英国在住約40年のフリーランス・コンサルタント山田直氏が、新しい大学の生き方を求め、イノべーション創出、技術移転などに積極的に取り組む英国の大学と、大学を取り囲む英国社会の最新の動きをレポートします。
英国大学協会(Universities UK)は、英国の大学はEU離脱後の英国をダイナミックで国際的に競争力のある国にするために重要な役割を担うと自負しており、2017年2月、そのための優先的な政策を政府への提言書の形で発表した。英国の大学がEU離脱に関して最も懸念している点を知るためにも、今月号では同提言書の要点を紹介する。
1. 政府がEU離脱交渉と政策立案に向けて取り組むべき優先的課題
* 英国政府はEU離脱の悪影響を最小限に抑えると共に、離脱に伴う好機を最大限に活用する努力をしているが、英国の大学もEU離脱後の繁栄に重要な貢献ができる。大学は英国の経済成長を促進し、新たな産業戦略の一環として生産性を高め、世界との貿易や外交関係を強める主要な役割を担うことが可能である。
* 英国の大学は国際的にも評価が高く、競争力があり、重要な経済的資産でもある。英国の大学は英国経済に年間730億ポンド(10兆2,200億円※1)、GDPの2.8%の貢献をしている。また、英国の大学は75万名以上の雇用を産み出し、年間110億ポンド(1兆5,400億円)の輸出収入もあげている。
※1 1ポンドを140円にて換算
* 英国の科学研究機関は、その質において世界第2位にランクされている。英国の人口は世界の0.9%ではあるが、英国は世界で最も引用される研究論文の15.9%を占める。また、英国の大学は英国のソフト・パワーや世界的なパートナーシップを支えており、多くの世界的な指導者は英国の大学の卒業生であると共に、大学は世界の企業、政府及び研究パートナーとの強いコネクションも持っている。
* 英国の大学が国際的な人材を呼び込むマグネットになり、留学生を歓迎し、国際共同研究のリーダーになったときに、英国の大学は英国の経済や社会に最も大きな貢献ができるであろう。しかしながら、英国がEUを離脱した際には、英国の大学にとっては以下のような懸念がある。
- 欧州の才能ある人材採用への障壁
- 国際共同研究へのダメージ
- 欧州大陸からの留学生のリクルートへの障壁
- 研究やイノベーションへの助成金受領資格の喪失
- スタッフや学生の海外転勤や留学機会の減少
* 英国の大学による貢献を最大化するためには、これらの懸念に対する政府の取り組みが必要である。当報告書は、政府がすべき優先的取り組みを「短期的な暫定措置」、「EU離脱交渉」及び「国内政策の変更」の3段階に分けて提案する。
2. 短期的な暫定措置
* 英国の大学は、EU離脱に伴う多くの課題は複雑で、その解決には時間がかかることを認識している。しかしながら、EU離脱に向けた暫定期間の不透明さに対処し、安定性を高めるために、政府は以下の方策を直ちに実行することを提案する。
* 現在、英国の大学に勤務しているEU加盟国の教職員とその家族が、EU離脱後も引き続き英国に住み、働くことができる権利を保証する。
* 2018/19年度及び2019/20年度に始まる英国の大学コースを選択するEUの学生には、現行のようにコース期間中は英国の学生と同一の授業料を適用すると共に、授業料ローンや補助金の適用も保証する。(大学は2017年初頭より、2018/19年度のコースへの入学希望者からの問い合わせが相次いでいるため、早急な措置が必要である。)
* 政府は、EUによる現行の研究・イノベーション助成制度である「Horizon2020」に、今後も参加を続ける意思があることを表明すべきである。
3. EU離脱交渉における優先事項
* 現在、英国の大学に勤務しているEU国籍者とその家族の英国居住権
* 2020年の「Horizon2020」プログラム終了時までの継続的参加
* 卓越した研究成果を出すための、欧州の研究パートナーとの緊密な連携
- 「Horizon2020」は英国のトップ10の研究パートナーの内、6つのパートナーを含む主要な欧州の研究機関との共同研究プラットフォームを提供している。「Horizon 2020」に参加することによって、共同研究を支援するために多くの国が拠出した助成金にアクセスすることができる。また、同プログラムへの参加は世界的な評判と共に、更なる共同研究にもつながる研究ネットワークやコンタクトをも提供している。
- 「Horizon2020」の後継プログラムであるフレームワーク・プログラム9(FP9) も研究の卓越性を重視する場合は、政府はFP9への参加とプログラムへの将来的影響力の行使を目指すべきである。
- 政府は同時に、欧州の研究パートナーや欧州域外の主要な研究機関との共同研究を支援するため、卓越した研究に重点を置いた新たな共同研究助成制度の確立を優先的に進めるべきである。
* 「ERASMUS+」と「Marie Sklodowska-Curie Actions」プログラムへの継続的参加
