レポート - 英国大学事情 -

2016年3月号「非工学系学士課程卒業後の工学修士課程への転向」<HEFCE報告書「Transition to Engineering : Engineering conversion courses for graduates with non-engineering first-degree」より>

掲載日:2016年3月1日

英国在住約40年のフリーランス・コンサルタント山田直氏が、新しい大学の生き方を求め、イノべーション創出、技術移転などに積極的に取り組む英国の大学と、大学を取り囲む英国社会の最新の動きをレポートします。

イングランド高等教育助成カウンシル(HEFCE)は、広範囲の分野における高いスキルを持つエンジニア不足に対処するため、主に工学以外の自然科学系の学士課程卒業生に工学分野に転向できる修士課程コースの提供を拡大することを目的に、Chris Kirby Consulting Ltdに調査を委嘱した。

その調査報告書「Transition to Engineering : Engineering conversion courses for graduates with non-engineering first-degreepdf が2015年9月に発表され、同月には試行的な助成プログラムの公募が発表された。今月号では、この70ページ近い調査報告書の中から、要約のみを紹介する。

1.背景

* HEFCEは2015・16年度に、高いスキルを持つエンジニア不足への対処の一環として、主に工学以外の自然科学系の学士課程卒業生を対象とした、工学分野への転向のための修士課程の開発を助成することを決めた。

* これは、イノベーション・高等教育を所管するビジネス・イノベーション・スキルズ省主席科学顧問のJohn Perkins教授による「Review of Engineering Skillspdf 報告書を受け、2014年12月に発表された政府の「Science and Innovation Strategypdf の勧告に基づく施策の一環である。

* この工学転向修士課程が支援できる優先的分野を見出すために当研究調査が委託され、コアの研究テーマは以下の3点に絞られた。

  • 学士課程修了レベルの新卒エンジニアが不足している業種の中で、優先的産業分野を見出す。
  • 中小企業や大企業を含め、どのような企業が、工学を学んだ新卒者の採用や既存の従業員の技能の再教育を求めているかを明らかにする。
  • 工学を学んでいない自然科学系学士課程修了者向けに工学の修士課程コースを開発することによって、いかにしたらこのニーズが満たされるかを提案する。

* 当研究では、エンジニアを雇用する産業界、工学の学位や資格を授与する高等教育機 関、プロフェッショナルとして登録するための評価を行う専門的エンジニアリング 機関という、イングランド地方の3つのコミュニティーの代表者達から情報と見解を 得ることができた。

* 当研究は高度なスキルを持つエンジニアが不足している、以下の8つの産業分野に重点を置いた。

航空宇宙 情報経済 農業工学 原子力
自動車 オフショア風力発電 建築 原油・ガス

* また当研究の主な検討事項は、工学のバックグランドを持たない自然科学系学士課程修了者が工学コースに転向し、専門的エンジニアリング職として雇用されるような修士課程(MSc)の開発であると決められた。

※ 参考資料
【2012・13年度:工学分野の産業界に就職した英国の工学系卒業生】
  英国人卒業生 就職率 工学分野に就職した者の比率 工学分野に就職した者の数
学士号取得者 16,600名 77.6 % 66.5 % 8,425 名
修士号取得者 4,425 78.9 61.3 2,165
博士号取得者 1,145 91.2 45.2 444
合計 11,034名

Engineering UK 2015 (data) and Royal Academy of Engineering (analysis)

2.非工学系学士課程卒業者のための工学修士課程

* 当研究調査において浮かび上がった問題点は、特定の産業分野における大卒エンジニ アに関する計量可能な需要を示すデータがほとんど存在しないという点である。利用 可能なデータは、特定の産業分野を優先付けするには不向きであったが、利用可能な 定性的データは、工学のバックグランドを持つ大卒者への需要とその性質等、各産業 分野の需要動向を提供してくれた。

* 前述の3つのコミュニティーからのフィードバックによると、ほとんどの産業分野が広範囲な工学的職種への雇用を支援する工学の資格を持つ「転向者」を歓迎していることが分かった。

* 最も多くの人が、価値があるとした工学科目は電気・電子工学、機械工学、製造工学であった。フィードバックによると、これらの科目は工学関連分野への就職のための基礎として、最も良く広範囲な工学への知識と理解を提供し、後に各産業分野の個々のニーズに応用できる科目と見なされている。

* その他の特定の工学コースも、特殊な産業分野または少数の産業分野には有益であり、学士課程にて工学を専攻しなかった大卒者に適している可能性もある。当研究プロジェクトにて、このようなアプローチが歓迎されると思われる、以下の3分野が見出された。

  • 農業工学 : 生物学/生物科学または化学/化学科学の学士課程卒業生向け
  • 付加製造(3Dプリンター等additive manufacturing):航空宇宙、自動車産業向け
  • 土木工学:いくつかの特に重要な産業分野への貢献

* 産業分野、高等教育機関及び専門的エンジニアリング機関等の全てのコミュニティーは、工学への転向コース(conversion course)を雇用者と共に開発し、非工学系学士課程修了者に提供すべきであるという点で一致した。

* 雇用者を地理的または産業分野別のクラスターに分けることによって、以下が達成できると期待される。

  • 高等教育機関が、産業分野、雇用者グループ及び地域に密接に関連した、よりテーラー・メードの転向コースを開発できる。
  • 特に転向コースの特定や提供、転向コースからのリクルートメントのプロセスにおいて、より多くの中小企業の参加を促すことができる。
  • 転向コースの開発に雇用者が参加することによって、転向コースの受講を考えている若者に雇用の可能性が高まることを伝えることができる。

