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硬さと軟らかさのシナジー(相乗)効果 -新しいメカニズムで驚異の『ゲル』誕生-(龔 剣萍 氏 / 北海道大学 先端生命科学研究院 教授)

2013.02.21

龔 剣萍 氏 / 北海道大学 先端生命科学研究院 教授

研究会「インフルエンザ」(2013年2月25日、日本記者クラブ主催)講演、質疑応答から

北海道大学 先端生命科学研究院 教授 ? 剣萍 氏
龔 剣萍 氏

 文明におけるエポックメーキングは、生活基盤の「材料」にあったと言えないだろうか。歴史を辿ると石器は狩猟生活、土器(セラミックス)は農耕とともに発達し、金属は武器として都市国家成立の要因となってきた。20世紀は、大量生産できるプラスチックの発明が手軽で豊かな消費生活をもたらした。

 いま21世紀では、生活の「質」が問われている。特に高齢化社会を迎え、生涯を通じて健やかに快適に暮らせることが重要になってきた。このような福祉型社会を支えていくためには、人体の解剖学や生理的側面にかなう“ソフト&ウエット”な素材が求められる。

 というのは、関節症を例にすると、治療や手術を要する患者が年々増加傾向にある。人工関節の場合、金属やセラミックスを主とした“ハード&ドライ”な材料で作られており、「ゆるみ、磨耗(まもう)、細菌感染、脱臼」などのリスクがある。そして人間の身体のうち、骨を除く筋肉や靱帯(じんたい)、血管などは「生体軟組織」と呼ばれ、50-85%の水分を含む。生体軟組織は、マクロ的には骨格を支えて運動を補う力学的機能、ミクロ的には生理活性や新陳代謝という生化学的機能をもつ。

 この2つの機能を併せ持ち、なめらかな運動を保証する最も有望な物質は、「ゲル」という“ソフト&ウエットマテリアル”である。生体に適合させるには、さらに「柔軟性、強靭性、粘弾性*」に優れ、筋肉のような「伸縮性」、関節の軟骨並みの「低摩擦」を兼ね備えた材料が必要だ。
* 粘弾性:粘性と弾性を合わせた性質。粘性は衝撃吸収性をもち、弾性はエネルギーを保存する。

 私の研究室では、生命とゲルの密接な関わりをテーマにしている。生き物の器官や組織、細胞を調べ、その構造からヒントを得て新しい素材を創製する。両者を比較して、仮説が正しいかフィードバックを行う。言わば「ゲルのバイオミメティクス(生物模倣科学)」であり、生体軟組織に似た高機能のゲルの開発を目指している。

ゲルと生体軟組織

 ゲルは網目構造をした高分子で、含水率は50-99%と幅がある。プリンやコンニャクなどもゲルの一種だ。圧力を加えると簡単に変形するが、水との親和性が良く、押しても絞っても、濡れたスポンジのように水が搾(しぼ)り出されることはない。生体物質と同じように物質透過性を持つ。ゲルの弾性率は10の2乗パスカルから10の7乗パスカルほどで、ゴムが10の6乗パスカルくらいだ。ゼリーでお分かりのように、ゲルは硬くすると脆(もろ)く壊れやすくなる。

 ところが生体軟組織は、大量に水を含んでいても強靭だ。クラゲは99.9%が水分なのに、泳ぐことができる。ヒトの軟骨も強靭である。軟骨細胞は、硬くて引っ張りに強いコラーゲンファイバーと、しなやかで保水力のあるプロテオグリカンおよびヒアルロン酸でできている。この硬軟2つの性質の組み合わせによって、高い強度を実現しているのではないかと考えられている。生体のもつ複合性や精緻な階層構造を模倣することで、同じような高機能のゲルを開発できるのではないか。

ダブルネットワークゲルの創製

 最近できたゲルは生体より強靭だ。これは強電解質を持つ硬くて脆いゲルと、中性で軟らかく伸びるゲルの2種類の網目を合成したもので、「ダブルネットワークゲル(DNゲル)」と名づけた。従来のゲルは40%以上圧縮すると壊れたが、DNゲルは90%圧縮しても大きく変形するだけだ。ハイスピードカメラで確認すると、上からの衝撃に対して水のように振動するが、元の形に戻る。厚さ1センチメートルのゲルを、大型トラックで轢いても砕けない。人工の含水物では初めての成果だ。

 DNゲルの驚異的な靭性は、「壊れやすい」成分のおかげである。つまり、硬いゲルの網目が先に力を支えるが、脆いのですぐ壊れる。その際、エネルギーをたくさん吸収する。硬い成分は、物理的な「共有結合」が切れて、一種の「犠牲結合」としてふるまう。次に軟らかいゲルは、ぐんと伸びてから切れる。ゲルの見かけは変わらないけれど、亀裂の近傍では、1ミリメートルほどの広範囲に内部破壊が起きている。しかし硬いゲルが先に壊れる(犠牲になる)ので、全体の亀裂伝播が抑えられ、強靭になるという原理だ。

 さらに引っ張り試験では、引っ張るのを止めると元の長さに戻り、もう1度引っ張るとぐんと軟らかくなる。この変形前後の硬さの変化によって、「応力-歪(ひずみ)曲線」にヒステリシス*が生まれる。これも特異的だ。このDNゲルは、「壊れないことが高強度」という通常のモノづくりの考え方に当てはまらない機構をもつ。

