インタビュー

第4回「体が持つ化学的防御機能」(松原純子 氏 / 元原子力安全委員会 委員長代理、放射線影響協会 研究参与)

2011.04.13

松原純子 氏 / 元原子力安全委員会 委員長代理、放射線影響協会 研究参与

「放射線対策は総合的判断で」

松原純子 氏
松原純子 氏

東北地方太平洋沖地震では、「想定外」という言葉が当事者や専門家からよく聞かれる。しかし、当事者、専門家たちが、責任を回避するようなことを言っていてはどうしようもない。福島第一原子力発電所の危機的状態がなかなか終息に向かわないことへの不安とともに、環境中に放出された放射性物質による野菜や飲用水の安全性に多くの国民の関心が高まっている。当事者、専門家の明快な発信がますます求められている時ではないだろうか。2002年4月に原子力安全委員会委員長代理(当時)として「原子力災害時における安定ヨウ素予防服用の考え方」をまとめるなど、放射線影響とリスク管理の研究と正しい理解の普及に努めてきた松原純子 氏に、一般国民の疑問に対する答え、政府や原子力安全委員会などに対する提言を聞いた。

―放射線による影響、特に低放射線による影響の研究自体が非常に難しい中で、先生がこれまで行われた研究とは、どういうものだったのでしょう。

私は大学院時代に、今福島で問題になっている放射性ヨウ素やセシウムなどの食物連鎖、つまり放射線生態学を研究し、その後海外留学で微生物と生化学を学び研究し、帰国後大学では疫学を教えていました。1970年代から環境問題が取り上げられ、学会では化学分析値ばかりが発表されていました。有害物から私たちの健康を守るには、有害なものは何かを探ると同時に、それがどのような悪さをするかを調べ、さらにこれら有害要因に対し私たちの体がどのように対策をするかを研究しなくてはなりません。ところで現代社会は、人の健康をおびやかす有害要因が一つではありません。食べ物の中の発がん物質のほかに、大気汚染物質、さらには精神的なストレスもあります。

そこでこうした複合要因に対する影響を調べようと私は40代の若い研究者を集めて「多重リスク研究会」というのを立ち上げました。生物、化学だけでなく物理や工学分野の研究者も入った学際的研究グループです。それが1970年代後半のことです。ネズミを複数の危険要因にさらし、その影響を見るので、一度に700から1,000匹ものネズミが必要でした。ネズミの半分くらいが死ぬような量の放射線、4分の1くらい死ぬような量の放射線をあてるほかに、他の有害物質も同時に与えて、影響の違いを比較しました(今は動物保護条例でできないかも)。

イタイイタイ病の原因となったカドミウムという強い毒性を持つ重金属があります。このカドミウムと似た金属に亜鉛があります。亜鉛は微量ですと体の中で大変役に立っている金属ですが、これも大量になると毒性があります。さらに人間に必要不可欠なカルシウムが不足した餌を与えるなど、さまざまな危険要因を組み合わせて動物に負荷し、いくつも実験を行いました。

すると意外な結果が出たのです。放射線をあてた上に、さらに有害なはずの亜鉛を含む水を与えたネズミの方が、同じ量の放射線をあて、しかし亜鉛は与えず水だけ与えたネズミより長生きしたのです。あらかじめ亜鉛水を与え、それを飲み続けていたネズミはかなり高い放射線に当たっても死なずにすんだということです。カドミウムを注射したネズミも死亡率が高まるどころか、予想に反して放射線を当てただけのネズミより、ずっと死亡数が少ないことが分かりました。

これは一体何だろう? この予想外の矛盾の理由を解明しようと研究を続け、結局10年ほどかかってしまいましたが、とうとう近年そのからくりが分かりました。亜鉛やカドミウムやストレス負荷で体内で産生されるメタロチオネインが鍵だとは分かっていましたが、なぜメタロチオネインが放射線傷害を防御するのか、そのメカニズムを当時は説明できなかったのです。そしてそのメカニズムは約10年後の1996年に公刊した論文「肝臓メタロチオネインによる長寿命有機ラジカルの作用(名古屋大学宮崎教授と共著)」によって証明できたのです。これは「ストレス時に生物はどのようにして自身を生化学的に有害物から守るか」という疑問に対する答えにつながります。

一方、「病原菌と闘う生物学的防御すなわち免疫機能と、上述の化学的防御機能の両者は連動して働く」という仮定の下に、放射線を照射されたネズミの脾臓(ひぞう)に形成されるコロニー数を測定し、免疫反応の時間的特異性も見極めることができました。

