深く掘り下げたい - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」 https://scienceportal.jst.go.jp Wed, 17 Dec 2025 06:31:32 +0000 ja hourly 1 「自分らしさ」とは? スポーツ、美学、生命科学で活躍する3人が対話 サイエンスアゴラin健都 https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20251217_e01/ Wed, 17 Dec 2025 06:31:08 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55809  科学技術振興機構(JST)の社会技術研究開発センター(RISTEX)は、科学と社会をつなぐ対話の場「サイエンスアゴラin健都」を11月16日、大阪府摂津市のエア・ウォーター株式会社で開催した。健康・医療を核にまちづくりを進める北大阪健康医療都市(健都)における「健都フェス」の一環。元陸上選手の為末大さん、美学者の伊藤亜紗さん、バイオベンチャーCEOの福田真嗣さんが、それぞれスポーツ、美学、生命科学の視点から「自分らしさ」について対話を重ねた。

会場はほぼ満席で、立って3人の対話に耳を傾ける人たちも(11月16日大阪府摂津市)
会場はほぼ満席で、立って3人の対話に耳を傾ける人たちも(11月16日大阪府摂津市)

「守破離」の3段階で自分だけのトレーニングに 元陸上選手・為末大さん

 世界陸上選手権の400メートルハードルで銅メダルを獲得し、現在、スポーツ・教育事業を手がける株式会社Deportare Partners代表の為末大さんが「自分らしさ」について口火を切った。

 現役の時、8割がジャマイカ人のチームに参加したことがある。自分は日本の選手の中ではよくしゃべる方だったが、おしゃべり好きなジャマイカの選手からは「日本から無口なヤツが来た」とレッテルを貼られてしまった。自分らしさ、社会における自分の立ち位置は、住む場所や環境によって変わるものだ。

 陸上界では100メートルを10秒3で走る選手は「足が速くない」という。日本選手権に出られないから。でも、陸上界の外に出れば、とても足が速いといえる。離れてみることで、自分の違った姿が見えてくるのではないか。


陸上選手としての経験や現在の活動を話す為末大さん(11月16日大阪府摂津市)
陸上選手としての経験や現在の活動を話す為末大さん(11月16日大阪府摂津市)

 スポーツの世界では、自分らしさはとても大切なことだ。茶道や武道などの修行において「守破離(しゅはり)」という言葉があるように、スポーツでも最初は習った型を守り、だんだん上手になると工夫をして型を破り、「離」の段階になると周りの選手との違いを踏まえたトレーニングを考える。

 100メートル走の世界記録を持つウサイン・ボルト氏を取材したことがある。小学6年生の時に身長が186センチあったという。手の長さが私の1.5倍あり、足の長さも違う。足の制御のしやすさに関わる肩幅も広く、少し肩を回転させるだけで足が前に出る。一方で、骨盤に比べて肩幅の狭い女子選手は、腕を伸ばして左右に大きく振るフォームの方が足を前に出しやすい。周りの選手との違いに気づくようになれば、トレーニングがパーソナライズされ、「自分にだけ通用する練習」になる。

 そして今、人に教える場合には、「自分には通用しないけれど、多くのみんなに通用する技術」を切り分けていく作業を悩みながらしている。

自分の心身に向き合い、「私らしい健康」を 美学者・伊藤亜紗さん

 人間の感性や美的判断の原理を探求する文学博士で美学者である東京科学大学教授の伊藤亜紗さんは、身体感覚や感性といった視点で考える自分らしさを「感性と自分らしさ」と題して紹介した。

 病気の名前は無数にある。同じように健康にもいろいろあって、それぞれに名前が付いていてもいいのに、細分化されておらず「健康」でひとくくり。しかし本来、病気と健康は単純な対立概念ではないはずだ。自分自身の体や心などに向き合いながら、「私らしい健康」を探索することができる。

 そもそも「自分らしさ」には二つの種類があるのではないか。一つは、基準としての私らしさだ。たとえば、自分に似合う洋服を選ぶというように、何かを選択する場合である。もう一つは、出会いとしての自分らしさだ。「これもまた自分らしい」と発見する感覚は、特に病気から回復する過程においては重要となる。なぜなら、回復する過程は、病気になる前の自分に戻ることではなく、病気を経験した新しい自分のあり方に出会うことに他ならないからだ。

 感性が関わるのは、二つ目の「出会いとしての自分らしさ」である。感性は、初めて出会う時のように、ものを経験する力だ。過剰なダイエットによって摂食障害に陥ってしまった人が回復へと向かう過程では、食べ物を「美味しい」と感じられる感性の役割が不可欠になる。それは、自分の体の声を聞くということにつながる。

 体の声という意味では、欲望に気づくというのも、新しい自分との出会いになる。障害や病気とともに生きる人の欲望は抑圧されがちだ。ケアを受けていると、「こんなことを要求したら嫌がられるのではないか」と忖度してしまい、どうしても「適切な欲望」と「不適切な欲望」ができてしまう。こうした抑圧的な力をいかに丁寧に取り除いていくかも、「自分らしさ」を考えるうえでは重要だろう。

「感性と自分らしさ」について語る伊藤亜紗さん(11月16日大阪府摂津市)
「感性と自分らしさ」について語る伊藤亜紗さん(11月16日大阪府摂津市)

腸内細菌の個性に合わせ食事を最適化 バイオベンチャーCEO・福田真嗣さん

 生命科学の分野からは、バイオベンチャーの株式会社メタジェン代表取締役社長CEOで慶應義塾大学・先端生命科学研究所特任教授の福田真嗣さんが、腸内細菌から考える「自分らしさ」を話した。

 腸内細菌は人体の細胞の総数より多く、腸内で得た栄養から様々な物質を作る。その成分は腸にとどまらず、全身の健康にも関わっている。たとえば、大学駅伝でトップレベルの青山学院大学陸上競技部の選手の便を調べたところ、ある細菌が腸内にたくさんいて短鎖脂肪酸を産生していた。そのおかげで持久力がアップしていることが、動物実験や臨床試験で明らかとなった。また、腸内細菌が作る代謝物質によって脳内で神経伝達物質ドーパミンの分解が抑制され、やる気を持続させられることも分かってきている。便は、そんな腸内細菌を含む有用なもの。「茶色い宝石」と言える。

 腸内細菌の集団である腸内フローラは個人差が大きい。それを逆手に取り、腸内環境タイプという「自分らしさ」を考慮した食事をすれば、短鎖脂肪酸が効率的に産生されて健康につながる。2023年ごろから、シリアルやドリンクで個別最適化した商品が出てきている。

最新の研究成果などを紹介する福田真嗣さん(11月16日大阪府摂津市)
最新の研究成果などを紹介する福田真嗣さん(11月16日大阪府摂津市)

 健康な人の便が、病気の人を救う可能性もある。潰瘍性大腸炎という難病の患者に、健康な人の便に含まれる腸内フローラを移植する「便移植」だ。これまで先進医療Bとして37人を治療し、症状がほとんど治まった状態(寛解)になる率が45.9%になっている。

 腸内環境に基づく個別最適化された健康を手に入れるほか、健康な人の便を提供してもらう「献便」が広がることで、自分の健康が誰かの健康につながるかもしれないという新たな医療・ヘルスケアの創出になる。

「なりたい自分」になるための努力と工夫

 講演が終わると、登壇者3人の対談が始まった。「“わたし”とは(何者か)?」という問いが投げかけられた。

 検便ならぬ「献便」に興味をもった為末さんが「病気が治るとはいえ、他の人の便を自分の体内に入れるというと『えっ』という意識が芽生えてしまう」と切り出すと、福田さんは「健康な人の便でも、移植できるかどうかの基準に照らし合わせると、現状では5%程度しかパスしない。また患者を救うだけでなく、健康な人が病気にならないように気をつけて生活してもらうためにも、献便には意味がある」と応じた。

 伊藤さんは「吐いたつばを再び飲むのはためらわれるのと同じで、『けがれ』の考え方が関わっていると思う」と、自他の境界をどうとらえるかという文化面から考察。「科学的にいくら有効であっても、便はトイレではすぐ流すべきもの。みんなが便を『茶色い宝石』と認識する世界というのは、文化の何かを根本的に変えることになる」と述べた。

 文化を変えずとも、腸内細菌を自分で変えることはできるのか。遺伝的要因と環境要因とどちらが関係するかについて福田さんは「遺伝より環境によって変わる。住んでいる国ごとに腸内フローラの違いを調べると、米国と和食文化が残る日本には違いがある。日常的な食事で腸内フローラは大きくは変わらないが、ベジタリアンの人が肉を食べると腸内フローラの構成は大きく変わるなど、食生活にあった細菌が腸にいるようだ」と語った。

 伊藤さんは「人って、型から外れるのは難しい。なりたい自分になるために、食生活をはじめとしたルーティンを変えるには、かなりの努力がいる」という。為末さんは「スポーツで成長する場合、最初は『ああいう選手になりたい』という理想の型から入るが、ある一つの理想をずっと見ていると、収束して想定内になってしまう。ルーティンを真面目に守るのではなく、遊びというか、毎日ちょっと違った工夫をすることも必要だ」。福田さんは、衛生環境が悪いとされるインドの方が日本よりも人間の腸内に大腸菌の仲間が多くいることを例に挙げ、「腸内フローラにも多様性があることで、その生態系を維持する頑健さが増す。はずれ値もその多様性に寄与している」と応じた。

自分らしさについて笑顔で語り合う為末さん、伊藤さん、福田さん(11月16日大阪府摂津市)
自分らしさについて笑顔で語り合う為末さん、伊藤さん、福田さん(11月16日大阪府摂津市)

多様性の時代、自分を最適化して他者と対話を

 それぞれが持つ自分らしさと多様性については、会場から「他者の自分らしさを尊重するにはどうすればよいか」という質問が出た。為末さんはパラリンピアンと関わる経験から、「障害によって、自分は何ができるか、何ができないか、という自己紹介を提示してもらうとうまくいく」と答えた。

 伊藤さんは「多様性の時代と言われ、『自分』というものが言語化できて、プロファイルで整理するものとして単純化されすぎている。自分とは複雑なもので、記述できないところがあることを認識することも大切では」と述べた。

 福田さんは、腸内フローラの多様性が外的要因への強さになることを挙げ、「多様であるということは、ある人とある人が違うということ。共感しなくてもお互いに理解をすることで尊重できると思う」。

 自分の置かれた環境の中で個別最適化を進めながら、パーソナライズした他者と理解し合うためには対話が大切。対話こそが、それぞれのウェルビーイングにつながる――。3人の対談は、そんな結論でまとまった。

 運動・哲学・食・感性といった分野を横断した「自分らしさ」と、健やかな暮らしの未来について語り合うトークセッションと聞き、「その道の専門家が話す哲学なんて難しいのでは」と構えて参加したが、講演も対談も具体例が満載で、楽しく「自分らしい取材」ができたと思う。

