レポート

研究開発戦略ローンチアウトー第70回「10年目を迎える米国「科学イノベーション政策の科学」と日本のSciREX事業」

2016.02.18

林 信濃 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター 科学技術イノベーション政策ユニット

林 信濃 氏
林 信濃 氏

 文部科学省は2011年から、「科学技術イノベーション政策における『政策のための科学』推進事業」(SciREX)を実施しています。SciREXでは事業開始当初より、その研究成果を政策形成における客観的根拠(エビデンス)として活用するための取り組みがなされています。現在、第2期を迎えたSciREX事業は、SciREXセンター、大学を中心としたSciREX基盤的研究・人材育成拠点、そして公募型研究開発プログラムが有機的に連携する事業展開を目指しています。

 今後のSciREX事業の展開の参考にするためにも、SciREX事業より5年早く米国で開始された、エビデンスに立脚した政策形成のための「科学イノベーション政策の科学」(Science of Science Innovation Policy :SciSIP)の現状と成果を把握することは、非常に有意義です。その考えのもと、科学技術振興機構研究開発戦略センター(CRDS)科学技術イノベーション政策ユニットでは、米国におけるSciSIPの取り組みを継続的に調査※1しています。

※1 調査報告書「米国『科学イノベーション政策のための科学』の動向と分析」(CRDS-FY2015-RR-04 2015年11月)

 米国では、近年、SciSIPの他にも「エビデンスに基づく政策形成」という意識が高まり※2、政策立案に有効な「科学的」研究の重要性が認知されつつあるのが現状です。本稿では米国調査の概要と共に、その調査結果から得られた日本の科学技術イノベーション政策への示唆について、この場を借りてまとめてみたいと思います。

※2 エビデンスに基づく政策形成を推進する非営利団体 に、Results for America やCoalition for Evidence-based Policy がある。

米国SciSIP事業とは

 米国におけるSciSIP事業は、2005年にマーバーガー前米国科学技術政策局長兼大統領科学顧問が、科学政策の決定における政策担当者をサポートするために、必要なデータ、ツール、方法論を生み出す実践コミュニティの構築が必要であると言及したことによって立ち上がりました。同氏のスピーチを反映して、2006年、国家科学技術会議下に「科学政策の科学」省庁連携タスクグループ(ITG)が創設され、17の連邦機関がこれに参加し、08年には「連邦研究ロードマップ」を完成させました。

 この動きに対応する形で、関連する学術研究促進のためのファンディングとして、07年、米国国立科学財団(NSF)が公募プログラムを開始し、事業の枠組みが順調に整いました。このSciSIP公募研究プログラムの採択研究数においては、07 年度以降、年間30件前後の研究が採択されており、NSFのSciSIP予算も毎年600?900万ドルでほぼ安定的に推移しています。

 採択研究は3年間実施されるものが多く(中には単年の会合や研究に使われるものもある)、NSFによって以下のような6つのカテゴリーに分類されています※3

  1. 「イノベーションの測定と追跡」
  2. 「構造とプロセスが科学へ及ぼす影響」
  3. 「イノベーションにおける起業家精神および企業の役割」
  4. 「知識の創造・適用・普及」
  5. 「科学政策の実装」
  6. 「科学イノベーション研究への新たなアプローチ」

     ほかに、「単年カテゴリー」※4

※3 ただし、2014年はNSFによる分類が公表されておらず、筆者が分類を行った。

※4 単年だけで終了した研究分類も存在するため、煩雑さを避けるため統合した。

 2007年度から14年度までの212件の採択研究の傾向を分析すると、(1)「イノベーションの測定と追跡」と、(2)「構造とプロセスが科学へ及ぼす影響」に属している採択研究が、全体の3割強を占めています。これらの研究カテゴリーは、研究開発投資の影響評価や起業家行動の経済評価など、科学技術イノベーションの社会(主に経済的なもの)に与える影響を計測するものや、文献や特許の伝播のスピードを測定するもの、革新的商品が市場に与える影響など科学技術の進歩の測定を行うものが主流であり、マクロおよびミクロ計量経済学的モデルの使用や、データの統計的処理を採用している定量分析が中心となっています。この(1)と(2)に属する研究は、2008年以降、順調に採択件数を伸ばしています。

