コラム - インタビュー -

第4回「ヘルスケア産業は米国の植民地状態」

東京女子医科大学 教授、同病院 副院長 田邉一成 氏

掲載日:2013年3月28日

「大きく変わる医療の姿」

国民皆保険や国民一人当たりの医療費の安さなど日本の医療の実態には優れた面が少なくない。一方、基礎研究成果を医薬品や医療機器といった実用につなげることに関しては欧米の主要国に明らかに見劣りする。IT(情報技術)やロボット技術の急速な進歩で医療の形が急速に変化すると予測する東京女子医科大学 教授、同病院 副院長 田邉一成 氏に、医療の近未来像と対応を迫られている課題について聞いた。

- 日本は医薬品の輸入量が多く、医薬品の貿易収支に占める輸入代金は年間1兆6,000億円にも上ると聞きます。ところが、医薬品・医療機器や最先端の医療技術などを国際競争力の高い産業として育成することを目的とした政府の医療イノベーション推進室長に就任した中村祐輔氏は、わずか1年で辞任し、米シカゴ大学に移ってしまいました。

田邉一成 氏(東京女子医科大学 教授、同病院 副院長)

田邉一成 氏(東京女子医科大学 教授、同病院 副院長)

日本の医療、薬品や医療機器の開発は、米国を中心とした西欧諸国に大きく後れをとっていることは今さら言うまでもないことです。医療機器、医薬品などの輸入のために、年間1兆円を超えるお金が日本から主に米国に流出しているとも言われています。米国は米国立衛生研究所(NIH)や大きな研究機関に毎年膨大な資金を出し続け、薬品や医療機器の開発をほかの国より早く進展させるシステムが出来上がっています。

例えば、慢性骨髄性白血病という病気は、私が医師になったころ患者は百パーセント死亡していました。一緒に仕事をしていた人が入院して半年で亡くなったことを、よく覚えています。フィラデルフィア染色体が出現することが特徴と、早い時点で分かっていました。ヒトゲノムの全塩基配列が分かったことで、慢性骨髄性白血病はフィラデルフィア染色体の一部がちぎれて他の染色体にくっついてしまう遺伝子の後天的異常によって起こることが、突き止められたのです。

異常箇所の構造も分かりましたから、その働きを抑える構造を持つ化合物を合成するという方法が可能になり、その結果つくられたのが「グリベック」という特効薬です。この薬のおかげで、今、慢性骨髄性白血病で亡くなる人はほとんどいなくなりました。グリベックは、おそらく世界中で年間5,000億円から6,000億円の売り上げがあるといわれています。

米政府は、医薬品産業が有力な産業になることを見通して、膨大な予算を投じ、世界に先んじて医療分野のリーダーシップをとれるようにしているように思われます。ヒトゲノムの全塩基配列を基に、創薬をはじめとする医学研究に力を入れています。グリベックに次ぐ新薬がこれからもどんどん出てくるでしょう。B型肝炎、C型肝炎は後5年もすれば、間違いなく特効薬ができるとも言われています。

中村祐輔先生が、医療イノベーション推進室長を辞し渡米されたのは何としても残念なことですが、これは国内での制度的な面での障害がイノベーションの進歩を妨げたことが原因ともいわれています。中村先生の全ゲノム関連解析(GWAS)に関わる研究業績は、最初はなかなか理解してもらえず論文を出しても受理されなかったそうです。この研究は日本ではいろいろな事情により進展できませんでした。確かにお金がかかりますが、100億円200億円のプロジェクトでも、本当に良い薬ができれば年間5,000億円、1兆円の売り上げが期待できます。米国はシカゴ大学をはじめ、あちこちでそうした研究開発を行っているのです。膨大なお金を投じ、世界中から人を集めて…。

- お話を伺っているとどうも日本は太刀打ちできそうもない、という気もしますが。

10年以上前にNIHの予算を見て、これだけの予算を米政府が投入するにはそれなりの意味があるのではないかと思っていました。ずっと手作業でやられてきた医療が、いずれ大きな産業になることを見越していたように思われて仕方ありません。現に、米国の大きな病院が、東南アジアやサウジアラビアなどに多くの分院を造っています。これらの病院が中心となって世界中で米国の病院チェーンができるのではないかと思っています。香港やシンガポールにできた病院で「日本ではまだ認可されずに使えない薬だが、香港やシンガポールの病院では使用して治療できる」と言われたら、治療を受けようと香港やシンガポールへ渡航する人も出てくるでしょう。逆に「年収3,000万円、4,000万円出すから来ないか」と誘われて、外国の病院に移った日本の医師もいます。治療を受ける方も、治療を行う方も急速に国際化が進み、ボーダレスな医療環境が当たり前になる時代が、すぐそこまで来ているのです。前にお話しした手術支援ロボット「ダヴィンチ」は、1機約3億円、新しいものだと約4億円します。それに加え、1回手術するごとに消耗品だけで50万円前後の消耗品代を払う必要があります。このダヴィンチを、日本国内だけでも、すでに100台近く購入しているのです。このままでは、ロボット手術の進展に伴いさらなる国内医療機器産業の衰退に拍車がかかるようになってくるでしょう。このようなこともあり、私たちは国産ロボットを作り、何としても国内の医療機器産業の発展、推進に少しでも貢献できればと思い、ロボット開発を急いでいるわけです。幸い日本の電機メーカーの中には医療ロボットへ本格的に参入しようとしている企業があります。経済発展が著しい東南アジアの医療はこれからです。ほとんど手つかずと言ってもよいかもしれません。そこへ進出するのに日本の強みを生かした医療機器の輸出は、かなりの希望があるように思います。それも、安くて、IT化され、日本の得意ないろいろな技術が集積された医療機器は、有望な製品となることは間違いないでしょう。3億円のロボットは買えないが3,000万円なら買うのではないでしょうか。東南アジアの国々でももちろん医療の安全性の確保は第一番目に重要なことです。医療は安全性を求めてこれまで以上にIT化されていくでしょう。安全は病院にとって何より重要ですから、日本企業の進出はそのやり方次第では巨大な新しい産業とマーケットを作り出せるポテンシャルがあると考えます。

(続く)

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田邉一成 氏(東京女子医科大学 教授、同病院 副院長)
田邉一成 氏
(たなべ かずなり)

田邉一成(たなべ かずなり) 氏のプロフィール
福岡県うきは市生まれ。福岡県立浮羽高校卒。1982年九州大学医学部卒、九州大学医学部泌尿器科入局、84年東京女子医科大学腎臓病総合医療センター入局、戸田中央総合病院泌尿器科部長、米国クリーブランド・クリニック泌尿器科 泌尿器腫瘍学研究室リサーチフェローを経て、2004年東京女子医科大学 泌尿器科大学院医学研究科、腎尿路機能置換治療学分野教授。06 年から東京女子医科大学 泌尿器科主任教授、診療部長。08年から東京女子医科大学病院副院長も。腎臓移植、泌尿器科ロボット手術、移植免疫、腎血血管性高血圧、腎血管外科、泌尿器腹腔鏡手術、腎がん、慢性腎不全、一般泌尿器科など基礎から応用まで専門分野は広い。医学博士。

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