レビュー

科学者はどこまで社会にかかわるべきか

2008.02.25

 NPO法人サイエンス・コミュニケーションの発行するメールマガジン「SciCom News」(毎週月曜配信)の巻頭論説で、春日匠 氏が、1848年に設立された米国の非営利団体AAAS(全米科学振興協会)が果たしてきた役割について書いている。

 春日 氏は、この中で「科学技術コミュニケーション」に関する日米の違いについて論じているが、その中に次のようなくだりがある。

 「ノンアカデミック・キャリアを選ぼうとした瞬間に、指導教官から『じゃあ博士号はいらないね』と言われたり、そこまで酷くなくても指導がいい加減になるというのはよく聞く話である。自分の分野を理解し、場合によっては博士号を持った議員、弁護士、ジャーナリストなどが活躍することが、自分の研究分野にとってどれだけエンパワーメントになるかを考えれば、そういう可能性を自分から封じてしまうのは馬鹿げているだろう」

 日本の科学者たちが閉鎖的であることの例として挙げているのだが、では、米国の科学者・団体はなぜ社会的なつながりを重視しているのか? 春日 氏の主張の紹介を続ける。

 「アメリカでは宗教右派が政界に大きな影響力を持っており、学問の自由に対して抑圧的であると見なされている。そこで、科学者たちは常に学問の社会的意義を問い直し、それを表明していく必要性に駆られているわけである。特に、進化論は宗教右派と科学者の抗争の最前線であり、AAASでも大きな議論が交わされていた」

 「一方で、人権や社会的利益を追求することの見返りが存在しているという側面も指摘できる。例えばアフリカの問題などは今や世界最大の非営利財団であるビル・メリンダ・ゲイツ財団が積極的に支援を行っている。このため、第三世界の健康問題には大きな予算がついている。こういったことは、研究開発費が(企業による営利活動以外は)国費に限られており、研究費の分配も政府による戦略的な配分か、割り当てられた予算を科学者たちで分配する科研費に限られている日本ではあまり考えられない」

 米国と日本の科学者とでは、どうもモチベーションが異なるので、「科学コミュニケーション」などといっても…、と話は続く。

 「アメリカでは常に科学者が科学者以外のジャーナリストや政治家、法律家、慈善事業家たちを科学のシンパにしておかなければいけないというモチベーションが働くのに対して、日本では研究費にアクセスする権利を持った同業者たち以外のものを議論に参加させまいという力が働くのではないだろうか?」

 そうは言っても、昔に比べると社会に向けて発言するのを嫌がらない科学者たちも日本に増えてきた。そんな感想を、例えば年配のジャーナリストたちは抱いているのではないかと思われる。

 いや、いまのような生ぬるい個別の活動では駄目。「若手の自然科学者に資金を提供して政策フェローとしてワシントンの各組織に送り込む」。日本の科学者団体がこのような積極的な活動を展開する時代が、日本にもいつか来るだろうか。春日 氏がAAASの重要な活動の一つとして紹介しているような。

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