インタビュー

「男女が共に活躍できる社会へ」 第1回「私と女性研究者支援」(大坪久子 氏 / 日本大学薬学部薬学研究所 上席研究員)

2015.08.13

大坪久子 氏 / 日本大学薬学部薬学研究所 上席研究員

大坪久子 氏
大坪久子 氏

男女共同参画社会基本法が施行されて16年、日本物理学会、日本化学会、応用物理学会など14学会(創立時、現在89学協会)から成る男女共同参画学協会連絡会が発足して13年目となる。男女共同参画社会基本法の歩みとほぼ同じ時期に、連絡会をはじめとする女性研究者支援の活動で積極的な役割を果たし、米国の女性研究者支援の歴史、現状にも詳しい大坪久子(おおつぼ ひさこ)・日本大学薬学部薬学研究所上席研究員に、女性研究者が力を発揮できる社会にするために、今求められていることは何かを聞いた。

―男女共同参画学協会連絡会の発足1周年記念シンポジウムが2003年10月に開かれた時、先生が司会をされたパネルディスカッションの主題が「男女が共に生きる社会へ」でしたね。男女共同参画の活動に関わるきっかけはどのようなものだったのでしょうか。

九州大学の修士課程(薬学)の時に国立がんセンター研究所でトランスファーRNAの研究をし、金沢大学がん研究所(現がん進展制御研究所)の助手を経て、1974年に米国のストーニー・ブルック大学へ博士研究員として移りました。既に米国で研究生活を送っていた夫(栄一〈えいいち〉氏=遺伝学者)が研究業績を認められ、ニューヨーク州立大学にアシスタントプロフェッサー(助教)として招かれたのが、米国での研究を決めた理由です。9年間、在籍し、トランスポゾン(動く遺伝子)の研究で論文を出すこともでき、夫が東京大学応用微生物研究所(現分子細胞生物学研究所)教授になったのを機に同研究所助手として1982年、帰国しました。

帰国時、すんなり応用微生物研究所の助手の職が提示されたわけではありません。当時の所長さんに「ご主人が研究されているのだから、奥さんは研究を続けなくてもよいのでは」とまず言われました。「それは困る」と答えたら、次は「技官ではどうか」との提案。「これまで自分のテーマと研究費を持ち、テクニシャン(研究補助者)を雇って研究してきたのに、科学研究費も申請できない技官で帰るわけには行かない」と再度突っぱね、ようやく助手のポストを得ることができました。1980年代初めの日本の状態はそんなものでした。

男女共同参画の活動に関わり始めたのは、2001年に横浜市のパシフィコ横浜で開かれた日本分子生物学会の第24回年会会場に保育室をつくったのが、最初です。前年、神戸で開かれた年会で多くの会員から年会保育室設置の要望が出ていたため、その時の年会長から、私と菊池淑子(きくち よしこ)さん(元東京大学理学部准教授)に「年会会場に保育室を設置・運営する可能性を検討してほしい」という依頼がありました。設置・運営が可能との検討結果を文書にまとめ、提出し、実際に保育室を利用する年代の若手会員3人を加えた5人でワーキンググループを結成し、年会保育室の設置、運営にこぎつけたものです。

そもそもは、「年会に保育室をつくってほしい」という要望が30歳代の女性会員から出ていたのに対して、日本分子生物学会の評議員会(法人化後の理事会に相当)も学会長もなかなか受け入れてくださらず、その年の年会長に判断が丸投げされたという事情がありました。そのため、学会長ではなく、年会長が私たちに相談に来られた、というのが実情です。「育児のような個人的なことをなぜ学会がサポートしなければならないのか? 事故が起きたときに学会は責任を負えない」というのが大方の反応で、保育室立ち上げが実現したのは、その年の年会長と複数の男性評議員が熱心に後押ししてくださったおかげです。今、学会会場で楽しげな親子を見かけると、隔世の感がします。

―金銭的なご苦労はありませんでしたか?

保育室は会場の一室に設け、備品はレンタル、シッター会社から利用人数に応じて4日の会期中、保育士を3人前後、派遣してもらいました。保育料は、ゼロ歳児 1時間800円、1歳児以上600円に設定、部屋と備品の設置費用14万5,000円を年会から、人件費36万5,000円を利用者に負担していただいた10万8,500円と11社の企業からの寄付で賄いました。現在は、保育料は1時間400円、必要経費の差額は年会が負担しているはずです。

1回目は、1日平均9人、17家族、延べ34人の利用者がありました。後で調べたところ、同じ年、あるいは数年前から保育室を年会会場に設けた学会はいくつかあったのですが、利用者は一桁というのが大半です。延べ34人というのは最も多かったうちの一つでした。「保育室がなければ、夫婦で参加は無理だったろう」。利用者へのアンケートの答えにそんな記述がいくつか見られたように、夫婦会員の利用者も多かったのです。年会保育室は女性研究者だけのものではなく、子育て中の全ての研究者に必要なものであることがよく分かりました。

日本分子生物学会のホームページに載っている「第24回日本分子生物学会年会 保育室・親子休憩室設置に関する報告書pdf」は、その後、新たに年会保育室を立ち上げる学会に、お手本としてよく利用されています。

