広く知りたい - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」 https://scienceportal.jst.go.jp Thu, 24 Jul 2025 06:34:12 +0000 ja hourly 1 「日本はできると宇宙で示し、明るい未来へ」油井さん、ISS滞在控え語る https://scienceportal.jst.go.jp/gateway/clip/20250724_g01/ Thu, 24 Jul 2025 06:33:31 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=gateway&p=54653  宇宙飛行士の油井亀美也(ゆい・きみや)さん(55)が8月1日、国際宇宙ステーション(ISS)へと出発し、長期滞在を始める。一時帰国中に会見やサイエンスポータルの取材に応じ、「宇宙開発で日本がこれだけできると示し、皆さんに明るい未来を感じてほしい」と意気込みを語った。2015年以来、実に10年ぶりで自身2度目の飛行となる。航空自衛隊テストパイロット出身らしく新型宇宙船への関心が高く、滞在中にも到着する新型物資補給機「HTV-X」については「目の前に現れてくれたら最高」と期待を寄せた。

ISSへの出発を前にサイエンスポータルの取材に応じる油井亀美也さん=東京都千代田区
ISSへの出発を前にサイエンスポータルの取材に応じる油井亀美也さん=東京都千代田区

「明日にもまた」…はや10年

 計画では、油井さんは日本時間8月1日午前1時9分、米スペースX社の宇宙船「クルードラゴン」11号機で、米露の3人と共に出発。ISSの第73、74次長期滞在に参加して約半年にわたり滞在し、日本実験棟「きぼう」の科学実験などを進める。一時帰国中の6月4日に開かれた会見では、冒頭で「前回の帰還後の会見で『明日にでももう一度、宇宙に行きたい』と言ったが、あっという間に10年経ってしまった。訓練は非常に順調だ」と語った。

 今回の飛行のために決めたキャッチコピー(標語)は「明るい未来を信じ、新たに挑む!」。油井さんは、これが社会に漂う“不安”に配慮した言葉であることを明かした。「訓練のため海外で過ごす中で、日本のニュースなどを通じ、将来に不安を持つ方が多いことを心配している。しかし最先端技術が求められる有人宇宙開発で、日本は技術を積み重ね信頼を勝ち取り、世界からすごく期待されている。そこで私がISSで頑張り、成果を残したい。皆さんに日本を素晴らしい国だと誇りにし、未来は明るいと思っていただきたい」

 ISS滞在中に油井さんが行う活動について、SNSのX(旧ツイッター)の自身の投稿にコメントする形で、一般からのリクエストを歓迎するという。「1回目の滞在では分からないことが多かったが、2回目は余裕ができる部分で皆さんに恩返しをしたい。リクエストを遠慮なく言ってください」。採用されるとは限らず、個別の返信も難しいとみられるが、宇宙を身近な空間にしようとの油井さんの意気が感じられる。なお、飛行士の偽アカウントが多く注意したい。

HTV-X迎えたら「涙が出ちゃうんじゃないか」

 滞在中は「きぼう」の実験のみならず、注目が続きそうだ。ISSには同期の大西卓哉さん(49)が滞在中で、4月19日から日本人3人目のISS船長を務めている。大西さんはクルードラゴン10号機で到着しており、8月5日にもISSを離脱するまでの数日ほど、後続の11号機で向かう油井さんと引き継ぎの期間が生じる。計画通りなら2010年、21年に続き、3回目の複数日本人宇宙同時滞在が実現する。「友達と宇宙で待ち合わせるという機会はなかなかなく、非常に楽しみ。2人でできることを考えている」と油井さん。

2024年12月、報道陣に公開されたHTV-X初号機。ISS船内で使う物資を搭載する部分の結合前で、太陽電池パネルは折り畳まれた状態=神奈川県鎌倉市
2024年12月、報道陣に公開されたHTV-X初号機。ISS船内で使う物資を搭載する部分の結合前で、太陽電池パネルは折り畳まれた状態=神奈川県鎌倉市

 最も楽しみなのが、HTV-X初号機という。2009~20年に9機が活躍した宇宙航空研究開発機構(JAXA)の「こうのとり(HTV)」後継機で、機体構成の合理化を進め、能力を向上させたもの。大型ロケット「H3」で25年度中に打ち上げる計画で、油井さんの滞在中にISSに到着する可能性がある。前回の飛行では、接近したこうのとり5号機をISSのロボットアームで捕捉した。「HTV-X君が目の前に現れてくれたら最高。私は初号機の一部試験に立ち会ったり審査に参加したりした。前回のように優しくキャッチしたい。涙が出ちゃうんじゃないか」。

 前回、担当しなかった船外活動について問われると、「経験した方は『人生が変わるような素晴らしいことだった』とコメントされる。実施は決まっていないが、飛行士の仕事の花形だ」と意欲を見せた。

 ISSは2000年11月2日、米露3人の飛行士によって長期滞在がスタートしており、25周年が油井さんの滞在と重なりそうだ。同日以来、宇宙に必ず誰かがいる状態が四半世紀、続いている。記念日には油井さんら滞在中の飛行士が、メッセージを発信すると期待される。

「人間を感動させられるのは人間」

 個人的に注力したい活動の一つとして、写真撮影を挙げた。「仕事を100%やった上で、余暇に新しい価値を生みたい。前回は多くの写真を、皆さんに気に入っていただけた。今回はさらに役立つ撮影をしたい。具体的には防災科学技術研究所とのコラボレーション(協同)や、私がJAXAの「衛星地球観測コンソーシアム広報アンバサダー(大使)」をやっている関係のことをと、考えている。例えば台風が日本に迫る様子を私が宇宙から撮影し『気を付けてください』とメッセージを添えれば、防災に寄与できるのでは。人工衛星が撮った写真に、言葉を添えて発信することも考えている」

油井さんが前回のISS滞在中、写真に「日本が疾走する馬に見えた」と書き添えた2015年10月のXへの投稿
油井さんが前回のISS滞在中、写真に「日本が疾走する馬に見えた」と書き添えた2015年10月のXへの投稿

 会見で「地上の写真は人工衛星でも撮れる。人間が撮ることの価値は」と問われた。これに油井さんは「私には芸術的センスがあまりない。が、一言添えるだけでも、衛星写真とは違った価値が出るのでは。前回、東北地方から南に向かって日本を斜めに撮ったら、日本が力強く駆けている馬のように見えた。そう書き添えたところ、皆さんの励みになったように感じた」と応じた。2015年10月20日のXへの投稿で、油井さんの感性が光る一枚として話題を呼んだものだ。

 話は人工知能(AI)が進展した未来の、飛行士の存在意義にも及んだ。「私は自信を持って『人間にはこれができる』『人間を感動させられるのは人間だけ』と、説得力のあることを言えなければならない。しっかり情報発信していきたい」とした。

ポストISS「知見、出し惜しみせず支援を」

 次世代の宇宙ステーションに向けた議論は、差し迫ったものとなっている。ISSは運用延長を繰り返し、2030年までが合意済みだ。米国はさらなる延長はせず、同年に運用を終えることを計画。それ以降は、民間企業による新ステーションを、米航空宇宙局(NASA)などの宇宙機関がユーザーとして利用する見込みだ。NASAは26年にかけて、その利用サービスの調達先を選定する。国内でも文部科学省の専門部会などで議論が活発化。複数の日本企業が、基地構想を持つ米企業と提携などを進めている。なおISSは元々、設計上の寿命を30年ごろに迎えるとされていた。

国際宇宙ステーション。2030年に運用を終える運びとなっている(NASA提供)
国際宇宙ステーション。2030年に運用を終える運びとなっている(NASA提供)