* 当研究プロジェクトの一環として実施された調査結果によると、既に多くのイングラ ンド地方の大学では、非工学系学士課程修了者向けの工学系修士課程コースを提供し ていることが分かった。また同調査結果は、より多くの転向コースの提 供に興味を示している大学があることも示している。

* 大学による革新的な授業コースの提供や企業との共同活動の多くの事例が既に存在するが、より深く雇用者と関わり、雇用者と学生の交流を育成するための協調的な努力によって、新たなアプローチや柔軟なモデルを構築することが必要であろう。

3.非工学系学士課程修了者

* ほとんどの産業分野において、工学への転向の基礎として最も有益な非工学系学士課程科目は物理学と数学と考えられている。この見方は、産業界、大学、専門的エンジニアリング機関の全てに共通している。

* その中で、特に目立った例外は農業工学(Agricultural Engineering)分野であり、生物学や化学科学(chemical science)の学士号が工学修士課程(MSc)への転向コースに適していると考えられている。

* もちろん、ほとんどの産業分野が物理学や数学以外の科目の学士号を持つ非工学系学士課程修了者を歓迎しているが、アンケートの回答者の多くは、工学修士課程転向コースを通じて工学分野への転向を成功させるためには、学士課程において科学、技術、工学、数学といういわゆるSTEM科目の履修経験が必要と信じている。

* 当研究結果はSTEM及び非STEM関連の職業において、将来的にSTEM学科卒業生の獲得競争が激しくなると予想しているため、以下が重要になろう。

  • 工学修士課程転向コースを受講すると思われる非工学系学士課程修了者に対して、工学系キャリアの可能性を広く知らしめる。
  • 工学修士課程転向コースはアクセスしやすくし、かつ授業料を高く設定しないようにする。
  • プロフェッショナル・エンジニアの認定に必要な工学の知識と理解を習得するために、工学修士課程転向コースの可能性を広める。

* 工学修士課程転向コースのメリットを受講可能性のある学生や、将来的に転向コース 修了者を雇い入れる可能性のある雇用者に広く宣伝することも重要である。これには、専門的エンジニアリング機関や大学が重要な役割を担っており、両者は共同活動をすることが大事である。

4.非工学系学士修了者向け工学修士課程転向コースの開発助成スキーム

* 2014年の「Science and Innovation Strategy」報告書と2015年の上記調査報告書の提言を受け、2015年9月、非工学系学士課程修了者向けの工学修士課程転向コースの開発助成のため、HEFCEから小規模な1年間のパイロット・スキームpdf が発表された。

* 当公募はパイロット・スキームということで、2015・16年度の助成額は合計180万ポンド(約2億8,800万円※)と少額である。この内、150万ポンド(2億4,000万円)はビジネス・イノベーション・スキルズ省から、30万ポンド(4,800万円)は文化・メディア・スポーツ省からの助成である。

※1ポンドを160円にて換算

* この公募にて、約30の工学プロジェクトと6つの工学関連のコンピューター・サイエンス・コース・プロジェクトへの助成が想定されている。1件当たりの助成額の上限は5万ポンド(800万円)であるが、複数のコース開発のためのプロジェクトには最大10万ポンド(1,600万円)が助成される。

* 工学関連のコンピューター・サイエンス・コース・プロジェクトに関しては、特に「データ・サイエンス」、「サイバー・セキュリティー」及び「ソフトウェア・エンジニアリング・デザイン開発」等、企業のニーズが高い領域からの応募が期待されている。

* 当公募は2015年11月に締め切られ、2016・17年度秋から、公募に採択された新コースが開始される予定である。

* 当助成スキームは試行的なスキームであるため、スキームに参加した高等教育機関によるグッド・プラクティスや事例の共有が重要である。参加高等教育機関は2016年末に進捗報告書の提出が求められ、これらの報告書は評価の基礎として用いられる。また、参加高等教育機関はこの評価作業への貢献と共に、助成期間中にHEFCEが開催する一連のワークショップへの参加が求められる。

5. 筆者コメント

* 労働市場へのエンジニアの数を大幅に増加させることが英国経済の発展につながるという考え方が、イノベーションや高等教育を所管するビジネス・イノベーション・スキルズ省の主席科学顧問であるJohn Perkins教授が2013年末に発表した「Review of Engineering」にても裏付けられた。しかし、工学的スキルの供給は長期的課題であるとした上で、政府、雇用者及び大学を含むエンジニアリング・コミュニティーの協働の重要性が指摘された。

* それを受けて2014年末に、「Science and Innovation Strategy」が発表され、政府がHEFCEを通じて、主に工学以外のSTEM学科の学士課程修了者向けの工学修士課程転向コースの開発を、HEFCEを通じて助成することになった。

* この工学修士課程転向コースは、既にイングランド地方の大学では散発的に実施されている試みではあるが、今回のHEFCEによる試行プロジェクトは、高い技能を持つエンジニアリング不足を解消する一手段として、大学と産業界が共同して、より組織的に取り組むためのアイデアである。

* 試行的な助成スキームであるために助成額は少額ではあるが、高度な工学的スキル不足を補うための一施策として注目できよう。

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