―男女共同参画学協会連絡会でのご活動には、どのようなものがありますか。

私が連絡会で活動するようになったのは、日本分子生物学会の会長から「運営委員として連絡会に出るように」と頼まれたからです。その後しばらくして、日本分子生物学会が男女共同参画学協会連絡会の幹事学会になったこともあり、本格的に関わることになりました。分子生物学会でも連絡会でも要望書の作成などいろいろやらせていただきましたが、ちょうどその時期が第3期科学技術基本計画(2006〜10年)策定の時期に当たっていたのですね。

連絡会の第3期幹事学会が日本化学会の時で、相馬芳枝(そうま よしえ)委員長を中心に連絡会としての要望活動がスタートしました。幸い計画には、連絡会の要望も聞き入れられました。提言の中に「男女共同参画モデル事業制度を創設」というアイデアがあったのですが、それが2006年からスタートした科学技術振興調整費による事業「女性研究者支援モデル育成」につながったと思っています。また、私も関わった「子育て支援型研究員制度に関する提言」は分子生物学会から出された提言ですが、現在も発展的に続いている「特別研究員RPD制度」の基となりました。当時、文部科学省の科学技術・学術政策局長をされていた有本建男(ありもと たてお)氏は連絡会の活動に理解があり、いつも変わらずエールを送ってくださる有り難い存在でした。

2006年度に始まった「女性研究者支援モデル育成」事業(通称:モデル事業)の目的は、大学や公的研究機関において、女性研究者が研究とライフイベント(出産・育児・介護)の両立をできるように、そして、その能力を十分に発揮できるように、研究環境の基盤整備や意識改革などを進めることにありました。現在、この事業は科学技術振興機構が文部科学省からの受託事業として実施した「女性研究者研究活動支援事業」を経て、「ダイバーシティ研究環境実現イニシアティブ」という事業に引き継がれています。

もう一つの大変積極的な支援事業が、「女性研究者養成システム改革加速事業」(通称:加速プログラム)と呼ばれる事業で、これは2009年度に5大学、2010年度に7大学でスタートしたもので、期間も5年に延びていました。女性を積極的に採択すること、上位職を目指すことを目標としており、各大学がそれぞれの力に応じた採用目標を決めて努力しました。

残念なことに、このプログラムは民主党政権下で廃止に追い込まれ、2011年度以降は継続されていません。このプログラムが続いていたら、大学・研究機関における女性研究者割合はもっと増えていたと残念に思います。というのは、モデル事業とその流れをくむプログラムが、主として、両立困難のために、女性研究者がキャリアをあきらめて研究現場を去ることを防ぐ役割を担ったのに対し、加速プログラムは「女性を積極的に採択すること、上位職を目指すこと」を目的としたからです。

加速プログラムの中でも、よく工夫され、かつトップのリーダーシップが遺憾なく発揮されたのは九州大学の例でしょう。2009年に採択された九州大学の「女性枠設定による教員採用・養成システム」は、女性教員割合が圧倒的に低い理工農分野の各部局に対して毎年5 人分の女性枠教員ポストを設定するというものでした。私は、この女性枠プログラムで採用委員会の外部委員を5年間やらせてもらいました。初年度5人の採用枠に対し、応募者は177人。女性研究者は少ないという通念が誤りだったことがはっきりしたわけです。

感心したのは、いくつかの要素を点数化し、絶対評価で採用者を選んでいることです。候補者本人だけでなく、迎える部局がどのように支援するかも点数化します。候補者、学部長双方のプレゼンを聞きますので、受け入れ側の学部にやる気があるかないかがはっきり分かります。候補者だけの評価ではなく、受け入れ側にきちんとしたビジョンと覚悟があるかどうか、は重要なポイントですから。ただ、5年くらいたつと、学部長さんたちも情報交換なさるようで、皆が同じようなことをおっしゃるようになってしまいましたが(笑い)。

とにかく選び方の基準がきちんと数値化されているのが、九州大学の「女性枠設定による教員採用・養成システム」の評価すべきところだと、思います。

(小岩井忠道)

(続く)

大坪久子 氏
大坪久子 氏

大坪久子(おおつぼ ひさこ) 氏のプロフィール
1968年九州大学薬学部卒。70年九州大学大学院薬学研究科修士課程修了、1970年代から80年代の9年間、ニューヨーク州立大学ストーニー・ブルック校で、米国立衛生研究所(NIH)博士研究員(ポスドク)、リサーチ・アシスタント・プロフェッサー。82年東京大学応用微生物研究所助手。同分子細胞生物学研究所講師、日本大学総合科学研究所教授を経て、 2011年から現職。薬学博士。専門は「動く遺伝子(トランスポゾン)によるゲノム動態とその進化」。日本大学女性研究者支援推進ユニット長(2009度)、同スーパーバイザー(10年度)、上智大学女性研究者支援プロジェクト課題推進アドバイザー(11年5月~12年12月)、同グローバルメンター(11年5月~現在まで)。北海道大学・女性研究者支援室・客員教授(06年11月~09年3月)、九州大学科学技術人材育成費補助金「女性研究者養成システム改革加速」事業・全学審査会外部委員(09年~現在まで)。第4期男女共同参画学協会連絡会副委員長。第7期・第8期男女共同参画学協会連絡会提言委員会委員長。第12期・第13期男女共同参画学協会連絡会提言委員。

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