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【コラム】「一家に1枚」 制作の裏側と研究者の思い

2023.09.06

 文部科学省が毎年、制作している学習資料「一家に1枚」は、多くの専門家が集まって一つの領域をさまざまな角度から解説している。制作の裏側には、多岐にわたる内容を1枚に収めるという学習ポスターならではの苦労がありそうだが、実際にはどのように作られているのだろうか。

最新の「ウイルス」、「皆が正しい知識を」と企画

 今年3月に公開された「ウイルス」ポスターの制作チーム代表、理化学研究所(理研) の小嶋将平基礎科学特別研究員は、「チーム全員が同じ方向を向いて作り上げる作業は楽しいものだった」と笑顔で語る。

 ポスターでは、山や海などの自然環境中に存在し生態系を構成するウイルスから、人間社会へ侵入するウイルスまで広く紹介した。ウイルスはヒトの病気を引き起こしたり、農業や畜産業などに悪影響を及ぼしたりする一方、再生医療の研究に使われるなど実用的な側面もある。小嶋研究員は「新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)をきっかけに、皆が正しい知識を身につけた上で、何が重要かを考えることが大切だと感じた」と企画の意図を語る。

 理研のほか、国立感染症研究所や大阪大学など、若手からベテランまで8人の分野の異なるウイルス学研究者がコアメンバーとなり、毎日のようにオンラインでやり取りするなど活発な議論を重ねながら約半年間かけて制作した。古来の人類とウイルスとの関わりをひもとき、ウイルスが自然界から人間社会まであまねく存在する様子を最新の知見と共に表現しており、「ウイルスの病原性以外の側面をストーリーを立てて示すことができたのでは」と小嶋研究員は語る。特設サイトにはウイルスの電子顕微鏡写真など詳しいコンテンツをふんだんに盛り込み、解説動画はバーチャルなサイエンスコミュニケーターを起用して親しみやすく仕上げている。

 ウイルスに関して多角的に広く深く学べるポスターやコンテンツの反響は大きく、近く英語版ポスターの制作に着手する見通しだ。小学生から大人まで幅広い年齢層を対象としており、「学校や家庭などで、お子さんと一緒に会話しながら見てほしい」(小嶋研究員)と一層の普及を願う。

小嶋研究員(後方左から4番目)ら「ウイルス」ポスターの制作メンバー(一部)が文部科学省を訪ねた(小嶋研究員提供)
小嶋研究員(後方左から4番目)ら「ウイルス」ポスターの制作メンバー(一部)が文部科学省を訪ねた(小嶋研究員提供)

繊細かつ緻密に作り込んでいる「宇宙図」

 一方、根強い人気の「宇宙図」ポスターは、2007年の初版公開後、2013年、2018年と改訂を重ね、現在、最新の研究データを加えた「宇宙図2024」の制作が大詰めを迎えている。制作メンバーの東京大学の高梨直紘特任准教授は「公開から5、6年も経つと、データが積み上がってきて更新の必要性が生じる。新しい情報は都度、ポスターに盛り込んでいきたい」と語る。

 宇宙図2013には、インフレーションによって膨張した宇宙全体の図やヒッグス場に関する記述、「人間の材料表」と銘打った元素周期表などを追記した。2018は新たにマルチバース(多元宇宙)に触れ、ブラックホール同士の衝突に伴う重力波の検出に関する記述などを追加している。2024では、ビッグバンに始まり現在に至るまでの宇宙の時間軸をさらに伸ばし、初めて“未来”の領域へ足を踏み入れる。観測データから予測される将来の宇宙の姿だけでなく、そこには哲学的な問いも含まれる。

 新旧4枚のポスターを並べて見ると、全体のビジュアルの変化に気づく。当初からデザインを担当し、天文にも詳しい美術家の小阪淳氏は「商品として見かけを変えることを大事にしている」という。天体と天体の間を実際の正確な「物理的距離」で描くなど、繊細かつ緻密に作り込んでいる点で他のポスターとは一線を画す。反面、子どもには難しいとの声もあるが、「大人がほしいと思える本格的なポスターを作れば、子どもにも魅力的に映るのではないか」(小阪氏)と、分かりやすさだけを追求しない姿勢を貫く。

改訂版はクラウドファンディングで資金調達

 国立天文台の縣秀彦准教授をトップに据え、高梨特任准教授ら多くの天文学者が結集し、小阪氏やコピーライターの片桐暁氏らも協力してポスターを進化させてきた。日本で科学は目先の応用開発の“道具”として使われることが多いが、本来、科学とは「我々はどこから来て、どこへ行くのか」を探究する行為にほかならない。「自然哲学から近代科学へと変貌を遂げてきた科学の歴史は、現代の義務教育ではほとんど学ばない。だからこそ、天文学がそこに踏み込みたい。まだ成長の途上だが、文理を超えた総合的な知を語るポスターになってきたと思う」(高梨特任准教授)

 宇宙全体の物語を表したこの宇宙図ポスターは、2007年に文科省から約20万枚が配布され、その後の改訂版はクラウドファンディングによる資金調達で、約5万部が全国の学校や科学館に無料配布された。A3版のPDFはインターネットの文部科学省「科学技術週間」のページからダウンロードできるほか、大型版は科学技術広報財団を通じてAmazonなどで販売されており、教育現場でも効果的に活用されている。

「宇宙図」ポスター デザインの変遷。2024版は制作中(小阪氏提供)
「宇宙図」ポスター デザインの変遷。2024版は制作中(小阪氏提供)

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