インタビュー

第11回「科学コミュニケーションとは、新しい価値をつくるもの」 (佐倉 統 氏 / 東京大学大学院 情報学環 教授)

2015.02.03

佐倉 統 氏 / 東京大学大学院 情報学環 教授

「科学コミュニケーション百科」

佐倉 統 氏
佐倉 統 氏

JST科学コミュニケーションセンターの基礎調査として「新しい科学コミュニケーションの探索」に取り組む佐倉ユニットでは、「科学コミュニケーション」に対する考え方を整理するために、同センターで科学コミュニケーションの調査研究に取り組む北原和夫研究主幹と計10名のフェローを対象にインタビューを実施しました。それぞれが考える「科学コミュニケーション」や具体的な取り組みから、社会と科学技術をめぐる多様な考え方が明らかになりました。佐倉さん自身は、もともとは霊長類学の研究者から、科学技術と社会の関係について考察研究するようになったといいます。

―佐倉さんは、もともと霊長類学の研究をされていましたが、そこからどのようにして科学哲学や科学史のような分野へ行かれたのでしょうか。

 大学院では霊長類の生態学を研究していて、博士号はチンパンジーの生態学でとりました。指導教官の河合雅雄先生からは、どうやってデータをとるのかといった指導は全くなかったんです。たまたま廊下で会って「佐倉くんもそろそろサルの気持ちがわかるようになったか?」と聞かれました。「サルの気持ちがわからないうちは一人前の研究者になれない。とにかく見たものを全部書け」と。日本のサル学の研究者は、ノートと鉛筆と双眼鏡があれば研究ができるという風潮があった。とにかく虚心坦懐で見ろ、それがすべて、と。

僕も含めて大学院生たちは、あれではだめだよね、と方法論について自主的に勉強会をやっていました。1970年代に行動記録の方法論に関する画期的な論文がアメリカで出て、それがきっかけで野外での観察方法に関する議論が広がっていました。2種類の方法でやってどれくらいの誤差があるかという実験や、同じ行動でも見るのは回数なのか時間なのかとかいろんな議論があってですね。だけど日本では先生は「とにかく見たものをすべて書け」と。精神論ですよね。

僕は科学少年だったので、科学は普遍的で客観的なものと思っていましたが、彼らの前で崩れ去った。同じ行動の研究をしていながら、アメリカと日本でかくも見方が違うのかと衝撃を受けました。

もうひとつ、日本のサル学ではサルの個体識別をして個体どうしの関係を丁寧に見ていくというのがユニークな方法でした。サルの顔の違いで個体識別をして、これは何と名前をつける。ところが、アメリカの研究者は「それは再現性がないのでは。あなたには個体識別できても、第三者にはできない」と言う。なので、アメリカの研究者はサルに入れ墨をいれたり背番号を付けたりしていました。そうすると誰が見てもわかるわけです。

一方ヨーロッパの研究者たちも、日本と同じように動物だって個体識別できますよね、と言っていたんですが、彼らはそれをデータを持って示して、「ほら、ちゃんとできますよ」と言うわけです。二重盲検法でやって、「ほらあってるじゃん」と。日本の人はそういう方法では示さない。単に、「いやいや見えるよね」と言うだけなわけです。自分たちの方法論が科学的に妥当で正当である、という主張を科学的に示すということをあまりしてこなかった。日本の霊長類学でも、事実に基づいて合理的に論を重ねていくということは、ものすごくきちんとやっている。ただ、そのやり方を誰にでもわかるような理屈で表現するとか、証拠をもって説明するという議論の仕方はあまりしてこなかったんです。

こういう風に、科学って同じじゃないんだな、どこでも普遍的で客観的で同じやり方でやるものではないのだな、というところがとても新鮮で面白かった。方法論とか科学自体に対する考え方もそうですし、サルそのものに対する見方も違う。サル学のあり方も国によって違うと。それで、「サルの研究からサルを研究する人の研究に移りました」と言っているんですけれど、科学と文化とか社会との関係という方に興味が移ってきました。

ちょうどそのころ、日本科学史学会の生物学史分科会の夏の学校という合宿研究会があって、そこでサル学者はこんなことをやっていますよ、という話をしたらすごくうけたんです。サル学の方では、僕の話はデータがないのに理屈ばっかりこねくり回していると、けちょんけちょんだったので、これはすごくうれしかった。おお、私のオーディエンスはここにいたのか、と思ったわけですね。その研究会で南山大学の人にゼミに誘われて、週に1回通ってそこで科学史や科学哲学を勉強していました。

―その後、三菱化成生命科学研究所で環境倫理学の研究に取り組まれました。科学史や科学哲学から、社会と科学の関係について関心が?

