レポート

「科学者、専門家と地元住民が触れ合い、対話する機会を」と被災高校生−「海外から見た日本の“震災復興5年”と被災地の若者が描く未来社会」

2016.11.16

サイエンスポータル編集部 / 科学技術振興機構

 「つくろう、科学とともにある社会」を「ビジョン」に科学フォーラム「サイエンスアゴラ 2016」が科学技術振興機構(JST)の主催で11月3日から4日間、東京・お台場地域で開かれた。初日の3日に東日本大震災や熊本地震を経験した3人の高校生や全米科学振興協会(AAAS)CEOのラッシュ・D・ホルト氏、JSTの濵口道成理事長が参加して被災地の復興や自然災害さらに社会に対する科学技術の役割について話し合うメディアセッション「海外から見た日本の“震災復興5年”と被災地の若者が描く未来社会」が開かれた。高校生からは「科学者と地元住民の距離は東日本大震災から5年経っても埋まっていない」「地元の人たちは復興に活用されている科学技術(の役割)を理解できていない。科学者や専門家と住民が触れ合って話し合える場が必要だ」など、震災を乗り越えてきた実体験に基づいた貴重な発言や提言が続いた。ホルト氏は「科学が国民に何をしなければならないか(被災した皆さんは)直接問うことができる」と高校生にメッセージを送った。(サイエンスポータル編集部)

写真 メディアセッション「海外から見た日本の“震災復興5年”と被災地の若者が描く未来社会」に参加した左から濵口理事長、大浦さん、遠藤さん、中武さん、ホルト氏
写真 メディアセッション「海外から見た日本の“震災復興5年”と被災地の若者が描く未来社会」に参加した左から濵口理事長、大浦さん、遠藤さん、中武さん、ホルト氏

 メディア関係者らが集まったトークセッションは濵口理事長が進行役を務めた。濵口理事長は冒頭「東日本大震災から5年経つが現地の復興は道半ばで被災地ではまだ多くの人が故郷に戻りたいと思いながら(避難先で)厳しい現実と格闘している。東日本大震災は科学や科学技術に対する信頼を失う災害だった。あれほど大きな災害を科学技術は予測できなかった。予測できなかったことを科学者が想定外と言ったことが科学に対する信頼を失う結果となった。震災後の調査では科学技術への信頼が80%から40%以下になってしまった」「震災は日本社会に大きな変化を起こし、日本の文化を変えていると実感している。大震災の影響は完全には把握できていないし、これからも(復興に向けた)支援を続けなければならない時代を私たちは生きている」と科学、科学技術に携わる立場から3人の高校生に卒直に語りかけた。

 この日出席したのは福島県立福島高等学校3年の大浦葉子さん、同県立ふたば未来学園高等学校1年の遠藤瞭さん、熊本県立宇土中学校・高等学校2年の中武聖さんの3人。大浦さんは「私は南相馬市という原発(東京電力福島第1原発)から20キロ圏内のところに住んでいて被災した。津波、地震で友人を亡くした。地元から避難して何度か転校した。そこで『震災うつ』も経験した」と語り始めた。そして「大震災と科学という点で5年を振り返ると、さまざまな科学技術を目にしてきた。放射線量を測るモニタリングポストや(線量計の)ガラスバッジもあって野菜工場もできた。地元にはそうした科学技術が活用されているが地元の人はよく理解できていない。科学技術で助けられることはたくさんあるが、そのことがよく分かっていないから科学技術を受け入れ難くなっている。復興に役立っていると思われる科学技術も地元の人たちの協力が得られていない。科学技術とそれを活用すべき地元の人たちとの距離感が大きいと感じる」「出荷される野菜の放射線量基準を分かっていない人もいるから風評被害も起きている」と指摘して、科学技術と地元の理解との距離をこれからどう埋めていくかが重要な課題であることを強調した。