 その“ポストISS”について、油井さんは「開発期間が必要で、喫緊に考えないといけない。民間ステーションを造り継続利用するための知見は、ほぼ全て実証できている。各国の宇宙機関が得た知見を出し惜しみせず、チャレンジする企業にどんどん渡して支援することが重要だ」とした。新ステーションはISSのように飛行士が必ずしも常駐せず、可能な無人化を進めるものになりそうだ。飛行士の滞在が望ましいシーンについて、油井さんは「相手のことを思い、話の行間を読むといったリアルタイムのコミュニケーションは、人間でないと難しい。実験の趣旨に合う写真撮影なども、人間の方が効率は良い」と例示した。

 会見で「世界が分断を深めている状況をどう見ているか。ISSにできることは」と質問されると「私は前職が自衛官で、平和に対する思いが強い」と語り、こう続けた。「ISSでは各国の飛行士が、文化や言葉を尊重し合い非常に仲良く平和に、大きな成果を上げている。地上にこの文化を広められれば、地上はより住みやすくなり、人が戦火に苦しむことが最終的にはなくなると思う。例えば『この政府が悪い』『リーダーが悪い』と諦めるのではなく個人ができることをして、相手の文化を敬うことを繰り返していけば、少しずつ良い方向に変わっていく。私がISSに行った時に、お手本を見せたい」

「宇宙船の違い、興味深い」

 今回の長期滞在で焦点となったことの一つに、往復の搭乗機がある。油井さんはかつて未発表ながら、米ボーイング社の宇宙船「スターライナー」の本格運用初号機に搭乗するとみられていた。しかし同機は2024年6月、有人試験飛行の往路でエンジン関連の複数の問題が判明。安全性への懸念から計画を変更し、無人で同9月に帰還した。NASAがトラブルの原因究明や対策の作業を進めている。こうした経過を経て25年3月末、油井さんらがクルードラゴンに乗ることが正式に発表された。

会見する油井さん(左)。右は第73次長期滞在期間にJAXAの実験などの遂行を統括する松崎乃里子インクリメントマネージャ=東京都千代田区
会見する油井さん(左)。右は第73次長期滞在期間にJAXAの実験などの遂行を統括する松崎乃里子インクリメントマネージャ=東京都千代田区

 一連の経緯について、油井さんは次のように説明した。「乗る宇宙船が最終的に決まるまでは、どちらにも対応できるようにしていた。当初はスターライナーで飛ぶ可能性が高いとされ、先行的に訓練した。ただ、有人試験飛行が想定通りには終わらず、私が乗る時期に(本格運用が)間に合わないと分かった。その時点ではどちらに乗るか決まってはいなかった。そこでクルードラゴンに乗る訓練に移行し、今に至る」。油井さんと同乗する米露の3人も、飛行計画の変更を経験しているという。

 こうした経緯も、油井さんは至って前向きに捉えている。「私は本当に運が良かった。設計思想が全く違うスターライナーとクルードラゴンの両方を見られたからだ」。前回の飛行ではロシアのソユーズに搭乗しており、会見では「宇宙船の違いが興味深い」として、3機種の“油井さん視点”の特徴を紹介した。1967年初飛行のソユーズは「信頼性があり、少しずつ改良してきた」、2020年から本格運用中で自動操縦が基本のクルードラゴンは「自動化され、飛行士は地上(管制室)のコントロールをモニターしておけばよい」などとした。

 開発に時間がかかっているスターライナーについては「何かが壊れても対処できるといった具合に、手動で多くのことができる。有人試験飛行でいろいろな不具合が起こっても、設計が良かったからこそISSにドッキングできた。ただ手動でできる部分が多いということは、それだけ高度な訓練が必要で、スペシャリストがいないと飛べないことにもなる」と表現した。

油井さんが搭乗、あるいは訓練を経験した(左から)ソユーズ、クルードラゴン、スターライナー(ソユーズはJAXAとNASA、他はNASA提供)
油井さんが搭乗、あるいは訓練を経験した(左から)ソユーズ、クルードラゴン、スターライナー(ソユーズはJAXAとNASA、他はNASA提供)

飛行士もミスをする、そんな時は…

 会見では「飛行士もミスをする。その対処を含めて見本を示したい」との発言もあった。宇宙でミスはどう取り扱われるのか。

 「緊要なところでは当然、ミスをしてはいけない。しかし私も宇宙で、作業手順を1つ飛ばして進めてしまい、後で気が付いたことなどがある。地上には『すみません、ミスしてしまいました。影響を評価してもらえませんか』と連絡する。ちょっと恥ずかしいが、まずは言う勇気が大切。一方、マネジメントの観点では、ミスしたと言える環境が大事だ。怒られるわけでも、評価が下がるわけでもないから言える。『よく言ってくれた。これでチームが対処できるから問題は大きくならない。素晴らしい』という形で進めねばならない。現に宇宙開発はそういう形で進んでいる。情報共有し原因を考え、対応が広がって次のミスが防げる。地上と全く同じことだ」

前回のISS滞在中、「きぼう」からの超小型衛星放出に成功し喜ぶ油井さん=2015年9月(JAXA、NASA提供)
前回のISS滞在中、「きぼう」からの超小型衛星放出に成功し喜ぶ油井さん=2015年9月(JAXA、NASA提供)

 有人宇宙開発は人智を結集して安全に進めるものだ。とはいえリスクを伴い、最悪の場合は事故死も否定できない。「覚悟は」と油井さんに尋ねた。

 「安全第一が当然の前提だが、それでも危険の度合いがある。(飛行士として)自分で評価しており、『こちらの方が危険度は高いな』『安全のレベルに差があるな』と思いながら仕事をしている。でも、私には人類にとって意義のあることに参加しているという、名誉の価値が大きい。『危険なら私に任せて』くらいの気持ちだ。将来、月へは後輩が行くだろうが、万一危険過ぎて不安があるなら、私が喜んで行きたい」

 油井さんの滞在期間中、JAXAは「きぼう」を活用し、次のような実験を計画している。将来の有人探査に向け、二酸化炭素を除去する技術を確かめる▽無重力で精密機器に生じる誤差を調べる▽飛行士が使う情報端末やカメラ、ドローン型撮影ロボットの作動を確かめる▽無重力が植物の細胞分裂に与える影響を調べる▽火災に備え、無重力での固体材料の燃え方を調べる▽惑星ができた過程を理解するため、コンドリュールと呼ばれる微粒子ができる過程を炉の中で再現する▽融点が2000度以上の物質を炉の中で浮かせて性質を調べる。このほか、国内外の若者のためのロボット競技会や公募実験、大学などの超小型衛星の放出、船外にカメラを晒(さら)しての撮影――なども計画。大半を油井さんが担当するとみられる。

 油井さんは1970年、長野県生まれ。92年、防衛大学校理工学専攻卒業、航空自衛隊入隊。防衛省航空幕僚監部を経て2009年、JAXAの飛行士候補者に選抜された。15年、ISSに約5カ月滞在し、こうのとり5号機をロボットアームで捕捉する作業や、実験装置の設置、多数の実験などを行った。16年11月から23年3月まで、JAXA宇宙飛行士グループ長を務めた。自衛隊入隊後、宇宙飛行士やテストパイロットの生き方を描いた映画「ライトスタッフ」(1983年米)を見て、宇宙飛行士を志すようになったという。

     ◇

大西さん船長任務「後輩育成を意識」

米物資補給機「ドラゴン」のISS離脱前に作業を進める大西さん=5月23日ごろ(JAXA、NASA提供)
米物資補給機「ドラゴン」のISS離脱前に作業を進める大西さん=5月23日ごろ(JAXA、NASA提供)

 ISSに滞在中の大西さんも6月20日、ISSから国内の記者向けに中継で会見した。2016年以来9年ぶり2度目の飛行。自身の体の無重力への適応が早く「感覚を体の細胞の一つ一つが覚えていたと思うくらい、かなり良かった。何年も自転車に乗っていなくてもすぐ乗れるようになるのと同じように、感覚が残っていた」と驚きを示した。