 最初は科学哲学というか科学史というかその中間くらいですかね。ダーウィンの進化論に対する考え方が国によってどう違うのかとかいうことを研究していたんですけれど、進化論には優生学とか人種差別の話につながるという暗黒歴史があって、そのあたりも調べているうちに社会と科学の関係という話になって。三菱化成の研究室が社会と科学の関係を研究していたので、もっとそっちにシフトしなさいということになりました。

科学の理論とか知識って、いかようにも使えますよね。進化論なんか典型的なんですけれど、「競争が進化の原動力だから大事だ」とか、「いや、全体の調和と多様性こそが必要なのだ」とか、思想的な結論が先にありきで、自分に都合のいいところを引っ張ってくるわけです。もともとダーウィンがヒトの進化に対して発言するようになったのは、奴隷制に反対だったからです。「人はすべて一種なので優劣はない」ということを言いたいために、人に対して進化論を適用した。でも、奴隷制を擁護する人はそのダーウィンの考えをあてはめて「強い者は勝つから奴隷制は正当だ」と言うわけじゃないですか。元は同じ科学理論であっても、扱い方によってはいかようにも言えるわけですよね。

そうすると、科学的な成果や知見を人間社会のあり方に適用するのは非常に注意を要するものなのだと思うようになってくるわけです。結論先にありきはそう簡単には変えられないものなのかなと。科学の成果から結論が出てくるのではなくて、どういう社会がいいとか、どういう人間のあり方がいいのかというところを先にちゃんと議論して、それを補強する材料として科学を使う、というのはあると思うんですよね。そういうふうに人間社会のあり方、理想みたいなものと科学の成果のあり方はどういう関係にあるのがいいのかということに興味を持つようになってきました。そうすると次に、これって、もともと結論と科学的知見とがずれているんだから、科学と社会ってそもそも一致しないんだなということになってくるわけです。たとえば、平等な社会がいいということでそれを支持する科学的な知見がたくさん出てくるわけですが、一方で、その価値観に合わないような科学的な知見もたくさん出てくるわけです。同種の中で強い個体が結局は残るんだ、みたいなどっちが妥当か、適切かというのは、科学の側からだけでは決められない。そういうときにどう折り合いをつけていくのかとか、そういう風に興味が発展してきたというか、ずれてきたわけです。

―社会と科学について考えてこられた佐倉さんにとって、科学コミュニケーションとはどういうものですか?

 科学コミュニケーションというのは新しい価値をつくるものだと僕は思っています。

脳科学もないし遺伝学もない時代には、人間の思考の働きや生命の特徴について、哲学者が考えていたわけですよね。カントにしろデカルトにしろすごく自然科学的な思索を展開していたわけです。もともと哲学から科学が生まれてきたわけですから。実験や観察の手法が進んで、科学の方法論が確立してきて、だんだんと、自然科学のやりかたで人間とは何かとか自然とは何かということがわかってきた。デカルトやカントが今の時代に生まれていたら、脳科学者や生命科学者になっていたんじゃないかと思いますよ。

科学が明らかにしてきた人間や社会、自然のありかたと、科学がない時代のあり方は重なる部分もありますがずれもありますよね。そこをどう折り合いをつけるのかというのは、科学だけの問題でもないし、人文学・社会科学だけの問題でもない。両方が、あるいはさらに宗教や芸術も含めて、それぞれのいいところをうまく合わせたような価値の創出が必要だと思うんです。それをつくるのが科学コミュニケーションだと思っています。

―佐倉さんは東日本大震災後に、原子力と地域住民のリスクコミュニケーションについても研究活動をされていますね。

 原子力発電所の事故からは非常に大きな衝撃を受けました。事故が起こるまでは、原発には積極的に賛成でもなかったし、積極的に反対でもなかった。

事故前は日本の科学技術社会論の研究者の間では、エネルギーや原発の問題はほとんどテーマになってこなかった。一言で言えば、見て見ぬふりをしてきたわけですよね。その理由は、ひとつはまあしょうがないよね、というのがあります。もうひとつは、賛成・反対両方の意見が必要だということで中庸の立場で活動をしていると、賛成派からも反対派からもたたかれるわけです。まともな議論、建設的な議論ができる言論空間がなかった。賛成か反対かという結論ありきで、どちらかに属してどちらかからのポジショントークしかできない状況だったわけですね。お互いの議論をぶつける場がなかった。