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気候危機回避へ各国結束して前進を COP30は国際協調の困難さ浮き彫り https://scienceportal.jst.go.jp/explore/review/20251212_e01/ Fri, 12 Dec 2025 06:47:55 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55786  世界各地で熱波や干ばつ、豪雨といった極端な気象による被害が頻発し、その原因とされる地球温暖化・気候変動対策は待ったなしとされている。そうした中で国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)第30回締約国会議(COP30)が11月10日から22日までブラジル・ベレンで開かれた。今回のCOPは第1回から30年。産業革命以降の平均気温上昇を1.5度に抑えることを目指した国際枠組み「パリ協定」採択から10年の節目で、大きな被害を出した各国の危機感も高まっていてその成果が注目されていた。

 だが、大きな争点だった「化石燃料からの脱却」の合意に失敗するなど、「気候危機」を回避するための明確な道筋を示すことができないまま終わった。国際協調で対策を進める難しさが改めて浮き彫りになった。

 COP30では気候変動による災害に備えるための「適応資金」を増やす約束などの成果もあり、対策強化の機運はまだ失われていない。各国はこれまで対策を積み上げてきた。そうした気候変動を克服するための歩みを止めてはならない。気候変動に対する危機感を背景に結束して前進するしか道はない。

ブラジル・ベレンのCOP30の会場(国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)事務局提供)
ブラジル・ベレンのCOP30の会場(国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)事務局提供)

「適応」のための資金を35年までに3倍で合意

 COP30の合意文書を巡る議論は最後まで紛糾し、日程を1日延長してかろうじて採択にこぎ付けた。交渉が難航した最大の要因は温室効果ガスの排出削減策の根幹となる脱化石燃料の位置付けについて意見が対立したことだった。会議参加者によると、議長国ブラジルのルラ大統領は「化石燃料なしに生きる方法を考える必要がある」などと主張して会議の当初から脱化石燃料の工程表作成に積極的だったという。

 会議の終盤、議長国ブラジルは合意文書案に石炭や石油などの化石燃料からの脱却を具体化する工程表作成を盛り込むことを提案した。欧州連合(EU)や太平洋の島嶼(しょ)国など約80カ国は賛成した。しかし、産油国のサウジアラビアやロシアなどが強硬に反対し、議長は合意案からこの項目を外した。日本は賛成国に加わっていない。

 最大の争点で合意できず、賛成した国々や各国の環境団体を落胆させたが、成果もあった。その一つは「気候変動による被害に備えるための『適応』資金を2035年までに少なくとも3倍にする努力を求める」ことが合意文書に盛り込まれたことだ。

 このほか、具体的な道筋は示されなかったものの「気温上昇を産業革命前から1.5度に抑えるパリ協定の目標達成に向けて対策の加速を促す」ことや「発展途上国向けの資金援助の具体化を目指して2年間の作業計画を策定する」ことなどで合意した。前回COP29で、2035年までに先進国を中心に年3000億ドル、世界全体で年1兆3000億ドルを対策に充てる目標を決定しており、これを受けての措置だった。合意文書はブラジル先住民の「共同作業」を意味する言葉から「グローバル・ムチラン」と名付けられた。

COP30会期中の様子。手前の演壇に立つのはUNFCCCのスティール事務局長(UNFCCC事務局提供)
COP30会期中の様子。手前の演壇に立つのはUNFCCCのスティール事務局長(UNFCCC事務局提供)
COP30の記者会見の様子(UNFCCC事務局提供)
COP30の記者会見の様子(UNFCCC事務局提供)

影響大きかった米トランプ政権の「離反」

 今回の会議に大きな影響を与えたのは中国に次いで温室効果ガス排出量が多い米国の欠席だった。トランプ米大統領は今年1月の大統領就任初日にパリ協定から再び離脱する大統領令に署名した。離脱発効は来年1月だが、トランプ政権は政府代表団を派遣せず「欠席」を決め込んだ。パリ協定への「離反」の姿勢をあからさまにした。

 COPという国際協調を前提とした枠組みができて以来、米国の政権は民主党、共和党が入れ替わり、資金提供などの対策に温度差はあったものの、2017年に第1期トランプ政権がパリ協定離脱を表明するまで基本的には協定に基づく各国の対策に歩調を合わせてきた。

 しかし、バイデン民主党政権の後、再び大統領に選ばれたトランプ氏の「反気候変動・温暖化対策」姿勢は強固だ。9月の国連総会でトランプ氏は「気候変動は史上最大の詐欺」と言い放ち、国連環境計画(UNEP)や世界気象機関(WMO)などの国際機関の予測は「愚か者によるもの」「間違い」などとし、再生可能エネルギーは「グリーン詐欺」などと呼んで、多くの国の代表を驚かせた。

 COP30に出席した日本の関係者によると、世界最大の経済大国であり、気候変動対策関連の資金提供もしてきた米国不在の影響は大きかった。そして米国の「自国第一主義」は会議の雰囲気に影を落とし、脱化石燃料の工程表作成に反対した産油国を勢い付けた。米国不在の中で対応が注目された世界最大の排出国で、再生可能エネルギー普及を国策として進める中国も議論をけん引することはなかったという。

化石燃料排出のイメージ画像。トランプ米政権はバイデン前政権が進めた省エネ支援策などを撤廃して化石燃料開発を拡大している(国連提供)
化石燃料排出のイメージ画像。トランプ米政権はバイデン前政権が進めた省エネ支援策などを撤廃して化石燃料開発を拡大している(国連提供)

実現困難との見方強まる「1.5度目標」

 COP30での成果は物足りない結果になったと言わざるを得ない。そもそも会議の前から温室効果ガスの排出削減に向けた機運は必ずしも高くなかった。国連は2035年の温室効果ガスの排出削減目標を9月までに提出するよう求めていた。しかし、期限を守った国は締約国のわずか3割。COP30が始まって提出国は増えたがそれでも6割程度だ。

 UNEPは会議に先だち、既に提出された2035年までの削減目標(NDC)が達成されても今世紀末には2.3~2.5度上昇し、対策を強化しないで削減努力を怠れば最大2.8度も上昇すると予測する報告書を公表していた。1.5度目標のためには35年に19年比で55%程度の削減が必要とされるが、現在のNDCでは15%程度の減少にとどまると試算されている。

 気候の専門家らの間では、1.5度目標の実現は難しくなったとの見方が有力だ。焦点は「オーバーシュート」、つまり一時的に1.5度を超える状態になってもその期間をどれだけ短くして一定期間の気温上昇幅を極力小さくできるか、という課題に移っている。ただ、短期間のオーバーシュートでも人々の暮らしに大きな影響を与えるとされる。温室効果ガスの排出量を引き続き最大限減らす努力が求められることに変わりはない。

 国連のグテーレス事務総長は11月6日、COP30の首脳級会合で「科学の予測によれば遅くても2030年代初めには一時的に1.5度を超えることは避けられないが今、(世界が)迅速かつ大規模な行動をすればオーバーシュートは可能な限り小さく、短くできる。私たちはこの会議を転換点とする」と訴えた。しかし、その後に続いた会議の結果はグテーレス氏を満足させる内容にはならなかった。

江守正多氏がUNEPの報告書資料を基に作成した、現在の各国の排出削減策では「1.5度目標」は難しいことを示す図(江守正多氏提供)
江守正多氏がUNEPの報告書資料を基に作成した、現在の各国の排出削減策では「1.5度目標」は難しいことを示す図(江守正多氏提供)
COP30の首脳級会合で演説するグテーレス国連事務総長(UNFCCC事務局提供)
COP30の首脳級会合で演説するグテーレス国連事務総長(UNFCCC事務局提供)

「懐疑論は人類の運命に影響」と気候科学の専門家

 COP30閉幕を受けて気候科学が専門で世界の気候変動対策の動向に詳しい江守正多・東京大学未来ビジョン研究センター教授が12月2日、日本記者クラブで講演した。この中で江守氏は、トランプ政権の下で温暖化・気候変動に対する懐疑論が台頭している現状について「一部の産業界の利害を色濃く反映した政策が米国社会に構造変化をもたらし、人類の運命にも影響を与えようとしている」と危機感を示した。

 江守氏は気候科学分野の中でも気候変動シミュレーションが専門で、国立環境研究所に長く勤務。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第5次、第6次評価報告書の主執筆者でもあり、温暖化・気候変動対策の重要性について積極的に発言、発信している。

 江守氏はCOP30で採択された合意文書に産油国などの反対で「化石燃料からの脱却」が持ち込めなかったのは残念としながらも、「全会一致」での合意が前提ならば、産油国も参加するCOPの場で脱化石燃料を進めるのは無理があり、石油などの化石燃料の消費国が需要を減らすしかないとの見方を示した。

 また、COPに大きな影響を与えた米国のトランプ政権の問題については「パリ協定からの再離脱だけでなく、米海洋大気局(NOAA)などの気候関係の連邦機関の予算削減や人事監視、各種環境規制の弱体化や廃止などが起きている」と指摘した。そしてトランプ氏の国連総会での演説内容を紹介しながら、政権の「反温暖化・気候変動政策」の背景には、脱炭素化に伴う規制を回避しようとする石油業界やこれを支援する政治家、シンクタンクの連携のほか、一部メディアも拡散に寄与する「否定論エコシステム」の存在があると述べている。

江守正多氏(日本記者クラブ提供)
江守正多氏(日本記者クラブ提供)

「未来の世代」のためにも国際強調を

 江守氏によると、一般的に気候変動に脆弱な国ほど一人当たりの温室効果ガス排出量が少ないことがデータから明確になっている。つまり「気候変動による被害の原因に責任のない人たちが深刻な影響を受けている」(江守氏)。COP30の会期中、各国から集まった環境団体などがこうした問題に抗議し、対策の強化を訴えた。議長国ブラジルの先住民族のグループが対策の強化やアマゾンの熱帯雨林保護を訴えるデモ行進をして参加者の注目を集めている。

 国連広報によると、グテーレス氏は会期中、各国の若者代表団と会談し「過去の世代は気候危機の抑制に失敗した」と謝罪した上で、化石燃料から再生エネルギーへの移行は不可欠で、国際社会と地球の幸福よりも自分たちの利益を優先する強力なロビー団体と対峙する必要があり、そのためにも「未来の世代」の若者の力が必要だ、と強調した。これに対しブラジルの16歳の少年は「私たちは活動家になりたいのではなく普通の子どもであり若者でありたいだけです」と答えたという。

 IPCCは2021年に公表した報告書で「地球温暖化は人間の影響であることは疑う余地はない」と結論付けた。詳細なデータをコンピューター解析などで精緻に裏付けた結論だった。その段階でも見られた「温暖化懐疑論」を論破する内容だった。江守氏は「世界が協力して気候変動を止めるというビジョンとその必要性に対する認識は大部分の国で共有されている」とした上で「世界が(対策を)諦めたら人類は相当まずいことになる」と強調している。

