳生聡子(やぎゅう さとこ) さんは「東日本大震災から5年と4カ月が経ち、改めてあの時に思いをはせながら私たちがこれから何を大切にして社会を形づくっていけばいいのか、残したい未来社会はどのようなものなのか、について会場の皆さんと一緒に考えていきたいとの趣旨で開催しました」と説明し、壇上と会場との「対話」を呼び掛けた。

フォーラムは最初に東日本大震災をそれぞれの立場で受け止め、考え続けてきた3人が登壇し、講演した。講演の内容は未来社会を考える上の「ヒント」と位置付けられた。最初に登壇した東北大学災害科学国際研究所副所長の奥村誠(おくむら まこと)さんの演題は「『実践的防災学』の創成と国際連携の現状」。奥村さんは「災害交通」が専門で、交通基盤や地域、都市計画の研究や実務に携わりながら、災害に強い地域づくりに取り組んでいる。

奥村さんの主な講演内容を以下に紹介する。

写真1 講演する奥村誠さん
写真1 講演する奥村誠さん

「私たちが所属する災害科学国際研究所は大震災1年後の2012年に作られた。大震災のように滅多に起きないが起きたら影響が大きい災害を『低頻度巨大災害』と名付けて私たちがそれに対してどう立ち向かっていったらいいのかを研究している。滅多に起きない災害を研究しようとすると研究の視野を100年、150年前よりもっとずっとさかのぼることと、研究の対象を日本だけでなく世界に広げる必要がある。このために海外の大学や研究所と連携しながら調査して一緒に学んでいる」

「災害になるかどうかは自然だけでなく、人間側、社会側が自然とどう関わるかで決まる。自然と人間の関わりの中でマイナスなことが起きると災害と呼ぶが、プラスの面もある。例えばナイル川では洪水で流された土で初めて農業ができるようになった。温泉は火山活動と関連している。人間の対応によってプラスになったりマイナスになったりする。このため『備えや対応』をいかに賢くするか、が重要でそれが我々の目指す『実践的防災』だ。避難計画や防災計画、想定外の対応などを考えることが大切だ。私は元々交通の専門家で津波の避難計画をやっている」

写真2 奥村さんが映したスライド
写真2 奥村さんが映したスライド

「若い皆さんには世の中がもう少しうまくいくにはどうしたらいいかを考えてほしい。将来の科学技術はどんどん変化する。(将来の科学技術を)今予測するのは難しいのでまず自分の好きなことに真剣に取り組んでもらうと、そのことが将来の社会の中で出て(生きて)くる。今は楽しいこと、好きなことに集中して頭や体を動かしてほしい」

奥村さんの次に宮城県栗原市にある曹洞宗通大寺住職の金田諦應(かねた たいおう)さんが登壇した。演題は「立ちなおっていくチカラ 」。金田さんは大震災後、数えきれないほどの犠牲者を弔った。その傍ら、被災者と向き合い、傾聴するために軽トラックで移動する“喫茶店”「カフェ・デ・モンク」を主宰する活動を続けてきた。東北各地の被災地の仮設住宅など40カ所以上を回り、200回を超える傾聴活動をしてきたという。金田さんは、大震災の翌日の朝、多くの遺体が流れ着いた宮城県・志津川町の海辺に朝日が昇る写真など、多くの写真をスクリーンに映しながら話を続けた。

金田さんの主な発言を以下にまとめた。

写真3 会場に傾聴活動を語る金田諦應さん
写真3 会場に傾聴活動を語る金田諦應さん

「悲しみに暮れる人々に『生き残ったことには、この生には必ず意味があるから一緒に歩いて行こうと』と言いながら5年以上が経った。最初のボランティアは小学5年生の2人の女の子の火葬に立ち合ったことだった。彼女が生きていれば今日ここに来てくれた高校生と同じくらいの歳になる。さっき彼らに『彼女たちが生きることができなかった未来を君たちは生きていくんだよ』と話した。そういう思いを背負っていかなければならないのが私たちの務めだと思う。私のやってきた傾聴は、突然の出来事に動かなくなった心や破壊され凍り付いた時間や空間を再びつなぎ合わせて未来の物語を紡いでいく活動だった。最初にしたことは、がれきの中に場を作ることだった。安心して泣ける場所が未来に向かって立ち上がっていく場所だった」

「私たちは(被災者に向き合うために)たくさんの『小道具』を使った。被災者の心を一番動かしてくれたのが手の平にも乗る小さなお地蔵さんだった。孫や子どもを亡くした人たちが皆、手にとって泣いてくれた。その姿を見て私たちは声をかけ傾聴を続けた。そんな時に大切なのはユーモアだった。苦しい時辛い時ほどそれが必要だった。私は被災地で『ガンジー金田』と呼ばれていた。『どこかガンジーに似ているでしょう』。そんなことを言うと笑ってくれて、そこから始まるんです。耳だけでなくしっかり見ることも大切にした。あるお婆ちゃんは『戦争で引き揚げて津波も3回経験した。おじいちゃんは17年前に死んだ。寂しくなんかない』と言いながら一杯寂しさを抱えていた。それでも『寂しくない』と言う。そうした人々には、その場に居続けること、そして待つことが必要だった。15分ぐらい待ってやっと少し話してくれて、少しずつ前に行くんですね。(被災者の)動かなかった心が1年、2年と経って少しずつ動いてきた。奥さんと娘、それに津波の20日前に生まれた孫の3人を一度に失ったある男性の話を傾聴した。『3つの灯篭が一緒に海の彼方に消えた時あちらの世界に行っても一緒だと確信した』と話してくれた。彼らの悲しみをすべて背負えないが少なくとも伴走できるようになったのかなと思う。ヘドロとご遺体の臭いしかしなかった海が1年経つと潮の香りがするようになってきた。再生が始まったと思った。折り合いが悪いままご主人を亡くした女性が『あの日』から3年目に一輪の花を見つけて『これで、ここでお父さんと生きていける』と言ってくれた」