 日本人3人目となったISS船長任務を遂行中。初飛行の飛行士が同時に滞在中であることから「先輩として彼らをどう一人前に育成するか、彼らがまた次世代に知見をしっかりつないでいけるか、意識して業務に臨んでいる」とした。油井さんとISSで過ごすことについては「短期間だが、とても楽しみだ。私が『きぼう』で培った知見をしっかり引き継ぎ、油井さんに良い仕事をしてほしい。日本人同時滞在はなかなかないので、何かしら楽しい企画もできればと2人で相談している」と期待を示した。

 米物資補給機「シグナス」22号機が地上での輸送中に損傷し、飛行中止となった。この影響で、大西さんの滞在中に計画された一部の実験などが延期されている。大西さんは「残念ながら私ができなくなった実験もあるが、幸い同じJAXAの油井さんが引き継いでくれる。私は安心してISSを去れる」と語った。

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コケで火星をテラフォーミング!? https://scienceportal.jst.go.jp/gateway/videonews/m240001016/ Fri, 18 Jul 2025 07:33:04 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=gateway&p=54622  地球上のあらゆる場所に生息する「コケ」。なんと、宇宙の別の惑星でも育つかもしれません。人類の月や火星での長期滞在を視野に入れ、コケで宇宙に挑もうとする研究があります。

再生時間:5分 制作年:2025年

出演・協力機関

藤田知道(北海道大学大学院 理学研究院 生物科学部門 教授)

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百日咳患者が累計4万人超で拡大止まらず、リンゴ病も高水準 免疫低下に猛暑も関係か https://scienceportal.jst.go.jp/gateway/clip/20250717_g01/ Thu, 17 Jul 2025 07:40:06 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=gateway&p=54614  激しい咳(せき)が続く「百日咳」の感染拡大が止まらない。今年の累計患者数は4万人を超えた。また、子どもの両頰などに赤い発疹が出る伝染性紅斑(リンゴ病)の流行も高水準で続いている。

 厚生労働省や国立健康危機管理研究機構(JIHS)、感染症の専門家は新型コロナウイルス対策で病原体に触れる機会が減って免疫が弱まっていたことに加え、最近の猛暑による体力・免疫力が低下している可能性もあるとして、これら感染症の今夏の拡大に注意を呼びかけている。その新型コロナは感染拡大にはなっていないものの、やや増加傾向でこちらも注意が必要だ。

昨年1年の10倍を超える

 JIHSは7月15日、全国の医療機関から6月30日~7月6日の1週間に報告された百日咳の患者数は3578人(速報値)と発表した。都道府県別では、東京都の277人が最も多く、以下は埼玉県(254人)、群馬県(176人)、神奈川県(171人)の順。1週間当たりの患者数は前週より225人増え、現在の集計法になった2018年以降最多の数値を3週連続で更新し、感染拡大に歯止めがかからない状態となっている。

 JIHSによると、今年の累計患者数は4万3728人。昨年は1年間で同4054人だった。半年余りでこの数字の10倍を超えた計算だ。昨年までで最多だった19年の1万6845人の約2.5倍になっている。重症化しやすく肺炎や脳症で死亡することもある乳幼児の患者の報告も全国で多く続いているという。

 厚生労働省やJIHSによると、百日咳は「百日咳菌」が原因の感染症で感染力が強い。咳やくしゃみによる飛沫(ひまつ)や接触により感染が広がる。7~10日の潜伏期間を経て風邪の症状が現れ、次第に咳が激しくなる。回復まで2~3カ月かかることも多い。子どもの感染が比較的多いが、最近では成人の感染例も増加傾向になる。

 年齢が比較的高い子どもの症状は軽い場合が多く、医療機関でも風邪などと判断されやすい。高熱が出ていないため学校や塾などへ行き、感染を広げてしまうケースが多いようだ。

百日咳菌の電子顕微鏡画像(JIHS提供)
百日咳菌の電子顕微鏡画像(JIHS提供)

乳児の死亡例が複数、耐性菌出現も

 厚労省やJIHSによると、百日咳の全国的な流行で患者の報告数は最近週40人を超え、乳児の死亡報告例も複数あるという。生後6カ月未満は重症化しやすく、せきが目立たない無呼吸発作やけいれん、肺炎や脳症を起こして最悪死亡する。

 乳幼児の感染源のほとんどが家庭内で、親など大人が外から家庭に持ち込まないようにする対策が大切だという。また10代以下は保育園・幼稚園や学校などで拡大するケースが多い。このためこうした施設での感染防止対策、具体的には手洗いの徹底とマスクの着用が大切だ。

 日本小児科学会は3月29日にいち早く「重症例も報告されている」などと注意を呼びかける文書を公表。「ワクチン未接種、もしくは3回接種が完了していない(生後)6カ月未満で重症化しやすいため、生後2カ月を迎えたら速やかに5種混合ワクチン接種が望まれる」などと指摘した。

 同学会はまた、ワクチン接種前の死亡例が確認された、として6月22日に注意喚起の文書を公表した。この中で同学会の予防接種・感染症対策委員会は、主に医療関係者向けに「通常、治療に使われてきたマクロライド系抗菌薬に対する耐性菌の出現が世界中で問題になっている。国内でも耐性菌の頻度が上昇している」として、他の薬剤(ST合剤)との併用投与を検討する必要性を指摘している。

日本小児学会が作成した百日咳ワクチン接種を呼びかけるポスター(日本小児学会提供)
日本小児学会が作成した百日咳ワクチン接種を呼びかけるポスター(日本小児学会提供)

リンゴ病は胎児にも感染

 一方、JIHSによると、リンゴ病は全国の定点医療機関から6月30日~7月6日に速報値で5474人の患者が報告された。1機関当たり2.32人で、感染症法に基づく集計が始まった1999年以降最多だった今年6月16~22日の2.53人に次いで多かった。都道府県別では、大阪府の509人が最も多く、以下北海道(398人)、兵庫県(276人)の順だった。

 厚労省によると、リンゴ病は「パルボウイルスB19」が原因のウイルス感染症。百日咳同様、飛沫や接触で感染する。約10~20日の潜伏期間の後、微熱などの風邪に似た症状がみられる。そして両頰に蝶の羽のような境界鮮明な赤い発疹(紅斑)が現われる。続いて体や手、足に網状やレース状の発疹が広がる。予防ワクチンはない。

 感染患者は5~9歳が最も多く次いで0~4歳が多い。通常1週間程度で回復する場合が多いが、妊婦が初めて感染すると胎児にも感染し、胎児水腫(すいしゅ)などの重篤な状態や流産や死産につながる危険性が指摘されている。厚労省や日本産婦人科学会などは、特に妊娠中の女性らに手洗いやマスク着用などの感染防止対策を呼びかけている。

厚労省がリンゴ病感染対策の注意喚起のために作成したチラシ(厚労省提供)
厚労省がリンゴ病感染対策の注意喚起のために作成したチラシ(厚労省提供)

コロナ感染者数、3週連続して増加

 厚労省は7月11日に、全国の定点医療機関から6月30日~7月6日の1週間に報告された新型コロナウイルスの新規感染者数が7615人で、1医療機関当たり1.97人になったと発表した。前週比は1.41倍で、1医療機関当たり1人を超えたのは3週連続となり、増加傾向が続いている。

 都道府県別で1機関当たりの感染者数が多かったのは沖縄県の16.36人。次いで山梨県3.26人、千葉県3.11人と続いた。逆に少なかったのは鳥取県(0.55人)、北海道(0.60人)、青森県(0.67人)などで地域差があった。

