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ちょっと、寄り道しようか?(井澤 毅 氏 / 農業生物資源研究所 主任研究員)

2008.09.09

井澤 毅 氏 / 農業生物資源研究所 主任研究員

農業生物資源研究所 主任研究員 井澤 毅 氏
井澤 毅 氏

 新聞などのマスコミで、自分たちの仕事が取り上げられたことを契機に、若い人? にメッセージを伝えるこの機会を得た。とはいえ、普段そんなことを考えて研究を進めているわけではないので、ハタと困った。せっかくの機会なので、少し時間を使って自分の研究スタイルを振りかえり決めたのが、「ちょっと、寄り道してみようか?」というタイトルである。

 自分はこれでも、分子生物学者・分子遺伝学者のはしくれだと思っている。材料は植物。短日植物のイネである。主な研究テーマは、「植物はどうやって日の長さを認識してるんだろう?」で、難しい言葉でいえば「光周性花芽形成の分子機構の解明」ということになる。残念ながら、今回、マスコミに取り上げられたのは別のテーマで、イネの栽培化に関する研究である。

 栽培化というのは、自生する雑草としての祖先野生種が古代人による選抜を受けて、作物として成立する過程を指している。考古学的な知見から約1万年前に起こったと考えられている。今回の仕事は、同じ研究所で非常にお世話になった当時の上司がイネの自然変異解析の権威で、遺伝材料をいくつか譲り受けたのがきっかけで始めたサイドテーマだった。遺伝子単離後に、どの方向に研究を進めるかで悩んだ挙句、決めたのが栽培化に関する研究である。追いかけていた自然遺伝子変異が、脱粒性やコメのサイズ(つまり収量性)に関するもので、その自然変異の起源を追いかけようと思いついたのがきっかけだった。

 ちなみに、野生種は子孫を効率よく残すために、種が成熟すると自然落下する。この脱粒性という性質は収量性を下げるので、古代人は種子が落ちない系統を積極的に選んだと考えられていて、多くの作物に観察される野生種と栽培種で異なる形質であり、栽培化形質の代表とされる。

 白黒つけるイメージの強い分子生物学と再現性の高さが真骨頂の分子遺伝学、その立場からすると、過去に起こった現象を明らかにしていくという方向性は、変わった目で見られることが多かった。また、農水省管轄の独立行政法人のテーマとしては、過去の遺伝資源の研究で、いまさらもう役に立たないのではと危惧(きぐ)する声も聞こえてきた。とはいえ、時代はゲノム全盛で、ゲノムの多様性を調べる最先端の研究が海外で多く報告され始めている。方向性を持たずに、ただ多様性を決めて分類に終始するよりは、過去に古代人により利用された遺伝子の変化、つまり、機能変化をもたらすDNA変異が現在の品種内でどのように存在しているのか、冷静に考えれば農耕と関連が深く、人類の繁栄に貢献したDNA変異の現在の姿を調べることが無意味なはずはない、きっと何か見えてくるとの予感はあった。作物であるイネならではのゲノム研究とのイメージを持っていた。なによりも、過去のことは証明できない。過去のことはもう役に立たない。といった思い込みを持ちたくなかったのである。

 40年以上生きてきて感じることの一つに、人はルーチンな作業に安心感を覚え、単純な言葉で自分の周りの現象を簡単に理解・定義し、そして、それが正しいと思い込み、自分の専門の枠からはみ出そうとしない、そんな印象がある。研究者も然りである。正直言えば、日本人の研究者にはよく見られるようにさえ感じる。 研究者が使う“専門用語” なるものは、簡単な言葉の枠で複雑な自然現象を縛りつけようとする怖さを持っているのに、その言葉のゆがんだ定義に縛られている自分たちに気付いていない。そういった議論をよく耳にする。分子生物学の手法は、キット化されていて、ますますその傾向が強い。だからこそ「寄り道の薦め」である。自分の頭をこれ以上硬くしないために、非常に有効である。

 例えばである。詳細は下記の参考文献を実際に読んでいただくとして、これらの論文では、炊飯したコメのモチモチ感を決めているDNA変異やコメを白米にするDNA変異を扱っている。これらの変異に、脱粒性や粒サイズの変化を与えるDNA変異の情報を合わせ、約100系統のイネ在来種(人工交配などを経ていない、地域に根付いた古い品種)のゲノムの多様性情報や栽培起源地情報と統合して、主に日本で栽培されているイネ(ジャポニカ種)の栽培化過程を推定したという研究内容である。

