レポート

研究開発戦略ローンチアウトー第31回「ソーシャルメディアの普及が科学研究にもたらす変化」

2012.01.20

小山田和仁 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター フェロー

小山田 和仁(科学技術振興機構 研究開発戦略センター フェロー)

科学技術振興機構 研究開発戦略センター フェロー 小山田 和仁

 近年急拡大しているソーシャルメディアの影響は、科学技術の世界にも及んでいる。ブログやTwitterなどで、広く社会に対して情報発信を行う研究者も増えており、特に昨年の東日本大震災においては、福島第一原子力発電所事故に伴う放射性物質の拡散状況や健康への影響などについて、Twitterなどを通じた研究者による情報の発信や解説が行われ、その重要性に注目が集まったのは記憶に新しいところである。

 このような研究者間、あるいは研究者と社会とを結ぶコミュニケーションの新たな媒体としてのソーシャルメディアの重要性は今後も高まっていくものと想定される。一方、ソーシャルメディアには、このような一種の科学コミュニケーションのツールとしてだけでなく、科学技術における知識生産プロセスや研究活動そのものに大きな変化を促す可能性がある。本稿ではこの点について、変化の兆候とその政策的含意についての筆者の意見を述べる。

科学研究における知識生産と品質管理システム

 「出版か、さもなければ破滅か(Publish or Perish)」という言葉に象徴されるように、研究成果を学術雑誌に発表することは、研究資金などの資源の獲得、研究コミュニティにおける研究者個人の評価やその後のキャリア形成に直結するため、研究者にとっては最も重要な活動である。また、科学における新たな知識は、論文という形式で、その分野の同僚の研究者による査読を経て公刊されることにより初めて科学的知見として承認される。このため査読による品質管理は、科学研究における知識生産において非常に重要な役割を果たしている(図1)。

図1. 科学研究における伝統的な知識生産と品質管理のプロセス
図1. 科学研究における伝統的な知識生産と品質管理のプロセス

 しかしながら、一方でこのような科学的知識の生産・品質管理システムは、以下のような課題に直面している。研究競争の激化や研究評価への文献情報の利用の拡大などに伴い、評価が高いとされる特定の雑誌に多数の論文投稿が集中し、査読結果が出るまでに長い時間がかかってしまう。学際的・先進的研究については伝統的な学問分野の雑誌では認められにくい、あるいはそもそも投稿先がない。論文の著作権が出版社に帰属する場合、著者がウェブサイトなどにおいて自身の論文を配布することなどに制約がかかる。

 このような問題は、新しい知識の普及を阻害し科学自体の発展を遅らせる可能性がある。また、研究者個人のキャリアという観点から見ると、任期付きの職にいる若手研究者などにとっては、在任期間中に成果が発表できるかどうかは、その後の研究者としてのキャリア形成においてまさに死活問題である。

ソーシャルメディアによる新しい知識生産と品質管理システムの可能性

 そこで、上記のような課題に対して、ソーシャルメディアを活用し、科学研究において新たな知識生産と品質管理システムを導入しようという取り組みがすでに行われている(*1, 2)。紙幅の都合上詳細は省くが、その概念を図2に示す。

図2. ソーシャルメディアを用いた知識生産と品質管理のプロセス
図2. ソーシャルメディアを用いた知識生産と品質管理のプロセス

 伝統的な方式との相違点は、論文として出版する以前の段階で研究成果や検討内容を公開すること、そして、従来の研究者による審査に代わり、オンライン上でのコミュニティによる審査・評価を導入する点にある。その中には、オンラインの保管庫(アーカイブ)に収める形で利用者誰もが利用できるように公開するものから、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を用い、ある特定の研究テーマや話題に関心を持つ人々がオンライン上にコミュニティを作り、そのコミュニティ上で研究成果を評価するというものもある(*3)。

 このような方式の利点としては、

  • 査読の遅れや掲載待ちということがなく、研究成果をより早く発表し、知識を共有することができる。
  • 学際分野や新興分野の場合の発表の場を、雑誌を新たに作るよりもはるかに少ないコストで構築、運用できる。
  • 途中の段階であっても公表することにより、コミュニティからのフィードバックを得ることでより良い形の成果に結びつけることができる。

 などがある。その一方、課題としては、

  • 適切な品質管理が保証されるか(オンラインコミュニティの構成員の専門性は適切か)
  • オンラインコミュニティ特有の一過性の流行などにより、研究の方向性が左右されることはないか。
  • 著者という形で代表される知識への貢献の度合いや、知的財産権の帰属先などについての線引きが難しくなるのではないか。