新型コロナウイルス感染症の入院患者の2025年第27週までの推移。感染者の増加に合せて入院患者も増える傾向にある(厚労省提供)
新型コロナウイルス感染症の入院患者の2025年第27週までの推移。感染者の増加に合せて入院患者も増える傾向にある(厚労省提供)
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生成AIとELSI 法制度とガバナンスをめぐって https://scienceportal.jst.go.jp/gateway/videonews/m240001015/ Fri, 11 Jul 2025 06:48:19 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=gateway&p=54566  急速に進歩するAI(人工知能)に対して、社会では一部懸念も表明されています。私たちはこのAIをどのように社会に位置付けるべきか。ELSI(エルシー=倫理的・法的・社会的課題)という観点から考察します。

再生時間:5分 制作年:2025年

出演・協力機関

寺田麻佑(一橋大学大学院 教授)

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トカラ列島で最大震度6弱含む1700回超の群発地震 収束見通せず今後も警戒が必要 https://scienceportal.jst.go.jp/gateway/clip/20250710_g01/ Thu, 10 Jul 2025 07:32:54 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=gateway&p=54547  鹿児島県十島村のトカラ列島近海を震源とする群発地震が6月下旬から続いている。7月3日には悪石島で震度6弱の地震が発生し、希望する住民が避難している。震度1以上の地震は9日までに1700回を超えた。政府の地震調査委員会(平田直委員長)は4日に臨時会を開き「当分の間同程度(震度6弱程度)の地震に注意が必要」と警戒を呼びかけた。この地域の群発地震は過去にもあったが、まだ未解明なことも多く、地震収束の見通しは立っていない。

 トカラ列島は火山でできた島々で、鹿児島県の屋久島と奄美大島の間に点在する12島の総称。7つの有人島と5つの無人島がある。悪石島は有人島で周囲約13キロ。 鹿児島県の観光サイトや十島村の公式サイトなどによると、どの島も風光明媚な自然に恵まれ、大和・琉球の両文化の影響を受けて独特な風習も残り、観光スポットとしても知られる。奄美大島や沖縄本島などとともに「琉球弧」と呼ばれる島々の一部をなす。

 ただ、フィリピン海プレート西縁部分が大陸プレートの下に沈み込む「琉球海溝」に沿って並んでいて、地震が多い地域。過去にも地震活動が活発化したことがあり、気象庁によると近年では1995年12月、2000年10月、11年3月、21年12月、23年9月などにも数週間から数カ月群発地震が起きている。

鹿児島県十島村の悪石島の一部。同村の公式サイトの紹介動画から(十島村提供)
鹿児島県十島村の悪石島の一部。同村の公式サイトの紹介動画から(十島村提供)
トカラ列島12島の地図(十島村提供)
トカラ列島12島の地図(十島村提供)
3日午後4時13分ごろ悪石島で発生した地震の震度分図・推計震度分布図(気象庁提供)
3日午後4時13分ごろ悪石島で発生した地震の震度分図・推計震度分布図(気象庁提供)

震度6弱地震は「横ずれ断層型」で島外避難の住民も

 トカラ列島では6月21日から地震活動が活発になって毎日のように地震が頻発して住民らの不安が増していた。そうした中で同日午後4時13分ごろ、悪石島で震度6弱の大きな地震が発生した。震源地は同島の南西約20キロの近海で震源の深さは20キロ、地震の規模はマグニチュード(M)5.5だった。

 鹿児島県や十島村によると、この地震の発生時に島内にいた住民は全員無事だったが、同県は災害救助法適用を決め、同村では小中学生を含む希望者は4日以降鹿児島市に避難している。気象庁は3日の地震発生後に記者会見し、揺れの強かった地域は当分、震度6弱程度の地震と家屋の倒壊や土砂災害にも注意するよう呼びかけた。

 気象庁や地震調査委員会によると、3日の地震は大陸プレート内で発生した北北東―南南西方向に張力軸を持つ「横ずれ断層型」。同委員会は「トカラ列島の悪石島から宝島にかけての領域は火山列の延長上に位置しており、このような火山地域の過去の地震活動の例では一連の活動の中で最大規模の地震と同程度の規模の地震が続いて発生しやすい特徴がある」と指摘した。

 震度6弱には至らなかったものの、やはり悪石島で6日の午後2時1分ごろと、その6分後に続けて震度5強の地震を観測した。一連の頻発する地震は震源が浅いのが特徴だ。

トカラ列島での主な地震活動の地震回数比較。今回の群発地震の多さが際立っている(気象庁提供)
トカラ列島での主な地震活動の地震回数比較。今回の群発地震の多さが際立っている(気象庁提供)
トカラ列島での1919年から2025年7月3日までの主な地震の震央分布図。25年6月以降の地震は赤色で表示(気象庁提供)
トカラ列島での1919年から2025年7月3日までの主な地震の震央分布図。25年6月以降の地震は赤色で表示(気象庁提供)

マグマ活動の可能性も

 トカラ列島近海での地震は過去にもあったことから地震の基本的なメカニズムは分っているものの、観測点が少なかったことなどから未解明なことは多い。これまでの知見で、大陸のプレートの下に沈み込んでいるフィリピン海プレート上の海底には海底大地の「奄美海台」があり、トカラ列島西側の海底にはくぼんだ地形の「沖縄トラフ」がある。プレートに対して押したり、沈み込んだり、と複雑な力が働いて地震が多いことで知られていた。

 フィリピン海プレートの沈み込みは1年間に約6センチの極めてゆっくりした速度だが、大陸のプレート内はひずみがたまりやすいことも知られる。トカラ列島の地下は高熱のマグマが溜まっている。気象庁によると、火山性地震の特徴は観測されておらず、今のところ海底火山噴火の予兆はみられないという。

 福岡管区気象台・鹿児島地方気象台によると、悪石島の北東に位置する諏訪之瀬島で噴火活動が続いていた御岳は7月6日にも高く噴煙を吹き出した。その高さは最大2000メートルに達し、飛散した噴石は火口付近から最大400メートルに及んだ。その後も噴煙は続いて7日現在、噴火警戒レベルは2になっている。

 一連の群発地震と断続的に活発化していた諏訪之瀬島の噴火活動との間には直接の関係はないとみられるが、地下のマグマの動きも未解明なことは多く、トカラ列島周辺で今後海底噴火を含む激しい火山活動にも警戒が必要だ。

写真はトカラ列島のうち有人島の7島。無人島も合わせると12の島がある(十島村提供)
写真はトカラ列島のうち有人島の7島。無人島も合わせると12の島がある(十島村提供)

複雑な動きの地震活動

 地震調査委員会によると、一連の地震でMが最大だったのは2日午後3時26分に発生した地震でM5.6。6月21日以降、この地震の前までに宝島の観測地点が東北東方向に約2センチ移動しその後、最大規模の地震発生前後には南方向へ約4センチ移動したことが地殻変動の観測データで分っている。

 つまり地殻変動の向きが変化したことになり、同委員会は群発地震としては珍しい現象で、地殻変動の規模も群発地震としては目立って大きいという。平田委員長は「能登半島地震が数年かけて何ミリ、何センチというオーダーだったが、4センチ動いたことは、これはものすごい」と述べ、地殻変動の大きさを強調した。この珍しい現象の原因は分っていないが、列島周辺の地下でマグマの活動が影響した可能性や群発地震そのものと関連している可能性も指摘されている。

 また、1000を超える震源の分析から、震源は6月下旬には主に東側に集中していたが、7月に入ると西側が増え、地震活動の活発化の中心が移ったように見えていた。ただ、3日の最大規模震度6弱の地震は従来の東側のさらに東方で起きているなど、地震活動は複雑な動きを見せている。