そういう状況だったからぼくも関わっていなかったんだけれど、事故が起こってわかったのは、一言で言うと何も備えがなかったわけじゃないですか、原発事故に対して。日本全国、上から下まで。事故が起こって放射性物質が漏れたら、どう避難させてどう専門家が対応して、専門家というのは放射線防護も医者も原子力工学も、補償などの経済もですけれど、どういう分野のどういう人たちが対応するか、誰も何も備えがなかった。そうなった責任の一端は科学技術社会論にもあるわけですよね。科学技術社会論は、科学技術と社会の関係を改善する学問であるわけですから。その自責の念が強いです。自分にも、もう少し何か事前にできていたのではないか、と。それで、これは何とかしないと、と思ったのがきっかけです。

調べてみると、福島ではあの事故があったから問題が顕在化しましたけれど、ほかのどこでも同じ問題は潜在しているわけじゃないですか。たぶん、また地震は起こるだろうし、何らかの事故は起こるわけですよね。そうなったときに同じ混乱が繰り返されないように、福島での経験を活用するための作業はしなければならないな、と思っています。

―それまでは科学と社会と言っても主に科学よりでやってこられて、原発事故のあとは、技術の社会的な重要問題に変わられたのでしょうか。

 何も備えがなかったというのは、さっき言ったように、賛成派と反対派が固定してしまって、どっちも自分たちの都合だけで考えていたんですよね。事故が起きたときに一番被害がある、立地地域の地元の方々の意見や視点は、どちらの陣営も十分に吸い上げてこなかった。これは科学というよりも原発という技術の問題ではあるのですが、いずれにせよ、賛成派であれ反対派であれ、専門家が専門家以外の考えや意見をどう自分たちの活動の中に取り入れていくか、あるいは活動していない当事者と一緒に作っていくという仕組みが十分ではなかったと思うんです。

それはダーウィンの進化論が人種差別に使われてしまうという場合と同じで、専門家の集団──この場合は優生学者とか社会ダーウィニストたち──が自分たちのやりたいことのために、専門家以外の当事者の意見を反映させないという構造は同じなんじゃないかと思います。そこでは科学なのか技術なのかは、大きな違いではないと思います。専門家と、そうでないところの関係がどうなっているかという構造の問題ですね。

―佐倉さんは「生活知」と「科学知」について考察されていますが、「生活知」とはどのようなものでしょうか?

 専門的な知識や科学知識を日々の生活場面で有効に使うために生活者側の感覚とどのように折り合いをつけるのかと考えていた10年くらい前に、「リビングサイエンス」をいうプロジェクトをやりました。ですが、生活の場面での科学のあり方がどういうものなのかと、具体例はたくさん出てきたんですが、ぼく自身はもうひとつうまくメタレベルの枠組みを考えられなかったんですね。震災で大きな課題が出てきたので、もう一度考え直しているというところですね。

生活知というのは、科学的なメカニズムはわかっていないけれど、経験的なノウハウの積み重ねがあって、生活の場面場面に埋め込まれているわけですね。たとえば、ぬか漬けの漬け方はおばあさんはとてもよく知っていて身体に染みこんでいるけれど、科学的になぜそうなるかは解明されていないとか。

福島での話は、科学コミュニケーションの問題になりますけれど、放射線の健康リスクが問題になったときに日常生活のさまざまな場面で実際にどれくらいのリスクがあるのか、誰も答えられなかったわけですよね。100mSvというのがひとつの基準としてあって専門家の中では共有されていたんだけれど、その数字は日常生活の文脈ではほとんど意味のないものだったわけです。地域の住民が知りたかったのは「この井戸水は飲めるか」とか「洗濯物は干しても大丈夫か」とか「家の中にいたほうがいいのか」とか、もうちょっと正確に言うと、それらの行為によって自分たちの健康リスクがどれくらい影響を受けるかということだったのに、それらの問題に対して専門家は何もこたえる術、というかデータがなかったわけです。けれども、専門家は自分たちの持っている科学的な枠組みや規範で日常生活も語れると信じていたので、100mSv以下は安全ですみたいなことを言ってしまい、ぐちゃぐちゃになったわけですよね。「自分たちが知りたいのはそんなことじゃない」と。

福島県立医科大学では、原発で働いている人が事故で被曝したときの対応については東京電力ときちんと契約して備えはしていたけれど、広範囲の一般住民が低線量で被曝したときの健康管理をすることは想定されていなかった。そういう状況が生じたときに、どこの誰がどう面倒見るのかということが決められていなかったわけです。そんな事態が起こるという発想がなかった。それが備えがなかったということだと思うんですけれど。

