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リスクに対する理解まだまだ?

掲載日:2016年3月18日

福島原発事故により、日本の原子力災害対策は過酷事故が起きることを端から想定していなかったことが国内外にはっきり知られた。日本の原子力安全に関しては、まともなリスク評価もリスクコミュニケーションも行われていなかったということでもある。事故から5年。リスクに対する当事者、一般国民の理解は深まったのだろうか。

14日都内で開かれた政策研究大学院大学(GRIPS)主催のセミナー「科学技術に関する大災害発生時の対応と国際協力に関する課題-福島第一原子力発電所の経験を踏まえて」で、元米原子力規制委員会(NRC)シニアアドミニストレーターのチャールズ・カスト博士が講演した。氏は、福島原発事故直後に米政府が派遣したNRC専門家チームの一員として来日し、日本の政府関係者たちと事故対策について長時間、意見交換した経験を持つ。日本の数多くの原発にも足を運び、事故後に規制当局だけでなく、電力会社がどのような対応をしたかについても詳しい。現在はクライシスマネジメントの専門家として、活動している。

写真 チャールズ・カスト元NRCシニアアドミニストレーター(提供:GRIPS GIST)
写真 チャールズ・カスト元NRCシニアアドミニストレーター(提供:GRIPS GIST)

カスト氏の発言の中に、「許容範囲のリスクが日本では定義されていない」という指摘があった。「合理的なレベルで国民の安全を担保する」という議論が欠落している、ということだ。アカウンタビリティ(自分に与えられた責任を果たす)のある国会が、その責任を行政機関に転嫁してしまっている結果、許容できるリスクという考え方が国民になかなか受け入れられない、と氏はみる。「テロ対策同様、原子力安全についても、必要なのは国民的なダイアログ(対話)。許容できるリスクとは何かを決める際に、国民が参画することが重要だ」と氏は強調した。メディアの役割の大きさも併せて。

リスクに関する議論そのものが依然、欠落している。こうした日本の現実を認める発言は、日本側パネリストからも聞かれた。根井寿規(ねい ひさのり)政策研究大学院大学教授は、2011年3月11日に発生した福島原発事故の時、原子力安全・保安院の審議官だった。根井氏によると、事故が起きる前、原子力のリスクを口にすることさえ、原発立地地域から拒否される現実があったという。細かなトラブルでも全て公表することが原子力安全にプラスになると考える氏が、原発立地地域に出かけると、住民から「原子力が危ないという言葉をあなたから言われたくない。余計なことは話さないでくれ」と言われたという。原発反対派を勢いづかせるだけ、というのが言い分だった。

ファシリテーターの越智小枝(おち さえ)相馬中央病院内科診療科長も「こと原子力に関する限り、事故が起きることを前提とする話はできない文化があった」ことを認めた。問題は、福島原発事故を機にこうした立地地域住民の見方が変わったかどうかだろう。根井氏は次のように言っている。

「何十年かのうちに原子力事故が起きることを想定して、準備をしておく必要がある。原発を利用せざるを得ないなら、事前の安全確保策をきちんとやらないといけない-。こうした話が原発立地地域でできる状況だろうか。まず話ができる環境をつくる必要がある、と今でも感じる」

写真 パネル討論中の左から根井寿規氏、越智小枝氏、チャールズ・カスト氏(提供:GRIPS GIST)
写真 パネル討論中の左から根井寿規氏、越智小枝氏、チャールズ・カスト氏(提供:GRIPS GIST)

リスクに対する一般市民の理解や、リスクコミュニケーションが簡単ではないことは、カスト氏も否定していない。交渉が中断した形になっている米ネバダ州ユッカマウンテンの放射性廃棄物処分場建設計画について、次のような現実を紹介していた。「反対意見を持つ人たちのグループを連邦政府があえて作り、知識を持つ者同士がまず意見を戦わせることから、市民の理解を深めようとしている。市民は技術的な情報を集められないし、判断するのが難しい問題だからだ」。さらに「例えば、放射線被ばくのリスクについては、自分たちの子供や自分たちの家にどのような影響があるのか、といった話が大事。そうした話ができるのは、住民の信頼が強い地域の医師が適任者だ」とも。

