インタビュー

第3回「環境問題の真実とは - うそとホントを見極める」(坂東昌子 氏 / 愛知大学 名誉教授)

2008.08.29

坂東昌子 氏 / 愛知大学 名誉教授

「21世紀の科学のあり方」

坂東昌子 氏
坂東昌子 氏

専門の素粒子論から交通流理論や経済物理学さらには情報、環境など幅広い分野に研究対象を広げるかたわら、女性研究者の研究環境改善に率先して取り組み、最近では日本物理学会キャリア支援センター長として若い物理学博士が活躍の場を広げるための後押し役も担う―。社会とのつながり、社会への貢献をつねに考えながら研究、教育活動を続けて来た坂東昌子・愛知大学名誉教授に、これまでの活動を振り返り、さらにこれから期待される科学のありかたと科学者像について語ってもらった。

―「リサイクル幻想」通じ武田教授と出会う。

私の初期のテキスト(手作りで安いもの)には「混ぜればごみ、分ければ資源」と書いてある。それが「目からうろこ」に至ったきっかけは、武田邦彦先生の「リサイクル幻想」(文春新書)である。この本は、受講中の学生から紹介されたことがきっかけであった。

500人ものクラスで授業をしていると、実にいろいろと面白い情報が入ってくる。当時は毎週授業時に、感想や批判などB5程度の紙に感想を書いてもらい、分かりにくかったことなど確認するとともに、どれだけ分かってくれているかを点検していた。この中の半分くらいは、ほぼ言いたいことをちゃんと受け止めてくれている。しかし、10%ぐらいは、出席点をもらうためだけに書いているようレポートもある。そういうのは出席点もゼロにカウントしている。

しかし、中には私が思ってもいなかったところに感激したコメントや、私の意見に反論する意見など、いろいろ参考になることが書いてある。30人に1人ぐらいの割合だろうか、はっとするような意見もあって、私以上の優れた見解などに遭遇するし、また、私が呼んでいない本やニュースやテレビの情報も入って、認識を新たにすることも多い。特に夜間の学生は20人に1人ぐらいの割合だ。社会経験が違うからだろう。

こんなことがあるので、多少疲れているはずなのに、夜間授業に出ると元気をもらって楽しんできたものだ。そういう学生たちとは、家まで遊びに来て議論を戦わしたり、今でもいろいろな情報を送ってくれたりする人が何人かいる。私のテキストブックには、こういうところからもらった情報がいっぱい入っている。テキストを更新するたびに、新しいものを盛り込むのが楽しみでさえあった。そして知ったことは、文系の学生でも、例えば日本化学会が出版している環境の本などが読まれていることである。化学会の本ではないが、武田邦彦先生の「リサイクル幻想」もその類だった。

これを早速読んでみたときの驚きとカルチャーショックは、今でもよく覚えている。しかも、この本の材料に対する解説はすばらしく、金属・陶器・プラスチックなど、その持つ特性を鮮やかにイメージでき、それがリサイクルという操作に対してどのように性格を異にするか頭にすっと入ってくる。

当時、著者の武田先生は芝浦工業大学におられたが、この「リサイクル幻想」に啓発され、どうしても、総合科目で学生に講演を聞かせたくて、面識もないのに、お願いした。総合科目では、こういう先生にお願いして講義を学生と一緒に聴き、刺激を受け、自分の学問の視野を広げることができるのが、とてもいい。実を言うと、学生より教員の研究にいい影響を与えるとまで思っている。こういう制度を活用して共同研究ができるようになれば、まさに研究と教育の連携ができるのである。この貴重な総合科目を外部委託するような風潮もあるが、もったいない話である。

話はそれたが、武田先生にお願いしたときには、すでに先生は名古屋大学に転任されていた。「リサイクル幻想」は、今読んでもやはりすばらしい本であると思う(最後の方は私と意見が違うが)。分別すること、リサイクルすることに対して、きちんと、分離工学、というか、物理学ではエントロピー的な分析をして、その限界をきちんと述べ、現在のリサイクルがどういう状況にあるかをデータで示したもので、単に環境本の解説をそのまま受け取っていた自分を反省した。当たり前のこういう事実にどうして気が付かなかったのだろう。科学者としては恥ずかしいな、と思ったものであった。

