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予算分配にも慎重なかじ取りを-「社会のための科学」目指し(中島秀人 氏 / 東京工業大学大学院 社会理工学研究科 教授)

2013.02.01

中島秀人 氏 / 東京工業大学大学院 社会理工学研究科 教授

東京工業大学大学院 社会理工学研究科 教授 中島秀人 氏
中島秀人 氏

 2013年春、私は2つの職務から退く。1つは、4年間務めてきた科学技術社会論学会の会長職である。もう1つは、科学技術振興機構「社会技術研究開発センター(RISTEX)」の「領域アドバイザー」の仕事である。日本を留守にした関係で一時期お休みしたが、私とRISTEXの関係は2001年の発足以来で、もう10年以上続いたことになる。

 この組織の設置の目的は、社会のための科学技術の振興である。科学技術が社会のために役立つというのは当然のようだが、実際にはそう単純ではない。そもそも科学は真理のため、そして科学自体のためのものと長年考えられてきた。工学研究者の中にも、研究の「科学性」を重んじて、自らの研究成果の実用化から距離をとる人は少なくない。社会のための科学技術を振興するというのは、新しい取り組みなのだ。

 その活動のきっかけは、科学技術の負の側面の表面化だった。科学技術が社会と不調和を起こしていることがあらためて認識されたのは、1995年のいくつかの事件によると思われる。この年の1月、阪神淡路大震災が起こった。実は前年、米国ロサンゼルスでも大地震があり、高速道路が倒壊した。このとき日本のエンジニアは、同様のことは日本では起こりえないとした。しかし、阪神高速道路の神戸線は震災で倒壊し、死傷者が出た。3月には、東京で地下鉄サリン事件が発生した。犯罪を実行したオウム真理教の幹部の1人は医師であり、サリンの合成には科学者の卵が関与した。12月には、高速増殖炉もんじゅがナトリウム漏れ事故を起こし、その記録フィルムの一部が隠蔽されて社会的批判を受けた。

 このような事態を前に、政府関係機関の委員会でも、科学技術と社会の関係のあり方が議論されるようになった。私個人も、98年ごろから、3つの委員会に関与した。

 科学技術と社会の間の不調和は、国際的にも課題となってきていた。例えば英国では、当初人間に感染しないとされていた狂牛病が、人間に感染すると判明した。1996年、英国政府がそれまでの見解を変更したのだ。政府のみならず、科学界への不信が巻き起こった。それだけではない。90年代の世界的なバイオテクノロジーの急速な進歩は、倫理面での懸念を引き起こすに至った。

 1999年夏、世界の科学者たちが、ハンガリーのブダペストに集まった。ここで開催された世界科学会議は、ユネスコと国際科学会議(国際学会やアカデミーの連合体)が共同で開催したものである。そこで採択された「科学と科学知識の利用に関する世界宣言」(ブダペスト宣言)では、「知識のための科学」「平和のための科学」「開発のための科学」の3つと並んで、「社会の中の科学、社会のための科学」に一節が割り当てられた。それまで科学知識は、無条件に善とされてきた。だが、社会に役立てるには、いまや熟慮の下で使用されなければならないことが、科学者自らによって確認されたのである。

 RISTEXの活動は、1995年以来の、このような社会的な流れを受け止めたものだということができよう。そしてこれまでに、「安全安心」や「循環型社会」、「情報と社会」などを主題とした研究領域が設けられてきた。私が運営にアドバイザーとして関与したのは、「社会技術/社会システム」および「科学技術と人間」の2つの研究領域だった。

 ここでの取り組みによって、私が専門とする科学技術社会論の分野では、いくつかのポイントの解明が進んだ。例えば、「欠如モデル」の問題点である。科学者、技術者、行政官などは、科学技術が社会で受け入れられないと、社会の側の無理解だと考える傾向が強い。科学的理解の「欠如」だという思考「モデル」である。確かに、科学技術への一般社会のリテラシー不足から問題が生じることがある。

