コラム - オピニオン -

出口でなく入り口の高校理科へ

日本学術会議 高校理科教育検討小委員会 委員長 須藤 靖 氏

掲載日:2016年3月15日

高校理科の思い出

須藤 靖 氏
須藤 靖 氏

突然ではあるが、「高校で受けた理科の授業は面白かったですか?」、あるいは「高校で学んだ理科は役に立っていますか?」と質問されたら、どうお答えになるだろう? このサイトをお読みになっている方々なら「もちろん面白かったし役に立っている」と即答されるのかもしれない。しかし、それは現在の日本においては極めて少数派、さらに言えば絶滅危惧種であるとの事実認識から始めたい。

職業柄、さまざまな場所で宇宙に関する講演をお引き受けしてきた。ほとんどの場合、担当者の方から最初に「私は高校以来、理科が苦手な根っからの文系人間ですのでどうかご容赦ください」といった類いのあいさつを受けることに驚かされる。しかもこの「文系人間」とは、「理科に詳しくない」よりもむしろ、「本音としては理科が嫌い」に近いらしい。とすればこの現状は、「文系人間」の方々にではなく、高校理科教育の方に問題があるのではないか。これが、2016年2月8日の日本学術会議提言「これからの高校理科教育のありかた」の背景である。具体的な内容はその提言をご覧いただくことにして、今回はそれを補完する思いを述べてみたい。(日本学術会議提言「これからの高校理科教育のあり方pdf〈科学者委員会・科学と社会委員会合同広報・科学力増進分科会〉参照)

高校理科履修率の現状

高校卒業後、広い意味での理科系の大学に進学する割合は約3割。高校進学率はほぼ100%、大学進学率が約50%であることを考えると、日本国民の約85%にとって、高校卒業後、系統的に理科を学ぶ機会はないことになる。とすれば、高校理科教育は、その後「理系」に進学する15%のためにではなく、それ以外の85%が「理科嫌いの文系人間」ではなく、専門こそ違え「理科好きの文系人間」となることを目指すべきではあるまいか。このような問題意識のもとに、日本学術会議 広報・科学力増進分科会のもとに高校理科教育検討小委員会が立ち上げられ、私が委員長を拝命した。

現在の高校カリキュラムをご存知でない方もいらっしゃると思うので、まず簡単に説明しておく。物理・化学・生物・地学の4分野に対してそれぞれ、基礎とより進んだ内容に対応する2科目がある(例えば「物理基礎」と「物理」)。基本的には高校生は、基礎科目から3つを選んで履修する必要がある(これ以外に「科学と人間生活」という分野横断的な教科があるが、今回はとりあえず考えない)。「物理基礎」、「化学基礎」、「生物基礎」、「地学基礎」の履修率は、それぞれ64%、90%、95%、28%と推定されている。

さてこれらの基礎科目の教科書をざっと読んでみると、その内容の完成度に驚かされる。フルカラーで多くの写真や図をふんだんに用いた解説は、私が高校生であった40年前とは雲泥の差がある。特に「地学基礎」、「生物基礎」はかなり最近の進展まで含んでおり、読んでいて楽しい。一方、私の専門に関係する「物理基礎」は、高校生にはあまり楽しんでもらえそうにない。「化学基礎」もどちらかと言えば、内容過多の印象が否めない。面白いことに、私は高校では、物理I、IIと化学I、IIを履修しただけなので、自分が知っている科目をえこひいきしているどころか、むしろその逆なのだ。