総合科目での授業は大変興味深いものとなった。武田先生の特徴は、こういう授業にでもできるだけ学生を連れてこられることであった。指導している学生を、こうした議論の現場に同席させることで、彼らが学ぶことが大切だ、現場が大切だということをよくご存知の先生だった。

―総合ゼミと武田先生。

これ以後、総合ゼミの学生も武田先生から学びたいという気持ちを強く持ったのだと思う。そうこうしているうちに、2004年度、名古屋市が「環境保全活動助成金」の制度を始めた(といっても予算の関係からたった1年で終わりになったが)。私も現場主義なので、学生たちに応募するよう呼びかけた。そして市民の活動に混じって、「エコビジネス研究会」の活動が採択されることになった。

エコビジネス研究会の主張は、エコ活動を単なるボランティアでやっていたのでは、持続的な活動にならない。エコ活動はやっている本人、それにかかわる企業などの双方に利益をもたらす活動でないとだめだ、という発想から出発している。それは社会科学的な視点まで入れた点で、先んじているところがある。そういう観点から、スーパーで販売している果物や野菜の包装を見直そうとするものであった。過剰包装をなくしてそれを消費者と商店に還元するという考え方だ。なかなか面白い発想で結構面白い調査ができたのだが、ここではその詳細は省く。

さて、彼らは行動力がある。すぐに、武田先生や名古屋大学の高野先生に顧問をお願いしに出かけた。そして、スーパーマーケットで取ってきたアンケート調査の分析を始めるとともに、研究会を組織した。文系の学部の学生と工学部の武田研究室の大学院生とが、一緒に研究会を始めたのだ。武田先生も私も、それに愛知大学で非常勤講師をしていただいている谷口正明先生(学生たちに人気の高い先生)も出席した。

こんな研究会は、おそらく今までにないだろう。そもそもそんな研究会はどちらかにとって意味がないものになるのが普通だ。ところが違っていた。まず、エコビジの主婦へのアンケート調査の報告からはじまり、いろいろとアイデアを交換したりもできた。「主婦だけでなく、愛知大学の学生にもアンケートをとってみたら」ということで、私の授業でもとり、データがたまってきた。ワイワイ分析の仕方を議論していた。

最初のころは、習いたてのエクセルを使った棒グラフや円グラフが並んでいて、エコビジの学生たちの分析は、いわば単純集計だけだった。「小学校の生徒レベルね」と言ったら、学生たちはよほどショックだったらしく、何とかもっと分かりやすい分析に持っていこうと張り切りだした。武田先生が「包装の必要性は物によって違う」と言って分析方法を提案される、私も「包装の度合いを示す指標を作ったら」と言ってみんなで工夫を始める。だんだん、大学生らしい分析になってきた。

さて、そのうちに学生たちは、「今度は包装の材料についての分析をしてくれませんか」と大学院生に頼む。そしてレジ袋などは、原料の石油精製の後のいわば残り、ナフサを効率的に利用している現状なども知るようになる。そういった交流がうまく進み出した。私には思いがけない新しいスタイルの研究会であった。

こうして、2005年3月の愛知万博を前にした名古屋市環境局・NPO・大学などが一堂に会した「廃棄物について考える」といシンポジウム開設までこぎつけたのである。エコビジはここで、アンケートの結果の報告をしたのだが、これがたいしたものでレベルは相当なものだと思う。武田研の院生も、名古屋市環境局の方たちも、「ここまでよくこぎつけましたね。感心しました」と言ってくださった。もったいないので、私が頼まれていた化学会春の大会の特別セッション「エコ材料」の講演時間の一部を割いて彼らに発表してもらった。発表を聞いた皆さんから「大学院生ですか」といわれて「いいえ、学部学生です」と誇らしげに話したことが思い出される。