 グテーレス氏は気候変動対策が厳しい局面であることを認めつつ、国際社会全体の利益を守るために引き続き多国間主義、国際協調による対策を進めることを求めている。経済発展に伴って温室効果ガスの排出を増やしてきたのは主に先進国や一部新興国のこれまでの世代だ。「未来の世代につけを残してはいけない」。何度も語られてきたこの言葉を改めて世界で共有したい。

COP30の会場の前では多くの環境団体や市民団体などが対策強化を訴えた(UNFCCC事務局提供)
COP30の会場の前では多くの環境団体や市民団体などが対策強化を訴えた(UNFCCC事務局提供)
江守正多氏がIPCCの資料を基に再掲した地球温暖化は人間の影響であることは疑う余地がないことを示すグラフ(江守正多氏提供)
江守正多氏がIPCCの資料を基に再掲した地球温暖化は人間の影響であることは疑う余地がないことを示すグラフ(江守正多氏提供)
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【特集:荒波の先に見る大学像】第5回 次世代半導体の“使い手”を育てる―150年目の「セカンド・アンビシャス・チャレンジ」、北海道大学理事・副学長 山口淳二さん https://scienceportal.jst.go.jp/explore/interview/20251211_e01/ Thu, 11 Dec 2025 06:14:27 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55764  最先端半導体の開発競争が世界規模で激しさを増している。熊本は台湾積体電路製造(TSMC)が進出したのを契機に一大半導体拠点へと成長した。北海道でも千歳市へのラピダスの工場建設を追い風に、産官学連携による大規模プロジェクトが始動。次世代半導体を軸としたイノベーション基盤づくりが本格化する中、創基150周年を迎える北海道大学も「セカンド・アンビシャス・チャレンジ」のキャッチフレーズを旗印に、半導体産業への挑戦に名乗りを上げた。「2度目の野心的な挑戦」で北大が目指すものは何か。理事・副学長の山口淳二さんに伺った。

山口淳二さん
山口淳二さん

ラピダスとの連携は「まだ何もない」ところから

―ラピダスとの包括連携協定について、経緯や狙いを教えてください。

 ご存知のとおり、ラピダスは日本が国策として推進する最先端半導体(ロジック)の量産化を担う企業として、2022年に設立されました。国内外の大手企業や研究機関が参画し、国家プロジェクトとして世界最先端のナノ(ナノは10億分の1)メートル世代の半導体開発・製造を目指しています。

 その開発拠点「IIM(イーム)」を北海道千歳市に置くとラピダスが発表したのは、2023年2月末のことでした。北海道が選ばれたのは、広大な敷地と冷涼な気候、豊富な水と再生可能エネルギーといった地理的なポテンシャルに加え、「行ってみたい」「住んでみたい」と思わせる場所としての魅力が大きな理由です。

 北大とラピダスとの連携は、本当にゼロからのスタートでした。同社創業メンバー13人の中に北大の関係者はおらず、我々にとっても未知の存在だったんです。寶金(ほうきん)清博総長を中心にトップ同士での対話を重ねていく中で、大学内への評価・分析拠点設置や、不足が指摘される半導体人材の育成などの部分で少しずつ彼らの考えや期待が見えてきて、1年後の2024年6月には包括連携協定の締結に至りました。

 これは非常に珍しいケースで、本来大学と企業の連携は十分な協働実績に基づいて結ばれるものです。しかし当時のラピダスはまだ何も製品を生み出していない段階でした。これは本学の強みであるAIやデータサイエンス、そしてフィールド科学や医療を生かすことのできる建学以来有数の飛躍のチャンスと捉えた総長の英断であり、我々としてもラピダスとの特別な関係性を築くための大きなステップだったと思っています。

新千歳空港のすぐ南に位置するラピダスの半導体開発拠点IIM(イーム)。空港の窓や展望台からもその姿を伺うことができる(2025年8月撮影)
新千歳空港のすぐ南に位置するラピダスの半導体開発拠点IIM(イーム)。空港の窓や展望台からもその姿を伺うことができる(2025年8月撮影)

―そのラピダスとの連携をはじめ、北大の半導体プロジェクト推進の中核を担うのが「半導体フロンティア教育研究機構(IFERS、アイファース)」ですね。

 ラピダスの北海道進出を受け、我々は2023年10月に「半導体拠点形成推進本部」を設置し、半導体教育・研究を推進して参りました。そして25年4月、この組織を改組し、学内外の半導体に関する教育・研究・人材育成の司令塔となる新しい体制としてIFERSを立ち上げました。

 IFERSは、単一部局の取り組みではありません。工学研究院、理学研究院、情報科学研究院など、半導体に関連する複数の部局責任者が参画する運営委員会を設け、全学の方針決定や情報共有を行っているほか、各室・部門にも各部局の教員が参画しています。

IFERS組織体制図(北海道大学提供)
IFERS組織体制図(北海道大学提供)

―部局をまたいだ連携には困難も伴いそうです。

 大学って、どうしても「一国一城の主」の集まりなんですよ。皆さん、自分の専門や研究室を中心に活動されています。だからこそ、部局間の信頼関係を大事にして、兼務という形で先生方に関わってもらっています。

 現時点では半導体分野の教員が中心ですが、今後は文系や社会科学系の教員、まちづくりや環境整備に関わる分野にも広げる予定です。半導体をきっかけに、北海道全体の基盤づくりや多分野協働が進む可能性があります。

IFERSの機構長も務める山口さん
IFERSの機構長も務める山口さん

先端技術の「使い方」を開発できる人材を育成する

―民間企業との連携状況についてお聞かせください。

 ラピダスに関しては、北大内に同社の評価・分析拠点が設置され、社員常駐の解析体制で、試作された最先端半導体の評価が行われています。

 このほか、内閣府の地方大学・地域産業創生交付金事業に採択され民間企業との間で行っている12の研究プロジェクトは、企業と教員が主導し、学生にもリサーチアシスタント(RA)として積極的に参画してもらっています。学術研究と産業界のニーズを結び付ける現場経験を積むことを通じて、RA学生には単に研究開発の一翼を担うだけではなく、社会実装を意識した人材として育ってもらいたいと思っています。

―人材育成の観点で、半導体分野における大学や北大の役割をどのように捉えていますか。

 半導体人材というと、どうしても「作る技術者」ばかりが注目されてしまいますが、日本の大学に求められているのは単なる即戦力の人材育成ではなく、「全体を俯瞰し、応用できる人材」をどう育てるかです。技術や知識は、進歩の著しい半導体業界では10年後には陳腐化するかもしれない。そこでこれからの学生には、変化に対応できる力、柔軟性、そして意欲こそが大事になります。

 また、私たちは「使う側の人材」を育てていくことも重視しています。特にラピダスのような企業が新たな最先端半導体を作るとなると、それをどう使いこなすかという“ユースケース(応用事例)の開拓”が非常に重要になります。

 そこで、北大がこれまでに培ってきた研究との融合を図り、例えばスマート農業や医療機器に最先端のチップを活用する。そうした「使い方」を開発することが、総合大学としての北大の強みを生かせるところだと思います。

 ラピダスもそこを理解して「文系でもいい」、つまり必ずしも即戦力でなくても良いと言ってくれているんです。実際に最先端半導体をどう使うか。将来を見据えても「これが正解だ」というものはありません。でも、今できる最善を積み重ねながら多様なユースケースを開拓していきたいです。

―「使う側」など多様な人材の育成に向け、どのように学外連携を進めているのでしょうか。

 2023年6月、北海道経済産業局を中心に「北海道半導体人材育成等推進協議会」を立ち上げました。普通ならばこういった組織づくりには1年くらいかかるところ、ラピダスの千歳市進出が発表された2月末からわずか数か月、異例のスピード感でした。2年前は30機関程度の参加だったのが一気に増え、25年6月には74機関まで輪が広がっています。

 特徴は教育機関の多さで、17機関が参画しています。これは北海道地区の特徴と言えます。こうした産学官の連携によって、北海道独自の半導体エコシステムをつくり出していこうとしています。

北海道半導体人材育成等推進協議会に参画する17教育機関
北海道半導体人材育成等推進協議会に参画する17教育機関

人材育成と拠点整備を一体的に推進

―ここまで大規模な人材育成の枠組みは異例だと感じます。具体的にどう推進していきますか。

 半導体人材の不足は深刻です。協議会内に設置した「人材育成・確保ワーキング」では、関連する道内企業とこれから進出予定の企業にアンケートを行い、採用需要を把握しました。2030年には道内企業の採用希望数が670人に達する見込みで、これは23年度の約3倍です。

山口さんは人材育成・確保ワーキンググループの座長も担う
山口さんは人材育成・確保ワーキンググループの座長も担う

 北大は高度な人材、特に大学院生を中心に育てていますが、学部生や高専卒業生も含め、質を保証した半導体人材を道内全体で育成していきます。そして、北海道だけでなく、全国・世界で活躍できる人材を送り出すことが、私たちの目標です。

 人材育成・確保ワーキングでは、学生にまずは企業を知ってもらうことを重視しています。実務家教員の派遣、工場見学、関連企業へのインターンシップなどを2年間で大きく充実させてきました。また半導体に関する北大の独自教育カリキュラムの開発だけでなく、協議会でも道内教育機関で共通プログラムをつくる構想が当初よりありました。最初の2年間は難しかったのですが、いよいよ3年目の今年から着手しはじめています。

―研究開発の側面でも学外連携を積極的に展開されているのでしょうか。

 2023年から24年にかけて、大学・研究機関・企業による技術開発拠点である技術研究組合最先端半導体技術センター(LSTC)への参画、東北大学との半導体に関する教育・研究での連携、ラピダスとの包括連携協定締結などを進めてきました。国際連携も積極的に進めています。台湾の陽明交通大学、米国のレンセラー工科大学、ベルギーの半導体研究機関imec(アイメック)と連携し、学生や研究者の交流も始まっています。

 また北海道が推進する「北海道半導体・デジタル関連産業振興ビジョン」、いわゆる「北海道デジタルパーク構想」の中核となる取り組みにも参画しました。地方大学・地域産業創生交付金の枠組みで道・千歳市・札幌市・公立千歳科学技術大学・企業と連携して、研究開発、半導体プロトタイピングラボの設置、人材育成を一体的に進めています。

北海道半導体・デジタル関連産業振興ビジョン(北海道提供)
北海道半導体・デジタル関連産業振興ビジョン(北海道提供)

目指すべき北海道の姿を実現する 「セカンド・アンビシャス・チャレンジ」

―北海道の中での役割を重視していることがよく伝わります。

 今、私たちが担うのは「デジタルパーク構想」による産業・雇用・教育のトランスフォーメーションです。これは北大だけの話ではありません。北海道全体の未来に向けたチャレンジです。全国、世界で活躍できる人材を北海道から育てていく。これが、私たちIFERSの使命であり、未来への責任だと考えています。

