学術雑誌や電子ジャーナルの高騰
最近、学術雑誌や電子ジャーナル—特に海外製—の価格高騰により、日本の大学等の資料購入費が大きく圧迫され、雑誌の一部を購読中止にしたり、電子ジャーナルの契約範囲を縮小したりすることを余儀なくされているという事態が起こっている。研究を進めるに当たって、電子ジャーナルを利用して当該分野における最新の論文等を検索・入手し、それを参照して研究の現状を把握し適切な引用を行ってゆくことは、研究者にとって不可欠な作業ステップである。電子ジャーナルは、研究のための必要不可欠な情報資源なのである。
表1に、国立大学図書館における電子ジャーナルの購入費用等の時系列データを示す。
表1を見て分かるように、図書館の資料購入費のうちで電子ジャーナル購入費の占める割合は,驚異的なペースで上昇している。もちろん、これまで紙で出ていた学術雑誌が電子ジャーナル化されたり、研究のための資料を充実させたりする、といった事情がある程度はこの背後にあろう。しかし、図書館の資料費全体がほとんど増えていない中で、この数字はほとんど異次元のものとさえ言えよう。
この窮状を救うため、場合によっては教員の研究費の一部を図書館に「拠出」する例もあるという。これでは研究そのものに充てる経費を研究環境を整えるべき費用に回していることになり、まさに本末転倒である。しかも、こうした対策は一時しのぎでしかなく、大学図書館の「破産」を回避するために、結局は購入する電子ジャーナルのタイトル数(種類)を減らすことでしか解決できなくなり、大学の研究環境を劣悪にさせることにつながりかねない。
こうした問題の背景には、何があるのであろうか。今回は、この点を少し掘り下げて考えてみたい。
電子ジャーナルをめぐる構造
電子ジャーナルをめぐる情報の流れと資金の流れを見てみよう。(図1参照)
図1の左上から見てほしい。国民や企業が納めた税金を原資にして、研究開発のための予算が組まれ、科研費などの形で研究者に渡る。大学の運営経費や補助金も支出される。企業などが設立した財団が、特定の研究に補助金を出すことも行われているが、その場合の原資も日本企業が稼いだ収益である。
大学の方は、補助金や自己資金からなる予算の一部を資料購入費として大学図書館に回し、当の大学図書館はこの予算を使って、電子ジャーナルやデータベースなどのいわゆる「電子資料」を購入して、教員や学生が使えるように整備している。この際、自然科学や工学・技術分野などの場合、有力な電子ジャーナルやデータベースのほとんどが海外製であることに注意したい。人文社会分野でも、最近は多く海外製の電子ジャーナルなどを使うようになっている。いずれにせよ、海外から学術情報、研究情報を大量に「輸入」しているわけだ。
研究者は、そうした電子ジャーナルやデータベースから情報を得て研究を進め、必要な引用も行って論文を作成する。こうして出来上がった論文は、まぎれもなく「日本製」である。そうした論文を研究者は、学術雑誌、それも、できるだけ有名な権威のある雑誌に投稿しようとする。そうした有名雑誌に自分の論文が載れば、大学などに教員として採用される時に、有利になると言われているからである。
例えば、インパクトファクターの高い雑誌に論文が載っていることは、その人の人事評価上の大きなポイントになると推測される。こうした雑誌に掲載されれば、研究者としての実績に箔(はく)が付く。さらに、学術雑誌の場合は原稿料が払われないのが普通だから、日本の情報が無償で海外に流出してしまうことになる。そして、海外の有力学術雑誌は、これまた海外の有力な電子ジャーナル出版社が世界に対して提供することになっている。
日本の研究者は、大学図書館経由で、海外で書かれた論文のみならず日本から投稿した論文でさえ、高い対価を払って購入しているのである。日本の国の税金を使って進められた研究の成果である論文が、海外に「流出」し、それをまた税金などを原資とする大学予算で購入しているという構図になり、日本国民はもしかしたら税金を二重払いしているのかもしれない。
こうした海外情報源の値上げだけでなく、為替レートの円安傾向、国際間電子商取引への消費税の課税といったいわゆる「三重苦」が、わが国の大学図書館を直撃しようとしている。だが、大学図書館の使命として、世界中の高度な学術論文をいつでも使えるようにしておかなければならない。研究だけではない。例えば、高度な医療を実施展開するためにも、その基盤として今や電子ジャーナルは不可欠なのだ。