おそらく、これは多分に科目ごとの性格の違いによるものだろう。ただそれにしても、例えば「物理基礎」の教科書を執筆する大学や高校の教員の方々が念頭においているのは、引き続き「物理」を履修した後、大学で理科系に進学する高校生が主なのではあるまいか。無論、そのような将来の人材育成のための教育の重要性は言うまでもない。しかしすでに述べたようにそれらは数としては少数派なのだ(基礎科目に引き続き学ぶ高校理科教科の履修率は、「物理」が21%、「化学」が30%、「生物」が26%、「地学」が1%、と推定されている)。結果として、「物理基礎」が、それ以降の人生において物理学の講義を受ける機会がないはずの高校生に対してどのような印象を残しているのだろうと考え始めると、悩ましい。(朝日新聞webronza: 日本学術会議が検討開始:高校理科教育のあるべき姿 〈2014年6月23日〉、物化生地と月の満ち欠け〈2012年10月17日〉参照)

実際、ほとんどの人は高校理科を、卒業後の自分と科学に関わる「入り口」としてではなく、文字通り「出口」とみなしているのではあるまいか。「高校の物理では、斜面の上から玉を転がしたり、ボールを投げ上げたりといった計算をさせられたことしか覚えていません。それ以外には何をやっているのかすらわからず、期末試験が終わった時には本当にほっとしました」。私が物理の関係者であることを知るや、この類の感想を笑いながら話しかけてくる人は決して少なくない。(須藤靖:『人生一般ニ相対論』高校物理の教科書〈東京大学出版会、2010〉参照)

万人のためか、専門人材育成のためか

日本の将来のために、優秀な人材に対して、よりレベルの高い教育の機会を与えようといった動きは、特に最近活発に議論されているし、その重要性は言うまでもない。一方で、その結果として国民の科学力の二極化を加速することは絶対避けるべきだ。

この観点に立った時、高校理科教育の再考の重要性は自明であろう。特に、理科の基礎科目は、将来の理系人材の育成のみならず、上述の85%の高校生が、卒業以降も、現代社会の基盤となっている科学・技術から目を背けるのではなく、常に興味を持ち続けることで、科学政策に対して自分なりの判断と意見を持てるような、科学リテラシーの涵養を目指すべきではあるまいか。以前とは異なり、現在は、興味さえあれば、インターネットや書籍を通じてさまざまなレベルで科学を学び続けることが可能な時代となっている。基礎さえ身につけておけば後は本人次第である。

さらに今や、政治・行政・司法におけるいかなる判断も、最新の科学の成果を考慮せずに行うことは困難だろう。かつての私の学生で、物理学の博士号を取得した後、判事になった者がいる。彼によれば、着任後、それまでたまっていた理科系の知識が必要な案件がどっと回ってきたとのこと。確かに、現代の犯罪の多くはハイテクを駆使している(テレビドラマの警察ものやミステリーを見れば一目瞭然である)。法学部で六法全書を読んで過ごしただけでは、とても太刀打ちできるものではない。科学知識は時とともに変わるし、それは専門家から学べばよい。しかし、「科学的」思考はより普遍的なものである。仮にそれが欠如した裁判官がいるとしたら、自分が関与する事例の司法判断を安心して委ねられるだろうか。少なくとも私は絶対嫌だ。

これが、冒頭に紹介した学術会議の提言「これからの高校理科教育のありかた」の根底にある理念である。そのためには、物理・化学・生物・地学の基礎を万遍なく学んでもらうとともに、単なる個別の知識偏重ではなく、科学的思考、特に科学の効用とその限界を伝えるような内容に精査すべきであろう。現在の四つの基礎科目を統合し内容をより厳選した「理科基礎(仮称)」を必修科目とすることで、その目的を達成させたい。そもそも自然科学に四つの独立した分野が存在するかのような誤解を与えかねないカリキュラムは解消すべきだ。

過去の教訓から学ぶ

しかしながら、このような総合化の提案に対しては、高校理科教育に携わっている方ほどむしろ拒否反応を示すようだ。これにはそれなりの理由もある。高校理科はある程度の専門性を備えた教員でなければ、生徒にしっかりと理解してもらえる授業は困難だとの意見も多い。かつて総合科目を必修あるいは選択科目として提供した時期があるにもかかわらず、その結果はむしろマイナスだったと評価されているようだ。