 同時に北大が目指しているのは「北海道に若者が定着する仕組み」を作ることです。これまで北大では約8割の卒業生が道外に就職していましたが、ものづくりの新しい基盤が北海道にできる今、ここに定着し活躍してもらえるような環境を整えていきたいと思っています。

 これは北大の決意表明なのですが、私たちの現在の挑戦を「Second Ambitious challenge(セカンド・アンビシャス・チャレンジ)」と呼んでいます。

―「セカンド」の意味するところは。

 2026年、北大は創基150周年を迎えます。1876年、本学の前身である札幌農学校の開校は、当時の明治政府の国策だった寒冷地農業の確立に挑んだ「ファースト・チャレンジ」を意味していました。そして150年後の今、新たな国策である「北海道デジタルパーク構想」の実現を我々は「セカンド・アンビシャス・チャレンジ」と設定しました。この挑戦は、北大とラピダスの二者だけで進める話ではありません。経済の底上げ、地域の活性化を視野に、道内すべての教育機関と協力して優秀な人材を育てる試みです。彼らが活躍することで、ラピダスを含むあらゆる半導体関連企業が集合した複合クラスター拠点の実現を目指したいと考えています。

創基150周年の節目を目前に半導体への取り組みを「セカンドチャレンジ」と位置付けた(北海道大学提供)
創基150周年の節目を目前に半導体への取り組みを「セカンドチャレンジ」と位置付けた(北海道大学提供)

 今、大学も産学連携のあり方そのものを問い直す時期に来ていると思います。その意味では、国の資金だけに頼るのではなく、企業が本当に欲しい技術・知見を育てていくことで、企業からも投資を呼び込みたいです。

―最後に、半導体を追い風に改革を進める意気込みを聞かせてください。

 大学は元来ボトムアップの組織。トップダウンで引っ張るのではなく、皆が同じ方向を向けるようにすることが大切です。ありがたいことに、今は教員も学生も、そして道民の皆さんも半導体に関心を持ってくれている。この流れをうまく生かして、全学で、そして地域と一体となって取り組みを進めていく。それが我々の目指す姿です。子どもたちへの出前授業なども含めて、北大は北海道の教育機関としての役割も果たしていきたい。そして北海道を、全国・世界から人々を呼び込む活力のある場所にしていきたいと思っています。

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研究者としての「用意された心」が、無用の金属イオンからMOFを生み出した(北川進氏/京都大学高等研究院特別教授) https://scienceportal.jst.go.jp/explore/highlight/20251208_e01/ Mon, 08 Dec 2025 05:22:33 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55712 CSJ化学フェスタ2025公開企画「世界一早いノーベル化学賞受賞記念講演」(日本化学会主催、2025年10月22日)からー

講演する北川進氏

 10月8日に発表された今年のノーベル化学賞は、Metal-Organic Frameworks(MOF/金属有機構造体)の発展に貢献したということで、ロブソン教授(オーストラリア・メルボルン大学)とヤギー教授(米カリフォルニア大学)と私が受賞することになりました。

 MOFはPorous Coordination Polymer(PCP/多孔性配位高分子)とも呼ばれる多孔性材料です。金属イオンと有機分子を溶液中で混ぜると、「これとこれを結合しなさい」という事前に与えた情報を元にして自動的に構造体が組み上がるのです。

 今日は「MOF化学の開拓と展開―集合・空間・動性の用意された心での歩み―」と題して、3つのパートでお話しします。1つ目では、「私たちの世界」をちょっと眺めてみましょう。2つ目は、私の専門である「ナノ空間をつくる化学」。3つ目は、社会への貢献に少し触れます。

会場のタワーホール船堀(東京都江戸川区)では約260人、オンラインでは約1500人が聴講した

人類が気体をコントロールするには

 歴史を振り返ると、18世紀半ばから19世紀にかけての産業革命では、エネルギーとして石炭が使われ、20世紀には石油に変わります。では、21世紀はというと、気体だと私は考えています。

 酸素、二酸化炭素、窒素、水蒸気などの気体は、環境、資源、エネルギー、そして我々の生命にまで関わっていて、非常に重要なものですね。この気体をうまく取り出して、化学原料や肥料、燃料、食料、医薬品、日用品を作る。これが実現したら、非常に素晴らしい。地下資源は有限ですから、どこにでもある空気のようなものを資源にする科学技術が必要だと考えています。

 しかしながら、気体を操作するのは非常に大変なことです。技術は進化していますが、それでも人類はまだ気体をコントロールできていません。気体は、高速拡散していて、見えません。それから、寿命の短いもの、毒性のものがある。それらを判別する必要があり、そういうときに多孔性材料が役に立ちます。

 多孔性材料とは、多数の小さな穴の開いた材料です。混合している気体を分離し、貯蔵し、他の物質に変換することができます。ただ、高効率での分離や大容量の貯蔵には、従来の多孔性材料はまだ不完全で、新しい材料が必要です。

多孔性材料の歴史。活性炭やゼオライトは古くから使用されてきた(講演時のスライド)

「集合」「空間」「動性」がキーワード

 さて、私の科学の背景となる3つの概念、これが重要です。近代細菌学の開祖といわれるパスツールは「幸運は用意された心のみに宿る(Chance favors the prepared mind.)」と言っています。私にとっての「用意された心」は、Assembly(集合)・Space(空間)・Dynamicity(動性)の3つのキーワードです。

 まず、学部生のとき、ボルツマンの原理から集合の重要性を理解し、「構造機能は要素の集合から生まれる」という視点を得ました。次に、大学院生になってNMR(Nuclear Magnetic Resonance/核磁気共鳴)を勉強して、スピンダイナミクスと非平衡に興味をもちます。

 精神的には、高校時代の哲学の授業で、自然科学のルーツであるギリシャ哲学に非常に感銘を受けました。ヘラクレイトスは「同じ川に二度足を踏み入れることはできない(No one ever steps in the same river twice.)」と言っています。万物は流転するのだと。

 また、私の思考のルーツは、湯川秀樹先生の著書にあり、特に『続 天才の世界』に書いてある荘子の「無用の用」にいたく興味をもちました。荘子が言うには、「人は皆、有用の用を知るも、無用の用を知ることなきなり」。役に立たないことも実は役に立つというわけです。

京都大学からは10人のノーベル賞受賞者が輩出している。創立以来の「自由の学風」のなか、北川氏は物理化学と有機化学を学び、研究してきた(講演時のスライド)

サッカー場より大きいナノ空間を作る

 多孔性材料というのは、何もないところに仕切りを入れて、何の役にも立ちそうにない空間を作る—―そういう化学でもあります。

 例えば清水寺の舞台は、139本のケヤキで釘を1本も使わずに見事に作られています。では、分子のようなナノスケールの場合はどうでしょう。釘を使っていない清水の舞台と同じように、3次元に展開することができるでしょうか。実は、ナノスケールでもマグネット(磁石)になるものがあったのです。正電荷の金属イオンと負電荷の有機分子がくっつく「配位結合」です。

 金属イオンと有機分子を配位結合させると、非常に大きな空間を有する多孔性材料ができます。1グラム当たりの細孔表面積を比較すると、活性炭はサッカー場の半分くらい、ゼオライトでバスケットボールのコートくらい、我々のMOFはサッカー場まるまる1つか、それより大きいくらいです。

北川氏の開発した新しい多孔性材料は、1ミクロンの結晶に100万個の穴が開いている(講演時のスライド)

偶然の発見が多孔性材料への転換点

 私は近畿大学に就職したのがきっかけで、錯体化学と出会い、研究を続けてきました。この錯体化学は1価銅から始まったのですが、1価銅は無色で磁性をもたず、「無用の金属イオン」と考えられていました。ところが、これこそ「無用の用」で、球形の1価銅は無限ネットワークの結晶化に適していることがわかったのです。

 もともとは、穴の開いていない緻密な構造の材料を作ろうと考えていました。ところが、構造解析の過程で偶然にも、穴の中にアニオン(負電荷のイオン)と、アセトンという有機分子が入っているのが見つかりました。ここから、ナノ細孔をもつネットワーク構造、つまり多孔性材料へとつながる研究に方向転換します。

 1価銅をやめてコバルト2価で研究を続け、私たちが第2世代と呼んでいる多孔性材料ができました。これは結合が強すぎず、でも壊れずに安定した構造をもっています。「活性炭やゼオライトがあるのに、わざわざ新しい材料が必要なのか」と、よく言われました。ですが、活性炭やゼオライトにはない機能をいろいろと付与できました。貯蔵や分離はもちろん、デリバリー、高分子合成、触媒、イオン伝導、磁性のセンシング等々です。

 さらに研究を続けて、Mo-Mo四重結合ユニットを作ることに成功します。これは、固体なのに動く、すなわち物理的な刺激によって構造が変化するのです。従来の材料とは異なり、しなやかな構造をもち、室温かつ常圧で物質の出し入れができます。この第3世代の多孔性材料は、「集合」「空間」「動性」のすべてが実現できたことになります。

Mo-Mo四重結合ユニットの回転(講演時のスライド)

応用への可能性と新たなチャレンジ

 最後に、MOFの将来的な使い道をお話しします。

 もうすでに世界でいろいろな使い道が考えられています。例えば、砂漠の空気から水を取り出すほか、キャパシタ(蓄電器)や熱交換器、コーティング、生物医学、センサー、空調、食品包装、抗菌剤など、あらゆる分野で応用できると思います。

 これからは、学術界だけではなく、もっと多くの人たちにMOFを知っていただきたいですね。そこからいろいろな展開がもっと出てくるはずなので、それに対して、私たちはまたチャレンジしていきます。

MOFの現状と将来(講演時のスライド)
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救急車の適正利用は「タクシー代わり」の回避だけではなく、多様なアプローチで サイエンスアゴラ in 福岡 https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20251202_e01/ Tue, 02 Dec 2025 08:00:50 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55671  救急車の適正な利用について考える「サイエンスアゴラ in 福岡」が9月20日、福岡市南区の九州大学で開かれた。イベントの副題は「〜市民と大学の総合知でつくる 救急利用・救急行政への提言〜 みんなで九州大学と提言をつくろう!」。まず、福岡市消防局が持つ救急搬送データの内容を学生らが発表した上で、どこをどう工夫すれば増加する搬送数に対応できるかをワークショップ形式で話し合った。

 発表から見えてきたのは、よく言われる「タクシー代わり」の搬送だけではなく、「救急隊員が駆けつけても、様々な要因により出動先から病院に出発できない」ことによる搬送時間の長期化であることも浮き彫りになった。

福岡市の救急車は寄付によるものが多いという特徴がある。現在、常時稼働している市内の34台中25台が寄付されたものだという(福岡市消防局提供)
福岡市の救急車は寄付によるものが多いという特徴がある。現在、常時稼働している市内の34台中25台が寄付されたものだという(福岡市消防局提供)

