オピニオン

[シリーズ]イノベーションの拠点をつくる〈17〉東京工業大学COI拠点 行間や空気を読んで、こころとこころをつなぐ「以心電心」(秋葉重幸 氏 / 東京工業大学COI拠点「以心電心」ハピネス共創研究推進機構(HAPIC)プロジェクトリーダー)

2016.02.12

秋葉重幸 氏 / 東京工業大学COI拠点「以心電心」ハピネス共創研究推進機構(HAPIC)プロジェクトリーダー

 文部科学省と科学技術振興機構(JST)は、2013年度から「革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM※) 」を始めた。このプログラムは、現代社会に潜在するニーズから、将来に求められる社会の姿や暮らしのあり方(=ビジョン)を設定し、10年後を見通してその実現を目指す、ハイリスクだが実用化の期待が大きい革新的な研究開発を集中的に支援する。そうした研究開発において、鍵となるのが異分野融合・産学連携の体制による拠点の創出である。本シリーズでは、COI STREAMのビジョンの下、イノベーションの拠点形成に率先して取り組むリーダーたちに、研究の目的や実践的な方法を述べていただく。第17回は、東京工業大学を中核に、新たな情報科学によって、世代や言語の違いを超え、人のこころをつなぐコミュニケーションシステムの開発を目指す「以心電心」プロジェクトをご紹介する。

※COI STREAM/Center of Innovation Science and Technology based Radical Innovation and Entrepreneurship Program。JSTは、「センター・オブ・イノベーション(COI)プログラム」として大規模産学官連携拠点(COI拠点) を形成し研究開発を支援している。詳しくは、JST センター・オブ・イノベーション(COI)プログラムのページを参照。

100歳寿命とハピネス社会

秋葉重幸 氏
秋葉重幸 氏

 だいぶ前のことになりますが、ある学会で「高齢化社会におけるICT利活用」という特別セッションを企画したことがあります。少子化が進んでいる国(日本や近隣の国々)ではどうも高齢者の元気がないように見えたことがきっかけでした。これらの国では平均寿命がかなり延びてきているのでやむを得ない面もありますが、元気のない高齢者を見ていると、若い人の希望も萎えていくのではないかと思ったりしました。もちろん元気な高齢者もいらっしゃいますので、おおまかな印象です。

 寿命が延びて医療費や年金が増大し続けているという課題もありますが、健康寿命も延びて70歳を超えています。若年労働者数が減少していく中で、高齢者がそれを補う労働力として期待されている面もあります。特別セッションではスウェーデンの方からも講演をいただきました。スウェーデンではこれから生まれてくる子供の半数は100歳まで生きるだろうと予測されているとのことでしたが、再生医療の進展などを考えればあながち夢物語ではないと思います。100歳まで生きることが当たり前になると、70歳まで現役で働いて、さらに何らかの形で80歳まで働くことも当たり前になるかもしれません。

 果たしてそれは幸せなこと(ハピネス社会)なのだろうか。70歳まで現役で働くとしてそれでもまだ30年もあります。何事も気の持ちようという精神の高揚だけでは済まないのではないか、革新的なICTサービスが重要な役割を果たすのではないかという思いを強く持ちました。その特別セッションにはNHKからの取材がありテレビのニュースで紹介されました。地方での開催でしたが、こういった内容については地方のほうが関心が高いように思いました。

 その後しばらくして東工大でCOIに関わるようになり、この特別セッションを通して学んだことも生かしてハピネス共創社会を目指した研究開発に邁進している次第です。以下では、プロジェクトの概要と目指している社会実装について述べたいと思います。

東工大COIプロジェクトの概要

 東工大COIが目指しているのは、多様な絆で人々のこころがつながり、共感と思いやりを通して感性を高め合い、いきいきと暮らせるハピネス共創の社会です。人のこころや行間・空気まで伝える高度な以心伝心を、最先端の人工知能(Artificial Intelligence)、エレクトロニクス、及び知性通信(Intelligent Communication)の技術を用いて実現(『以心電心』)し、この『以心電心』プラットフォームの上に先駆的なサービスを社会実装しようとしています。このような東工大COIビジョンを図1に示します。

東工大COIのビジョン
図1.東工大COIのビジョン

 このビジョン実現に向けて、経験データベースやあいまい検索などの「AIテクノロジー」、ハピネス(あるいはアンハピネス)や共感を検知する機能を備え充電不要なウェアラブルゼロパワーセンサ・アクチュエータ※1(駆動装置)などの「デバイステクノロジー」、およびテラヘルツ波を用いたセキュリティの高い近接通信やオールバンド(全周波数帯)知性通信制御システムなどの「ネットワークテクノロジー」からなる革新的なコアテクノロジーの研究を行い、それをベースに「情報想起サービス、多言語意訳サービス、存在感通信サービス、つながり共創空間サービス」を開発します。

※1 アクチュエータ/音や画像などいろいろな情報を表したりそれをもとに動作を促したりする素子

 そして、この4つのサービスを有機的に統合して良質な新しいコミュニケーションと人間関係を創出する『以心電心』コミュニケーションサービスを実用化するのが最終目標です。その実現に向け、脳科学、サービス科学、情報科学、データベース技術、オールバンド通信技術、デバイス・回路技術の融合と産学連携による研究開発を推進しています。

