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「400m水槽」 船舶の高性能化を実証、国際ルールにも反映【探訪 メガサイエンス】

2023.09.13

海上技術安全研究所の全景。青く細長いドーム状の建物に400m水槽が収まっている(海上技術安全研究所提供)
海上技術安全研究所の全景。青く細長いドーム状の建物に400m水槽が収まっている(海上技術安全研究所提供)

 「探訪 メガサイエンス」の最終回では、東京都三鷹市と調布市にまたがる海上・港湾・航空技術研究所海上技術安全研究所の400m水槽を紹介する。海に囲まれた島国である日本は海上交通や海洋資源の活用が極めて重要だ。世界でも屈指のスケールを誇るこの水槽を使った試験結果は、船舶の高性能化を実証したり国際ルールの制定に反映されたりしている。

住宅街の真ん中に地上のトンネル?

 JR三鷹駅から南へ行くこと約3キロメートル、調布市との境界、閑静な住宅街の真ん中に極めて個性的な建物がある。東西の幅は20メートルあまりにすぎないが、南北の長さはその20倍ほどあり、地上に現れたトンネルのように細長い形状をしている。大きな音や匂いがするわけでもなく、この中で一体何が行われているのか、一見ではわからない不思議な建物だ。

 実は、その建物の中に長さ400メートル、幅18メートル、水深8メートルという長大な試験水槽がある。これが400m水槽だ。実規模に近い船舶の性能を計測・確認するための試験を行うため、1966年に設置された。それから50年あまりが経過した今も、世界最大級の試験水槽としてさまざまな試験を担い、技術の発展に貢献している。

400m水槽。スーパーカミオカンデに匹敵する5万2000トンもの水をたたえており、両側には通路がある
400m水槽。スーパーカミオカンデに匹敵する5万2000トンもの水をたたえており、両側には通路がある

 歴史をさかのぼれば、海上技術安全研究所のルーツである逓信省管船局船用品検査所が発足したのは1916年のこと。今から100年以上も前から、海上技術の向上を目指す取り組みはわが国において重要視されてきた。「探訪 メガサイエンス」でこれまで取り上げてきた3施設とは異なり、施設が住宅地の中にあり、周囲の環境と調和して最先端の船舶技術を支えている施設である。

気泡で船底を覆い、抵抗を減らす「空気潤滑法」

 このスケールを活用した実験のひとつに、世界最大となる全長50メートルの模型船を曳航(えいこう)して行った「空気潤滑法」の試験がある。空気潤滑法とは船体から出した気泡で船底を覆って船体にかかる抵抗を低減させる手法で、その原理は19世紀から知られていた。1990年代になり模型を使用した科学的研究が行われたものの、4~10メートル程度の模型船では十分効果が確認できず、実用化の壁となっていた。

 そこで、実船に近いサイズの模型船で実験を行った。その結果「この試験で実船でも空気潤滑法の効果があることが定量化されましたし、効率的な空気の吹き出し方も把握できました。この技術を用いて建造された船は、エネルギー消費をおよそ6パーセント削減できたのです」と海上技術安全研究所で流体設計系長を務める辻本勝さんは説明する。

空気潤滑法の試験で、水しぶきを出しつつ進む模型船(写真中央)
空気潤滑法の試験で、水しぶきを出しつつ進む模型船(写真中央)

時速50キロ超で走る模型船

 では、この「空気潤滑法」の実験とはどういうものだろう。長い水槽の両脇にレールを設置。このレールの上を曳引車(えいいんしゃ)が走り、実際に使う船を縮小した模型船を引っ張っていく。「精度の高い試験をするためにはレールの整備も大切です。400メートルの距離があると、レールの端と中央では高低差が2ミリくらいあるので、水面に合わせて高さを調整しています。ちなみに、レールは新幹線で使われているものと同じです」(辻本さん)。

曳引車(中央上)と模型船(中央下)。右手前にあるレールを曳引車が通過していく
曳引車(中央上)と模型船(中央下)。右手前にあるレールを曳引車が通過していく

 曳引車での試験に同乗してみた。模型船は気泡を吹き出しながら水しぶきを上げ細長い水路を一直線に進んでいく。最高速度は時速54キロで、一般道路を走る自動車とほぼ同じだ。曳引車には外壁がないので、何かにつかまっていないと吹き飛ばされそうになる。

 スピードに乗ってきたかと思ったところで、曳引車はもう減速。400メートルという距離があっても、速度が出ていればほんの数十秒なのだ。もちろん一度の試験で十分なデータが得られるわけではなく、ゴールに達した模型船はしばらくするとスタート地点に戻り、パラメーターを変えて試験を何度も繰り返す。

曳引車に乗り込んだスタッフが、さまざまなデータの計測を行う
曳引車に乗り込んだスタッフが、さまざまなデータの計測を行う

 最近は船体にフジツボなどの生物が付着した場合の空気潤滑法の効果について調査を行っている。フジツボを模した円すい台状の突起を模型船の底に一定間隔で設置し、船体への抵抗がどうなるか調べているという。このように、海の環境をできる限り忠実に再現することで、実際に役立つ技術の開発を進めている。

