レビュー

高校で習うべき学習内容を考える責任は

2006.12.12

 高校で学ばなければならない科目の未履修問題は、どこまでの関係者が責任を負うべきなのか、ますます分からなくなってきた。

 12日の読売、産経両紙の朝刊トップ(社会面にも関連記事)は、いずれも東京都教育委員会が、10から20校にも及ぶ都立高校の未履修を容認あるいは黙認していた、という内容の記事だった。

 「総合的学習」あるいは「理科総合」といった科目を履修したことにして、実際は「『入試対策基礎講座』や『センター試験講座』などの名目で、受験教科の一斉授業を行っていた」(産経)り、「『長文英語』や『ヒヤリング』『センター試験向け数学』など受験対策色の強いもの」(読売)などに振り替えていた、という。

 これに対する都教育委員会の姿勢は「未履修ではないとの判断を示し、黙認の態度」(産経)、あるいは「『学習指導要領で求められる内容になっている』と結論づけていた」(読売)。

 必修科目の未履修問題が、世間一般の知るところとなって以来、これまで明らかになってきたことは、何か。教育現場の驚くほど多くの当事者が、本来、高校で履修しなければならない学習内容は何かを、きちんと考えていない、という事実ではないだろうか。

 同じ12日の毎日新聞朝刊第2社会面に、福島県の教育長が、履修単位不足問題などの責任をとって辞任へ、という記事が載っていた。校長時代に教育長自身が、虚偽の授業実施状況報告書を県教育委員会に提出していたということだが、同程度の責任を持つ教育関係者は、全国にどのくらいいるものか。

 考え込んでしまう人は少なくないのでは…。(読売新聞、産経新聞、毎日新聞の引用は、東京版から)

ページトップへ