―その実験結果や仮説などを発表された時の学界の反応はいかがでしたか。

1986年に米ハンフォード原子力研究所主催の「放射線防護の未来展望」というシンポジウムに参加し、口頭発表しました。その時私は勇敢にも、「ジェンナーは100年ほど前に種痘を試みた。私の研究は、微量の毒物の注射で大量の放射線による障害を防ぐ試みだ」と述べたのです。そしたら、2、3人の研究者が興味を示し、あとで私を激励しにやってきました。日本の学会では、有名人にばかり人々の目が行き、ほとんど反応はありませんでした。でも何人かの若い研究者は興味を示してくれました。私の大学では、研究の自由と若い学生たちの援助があったことだけが救いでした。

―今一番、放射線の影響が心配な福島第一原子力発電所の作業員の方々にはあらかじめ、亜鉛製剤や市販のチオール剤やビタミンサプリメントなどを与えたりすることも考えるべきだ、と言われたのは、この研究が基になっているのでしょうか。

そうです。生きものは微生物に対しては免疫機能で防衛しますが、放射線や化学物質など有害物の影響を減らす防御機能が、免疫機能よりも早く働くと考え、私はこれを化学的防御と呼んでいます。この化学的防御システムで中心的役割を果たしているのは、非常時タンパクとも呼ばれるメタロチオネインという物質です。放射線が体に入ってくるとそのエネルギーによって、フリーラジカル(活性酸素)をつくりだします。フリーラジカルは前にもお話したように生命活動に伴って必ず出てくるわけですが、過剰になると悪い影響を与えます。メタロチオネインが有機ラジカルを制御していることが分かったのは、私が原子力安全委員になる直前の出来事でした。有機ラジカルは、瞬時に消える無機のフリーラジカルと違って、半減期が10数時間と長く、生体膜やDNAともくっついて、放射線被ばく後でも、さまざまな影響を及ぼす役割を担っているのではないでしょうか。

免疫のためのワクチンは、本来悪者である微生物を弱くして人に注射し、自身で防御力を高めますが、このメタロチオネインというタンパクも微量の毒物金属投与で自身で体内に産生させ、自身の防御力を強めるところが共通しているではありませんか!

大学での研究では人に言えないほどたくさんの苦労もありましたが、91年には、「マンガン投与による放射線障害」という米国特許を取得しました。市販の亜鉛剤を服用すると、生体の持つ自身の化学防御システムにより体の中にフリーラジカルを調節する抗酸化性の物質ができてくるのです。

今、高濃度の放射性物質の水対策にあたっておられる作業員や圧力容器や燃料プールへの注水作業をしている人たち、さらにはこれから冷却システム復旧作業にかかわる人たちなど、放射線被ばくが心配される現場の人々には、安全のため亜鉛製剤をあらかじめ飲用させることを検討してほしいと私は願っています。

環境への放射性物質の汚染はさらに続き、いまこそ叡(えい)智を結集すべき時です。

放射線は微量でも検出できるので、たとえ汚染水は大量の海水で希釈されるとはいえ、私たちは常にその量や質に応じた判断と対策が必要です。例えば、ヨウ素は気体なので拡散しやすく、周辺住民の中でも乳幼児の甲状腺に対する影響を問題にしましたが、海ではヨウ素を濃縮する昆布類や海産物のモニターが必要です。魚の甲状腺にもヨウ素はたまりますが、身(肉)にはほとんど蓄積しません。問題となる放射線物質の濃度を迅速冷静に公開すること。海産物への汚染は、種類や食べる部分によって異なるので、野菜の規制とは異なる対策を考える必要があると思います。

(完)

松原純子 氏
(まつばら じゅんこ)
松原純子 氏
(まつばら じゅんこ)

松原純子(まつばら じゅんこ) 氏のプロフィール
東京生まれ、お茶の水大学付属高校卒。1963年東京大学大学院博士課程修了後、同大学医学部助手、講師を経て94-99年横浜市立大学教授。1996年原子力安全委員会委員、2000-04年原子力安全委員会委員長代理。現在、財団法人放射線影響協会研究参与。専門は環境医学、リスク評価。長年、放射線に対する生体防御機構の役割について実験的研究を続けるなど、放射線や原子力の安全問題を女性の視野も含めて多角的に検討している。放射線や有害リスク評価に関する知見をリスク科学としてまとめた。主な著書に「女の論理」(サイマル出版社)、「リスク科学入門」(東京図書)、「いのちのネットワーク」(丸善ライブラリ)など。

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