- これらのEUの国際体験促進制度によって、英国の学生や教職員は国際経験を積んできた。エラスムス・プラス制度は英国の学生の海外留学を促進する主要なプログラムであり、英国から海外に向かう留学生の46%を支援している。英国が同規模の全国レベルの代替制度を独自に作り上げるための経費と煩雑な手続きを考慮した場合、エラスムス・プラス制度は実用的で費用効果が高い。
- 「Marie Sklodowska-Curie Actions」制度に参加することによって、英国の大学は海外から才能ある研究者を迎えることができると共に、世界の主導的研究機関との戦略的パートナーシップを構築することができる。また、同制度に参加した研究者は、欧州リサーチ・カウンシルからの研究助成金の獲得率が高い傾向にある。
* 英国とEU27カ国間の専門資格の継続的相互認定の取り決め
- 現在、EUの「専門資格指令:Professional Qualifications Directive」によって、EUやEEA諸国間の専門資格の相互認定制度が確立している。英国がEUを離脱した場合には、この相互認定制度が適用されないことになり、英国に留学を考えている学生にとって英国の大学学位の価値が下がる恐れがある。
- 英国民がEEA諸国にて特定の専門職資格を取得した後に英国に帰国した場合、その専門資格が英国にて自動的に認定されないという不具合も生じる可能性がある。そのため、英国とEUとの相互の資格認定の取り決めがEU離脱交渉時には重要である。
* EU諸国と同等の規制と標準の継続
- EU諸国の共通の規制フレームワークが一貫性を提供することによって、EU間の共同研究が活発化した。英国が欧州の研究パートナーとの継続的連携を望む場合、特にEUの研究プログラムに参加を希望する場合には、英国は知的所有権や研究成果の商業化に関するEUの規制フレームワークと同一のフレームワークを維持する必要がある。
4. 国内政策の変更
英国の大学がEU域外で繁栄し、かつ英国に最大限の経済的及び社会的インパクトを与えるためには、以下のような国内政策の変更が必要である。
* 外国人スタッフに対する簡潔で改善された査証制度
- 英国民の世論を考慮して、新たな査証制度は国籍を問わず、ポスドク研究者、アカデミック・スタッフ、技術又は専門職スタッフ等、高度のスキルを持つ人材グループを優先すべきである。
- 改善された査証制度は、大学のすべての外国人スタッフにとって、より簡潔で経費負担が少なく、ユーザーの立場に立つと同時に、査証の申請者や雇用者にとっても申請手続きが煩雑ではなく、事務負担が軽いものを目指すべきである。
- 改善された査証制度はキャリアの早期段階にいる若手研究者から既に名声のある研究者まで、また短期の研究者の交流プログラムから長期赴任まですべての形態のアカデミック・スタッフや研究者の海外移動に対応する柔軟性を提供すべきである。
* 留学生に対する簡潔で改善された査証制度
- 政府は海外からの留学生が与える地域経済や社会への大きなインパクトを考慮し、留学生への査証発給の障壁を軽減するために、EU離脱は現行の移民制度の再構築の好機ととらえるべきである。
- 海外からの留学生への国民の強い支援を考慮して、欧州内外からの留学生を歓迎するため、留学生に対する査証制度を簡潔化して改善すべきである。また、政府が毎年目標値として定める移民の純増数から留学生を除外することや、英国が海外からの留学生にオープンで魅力ある国であるという歓迎メッセージを世界に発信すべきである。
* 国際共同研究への更なる支援
- 政府は新たな共同研究助成制度を立ち上げ、欧州の研究パートナーや欧州域外の主要な研究大国との共同研究への支援を強化すべきである。これには、米国のような既存の主要な研究パートナーの他に、インドや中国等の質の高い新興国の研究パートナーとの2国間又は多国間の共同研究を奨励する新たな助成を含むべきである。
- 上記は、より広範囲な国際的研究や教育戦略の一環としての国際共同研究への省庁横断型アプローチによって支援されることで、より大きな利益を得ることができるであろう。また、このような戦略的アプローチには、英国が外国政府や外国企業に提供できる中心的な柱として、新たに設置された国際貿易省(Department for International Trade)を通じた共同研究機会の促進も含まれるべきである。
* 研究への公的投資の増加
- 英国は現在、EUの研究・イノベーション助成プログラムからの純粋な利益者である。2007年から13年に実施されたEUのフレームワーク・プログラム7(FP7)では、英国は54億ユーロ(6,480億円※2)の支出に対して、88億ユーロ(1兆560億円)の研究助成を受けた。EU離脱によって研究・イノベーションへの公的助成が減少した場合は、政府は直ちにその減少分を英国国内の助成を増やすことによって補填すべきである。
