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ノーベル化学賞を受賞して語る有機合成の面白さ(鈴木 章 氏 / 北海道大学 名誉教授)

2014.10.28

鈴木 章 氏 / 北海道大学 名誉教授

化学の日@開成学園 講演会(2014年10月23日)から

人生を変えた2冊の本

北海道大学 名誉教授 鈴木 章 氏
鈴木 章 氏

 私が化学の道に入った動機から話します。ここに古ぼけた本が2冊あります。この2冊の本に導かれて、化学を研究するようになったと考えています。1冊目は米ハーバード大学の教授だったフィーザー先生夫妻が書いた有機化学の教科書です。戦後3、4年たって北海道大学(北大)に入学したころで、まだ日本全体が貧しい時代でした。当時の大学生が1冊5000円〜6000円もするような高価な本を買うことはできなかった。著者のフィーザー先生がそういう事情を知っておられて、東京の丸善に手紙を書いて「廉価本を作って、日本や韓国、台湾、インドなどの若者が読めるような機会を与えてはどうか」と提案されたわけです。内容は全く同じですが、アメリカの本に比べて紙質が悪くて、ちょっと分厚い丸善の廉価本を読んで、「化学は面白いな」と思いました。

 私は旧制の中学校に入ったころ、理科より数学が好きで「大学に入ったら、数学を勉強したい」と思っていたのですが、この本で有機化学へと志望を変えました。戦中に少年時代を送った私は、英語力が今の生徒より劣っていたわけです。辞書を引きながら1ページずつ苦労して読み、この本に熱中しました。最後のページに読んだ回数を記録しました。33回は読みました。だんだん読んでいくと、斜め読みできます。この本のおかげで「化学は面白い。中でも有機合成化学に非常に面白い」と感じて、北大で化学、それも有機化学の教室に入って、現在に至ったわけです。私の将来を決定した重要な本です。

 もう1冊は表紙が赤と黒の変な本です。北大の大学院を終わって理学部化学科の助手になっていたとき、札幌の丸善に行って、化学の本棚にこの変な本を見つけ出しました。化学の本の中で目立っていました。米パデュー大学の教授だったハーバート・ブラウン教授の著書で、有機のホウ素化合物を作ることについて書いた本です。有機ホウ素化合物を作るのは容易じゃなかった。ブラウン先生がその方法を見つけて書いた。この本を読んだことが動機になって、ブラウン先生のところに留学しました。1963年から65年でした。63年11月には、当時のアメリカ大統領のケネディさんが暗殺された。翌64年、東京でオリンピックがありました。アメリカで東京オリンピックを見ていました。そんな時代でした。

クロスカップリングに挑戦

 ブラウン先生は私にとって非常に重要なアメリカの恩師であります。有機物を作ることに興味があった。われわれの周りにある物質は有機物と無機物に分類できます。有用な化合物には、炭素と炭素が結合した有機化合物が圧倒的に多い。こういう化合物を作るには、炭素同士を結合させるクロスカップリング反応が必要です。普通は溶媒を使います。溶媒の中に少量でも水があると、有機金属化合物と反応して、クロスカップリングが起きない。溶媒の中から水を完全に除去するのはかなり難しい。有機金属化合物が安定な物であればよい。そのひとつが有機ホウ素化合物です。ところが、有機ホウ素化合物は安定で、非常に活性がない。カップリング反応は起きないのです。このことは、私たちが研究する前からわかっていました。私は、何とか工夫して「有機ホウ素化合物と有機ハロゲン化合物の反応が起きるような方法がないか」と考えていました。それでブラウン先生のところに留学しました。

 65年に帰ってきて、札幌に戻って、このC-C結合のクロスカップリング反応を作りたいということで研究を進めました。学問ですから、がむしゃらではなく、化学結合に関するライナス・ポーリング(米国、ノーベル化学賞と平和賞の受賞者)の式なども参考に予測しながら実験しました。アメリカのリチャード・ヘックさん、根岸英一さんと3人が2010年のノーベル化学賞を受賞しました。パラジウム触媒を用いたクロスカップリング反応ということで、ノーベル賞をもらったのですが、仕事はそれぞれ違います。根岸さんはよく知っています。私の1年ぐらい後にブラウン先生のところに留学していました。

 私は有機ホウ素化合物を使ったカップリング反応を研究しました。当時は、この反応は起きないということで、誰も世界でやっていなかった。札幌でいろいろ苦労した結果、触媒のパラジウムにアルカリの塩基を加えれば、反応が起きることを見つけたわけです。1979年に見つけました。たまたまブラウン先生が有機ホウ素化学の業績でノーベル賞をもらったのと同じ年です。

 この反応について、恩師のブラウン先生が鈴木カップリングと名前を付けた。それが一番うれしかった。私は「恥ずかしがり屋の日本人の化学者だから、そんな名前を付けるのは反対だ」と言ったんですが、ブラウン先生は「そんなことはない。君が付けた名前は長すぎる。誰もよくわからない。鈴木カップリングのほうがよい」と主張され、それが通りました。鈴木カップリングという名前を付けてくださったブラウン先生に、今は非常に感謝しています。鈴木カップリングには、有機ホウ素化合物と有機ハロゲン化合物の組み合わせでいろんな反応があります。炭素結合が単結合と二重結合を交互に持つ共役二重結合づくりや、二つのベンゼン環を結びつけるなどの研究をしました。

