レポート

研究開発戦略ローンチアウトー第1回「ロボティクス研究の俯瞰」

2009.06.01

嶋田一義 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター フェロー

なぜ俯瞰をするのか

科学技術振興機構 研究開発戦略センター フェロー 嶋田一義 氏

 科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センター(CRDS)では、国の研究開発戦略を検討・提案しています。この業務の一環として、研究開発が行われている分野の現状を俯瞰(ふかん)するプロジェクトを実施します。俯瞰とは、「高い所から見下ろす」「全体を上から見る」(広辞苑)という意味です。提案を検討するにあたって、全体を満遍なく見るプロセスが不可欠なのです。人間の視野というのは皆個性があって偏りがあり、全体像を一人でつかみ取ることはほとんど不可能です。そこで、複数人の研究者と私たちがディスカッションを通じてそれぞれの視野をつなぎ、全体像をとらえようとします。

要素に分解できない難しさ

 本稿では、私が今年度担当しているロボティクス分野の俯瞰について考えていることを書こうと思います。ロボットを対象とする研究開発分野をロボティクス(注1)分野とよびます。ロボット技術の三要素は「センサ」「制御」「アクチュエータ」ですが、要素技術の研究開発に取り組むだけでは、ロボットを動かすことはできません。これらの要素を組み合わせ、賢く協調させる必要があります。つまり、ロボット技術を要素に分解して、それぞれについてどんな研究がなされているかを見るだけでは、実際に行われている研究開発の全体像をとらえることはできません。ではどうすればいいのか、とても難しい問題です。

ニーズか?シーズか?

 ロボットの用途は多岐にわたります。自動車の溶接等の産業用途、耕作や収穫等の農業用途、手術等の細かい作業を支援する医療用途、皿洗いや掃除などを行う日常生活用途、消防、軍事等、幅広いニーズがあります。こうしたニーズごとに研究開発がなされていますが、研究の現状をこうしたニーズ一つ一つについて追いかけるのでは、ロボティクス研究の根幹をとらえることはできません。一方で、上記のように、<bロボット技術の要素(シーズ)を一つ一つ追いかけるアプローチも適切とは思えません。それでは、どうすればロボティクス研究の全体像を俯瞰できるのでしょうか?< p=""> </bロボット技術の要素(シーズ)を一つ一つ追いかけるアプローチも適切とは思えません。それでは、どうすればロボティクス研究の全体像を俯瞰できるのでしょうか?<>

コロニーに着目

 私は、同じ研究課題や問題意識を共有する研究者がどのように分布しているかを見定め、そこで何が議論されているのかをとらえることが大切だと思っています。研究生活を単独で進める人は少ないはずで、多くの研究者は学会参加や論文投稿といった形で、研究課題や問題意識を共有するコミュニティに参加します。こうしたコミュニティは研究者の“コロニー”と言うことができます。寒天培地にぽつぽつとできる細菌のコロニーを想像してください。活発で大きくなるコロニーもあれば小さなコロニーもある、研究の分野もそんな様子だと思います。このコロニーで共有され、掘り下げられようとしている今日的な課題や価値観を追いかけることこそ、研究開発の現状をとらえる最適な方法と思います。例えば、学会の専門セッション一覧などは、このコロニーを色濃く反映していると言えるでしょう。もう少し厳密に言うと、研究開発の“現状”を見るためには、成果が発表される学会だけでなく、これからなされる研究の計画書に注目すべきかもしれません。

コロニー形成の駆動力

 次に、こうしたコロニーを構成して研究を推進する研究者の営みを私たちは一体どのようにとらえればいいのか考えてみたいと思います。私は吉川弘之先生(現CRDSセンター長)のある文献(注2)を大切に持っています。その「学問における領域性」の章に、学問に領域が生まれるのは、「教育あるいは知識の拡散を効率化させるとともに、領域内での研究の型を定式化して、その学問分野の発展を高速化する」ためとあります。また「現代の邪悪なるもの」の章には、「歴史的に言って、科学技術、あるいはもっと古く学問と呼ばれるものは、時代々々の『邪悪なるもの』に対抗し、そして打ち勝ってきたのだと考えて良いだろう」ともあります。私はこの吉川先生の考え方が気に入っています。一人で考え、努力することで発揮されるパワーには限りがあるため、様々な視点を持った研究者の総力を結集して『邪悪なるもの』に対抗しようとする、極めて現実的な駆動力によって学問分野(研究者のコロニー)は形成されてきたのだと考えたいと思います。もちろん違ったとらえ方もできると思いますが、ロボティクス分野は吉川流の考え方がよく適合すると思います。研究者はコロニーを作り、知見を共有し、後輩を育成しながら、社会の中の問題(対抗すべき『邪悪なるもの』)に挑戦しています。社会にどのような問題を見いだし、どのようなコミュニティを形成してそれに取り組むかは、研究者一人一人の見識によりますが、それらが集積される形で有限個数のコロニーが自然発生的に生まれてくるのだと考えられます。

 「ご参考」2008年版のロボティクス分野の俯瞰図(注3)に記載された項目を下記に例示します。粒度や次元が異なる項目が混在していると感じられるかもしれませんが、このような切り口で問題意識を共有するコロニーが存在するのだと考えれば納得がいくと思います。なお、これは少々古くさくなったということで、今年度の俯瞰プロジェクトで改訂予定です。

  1. 実世界応用技術
  2. インテグレーション技術(ソフトウェア・アーキテクチャ)
  3. 理論・アルゴリズム1 -マニピュレーション-
  4. 理論・アルゴリズム2 -移動-
  5. 理論・アルゴリズム3 -コミュニケーション-
  6. 理論・アルゴリズム4 -自律分散・分散知能-
  7. 理論・アルゴリズム5 -制御理論・制御技術-
  8. センサ・センシング技術
  9. アクチュエータ・メカニズム・エネルギー源

「邪悪なるもの」は何か

 私たちの仕事は俯瞰をして終わりではありません。最終的には、今後国が研究開発投資をすべき研究課題とその推進方策について提案します。その目標に向かって私たちが考えなければならないことは、コロニーを形成した研究者たちがどのような問題に着目しているのかということではないかと思っています。特に工学研究の場合、研究成果が適用される問題が想定されているはずです。研究者との対話を通じて、このコロニーが形成された駆動力の源泉、すなわち対抗すべき『邪悪なるもの』をしっかりと認識したいのです。そして、その妥当性や有効性を検討しながら作成される「新しい駆動力を生み出すメッセージ」が、私たちの提案書なのです。メッセージを実効あるものにするためには多くの人の協力が必要になります。制度や組織を変えなければならないこともあるでしょう。そうした現実的な問題も考えながらメッセージを作ることは本当に難しい仕事ですが、ファンディング機関の機能を併せ持つJSTの中にいるからこそ挑戦できることだと思っています。

 なお、ここに書いた考えは私見です。CRDS特任フェローの小菅一弘先生(東北大学教授)、CRDSフェローの石正茂さんをはじめ有識者各位と議論させていただきながら日々考えている発展途上のものです。

注)
(注1) ここで“ロボティクス”という言葉は、「実世界に働きかける機能を実現する技術」という、一般に想定されるロボット技術よりも広義の意味を持つ。
(注2) 吉川弘之、人工物工学の提唱、ILLUME 第7号(1992 Vol.4 No.1)
(注3) JST研究開発戦略センター、科学技術未来戦略ワークショップ(電子情報通信系俯瞰WSⅢ)報告書、CRDS-FY2007-WR-15、平成20年3月。

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