言うまでもなく、これらの問題点は十分考慮し克服せねばならない。前者については、高校理科教員の養成システムをも合わせて検討する必要がある。もし今後の社会において、狭い意味の専門性だけでなく、より広い意味の科学リテラシーが必要であることに同意してもらえるのであれば、高校理科教員こそまずそのお手本となるべきである。より高度な専門性が求められる大学教員と比して、高校基礎科目のレベルまでであれば特定の専門分野にかかわらず教育できる人材の養成は本質的である。場合によっては、複数の理科教員が分担して教えるチームティーチングなども必要に応じて取り入れる自由度も検討してよかろう。

またかつての総合科目の失敗から学んだ教訓は、大学入試科目、具体的には大学入試センター試験の必須科目として位置付けることの大切さである。良しあしは別として、試験科目となるかどうかは高校生の学習動機を左右する最も重要な因子の一つである。

従って、私は上述の2点についてはさほど心配はしていない。むしろ本質的なのは、「理科基礎」として具体的にどのような教科書を準備できるかであり、これは決して楽観できるものではない。多くの方々の協力を得ながら時間をかけて作り上げていく必要がある。実は、英国には「21世紀科学」(注)と呼ばれる、義務教育最後の2年間(日本の中3と高1に相当)の科学のコースがある。(注;Nuffield Foundation,"Twenty First Century Science", 2015.)

これは「科学者のための基礎教育」から「すべての人々のための科学」へ、という理念のもとに2006年から実施されている。私は、その教科書を眺めて、まさに今回の提言の理念に沿った画期的なものであると感銘を受けた。ただし英国でも、その結果として理系進学者が増えた一方で学力が低下したのではないかとの批判があることも付け加えておきたい。

つまりこの問題は、「総論賛成各論反対」的状況に陥りやすいのだ。高校生に科学の基礎を広く学んでほしいという気持ちは誰も共有している。しかし、専門家とは、自分の分野に関してはもっと深く教えるべきだとも考えてしまう人種なのである。「理科基礎」はあくまで科学リテラシーの涵養を目的とし、理系人材育成は、その後の4科目「物理」、「化学」、「生物」、「地学」で行うという方針を確認し、それに沿った教科書を整備していく必要がある。

最後に

ほとんど知られていないと思うのだが、日本学術会議は定常的な予算不足に陥っている。今回の提言をまとめた小委員会は、委員の会議費はおろか旅費すら出ないという申し訳ない状況のもとで活動を続けてきた。2年間にわたりほぼ毎月手弁当で出席してくれた委員の方々に、心からお礼を申し上げたい。また、この委員会を通じて、世間知らずの私は多くのことを学んだ。特に、教育には理念だけでなく現実に解決していくべき多くの問題があるという当たり前の事実を、深く認識できたのは大きな収穫だった。

とはいえ、このような重要な問題を、ただでさえ忙しい委員の方々の厚意に甘えてすましている現状はやはり改善すべきだ。特に、今後本質的となる、具体的な「理科基礎」教科書作成は、手弁当で参加してくださる委員だけではいつまでたっても完成できないであろう。

今回の提言は最終完成版というよりも、まず明確な理念を提案することで、引き続き定常的な議論を喚起することを目的としている。引き続き、皆様からのご意見やご協力を心待ちにしている。

須藤 靖 氏

須藤靖(すとう やすし)氏プロフィール
1958年高知県安芸市生まれ。東京大学理学系研究科 物理学専攻・物理学科 教授。専門は、観測的宇宙論、太陽系外惑星。第22期、第23期日本学術会議第三部会員。日本学術会議 科学力増進分科会 次期高校理科教育検討小委員会委員長。著書に『一般相対論入門』『もうひとつの一般相対論入門』『解析力学・量子論』『ものの大きさ—自然の階層・宇宙の階層』『人生一般ニ相対論』『主役はダーク』『三日月とクロワッサン』『宇宙から見る地球』など。

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