サイエンスクリップ

あなたのまちの検査室、糖尿病の医療費削減につながるか?

2018.06.11

丸山恵 / サイエンスライター

 「ちょっと近所の薬局で糖尿病チェック」できるようになって4年。ほんの少しの血液をとれば、10分で糖尿病のリスクがわかる。この手軽な方法が、病院の検査などで指摘されて始まる従来の糖尿病治療より費用対効果に優れることを、筑波大学の矢作直也(やはぎ なおや)准教授(医学医療系内分泌代謝・糖尿病内科)率いる研究チームが明らかにした。医療費削減と健康寿命の延伸の一手となるかもしれない。

地域に寄りそう「ゆびさきセルフ測定室」とは

 糖尿病人口1000万人と言われる私たち日本人。「自分は大丈夫?」と気になったら、今すぐ糖尿病リスクをチェックできるところがある。検体測定室、通称「ゆびさきセルフ測定室」だ。2018年5月時点で全国約1600か所の薬局やドラッグストアにある。下のロゴマークが目印だ。

図1.ゆびさきセルフ測定室のロゴマーク。薬局等の店先に表示されている。(ゆびさきセルフ測定室ナビ(http://navi.yubisaki.org/)より)
図1.ゆびさきセルフ測定室のロゴマーク。薬局等の店先に表示されている。(ゆびさきセルフ測定室ナビより)

 ゆびさきセルフ測定室の目的は、人々の検査へのハードルを下げることだ。糖尿病は発見が早ければ重症化を防ぐことができるのに、発見時にすでに重くなっているケースが少なくない。そこで、矢作さんは早期発見の機会を日常生活の中に設けるべく、「糖尿病診断アクセス革命プロジェクト」を2010年に立ち上げた。糖尿病のリスクを指先で簡単に測定できる装置が出回り始めたころだ。この装置の良さを最大限に引き出すために、ぜひ日常生活の空間に持ち込みたい。そういう強い思いから、初めてのゆびさきセルフ測定室を東京都足立区の薬局に設置した。その効果が評価され、2014年から全国の薬局が取り組むようになった。

 検査はとても簡単だ。まずスタッフから説明や問診を受け、小さな針がついた専用キットを使って自分で指先から採血する。1マイクロリットルという一滴にも満たないごく少量でよい。スタッフが血液を測定器にかけ、待つこと約10分。「HbA1c(ヘモグロビンエーワンシー)(※)」という血液成分の値が、買い物レシートのように打ち出される。結果の解釈は原則として自己判断だが、スタッフも「正常範囲に入っています」とか「少し高めですね」といったアドバイスをくれる。費用は500〜1000円ほどで、基本的に予約は必要なく、直前に食事をとっていても構わない。

 ※HbA1c…血液中のヘモグロビンとブドウ糖が結合したもので、過去1〜2か月の血糖状態を表す。6%を超えると糖尿病予備群の可能性が疑われ、6.5%以上だと糖尿病が強く疑われる。

図2.ゆびさきセルフ測定室での測定の流れ(ゆびさきセルフ測定室ナビより)
図2.ゆびさきセルフ測定室での測定の流れ(ゆびさきセルフ測定室ナビより)

便利さだけではない、その魅力的なコストパフォーマンス

 薬局での指先検査は、ヨーロッパやニュージーランドでも普及し始めているが、まだ世界的にも新しい取り組みだ。忙しい人や病院が遠い、健診がおっくうな人にとって、なんと便利で画期的な取り組みだろう。しかも、これまで行われてきた病院や健診での検査より低コストで、高い効果が期待できる。

 矢作さんの研究チームが行ったシミュレーションを見てみよう。ゆびさきセルフ測定室が選択肢としてある場合(①)と、ゆびさきセルフ測定室は選択肢になく検査は病院や健診でのみ受けられる場合(②)で、それぞれの費用と効果がどのくらいかを割り出している。

