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ノーベル賞の中村氏「日亜と仲直りを」

2014.11.04

 2014年のノーベル物理学賞に決まり、文化勲章を受けた中村修二(なかむら しゅうじ)米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授は11月3日午後、東京・神楽坂の東京理科大学森戸記念館で記者会見し、職務発明対価請求の訴訟で争ったかつての勤務先の日亜化学工業(徳島県阿南市)に対し関係改善を呼びかけた。また、ノーベル賞の賞金約4000万円の半分を母校の徳島大学に寄付することも表明した。

 中村修二教授は青色発光ダイオード(LED)の開発で赤崎勇(あかさき いさむ)名城大学教授と天野浩(あまの ひろし)名古屋大学教授とともにノーベル物理学賞に決まってから、日亜化学と接触しようとしたが、なかなかできず、「会見してしゃべるのが唯一の方法」と思って、異例の呼びかけに踏み切った。「できれば、日亜化学の小川英治(おがわ えいじ)社長と直接会って、ざっくばらんに話したい。ふたりで話し合えば仲直りできる。互いに誤解があった。過去のことは忘れて、将来だけを見て、LEDを発展させるため、関係改善を図りたい。仲良くなれば、日亜化学と共同研究する可能性はある」と語った。

 中村修二教授は青色LEDの製造技術を発明した。日亜化学が特許を出願して、1993年に青色LEDを世界最初に発売してから業績を伸ばし、LEDで世界のトップ企業に成長した。中村教授は79〜99年、日亜化学に在籍した。退社後の2001年に起こした職務発明の相当対価請求訴訟で東京地裁は04年、日亜化学に200億円の支払いを命じた。

 日亜化学が控訴し、東京高裁は05年、和解を勧告し、大幅に減額されて日亜化学が約8億4000万円を支払うことで和解した。それでも、この和解額はこれまで職務発明の対価として企業が払った中で最も多い。和解後も両者は対立関係が続いていたが、日亜化学への就職を世話した恩師の多田修(ただ おさむ)徳島大学名誉教授らから、仲直りするよう助言されたという。

 中村修二教授は「われわれのノーベル賞には日亜化学の貢献が大きい。日亜化学は先導してLEDを世界に普及させてきた。そのリーダーシップを執った小川英治社長、高輝度青色LEDを一緒に開発した6人の部下、全社員に感謝している。(青色LEDの研究を最初に支援した)小川信雄(おがわ のぶお)社長の墓前にも墓参りしたい」と謝意を述べた。また「四国最大の企業になった日亜化学と関係を早く改善しないと、第二のふるさとの徳島に行きづらい」と悩みを語った。

 ただ、自らの訴訟で認められた職務発明の相当対価の権利が特許法の改正で否定されようとしていることについては「怒りを感じる」と強く反対した。さらに関係改善を求める動機について「人生は短い。私も60歳だ。けんかしたまま死にたくない」と言及した。母校の徳島大への寄付では「入社して数年間、徳島大学の恩師の多田修先生に装置を自由に使わせてもらった。これがノーベル賞につながった」と理由を挙げた。

会見で日亜化学との関係改善を呼びかける中村修二・米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授
写真. 会見で日亜化学との関係改善を呼びかける中村修二・米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授=11月3日、東京都新宿区の東京理科大学森戸記念館

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