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コラム - インタビュー -

第1回「まともな議論ない日本」

東京大学大学院 新領域創成科学研究科 教授、同メディカルゲノム専攻長 渡邉俊樹 氏

掲載日:2009年2月9日

「基礎研究と臨床医療を隔てる死の谷」

救急治療が必要な患者に医療機関側が適切に対応できないという不幸なニュースが相次いだ。関係者だけが警鐘を鳴らしていた「医療崩壊」という言葉が、普通の人々からも聞かれるようになっている。しかし、問題は患者と医療関係者の接点で起きているこうした目に見える現象だけではない。医療のより根っこのところで深刻な事態が進んでいる、という危機感が内外の医学・医療関係者に強まっている。基礎医学の研究成果を臨床医療に結びつけるトランスレーショナルリサーチ(橋渡し研究)の立ち後れだ。渡邉俊樹・東京大学大学院新領域創成科学研究科メディカルゲノム専攻長に現状と対応策を聞いた。

- 先ごろ主催されたシンポジウム「トランスレーショナル研究の最前線と教育」では、基礎研究と臨床を結ぶ「橋渡し研究」(トランスレーショナルリサーチ)が内外ともにうまくいかず、とりわけ日本は深刻な状態にあることが明らかにされていましたが。

渡邉俊樹氏

渡邉俊樹 氏

われわれのメディカルゲノム専攻というのは、橋渡し研究領域を目指してつくられた組織です。実は国内ではトランスレーショナルリサーチという言葉で語られている内容からして混乱しています。使う人によって意味が異なるのです。文献などで調べた限りでは、実は欧米でも全く同じことが起きていると感じました。しかし、調べた範囲で欧米と日本が決定的に違うことがあります。欧米は、トランスレーショナルリサーチがさまざまな意味に使われていることを認めた上で、どこに問題があるかを理解し、本来目指しているものを実現するための努力をしていることです。どのようなシステムが必要かを語るだけでなく、実行に移して行こうとしています。これに対し、日本では、問題点の所在をきちんと当事者が議論すること自体できていません。

さらに深刻なことは、トランスレーショナルリサーチを担う人間を育てるにあたり、将来のキャリアパスがどうなるか、非常にあいまいにされたままなのです。つまりその人たちが将来、自分がどうなるかというイメージを明確に描けない現実があります。橋渡し研究というのは実用化にかかわることなので、仕事が論文として学術誌に載ることに直ちにはつながりません。努力して実用化を推進する役割を担った人たちをどのような基準でどのように評価してその人たちの将来につなげるか。その議論が全く欠如しています。この分野でこのような貢献すればこのように評価する、というビジョンがないままに、若者を引きつけることができるでしょうか。非常に不安に感じます。

基礎研究の成果を薬や診断に応用していくのは、既存の基礎研究とは基本的に異なる領域です。基礎研究のトレーニングを受けた人材、マーケティング、起業、医学倫理、医療倫理などさまざまな領域の専門性を持った人材を集合し、どのようにして課題に取り組むかが、大きな問題です。もう一つの難しい問題が、次の世代を担う若い人たちをどのように教育するかです。基礎科学、実験科学を理解できるということと、企業を興し、実際に実用化に持っていくというMBA(経営学修士)が勉強するような内容についての素養が必要です。これら2つの問題は、トランスレーショナルリサーチが抱える面の両極端を言っているので、本当はその間にもいろいろ重要な領域があるでしょう。そういったものを視野に入れた教育体制が必要で、そのような人材育成をしていかなければなりません。

- 橋渡し研究の必要性が叫ばれているのは、基礎と実用の間をつなぐしんどいところを大学・研究機関、企業が力を入れていなかったため、と単純に考えていましたが。

企業の活動というより、私たちの身近なところに根本的問題があるのです。臨床の現場で必要とされているものと、研究活動との間のギャップがとてつもなく大きい。研究していることがニーズと限りなく遠くなってしまっているのではないだろうか。そうした心配をせざるを得ない現実があるのです。欧米でも深刻な問題になっていると言われていますが、日本はさらにひどい状態にあるという気がします。

(続く)
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渡邉俊樹
渡邉俊樹 氏

渡邉俊樹 氏のプロフィール
1979年東京大学医学部医学科卒、81年東京大学医学部第4内科医員、82年癌研究所研究生、85年東京大学医学部第4内科助手、87年米スクリプス研究所客員研究員、88年癌研究所流動研究員、90年東京大学医科学研究所助教授、2004年から現職。成人T細胞性白血病(ATL)と原因ウイルスHTLV-1の研究を続け、NF-κBという転写因子の新しい阻害剤がATLの新しい治療と発病予防につながる可能性を示した。「サルのT細胞白血病ウイルス(STLV)の研究」で比較腫瘍学常陸宮賞受賞(2008年)。

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