レビュー

コンピュータと保存

2006.09.28

 毎日新聞9月27日夕刊社会面「まち」欄のコラム「秋葉原(2)」で面白い話が紹介されている。

 大手電機メーカーの社内ベンチャーの部長氏が秋葉原でランチタイムにジャンク屋を回り、古いLSI(大規模集積回路)を収集しているという。取材の日、部長氏が見つけたのは約20年前に製造中止となった日立のLSI「63C09」。

 もともとはパソコン自作が目的だったが、
「一度不用とされた部品が自分の手で機能を取り戻す。それがとてもいとおしく思えた」のが動機で
「作る以上に部品がたまり、今では1万個を超えるLSIのコレクター」になってしまった。
部長氏曰く
「神は細部に宿る。部品を眺めるうちに、設計者の思いや人生観がわかる」

 この話、単なる好事家の話題ではない、重要な問題を含んでいる。LSIのような高度に知的な製造物は古くなったものでも、本来は歴史的資料としてきちんと公的な機関が保存しておくべきものなのだ。でないと、散り散りバラバラになってしまい、もっと時代が下った時に資料として集めようとしても不可能なのだ。

 コンピュータ関連の保存、日本はきわめて手薄である。上野の国立科学博物館にごく一部、旧国鉄のシステムなど初期のコンピュータが保存され、同館の産業技術史保存センターが登録作業を進めているが、欧米に比べると貧弱だ。

 先日、ミュンヘンにあるドイツ博物館を見学する機会があったが、コンピュータ科学部門の展示の充実ぶりに驚愕した。ドイツの誇る歴史的コンピュータだけでなく、スーパーコンピュータの「クレイ1」など米国製のものまで展示している。そういえば、パリの工芸技術博物館にも「クレイ1」はあった。両国とも自国産のものだけではなく、一時代を築いた歴史的に重要なものはきちんと保存しているのだ。

 古い物を保存するのは懐古趣味ではない。過去の進歩をきちんと把握していないことには未来は開けないということを文化国家は熟知しているのだ。日本にも数多く輸入されたクレイだが、寡聞にして展示保存されているという話は聞いたことがない。

 冒頭の部長氏のLSIコレクションも散逸せずに引き継がれていくことを祈るばかりである。すぐに貴重な歴史的史料となるだろう。

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