―武田先生に物申す 環境問題を見る目。

名古屋市の非常事態宣言から5年もたつと、ごみ排出量などのデータを踏まえた評価ができるようになる。それによるとごみ排出量を削減することは、は一定の限度に達しており、それ以上の削減は相当な質的変革なしには無理な状態になってきた。それはある意味で予想されたことでもあろう。こうした環境への取り組みに対して、一般市民、環境運動に参加する主体者・行政・企業サイドの意識はどうなっているのであろうか。どうもこのあたりが、気になる。

そもそも、国際的に環境問題に火をつけたのは、レイチェル・カーソンである。彼女は生物学者だといっても、恵まれた地位にいたわけではない。こつこつと1人でデータを蓄積し、そして科学の成果であるはずの化学物質がもたらす環境破壊について調査、検討した。そして1962年「沈黙の春」が世に出たとき、最もこれに反対したのはDDTなどの農薬を生産する企業だろう。そして世間から「ヒステリー女」とまでいわれたという。どうしてその彼女の本が、このように取り上げられ、広まったのかは、今も私には謎で、もっと深く考えてみたい問題のひとつである。

そして72年には「成長の限界」が大きな世論を生む。初の大きなNGO「ローマクラブ」の誕生が見えたときでもある。「もう冷たい戦争などしているときではない。地球全体で協力しないといけない」という世論が誕生したのである。それに呼応する形で、1970年代、日本は「公害問題」が大きく市民の関心を呼んだ。それが政治の変革と結びついて、さまざまな形で成果を残したといっていいだろう。さまざまな環境問題が大きく取り上げられた。大気汚染防止法の成立過程などは、私たちに市民と科学の勝利を実感させる話である。

しかし、1980年も終わりごろからの動きを見ると、気になることがある。環境問題の危機が誇張され、科学的認識を無視した主張も見られるようになる。「ベルリンの壁崩壊」、「冷戦の終結」、「ソ連の崩壊」などの世界的な政治の動きと連動しているという主張もあるが、それはともかくとして、「これはおかしいな」と思うようなキャンペーンが目立つようになってきた。

環境の抱える問題は、近代科学技術の成果と深く結びついており、総合的視野に立ってその解決への道を追求する必要があるのだが、果たして大丈夫か、という疑問武田先生と議論できる機会を得たことは、教員冥利(みょうり)に尽きることだった。一般には、現在の環境問題には誤りや誇張が多く、政府の権威や学者の誇張で一方方向へ世論を駆り立てているような風潮が見られるのも事実である。武田氏の「リサイクル幻想」が出たころは、科学者を含めて、「こういうことをいうのは国賊(こくぞく)だ」と言われ、時の政府に反対する主張だったので研究費もとれなかったという。

競争的資金とかいった名目で、「今必要な研究テーマ」に重点的に資金を出すようになると、時の流れに反する研究テーマには資金がこない。そうすると、研究者の方も、これに迎合して、研究テーマを選ぶようになる。そうして、事実を確かめないで、ついつい大勢に迎合する。これではますます科学の信用をなくすだろう。気象学者でも、1970-80年には寒冷化の本を、1980年代後半には地球温暖化を説き、そして1990年代になると異常気象の本を書く。同じ学者が時流に迎合して主張を変えているとしか思えない。どうもおかしい。何かどこかでおかしな主張がまかり通っているのではないか、最近になって国際的にも国内でも、人々はどうもおかしいと思い始めた。そして、今、武田邦彦著「環境問題にはなぜウソがまかり通るか」(洋泉社ペーパーバックス)が多くの人に読まれている時代になった。

