レポート

シリーズ「日本の安全と科学技術」ー「容易ではない感染症の克服」第7回「国民の生命を守るために」

2012.02.01

倉田毅 氏 / 国際医療福祉大学塩谷病院 教授

バイオテロ

倉田毅 氏(国際医療福祉大学塩谷病院 教授)

 「バイオテロ」とは、ウイルスや細菌および細菌が産生する毒素、寄生虫や原虫などを用いて、人を殺傷する、動物を殺傷する、穀物あるいは植物を汚染させて間接的に人や動物を殺傷する行為のことです。

 その迅速な検査のために、163種類の病原体を3時間で同定できる「Multi virus real-time PCR」という装置を感染研の片野晴隆博士らが開発し、全国の地方衛生研究所にも配備しています。これだけ緻密なものは世界に例はないのですが、お金がかかります。1サンプルあたり約3万円。全部ひっくるめたらそれなりの金額となりますが、テロによる犠牲者が出ることを考えれば安いものです。

 「B/Cテロ」という言葉は、バイオテロ(B)とケミカルテロ(C)を意味します。ケミカルテロで代表的なものは、オウムが起こしたサリン事件が該当します。他に核テロ(N)もありますが、滅多に起こりません。ケミカルテロの場合はバイオテロと違って、その場で患者が発生して終息するので、被害がどんどん拡大していくことがありません。しかし、バイオテロの場合は、患者が発生してから次々と感染していくには少し時間がかかるので、テロの犯人が出国していたり、患者もどこで感染してきたのか分からないといったことが起こります。

 米国では2001年の炭疽(そ)菌テロを境に、それまでの「バイオセーフティ」の考え方から「セキュリティ」を強化する方向に流れが変わりました。「危険な物を送ったらテロと見なす」と言われるまでに、強化されたのです。

 歴史的には、世界中で卑劣なバイオテロが起きています。15世紀には、南米では天然痘ウイルスで汚染された衣類を相手方に送ることが行われました。16世紀には英国が、米大陸でのインディアン戦争(1754-67年)のときに、やはり天然痘ウイルスに汚染された毛布をインディアンに送りました。1900年代になってからも多数あります。ドイツ軍が炭疽菌に感染した牛を、発症する時期をみはからって米国などの敵国にプレゼントし、実際にそれで死者が出たことなど。よくもこんなに悪いことを考えつく人間がいるものだと、とにかくあきれ返ります。

 米国はバイオテロ対応として1998年に病原体などの危険度ランク付けや、輸送および扱いの許認可体制を整備し、2003年に法制化しました(Select Agent List)。日本も病原体などを1-4種に分類し、所持を禁止するもの、所持するために厚生労働大臣の許可や届け出が必要なものなどを定めています。

炭疽菌テロ

 東京都江東区亀戸で1993年6、7月、オウム真理教が教団総本部の屋上から炭疽菌を散布した事件が起こりました。日本の検査機関は炭疽菌を培養したという証拠を見つけられなかったのですが、米国の機関で建物を洗浄した水を検査したところ、米国で牛対策用に使用していた炭疽菌のワクチン株に一致する遺伝子を見つけました。

 米国での炭疽菌事件(2001年9、10月に炭疽菌が封入された容器がテレビ局や出版社、上院議員などに送られ、炭疽菌の感染で5人が肺炭疽を発症して死亡、17人が負傷した事件)では、米国政府は当初、イラク政府の所持する炭素菌兵器(スターン株)ではないかと疑っていました。しかし、炭疽菌を粉にするには高度な技術が必要で、米陸軍か米農務省しか行っていませんでした。米農務省では、針葉樹の木に巣食う虫を殺すために、人間には害のない棹(かん)菌を粉にして散布していました。つまり、農務省の森林対策関係の職員か、その研究所の職員か、陸軍にいた職員からしか外に出せないことが分かってきました。

 その後のDNA検索の結果、米国陸軍が炭疽菌を粉にしたときのものが、英国陸軍の研究所に送られ、再度米国に戻された株があり、アイバンス博士だけが培養をしていたことが分かりました。しかし、容疑者の博士は自殺しており、動機や真相までは分かりませんが、全ては米国陸軍に起因する事件だったのです。

 米国が偉いのは、この炭疽菌事件が発生した後に、米国中の大学や研究機関から検査体制への協力者を募集して、約200カ所の施設に設備品、試薬、人件費を供与し、協力体制を確立したことです。

 また、米国は病原体の遺伝子解析を徹底的に行った上で、ワクチンあるいは薬剤開発を進めると同時に、診断技術の開発も始めました。ただしテロ対応の病原体を扱えるのは米国籍を有する者だけに限り、米国籍以外の者はすべてその研究部門を去らねばならないという決まりを作り、徹底させています。

 そのルールによって教授が退職し、他の研究員も誰もいなくなり閉鎖された大学研究室もあります。その約2年後に、よそからまったく関係のない先生が着任しました。ちょうど研究室に査察が入り、誰も開けたことのない冷凍庫にペスト菌が入っているのが見つかりました。管理責任者のその教授は逮捕され、3カ月間拘束されました。その教授は何も関係ないことが分かり解放されましたが、罰金2,000ドルを払わされました。米国ではルールを破ったら非常にうるさいのです。米国は何でも徹底的に行うところは面白いのですが…。