 地震調査委員会は一連の地震を「火山地域の地震活動」と位置付けている。ただ、同委員会も詳しい地震メカニズムや群発地震の原因の特定には慎重で「地震活動の終わりの時期を特定することが難しい」として、長期化への備えを呼びかけている。

トカラ列島での6月21日以降7月4日午前10時30分までの震央分布図。6月中は東側が多かったが7月に入ると西側が増えながらも大きな地震は再び東側で起きている(気象庁提供)
トカラ列島での6月21日以降7月4日午前10時30分までの震央分布図。6月中は東側が多かったが7月に入ると西側が増えながらも大きな地震は再び東側で起きている(気象庁提供)

住民は一日も早い収束願うが長期化への備え必要

 トカラ列島近海の一連の群発地震はいったん静かになったかに見えても再び活発化する。捉えどころがなく、気象庁、地震調査委員会や多くの地震の専門家も長期化を懸念している。

 一方、心配な南海トラフ巨大地震との関連については、気象庁の南海トラフ地震評価検討会(平田直会長)が7日、大規模地震の発生可能性は「平常時と比べて相対的に高まったと考えられる特段の変化は観測されていない」との分析結果をまとめた。平田会長は個人的な見解とした上で「ないと思っている」と述べたが、(30年以内に起きる確率は80%とされる巨大地震の)「発生の可能性が高い状態」としてこちらも警戒を求めている。

 これまでの群発地震の例では長期化するほど住民の負担や心身の疲労は大きくなり、行政の対応が重要になっている。十島村役場は鹿児島市にあり、現地からの報道によると記者会見した久保源一郎村長は3日、「地震は予測がつかない。先が見えていない」と険しい表情で語ったという。

 鹿児島県観光サイト「かごしまの旅」が「無垢の大自然と人の温もりに触れてみよう」と呼びかける十島村のトカラ列島。夏の訪れとともに毎年、列島の島々それぞれ特徴がある自然を楽しむ観光客が訪れる。

 十島村の3日更新の公式サイトは「6月21日以降トカラ列島で発生している群発地震の影響で、一部の民宿では宿泊客の受入れを見合わせています。今後来島を予定されている方は、宿泊先が確保できない場合には来島せず、延期するようお願いいたします」としている。島民・住民らは一日も早い地震活動の収束と静かな日々が戻ることを祈っている。

観光を呼びかける鹿児島県十島村の公式サイトのページ(鹿児島県十島村提供)
観光を呼びかける鹿児島県十島村の公式サイトのページ(鹿児島県十島村提供)
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酸性環境で育まれた驚異の藻類 温泉生まれのイデユコゴメ https://scienceportal.jst.go.jp/gateway/videonews/m240001014/ Fri, 04 Jul 2025 07:31:15 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=gateway&p=54493  火山の多い日本には、所々に温泉があります。その水に硫黄などの鉱物が多量に含まれると、水質は酸性を示します。こうした特殊な環境に生きる藻類の1つ「イデユコゴメ」が今、研究や応用で大きな注目を集めています。

再生時間:5分 制作年:2025年

出演・協力機関

宮城島進也(国立遺伝学研究所 教授)
大松勉(東京農工大学 准教授)

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さよならH2Aロケット 最終50号機が「いぶきGW」打ち上げに成功 https://scienceportal.jst.go.jp/gateway/clip/20250703_g01/ Thu, 03 Jul 2025 07:51:24 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=gateway&p=54474  「困難を乗り越え、最後の打ち上げはきれいだった」――。大型ロケット「H2A」最終50号機が、鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられた。政府の温室効果ガス・水循環観測技術衛星「いぶきGW」を所定の軌道に投入し、打ち上げは成功した。2001年から運用されたH2Aは、わが国の大型機で初めて50回もの打ち上げを重ねた。うち失敗は03年の6号機のみ。技術の信頼性を高めた名機が有終の美を飾り、新エンジンを搭載し効率化を進めた後継の「H3」に道を譲った。

いぶきGWを搭載し打ち上げられるH2Aロケット50号機=先月29日、鹿児島県南種子町の種子島宇宙センター(三菱重工業提供)
いぶきGWを搭載し打ち上げられるH2Aロケット50号機=先月29日、鹿児島県南種子町の種子島宇宙センター(三菱重工業提供)

「50番目の初号機」確実、丁寧な作業実る

 50号機は、先月29日午前1時33分3秒に打ち上げられた。約7分後に1段、2段機体を分離。2段エンジンの燃焼を正常に行った後、打ち上げの約16分後、高度約671キロでいぶきGWを、地球を南北に回る太陽同期準回帰軌道に投入した。

 打ち上げは昨年度に予定されたが、いぶきGWの一部の海外製部品の修繕が必要となり、開発が遅れた。いったん先月24日に予定されたものの、H2Aの点検中に2段機体の電力分配装置の不良が発覚し交換したため、さらに延期していた。

打ち上げに成功し、沸く管制室=先月29日、種子島宇宙センター(JAXA提供)
打ち上げに成功し、沸く管制室=先月29日、種子島宇宙センター(JAXA提供)

 H2Aの最後とあって、打ち上げ後の会見で関係者はそれぞれに、思いの丈を口にした。宇宙航空研究開発機構(JAXA)の山川宏理事長は「開発したJAXAとして、非常に感慨深い。初号機を実現させた諸先輩、着実な運用と高い信頼性を実現した三菱重工業をはじめ、携わった全ての皆様の努力と挑戦の賜物(たまもの)だ。技術と経験をH3に受け継ぎ、日本の宇宙輸送システムの技術向上を果たしていく」と述べた。

 打ち上げを執行した三菱重工業の五十嵐巖(いわお)宇宙事業部長は「星空の下、きれいな打ち上げだった。これまで一つ一つの打ち上げが安定して見えたかもしれないが、(H2Aは)いろいろな困難を乗り越えてきた。尽力、応援してくださった皆様に感謝している」と語り、安堵(あんど)の表情を見せた。

 「会社生活の全てをH2Aに費やしてきた」という同社の鈴木啓司打上執行責任者は「絶対に失敗できないプレッシャーは毎回変わらないが正直、今まで以上に緊張した。打ち上げの数日前、作業者の朝礼で『50番目の初号機のつもりで取り組もう』と言葉をかけた。今までやってきたことを確実、丁寧にやっていこうと考えた」と振り返った。

 H2Aの成功率は98%となった。国際宇宙ステーション(ISS)の物資補給機「こうのとり」を搭載し全9機が成功した強化型の「H2B」と、初号機が失敗し2~5号機が成功したH3を合わせ、H2A以降の国産大型機の成功率は96.87%となった。

暮らしや環境、安全保障、科学…支えた四半世紀

 H2Aは宇宙開発事業団(現JAXA)が開発した、2段式の液体燃料ロケット。初の純国産大型機「H2」の後継機として2001年に初めて打ち上げた。固体ロケットブースターが2本の標準型と4本の強化型がある。全長53メートル、標準型の重量289トン。打ち上げ能力は2段の性能を高めた高度化機体で最大4.8トン(静止遷移軌道、赤道付近で打ち上げた場合の換算値)。

 わが国が外国の都合に左右されず、自力で宇宙を利用できることが重要だ。そのための政府の「基幹ロケット」の主力として、H2Aは暮らしに身近な気象衛星や測位衛星、防災や環境、安全保障のための衛星をはじめ、宇宙科学のための小惑星探査機「はやぶさ2」、月面着陸機「スリム」など多彩な衛星、探査機を宇宙に送り出してきた。2007年に打ち上げ業務をJAXAから製造者の三菱重工業に移管し、商業打ち上げ市場に参入。海外の衛星や探査機も5回にわたり打ち上げている。

