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原発事故後も変わらない日本社会(黒川 清 氏 / 元「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)委員長」)

2016.03.11

黒川 清 氏 / 元「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)委員長」

日本記者クラブ主催記者会見(2016年3月4日)から

黒川 清 氏
黒川 清 氏

 福島原発事故の後、5年間たって、皆さんは日本が変わったと思うだろうか。東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)の中心的なメッセージの一つは、グループシンク(集団浅慮)だった。均質な人々が同じ組織にずっといるという日本社会特有の構造が、個人的にはいろいろ考えはあっても組織の中で異論が言えない状況をつくってしまっている。誰が決め、誰が責任者かをはっきりさせないのが、江戸時代から続く日本のやりかただ。こうした日本社会特有の構造が,福島原発事故の背景にあり、そうした構造は5年たっても変わっていない。

 福島原発事故前から、国際原子力機関(IAEA)は、原子力安全について5層の防護策が必要だとしていた。しかし、日本は(過酷事故の影響緩和を含む過酷なプラント状態の制御を指摘した)4層目と、過酷事故が起きたとき人々をどう避難させるかという5層目の対策を採っていなかった。過酷事故は起こらないと考えていたからだ。

 IAEAの人に話を聞いた時も、スウェーデンに本社を持つ多国籍電力企業「バッテンホール」の人に聞いたときも「過酷事故対策をどうしてやらないのか。変な国だと思っていた」と言っていた。2001年の米同時多発テロ事件「9.11」が起きた後、米国は2度、原発もテロの対象になり得るとして、日本に安全確保の強化策を提言している。しかし、何もやらなかった。変な国だと思われても仕方がない。

 「アカウンタビリティ(accountability)」の訳語は、「説明責任」とされている。これは完全な誤訳だ。「自分に与えられた責任を果たす」というのが正しい訳だ。説明だけでは、責任を果たしたことにならない。しかし、現実の日本社会では、不祥事を起こすとテレビカメラに向かって頭を下げて、実際の責任をうやむやにしてしまうようなことが当たり前のようになっている。米国の科学アカデミーで講演した時、「アカウンタビリティ」は、日本では「リスポンシビリティ・トゥ・エクスプレイン(説明する責任)」という言葉になっている、これは「典型的なロスト・イン・トランスレイション(誤訳)」だと話したら、会場から異様な反応が感じられた。

 国会事故調の報告書を提出した年に、中央自動車道の笹子トンネルで天井板落下事故が起きた。天井板にどうして重いコンクリート板を使うのか、不思議に思った人もいるだろう。事故が起きたとき、警察はすぐ証拠保全に動いた。なぜ、福島原発事故の時、警察は(事故原因究明に関しては)動かなかったのか。皆、おかしいと思わないのだろうか。

 事故後にできた原子力規制委員会も(府省から独立した)三条委員会だから、委員の先生方は独立している。しかし、スタッフは各省などからの出向者だから親元を気にしており、独立して行動している人などいない。国会事故調の報告書では、新しい規制組織の一員として職務への責任感を持った人材を集めるために「ノーリターンルール」を例外なく適用することを提言した。しかし、実行されていない。結局、政治家の見識、責任が問われているわけだが、これも裏でいろいろあって機能してない。そもそも電力会社は地域独占企業。独占企業で腐らなかった企業など世の中にあるだろうか。皆分かっているのに今まで変わることなくやってきている。

会見の様子

 原子力規制委員会は、外国から専門家をどんどん呼んできて、議論をどんどん公開した方がよい。新しい規制委員会になったのを機に世界とネットワークを作り、一緒にやればよい。「呼んでくれれば一緒にやり、協力する」とフランスや米国の専門家たちは言っている。オペレーター(原発運転員)やレギュレーター(規制官)の共通の理解,認識も深まる、と英国やスイスの専門家たちも思っている。規制委員会が孤立するようではまずい、と海外の専門家たちは気にしている。将来の人材育成という面からも、海外協力はぜひやってほしい。

 国会事故調のヒヤリングに対し、清水正孝(しみず まさたか)東京電力社長(当時)が、「福島原発に免震棟があって本当によかった。もし無かったなら大変なことになっていた」と語った。田中俊一(たなか しゅんいち)原子力規制委員長は「規制基準に合っているかどうかを判断しているだけで、安全だとは言っていない」と言っている。しかし、九州電力は川内原発の再稼働に向けた安全審査が通ると、免震重要棟の建設はやめると言いだした。おかしいなと思っている人たちは多いはずなのに、誰も言わないから、何も動かない。それぞれがものを言うことで民意となり、社会に影響を与えることができる。それが大事ではないか。

(小岩井忠道)

黒川 清 氏
黒川清氏(くろかわ きよし)

黒川清(くろかわ きよし)氏プロフィール
成蹊高校卒、1962年東京大学医学部卒、69年東京大学医学部助手から米ペンシルベニア大学医学部助手、73年米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)医学部内科助教授、74年南カリフォルニア大学准教授、77年UCLA医学部内科准教授、79年同教授、83年東京大学医学部助教授、89年同教授、96年東海大学医学部長、総合医学研究所長、97年東京大学名誉教授、2002年東海大学総合医学研究所長。03~06年日本学術会議会長、総合科学技術会議員。06年10月?08年10月内閣特別顧問。06年11月から政策研究大学院大学 教授。11年12月東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)委員長に就任、12年7月報告書を提出。11年から政策研究大学院大学アカデミックフェロー。

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