 一方、その他のカテゴリーに関しては、(3)「イノベーションにおける起業家精神および企業の役割」は産業や企業の側からイノベーションを捉えようという研究分類ですが、初年度は採択数が多かったものの近年は2?3件にとどまっています。また、(4)「知識の創造・適用・普及」は、知識やイノベーションの効果的な創造・伝播を対象にしており、2010年以降は毎年4件程度採択されています。(5)「科学政策の実装」は、限定的な分野での「実装」研究※5が多いものの、広い範囲での研究が毎年2?3件行われています。

※5 「リサーチパークとパーク内企業の業績の関係」「花粉媒介者の減少危機解決に向けた政策とその効果」等

 そして、(6)「科学イノベーション研究への新たなアプローチ」というカテゴリーは、毎年数件採択されています。この分類に属する採択研究は、哲学をベースにした定性的なアプローチや経済モデルとは異なる手法を試みているものが多いようです。例えば、2014年SciSIP採択研究の「哲学の研究および実践の科学技術・工学・数学教育や公共政策における貢献」は、派生した新聞記事について、SciSIPの研究者コミュニティだけでなく多くの一般読者が、賛否両論のコメントを700件近く寄せるという関心の高さを示しました。しかしながら、このカテゴリーに属する研究は依然少数派であり、継続的な研究にはなっていません。

米国SciSIPの政策立案への寄与

●行政担当者と研究者とのギャップ

 研究公募が2007年に開始され、ほぼ10年目を迎えるSciSIPプログラムですが、その研究成果は実際のところ政策立案に活かされているのでしょうか。

 その良い検証結果があります。SciSIP事業の方向性を実質的に検討している省庁横断ワーキング・グループ(IWG:米国科学技術政策局、および国立科学財団、国立衛生研究所、農務省、エネルギー省等の省庁の担当者から構成される)のメンバーが、2008年に出版されたロードマップに記載されている10の研究課題の達成度について、IWGのメンバーとSciSIPで研究を行っている研究者らにアンケート調査を行いました※6。その結果、行政コミュニティと研究者コミュニティで大きく認識が異なることが明らかになったのです。

※ 6 "SoSP: Are We There Yet?"Avery Sen。2015 AAASフォーラムでの発表より

 前者の多くが、ロードマップの研究課題は今でも重要だが十分な成果が挙がっていないという意見を示しました。ところが、後者の多くは、今でも重要だと考える多くの研究課題で、政策に利用できる成果が挙げられていると答えたのです。研究課題の達成度において、行政コミュニティは研究者に反して、もっと政策に使える研究成果が必要であると考えているようです。このSciSIP公募研究の成果を巡る認識の違いは、幅の広い実証的な研究を行う米国SciSIPですら、研究成果を政策に反映する困難さを示していると考えられます。

 このような背景の中、最近、SciSIPコミュニティでは、ロードマップの改定を議論したり、行政担当者と研究者との議論の場を増やしたりすることで、コミュニケーションギャップを埋めるための積極的な取り組みを増やしていると、現地調査の際に関係者から聞くことができました。

●エビデンスとしての実証研究

 一方、SciSIP公募研究で一番多く採択されている機関は、実証的経済分析で有名なNational Bureau of Economic Research (NBER; 全米経済研究所)であり、それ以外に採択された機関の多くのSciSIP研究も、実証研究を実施している点が特筆すべき点だと考えられます。では、実証的研究(多くが計量経済学的手法を用いている)がどのように政策に活用可能なエビデンスとなっているのでしょう?

 例として、Science誌に掲載された実証的SciSIP研究※7を挙げましょう。この研究は、大学の研究者の研究および獲得資金データ、大学への官民からの研究開発資金のデータ、そして国勢調査のデータを連結させ、大学の博士課程終了後の学生が労働市場でどのような待遇を受けていのるか、また、雇用機会と給与にどのような影響があるのかを分析したものです。本研究では、3,197人の博士課程修了者に対して7年間の調査を行い、そのデータを計量経済分析し、博士号取得者を雇用した企業の特性や勤務地、雇用条件の分析を行っています。学位取得後、どこの地域でどのような企業や大学に就職し(もしくは起業し)、どのような待遇で何の仕事をしているのかの傾向を知ることができます。また博士号取得者の専門分野による給与や待遇の違い等も明らかにしました。

※7 "Wrapping it up in a person: examining employment and earnings outcomes for PhD recipients" Nokolas Zolas et al. Science Vol.350.Issue 6266. December 2015. pp1367-1371.

