レビュー

公務員に博士は不要か

2009.03.24

 「社会のための科学」をうたったブダペスト宣言が採択された世界科学会議から10年になるのを記念する講演会が13日、科学技術政策研究所と社会技術研究開発センターの共催で開かれた。講師の吉川弘之 氏・産業技術総合研究所理事長は、10年前の世界科学会議で基調講演を行っている。この講演の柱となる主張は、ブダペスト宣言の内容とまさに同じだったが、事前のすり合わせなどはなく期せずしてそうなったことが、この日の講演で吉川 氏から明らかにされた。

  氏の講演は、科学に対する要請とそれに対する科学者側の対応がどのように変化してきたかに始まり、現在、社会と科学界が抱える課題まで網羅したものだった。ここであらためて浮き彫りになったのが、社会の期待に科学者が十分対応できていないのではないか、ということだったように思われる。

 講演後の質疑の中で、科学の役割は、社会に役立つことだけに限定しなくてもよいのではないか、という意見も会場から出た。吉川 氏の答えは、科学者のオートノミー(自律性)の重要さは当然であり、その上で、社会への貢献がこれまで以上に問われるようになっているというものだった。

 ただ、科学者側、特に多くの若い研究者にそこまで考える余裕もチャンスもない、という実態があることにも触れている。国の政策で博士号取得者をたくさん作っておきながら、ポスドクで研究成果を挙げても恒久的ポストが用意されていないことを厳しく批判する一方で、大学の研究者育成が狭い領域の研究しかできないような構造的な欠陥を持つことも同時に指摘しているからだ(2009年3月23日ハイライト・吉川弘之 氏・産業技術総合研究所理事長「ポスドク活躍の道を組織的に」参照)。

 この対策として産業技術総合研究所で昨年から始めた具体的な取り組みを紹介する一方、「役所が博士を採るべきだ」と 氏が指摘していたことが興味深い。博士号取得者は、自分の納得したことしかやりたがらず公務員には不向きだと決めつけているのはおかしい、という批判が根底にあるのがうかがわれる。

 公務員制度改革が大きな政治課題になっている。新聞などで伝えられるのは、政治家が幹部公務員の人事権を握るのか、官僚に委ねるのかに焦点が置かれている感がする。国民の多くが期待する公務員像というのは何か、といった基本的な話は日々の報道に向いていないからやむを得ないだろう。しかし、一般の国民が求める公務員像というのは簡単ではないか。自分の利益最優先ではなく、公のために奉仕する精神に富んだ誠実で有能な人間。特に指導的な立場に立つ公務員は、リベラルアーツを身につけ、さらに深い専門的知識と洞察力に富んだ人物であってほしい、と。

 これほど博士過程まで進む人が増えている時代である。学部卒、修士卒より、むしろ博士号を持つくらいの人が指導的な立場に立つ公務員としてよりふさわしい、と言えないだろうか。

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