リスクコミュニケーションは平常時に加え、事故が起きてしまった時にも重要になる例として、氏は1979年に起きた米スリーマイルアイランド(TMI)原発の際、ハロルド・デントンNRC原子炉規制部長が果たした役割を挙げた。

「デントンは大統領とも住民ともコミュニケーションができたユニークな人物だった。田舎の紳士風で話し方もゆっくりしており、人々の信頼を得た。米ホワイトハウスにあるシチュエーションルーム(危機管理室)のメンバーはいつも同じ顔ぶれだが、1人だけは対象となる危機に応じて変わる。テクニカルアドバイザーだ。デントンはカーター大統領(当時)からTMI事故の現地総指揮者に指名され、大統領、現地住民双方ともコミュニケーションできたユニークな存在だった。ほかの人物ではできなかっただろう。国民に技術的側面を分かりやすく話せ、かつ信頼を得られるような人物を探すことが大事だ」

一方、「福島原発事故の際、東京電力はうまく説明できず、伝えていた事実も正しくなかった」とも。

デントン氏は、NRCをやめた後、2011年11月に来日し、日本機械学会で講演している。TMI事故からの教訓として氏は「意思決定者と公衆がタイムリーで正確かつ完全な情報を利用できることを保証する」ことと、「状況説明において技術的なスポークスパーソンが必須」であることを挙げている。さらにスポークスパーソンの条件として「サイト(現地)に滞在して継続的に十分な情報を得る」ことや、「正確、正直、率直に話し、信頼されること」などを示した。「不確実性が存在することを認める」ことも挙げているが、これは特に日本ではなかなか理解されないのではないだろうか。

リスク評価、リスクコミュニケーションの重要性については、原子力研究者を中心とする民間の有志からなる「原子力発電所過酷事故防止検討会」も指摘ずみだ。同会が1月に開催した報告会で、検討会主査の宮野廣(みやの ひろし)法政大学大学院客員教授は、次のように語っている。「リスク評価は想定外を少なくすることに役立つ。特に、防災にリスク評価を取り込むことで、社会との会話を可能とし、判断の位置づけが原子力分野の専門家と社会とで共有される」(2016年1月29日ハイライト・宮野 廣 氏「防災まで含めたリスク評価を 原子力安全向上に不可欠」参照)

しかし、現実はどうか。原子力発電所過酷事故防止検討会の議論では、リスク評価、リスクコミュニケーションの重要性を理解するどころか、言葉自体に拒否感を示す人たちが、電力会社の原発現場に多い、といった声すら聞かれる。「原子力規制委員会の審査を通ったのだから安全は保証された」と信じるか、そう考えたがる人々に、リスク評価やリスクコミュニケーションの重要性を理解してもらうのは相当、難しいということだろうか。

大津地裁が、稼働中の原発、高浜3、4号機の運転停止を命じる仮処分決定を出したことで、許容できるリスクは何かについての関心が高まる可能性はある。日経新聞3月17日朝刊の「ニュース複眼」欄で、元原子力委員会委員長代理の鈴木達次郎(すずき たつじろう)長崎大学教授は、次のように言っている。

「本来、原発の規制基準を決める際の『どこまでリスクを下げれば安全なのか』という考え方自体、技術論や法律論だけでは決められない。利害関係者や市民も含めた議論が必要なはずだ。社会として『どこまでリスクを下げればよいのか』に関する合意ができていないということではないか」。さらに「リスクコミュニケーションは双方向的であるべきで、一方的な説明や説得では信頼が得られない」とも。

「科学も不確実であり…」と、デントン氏と同様な指摘を鈴木氏がしているのも目を引く。セミナーでは、カスト氏が次のようなことも提言していた。

「TMI事故の後、米国でも規制当局が全ての責任を負うべきだという意見が支配的になった。電力会社にも責任があるというバランスがとれた見方に戻るまで20年を要した。日本も米国が犯した過ちに学び、全てを原子力規制委員会の責任にせず、電力会社や地元の人々を巻き込んだ議論にしていく必要があるのではないか」

(小岩井忠道)
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