写真 同じ被災体験をした高校生の話を真剣に聞く大浦さん
写真 同じ被災体験をした高校生の話を真剣に聞く大浦さん

 続いて発言した遠藤さんは、大震災の頃を振り返りながら「自分は福島第1原発が立地する大熊町の出身で震災当時は小学4年生だった。当時何が起きているかよく分からないまま大熊町の役場機能が移転した会津若松市に避難した。そこから中学(卒業)までずっと避難していて故郷の様子を知ることができなかった。震災から4年間も自分の目で自分の故郷を見ることができなかったのが悲しかった。故郷の状況が分からなかったから何かしたくても何もできなかった」と話すとホルト氏は真剣なまなざしを遠藤さんに向けた。

 遠藤さんはさらに「故郷の将来を考えると、放射線(量)や原発、原発の廃炉に向けた作業、中間貯蔵施設などの問題はとても重要だが、一般の人には分かり難い内容で、しっかり考えることができない状況になっている。廃炉に向けた説明会に参加しても参加するメンバーはいつも同じだ。科学技術の情報と自分を含めて地元の人との距離感が大きい」と大浦さんと同じ意見を述べ、「科学技術を一般の人にも分かりやすく説明する場をたくさん用意してほしい。一般の人もそういう情報に接していくことが重要だ」と語った。

写真 遠藤さん(左)の話を聞くホルト氏(右)。中央は中武さん
写真 遠藤さん(左)の話を聞くホルト氏(右)。中央は中武さん

 中武さんは、大震災の時は父親の転勤先だった岩手県盛岡市にいてそこで大きな地震の揺れを経験し、今年の4月には出身地の熊本県内で熊本地震に遭った。「大震災の時は母親とあたふたした。地震の備えをしていなかったことが心残りだった」という。プレート型地震と活断層型地震の揺れ方が異なった実感を紹介しながら「熊本県では多くの人が地震への備えがなく地震に対する認識が甘かった」と「地震への備え」の大切さを何度も強調した。今では二つの地震の違いの専門的な知識に関心があるという。

 3人の高校生の話を聞いてホルト氏は「(大地震や津波、原発事故が)どれほど恐ろしかったか私は想像することしかできないがほんとうにお気の毒に思う。体験を話してくれたことに感謝する」と語り始め「高校生の皆さんはプロの科学者でも政治家でもないので科学が国民に何をしなければならないか直接問うことができる」と3人の高校生を勇気付けた。 そして「私はAAAS に来る前に長らく下院議員をやっていたが、ハリケーンや竜巻で家族を失って傷付いた人たちと話してきた。なぜこんなことになったのかという怒りのほか、なぜもっと警告しなかったのか、なぜ守ってくれなかったか、という声をたくさん聞いてきた。科学に何ができるか考えてたきた」とした上で「(被害を受けた)多くの国民は科学に裏切られたと思っている。(日本でも大震災が起きたが)皆さんはどう思いますか」と3人に問いかけた。

 すると大浦さんは「東日本大震災は予知できなかったと言われているが本当に誰も予知できなかったのかと思う。当たる確率が何パーセントかでも予知したら伝えてほしい。確率が何パーセントでもそれに対して準備ができる」。国の地震調査委員会はプレート型の大地震や全国の活断層型地震の発生確率を出しているが、大浦さんの答えはまだ各地の住民には防災対策上必要な情報が十分に伝わってない実態への問題提起にも聞こえた。

 中武さんは「熊本地震では備えがなかったから被害が大きくなった。地震学者も努力していると思うので科学がもっと進歩したら何日先に何時に地震が起きるか予知できるようになればいい」と答えていた。

 遠藤さんがホルト氏に「科学の情報をどのように一般の人に伝えるか難しいと話したが、その問題を解決するにはどうしたらいいのか」とたずねるとホルト氏は「非常に奥深い質問だ。大切なのは社会全体を見渡すことだと思う。原子力や工学だけでなく社会科学、行動科学や歴史を勉強することも大切だ。自分たちの視野を狭めてはいけない。科学だけでなく過去からの教訓から学ぶことも必要だ」と答えていた。