 という点が想定される。

 1点目の品質管理については、研究者だけでなくさまざまな利害関係者が参加し、より開かれた形の品質管理の方法として発展する可能性も指摘されている(*4)。2点目の一過性のムーブメントの問題については、従来の知識生産の進行管理(ゲートキーバー)の役割を担っていた雑誌編集者に代わり、オンラインコミュニティの中で主導的な役割を担う人々が同様の役割を担うことにより対応することができる可能性がある。3点目の知識の帰属先やオーサーシップ(Authorship)、知的財産の所有に関する問題は、知識そのものを生み出すインセンティブとも関係することから、適切な管理や保証のシステムが求められることになる(*5)。

政策的含意

 これまで述べたソーシャルメディアを使った知識生産と品質管理の取り組みは始まったばかりであり、学術雑誌をベースとした伝統的な知識生産・品質管理の方式はいまだ大勢を占めている。しかしながら、大規模出版社による市場の寡占による科学雑誌の価格上昇、著作権の出版社への譲渡に起因する知識流通の阻害という現象は、一方で知識・研究情報に関するオープンアクセスへの流れを生み出し、大学・研究機関による独自のリポジトリの構築の取り組みの拡大につながっている。このような状況を踏まえると、ソーシャルメディアを活用した知識生産と品質管理のプロセスの利用の拡大や、伝統的な方法論との組み合わせが加速する可能性がある。

 このようなソーシャルメディアの活用の拡大は、科学技術イノベーション政策において新たな可能性と課題をもたらすことも想定される。例えば、現在、科学技術政策の分析や評価において大きな役割を担っている科学計量学の方法論は、論文数や引用関係などに基づくため、どうしても過去の情報を扱うことになり、その分析結果はどうしても時間的な遅れを伴う。一方、知識生産と管理プロセスがソーシャルメディアを通じて行われるようになると、オンライン上のメタ情報を収集・分析することにより、リアルタイムでの研究動向の把握が可能となる。そのようなリアルタイムでの分析結果は、研究開発投資の方向性やファンディングプログラムの対象領域の設定などにおいて重要な示唆を与えるものと想定される。

 さらに、小売・流通業において、店頭販売情報をリアルタイムで管理するPOSシステムがその業種におけるサービスや商品開発の方法論を転換したように、科学技術イノベーション政策の実施体制や政策手段の転換を促す可能性もある(*6)。その一方で、非伝統的な知識の品質管理の方式が拡大することで、「何が科学的知識か」という科学的知識の正当性をめぐる問題が拡大する可能性もある。

 本稿の内容はあくまで現在観察できる兆候から類推される潜在的な可能性についての考察であるが、「ドッグイヤー」という言葉で示されるように、情報通信技術の発展は日進月歩であり、本稿で述べた事象が近い将来に顕在化することもあり得る。また現在、わが国で進められている「科学技術イノベーション政策の科学」における重要な課題にとなりうるため、今後も注意深く観察していくことが必要であろう。

 科学技術政策研究所にて行われた講演会「研究者間コミュニケーションを根本から変える文書管理の変革」におけるMendeley社CEOのDr. Victor Henningの講演および講演会後の意見交換から大いに示唆を得ている。Henning氏ならびに関係者の方々に感謝申し上げる。

参考文献

  1. 具体的事例については次の記事が参考になる。“Cracking Open the Scientific Process,” The New York Times, January 16, 2012
  2. ソーシャルメディアやウェブ技術がもたらす科学研究の変化を「Science 2.0」と位置づけ、従来の科学研究(Science 1.0)との違い論じるものもある。Bartling, S. ”Four pillars of Science 2.0: How to enable web 2.0 for scientists and overcome the legacy gap.”
  3. 前者の例としては、物理学や数学の文献を集めたarXivなどの各種アーカイブや大学・研究機関リポジトリなどがあり、後者の例としては、研究者を対象としたSNSであるResearchGateや文献管理ソフトMendeleyの利用者によるSNSなどがある。
  4. Ravetz, J. “Keep Standards High,” Nature, Vol.481, 25 (5 January 2012).
  5. 同種の問題意識に基づく著作権管理の新しい手法としてはクリエイティブ・コモンズ・ライセンスがあるが、科学研究における知識生産活動全体を視野に入れた場合には限界があると思われる。
  6. ソーシャルメディアの活用は日常の研究活動にも及んでいる。研究所内や研究グループ、学会等でのSNSや掲示板を活用した研究遂行上の課題等についてオンラインでの情報交換に加えて、オンラインでのマッチングサービスを活用した、研究活動のアウトソーシングの取組も行われている。一例としては以下の紹介記事を参照。Corbyn, Z.“An eBay for Science,” Nature, Published online, 19 August 2011:

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