実態把握のため、50万件のビッグデータを解析

 福岡市は人口約167万人(2025年10月現在)で、7つの区に分かれている。市の統計によると、昨年の救急出動件数は10万181件で、1日あたり平均273.7件の出動がある。この数値は毎年増加傾向にあり、持続可能な形で救急車を利用するための方策を考えることは、喫緊の課題だった。

福岡市の救急出動件数は年々増加しており、1日あたりの出動数も増加傾向にある(福岡市のデータを元に編集部作成)
福岡市の救急出動件数は年々増加しており、1日あたりの出動数も増加傾向にある(福岡市のデータを元に編集部作成)

 課題を解決するためにはまず、実態を正しく把握することが大切だ。そこで今回、同大学大学院の学生らが、福岡市消防局の過去の出動記録約50万件ものビッグデータを個人が特定できない形で譲り受け、「搬送にかかった時間」や「受診科別の搬送コスト」「軽症者が救急車を呼んだかどうか」などを詳しく解析した。なお、ここでの「軽症」は診断結果に基づく分類であり、「不適正利用」を直ちに意味するわけではない。

選定療養費徴収で「軽症」搬送数9%減の見通し

 まず、よく救急車適正利用の際、声高に指摘される「軽症なのに救急車を呼んだ」ケースについて見ていく。福岡市の場合、50万件中、約23%の11万3375件は「軽症」と判断できることが分かった。

 これを、茨城県が取り組む「緊急性が認められない救急車の利用は、一部病院で選定療養費を徴収する」「選定療養費が導入されたことで救急車を呼ぶ軽症者が減り、中等症以上の患者が増えた」という2つの事例に当てはめ、もし同様に選定療養費が導入されたら、市内でどれだけ軽症者を減らすことができるか試算した。なお、選定療養費とは診療報酬で認められた特別な料金で、紹介状がないのに大きな病院を受診した際などに徴収することができ、病院独自で額を決められる。

 茨城県では2024年12月~25年2月末の救急搬送のうち、4.2%が選定療養費の対象となり、救急搬送の総数も減っていた。同様の方法で福岡市内の救急病院で選定療養費(0円~1万1000円)を加算した場合、搬送数は11万3375件の約9%減となる約10万3000件に圧縮できる見通しという。

学生らは様々な手法を使い、ビッグデータを科学的に分析した(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)
学生らは様々な手法を使い、ビッグデータを科学的に分析した(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)

精神科系や歓楽街では「搬送コスト」高く

 次に、学生らは搬送時間の地域偏在を減らすことで、効率的に救急車を動かすことを考えてみた。福岡市の救急搬送にかかる時間は平均25.7分。この値を大きく上回っている搬送を「高コスト搬送」と定義し、7つの区における地域差や診療科の差を調べた。

 すると、呼吸器科・精神科系の診療科が高コストになっていた。呼吸器科は新型コロナウイルスによる影響が無視できないので影響は期間限定的だと仮定すると、課題となってくるのは、本人の救急要請に加え、家族も対応に苦慮して通報したケースもある精神科系の搬送だ。

 そして地域別で見ると、九州大学病院のお膝元である東区では搬送コストが抑えられていた。これは、国道3号線が縦断し、各病院までの動線が比較的確保されているためと考えられる。他方で、歓楽街の中洲や博多駅があることで有名な博多区は高コストだった。福岡空港がある博多区は、搬送が遠回りになるため、時間がかかっているのではないかと学生らは予想する。

 人口構成でみると、博多区は東区に比べ成人の割合が高く、高齢者の割合は低いという違いがあった。もし東区並みに博多区で搬送できれば、搬送数をあと55件増やせる。このような地域の特性に応じた対応も、ビッグデータを分析しないと分からない事実だ。

呼吸器系の「長時間化事例」が目立つ

 最後に、搬送がどこで長時間化するかを可視化した。搬送時間が短いものも、長いものも、通報から現場到着までの時間はさほど差がなかった。ということはつまり、救急車が患者宅に到着後、隊員が病院まで搬送するための時間に長短があると言うことを意味している。

 今回、学生らは上位1.7%を占める58.8分を超す搬送を「長時間化事例」と定義。その疾病名や発生時間帯を調べたところ、呼吸器系の長さが目立ち、消化器系は短い時間で搬送できていた。長時間化事例が生じたキーワードは、「精神・神経科」「中毒」といった症状で、時間帯は「深夜」が多かった。逆に短時間で済んだものは「乳幼児」や「心疾患」、「脳・循環器系」だった。曜日ごとの差は見られなかった。

救急現場では「受け入れられるベッドがない」

 では、これらの解析結果は、実際の救急医療の現場の「肌感覚」とどのくらい近いのだろうか。同大学病院救命救急センター長の赤星朋比古教授(救急医学)が登壇し、福岡の救急医療の現在地を語った。

心肺停止の場合、脳は5分以内に処置をしないと元に戻らないので、市民による救命処置と救急搬送時間の短縮が大切だと訴える赤星朋比古教授(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)
心肺停止の場合、脳は5分以内に処置をしないと元に戻らないので、市民による救命処置と救急搬送時間の短縮が大切だと訴える赤星朋比古教授(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)

 まず前提として、現在、政府は地域医療体制の見直しを進めており、全国的に病床数(ベッド数)を減らしている。大きな病院は近年、赤字経営解消のため、病床稼働率を上げる努力をしているが、救急車を受け入れられるベッド数は絶対的に不足している現状がある。これにより、救急搬送がすぐに受けられない現状もある。

 救急搬送の受け入れ拒否のニュースが流れると「病院が断った」「医者が足りないからだ」という過激な病院への批判意見が相次ぐ。しかし実際は、「受け入れられるベッドがない」という医療政策におけるハード面の問題である。

 この事実を踏まえ、赤星教授は、コロナ禍ではベッドをコロナ患者で埋めることになり、「普段九大で助けられる人が助からなかった」と振り返った。コロナ禍が落ち着いてきた今年は、熱中症による搬送者数の増加が予想されたが、「ファン付きベストなど、労働者への対策が進んだからか、意外と搬送は増えなかった」とした。

本人の搬送拒否と外国人の受け入れ拒否と

 そして、救急困難事例の実情は医師不足ではなく病床不足であることを前提に、スライドで、救急搬送数が年々増えていることを総務省のデータから示した。また、福岡市の50万件のデータから、「救急車の不搬送」が増加傾向にもなっていることも示した上で、「人口減少にもかかわらず、搬送数は減っていません。乳幼児の搬送数も減っていません。病院にはECMO(体外式膜型人工肺)で命をつなぐお子さんもいて、長期入院が続きます。ではなぜ出動件数や救急困難事例が減らないのでしょうか」と会場に疑問を投げかけた。

 赤星教授はその答えを「本人が『やっぱりいいです』と搬送を拒否するケースがあるから。救急車に医学部の5年生を乗せて実習を行うと、驚かれる。市民の皆さんの英知を結集して減らすのは、ここら辺かな、と思っている」と語った。

 救急外来では別の問題も起きているとして、外国人観光客の受診について触れた。「市にも伝えたが、観光に来たアジア圏の人が、医療費を払わずに帰国するということが起きている。保険に入らずに来ているので、外国人に関しては受け入れ拒否もある」と打ち明けた。

 他方で、福岡市は市民による心肺蘇生実施率が高く、通報段階で通報者に消防局が指示を出すと、「ほぼ100%」AEDや胸骨圧迫を行う助け合いの文化があり、生存率向上に一役買っているという明るい話題も提供された。

市民のアイデア「大人の保健室を」、世代間交流も成果

教員や学生を囲みながら、聴衆も参加してグループディスカッションを行った(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)
教員や学生を囲みながら、聴衆も参加してグループディスカッションを行った(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)

 最後に聴衆と学生や教員らを囲んでグループディスカッションが行われた。救急車やベッド数を増やすのではなく、「大人の保健室」を作るというアイデアが披露された。これは、精神的に苦しい本人が行ける、もしくは躁うつや統合失調症への対処で困り果てた家族からの通報の受け皿となる場を作り、高コスト搬送・長時間化事例となりやすい精神科の通報を救急車ではない方法で受け入れる案だ。他にも、119番通報を不安の解消のために使っているなら、通報にビデオ通話を導入してはどうかという提案もあった。

 元消防局員の男性は「何十年も救急車の有料化を議論してきたが、結論が出ない。現役の時にこのイベントがあれば良かった」と発言した。別の消防局に勤めている救急救命士の男性は「救急車はセーフティネットなので、個人的には(本人の)搬送拒否事案がダメとは思わない。精神疾患(の強い症状の現れ)の人の方が大変」と明かした。

 イベントを取りまとめた同大芸術工学研究院の尾方義人教授(デザイン学)は、「難しい問題に対し、様々なアプローチをするのは、高校に導入された“探究”の授業とすごく似ている。市民・行政・医療が協働し、福岡の課題を解決できれば全国モデルになる」とまとめた。

救急搬送の問題解決には、様々な分野からの知恵の結集である「総合知」が必要と語る尾方義人教授(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)
救急搬送の問題解決には、様々な分野からの知恵の結集である「総合知」が必要と語る尾方義人教授(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)

 参加者の60代の主婦の女性は「グループには高校生や、大学の先生といった普段話ができないような人と話せて良かった」といい、防災や消防に関するユーチューバーとしても活躍する30代男性は「防災のイベントは高齢者の参加が多いが、若い世代と話ができて斬新だった」と笑顔を見せた。

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ISSの大先輩「ミール」、北の大地で宇宙開発史の語り部に 苫小牧 https://scienceportal.jst.go.jp/explore/review/20251128_e01/ Fri, 28 Nov 2025 06:26:08 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55652  今月初め、国際宇宙ステーション(ISS)は飛行士の長期滞在が始まって四半世紀の節目を迎えた。米露や日本など15カ国の協力で、宇宙に常に誰かがいる状態で実験などが続いていることは、人類史に残る業績だ。そして、このISSには大先輩がいたことを、忘れてはならない。旧ソ連、後のロシアの宇宙ステーション「ミール」だ。北海道苫小牧市内に、飛行士らが訓練に使ったとみられる貴重な機体が展示され、宇宙開発史の語り部となっている。宇宙ファン垂涎(すいぜん)の、この科学館を訪ねた。

見学者でにぎわう宇宙ステーション「ミール」展示=北海道苫小牧市の市科学センター
見学者でにぎわう宇宙ステーション「ミール」展示=北海道苫小牧市の市科学センター

「宇宙開発の生きた姿を体感」

 JR苫小牧駅から歩くこと15分。国道を渡り、さらに少し進むと「ミール展示館」の看板が見えてきた。苫小牧市科学センターの別棟で、外からでもガラス越しに、赤いソ連国旗を身につけたミールが目に入った。入館するや「どうぞご覧下さい。記念写真もお撮りしますよ」。職員の温かい声掛けに、東京から訪れた疲れが吹き飛んだ。

