レポート

研究開発戦略ローンチアウトー第54回「生活する科学者を目指して -井の中の蛙大海に挑む-」

2014.02.20

渡辺美代子 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター 環境・エネルギーユニット フェロー

渡辺 美代子(科学技術振興機構 研究開発戦略センター 環境・エネルギーユニット フェロー)

科学技術振興機構 研究開発戦略センター 環境・エネルギーユニット フェロー 渡辺 美代子 氏

 科学と社会の関係が議論されるようになって久しいこの頃です。社会のための科学、社会における科学が世界中で求められ、日本も例外ではありません。研究開発戦略センターでもこの課題に正面から取り組み、さまざまな試みをしています。ここでは、生活を社会の主要部分と捉え、20年以上企業で仕事をして来た者の視点から、「生活と科学者の関係」について考えてみました。

生活と縁遠い科学者像

 昔から、科学者は「一般社会の生活とは最も遠い存在」「生活などには興味がなく、ひたすら自分の専門だけを追いかけ、友達もいない」「家族の暖かさも求めない」「おしゃれや人目も気にしない」「決してイケメンではない」…そんな存在として社会に認知されてきたように思われます。しかし、当然ながら科学者の中には、生活感のある人、誰よりも人を愛する人、イケメンもいるのが事実です。

 ではなぜ、そのようなイメージばかりが世の中で定着してしまったのでしょうか。その要因の1つとして、科学者が社会における一般の人たちとあまり会話をしなかったことが、挙げられるのではないでしょうか。積極的に会話しない理由もそれなりにあります。何と言っても科学は面白い。理論整然としていて美しい。客観的で、追い求めるべきものがあります。「誰が好きだ、嫌いだ」とか「このようなことをしたら失礼」というような、面倒な世界とは異なります。数式にはごまかしがありませんし、実験結果は自然をしっかり語ってくれます。自分の作った実験装置は子供と同じ、酷使すれば悲鳴を上げて壊れることもあり、かわいがって大事にすれば素直にデータを出してくれ、愛情も湧いて来ます。ですから、科学だけの世界に閉じこもるのは結構楽しいものです。「それが何の役に立つのか」、そんなことは別の人に考えていただきたい。科学をする人と応用を考える人は、別であってもよいではないですか。それぞれ責任を持って専門を極めることこそ大事、開発にうまくつながらないのは応用技術者の責任と思いたい …私自身、長い間このように考えていました。

携帯電話開発の経験

 しかし「これではいけない」と思うきっかけが、いくつかありました。

 携帯電話が世の中に普及し始めたころ、私は企業の研究所で研究をしていました。その研究所では無線通信の研究者が増え、携帯電話の開発研究に明け暮れていました。優秀な研究者が無線通信グループに集められ、携帯電話の開発に多額の研究費も投じられ、しかし開発した製品は全く売れませんでした。

 ある時、社外の経営者が来所し、その研究者たちに「自分の生活でどれだけ携帯電話を使っているのか」と尋ねましたが、誰も使っていませんでした。その人は「自分で使っていない携帯電話をどう開発すべきか分かるはずがない」と、一笑して帰られました。

 それ以降、研究者たちは自分のターゲットとなる製品を誰よりも早く自分で使い始め、誰よりも製品のヘビーユーザーになりました。そして彼らは、自分の生活で製品を使うことを楽しみ、製品に興味が広がり、さまざまな挑戦に積極的に取り組むようになりました。開発がうまく行くようになったことより、目を輝かせながら研究をするようになった彼らが、とても魅力的に思えました。

時間より大切なもの

 欧州に出張し、ドイツ人とフランス人と待ち合わせをすることがありました。案の定、フランス人だけが遅刻して来ました。「フランス人は時間を守らない」という話になったところ、そのフランス人は自分の言い分を話し始めました。「人生には時間なんかより、もっと大事なことがたくさんある。小さな時間に縛られてばかりいたら、人生の大事なことを見失ってしまう」。

 多くの日本人には理解し難いことかもしれませんが、私は一理あると思いました。人の言い分は聞いてみないと分からない。自分と異なる人と会話することの重要性を肌身で感じた一瞬でした。

専門家と素人の競争

 先日、ある大学の先生の紹介でNHKの「すイエんサー」という番組を見ました。大学で学んだことがない「すイエんサーガールズ」と、一流大学の理工系学生たちのチームが科学的な解決を競うもので、例えば「縄跳び3本を使ってできるだけ高い構造物を決められた時間内に作る」という課題が与えられ、競争するものです。多くの場合、すイエんサーガールズが大学生に勝つのです。「大学で科学を学ぶとは、どういうことなのだろう」と思わず考えてしまいました。彼らが競っている様子をじっくり観察すると、大学生は各自が考える時間が長く、一方、すイエんサーガールズはよく話しています。1人で考える時間より、相談している時間が圧倒的に長いのです。“三人寄れば文殊の知恵”とはよく言ったものだと、感心しました。

挑戦する科学者

 このような経験を経て最近は、科学者が専門の世界に籠ることの“危うさ”を感じるようになりました。実際、人文社会の研究者や企業の営業の人たちと会話をすると、初めはなかなか互いの常識が通じず違和感を持つのですが、ふとしたきっかけで自分の悩みの抜本的解決につながるヒントを与えてくれることも、たびたび経験するようになりました。文理融合は科学者が進むべき1つの道です。しかし、決して簡単ではないのも事実です。また最近は、科学者と科学とは関係ない世界で生活する人たちとのコミュニケーションの重要性が注目を浴び、そして、その難しさが社会的問題となっています。

 このような非専門家や一般の人との会話は科学者として解決しなければならないものの、どこから始めてよいのか簡単には解が見つまりません。しかし、困難なことに挑戦することこそ科学者の使命であり、解決が容易なことばかりを求めるのは科学者でなくてもできることです。自分の専門とは遠い人に興味を持ち、じっくり会話し、自らの生活で新技術を試し、新たな発見を求める——そんな科学者でありたいと、思うようになりました。これまでの科学者が“井の中の蛙”であるなら、この“蛙”も大海をしっかり見て、たまには大海で泳ぐ挑戦をしてみたいと思うのは、無謀なことでしょうか。

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