シェア ポスト

インタビュー

【人生100年社会 支える科学 4】へその緒由来の細胞でサルコペニアに挑む ヒューマンライフコード社長 原田雅充さん

2026.07.06

近藤英次 / サイエンスライター

 筋肉量が減少し身体機能が低下する高齢者の「サルコペニア」は、生理的老化現象ではなく、疾患として捉える見方が医学の世界で広がりつつある。体の内部の炎症が主な原因だが、「臍帯(さいたい=へその緒)」から抽出した細胞を培養し、再生医療等製品として承認をめざしているのが医療ベンチャー、ヒューマンライフコード(HLC、東京都中央区)だ。身体の不調を加齢だけでなく炎症が積み重なるプロセスとして捉え、健康寿命の延伸に挑む。4年以内の製品化を見据えた技術の核心と事業の道筋を原田雅充社長に聞いた。

体の中でくすぶる火事を消し健康寿命延伸

―まずサルコペニアとはどのような疾患なのでしょうか。

 加齢による心身の全般的な衰えをフレイルと呼びますが、サルコペニアは筋肉量と筋力の低下によって歩行や立ち上がりが困難になる状態を指す疾患名です。2016年に米国の公的機関によって国際疾病分類に登録された治療が必要な病気です。世界的に対策が急がれており、高齢化が進む日本でも生活の質(QOL)の低下を防ぐうえで喫緊の課題です。日本では主に握力と筋肉量で診断されています。

 人の体はけがや病気によって炎症が起きると、自然に回復する力を備えています。しかし歳を重ねるにつれ、回復力が弱まり、「インフラメイジング」と呼ばれる慢性の微小炎症が続きます。例えると体の中で長期間、火がくすぶっている状態です。やがて筋肉が分解されて衰えたり、炎症が血管にダメージを与えて老化を早めたり、臓器の機能低下で糖尿病や認知症などの発症リスクが高まったりします。サルコペニアの慢性炎症をコントロールすることができれば、健康寿命の延伸にもつながると期待されます。

原田雅充さん。「サルコペニアの慢性炎症をコントロールできれば、健康寿命の延伸につながる」と話す
原田雅充さん。「サルコペニアの慢性炎症をコントロールできれば、健康寿命の延伸につながる」と話す

「細胞で治す」で特許を取得

―サルコペニアになぜ臍帯が有効なのでしょうか。科学的な仕組みを教えてください。

 HLCが目指しているのは、臍帯から取り出した細胞を活用し、炎症を鎮めて、組織の再生を促す加齢性疾患に対する新たな治療法の確立です。「間葉系間質細胞(MSC)」と呼ばれるこの細胞は炎症でダメージを受けた組織を修復し再生を助けるほか、炎症を鎮めたりする免疫調整能力を備えています。母親と赤ちゃんをつなぐ臍帯に含まれるMSCは極めて若い細胞です。

 一方、骨髄などから採取される細胞は、提供者の年齢によっては細胞の増殖能力や修復能力が低下します。こうした点で臍帯由来のMSCは増殖が速く、しかも提供者の年齢にばらつきがないので安定した品質の細胞を得ることができます。

臍帯由来の間葉系間質細胞(MSC)は人間の様々な疾病に対応する(ヒューマンライフコード提供)
臍帯由来の間葉系間質細胞(MSC)は人間の様々な疾病に対応する(ヒューマンライフコード提供)

 私たちは体を修復する活性をもつ細胞を培養して、医薬品として使えるようにすることで弱った体を回復することができるとみています。体の中では細胞同士が炎症抑制や修復指示など情報のやりとりをしています。その時に指示役を担う物質がMSCから分泌されるサイトカインと呼ばれるタンパク質です。2026年1月、特定のサイトカインが筋肉の萎縮を抑制するというメカニズムを発見し、日本で治療用途に関する技術の特許を取得しました。米国でも「用途特許(効能・効果や使用目的を保護する特許)」を出願中です。

 臍帯由来の細胞が、筋肉を壊す物質を抑え、筋肉を作る細胞を活性化させることを証明しました。「サルコペニアを細胞で治す」というこれまでにない分野で、他社が簡単にはまねできない武器を手に入れたことになります。