来館者を蒸気機関車「C11」が迎え、そのすぐ奥に「ミール展示館」がある
来館者を蒸気機関車「C11」が迎え、そのすぐ奥に「ミール展示館」がある

 年季を感じさせつつ、静かに横たわる巨体。「これが、あのミールなんだ」と、感慨がこみ上げた。いったん離れて全体を眺めた後、見学用に取り付けられた階段を昇って船内へ。食事もできる作業台、操縦室、飛行士の個室、トイレ…飛行士たちがフワリと浮かんで暮らす姿を思い描いた。次に、機体の周囲を一周し、装備品の各種アンテナ、ドッキングポート、姿勢制御エンジンなどなど、じっくり観察。展示館の2階からは全体を見下ろすこともできた。平日も団体でにぎわう時があるが、それ以外は独占状態に近くなる。

 ミールは1986~2001年に運用され、高度400キロほどを周回した宇宙ステーション。ドッキングを重ね、最終的に主に6つのモジュール(棟、区画)で構成した。このうち、苫小牧には全長13メートルの本体「コアモジュール」に加え、天体・宇宙物理観測や姿勢制御に使われた、同6メートルのモジュール「クバント」も展示されている。

「苫小牧のミールを全国の子供達に見てほしい」と語る島崎さん
「苫小牧のミールを全国の子供達に見てほしい」と語る島崎さん

 「科学館が各地にあり独自性が求められる中で、このミールは他にない展示。苫小牧はもちろん、全国の子供達に見てほしい」と、同センター学芸員の島崎雅之(まさし)さん(47)は胸を張る。さらに「1世代前のステーションと思われがちだが、実はISSの現役のモジュール『ズベズダ』は構造がミールのコアモジュールとほぼ同じ。つまり、ここ苫小牧では宇宙開発が今、生きている姿を体感できる」と解説する。

 なお、展示品のミールは飛行士が体を洗うシャワー(実際にはほぼ使われなかった)の位置が異なるなど、アレンジされた部分がある。見学用階段の部分には本来、飛行士の個室の一つなどがあった。精密機器のような一部の装備は、日米など西側諸国への技術流出を避けるといった理由で、ソ連側によりダミーに取り替えられた可能性がある。

「子供たちに」地元企業が寄贈

 ミールが苫小牧にやってきたのには、特別な経緯がある。同センターの資料や島崎さん、また、地元の日本宇宙少年団分団のリーダーとしてミールの活用に深く関わってきた日本宇宙少年団理事の藤島豊久さん(73)などによると、立役者がいる。地元に本店を置く建設会社「岩倉建設」に務め、後に苫小牧市長を5期務めた岩倉博文さん(元衆院議員、今年4月死去)の熱意が実ったものという。

 1980年代後半の地方博ブームの中、89年に名古屋市で開催された「世界デザイン博覧会」にこのミールが展示された。翌年、これを岩倉建設が国内の別の企業から購入した。藤島さんによると正確な購入額は非公開で、10億円弱だったという。

展示を前に語る藤島さん。「ミールは教育に大きな役割を果たしてきた」
展示を前に語る藤島さん。「ミールは教育に大きな役割を果たしてきた」

 当時、北海道には苫小牧などに航空宇宙産業基地を構築する構想があった。そこで、日本青年会議所の幹部で北方領土問題などを通じソ連との接点もあった岩倉さんが、地域での啓蒙のシンボルの役割を、ミールに期待したようだ。岩倉建設保有の下での展示や保管の時代を経て1998年、「将来の苫小牧を担う子供たちのために」と同センター隣接地に運ばれ、市に寄贈された。当初は屋外展示だったが、風雪による劣化を避けるため、市は翌99年に専用の展示館をオープンさせた。

 岩倉さんから「ミールはお前に任せる」と言われ長年、活用に汗を流してきた藤島さん。「夜空を見上げれば星があるのだが、触れて体験できる宇宙も必要だ。小さい時の体験は一生モノ。宇宙少年団の活動をはじめ、ミールは子供たちの教育に大きな役割を果たしてきた」と振り返る。

コアモジュール内。(左)操縦室。奥にはドッキングポートが見える。(中央)飛行士の作業スペース。手前に作業台、右奥に個室、左奥にはクバントへ通じるドッキングポートがある。上の黄色い突起物がシャワーだが、本来の位置とは異なるという。(右)トイレ
コアモジュール内。(左)操縦室。奥にはドッキングポートが見える。(中央)飛行士の作業スペース。手前に作業台、右奥に個室、左奥にはクバントへ通じるドッキングポートがある。上の黄色い突起物がシャワーだが、本来の位置とは異なるという。(右)トイレ

邦人初飛行で滞在、米国と共同計画も

 冷戦体制下、米ソは激しい宇宙開発競争を繰り広げた。有人月面着陸は1969年、アポロ11号により米国が勝利。続いて、地球上空の低軌道とよばれる領域で、米ソは異なるアプローチを採った。米国は、飛行士も物資も運び多彩な用途をこなせる再使用型宇宙船、スペースシャトルの開発に注力。これに対し、ソ連は飛行士の長期滞在や宇宙実験のノウハウを積もうと、ステーションの展開へ舵(かじ)を切った。なお、米国もステーションを運用する「スカイラブ計画」を実施している。

 米航空宇宙局(NASA)などの資料によると、ソ連は1971~82年に軍事用を含め7機のステーション「サリュート」を打ち上げた。後継計画のミールは、初めて多数モジュールのドッキングを想定。86年2月にまずコアモジュールを打ち上げ、翌月に飛行士の滞在がスタートした。翌年のクバントを皮切りに、観測や実験用などのモジュールを加え、96年に完成した。全長33メートル(係留した宇宙船含む)、重さ130~140トン。ロシア語の「ミール」はよく平和と訳されるが、世界や宇宙、農民共同体などの意味もあるそうだ。クバントは量子の意味という。

(左)ミールのコアモジュールの打ち上げ準備作業、(右)医師でもあるロシアのワレリー・ポリャコフ飛行士が、船内で欧州の飛行士の採血を行う様子。ポリャコフ氏がこの飛行で達成した437日の滞在記録は、今も塗り替えられていない(ともにNASA提供)
(左)ミールのコアモジュールの打ち上げ準備作業、(右)医師でもあるロシアのワレリー・ポリャコフ飛行士が、船内で欧州の飛行士の採血を行う様子。ポリャコフ氏がこの飛行で達成した437日の滞在記録は、今も塗り替えられていない(ともにNASA提供)

 サリュートはドッキングポートを最大2個しか持たなかったのに対し、ミールは6個を備え、運用性や飛行士の滞在能力が大きく向上。1994~95年には437日もの長期滞在記録を樹立している。飛行士の往復には使い捨ての「ソユーズ宇宙船」、物資補給には「プログレス」が使われた。両機種は改良を続け、今もISSで現役だ。

 1990年には、ソ連で訓練を受け飛行士となったTBS記者(当時)の秋山豊寛(とよひろ)さん(83)が滞在し、日本人初飛行を実現。翌年にソ連が崩壊したが、ロシア連邦により運用が続いた。94~98年には米露の「シャトル・ミール計画」により、両国の飛行士が互いの宇宙船に搭乗したほか、米国のシャトルがミールにドッキング。米国人がミールに滞在するなどして、ISS計画での協力関係の基礎につながった。ロシアは93年、ISS計画への参加を正式決定している。

シャトル・ミール計画でミール(中央)にドッキングした米スペースシャトル「アトランティス」(下)=1995年7月(NASA提供)
シャトル・ミール計画でミール(中央)にドッキングした米スペースシャトル「アトランティス」(下)=1995年7月(NASA提供)

 一方、トラブルも続発した。1997年には火災が起きたほか、プログレスが衝突し地球観測モジュールが損傷する事故が発生。酸素供給装置や姿勢制御装置の故障、メインコンピューター停止なども繰り返し、危険が指摘された。米国の飛行士が到着した際、船内に使用済みや故障品の機器、ごみ袋が散乱し、適切な対策がされていなかったという。

 ロシア政府の財政難により、ミールの予算も不足。一時は民間資金で延命する道も探られたが、軌道に乗らず廃棄が決定した。2001年3月、南太平洋に落下させられ、設計寿命の5年を大幅に上回る15年の運用を終了。役割を、1998年に建設を始めたISSに引き継いだ。ミールの生涯を通じ、12カ国125人の飛行士が滞在した。

展示ミールは「精巧な訓練用機体」では

 さて、筆者は苫小牧の展示に大きな意義を感じつつ、気になることがあった。同センターはこのミールを「実物予備機」と紹介しているが、本当かどうかだ。宇宙開発取材歴の長い海外の友人が、展示を見学した上でモックアップ(模型)と認識したと、話してくれたのがきっかけとなった。

 予備機とは、人工衛星などの宇宙機が打ち上げ失敗などで失われた場合に備え、代わりに使えるようにもう1つ造っておく、バックアップのこと。資料によると展示品は、市への寄贈当時から予備機と見なされてきたようだ。同センターの展示説明は「どうして苫小牧市に宇宙ステーション『ミール』の予備機があるの?」「こちらにある『ミール』は製造から30年以上が経過しており、展示用に改装されているため動かすことはできません」などと記している。島崎さんは、コアモジュールは実物予備機を一部改装したもの、クバントは模型とみられると理解しているという。

 一方、島崎さんが「一番お詳しいのでは」という、藤島さんに尋ねた。その結果、「ミールのコアモジュールは訓練用で、クバントは模型だと岩倉さんから聞いた。いずれも宇宙に持って行けるものではない」とのことだ。また、2008年の大きな行事をきっかけに「あちこち外してみた」ところ、軽量化のための内壁の構造やエンジン内の配管など、外見で分からない部分まで造り込まれていた。訓練用として、極めて精巧に造られているとの認識を深めたという。

展示されたコアモジュールの、船内外をつなぐ見学用階段が取り付けられた部分の頭上付近。意外なほど壁が“あっさり”薄いように、筆者は感じたが…
展示されたコアモジュールの、船内外をつなぐ見学用階段が取り付けられた部分の頭上付近。意外なほど壁が“あっさり”薄いように、筆者は感じたが…

 同センターと藤島さんの認識との間に、違いがみられる。展示の基本的事実関係であるだけに、当事者による確認が望まれる。

 筆者は技術面に全く疎い素人ながら、例えば船内外の境界部分を観察し「この程度の壁で、宇宙空間で10年以上も気密性を保ち、飛行士を守れたのか」と、率直に疑問を抱いた。宇宙で使える物ではないとの印象を強めた。同時に、モックアップの語は「見た目のみ表現した実物大模型」といった意味で使われることが多く、精巧さのあるこの展示には当てはめにくいとも感じた。