ところで、こんな時代になるずっと以前に、私は、武田先生の「リサイクル幻想」に刺激を受けた。と同時に、そのころから今に至るまで、やはり武田先生の意見には納得できないこともある。当時の総合科目の授業で出た学生たちの反応の中に、「環境を考えるとき、科学的視点から見ることが大切」とか「客観的な事実をしっかり見つめる」「事実→解析→意見→感情」という筋道などを学んだという感想とともに、学生たちの素直な意見が既に出ていたのでまとめておくと、

  1. リサイクルが環境問題の解決を促進するには科学の進歩が必要だ。
  2. リサイクルが容易な製品を作ることも大切だ。
  3. リサイクルの有効性をコストだけで論じるのは正しいのだろうか?
  4. 「リサイクルの増幅指数」よりいい指標がある可能性はないのか?
  5. 市民が環境問題を真剣に考えるのは長い目で見ていいことではないのか?
  6. 大学の先生は好き勝手なことがいえるが、行政はそうは行かない(武田先生が、行政の取り組みの矛盾を鋭く指摘されたとき、行政サイドから講義していただいた方のご意見)。

こうしてみると、上の6つは、どれも今回、私が思っていることと似通っている。学生たちもなかなかいい点を指摘しているなあ、といまさら感心する。

こうした中で、今、多くの人が武田先生の「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」を読み始めている。その痛快な語り口に魅せられた人も多いだろう。

ただ、さりとて、「すべてまやかしだ」と言ってのけるのにも私は納得できない。科学がどこまで明らかにしたのか、をはっきりさせないと、科学自身への信頼まで地に落ちる。主張はあくまで客観的であってほしい。昔の「リサイクル幻想」は最後の結論はちょっと納得できないにしても、緻密な論理があった。「最近の本は論理が荒いですね」と私は先生に物申している。

「環境を大切にするのは「心」であるが、具体的な行動は感情的にならず科学的に進め、その手段は科学的でなくてはならない」という武田先生のご意見にはまったく賛成で、だからこそ、いろいろと反論もあるのである。そして付け加えるなら、私は以下のような感触を持っている。

  1. 先生の記述には生活感がない。
  2. 今までの科学者・市民の努力や苦労に対する評価が低い。
  3. 科学の進歩と環境問題との関連に対するスタンスが見えない。

を持つ声も出始めた。だが、そのころは、環境保護こそ正義という雰囲気があり、それに逆らう主張に対しては、冷静な判断ができない状況だったともいえよう。

(続く)

坂東昌子 氏
(ばんどう まさこ)
坂東昌子 氏
(ばんどう まさこ)

坂東昌子(ばんどう まさこ)氏のプロフィール
1960年京都大学理学部物理学科卒、65年京都大学理学研究科博士課程修了、京都大学理学研究科助手、87年愛知大学教養部教授、91年同教養部長、2001年同情報処理センター所長、08年愛知大学名誉教授。専門は、素粒子論、非線形物理(交通流理論・経済物理学)。研究と子育てを両立させるため、博士課程の時に自宅を開放し、女子大学院生仲間らと共同保育をはじめ、1年後、京都大学に保育所設立を実現させた。研究者、父母、保育者が勉強しながらよりよい保育所を作り上げる実践活動で、京都大学保育所は全国の保育理論のリーダー的存在になる。その後も「女性研究者のリーダーシップ研究会」や「女性研究者の会:京都」の代表を務めるなど、女性研究者の積極的な社会貢献を目指す活動を続けている。02年日本物理学会理事男女共同参画推進委員会委員長(初代)、03年「男女共同参画学協会連絡会」(自然科学系の32学協会から成る)委員長、06年日本物理学会長などを務め、会長の任期終了後も引き続き日本物理学会キャリア支援センター長に。「4次元を越える物理と素粒子」(坂東昌子・中野博明 共立出版)、「理系の女の生き方ガイド」(坂東昌子・宇野賀津子 講談社ブルーバックス)、「女の一生シリーズ-現代『科学は女性の未来を開く』」(執筆分担、岩波書店)、「大学再生の条件『多人数講義でのコミュニケーションの試み』」(大月書店)、「性差の科学」(ドメス出版)など著書多数。

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