―培養のプロセスをわかりやすく教えてください。

 HLCは東京大学医科学研究所(東京都港区)と連携し、培地に人や動物由来の血清を一切加えず、「完全無血清培養」と標準化された製法により、1本の臍帯から数百~数千人分の製剤を均一に生産できる体制を整えつつあります。出産の現場で役目を終えた、長さ50センチほどの1本の臍帯は通常、医療廃棄物としてそのまま処分されている組織です。同研究所の「臍帯血・臍帯バンク」がお母さまの同意のもとで臍帯を丁寧に回収し、徹底的に洗浄したうえで、臍帯組織を細かく切り分けます。

「体を修復する活性をもつ細胞を培養して、医薬品として使えるようにしたい」と話す
「体を修復する活性をもつ細胞を培養して、医薬品として使えるようにしたい」と話す

 同研究所附属病院セルプロセッシング・輸血部准教授の長村登紀子氏らのグループは、この組織片から細胞をより効率よく取り出すための方法を開発しました。完全無血清培地の中で、体内と同じ37度と程よい湿度・二酸化炭素濃度の環境でじっくり育てていきます。

臍帯の細胞は若くて年齢のばらつきがない(ヒューマンライフコード提供)
臍帯の細胞は若くて年齢のばらつきがない(ヒューマンライフコード提供)

 増えた細胞は、「MSCであること」「ウイルスや細菌が混じっていないこと」「免疫を整える力を持っていること」を何重もの検査で確認したうえで、液体窒素(マイナス196度)の中で凍らせて大切に保管します。この凍結の瞬間に細胞が傷まないようにする保存液こそ、長村氏が取得された特許技術の結晶です。

 こうして備蓄された種細胞「マスターセル」が、必要とされる時に解凍され、さらに培養を重ねて、最終的に患者さんに投与される臍帯由来のMSC製品「HLC-001」となっていきます。この一連のすべての工程が、東京大学医科学研究所附属病院にある「セルプロセッシングセンター」という場所で行われています。

1本のへその緒から多くの最終製品が作り出せる可能性がある(ヒューマンライフコード提供)
1本のへその緒から多くの最終製品が作り出せる可能性がある(ヒューマンライフコード提供)

東京都が規制緩和、正式な医療資源に

―なぜ日本でこれまで臍帯活用がなかったのでしょうか。

 MSCの有用性は以前から国内外で知られていたのですが、日本での壁は「規制」でした 。長い間、臍帯は地方自治体の「胞衣(えな)条例」によって廃棄物として扱われてきました。病院では研究目的であっても自由に扱うことができませんでした。

 私たちは行政や医療機関へ粘り強く説明し、2019年に東京都で規制緩和が実現。日本で初めて臍帯を正式な医療資源として扱える枠組みが整いました。東京大学医科学研究所と連携し、全国の産科病院と協力体制を築いて、臍帯を確保しています。

―日本での臨床試験の進捗を教えてください。

 白血病の患者さんに起こる重篤な合併症である「非感染性肺合併症」を対象に治験を進めています。現在は国への承認申請に向けた最終段階である「第3相臨床試験」を実施しています。まずは、こうした命に関わる希少難治性疾患を対象に、再生医療等製品としての承認を目指しています。そのうえで、サルコペニアなどの加齢性疾患への応用についても検証を進めながら、社会に広めていきたいと考えています。

―東京科学大学とも連携しています。どんな研究ですか。

 既存の薬が効かない難治性自己免疫疾患を対象に、MSCによる新しい治療法の開発に取り組んでいます。培養細胞や動物モデルを用いた基礎研究で、MSCが暴走した免疫を鎮める仕組みが解明されつつあり、治療効果の可能性を示唆する結果が得られています。

東京大学医科学研究所(東京都港区)に研究開発拠点と細胞製造施設を持ち、再生医療等製品としての承認取得を目指す
東京大学医科学研究所(東京都港区)に研究開発拠点と細胞製造施設を持ち、再生医療等製品としての承認取得を目指す

ブラジル、米国で臨床研究や細胞製造の国際標準化

―グローバル展開にも取り組んでいます。

 ブラジルでもサルコペニアの状態を評価するための臨床研究を進めており、成果は2026年3月末の国際学会で発表しました。サルコペニアの症状を有する高齢者を対象に、血液中の代謝物を解析した結果、サルコペニアの状態を識別するバイオマーカー(指標)候補が見出されています。将来サルコペニアの診断に役立つ可能性があり、私たちが開発する細胞治療の効果が確認できると思います。ブラジルに着目したのは高齢化が進む新興国であると同時に、多民族国家であるためです。このような生活環境でデータを取得することで、多様な背景を持つ高齢者におけるサルコペニアの特徴を把握し、今後の研究開発やグローバル展開に生かしていきたいと考えています。