※2 1ポンドを120円にて換算
- 英国は上記以上に野心的になる必要がある。大学の経済的、社会的インパクトの大きさ、さらには英国の国際的競争力を最大限に活用するために、政府は公的研究開発投資のGDP比率をOECD諸国の平均値並みに実質ベースで引き上げる努力をすべきである。
- 現在、英国の公的研究開発投資のGDP比率は、米国、ドイツ、フランス等の競争国に比べて下回っている。研究開発への投資は英国の研究基盤の国際的位置を高め、英国がEU離脱後に主導的な共同研究パートナーとして選択されるのを後押しすることにもなる。また、研究開発への公的投資は経済的メリットもあり、研究開発投資は平均20%から50%のリターンがあるとする分析もある。
* 大学のスタッフと学生の国際流動性の強化
- 政府はEU離脱の機会をとらえ、EUのエラスムス・プラス制度を超えた、大学スタッフや学生の国際流動性を促進する制度に投資すべきである。また、政府は海外経験が個人のスキルや雇用可能性にインパクトを与えることを認識して、海外経験を持つ学生数の目標値を定めるべきである。
* 経済成長を推進するイノベーションへの支援
- EU離脱は、地域レベルのイノベーションや経済成長の促進、雇用の創造に対する大学の役割を高める新たな仕組みの好機でもある。EU離脱後には、現在EUが運営しているEuropean Structural and Investment Funds (ESIF)の役割を、英国の国レベル及び地方分権政府によるイノベーションに焦点を当てた設備投資プロジェクト等の、英国内の助成制度が担うべきである。
- 英国が国際パートナーと相互に利益のある長期の関係を築くためには、地域と国レベルの強固な連携が重要である。例えば、大学、企業及び地域コミュニティーの間の連携促進に成功している、イングランド地方のHigher Education Innovation Fundプログラムのような知識交流(knowledge exchange)助成制度は、国と地域レベルの経済成長を支えると共に、国際市場における英国の競争力を高めるのに役立つであろう。
* 英国を科学研究の最良の場にするための規制とインフラの改良
- 英国にとってEUからの離脱は、英国の科学的野心を膨らませる機会になると共に、英国を科学研究の最善の国にするための規制改革の機会をももたらす。政府は、Francis Crick Instituteのような成功例を参考にして、国際研究施設の建設や研究プロジェクトのホスト国になる機会を見出すべきである。
- 政府は欧州をまたぐ研究プロジェクトをリードする英国の能力に先入観を持たず、EUの各種規制を改善できるかどうか、包括的な見直しを実施すべきである。
5. 筆者コメント
* 英国大学協会は常に政府に対する提言等の各種ロビー活動を実施しているが、英国のEU離脱国民投票結果による大学への大きな影響を懸念して、提言活動を活発化させている。
* 英国はEU離脱後も、EUの研究・イノベーション助成制度であるフレームワーク・プログラムや学生の国際移動を高めるためのエラスムス・プラス制度等への参加を希望している。しかしながら、EUは域内の「人の移動の自由の保証」というEUの大原則を受けられない国に対して、たとえその国が制度への相応の拠出金を出すとしても制度への参加を簡単には認めない可能性がある。今後、英国はEUとのタフな交渉に臨むことになる。
* 英国大学協会は、EU離脱後に研究・イノベーションへの公的助成が減少した場合は、政府は直ちにその減少分を英国国内の助成を増やして補填すべきである、としている。
また、EU離脱を好機として、現在はOECD諸国平均値より低いレベルにある公的研究開発投資のGDP比率をOECD諸国平均値並みに実質ベースで引き上げる努力をすべきである、とも提言している。
* 英国政府はリーマン・ショック後の英国の金融機関救済のための超大型の財政出動をしたため、戦後最悪の財政赤字に陥った。これを改善するために、前キャメロン政権は、2020/21年度までに単年度ベースの財政赤字を解消するという目標を掲げて過去数年間にわたり緊縮財政を実施してきた。これにより、英国の大学の運営費交付金も授業料の引き上げと引き換えに、大幅に削減されてきた。
* 上記の政府努力により、財政赤字は2020/21年度には解消される見通しが立った矢先、国民投票によって英国のEU離脱方針が決定した。これにより、キャメロン政権に代わり、同じ保守党のメイ政権が発足した。メイ政権は、EU離脱という大変革に向けて、従来の緊縮財政策から積極的な財政出動策に政府の方針を大転換させている。これによって、2020/21年度の財政赤字解消という政府目標は撤回された。
* 英国大学協会が公的研究開発投資のGDP比率をOECD諸国の平均値並みに実質ベースで引き上げる努力をすべきであると提言しているのも、政府の積極的な財政出動方針を踏まえたものであろう。