 *ヒステリシスhysteresis:物質の状態が、現在だけでなく過去の力などの条件の影響を受けていること。

 文献によると、上記の原理は、骨の強靱化モデルと類似性があるようだ。骨が何らかの衝撃を受けると、コラーゲン分子に対して犠牲的結合をしていたカルシウムイオンがはずれて、エネルギーを散逸させる。衝撃がなくなると、カルシウムイオンが再びコラーゲン分子に結合する。壊れたところを修復するので骨の強度が増すと考えられている。

 ただ、DNゲルは一旦壊れると戻らない。DNゲルの犠牲結合原理をうまく利用できれば、自己修復性を持たせることも可能だ。実際、イオン結合を犠牲結合として作ったゲルは、分子レベルの自己修復だけでなく、ゲルの塊を切ってもつながるというマクロレベルでも成功した。まだ接合が弱いので改善していきたい。

DNゲルは低摩擦化で関節並みの大荷重に耐える

 軟骨に限らず、生体のスムーズな運動・生理機能は、摩擦抵抗の低さに負っている。摩擦抵抗が低いのは、生体の界面(2つの物質の境界面)がゲル状態だからだ。おかげで眼球をすばやく動かせ、毛細血管より大きな赤血球が変形しながら通過して、血液が順調に流れる。加齢により食道の表面の粘膜の機能が落ちると、食べ物が詰まりやすくなる。

 DNゲルの摩擦抵抗を低くするために、ゲルの表面に糖鎖のような高分子ブラシを生えさせた。10のマイナス4乗まで摩擦係数が下がった。これはウナギの皮膚から分泌される糖鎖がヌルヌルと低摩擦を示すことから着想した。

 DNゲルの潤滑液にヒアルロン酸を入れると、摩擦係数がとても低くなった。関節と同じ荷重を掛ける実験をした。1平方センチメートルのゲルシートに、400キログラムの荷重をかけても壊れない。ヒアルロン酸は、ゲルのような親水性で軟らかい物質にのみ潤滑効果が見られる。この研究によって、関節の低摩擦には「軟骨の柔軟性」と「関節液の潤滑効果」の組み合わせが大事だと分かった。

人工軟骨、再生医療への挑戦

 10年前から北大の医学研究科の安田和則教授と、DNゲルの関節治療への応用の共同研究をしている。超高強度・超低摩擦のゲルによる人工軟骨を開発している。100万回の磨耗試験をクリアした。ゲルの自由形成技術を使って人工半月板をも試作した。ゲルは低摩擦だから接着しにくいので、固体(骨)と接着することが必須だが、今挑戦中。この共同研究の中、ウサギの膝関節を使って、DNゲルの生体内における軟骨再生誘導に成功した。従来のゲルでは再生しないし、これまでの「硝子体軟骨が生体内で再生しない」という常識を覆した。低リスク、低コストで軟骨の3次元増殖・再生が可能であることを示唆した。人間で試験を行うには、GLP(Good Laboratory Practice:優良試験所規範)に対応する試験が必要で、国内企業との共同研究を願っている。ゲルはIPS細胞の増殖・分化を制御する足場にもなる可能性がある。

     ◇

 普通のゲルに、細胞の脂質二分子膜に似せた積層構造を入れると、光の回析に応じて、「構造色」という色彩が生まれる。色調は脂質の分子の間隔で変わる。分子膜の間隔が短いと青、広がると赤になる。さらに広がると完全に透明になる。ゲルの構造色は圧縮や引っ張りなどの力による刺激のほか、温度や溶媒、電場などによっても色合いが容易に変わる。数千層でも簡単に作ることができ、しかもゲルの中で脂質が犠牲結合として振る舞うので強靭性も増す。

 ゲルの高靭性・抗付着性は、海洋防汚にも役立つ可能性がある。フジツボなどの海洋付着生物による船底付着を防止するため、昔は塗料に有害物質が使われ、海洋汚染を引き起こした。生態系に安全な防汚材料の開発が急務である。ラボ内の抗付着試験では、水酸基をもつゲルが最も優れている。

 将来的には、人体に優しい人工組織や医療・介護機器、例えば心臓の弁や人工血管、臓器を傷つけない潤滑内視鏡、人工触覚センサーなどの開発に発展させていきたい。ソフトロボティクスや自動車事故の耐衝撃試験に要する「生体等価固体ファントム(模擬生体)」への応用も視野に入れている。

 これらは、1つの分野だけで実現できる世界ではない。領域横断的に研究を進め、さまざまな英知が相互作用(シナジー:synergy)を発揮できるように、柔軟に粘り強く取り組んで行きたい。

(SciencePortal特派員 成田優美)

北海道大学 先端生命科学研究院 教授 ? 剣萍 氏
龔 剣萍 氏
(グン チェンピン)

龔 剣萍(グン チェンピン)氏のプロフィール
1983年中国浙江大学卒業、91年茨城大学大学院理学研究科 高分子化学専攻修士課程、93年東京工業大学 大学院総合理工学研究科材料科学専攻博士課程を各修了。北海道大学理学部助手、助教授を経て、2003年教授。2010年4月から現職。その間、カリフォルニア大学サンフランシスコ分校客員助教授、独立行政法人科学技術振興機構研究員を兼任。中国浙江大学客員教授。理学博士、工学博士。2001年高分子学会Wiley高分子科学賞、2006年高分子学会賞(科学賞)、2011年日本化学会学術賞。

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