レポート

研究開発戦略ローンチアウトー第48回「知の魂〜知のコンピューティングへの長い道のり〜」

2013.08.20

茂木強 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター 電子情報通信ユニット フェロー

茂木 強(科学技術振興機構 研究開発戦略センター 電子情報通信ユニット フェロー)

科学技術振興機構 研究開発戦略センター 電子情報通信ユニット フェロー 茂木 強 氏

 科学技術振興機構(JST) 研究開発戦略センター(CRDS)の電子情報通ユニットでは、昨年度より戦略的新領域として「知のコンピューティング(Wisdom Computing)」に取り組んでいます。今回は、皆さまに私たちの活動の紹介と私自身の思いについてご紹介したいと思います。

知とはなにか、知のコンピューティングとはなにか

DIKWモデル
DIKWモデル

 知とはなにかという大命題に関して私たちは「人々が賢く生きるための力」と定義しています。字義的には、英語ではWisdom、日本語では「知」というよりむしろ「知恵」には、「知識の集大成」という意味と「正しい判断を行う能力」という二つの意味があります。知の定義に関しては古今東西さまざまな研究がなされておりますが、情報科学の観点からはDIKWモデル(*1)(右図)が有名です。これに従うと、知とはWisdomおよびKnowledgeということになります。また、「知のコンピューティング」は、知(Wisdom/Knowledge)を得るためのコンピューティングと、得られた知を使ってコンピュートする(何か人間の役に立つことをする)ことの、二つの意味を兼ねています。

知のコンピューティングをめぐる世の中の動向

 「知のコンピューティング」に一番近い分野は人工知能の研究です。この分野は2010 年にコンピュータ将棋が女流プロ棋士と対戦して勝利し、11年には IBM のWatsonがクイズ番組Jeopardy! で人間のクイズ王を破ったなど、従来ではなしえなかった快挙が続いています。また、NTT ドコモの「しゃべってコンシェル」やAppleの「Siri」などの音声応答システムは、あたかも機械が人間の意図を解釈して対応しているように見えます。しかし、これらは大量のデータの統計処理と高速検索技術によるデータ処理に過ぎません。

 一方で、脳科学や認知科学の研究が急速に進展しています。米国では「BRAINイニシアチブ」 が本年立ち上がり、脳の活動マップを脳細胞レベルで解明することを目標にしています。また、欧州委員会でも「Human Brainプロジェクト」が同じく発足しました。こちらは、脳の働きを解明して、スーパーコンピュータ上にそれを再現することなどを目標にしています。

 これらの動向はいずれも“ITの最後のフロンティア”と呼ばれる人間の脳をターゲットにしたものですが、私たちは、それに加えて、知(Wisdom/Knowledge)を構造化することにより、蓄積・伝搬・探索したり、新たな知見の発見や創造したりするというアプローチが今、必要だと考えています。それが「知のコンピューティング」なのです。

知のコンピューティングをめぐるアクティビティ

 「知のコンピューティング」という新しい分野を作り出し、中長期的な研究開発戦略とするために本年7月にサミットを開催しました。サミットはITの分野においては、まだ確立していない分野のゴールや方向性、研究分野を具体化する学際的なワークショップです。今回は、幅広い分野からからの議論を行うために、公募(*4)により参加者を募集しました。予想を上回る応募者から35名に出席いただき、招待講演者を合わせて50名を超える有識者が2日間にわたり多面的な議論と集中的な討議を行いました。その結果、”人間と機械の共創を目指したコンピューティング”という、従来の人工知能、認知科学、ロボティクスやビッグデータを一歩推し進めた概念が明確になりました。詳細については、本年中に公開予定の報告書を御覧ください。

 今後は、これを受けて、課題別のミニワークショップを定期的に開催し、必要となる研究分野の特定と研究者コミュニティの醸成をはかってゆくつもりです。

知のコンピューティング
知のコンピューティングの俯瞰図

知のコンピューティングと私

 「知のコンピューティング」を考えてきて分かってきたことは、今更ですが、そのためには、知を発見・創造し、蓄積・伝搬・探索して、人や社会に作用させる実体、すなわち人やその集団が構成する社会に関する深い認識と洞察が必要だということでした。自然科学、ましてや計算機科学だけの研究ではまったく不十分なのです。その意味もありサミットでは、経済学、経営工学、心理学、認知科学、倫理の観点での講演をお願いしました。