業界向けに試験状況をライブストリーミング

 400m水槽は国際的なルール作りにも貢献している。例えば、船舶から排出される温室効果ガスを減らすための規制が定められた際には、水槽に設置した造波装置を活用し、実際の海洋環境で働く波による力を高精度で推定する手法を開発した。これにより船型と波浪中の抵抗増加の関係がモデル化でき、国際ルールに反映された。

 「国際ルールを決めるのは非常に重要なことで、新しい技術については一番先にそれを実行した国の基準が反映されます。日本の強みは実海域での船舶の性能を良くするところにありますから、それをルールに盛り込めたのは大きな成果でした」と辻本さん。

 海上技術安全研究所が2021年から始めた「海技研クラウド」には、400m水槽での試験状況をライブストリーミングする「水槽オンライン立会システム」を組み込んだ。造船業界向けで、有料アプリを使ったデータの利用や比較が可能。チャット機能を用いたデータファイルの送受信、試験実施者への確認などもできるようにした。

 これまで水槽試験には造船所などの技術者が立ち会っていたが、同システムにより遠方のオフィスで実験を見守ることができ、データの確認や再試験の連絡などが容易になった。出張に要する時間や費用を節約でき、各社の意思決定が迅速になるというメリットも生まれたという。

400m水槽の造波装置
400m水槽の造波装置

多彩な水槽でさまざまな環境に対応

 400m水槽のほかにも、海上技術安全研究所には多くの試験水槽がある。実海域再現水槽は高精度の造波機が計382台、360度全周に取り付けられ、海上で発生するどんな複雑な波でも再現できる。「この水槽の造波能力は世界最高で、例えば波を受けた船舶が転覆するまでの過程を再現することによって、波に出会うタイミングを変えた場合の違い、船の重心を下げた場合の変化とか、転覆を防ぐための対策の検討ができるのです」と辻本さんは説明する。

どんな複雑な波でも再現できる実海域再現水槽(海上技術安全研究所提供)
どんな複雑な波でも再現できる実海域再現水槽(海上技術安全研究所提供)

 そのほか、船体に搭載するプロペラのキャビテーション(翼の表面に空洞が生じて性能が低下する現象)に関する試験を行う大型キャビテーション水槽、深さ35メートルの深海水槽、強風下での水槽試験ができる変動風水洞などがあり、さまざまな環境での試験に対応している。

最先端の研究をオープンイノベーションで

 かつては船の大型化が求められていた時代もあったが、1970年代のオイルショック以降は省エネが重要となり、近年は環境負荷の低減が重要なテーマとなっている。「例えば、大型のコンテナ船が日本からアメリカまで貨物を輸送すると、燃料代は1回1億円くらいになります」と辻本さん。ゆえに、燃費を良くすることはエネルギーの節減だけでなく、国内産業の競争力向上にもつながるわけだ。

 そのほか、AIを活用した物流の効率化や造船所のデジタル化など、ここでは先端技術を生かした幅広い研究が行われている。400m水槽での実験データも、船舶から排出されるCO2などの温室効果ガスを削減させるために燃費性能を検証したり、最適な船の形状やプロペラの設計について検討したりと、さまざまな形で技術開発に貢献している。

 「これからの時代は、最先端の研究をオープンイノベーションで、すなわち外部と連携して進めていかなければなりません」と辻本さんは語る。その代表的な取り組みが、エンジンメーカー、造船会社と共同で進められている、アンモニアの高度燃焼技術の開発だ。

 船舶の動力となるエネルギーは価格の安い重油が長く用いられてきたが、CO2などの温室効果ガスを多く排出するのが難点だ。そこで、アンモニアや水素をエネルギー源として船舶を走らせる技術が模索されている。地球温暖化を食い止めるのは世界全体に共通する喫緊の課題であることは言うまでもなく、近い未来、造船業界には革命的な変化が起きる可能性が高い。

 しかし、そうなっても海上技術について実際に近い規模で検証する施設の重要性は変わらない。「重油以外のエネルギー源だと燃料単価が高いため、少しでも効率を良くしようと企業は考えるはずです。400m水槽の需要は、さらに高まると予測しています」というのが辻本さんの見方だ。

設備について説明する辻本さん
設備について説明する辻本さん

「スーパー400m水槽」へのグレードアップ

 さらに、400m水槽自体を「スーパー400m水槽」にグレードアップする計画がある。「近年は計測技術が進歩して、船体周りの水の流れを光学的に計測できるようになりました。ですから、それをきちんと測れる水槽にしていこうと考えています。それによって流体についてのシミュレーションが高度化し、より迅速に技術開発ができるはずです」と辻本さんは説明する。また、実際のスケールで計測ができるフィールドとして海上水槽を設置したいという構想もあるそうだ。

 6月下旬、400m水槽の水を全部抜く作業が始まった。施設の完成後初めてのこと。長年使用してきた施設を総点検し、スーパー400m水槽の実現に向けた万全のメンテナンスを施すという。海上技術の重要性は、いつの時代も変わらない。未来の海や船舶がより安全で豊かさを生み出すものになるように、大型実験水槽は進化を続けていく。

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