論文と学術出版の国別シェアから分かること
それでは論文の発表数と電子ジャーナルの国別の発行状況は、どのようになっているのであろうか。表2に、論文の発表数の国別シェアとインパクトファクター上位の学術雑誌100誌の出版国別内訳を示す。
表2を見てほしい。米国は、論文発表数※1では世界の中で28%を占め、ここに挙げた6カ国合計に対しても44%を占有している。インパクトファクター上位の学術誌100のうち半数以上の56誌を出版して、学術情報の生産・流通の両面において圧倒的な存在感を示している。英国は、重商主義の精神が生き残っていると言うべきか、情報の流通において、生産面よりはるかに高いシェアを確保している。こうした傾向は、オランダについても言えようか。ドイツは、さすがに「そつ」がない。これに対して、日本や中国は学術情報の生産において、少なくとも量的には英国に匹敵する、あるいは同国をしのぐ成果を挙げながら、流通面においては全く貧弱である。
学術情報の流通において、圧倒的な存在感を示す米国、一定の地位を獲得している西ヨーロッパ諸国、大きく後れをとる日本と中国、といった構図が見て取れるではないか。だいたい、こうした計算をするのにも、外国のデータベースを使わなければならないのである。データベースが検索性能を保証し、電子ジャーナルが論文などの全文へのアクセスを提供する。データベースと電子ジャーナルの組み合わせが存在することによって、学術情報の十全な活用が可能になるのである。
※1論文数シェアは自然科学のみのものかどうか不明。しかしながら、“Web of Science”データベースを使っていることで、自然科学に重点があることが推測できる。
社会的共通資本としての意識を持ってデータベースや電子ジャーナルの整備を
わが国でも、電子ジャーナルや、主題からのインデクシングが施されたデータベース(以下「情報ストック」と呼ぶ)の整備のために、より多くの経営資源や資金を投入することが必要である。そもそも、情報ストックの整備のためには論文などの個々の情報にインデクシングを施して、一つ一つの情報を丹念に蓄積してゆくことが欠かせない。そうした「仕組み作り」に対して、米国はこれまでずいぶんと努力してきているように思える。わが国でも、科学技術分野のデータベースとしてJDreamIII(JSTplus、旧・JICSTファイル)や電子ジャーナルのプラットホームとしてのJ-STAGEなどがある。
しかしながら、こうした面に対する国の予算投下は、十分と言うにはほど遠いものがある。データベースや電子ジャーナルは、単なる図書館資料ではない。それは、国民の知的・科学的・文化的営為の達成度を示す「社会的共通資本」である。わが国にとって、官民挙げてこうした問題の根本的解決に乗り出すことが、喫緊の課題である。※2
※2 ここで述べた議論の詳細については、山﨑久道『情報貧国ニッポン―課題と提言―』(日外アソシエーツ発行、紀伊國屋書店発売、2015年)を参照されたい。併せて、中央大学ChuoOnlineの「オピニオン『情報貧国ニッポン』」、教養番組「知の回廊」もご覧いただければ幸いである。
山﨑久道(やまざき ひさみち)氏のプロフィール
1946年東京都生まれ。69年6月東京大学経済学部卒。99年論文『文献情報の蓄積・検索に利用されるファセット分析に基づくシソーラスの開発に関する研究』により、東北大学から情報科学の博士号を受ける。71-97年(株)三菱総合研究所でデータベース構築や情報システム等の調査コンサルティングを手がけるとともに、同社の社内資料室のマネージャーを歴任。97年宮城大学事業構想学部教授、総合情報センター長。2001年4月から現職。03~07年中央大学情報環境整備センター所長。情報処理技術者システムアナリスト。著書に「専門図書館経営論:情報と企業の視点から」「情報貧国ニッポン:課題と提言」(いずれも日外アソシエーツ)など。“Changing Society, Role of Information Professionals and Strategy for Libraries”IFLA Journal Vol.33 No.1(2007)など論文多数。情報科学技術協会専門部会「分類/シソーラス/Indexing部会」主査。記録管理学会会長などを歴任。
関連リンク
中央大学ChuoOnline「オピニオン『情報貧国ニッポン』」