 関連する領域の本を、いろいろな方々にお話しを伺った時に紹介いただいた本も含めて、多読しています。人間そのものや人間と社会との関わりについては社会学や哲学、心理学、経済学といった計算機科学以外の分野から学ぶことが圧倒的に多く、私にとってボディビルディングならぬ”ブレーンビルディング”になっています。特に理科系の方々には頭の体操という意味で、次の書籍を読まれてはいかがでしょうか。『心と脳 -認知科学入門(*3)』(安西祐一郎)、『大衆の反逆(*4)』(オルテガ・イ ガセット)、『富の未来(*5)』(A. トフラーほか)、『ポスト・ヒューマン誕生(*6)』(レイ・カーツワイル)、『機械より人間らしくなれるか?(*7)』(ブライアン・クリスチャン)、『オープンサイエンス革命(*8)』(マイケル・ニールセン)。

 最後に、個人的なことですが、家の本棚にあった兄たちの『SFマガジン』を小さいうちから読んで育った“SF大好き少年”だった私にとって、「知のコンピューティング」は実は非常にファミリアーな分野でもあります。例えば、鉄腕アトム(*9)、ボッコちゃん(*10)、8マン(*11)、HAL9000(*12)、R. ダニールとR. ジスカール(*13)、データ少佐(*14)、タチコマ(*15)、天夢(*16)といった印象的なAIたちは、ある意味で「知のコンピューティング」の究極の姿を表現しているのかもしれません。SF作家(*17)や映画監督という想像力豊かな人々のさまざま作品に触れてきたことが、今後「知のコンピューティング」の検討に少しでも役に立てばこんなに喜ばしいことはありません。

 以上、「知のコンピューティング」に関して今の思いを書いてみました。今後とも、三つ子の魂ならぬ「知の魂」を忘れずに、知のコンピューティングへの長い道のりを一歩一方進んでいこうと思います。どうかよろしくお願いします。ご興味を持たれた方は、一言お声をかけてください。

文献、補足説明
1) Rowley, Jennifer (2007). “The wisdom hierarchy: representations of the DIKW hierarchy”. Journal of Information Science 33 (2): 163-180.
2) 科学技術未来戦略ワークショップ2013 参加者募集のご案内
3) 岩波新書の常識を破る稠密な内容は膨大な参考文献と合わせて認知科学の集大成になっている。
4) 1930年代スペインで書かれた社会と人間に関する鋭い分析。民主主義と産業革命の結果として台頭してきた大衆がマジョリティとなり社会を動かす状況に警鐘をならす。
5) 知識が富になってゆく時代の変化を捉えた洞察。富とは必要や欲求を満たすもので、それを作り出す仕組み(体制)は、第1(農業)、第2(工業)を経て、現在は第3(情報)の時代に入っている。
6) 副題は-コンピュータが人類の知性を超えるとき-。遺伝学、ナノテク、ロボット工学の進歩により人類は生物としての限界を超えるという壮大な進化論を展開。
7) 著者はサクラ役としてチューリングテスト大会に参加して「最も人間らしい人間」賞を受賞した。その過程において計算機科学から哲学、文学までの360に及ぶ参考文献に基づく様々な思索を行う。1984年生。
8) 数学者がネット上で協力して未解決の数学の難問を解決したり、アマチュア天文家のよる銀河の分類や新銀河の発見など、集合知による科学的発見の新たな可能性を論じる。知のコンピューティングでは人間の集団も計算ユニットの一つであると考える。
9) 手塚治虫の原作より浦沢直樹版PLUTOの方が人工知能的には深い。
10) 星新一の代表作。今年の日経「星新一賞」には人工知能も応募可能とある。
11) 原作は平井和正。サイボーグということだが実は人間の記憶を移植された人工知能。
12) 2001年宇宙の旅で木星行のディスカバリー号に搭載された。殺人は誤動作や反乱などではなく与えた命令が矛盾していたからという説明が続編で開発者のチャンドラ博士から示される。
13) AsimovのロボットシリーズのR.主人公たち。同作者によるファウンデーションシリーズでは人類はある時点でロボットを捨てたことになっているが最終作(ロボットと帝国)にはロボット三原則に優先する第0原則に従い人類の守護者としてR. ダニールが登場する。
14) 新スタートレックシリーズに出てくるアンドロイド。キャラクター的にはターミネータ(T-800)の方がはるかに魅力的。
15) 攻殻機動隊シリーズに出てくる多脚戦車型AI。同型の個体が個別かつ共同して人間の支援に働く。並列化が特徴。一種の武器なのでロボット三原則には従わない。
16) シンギュラリティ・コンクェスト(山口優)に出る美少女型ロボット。クオリアをもつことで人間的な感覚や感情を理解できるという。
17) A. C. ClarkeやIsaac Asimovは科学者でもある。

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