 だが、社会が科学技術の受け入れに否定的な対応を取るのに、合理的な理由がある場合も少なくない。福島での原子力発電所の事故では、放射線のリスクとは別に、科学者・技術者が事故後に信頼できる行動を取ったかが懸念材料となったように思われる。このような状況で、リスクについていくら科学的に説明しても、社会の合意を得るのは難しい。市民の声に科学技術の専門家が誠実に耳を傾けることが求められる。それだけではなく、欠如モデルを克服した対等な立場での意見の交換、すなわち双方向コミュニケーションが必要なのだ。否、専門家と市民の協働まで進むべき場合も増えている。

 このような理論面での深化とは別に、RISTEXのマネージメントに加わって印象的だった点がある。社会に役立つ工学的課題が、通常の研究助成ではなかなか予算を得られないということだ。個人的に特に印象的だったのは、東京海洋大学の渡邊豊教授への研究助成だった。渡邊先生のご研究は、トラックがけん引するコンテナの安定性であった。海外から持ち込まれるコンテナは、荷主から顧客に届くまでに扉を開けることが許されていない。しかし、積み荷の重心が高いコンテナだと、運搬中にバランスを崩す。カーブで横倒しになって、歩行者を文字通り押しつぶしてしまう事故が後を絶たないという。

 渡邊先生は、トラックが走行を開始した直後のコンテナの振動を解析し、危険を警告するシステムを開発された。これは社会的に大変有益だが、理論的に新発見を含むものではない。だから、成果を研究論文として発表しにくいのだ。RISTEXのある国際ワークショップで渡邊先生に研究成果をご発表いただいたが、その際に、韓国の主要な助成財団の幹部の方が、このような論文になりにくい研究にRISTEXが助成金を支出したことに非常に驚かれていた。

 ここで私が得た教訓は、科学技術の研究予算システムの問題である。現在の助成金の制度では、何か新しい発見をして論文が書けるかどうかが、評価の中心的な基準となっている。当然のことながら、研究者は、そのような基準に受け入れられやすい研究提案をすることになる。「出版か死か(publish or perish)」ともいわれる状況では、論文が書けないことは、研究者にとっては破滅的だからだ。

 科学技術と社会の不調和が問題となった1995年前後は、若者の科学離れや、科学技術研究予算の不足が表面化した時期でもあった。これを解決するために、1995年に科学技術基本法が国会の全会一致で成立した。それ以来、政府の科学技術への研究投資が大幅に増額された。しかしながら、研究評価のシステムは、ほぼ手つかずであった。科学技術への研究投資が、イノベーションを通じた日本経済の発展に資することは、社会的期待である。   だが、研究開発への助成や評価のあり方が現状のままでは、研究成果が社会に役立つかはおぼつかない。安全安心のように、経済発展の基準では採用されにくい課題への配慮も求められる。

 東日本大震災を踏まえて、「科学コミュニティと社会の再契約」が議論されている。それは、科学者だけの問題ではないだろう。予算の分配を司る側にも、社会との再契約が必要ではなかろうか。科学のための科学の価値を一方で大事にするとともに、他方で、真の意味での「社会のための科学」を実現するための慎重なかじ取りが求められる。

東京工業大学大学院 社会理工学研究科 教授 中島秀人 氏
中島秀人 氏
(なかじま ひでと)

中島秀人(なかじま ひでと)氏プロフィール
東京生まれ。東京都立井草高校卒。1985年、東京大学大学院理学系研究科、科学史・科学基礎論博士課程修了。学術博士。88年、東京大学先端科学技術研究センター助手(科学技術倫理分野)。95年より現職。文部科学省科学官、放送大学客員教授、国連大学客員教授。著書に、『ロバート・フック ニュートンに消された男』(朝日新聞社、大佛次郎賞)、『日本の科学/技術はどこへいくのか』(岩波書店、サントリー学芸賞)、『社会の中の科学』(NHK出版)など。

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