 この時に、よく質問されたのは、モチモチ感や白米といった人の嗜好(しこう)性によって選抜の受け方が異なると想定される変異を調べるのは、いけないのではないか?という質問であった。特定の地域でしか働かなかった可能性があるし、恣意(しい)的な変異ではという危惧(きぐ)である。

 一方、脱粒性の喪失の原因となる変異は、間違いなく人が栽培化時に利用したと考えられる形質だから大丈夫だろうとの大半の指摘であった。ある意味、もっともな指摘であった。が、聞かれるまで、あまり、まじめに考えなかったというのも事実であった。寄り道研究たるゆえんである。ゲノムの多様性を見るのに中立な変異を利用していたし、栽培化に貢献したと考えられるDNA変異はそれほど多くは同定されてなかったので、他に選択肢がなかったのである。

 で、結論からいえば、これまで同定された栽培化関連の自然変異の中で、脱粒性を少し下げる変異が一番古く、その後は、白米にする変異や粒サイズを大きくする変異、それから、モチモチ感を与える変異、そして、最後に、われわれが同定した全く脱粒しなくなる変異の順番で在来種に変異が広がっていた。ある意味で、嗜好性性質とは、専門家が当時の知見と論理的な思考による思い込みから、取扱注意とレッテルを張ってしまった形質だったようである。

 モチモチ変異も、白米変異も、非常に多くのジャポニカイネに観察される。よく考えると、古代人が栽培化形質化なのか嗜好性形質化かを意識しながら選抜を繰り返したはずはないのである。ある人は、粒サイズの遺伝子変異を収量性を上げる栽培化形質ではなくて、形を変える嗜好性形質ではと質問してきた。

 確かに、そうかもしれない。が、この変異もジャポニカ種の多くに広がって、ほとんどの在来種・近代品種に存在してることは紛れもない事実である。われわれが本来注意すべき注意事項は、ゲノムの多様性をモニターした段階でクリアできていたようである。嗜好性形質という言葉の定義と教科書の記述で、みんな頭が堅くなっていたのではないだろうか? で、ちょっと、寄り道しようか?というわけ。

 そう、栽培化研究は役に立たないとの意見も、思い込みかもしれない。われわれの解析や他のグループのゲノム解析から、イネのインディカ種(タイ米など)とジャポニカ種は、違う栽培化過程を経て現在に至っていることが分かってきている。インディカ種の栽培化で利用された栽培化変異をジャポニカ種の改良に利用するといった“栽培化遺伝子の再利用”も可能かもしれない。昨今、温暖化に伴うコメの品質の劣化が九州や西日本を中心に問題視されているが、栽培化研究から、こういった現在の問題に対する答えが見つかる可能性もあるのである。

 ということで、頭を柔軟にするために、若い人にも、ぜひ寄り道研究を進めてもらいたい。ただし、寄り道のしすぎにはご注意を。元の道に戻れなくなっては、それはそれで大変である。ちなみに、読者の中にこの文章を読んで、ローカルな嗜好性形質はないんだなんて思いこみ始める方がいたら、すぐに、寄り道を始めるべきである。

 参考文献)

  • 1. Konishi, S., Izawa, T., et al. An SNP caused loss of seed shattering during rice domestication. Science 312, 1392-1396 (2006)
  • 2. Shomura, A., Izawa, T., et al. Deletion in a gene associated with grain size increased yields during rice domestication. Nature Genetics 40,1023-1028 (2008)
  • 3. Konishi, S., Ebana, K., Izawa, T. Determination of japonica rice domestication process from the distribution of six functional nucleotide polymorphisms of domestication-related genes in various landraces and modern cultivars. Plant & Cell Physiology doi:10.1093/pcp/pcn118 (2008)
農業生物資源研究所 主任研究員 井澤 毅 氏
井澤 毅 氏
(いざわ たけし)

井澤 毅(いざわ たけし)氏のプロフィール
1986年東大理学部物理学科卒、88年東大大学院修士課程修了、88-94年(株)植物工学研究所、90-92年米ロックフェラー大学客員研究員、94年奈良先端科学技術大学院大学助手、2001年農業生物資源研究所主任研究員、05年同チーム長、06年から現職。
コメの大きさを決める遺伝子を発見した研究成果に関する 農業生物資源研究所 プレスリリース

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