表1.ゆびさきセルフ測定室の費用対効果シミュレーション結果。全国に先駆けて取り組みを始めた東京都足立区で得た約2000人のデータを基に算出。*QALY: Quality-adjusted life-year(Diabetes Care 2018;41(6):1218-1226より)
表1.ゆびさきセルフ測定室の費用対効果シミュレーション結果。全国に先駆けて取り組みを始めた東京都足立区で得た約2000人のデータを基に算出。*QALY: Quality-adjusted life-year(Diabetes Care 2018;41(6):1218-1226より)

 ここでいう「費用」は、糖尿病患者1人にかかる医療費である。検査費用に加え、糖尿病や合併症の治療費などを細かく計算した結果、①の想定では約50万円、②の想定では約55万円。ゆびさきセルフ測定室を設置することで、5万円以上の医療費削減を見込める。

 「効果」は、何をもって効果と判断するかが大きなポイントだ。その指標として研究チームはQALY(クオリー)を使った。Quality adjusted life yearの頭文字で、「質調整生存年」と訳す。医療の経済性が注目される近年、よく使われるようになった指標だ。具体的には、生活の質(QOL)と生存年数を掛け合わせた指標で、患者がどのくらいの健康水準を保ちながらどのくらいの期間を生きるかを表す。求め方はシンプルで、QOLを1(健康)から0(死亡)の範囲で数値化し、生存年数を掛ける。健康に1年過ごせば1QALYだ。

QALY=QOL×生存年数

 これを念頭に置いて表をみると、どちらのシナリオもだいたい18年くらいの健康寿命が見込まれるが、①は②に比べ0.0203QALY多い。つまり、ゆびさきセルフ測定室を設置することで、糖尿病患者の健康寿命が0.0203年延びるとの見込みだ。さきほどの「費用」と考え合わせると、医療費を抑え、しかも生活の質を向上させていることになる。この結果は、矢作さんらの予想通りだった。それを確かな数字で示せたことに意味があると矢作さんは説明する。

ゆびさきセルフ測定室を切り札に、糖尿病予防を目指す

 取り組み当初からその数が右肩あがりで増え続け、優れた費用対効果も示されたゆびさきセルフ測定室。数のうえからは順調に社会に定着しつつあるようだが、全国的に見ると、まだ十分に普及しているとは言い難いのが現状だ。というのも、測定器の購入や運用にかかる費用は、ほとんどの場合、薬局に委ねられているのだ。矢作さんは、「ゆびさきセルフ測定室を設置している薬局は、『薬局過剰時代』を背景に、生き残りをかけた新たな価値創出の1つとして取り組んでくれているのだろう」と推測する。

 最近、「かかりつけ薬局・薬剤師(※)」や「健康サポート薬局(※)」が法律で位置付けられ、薬局は地域の人々の日常に寄り添う存在となりつつある。例えばこれらの薬局の機能として指先検査の実施が義務づけられれば、糖尿病の早期発見の拡大につながるかもしれない。矢作さんは、証拠に基づく政策立案(EBPM:evidence-based policy making)によって、ゆびさきセルフ測定室の普及や推進が政策として社会に広まっていくよう、今後も研究を続けていきたいと語る。

 早期発見が鍵となる糖尿病の性質を考えれば、それを促すゆびさきセルフ測定室の優れた費用対効果は十分納得できるものだろう。糖尿病診断アクセス革命プロジェクトの代名詞となりつつあるゆびさきセルフ測定室は、日本の糖尿病事情に革命的な変化をもたらすのか。その今後に注目したい。

 ※かかりつけ薬局・薬剤師…患者が選んだ薬剤師が、その患者の服薬状況を一か所の薬局で継続的に管理していく制度。2016年4月から始まった。

※健康サポート薬局…かかりつけ薬局・薬剤師の機能に加え、健康に関するあらゆる相談にのるなどの健康サポートを行う薬局。2016年4月から始まった。

(サイエンスライター 丸山 恵)

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