インタビュー

第4回「下水を飲む夢」(浅野 孝 氏 / カリフォルニア大学 名誉教授)

2013.08.06

浅野 孝 氏 / カリフォルニア大学 名誉教授

「世界中から頼りにされる水再生利用学博士」

浅野 孝 氏
浅野 孝 氏

世界の各地で水事情がひっ迫している。異常気象や人口急増、森林破壊、産業の進展などによって、水不足や洪水、環境汚染が起きている。水問題の解決に優れた成果を挙げ、2001年に“水のノーベル賞”と呼ばれる「ストックホルム水賞」を受賞した浅野孝・カリフォルニア大学名誉教授が、JST戦略的創造研究推進事業「CREST」の領域アドバイザーとして来日した。再生水利用の技術アドバイザーとして米国をはじめ国際機関や欧州、中東、アジアなどで活躍している。食糧や燃料は不足しても替りのものがある。だが生命にとって必須の水には代替物というものがない。「いつ起きるかもしれない渇水の恐怖に、日本もしっかり備える必要がある」と警告した。

―都市で発生した下水を高度処理して再利用するのは、まさに「近い水」の活用ですが、先進地カリフォルニア州の実践例を教えてください。

 カリフォルニア州では州知事の委員会が作成した2030年までの長期的な水再利用計画があります。農業、修景、工業用、環境用水、地下水の人工涵養、飲料水への再利用です。南カリフォルニアで行われている地下水の人工涵養では、ロサンゼルス郡の三次処理水を土壌を通して地下浸透させたものを水源として使っています。また、オレンジ郡水道局では、下水道局からの三次処理水を高度処理し、沿岸域の地下水への海水侵入防止の水圧調整と、内陸部の地下水涵養に使っています。

 高度処理のプロセスは、MF膜(精密濾過膜)カートリッジ・フィルターを経て、RO膜(逆浸透膜)を通し、さらに有害微量物質を破壊するために、過酸化酸素と紫外線で高度酸化を行っています。処理水中の微量の発がん性物質であるNDMA(N-ニトロソジメチルアミン)などの化合物の完全除去が目的です。

 また、紫外線と塩素消毒で、腸系ウィルスも完全除去されます。この処理水は、沿岸部の海水侵入防止のため50%の水量を地下水脈にポンプで直接圧入、残りの50%は浸透池を通して地下水にしています。従って、オレンジ郡の住民240万人はこの地下水を飲んでいるわけです。

―CRESTでは、再生水利用をどこまで進めるつもりですか。

 アメリカの水不足地域では、下水処理場の整備が完了した1970年代後半から処理水の再利用が急速に進みました。農業用水、ゴルフ場や市街地などの灌漑用水が主でした。

 しかしポンプ場の建設や二重配管システム(処理水を区別する紫色のプラスティック・パイプを使う)は建設費がかかるため、コストの賄えるところはほとんど完了しました。従って、次の水再利用のステップとして、工業用水、地下水人工涵養が残されています。

 CREST水プロジェクトを見ても水再利用の目的が必ずしも明確でなく、議論が十分出尽くしていないように感じます。研究対象として膜処理やその他の高度処理が主流ですから、出来上がった処理水は農業用水や灌漑用水として使うには水質が良すぎるのです。これでは微量物質の特性評価や、毒性物質のリスク評価が生きてきません。CRESTの高度な研究成果を生かすには、究極のゴールである都市の中の「水がめ」を飲料水として使った場合にどうなるのか、というギリギリの研究が必要になると私は思うのです。

―しかし「下水を飲む」なんて、私もそこまでの勇気は持ち合わせていません。誰でも最初は抵抗を感じるでしょう。でも考えてみれば、関西の淀川では、上流で下水処理場の排水を流し、すぐ下流で上水道用の取水をしているといいますから、「下水を飲む」のと同じことが行われているのですね。

 もちろん、再生水の利用はNecessity and Opportunities(必要性と機会)の必然性のなかで議論されなければなりません。「必要性に対応した確かな技術」が必要なのです。20年後には水の価値が今よりずっと高まってきます。上下水道の一体管理などで、「近い水」を時代に合った水行政に取り組む必要があります。

 淀川の例のように、下流で取水する水道局は、下水放流水の入った水から上水をつくらなければなりません。「計画」した上水への再利用か、「無計画」による上水への再利用かによって、法的な対応、または健康・保健のリスクが変わってきます。水利用の必要性とリスクについて、市民の皆さんと大いに議論を尽くすことが大切です。水資源の信頼性、渇水の危険性、飲料水の安全性などを市民に知ってもらった上での合意形成が必要です。

 「年をとった私は飲んでもかまわないけれど、子供を産まなければならないうちの娘には飲ませたくない」。これが多くの市民の反応だと思います。将来の水の価値と科学技術のリスクの評価が交差するパブリック・アクセプタンス(国民の支持・受容)の難しい場面です。

―科学コミュニケーションの本質にもかかわる重要な課題ですね。

 この種のプロジェクトは、経済性や安全性だけでなく、心理学的なことや美学(審美眼)面にまで立ち戻って考えないといけません。考えられる様々な要素を公表して、じっくり時間をかけて住民と議論をするのが正しいやり方です。「必要性に対応した確かな技術」が前提になりますが。

―新浅野先生はカリフォルニアで、様々な水論議にかかわってこられました。その経験で大切なこととはどんなことでしょうか。

 水問題は、誰でもいろいろな角度から議論に加わることができます。それぞれに切り口が異なり、思い入れや価値観が違うので難しいテーマです。水資源管理とはもともとそうした地域性が強いものなのです。

 これまでの日本の大型プロジェクトのように、政治と自治体が主導し、推進側に有利な論点にしぼって、それ以外の課題は切り捨ててしまうような、形だけの住民対話をしていたのではダメです。これは民主主義の質の問題ですから。

 アメリカには「ウィスキーは仲良く飲むもの、水は喧嘩するもの」とのことわざがあります。水をめぐる調整は、どこの国でも大変な苦労をしているのです。

(科学ジャーナリスト 浅羽 雅晴)

(続く)

浅野 孝 氏
(あさの たかし)
浅野 孝 氏
(あさの たかし)

北海道札幌市生まれ。道立札幌南高等学校卒。1963年北海道大学農学部農芸化学科卒。65年カリフォルニア大学バークレイ校工学部土木・環境工学科工学修士、70年ミシガン大学土木環境工学科で工学博士。81年カリフォルニア大学デービス校教授。78年から99年までカリフォルニア州水資源管理局で特別研究職の水質高度利用専門官を兼務。水循環、再生水利用のパイオニアとして、アメリカをはじめ国際機関や欧州、中東、アジアなどで水の技術アドバイスや講演を続けている。2009年からCREST水領域のアドバイザーを務める。1999年米国水環境連盟よりMcKeeメダル、2001年ストックホルム水賞。北海道大学名誉博士(2004年)、スペイン国カディス大学名誉博士(2008年)、瑞宝重光章(2009年)などを受けた。

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