 後継のH3は、今世紀に入って進んだ衛星の大型化に対応し、コストを低減して市場での国際競争力を高めるといった目的で開発された。2023年3月以降、H2AとH3を併用する移行期間となっていた。

 政府の宇宙基本計画工程表によると、今年度のH3の打ち上げは4回を計画している。こうのとりの後継機「HTV-X」初号機と、日本版GPS(衛星測位)システム「みちびき」を支える準天頂衛星5、7号機を打ち上げる。また、固体ロケットブースターを装備しない最小形態のH3を、初めて打ち上げる。ブースターなしは国産大型機で初めてとなる。

液体燃料ロケット、国産化も苦難重ねる

 ロケットには燃料のタイプによって主に、燃料と酸化剤を混ぜ固めて使う固体燃料ロケットと、液体の燃料と酸化剤をエンジンの燃焼室で反応させる液体燃料ロケットの2方式がある。前者は仕組みがシンプルで運用しやすく、小型衛星の打ち上げに多用される。

 わが国のロケットは旧軍により、兵器開発として開始。敗戦による断絶を経て、固体燃料ロケットについては東京大学の糸川英夫氏が主導し1955年に実験に成功した、長さ23センチの「ペンシルロケット」で再開している。その後、現在のJAXA宇宙科学研究所を中心に技術を磨き、性能を世界最高水準に高めた。現役の基幹ロケットではJAXAの「イプシロン」が固体燃料式で、改良型の「イプシロンS」を開発中だ。

 一方、液体燃料ロケットはエンジンを持ち仕組みが複雑だが、飛行を精密に制御できる。特に軌道投入の正確さが求められる気象衛星や通信衛星など、大型静止衛星の打ち上げには欠かせない。戦後日本の液体燃料ロケットは米国からの技術導入で幕を開け、独自技術と国産化を目指して歩んできた。1969年に発足した宇宙開発事業団は当初、「N1」を米国の「デルタ」ロケットの技術に頼って開発。その後「N2」「H1」を経て94年、H2で純国産化を果たした。

左から固体燃料式のイプシロン、液体燃料式のH2B(ともにJAXA提供)とH3(草下健夫撮影)
左から固体燃料式のイプシロン、液体燃料式のH2B(ともにJAXA提供)とH3(草下健夫撮影)

 だが、そのH2は開発段階からエンジンのトラブルに悩まされ続けた。1998年の5号機は、2段の燃焼時間が短く、衛星を予定の軌道に投入できなかった。翌99年には8号機が、1段エンジンの破損により失敗。7機を打ち上げて退役した(製造は8機で、うち7号機が打ち上げ中止)。H2の反省を生かし、基本設計を保ちつつ信頼性を高め、コストを削減するべく開発されたのがH2Aだ。エンジンは、配管の工夫や溶接部分の削減を進めた。

エンジン設計思想の一大転換点

H2ロケット8号機の失敗後、1段エンジンは海底から引き揚げられ、徹底的に検証された(JAXA提供)
H2ロケット8号機の失敗後、1段エンジンは海底から引き揚げられ、徹底的に検証された(JAXA提供)

 1段エンジンは打ち上げから5分ほどにわたり、機体が地上付近の大きな重力に打ち勝って上昇し続ける推進力の主役を務める。液体燃料ロケットの信頼性や性能、コストを大きく左右する、開発の要だ。

 エンジンには内部のタービンの駆動方式などにより、いくつかのタイプがある。H2とH2A、H2Bの1段エンジンは「2段燃焼式」を採用した。副燃焼室を持ち、燃料の水素を文字通り2段階で燃焼させるもので、燃料を無駄なく使い燃費が良いが、制御が複雑になる。H2の8号機で飛行中に破損したが、その後は安定をみせてきた。H2Aは2003年に6号機のみが失敗したが、原因はエンジンではなく、固体ロケットブースターが分離できなかったことだ。7号機以降、H2Bと合わせ連続53回にわたり打ち上げに成功したことは、国産エンジン技術の成熟を物語る。H2Bは1段エンジンを2基搭載し9回打ち上げたので、2段燃焼エンジンが62基連続成功したとも言える。

 一方、H3の1段エンジンは2段燃焼式ではなく、日本が独自に開発し、H2以降の2段エンジンで実績のある「エキスパンダーブリード式」を採用した。この仕組みでは、ポンプを動かした分の水素は燃焼させず捨てる。そのため燃費が多少落ちるものの、副燃焼室がなくコスト削減と信頼性向上が図れる。開発が難航したものの、2段エンジンの電気系統の問題で打ち上げに失敗した初号機も含め、直近の5号機まで全て正常に機能している。

1段エンジンの仕組み。左の2段燃焼式と右のエキスパンダーブリード式とでは副燃焼室の有無などが異なる。前者は燃料を無駄なく燃焼に使うが、後者の方が仕組みは簡単だ(JAXA、三菱重工業の資料や取材を基に作成)
1段エンジンの仕組み。左の2段燃焼式と右のエキスパンダーブリード式とでは副燃焼室の有無などが異なる。前者は燃料を無駄なく燃焼に使うが、後者の方が仕組みは簡単だ(JAXA、三菱重工業の資料や取材を基に作成)

 三菱重工業の鈴木氏は「2段燃焼エンジンは世界最高水準の効率を目指した。その分、開発は難しかったが、これにより日本はロケットエンジンの開発能力を飛躍的に磨けた。一方、エキスパンダーブリードエンジンは非常にロバスト(頑健)で、万一の故障時にも爆発せず静かに推力を落としていくという、本質的な安全性を持つ。高効率エンジンの開発技術は、2段燃焼エンジンで一定のレベルを獲得できた。次にロケットに必要になるのは“本質安全”だと考えた結果、1段にもエキスパンダーブリードを採用することになった」と説明した。

昨年9月、種子島への出荷目前のH2A最終50号機。1段機体(中央)と、2段と黒い段間部が結合したもの(右奥)。左奥はH3=愛知県飛島村の三菱重工業
昨年9月、種子島への出荷目前のH2A最終50号機。1段機体(中央)と、2段と黒い段間部が結合したもの(右奥)。左奥はH3=愛知県飛島村の三菱重工業

 2段燃焼式の30年に及ぶ実績を経て、エキスパンダーブリード式へ。このバトンタッチは、国産1段エンジンの設計思想の一大転換点となっている。こうしてH3に後を託したH2Aは、日本の技術が歳月をかけて完成度を高めた、疑いなく歴史に残る名機となった。

 最後に1段落だけ、筆者の私的な思いをつづることをお許しいただきたい。2013年の22号機以降、H2Bと合わせて20回ほどの打ち上げを種子島で取材した(いずれも前職の新聞記者として)。「うらやましい」とも言われるが、記者に現地で楽しむ余裕はなく、原稿その他で胃の痛む思いが続いた。そんな中ふと、プレスセンターから3キロ離れた発射地点に立つH2Aに、そっと見守られている気がしたものだ。昨年9月、愛知での機体取材で、出荷目前の50号機に「今までありがとう」と心で声をかけた。「お前、もっと勉強しろよ」と言い返された気がした。

温室効果ガスと水循環捉え、世界に貢献へ

 50号機が打ち上げた、いぶきGWも要注目だ。2012年に打ち上げた水循環変動観測衛星「しずく」と、18年の温室効果ガス観測技術衛星「いぶき2号」の共通の後継機。それぞれの観測装置を高度化して搭載し、気候変動の把握などに活用する。環境省と国立環境研究所、JAXAが共同開発し、三菱電機が設計、製造した。開発費は打ち上げ費用を含め481億円。いぶきGWは愛称で、正式名は「GOSAT(ゴーサット)-GW」。

 JAXAは今月1日、いぶきGWが運用に必要な態勢を初期に整える「クリティカル運用期間」を無事に終えたことを明らかにした。搭載機器の機能確認を進め、1年後に本格観測に入る。