 具体的には、調査した博士号取得者全体の40%が民間企業に就職しています。工学およびコンピュータサイエンスを卒業した博士号取得者は、民間、公立問わず設立間もない歴史の浅い企業・機関に就職していることも分かりました。数学、コンピュータサイエンス、工学の卒業生が最も高い賃金を得る一方、生命科学系の博士号取得者は、彼らほど高い水準の給与を得られていないという結果が得られました。生命科学系の卒業者は、高い比率でポスドクの職を得る傾向にあるため、平均給与が伸びないのです。こういったエビデンスは、研究・教育政策だけでなく、産業政策を立案する上でも考慮すべき点でしょう。

 また多くの博士号取得者は、研究を行ったり、トレーニングを受けたりした大学の近隣に引き続き住み続ける傾向にあるため、卒業後、彼らの経済活動が地域経済に貢献すると指摘されています。つまり研究開発への投資が新しい研究者を育て、卒業後は地域経済の推進力になることで、一種の経済政策的側面を持ち合わせていることが分かります。

 そして、この研究でデータの連結が図られたことで、博士号取得者の卒業以降の動向を90日ベースで追跡できるようになりました(雇用に関する国勢調査は90日間隔なので、転職しても追跡が可能)。これにより、将来、画期的なイノベーションが起きたときに、どのような学歴・キャリアパスを通った人材が、イノベーションを引き起こしたかを掴めるようになると、本研究は期待しています。またこの研究により、どのような分野の博士号所得者が、どういった産業や企業で働いているかを知ることができるため、今後、研究開発投資を決定するための参考になると筆者たちは考えています。

日本のSciREX事業への参考として

 我が国のSciREX事業は、公募型研究開発事業だけでなく、基盤的研究・人材育成拠点、データ・情報基盤整備と、さまざまなプロジェクトが同時並行的に行われています。事業の1つである公募型研究開発プログラムは、平成23年度より平成26年度までの4年間に、毎年5?6件の研究採択を行っていて、4つのカテゴリー※8に関わる「中長期に政策形成に寄与する手法・指標等の研究開発」に取り組む研究を採択しています。SciREXの公募型研究開発プログラムを運営する科学技術振興機構社会技術研究開発センター(RISTEX)の成果報告書および事後評価報告書によると、傾向として政策立案における貢献を念頭にした研究が主流になっています。

※8 「戦略的な政策形成フレームワークの設計と実装」「研究開発投資の社会経済的影響の測定と可視化」「科学技術イノベーションの推進システムの構築」「政策形成における社会との対話の設計と実装」

 さらに、SciREX事業においては、中核的拠点が政策研究大学院大学に置かれ、行政との対話を持ちながら研究の推進を図っています。「政策シナリオ作成」「政策効果分析」、そして「政策形成プロセス」といった項目を持続的に発展させるためには、いかに研究者、行政担当者を取り込みつつコミュニティの充実化を図るかが重要な要素ではないでしょうか。一方で、多角的な観点から政策課題や研究課題を理解するために、政策担当者と研究者、その他関係者が率直な議論を行う場を提供している「SciREXセミナー」等による共通理解の場を共有することで、SciREX関係者の親密な関係も築かれつつあり、今後の発展が期待されています。

 既に述べたように、米国SciSIPの多くの公募研究に見られた実証的研究は、SciSIPの強みであり、エビデンスの創出には欠くことができません。我が国のSciREX事業もこの分野を強化していくべきではないでしょうか。

 しかし一方で、かつてHarvard University Kennedy Schoolの科学技術公共政策プログラムディレクターだったLewis Branscombは、政策分析への偏向が研究や教育プログラムに存在すると指摘し、研究成果など客観的事実(エビデンス)を基にした政策デザインをもっと重視すべきと説いています※9。SciREX事業のさまざまな取り組みは、未だ進化の途中であるものの、研究成果が政策分析にとどまらず政策にどのように活用されるかを念頭においていて、現在も試行錯誤しながら政策形成への道筋を作ろうとしています。 実証的研究を推進しつつ、引き続き、政策立案への貢献を念頭にした研究の設計・実施を行うことが、SciREX事業が「科学」として「政策形成」と共進化していくための重要な要素であると、私は考えています。

※9 座談会「科学技術政策と構成学、その具体化と価値への"つながり"」Synthesiology Vol.5 No.2(2012) pp61-62.

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