目指している社会実装

 研究開発・実用化の集大成として、従来とは異なる良質のコミュニケーションを通して創発し合える社会を生み出す『以心電心』コミュニケーションサービスの社会実装を実現します。

 「情報想起サービス、多言語意訳サービス、存在感通信サービス」においては、世代、文化、生活習慣、言語の違いにより、経験の伝承や意思疎通がうまくできない、必要なときに重要事項を思い出せないなどの困惑をセンサで自動判断し、それを解消する指南を瞬時に提供するなどのサービスにより、さまざまな場面で人々のハピネスを生み出すことを目指しています。

 下の図は、重要事項(以前会った人の名前)が思い出せない場面で、まずその人の名前を忘れてしまったことを「アンハピネスセンサ」で瞬時に検知してその名前(情報)を即提供(想起)してくれるサービスです。これはほんの一例ですが、仕事から普段の日常生活まで、いろんな場面で非常に有用なサービスになると考えています。

 こういうコミュニケーションが欲しかった、あるいは痒いところに手が届くといったこれらのサービスの実現により、これまで思うように働くことができなかった若者や女性、外国人、高齢者の労働市場参入を革新すると期待しています。例えば、健康寿命が延伸する中、高齢者の社会参加意欲も高まり80歳まで創造的活動を続けるケースが増えれば、心身の健康増進とともに年金給付や医療費の削減にも結びつくのではないでしょうか。

記憶(情報)想起サービスのイメージ場面。例えばパーティー会場におけるシーンを想定します。ユーザ(パーティ参加者)は耳元に「ウェアラブルセンサ・アクチュエータ」、ポケットに「携帯サーバ」を有しています。話しかけられた人の名前がすぐに思い出せない状況を「ウェアラブルセンサ」が瞬時に把握し、「携帯サーバ」を介してクラウドなどに設置してある「個人経験データベース」にアクセスし、「あいまい検索技術」を用いて相手の名前と関連情報をそっと知らせてくれます。
図2.記憶(情報)想起サービスのイメージ場面。例えばパーティー会場におけるシーンを想定します。ユーザ(パーティ参加者)は耳元に「ウェアラブルセンサ・アクチュエータ」、ポケットに「携帯サーバ」を有しています。話しかけられた人の名前がすぐに思い出せない状況を「ウェアラブルセンサ」が瞬時に把握し、「携帯サーバ」を介してクラウドなどに設置してある「個人経験データベース」にアクセスし、「あいまい検索技術」を用いて相手の名前と関連情報をそっと知らせてくれます。

 また共感を高め共創を促進する「つながり共創空間サービス」により、新たな"はたらく"形を生み出したいと考えています。ここでは現在推進されている在宅勤務やテレワークを超えた次元のことを目指しています。いろいろな人たちが、それぞれこころに思っている、あるいは意識している"はたらく"ことに対する共通の思い(共感)を自動的に察知して、出会いを演出し、新しい働き方と仕事を創出するサービスです。人が変わり、社会が変わり、そして"はたらく"も変わっていくと確信しています。さらに、ワーク/ライフバランスが大きく改善されることを狙っています。それによって女性の社会参画と男性の家庭参画が促され少子化傾向の打破にもつながるのではないかと思います。また、減退の一途を辿っている地方の活性化にもつながると期待しています。

 2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは、『以心電心』を駆使して世界中からの来訪者に対し、痒いところに手が届く画期的なおもてなしサービスを試行的に提供し、先進的コンシェルジェサービスの新規モデルを示したいと考えています。

世界の流れに

 昨年の10月に東京で通信ネットワークの標準化に関する国際会議が開催されました。会議の主要テーマは第5世代移動体通信(いわゆる5G)でしたが、主催者からの要請により、プレナリーセッションで、上述した東工大COIプロジェクトを紹介しました。講演後海外の何人かの方から、通信技術はひたすら、より大量の情報を送受するように発展してきたが、車の開発が環境にやさしいことや乗り心地の良さを目指すようになったのと同様に、ICT分野もこのプロジェクトのような方向を目指すべきだろうという意見をいただきました。心と情まで伝える新しいコミュニケーションサービスの先駆けとなるべく大学と参画企業・機関を一体として取り纏め、COIの推進に取り組んで行きたいと思います。

秋葉重幸 氏
秋葉重幸 氏(あきば しげゆき)

秋葉重幸(あきば しげゆき)氏のプロフィール
1951年山形県生まれ。76年東京工業大学大学院理工学研究科電子工学専攻修士課程修了。同年KDD(株)入社、研究所勤務、光通信用デバイス・光海底ケーブルシステムの研究開発に従事。2000年(株)KDD研究所所長。02年KDDI海底ケーブルシステム(株)社長。05年(株)KDDI研究所所長。06年KDDI(株)執行役員兼務。11年(株)KDDI研究所取締役兼KDDI(株)理事兼東京工業大学大学院連携教授。15年東京工業大学『以心電心』ハピネス共創研究機構長兼(株)KDDI研究所顧問。

ページトップへ