いぶきGWの想像図(JAXA提供)
いぶきGWの想像図(JAXA提供)

 しずくの後継機として、気候変動に伴う地球の水循環の変化を把握し、予測や対策に役立てる。搭載した観測装置「高性能マイクロ波放射計3」(AMSR3=アムサースリー)は地表や海面、大気などから放射されるマイクロ波から、地球の水の状況を捉える。しずくのAMSR2(ツー)に比べ観測する波長帯が広がり、降雪や上層の水蒸気を捉えられる。データは各国の気象機関の予報にも活用するほか、漁業や船舶の運航などに役立てる。

 いぶき2号の後継としては「温室効果ガス観測センサ3型」(TANSO-3=タンソスリー)を搭載し、大気中の二酸化炭素(CO2)やメタンなどの温室効果ガスを観測する。気候変動問題の国際的枠組み「パリ協定」に基づく各国の排出量の検証のほか、都市圏や発電所といった大規模排出源の監視などに使う。いぶき2号とは別の観測方式を採用することで、CO2やメタンなどをより精細に捉えるほか、新たに二酸化窒素の観測も可能になる。

打ち上げ前の会見で衛星の愛称「いぶきGW」を発表するJAXAの小島寧(やすし)プロジェクトマネージャ(左)=先月27日(オンライン取材画面から)
打ち上げ前の会見で衛星の愛称「いぶきGW」を発表するJAXAの小島寧(やすし)プロジェクトマネージャ(左)=先月27日(オンライン取材画面から)

 AMSR3のデータは米国でも、米海洋大気局(NOAA)を通じて政府機関や大学などで活用される。NOAAのステファン・ボルツ衛星情報サービス長官補は会見で「(しずくの先代などを含む日本の)AMSRシリーズのデータは20年以上にわたり、水循環観測のゴールドスタンダード(優秀な模範)になっている。AMSR3により、国際社会に新たな重要な機会が開かれた。JAXAとNOAAが連携し、そのデータを活用するのが楽しみだ」と期待を込めた。

 衛星による環境、大気観測で、日米の連携は活発だ。AMSRシリーズは米国の衛星にも搭載され、しずくなどと共に日米仏の地球観測衛星コンステレーション(隊列)「Aトレイン」を構成してきた。また、米航空宇宙局(NASA)とJAXAは「全球降水観測計画(GPM)主衛星」を共同開発し、2014年にH2Aで打ち上げた。

 NOAAのボルツ氏は「Aトレインではそれぞれに価値のある衛星を組み合わせ、さらに強力な観測システムが実現した。またGPMには自ら観測するのに加え、他の十数基の衛星の観測データを較正する役割もある。データを連携させることで観測対象についてより多く学べ、さらに大きな価値が生まれているのだ。日本の地球観測への貢献は非常に影響力があり、協力関係の好例となっている」と意義を強調した。

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世界の水問題に挑む信大クリスタル 安全な水を届ける https://scienceportal.jst.go.jp/gateway/videonews/m240001013/ Fri, 27 Jun 2025 06:43:45 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=gateway&p=54423  水は命と暮らしを支えます。しかし、世界にはその恩恵を得られない地域があります。その課題に、光輝く結晶をつくる技術で取り組んだ研究者たちがいます。
【2022年度「STI for SDGs」アワード優秀賞受賞】

再生時間:5分 制作年:2025年

出演・協力機関

ゴドフリー・ムコンゴ(タンザニア フッ素除去研究所)
Dr. Godfrey Mkongo(Ngurdoto Defluoridation Research Station)
手嶋勝弥(信州大学卓越教授/信大クリスタルラボ)

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我が輩は「オレンジ猫」である 三毛猫の毛色決める遺伝子を特定、クラファンが謎解きを後押し https://scienceportal.jst.go.jp/gateway/clip/20250623_g01/ Mon, 23 Jun 2025 06:39:37 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=gateway&p=54362  主にメスしかいない三毛猫やサビ猫は、X染色体上の遺伝子が色素細胞で通常とは異なる発現をするためオレンジ色の毛が生えるということを、九州大学などの研究グループが明らかにした。研究を率いたのは、遺伝子の発現制御に関わるエピジェネティクス研究の第一人者として知られる九大高等研究院の佐々木裕之特別主幹教授。クラウドファンディングの後押しを受けて謎解きに挑んだ。

三毛猫と佐々木裕之特別主幹教授。ネコだけでなくイヌも好きだが、家では飼えていないのだという(ご本人提供)
三毛猫と佐々木裕之特別主幹教授。ネコだけでなくイヌも好きだが、家では飼えていないのだという(ご本人提供)

一般向け書籍、副題の提案を承諾

 佐々木特別主幹教授は医学部の学生のとき、顕微鏡で観察した細胞の美しさと、多様な働きに魅了された。卒業後は一度、内科医になったものの、「遺伝子のスイッチを研究したい」と、大学院に戻った。基礎医学分野の中でも細胞の分化や生殖・発生を研究し、とりわけ、エピジェネティクス分野で英科学誌「ネイチャー」や米科学誌「サイエンス」に論文が載るような成果を挙げてきた。2005年5月に岩波書店から出版したのが「エピジェネティクス入門」という一般向けの書籍だ。

 エピジェネティクスとは、DNAの塩基配列は変わらないのに、DNAメチル化やヒストンタンパク質の様々な修飾によって遺伝子の働きが変わる、遺伝子のスイッチ機能の一種である。例えば、一卵性双生児は同じゲノムを持つのに、見た目が異なったり、生育環境などによってDNAメチル化に違いが出たりする。「猫にもなれば虎にもなる」わけだ。しかし、出版当時、エピジェネティクスは新しい概念であまり知られていなかった。

双子でも身体的特徴や罹患する病気が異なることはエピジェネティクスで説明できる
双子でも身体的特徴や罹患する病気が異なることはエピジェネティクスで説明できる

 岩波の担当者に「エピジェネティクス入門では専門家向けの印象を与えるので、例えば『三毛猫の模様はどう決まるのか』と副題を付けてはどうでしょうか」と提案されたが、三毛猫のことは「数ページしか書いてないし、分かっていないことも多いのだが……」と思ったそうだ。しかし、生物の教科書や大学入試に出てくる身近な事例で、イヌ・ネコ好きでもある佐々木特別主幹教授は「一般読者にも興味を持ってもらえるなら」と承諾したという。

どの遺伝子か、「自分たちで調べよう」

 三毛猫やサビ猫の斑状の模様を決める仕組みは、英国の学者によって1961年に提唱されていた。三毛猫は白、黒、オレンジの模様が美しいネコで、サビ猫は黒とオレンジの毛を持つ。オレンジと黒の2色を切り替える遺伝子はX染色体上に存在し、X染色体を2本持つメスは、片方にオレンジ、もう1本に黒に関する遺伝子を持つことができる。

 オスはXYの染色体を持つため、1本のX染色体によってオレンジか黒の単色になる。白などは別の遺伝子で決まる。しかし、メスはエピジェネティクスによって2本のうちどちらかのX染色体がランダムに選ばれて不活化されるため、皮膚の領域によってまだら模様の三毛猫やサビ猫が生まれるという仕組みだ。

ネコの毛色が発現する仕組み。メス猫はX染色体の一方が不活化するため、様々な色になる
ネコの毛色が発現する仕組み。メス猫はX染色体の一方が不活化するため、様々な色になる

 だが、黒、オレンジを決めるX染色体上の遺伝子が具体的にどの遺伝子なのか、そして、その遺伝子はメスネコで実際に不活性化を受けるのかどうかを調べる論文はなかった。佐々木特別主幹教授は「そのうち誰かが研究するだろう」と20年近く放っておいたが、「猫の首に鈴を付ける」研究は現れずじまい。月日は流れ、定年退職が近づいてきたため、「古典的なエピジェネティクス現象の分子基盤を知りたい。誰も論文を出さないならば、自分たちでオレンジ色の遺伝子の実体を調べよう」と心を決めた。