感染症を押さえ込むために

 「感染症の根絶」というのは、これまでも説明したとおり非常に困難です。そこで、感染症による被害を最小限に押さえ込むにはどうするか。科学技術を使うところはいくらでもあります。

 一番の取り組みは、実験室をベースとした感染症のサーベイランス。次に、応用研究です。さらに、対応基盤の継続的な整備と強化、つまりインフラ整備ですね。そして、国内外においての、感染症の予防と制圧です。

 これらを具体的に推進するために必要となるのは、わが国で最も欠けていることですが、まずは、(1)応用力のある優れた若手研究者や若手医師、そして関連領域の技術者の養成が必須です。「若者はできるだけ早く修羅場へ連れて行って育てよ」というのが私の持論で、CDC(米疾病予防管理センター)のやり方そのものです。しかし歩留まりは大体30%ぐらい。連れて行けばみんなが育つかというと、途中で「嫌だよ」とやめる人もいます。次に(2)研究環境(実験室)や病院などの施設・設備といった基盤整備が求められます。

 開発途上国で感染症の研究を実施する目的は、相手国の感染症診断能力を先進国並に引き上げること。そうすれば、感染症に関するさまざまな情報が必要なレベルで取れるようになります。もう一つは、感染症の予防ワクチンや治療法の解決に役立てることにあります。

先進国の取り組み

 米国は、南北アメリカおよび発展途上国の感染症への全面的対応をしています。CDCの職員数はこれまで約1万人でしたが、インフルエンザへの対応もあって現在では臨時職員を含めて1万5,000人に増やしています。わが国でこれに類する職員は約340人です。

 欧州連合(EU)のうち、フランスは世界30カ所にパスツール研究所をつくっています。アフリカではすべてに病院機能をつけて、患者を診て、そこで病原体をとり、必要ならワクチンをつくることまで現地で行っています。英国やドイツ、オランダなどは、かつての植民地国あるいは重要感染症発生地に、長期的プロジェクトとして研究者・医師を派遣しています。

「日本国」としての対応を

 日本では、国際協力機構(JICA)の結核・HIVプロジェクトが定常的に進んでいます。ほかに、文部科学省・理化学研究所の「新興・再興感染症研究拠点形成プログラム」、科学技術振興機構(JST)-JICAの感染症プロジェクトも進められています。感染研もアジア各国の研究所と提携し、アジア各地区で分離された病原体遺伝子の情報が即時に入るシステムづくりに取り組んでいます。

 しかし、これらの文部科学省のプログラムに応募できるのは研究が主体の大学だけなので、感染症対策への視点はどうしても乏しく、対策の中心である厚生労働省は、これらの枠組みから完全に外されている状況なのです。

 外国に対して「これは厚生労働省、これは文部科学省」と言っても、理解してもらえません。長年の外国の友人から「どうして日本政府は一つじゃないのか」とよく言われます。全部一緒に「日本政府の…」という格好で対応すべきです。感染症への国際的対応は結局、国と国とでやるべきことであり、「相手国民および自国民を感染症から守る」という前提で考えていくべきなのです。

必要な人脈とネットワーク

 新興・再興感染症に対する危機管理としては、基盤研究をしっかり充実させて、診断法の確立をサーベイランスに役立て、そして、ワクチンや薬剤の開発を志すべきです。その上で相手国の人たちを守ろうとすることは、そこにいる日本人、あるいはそこに旅する日本人を守ることにもつながります。そうなると「世界は一つ」という考え方ですね。今や24時間かからないで世界を一周できる時代ですから、いつ、何が入って来るかわからない。そのためには、これまでとは違った意味での水際対策が大切であり、それ以前に、「何が起きているのか」といった情報が周辺国から入って来ることが重要です。必要なのは人と人との関係、電話一本で情報を入手できるような人脈やネットワークです。「情報は世界保健機関(WHO)などの国際機関から」と言う厚労省の人がいましたが、国際機関というのはその国が同意しなければ、他国に情報を流しません。例えばタイで何か起きても、タイ政府がいいと言わない限り、WHOが知っていても公開することはできないのです。そうしたことで、国際機関の情報というのは1週間や10日間も遅くなります。日本国民を守るためには、どうしてもわが国は独自のネットワークで情報を取ること、取れることが必要となるのです。

備えあれば憂いなし

 危機管理には「備えあれば憂いなし」の考え方に立つべきです。「備え」が役立つことがあるし、“想定外”のことが起きて、すべて役に立たないこともあります。さらに、全く何も起きないこともあります。だからといって「無駄だ」と“経済原理主義者”が言うのは大きな間違いです。「備え」から発生する余力は、国民の生命の「安全保障」にもなるからです。

 もう一つは「人材の育成」です。現場にいる人が辞めたらプロジェクトもなくなってしまうような、砂場に鉛筆を立てるようなやり方はいけません。「百年を慮(おもんぱか)る者は、人を育てよ」ということ。今、人を育てることをしなければ、10年後、20年後はないと思います。

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倉田毅 氏
(くらた たけし)

倉田毅(くらた たけし) 氏のプロフィール
1940年長野県生まれ。59年松本深志高校、66年信州大学医学部卒。71年信州大学大学院修了(医学博士)、国立予防衛生研究所病理部研究員、東京大学医科学研究所病理学研究部助手、同助教授。85年国立感染症研究所病理部長、99年同研究所副所長、2004年国立感染症研究所所長、06年富山県衛生研究所所長などを経て、11年から現職。

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