宇宙開発への関心高める第一級史料

 ただし、この展示が実物予備機でないとしても、宇宙開発史を物語る第一級の史料であることは疑いないだろう。苫小牧で大切に展示され続けたことで、どれほど多くの人々の宇宙への関心を高めてきたことか。同センターが人々の熱意に支えられてきたことも、お世辞ではなく印象的だった。取材の過程で、ある宇宙関係者から「どっちでも、いいじゃないか」との声もいただいたが、価値が高いという意味では同感だ。本稿には指摘はするが、展示の意義を損ねる意図がないことをくれぐれも強調したい。

 宇宙開発に詳しい宇宙航空研究開発機構(JAXA)名誉教授の的川泰宣さん(83)も、岩倉さんから訓練用と聞いたという。「飛翔するための予備機ではなく、訓練のために装備などの要点ができていればよい空間として造られたのだろう。日本では苫小牧の展示が、ミールはどんなものだったのかと見られる唯一のものと思われ、非常に貴重だ」と話している。

(左)展示館2階からは、全体を見下ろせる。手前がクバント、奥がコアモジュール。(右)機体に刻まれたキリル文字「МИР(ミール)」とソ連国旗が印象的
(左)展示館2階からは、全体を見下ろせる。手前がクバント、奥がコアモジュール。(右)機体に刻まれたキリル文字「МИР(ミール)」とソ連国旗が印象的

 最後に私事となるが、ミールにはかつて、視野を広げてくれた恩義がある。1989年、高校の帰りに地方博の「横浜博」に寄り道し、ソ連の宇宙展示にショックを受けたのだった。見慣れぬミールのモックアップが目玉展示。スペースシャトルの説明は米国のものではなくソ連の「ブラン」。ロケット開発の立役者はゴダードなどではなく「グルシコ」…。それまで新聞や本で得たのは主に、米国中心の西側の宇宙開発情報。まるでパラレルワールドに入った気分だった。

 横浜の展示は筆者に「今まで世界の半分しか見ていなかった」と衝撃を与えた。この影響は、後に報道記者になっても続いているように思う。ミールとの36年ぶりの再会に感動しつつ、苫小牧の地を辞した。

1989年、横浜博でのソ連によるミール展示。筆者が個人で撮影したもの(草下健夫撮影)
1989年、横浜博でのソ連によるミール展示。筆者が個人で撮影したもの(草下健夫撮影)
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【特集:スタートアップの軌跡】第4回 ディープテックへの投資「哲学」、起業家に伴走し再投資で成長の循環を生む JAFCO三浦研吾・産学リーダー https://scienceportal.jst.go.jp/explore/interview/20251125_e01/ Tue, 25 Nov 2025 07:43:15 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55631  知を愛する――。哲学、フィロソフィーの語源を、古代ギリシア語までたどった意味だ。「9割はうまくいかない」などと揶揄されるにも関わらず、深い知を礎にしたディープテックのスタートアップへ人は投資をしてしまう。その「哲学」とはなにか。1973年創業で、現存する日本最古の民間ベンチャーキャピタル(VC)であるジャフコ(JAFCO)グループで、新卒入社から10年以上ディープテックスタートアップ投資に関わってきた産学・ライフサイエンス投資グループの三浦研吾・産学リーダーに聞いた。

JAFCO産学・ライフサイエンス投資グループの三浦研吾・産学リーダー(東京都港区)
JAFCO産学・ライフサイエンス投資グループの三浦研吾・産学リーダー(東京都港区)

資金提供にとどまらず経営面のサポートも

―累計投資社数は4000社以上、上場社数は1000社を超える実績があるというJAFCOですね。

 JAFCOは、日本で初めてファンドを導入した独立系VCです。2025年上半期(4~9月)には、20社に対して合計77億円の投資を行いました。創業間もないシードステージやアーリーステージの会社に対し、早い段階から厳選集中投資を行っています。資金の提供にとどまらず、世の中に必要とされる新事業をゼロから立ち上げて新たなビジネスを作る起業家に伴走し、必要に応じて経営面のサポートも行っています。

 また、再成長を目指す企業へのバイアウト投資も行い、企業の永続的な発展・拡大を支援しています。こうした多様なステージでの出資を通じて、投資先企業の成長を促し、その成果として得たリターンを次の成長企業に再投資する。そうした「成長の循環」を生み出すことで、当社の目的「挑戦への投資で、成長への循環をつくりだす」に挑戦し続けています。

―リターンを得るために厳選集中投資するのは分かりますが、なぜ成長支援までするのですか。

 投資は、「お金を出して終わり」ではありません。投資先の事業が成功するためには、できうる支援を全て行います。特にディープテックスタートアップでは、優れた技術を事業化するために、ビジネスサイドの人材と技術者をどう組み合わせるかが重要です。そのためJAFCOでは、人的資源における人材採用や組織体制作り、セールス・マーケティングなどの営業支援、ガバナンスや内部統制などバックオフィスの管理体制構築の3つを支援できるよう、専門の部署を会社に置いています。

 創業初期はもちろん、場合によっては創業前から関わることもあります。イノベーションを起こす技術であっても、研究者だけでは、最初の入り口で事業の方向性を定めるのは難しいことがあります。経営者候補を探してきてチームを組成し、コア技術をどの市場に投入して勝負するかを一緒に考える。事業の方向性が決まれば営業する人も必要ですし、管理体制を整える必要があります。そうした一つひとつの支援を重ねながら、事業の立ち上げを支えています。

―それでもスタートアップは9割が失敗するといわれます。そもそもスタートアップに投資をする意義って何でしょう。

 「9割が失敗する」という見解には異論がありますが、確かに大成功するのが一握りであることは事実です。それでもディープテックであれば、日本の技術が世界に通用するポテンシャルがあると感じています。多くのスタートアップのように国内展開から隣国へ拡大していくようなやり方ではなく、最初からグローバル市場を見据えて展開し、その先で社会的課題を解決できれば、インパクトは非常に大きいものになります。

 突出した成功を挙げた企業が出れば、社数ベースでは成功する率は低くとも、投資を継続することができます。ディープテックは難易度が高く、開発に時間も資金もかかりますが、VCとしてあえて割が悪い投資をしている訳ではありません。チャレンジングではありますが、その分、成功した時の社会的価値やリターンも大きいです。挑戦的な分野であるからこそ、やりがいがあり、社会に貢献できる可能性が高いのです。

 私たちの仕事は、投資を通じて新しい事業や産業を生み出すことです。挑戦する様々な人に資金提供し、その成功確率を高める支援をしていく。VCの担当者というと、スタートアップ企業の経営会議で助言をするイメージを持たれがちですが、実際には、経営会議に参加するだけでなく、社員の方と同じように営業に回ったり、人材採用の面接に同席したりと、頭だけでなく、現場でも一緒に汗をかいています。

JAFCO産学・ライフサイエンス投資グループの三浦研吾・産学リーダーがこれまでに関わった主な投資先(JAFCOサイトより)
JAFCO産学・ライフサイエンス投資グループの三浦研吾・産学リーダーがこれまでに関わった主な投資先(JAFCOサイトより)

資源の少ない日本、研究技術シーズでグローバルに戦う

―大学発ベンチャーに対して、JAFCOは創業初期から「共同創業者」として関与し、事業開発・資金調達・チームビルディングなどを支援。これまでに146社以上の大学発ベンチャーに約332億円を出資していますね。

 日本は資源の少ない国です。今の経済規模になっているのは、技術でモノに付加価値を付ける事業の貢献が大きいです。現在、研究力の低下が指摘されることもありますが、過去の研究の成果である技術シーズをみても、まだまだグローバルで十分に戦うことができるものがあります。この強みを生かしたいと考えています。

 そもそも基礎研究費は、投資のようなもので、成果を社会実装して回収できなければ、新たな研究費へと循環していきません。私は新卒から10年以上ディープテック投資に携わってきましたが、研究成果を社会に還元し、次の研究へとつなげることが日本経済にとって重要だと感じています。大学発ベンチャーこそ、その要を担う存在だと思います。

―投資家の視点では、どういうディープテックスタートアップにどのように投資するのですか。

 一般のスタートアップ投資と判断基準に大きな差はありません。ただし、技術の評価が加わる点がディープテックへの投資で難しいところです。私たちはそれに加えて、研究者のスキルやポテンシャルといった「人」を見ます。さらに、「市場」にどんな商品・サービスを投入するかという観点や、事業の進め方である「戦略」を含め、技術と人、市場、戦略の4つがバランスをとりながら会社が成長できるかを重視しています。

 これら4つが最初からすべてそろっている企業はなかなかありません。人材を探して補強したり、新たなアイデアを取り入れたりすることで、事業が行き詰まるリスクをどの程度コントロールできるかを、これまでの経験から得た一定の仮説に基づいて判断しています。

 世界最先端の技術があってもディープテックの事業化がつまずきうる理由の一つとして、マーケット選定があります。大学発スタートアップでは、研究成果を起点に企業を立ち上げるため、技術を中心に会社を組み立てがちです。一方、世の中の課題解決を市場側から見ると、当該の最先端技術が必ずしも最良の選択肢とはならないことがあるのです。

―どういうことですか。

 たとえば製造機械を例に考えてみましょう。機械のスペックや性能が優れていても、価格が高すぎるため、多少性能が劣っても手頃な価格の製品が選ばれる業界もあれば、スペックや性能よりも安全性が優先される業界もあります。テクノロジーとマーケットをどうフィットさせるかが重要です。ライフサイエンス分野なら、開発する治療薬の対象疾患を、いまだに満たされていない医療ニーズや競合の開発動向などから検討し、選定します。ロボット分野であれば、ロボットを活用する領域の優先順位を、実際にサービスや製品を提供する企業のニーズを踏まえて決めていきます。

 事業の成功に明確な方程式はありませんが、多くの企業と関わってきた経験から、つまずきやすいポイントはある程度共通していると感じています。例えば、ディープテックは先端技術であるがゆえに、事業方針を定めにくく、一方でいったん決めた方針をITベンチャーのようにピボットすることは簡単ではありません。設備投資や開発、人材採用がある程度進んだタイミングで判断の間違いに気がついても、取り返しが付きません。だからこそ、できるだけ起業の早い段階から投資とともに支援をして、つまずきの芽を事前に摘んでいくことが重要です。そうしないと、成功確率は上がりません。

明確な社会課題に直結する技術は学問的にも理解しやすい

―ディープテックスタートアップ、特に大学発ベンチャーの場合、技術は優れていても事業化の経験が乏しいケースが多いと思います。一般的なスタートアップと比べて投資判断や支援のアプローチに違いはありますか。