ネコ好きが集合、支援額は目標の2倍に

 しかし、研究には「猫の手も借りたく」なるほどに人材や資金が必要になる。知り合いなどに声をかけると、全国の大学や研究機関から、幅広い分野の「ネコ好きさん」の研究者、獣医師が手を挙げた。さらに研究に協力する飼い主も現れ、福岡市内の動物病院を中心に、まずは18個体のネコの血液や組織片からDNAを集められた。18個体の内訳は、三毛猫8、サビ猫1、オレンジ猫1、対照群8だった。

 その後、保護猫活動を行う獣医師から「さくらねこ無料不妊手術事業」の処置で出た組織片ももらい受け、合計58個体分のDNAを抽出した。「珍しいオスの三毛猫を飼っているが、もうすぐ亡くなりそうなので、お役に立てないか」という献体ならぬ「献猫」の申し入れもあり、看取りをした動物病院でサンプルを分けてもらうことができた。

 続いて、定年退職の1年後には受給中の科研費が終了することに鑑み、九大が実施するクラウドファンディングで研究費を集めることにした。2022年12月から「三毛猫の毛色をつかさどる遺伝子を解明したい!〜60年間の謎に挑む〜」というタイトルで資金を募ると、翌年1月までに目標金額500万円に対し619人から支援額1068万円が集まり、諸経費を引いた金額を研究に用いた。

全ゲノム解析、米大のネコデータも活用

 提供されたネコ18匹分の全ゲノム解析を行い、国立遺伝学研究所と麻布大学の共同研究者が決定した最新かつ高精度のネコの全ゲノムデータと比較した。その結果、オレンジの毛を持つネコは、X染色体上にある「ARHGAP36」(エイアールエイチギャップ36)と呼ばれる遺伝子内に5000塩基ほどの欠失を持つことが分かった。この関係性は追加サンプルでも確認できた。オスの三毛猫にもこの欠失が存在し、そのオスはX染色体を2本持つXXYの個体だった。

 なお、米ミズーリ大学のプロジェクトでネコの全ゲノムデータを数多く収録・公開しており、このデータでもオレンジの毛と欠失における関係性を確認した。ネコの毛の色まで記載されているデータは少なく、照合に利用できたのはごく一部だったものの、計67個体のデータでオレンジ毛と欠失の関係性を確かめられ、「借りてきた猫のデータ」も有用だった。

ネコのオレンジ毛は、ARHGAP36領域の塩基の欠失と関連していた(九州大学提供)
ネコのオレンジ毛は、ARHGAP36領域の塩基の欠失と関連していた(九州大学提供)

 続いて、亡くなった三毛猫から提供してもらった皮膚片の全遺伝子の発現を解析すると、オレンジ毛の皮膚ではARHGAP36が黒毛の皮膚より恒常的に強く発現していた。また、ARHGAP36領域の欠失によって、ARHGAP36の発現が異常に促進されることが分かった。そして、メス猫では同領域でX染色体の不活性化に伴うメチル化が起こり、エピジェネティクスによる遺伝子の発現調節が生じていることを確認することができた。

 ARHGAP36遺伝子はメラニン合成の経路を抑える働きをすると推測される。そのため、遺伝子が働きすぎるとメラニン合成遺伝子群の発現が低下し、フェオメラニンという色素が優位になり、オレンジ毛が生じる。他方で遺伝子が抑制されると、メラニン合成遺伝子が活発になり、ユーメラニンという色素の比率が増え、黒色の毛が生じる。

ARHGAP36遺伝子内に欠失があるとメラニン合成遺伝子群の発現が低下し、黒色のユーメラニンが減少して、オレンジ色のフェオメラニンが増加する(九州大学提供)
ARHGAP36遺伝子内に欠失があるとメラニン合成遺伝子群の発現が低下し、黒色のユーメラニンが減少して、オレンジ色のフェオメラニンが増加する(九州大学提供)

日米のグループ、同じ成果にたどり着く

 これらのデータを集める過程で、米スタンフォード大学の研究グループも同様の実験を行っているという噂を耳にした。佐々木特別主幹教授は「猫だまし」されない程度にデータを固めた上で、討論会をしないかとメールで打診したところ、快諾された。互いにオレンジの毛色はARHGAP36遺伝子内の欠失由来であることを確認した。

 しのぎを削り合う研究の世界で、成果を論文として出版する前に開示することを躊躇しなかったか尋ねると、佐々木特別主幹教授は「以前ネイチャーに論文を発表したときも海外の研究グループと同時に投稿した。同じことを2カ所で継続的に行うのは無駄が多いし、何よりも競争で互いに疲弊する。独立して研究して同じ結論であったのなら信ぴょう性が増すし、インパクトも大きい」と持論を語った。

 最終的に、スタンフォード大の研究グループは色素細胞のデータを加え、佐々木特別主幹教授らのグループはエピジェネティクスに関するデータを含めて論文化した。それぞれの論文は、米科学誌「カレント バイオロジー」電子版の5月16日号に掲載された。なお、両グループが24年11月に査読前のプレプリントとして論文を公開したところ、佐々木特別主幹教授らの論文だけでもわずか数カ月で6000回ダウンロードされるほど注目を集めていた。

資源なき日本、「科学技術と教育への投資重要」

ネコの研究を通じ、「身近な現象でも分かっていないことがある」と話す佐々木特別主幹教授(ご本人提供)
ネコの研究を通じ、「身近な現象でも分かっていないことがある」と話す佐々木特別主幹教授(ご本人提供)

 佐々木特別主幹教授は自身の研究人生を振り返り、「私の分野は次世代シーケンサーやゲノム編集やAIといった技術革新の助けを借りることができた」という。定年退職後も残った研究を続けるために、九大に通う。今後、ARHGAP36のヒトにおける働きや、ネコで色素を調整するメカニズムや、ARHGAP36領域の欠失の起源などを詳しく調べたいという。

 今回、このテーマで科研費に応募することもできたが、「国の予算には枠があるので、自分が採択されると他人がもらえなくなる」と、利他の精神でやってきた。国に依らない多様な研究資金獲得の方法を具現化し、クラウドファンディングで資金が集まったことに感謝しつつも、「本来は社会が基礎研究の重要性を理解し、国ももっと予算を付けてほしい」と注文をつけた。

 佐々木特別主幹教授は「資源のない日本は科学技術と教育への投資が重要。一見役に立つかどうか分からずとも、独自の視点で他人がやらない研究を推進すべき。また、日本でも欧米並みに寄付の土壌ができるとうれしい」と結んだ。

 市民が科学者の研究に参画することはハードルが高いように感じるが、身近なペットが偉大な発見につながることもある。理系離れが進む中で、「猫の額」のような見識ではなく、広い視野と思いやりを持つことが大切だと教えてくれる研究だった。

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光の槍が切り拓く未来の扉 もうすぐ実現?核融合エネルギー https://scienceportal.jst.go.jp/gateway/videonews/m240001012/ Fri, 20 Jun 2025 05:00:39 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=gateway&p=54351  近年、アメリカのレーザー核融合実験で、投入した量を上回るエネルギーを取り出すことに世界で初めて成功しました。これを機に核融合実用化への機運が高まっています。レーザー核融合の日本での研究拠点の一つ、大阪大学を訪ねました。

再生時間:5分 制作年:2025年

出演・協力機関

岩田夏弥(大阪大学レーザー科学研究所 教授)
兒玉了祐(大阪大学レーザー科学研究所長 教授)

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