レポート

FMラジオが貴重な情報源 ネパール地震被災地で復旧支援活動

2015.09.03

寺内賢一 氏 / 特定非営利活動法人BHNテレコム支援協議会 理事

 ネパール国で2015年4月25日の地震(M7.8)および5月12日の余震(M7.4)で9,000名弱の死者を出す大災害が発生した。ボランティアとして参加している特定非営利活動法人BHNテレコム支援協議会では、地震発生3日後には緊急支援チームを編成した。被災者の情報通信ニーズを調査し、支援可能な事業内容、事業地域などを選定するため、調査団(3名)の一員として現地入りした。

被災者に食事の配給をする宗教団体の人々(白い服)

 空路カトマンズ入りする飛行機からは所々で山崩れの痕跡を認めたが、各国からの救援物資で埋まる空港は一応機能していた。カトマンズ市内では至るところでビルや家屋、外壁の倒壊や亀裂の発生を目にした。渡航前テント寝袋持参も覚悟したなかでやっと1室確保することができたホテルは、電気、電話は一応通じていたがロビーの壁面には大きな斜めの亀裂が走り、入り口のレンガ塀は崩れていた。「余震等の発生で死傷しても責任を問わない」という念書を入れての投宿であった。

 空港から乗った車の運転手の話では彼の家屋は倒壊し、家族(奥さん、娘1息子1)は約100キロメートル離れた奥さんの実家に避難しており、当人は自分の車の中で寝泊りしながら運転の仕事をしているとのことであった。

被害が大きかったカトマンズ市旧市街地
被害が大きかったカトマンズ市旧市街地

 到着後、特に被害が大きかったカトマンズ市内の世界遺産地域や、日干しレンガ造りの建造物が立ち並ぶ旧市街地および郊外の被災者テントを見てまわった。また甚大な被害が発生したカトマンズの北東90キロメートルの高地にあるシンドパルチョーク郡チョータラ地区の被害状況を視察するとともに、救援診療テント、臨時コミュニティFMラジオ放送局などを訪問した。この放送局の責任者は地震発生後30キロメートル離れた自宅から徒歩で山道を8時間かけてたどり着き、放送機材を運び出して町役場の敷地の一角で自炊の傍ら2日後に放送を再開した。アンテナを竹ざおに取り付け、電柱に縛り付けての放送であった。

 この訪問調査の5日後には、この地区を震源とする大きな余震(M7.4)が発生し他の救援隊の車が山崩れに遭遇するなど、さらに犠牲者や被害が増大した。

シンドパルチョーク郡山道沿いの被災状況
シンドパルチョーク郡山道沿いの被災状況

 ネパールは多民族(100以上)多言語(93)国家であり、これにカースト制度が複雑に絡んで、それぞれのグループが山間の中に集落を作って住んでいる。識字率36%という状況ではその地域に対応した言語で水や食料などライフライン情報を放送しているコミュニティFMラジオ放送は唯一の情報源であり、そのため、ネパールには非営利NGOが運営するコミュニティラジオ265局(山村中心)を含め、約500のラジオ放送局がある。

 地震発生直後は36カ所のコミュニティFMラジオ放送局が建物破壊、放送機材の破損、電源喪失、アンテナの損壊などで停止した。その後ほとんどの放送局は仮設テントなどの中から放送を再開したものの局舎、放送機器などの復旧を必要としていた。今回の地震でラジオ受信機を失ってしまった住民もいたが、大半の家庭では1台の受信機または携帯電話機(ラジオ受信機能が付いている)を所有しているとのことであった。

仮設テント内で放送再開したFMラジオ放送局
仮設テント内で放送再開したFMラジオ放送局

 当初、支援事業としては特定非営利活動法人BHNテレコム支援協議会がこれまでミャンマー・ヤンゴン市近郊(サイクロン被害)やハイチ(地震被害)、フィリピン・レイテ島(台風被害)で採用した地域情報伝達(CA)システム(一種の防災放送システム)などの導入を考えていたが、キャンプ生活者の状況や現地団体、識者などとの情報交換を通じてコミュニティFMラジオ放送設備の復旧に主眼を置くことにした。被災状況や安全性、アクセスの難易などを考慮して今回の地震で大きく被災した7放送局を支援対象局とした。

 これら放送局の修復事業を6月8日から10月15日までの予定で現地責任者と技術専門家の2名を派遣して救援活動を続けている。世界各国から来る救援隊と被災側との調整をはかる国連人道問題調整事務所(UNOCHA)の緊急通信クラスター(ETC)を訪問した際に紹介された世界コミュニティラジオ放送協会(AMARC)アジア太平洋地域事務所(カトマンズに本拠)を現地パートナーとした。ジャパン・プラットフォーム(JPF:緊急人道支援に関して日本の加盟NGOをさまざまな形でサポートする中間支援団体)から資金の援助を受けた。支援内容としては放送局舎の新建設や改修に加え、スタジオ内装備、内装、アンテナタワーや電源などの設備提供である。

 カトマンズから支援する7カ所の放送局まで車で片道数時間もかけてクネクネと山襞(やまひだ)の山道を縫って走ることになるが、一部は未舗装で土ほこりと泥でぬかる悪路を走らざるを得ない。余震も続くなか、6月から9月初めにかけては雨季の最中である。時々発生している落石やがけ崩れおよび洪水で思うように現地に入れない状況が続いているので、本格的な建設作業や機材の搬送は9月の雨季明けを待たなければならない。

 ネパールはインドの風習や宗教の影響を強く受けている。初めて入国し驚いたことの一つは、聖なる牛を山村ではほとんど見かけない。ところが車と人であふれる雑踏の首都カトマンズ市街地の道路に牛が多く、悠々と寝そべっていることであった。

 山奥の高地に住んでいる人々は貧しく、識字率が低いとのことである。彼らが情報源として頼りにしているコミュニティFMラジオ放送局の一日も早い復旧を望んでやまない。

 特定非営利活動法人BHNテレコム支援協議会のBHNは、Basic Human Needsの略だ。情報通信も重要な生活基盤を構成する要素と考えて1992年に設立され、チェルノブイリ原発被災者支援を皮切りにNPO活動法人として国際協力活動を開始した。その後、東日本大震災を機に日本国内の災害支援活動にも参画している。現在は500名弱の個人会員と60数社の法人会員を擁して主に情報通信関係の企業OBのボランティアに支えられ、台湾、イラン、アフガニスタン、インドネシアなど14カ国で地震・洪水・津波などの自然災害や、戦争・内戦などの紛争時の緊急人道支援を実施してきた。

 さらにミャンマー、ラオス、タイなど12カ国で、テレメディシン(遠隔医療診断)など生活向上のための支援や、情報通信関係の人材育成(13カ国138名)も実施してきた。つい最近も、大洪水の被害に遭ったミャンマーに救援チームが出かけた。近年、科学技術外交の重要性が指摘されており、心強い限りだ。公的資金による政府間協力と共に、多くの途上国がわれわれのようなボランティア組織による支援も待ち望んでいることを、より多くの方々にお伝えしたい。

寺内賢一(てらうち けんいち) 氏のプロフィール
1940年生まれ。63年電電公社入社。1985~2003年中国で鉄道部コンサルタント業務に従事、NTT北京事務所、合弁リース会社に勤務した後、2008年から特定非営利活動法人BHNテレコム支援協議会活動に参加。

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