医薬や農薬、液晶材料に貢献

 ベンゼン環をくっつけてビフェニルを作る反応はウールマン反応といって、20世紀初めにドイツのウールマン先生が見つけた反応があります。粉末の銅を加えて200℃以上にしますと、この芳香族のハロゲン化合物が結合してビフェニル化合物になる。ビフェニル化合物を作る唯一の合成法でした。これは有機化学の教科書には必ず出ていて、企業も使っていました。しかし、ウールマン反応で3つの異性体ができてしまう。われわれの反応で初めて、高い収率で選択的に各種の違うビフェニルを作ることが可能になった。しかも、この化合物は医薬や農薬、液晶などわれわれの身近ないろんな物になります。

 アメリカの製薬会社のメルクが1994年に、血圧降下剤のロサルタンの合成に鈴木カップリングを使っていることを論文で報告しています。私がノーベル賞をもらう1年か2年前に、ホームドクターが「血圧が高いから、下げる薬を飲んだらどうですか」と処方せんを書いてくれた。私は友人の薬屋で薬を出してもらったら、「これは鈴木先生のカップリングで作られています」と教えてもらった。それで「われわれが見つけた反応で作っている薬もあるんだなあ」と知ったわけです。

 ノバルティスの降圧剤のバルサルタン(ディオバン)もそうです。これは5段階の反応で中間体を合成していました。しかし、5段階の反応を介していますから、収率は下がってきます。例えば、5段階の各反応の収率を高めの80%にしても、0.8の5乗で、最終の収率は30%にしかならない。この問題を解決するために、現在は「鈴木ルート」とノバルティスが呼んでいる反応経路を使って、鈴木カップリングの1段階で合成しています。このバルサルタンは「日本でも350万人、世界的にも2200万人の人が飲んでいる」とノバルティスは説明していました。

 慢性骨髄性白血病治療薬の抗がん剤、グリベックやタシグナの合成にも使われています。また、抗HIV薬、抗生物質のバンコマイシン、経口抗炎症剤の合成にも使われています。農薬も鈴木カップリングで大量に合成されています。携帯電話やテレビに広く使われている液晶の材料も鈴木カップリングで作られています。発光ダイオード(LED)の材料も最近、有機のLEDが作られるようになりました。これらにも鈴木カップリングが使われています。

ノーベル賞受賞の思い出

 そんなことがありまして、2010年に私がノーベル賞を受賞しました。受賞は毛頭、考えていませんでした。10月6日の夕方6時ごろ、ノーベル財団から自宅に直接、電話があり、受賞を知らされました。受賞者には2つの大きな務めがあります。ひとつは、受賞講演をすることです。私は、「有機ホウ素化合物のクロスカップリング、C-C結合へのたやすい道」と題して講演しました。

 ノーベル委員会から手紙が来まして、「出席する人たちは研究者だけでなく、高校生や大学生、一般の市民もたくさん来るから、難しい話ではなく、どんな研究でノーベル賞をもらったのかを、みんなにわかりやすく話してください」ということでした。もうひとつの義務は、ノーベルの命日の12月10日にストックホルムの大きなコンサートホールで開催される授賞式に出席して、国王からノーベルメダルとディプロマ(賞状)をもらうことです。

 ノーベルメダルの表には、ノーベルの肖像と、裏には女神像があります。サイエンスの女神が自然の女神のベールをかき上げて見えやすくしている図柄です。裏の下には、受賞年と私の名前が刻まれています。メダルは昔、24金の純金だったそうですが、軟らかすぎるので、今は18金でコーティングしています。これは1個だけですが、同じ内容のブロンズ製を3個いただきました。北大に2個寄付しました。1個は総長室に、もう1個は北大の博物館にあります。
授賞式の夜に、ストックホルムの市役所で晩餐会が開かれました。1370人が参加した大晩餐会でした。料理はフランス料理で、シャンパンからワインも最高級で、非常にデラックスな晩餐会でした。翌日12月11日は、スウェーデンの国王陛下が受賞者ら180人ぐらいを招いた晩餐会がありました。私にとって2010年はまったく思いもよらないことが起きて、非常にびっくりした年でした。それもひとえに、多くの共同研究者、学生も含めて、多くの人たちの努力のおかげだと、心から今でも感謝しています。

付加価値の高い物づくりを

 最後に、若い諸君には、お願いを申し上げたい。日本は資源に乏しい国です。化石燃料がほとんどない。日本はいろんな国から原料を輸入しているわけです。日本のような資源の乏しい国をより栄えさせていくには、付加価値の非常に高い、作るのが難しい医薬品、あるいは機械とか、ほかの国にはまねのできないような、高い技術が必要な物を作って、世界の人々に喜んでもらう道しか、これからの日本には残っていないと思います。その意味で、若い人たちが、化学だけではありませんが、非常に付加価値の高い技術をつけるような、科学や技術を大切してほしい。将来、その分野に興味を持って、たくさん入ってきてほしいと希望します。

講演する鈴木 章 氏・北海道大学 名誉教授
講演する鈴木 章 氏・北海道大学 名誉教授

(ジャーナリスト 小川 明)

北海道大学 名誉教授 鈴木 章 氏
鈴木 章 氏
(すずき あきら)

鈴木 章(すずき あきら)氏のプロフィール
1930年北海道鵡川町(現むかわ町)生まれ。北海道大学(北大)理学部化学科卒、59年に北大大学院理学研究科博士課程を修了、北大理学部助手、61年に北大工学部助教授、73年に北大工学部応用化学科教授。63~65年に米パデュー大学のハーバート・ブラウン教授のもとで研究し、その時の研究が79年の鈴木カップリングの発見に発展した。94年に北大を定年退官し、名誉教授となり、岡山理科大学教授を経て95~2002年に倉敷芸術科学大学教授を務めた。04年に日本学士院賞を受賞、10年にノーベル化学賞、文化勲章を受けた。11年には日本学士院会員に選ばれた。講演では「2年ほど前から耳がよく聞こえないが、割と元気です」と補聴器を使いながら会場の質問に丁寧に答えていた。

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