「ブラジルや米国などでグローバル展開を加速する」と意気込む
「ブラジルや米国などでグローバル展開を加速する」と意気込む

 また米国では最大の独立非営利血液バンク「New York Blood Center」と連携し、細胞製造の国際標準化に取り組んでいます。HLCが日本で確立した製造・品質管理プロセスを技術移転し、安定して供給できるようにしたい。

 一方で、再生医療のグローバル展開では、国ごとに異なる薬事規制や倫理基準への対応が大きな課題です。米国食品医薬品局(FDA)や欧州医薬品庁(EMA)など、それぞれ求められる品質・安全性評価や承認プロセスが異なるため、各地域に応じた開発戦略が必要です。各国の研究機関や医療機関、企業と連携しながら、地域ごとのデータや知見を蓄積し、グローバルで活用できる細胞治療の基盤整備を進めます。

―日本国内で製品化された場合、高齢者はどのように利用できるようになりますか。

 「再生医療等製品」として承認されれば、公的医療保険の適用を目指します。大量生産技術の改良を重ね、将来は高齢者が病院で点滴を受けるイメージで利用できるようにしたい。細胞治療を身近な医療として安心して受けていただけるエコシステムを構築したいです。

臍帯由来細胞治療が実用化すればサルコペニアの抑制になる(ヒューマンライフコード提供)
臍帯由来細胞治療が実用化すればサルコペニアの抑制になる(ヒューマンライフコード提供)

国内の医薬各社とも供給網を構築

―大手企業とサプライチェーン(供給網)で連携しています。役割分担は。

 東京大学医科学研究所と連携し、その成果を踏まえ各分野のパートナー企業と連携しながら、実用化に向けた体制を構築中です。ロート製薬とは商用化を見据えた製造領域で連携しており、安定的な生産体制の確立に取り組んでいます。アルフレッサとは医薬品流通の分野で組んでおり、将来、全国の医療機関へ安全に届けるための物流体制の構築を進めています。持田製薬とは臨床開発や製品化に向けた知見を取り入れながら、開発・事業化を推進。研究開発から製造、物流に至るまで一貫したサプライチェーンの構築を進めています。

4年以内に最初の製品の販売開始を目指す

―事業面での見通しと、実際の薬としての販売開始のメドはいつごろになりますか。

 直近では2025年12月に約20億円の資金調達を実施し、商用化に向けた投資を加速させています。研究開発の段階なので経常赤字ですが、持田製薬との共同事業化契約を交わし、開発費の負担軽減と将来の収益化ルートを確保しています。23年9月には厚生労働省から「再生医療等製品の製造販売業許可」を取得しました。これまでは「研究」でしたが、許可により「自ら製品を作る」フェーズ、つまり「商用化・産業化」のステージに移行しました。

産学と連携し供給網づくりに乗り出している(ヒューマンライフコード提供)
産学と連携し供給網づくりに乗り出している(ヒューマンライフコード提供)

 将来的には世界各地に製造拠点を整備する「国産国消型」を視野に入れており、各国のパートナーと連携しながら、エコシステムの構築を進めていきます。

国内外のパートナーと共にエコシステムを築く(ヒューマンライフコード提供)
国内外のパートナーと共にエコシステムを築く(ヒューマンライフコード提供)

 まずは薬事承認を得て4年以内に最初の製品となる「HLC-001」の販売開始を目指し、その後に高齢者疾患であるサルコペニアへと市場を広げる「水平展開」を描いています。サルコペニアは日本だけでなく世界的に患者数が増加している重要な健康課題です。私たちは細胞治療という新たな選択肢を通じて、健康寿命の延伸やQOLの向上に貢献していきます。

原田雅充(はらた・まさみつ)

ヒューマンライフコード社長

1972年名古屋市生まれ。1996年岐阜大学農学部卒業、1998年岐阜大学大学院農学研究科生物資源利用学(遺伝子工学)修士課程修了。同年国内製薬企業の日本化薬、その後米国の大手製薬会社、アムジェンやセルジーンで臨床開発や営業マーケティング担当。2014年ニューヨークでのMBA(経営学修士)留学を経て、2017年、東京大学医科学研究所と連携する形でヒューマンライフコードを設立し、代表取締役社長に就任。

関連記事