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世界ジオパーク登録と地学教育復興への期待(小泉武栄 氏 / 東京学芸大学 教授)

2009.08.31

小泉武栄 氏 / 東京学芸大学 教授

東京学芸大学 教授 小泉武栄 氏
小泉武栄 氏

 8月24日、糸魚川、洞爺湖・有珠山、島原半島の3カ所が世界ジオパークへの登録を認められた。地学関係者の一人としてたいへんうれしく思っている。

 世界ジオパークは、科学的に貴重な地形、地質や、景観として美しい地形や地質を生かした「大地の公園」で、いわば世界遺産の地形・地質版である。ただ地形・地質だけでなく、特異な地形・地質上に成立した生態系や植生、さらには自然に対する人間のはたらきかけによって生まれた棚田や考古遺跡のような文化遺産も含んでいるから、いわば自然景観そのものをテーマにした公園ともいえる。世界遺産と同様、ユネスコが主導して始まった。

 糸魚川ジオパークでは、日本列島の基盤をなす地質とヒスイ峡、さらには北アルプス北部の氷河地形や高山植生まで、さまざまな地質時代の遺物の存在することが高い評価を受け、洞爺湖・有珠山と島原半島では、新しい火山活動の置き土産や火山植生、温泉と湧(ゆう)水、災害に対する取り組みが評価された。島原半島では厳しい環境に人間が働きかけて作り出した棚田も好意的な評価を受けた。

 3地域に続いて、山陰海岸、室戸などが次の世界ジオパークを目指して名乗りを上げているが、高山から火山、海岸まで多彩な自然をもち、風光明媚(めいび)なわが国は、ジオパーク候補の宝庫ともいえる。今後におおいに期待したいところである。

 ところで世界遺産とジオパークはどう違うのだろうか。世界遺産は優れた自然や文化景観を、人類全体の遺産として保護することを目的としている。しかしジオパークは、優れた地形・地質、特異な生態系などの「大地の遺産」を保全するとともに、それを研究や教育に生かし、さらにはツーリズムを通じて地域の発展に寄与することを重視している。つまり保全よりも活用に目的があり、そのための活動が求められるのである。したがってジオパークには、その地域の地形、地質などの生い立ちやその価値についてきちんと解説できる科学者が必要だし、自然観察路の整備や案内板の設置、ガイドブックの出版、ガイドつきのジオツアー(地学に中心を置いた自然観察会)の実施なども求められる。またそれらを運営する組織も必要である。

 地学現象は火山の爆発や大地震のような場合を除いて全体に地味であり、たとえば、岩石は高山植物やきれいな花をつける野草のようには人を惹(ひ)きつけてくれない。しかしジオパークではたとえば切り立った海食崖(がい)や火山の火口と噴気、生々しい溶岩などといった息を飲むような地形・地質と、それを基盤にした植生分布、あるいは人間の作り出した景観も含むから、そのできかたやつながりにまで頭を巡らすと、途端に魅力が増してくる。

白馬岳の北方稜線
白馬岳の北方稜線
(提供:小泉 武栄 氏)

 たとえば、写真は北アルプス白馬岳の北方稜線(りょうせん)でみられる地質・植生景観を示したものであるが、写真の中央部で地質が変化しており、それを境に植生も変わっている。そこで、なぜ植生の違いが生じるのか、それぞれの地質はなぜそこにあるのか、などと順番に考えていくと、北アルプスの成り立ちがここの植生の分布にまでかかわってくることがわかってきて、話は俄然(がぜん)おもしろくなる。

 筆者は実際にこのような解説をしながら、社会人を対象にしたジオツアーを行っているが、自然を総合的に把握し、相互のつながりを把握するために、参加者にはたいへん好評である。

 ところで世界ジオパークの登録を機に、筆者が期待していることがある。それは地学教育の復興と、それを通じての地球にたいする愛情の涵養(かんよう)である。

 地学は、かつては重要な科目で、高校でも必修であった。しかし経済の高度成長期、安い鉱産資源が海外から潤沢に輸入できるようになると、国内での鉱産物生産の必要性が低下し、それに伴って地学は必修から外れてしまった。そのため現在では履修者はきわめて少ないのが実態である。しかし地震や火山の噴火、豪雨・洪水・地すべりなどの自然災害、さらには地球温暖化や砂漠の拡大を初めとする地球環境問題の大半は、地学、自然地理学にかかわっており、履修者が減ることは研究者が確保できなくなることを意味している。筆者は近い将来の研究体制に危惧(きぐ)を感じざるをえない。また国民がこうした問題を学ばないまま、大人になった場合、いざという時に本当に自分の身を守ることができるか、心配になってくる。

 また現在の学校教育では、温暖化やアマゾンの森林破壊のような地球環境問題を低学年から学び、それが高校まで続く。テレビや新聞も圧倒的に問題点ばかりを報道している。これでは、将来にたいして悲観的な見方をする子供や大人が増えるのも当然であろう。こうした人たちは人口の増加にも極端に嫌悪感を示すのが、普通である。筆者は近年の少子化もそこに一つの原因があるのではないかと見ている。

 しかし地球はそれほどやわな惑星ではないし、自然そのものにも素晴らしいものが目白押しである。ヨセミテ、アンヘルの滝、グレートバリアリーフ、グランドキャニオン、ノルウェーのフィヨルド、アルプス、熱帯雨林、砂漠、魚が群れているサンゴ礁の海、セコイアの森、氷河におおわれた南極、などなど。日本の国立公園にもこれらに負けないものがたくさんある。子供のころはまず、こうした素晴らしい自然について学び、地球に生まれてきた幸せを感じてほしいと思う。そしてこのような教育を中心的に担う教科こそ、地学であり、自然地理である。

 上で紹介した筆者の行うジオツアーの参加者は60代、70代の方が中心だが、皆さん好奇心に充(み)ち、実に生き生きしている。それまで培ってきた地学や地理学の教養がまさに役立っているのである。

 世界ジオパークの認定が地学への関心を呼び起こし、それが地学教育の復興につながる。これはまだ夢にすぎないが、地学、自然地理教育の復興が将来の国民の幸福の度合いを増すことは疑いがない。この点について皆さんのご支持をお願いしたい。

東京学芸大学 教授 小泉武栄 氏
小泉武栄 氏
(こいずみ たけえい)

小泉武栄(こいずみ たけえい) 氏のプロフィール
長野県生まれ。1970年東京学芸大学教育学部卒、77年東京大学大学院理学系研究科地理学博士課程単位取得。理学博士。東京学芸大学助手、講師、助教授を経て94年から現職。日本ジオパーク委員会の委員も。専門は自然地理学、第四紀学、地生態学。著書に『日本の山はなぜ美しい』(古今書院)、『山の自然学』(岩波新書)、『山の自然教室』(岩波ジュニア新書)、『登山の誕生』(中公新書)、『自然を読み解く山歩き』(JTBパブリッシング)など。

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