写真4 金田さんが会場に映し出した「移動喫茶店」「カフェ・デ・モンク」
写真4 金田さんが会場に映し出した「移動喫茶店」「カフェ・デ・モンク」

「被災地で5年間いろいろな人と出会ってきた。地域や歴史や風土、祭りといったものの大切さ、人と人がつながる大切さを改めて感じた。これを次の世代に伝えるのが私の役目だと思っている」

最後の講演者は、東北大学名誉教授で現在合同会社「地球村研究室」代表の石田秀輝(いしだ ひでき)さん。「心豊かな暮らしのかたち」と題して未来社会の在り方を熱く語った。石田さんは、快適さや利便さを追求する「依存型」から「個人」を取り戻す「自立型」のライフスタイルへ移行することを提唱。現在、鹿児島県沖永良部島を拠点に新しい物づくりや暮らしの形を研究し提案、実践している。

石田さんは以下のように、新たなライフスタイルへの移行が今なぜ必要なのかを語った。

写真5 自立型ライフスタイルを説明する石田秀輝さん
写真5 自立型ライフスタイルを説明する石田秀輝さん

「あの日、最先端の文明だと思っていたものがガラガラと音を立てて崩れていった。あの大震災は暮らし方や物づくりの価値を改めて問うた。そして今、大切なのは子どもが大人になった時に笑顔があふれる美しい国づくりだ。そのために何を考えなければいけないのか、それを真剣に考えて具体的な形にしなければならない。それが僕たちの仕事、使命だと思う」

「二つのことを考えなくてはいけない。一つは強烈に劣化が進んでいる地球環境。もう一つは物質的な欲求の限界で、その結果としての社会の閉塞。それが少子高齢化とか人口減少に大きな影響を与えている。地球環境の問題は人間活動の肥大化の結果だ。いろいろな物はもう要らないよ、と思っても従来型の生産システム、ビジネスシステムはまだ工業化の道しか歩んでいない。こういう二つの限界によって日本の将来に不安を持っている人が86%もいる。完全に閉塞的な社会になっている」

「ではどうしたらいいのか。縄文時代から1950年代の初めごろまでは日本の社会構造は、圧倒的に強い自然の上に強固な共同体があり、その上に人が、個人がいた。ところが1960年代の高度経済成長で、この構造から個人だけが離脱してしまった。工業化に伴い『お金さえあれば』という個人主義になり、その結果個人が肥大化して物質的商業主義の劣化が起きた。今しなければいけないのは離脱した個、個人をもう一度共同体や自然につなぎ留めることだ。それは昔に戻ることではない。ゼロから描くことではない。その予兆は明確に現れている。1980年代から物より心を求める動きもあった。それなのに社会は、物づくりは、テクノロジーは、心の方に動いていない。車より自転車が格好いいという若者が増え、フリーマーケットで物々交換をすることに抵抗がない若者が増え、週末に自然と親しむことが格好いい、と言う。そういうことが始まっている。個人を再び共同体につなぎ留めるためには個人の暮らし方を変えなければならない。しかし現在のテクノロジーやサービスは残念ながらこの離脱した個の中だけで回っている。それは我慢することではない。わくわくするようなことでそこに新しいテクノロジーが入って行かなればならない」

「我々は(将来の制約から今を考える)『バックキャスト』という手法を使って4,000を超えるライフスタイルをつくった。全国で460人を超える人からヒアリングをした。どういう構造により日本の文化ができてきたかも見えてきた。44の要素があることも分かり、こういう要素を組み合わせることで心豊かな暮らし方が絵に描けるようになった。今日はライフスタイルだけを取り上げるが、実は人々が依存型から自立型の暮らし方を求めるようになってきたことが分かる。依存型から自立型へ移行することで個人を共同体につなぎ留めることができる。ところが世の中はまだ依存型の暮らしに留まっている。実は自立型と依存型の間がすっぽり抜け落ちっている『間抜け』の状態だ。この間を埋めるのが新しいテクノロジーで新しい価値観だ。この間を埋める研究はほとんど行われていない。しかし少しずつ埋めていくという方法論で新しい暮らし方をつくることができる。今若者が欲しがっているのは心の方なのに市場には出ていない」

写真6 石田さんが講演中映したスライド
写真6 石田さんが講演中映したスライド

「我々は自然のすごさを賢く生かす『ネイチャーテクノロジー』という概念でプロジェクトをつくっている。例えば家庭から出るいろいろな有機物を集めるといった住民が動かなければならない仕組み(テクノロジー)、これが『間』を埋めることになる。ローカルが主体になる時代がもうそこに来ていると確信している。大きな自治体は舵を切れないが、東北のように風土や文化的な価値がそれぞれ違うエリアがいっぱいある。小回りが利くエリアがいっぱいある。その多様性を認める価値を『おしゃれに』継承していくことが大切だ。『自足』という概念がベースになるだろう。今実験を兼ねて沖永良部島にいる。孫が大人になった時でも光り輝く美しい島にしたい。それを広げて美しい国にしたい。そんなことを考えている」

(サイエンスポータル編集部)

(続く)

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