多くの専門家は、日常生活の中で長期間にわたって低線量被曝する人のデータが科学知として必要と、当時は思わなかったわけです。短時間の大量被曝のデータで十分と思っていたわけですよね。ところが実際の場面に直面したときに、心理的な影響や社会的な影響も含めて、それでは十分でないということになった。専門家としてここをやっておけば大丈夫というのがあって、それを超える事態が起こったときに、専門家にもわからないことなので一緒に調べていきましょう、というふうになるべきだったのが、事故直後すぐにはそうはならなかった。生活知として使うに足りるような科学知がなかったということですよね。その後、生活者からの働きかけがあって、それに呼応する専門家も少しずつ出てきて、状況もずいぶん変わってきていますけれども、初動がまずかったので専門家と行政への信頼感が損なわれてしまったのは今でも尾を引いていると思います。

低線量被曝している地域で、どうやって放射線とつきあっていくかという問題について、僕がいいなと思ったのが《福島のエートス》という活動なんですが、自分たちで放射線量を測るんです。もともとは、この福島でお米を作りたいというところから始まって、汚染されているから放射線量を測るしかないと。測ったデータから、お米を作っていいのか暮らしていいのかということを考えて判断するには、専門家を交えて検討していかないといけない。それで専門家を呼んで、自分たちの生活の中における低線量の意味づけを、その専門家も含めてみんなでやっていくわけです。それまで日常生活で低線量被曝したときにどうするかという生活知がなかったのを、地元の人たちがつくる。そこに生活者の側の立場を理解している専門家がかかわるということですね。これは、日常生活のそれぞれの場面の中でデータをどう読み解くかということなので、単純に科学知が生活に役立つ形に変換された、翻訳されたということだけではないと思うんですよ。やっぱり、新たな意味を、生活者が専門家と一緒になってつくりあげたものなんだと思います。

こういう風にうまくいかないで、科学知、専門知が生活者に対して抑圧的に働くことがえてしてあるわけですよね。そうすると生活者の中には専門家や行政に対する不信が生じます。今回の福島事故でも多くの地域でそれが見られます。ひとたび不信が構造的に埋め込まれてしまうと、それが長きにわたって社会の底の方に沈殿していて、何十年か経った後でも何かがきっかけになって噴出する、ということがあります。チェルノブイリの事故がきっかけになって、イギリスのカンブリア地方ではそれより30年も前の原発事故をきっかけとする電力会社不信、専門家不信が再び顕在化しました。生活知と科学知がうまく対話できないことによって、専門家不信が社会の基盤の中に埋め込まれてしまうと、その上でいくらコミュニケーションをしようとしてもうまくいかない。それも、今の福島が明らかにしている状況だと思います。

ぼくは基本的に、専門知は科学であれ医療であれ技術であれ、有効につかったほうが社会にとってプラスが大きいと考えています。でも、低線量被曝でもワクチンでも、専門的な知識が社会でうまく機能しないことがしばしばある。どうしてかなと考えていくと、生活者の側の考え方とか規範とか価値観とかより科学的な「正しさ」の方を優先しているからではないかと思うんですね。専門知を有効に使うためにこそ、専門家でない人の考えや意見、生活知との兼ね合いをもっと真剣に考えないとだめなんじゃないか、と。

比喩的に言うと、天動説と地動説ですね。科学的には地動説が正しいんだけれど、日常生活ではぼくたちは天動説で考えているし、それを拠り所にして行動していますよね。朝日は東からのぼって、夕日が西に沈むと。日常生活場面では天動説のほうが感覚にあっているわけです。だから、天動説が間違っていると言うのは不正確な言い方で、日常生活という場面では天動説の方が合理的だし有意義ですぐれた知識体系なわけです。でも、宇宙飛行士の毛利衛さんの話を聞くときは、無意識に地動説の体系に切り替えて聞いている。それぞれの場面に応じて、いちばん適切な知識体系を使うことが必要なわけですね。こういった使い分けができることが、科学リテラシーだと思うんです。

でも、この、「知識の使い分け」っていう話と、さっきの「日常生活の各場面にふさわしい意味をもたせる」っていうのは、ちょっと違いますね。科学知と生活知の関係は、いろいろごちゃごちゃしている(笑)。まだ他にも、別のようなものもあるかもしれません。これから整理と体系化が必要だと思います。

(2015年1月6日にインタビュー実施)

(完)

佐倉 統 氏
(さくら おさむ)
佐倉 統 氏
(さくら おさむ)

佐倉 統(さくら おさむ) 氏 プロフィール
1960年東京生まれ。京都大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。三菱化成生命科学研究所、横浜国立大学経営学部、フライブルク大学情報社会研究所を経て、現在、東京大学大学院情報学環教授。 専攻は進化生物学だが、最近は科学技術と社会の関係についての研究考察がおもな領域。長い長い人類進化の観点から人間の科学技術を定位するのが根本の興味である。

ページトップへ