 ホルト氏が、震災経験はこれからの自分に対する考えや姿勢を変えたか、と高校生に質問すると、中武さんは「母は医療関係の仕事をしていた。震災の時に活躍していた医療関係者の姿を見て私も自分の被災経験を生かして医療の仕事がしたい」。遠藤さんは「地元のお年寄りと話すと、自分が生きている間には故郷の町には戻れないと言う。たくさんの思い入れがあって一番帰りたいのはお年寄りの方たちなのに帰れない現実を受け入れなくてはいけない。その現実が悔しい。自分は原子力工学を勉強して町民が故郷に戻れるために何ができるか勉強したい」と答えるとホルト氏は深くうなずいていた。大浦さんも中武さんと同様、医療関係の仕事に就いて医師として地域医療を担いたいという。

 こうしたやり取りを聞いていた濵口理事長は「科学者にとって大事なことは科学的真実を探求することだが、もうひとつは社会に役立つ仕事をすることだ。その中でも大事なのは危機管理ができる人材なので皆さんもしっかり勉強してください」とエールを送った。

写真 進行役を務めたJSTの濵口理事長
写真 進行役を務めたJSTの濵口理事長

 この後メディア関係者からの質疑応答に移り、「どうしたら科学と社会の距離感を埋めることができると思うか」という難しい質問が出た。大浦さんは「放射線についてのセミナーに参加して(被災地の放射線量と比較できる)レントゲン写真を撮ったり飛行機に乗ったりした時の被ばく線量を知って私の場合は安心できたが、被ばく線量が少しでもあれば危ないと思う母親もたくさんいる。説明を聞いても信じることよりも不安が勝ってしまうこともある。科学者と地元の人が触れ合う機会や意見交換ができる場がもっと必要だと思う。科学者同士、専門家同士の方が話は進みやすいかもしれないがやはり地元の人の意見もきちんと踏まえてほしい」としっかりとした口調で答えていた。

 自然災害の復興などに向けた持続的な取り組みの有無をたずねられた濵口理事長は「米国ではハリケーンなどの災害や原油漏れなどの事故が起きると現地に行って専門的な知識を生かして被害を最小限にする『アクタブルサイエンティスト』と呼ばれる科学者が生まれている。日本ではまだ象牙の塔にこもっていてなかなか(社会の)表に出ない科学者も多い。専門が狭くなっているので科学者は自分の専門以外になかなか目が向かない。競争も激しく、心のゆとりがなくなっているのかとも思う。それが社会と科学が互いに遠くなっている原因の一つだと思う」述べた。JSTでは現在、社会と科学をつなぐ中間的な人材を育成するための研究助成の仕組みなどを検討しているという。

 福島第1原発事故の前後で自分の考え方が変わったかどうか、という質問に、大浦さんは「これから原発の廃炉に向かって進むが、最近では汚染水を漏らさないための凍土壁の話がよく報道される。しかし詳しいことはなかなか分からない。分からないからもういいや、と思ってしまう人も多い。私もその一人だが時間が経つと原発の現状がどうなっているかをひとつひとつ詳しく知るのはたいへんだ」。遠藤さんは「大熊町では大半が原発関連産業で働いていて自分の父も働いていた。原発の近くの体験施設で遊びながら原発の良い面しか考えていなかった。(事故が起きるという)悪い面については考えていなかった。震災後も父は(事故原発関連施設で)働いているので、現状を知って安心する部分と心配になる部分があるが専門用語は難しい。ある情報を調べると出てくる用語がまた分からなくてまた調べるという繰り返しだが、もっといろいろ知りたい」とそれぞれ答えていた。

 社会と科学との関係の中での社会科学の重要性についてホルト氏は「科学は人の生活の中に組み込まれるべきものだ。例えば原子力工学の分野では社会(学)も心理学も理解できて初めて一般市民へのメッセージが出せる。専門家が何かを決めた時にそれを一般の人に(適切に)判断してもらうことにつながる。社会科学は(災害などの際に)残念ながら重きを置かれていない」と述べ、メディアセッションは終了した。

 メディアセッションに参加した3人の高校生は、3日午後開かれた開幕セッションのパネル討論会「復興後の未来に向かって−高校生と考える震災復興5年」でも積極的に発言していた。

写真 パネル討論会「復興後の未来に向かって−高校生と考える震災復興5年」にも参加した3人の高校生(左から2〜4人目)
写真 パネル討論会「復興後の未来に向かって−高校生と考える震災復興5年」にも参加した3人の高校生(左から2〜4人目)

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