 一般的なスタートアップであれば、売上や利益、その成長率といった数値で評価できますが、ディープテックスタートアップでは研究開発が想定通りに進まないことも多く、5年や10年利益が出ない場合も珍しくありません。そもそも「ディープテック」といっても、創薬や医療製品を扱うライフサイエンス領域から、ロボット、核融合、宇宙など多岐にわたります。そのため、投資判断や支援のあり方を一律に語るのは難しいです。

―ディープテックスタートアップにおいて、その分野の研究の最先端である科学技術を投資家はどのように理解するのですか。

 主に創薬を扱うライフサイエンス分野では、身近な社会課題に直結することや、弊社側にも製薬企業出身のキャピタリストが多いことから、技術の理解が比較的進みやすいです。一方、様々な分野があるディープテックで、全ての領域において研究者レベルで技術を理解して評価することは、正直なところ難しいです。ただし、技術の本質的な価値は理解しなければいけないので、専門であるかに関わらず、私たちは論文や技術資料を読み込み、なぜその技術がブレークスルーを生んだのか、社会にどのような形で実装できるのかを見極めます。

 アカデミアで「良い技術」と評価されるものが、必ずしも「社会で役立つ技術」になるとは限りません。しかし、人の健康など社会課題が明確な領域では、良い技術がそのまま社会に貢献する可能性が高いと感じています。そうした技術は、学問的にも本質がシンプルで理解しやすいことが多い。私たちは、アカデミアと社会の橋渡し役として、研究成果を社会実装できる形に翻訳し、事業化を後押ししています。

区切りを付けて投資を引き継いでいくことも大切

―老後資金を増やすために投資をしている私としては、予定した期間で目一杯リターンをもらいたいです。

 ファンドには通常10年ほどの運用期間があり、その間に出資者へリターンをお返しする必要があります。ただ、ディープテックスタートアップの場合、計画を立てていても研究開発に想定以上の時間がかかることも珍しくありません。そのため、たとえ今後大きな成果が見込まれる場合でも、投資に一区切りをつけてリターンを確定し、その成果を次の投資へと引き継ぐ判断をすることもあります。

 ひとつの案件で最大の結果を出すことも重要ですが、投資を継続し、挑戦の流れを止めないことも同じくらい大切です。あくまでもスタートアップが主役で、JAFCOは、スタートアップが自走できるまでの一定期間、伴走していくのが役目です。投資先にとって上場は一つの通過点です。

―小粒上場や投資を回収したい期間と実際の開発期間の不一致など様々な課題がディープテックスタートアップ界隈にはありますよね。

 はい。東京証券取引所は4月に、2030年以降、上場5年経過後に時価総額が100億円に達しない企業は上場廃止とするという上場維持基準の見直し案を出しています。他方で、レイター期の資金調達では、未公開株(プライベートエクイティ)の取引をおこなうセカンダリー(2次流通)市場への金融機関の参加が増えつつあります。課題感としては、ディープテックの成功事例がまだまだ限られていることが挙げられると思います。

 大きな成功事例を増やしていくためには、スタートアップの裾野を広げるとともに、「ディープテック・スタートアップ国際展開プログラム」(D-Global)のような、成功確率は低くても、成功した時のインパクトが大きい事業に絞り込み、集中的に支援することも重要だと考えています。

 スタートアップエコシステムをより強くするためには金融関係者や関係官庁の方々と連携し、リスクを取って挑戦を後押しし、挑戦が報われる環境を整えることが不可欠だと感じています。私たちもその一端を担い、挑戦する起業家、研究者の力になり続けたいと思います。

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【特集:荒波の先に見る大学像】第4回 化粧で気分も大学もアゲていく 地元を「メイク」する佐賀大学コスメティックサイエンス学環 https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20251117_e01/ Mon, 17 Nov 2025 06:34:43 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55570  「少子化の時代、これ以上、大学を増やすべきでない」という論調にあらがう県がある。人口10万人当たりの大学の数が全国で最も少ない佐賀県だ。県立大が2029年に新設されるほか、県内唯一の国立大学である佐賀大学に「コスメティックサイエンス学環」ができ、来年度には初めて学生を迎える。なぜ今、コスメティックサイエンスなのか、なぜ今、大学が必要なのか。佐賀県庁や佐賀大学の取材で見えてきたのは、「地方の生き残り」が大学の存在そのものと直結しているという現実だった。

佐賀県の「コスメティック構想」と、佐賀大学の新しい「コスメティックサイエンス学環」がタッグを組み、企業誘致に加え、雇用や研究を進めていく(2025年9月、佐賀市)
佐賀県の「コスメティック構想」と、佐賀大学の新しい「コスメティックサイエンス学環」がタッグを組み、企業誘致に加え、雇用や研究を進めていく(2025年9月、佐賀市)

「コスメ構想」で企業誘致

 人口78万人の佐賀県は、福岡県と長崎県に挟まれている。福岡市まで電車で30分、長崎市まで新幹線で1時間と、両県に通勤・通学する人も少なくない。とくに、アジアの玄関口である福岡とのアクセスの良さは、佐賀県にとって人口流出の「脅威」だ。

 県は2000年代に入り、県外からの企業進出や定住を進めるため、映画のロケ地誘致や県立九州シンクロトロン光研究センターの設置など数々の政策を打ち出してきた。その中の一つが、13年に始まった「コスメティック構想」。この構想の下、玄界灘に面する県北の唐津市にコスメティック関連企業を集め、その他の地域でも工場や企業の誘致を支援した。

コスメティック産業が集まった唐津市の一帯。日本三大松原の一つ、虹の松原に沿うように化粧品やヘアケア関連の企業や工場が並ぶ(佐賀県庁提供)
コスメティック産業が集まった唐津市の一帯。日本三大松原の一つ、虹の松原に沿うように化粧品やヘアケア関連の企業や工場が並ぶ(佐賀県庁提供)

 県ものづくり産業課・コスメティック産業推進室長の東(ひがし)泰史さんによると、コスメ業界は分業が進んでおり、1つの製品をとっても、原料や資材のメーカー・商社、OEM工場、梱包資材メーカー、販売ブランドなどそれぞれに企業が存在する。1社で完全に自社製品を作り上げるのは珍しく、「1社を誘致すると、他の関連会社も続いた」と振り返る。

 とりわけ、輸入される化粧品には安全検査などが必要で、成分分析の大手「ブルーム」が唐津市に進出したことで勢いがついた。同市は港が近く、通関業の許可を持つ地元企業もあり、輸出を視野に入れる化粧品関連企業にとっては好都合だった。県は、コスメティック構想を打ち出した後、17社の企業誘致に成功している(2025年11月現在)。

 さらに佐賀県は農業も盛んで、特産品の嬉野茶(うれしのちゃ)の茶の実を生かした化粧品など、新製品も開発できた。その際、老人ホームの協力で、高齢者が茶の実の殻むきをすることになった。茶の実を使うことで、耕作放棄地を生かすことができる上、高齢者にとっては手先を動かす軽作業の仕事ができるという効果もある。

大学少なく、人材供給に難

 一方、佐賀県は久光製薬の創業の地だ。同社の強みである貼付剤の技術を生かし、進出企業と協業で顔パックの販売を始めるなど、企業のコラボレーションが進んだ。

佐賀県の大学進学率は全国平均より低い。大学への期待感を語る東泰史さん(2025年9月、佐賀市の県庁)
佐賀県の大学進学率は全国平均より低い。大学への期待感を語る東泰史さん(2025年9月、佐賀市の県庁)

 このように企業が活性化すると、問題となるのは働き手の確保だ。研究・開発分野の人材を求める企業側と、県内の大学進学率や既存大学の専攻とでミスマッチが起きつつあった。東さんは「コスメ大国のフランスでは、シリコンバレーならぬコスメティックバレーがあり、人材の供給と働く場所が確保されている。それを佐賀県でもできないか、と思っていたところにでてきたのが、佐賀大学の『コスメティックサイエンス学環設置の構想』だった」と明かす。

 人材が供給できないと企業の撤退につながる。福岡県への女性の人材流出が多い中で、女性の活躍の場が多いコスメ産業分野は、この問題を解決できる可能性がある。

 「福岡に流出することなく佐賀に残り、地元を支える人材を育てる。大学が最初からたくさんあれば気が付かなかっただろうが、大学が少ないからこそ、大学の大切さが分かる。コスメ業界に限らずだが、新卒採用は大卒を優先する企業が多いので、『このご時世で作るのか』という批判があっても、大学が必要」。自身も大卒の東さんは、そう説く。

化粧品科学に冷ややかな声も

 佐賀大学にコスメティックサイエンス学環の構想があることがメディアで報じられると、「メイクは専門学校の領域」などという批判のコメントが見られたが、大学側は「想定内」だった。

 佐賀大学は国立大学法人制度が導入された2004年当初から、故・長谷川照学長(当時)が大学中長期ビジョンを掲げてきた。今でこそ当たり前のように国立・私立を問わずビジョンがあるが、当時、大学がビジョンを持つのは珍しく、その後の学長もビジョン策定を踏襲してきた。独立行政法人化後4人目の学長である兒玉(こだま)浩明さん(前学長、現・西九州大学長)は、着任した19年10月、新たなビジョンの内容を考えていた。

 ビジョンを決めるために学部長らと意見交換していた矢先、新型コロナウイルスが猛威をふるい、「それどころではなくなった」。感染が収まってきた頃に仕切り直しをした。他大学の取り組みも基に、文理融合、スマート○○、AIなどを話し合ってみたが、「地元の人はどのような人材を求めているのか。地域に求められる人材を育成しているのか」と考えれば考えるほど、教授陣は袋小路に陥った。

今年9月末の学長退任までのコスメティックサイエンス学環に関する出来事を振り返る兒玉浩明さん(2025年9月、佐賀市の佐賀大学)
今年9月末の学長退任までのコスメティックサイエンス学環に関する出来事を振り返る兒玉浩明さん(2025年9月、佐賀市の佐賀大学)

 そんな折、「県の取り組みにもつながる化粧品科学」という案が挙がった。「美容は専門学校のイメージ」という意見も出たが、「理工学部と農学部、医学部がある。化学と生物をベースに、皮膚科学の医学も学べるというのはどうか」と説明を受けた。「佐大がやらなくてもどこか別の大学がやるのでは」との一部の冷ややかな声をよそに、「芸術地域デザイン学部でパッケージデザインの勉強もできそうだ」などと気運が高まった。

 兒玉さんが主に理工学部生の進路を調べると、化粧品関連会社への就職希望が多かった。「これはいいかもしれない」と、ビジョンにするべく地元でヒアリングをしたところ、「会社を誘致しても研究力が弱い」という意見があった。「ならばコスメティックサイエンスでいこう」。兒玉さんの腹は決まった。

 学環の名称が国立大学では珍しいカタカナ表記であることに懸念の声もあった。しかし、学内教員は「ジャーナル名にもコスメティックサイエンスはある」「海外の大学ではコスメティックを冠にしている学部が多々ある」と譲らない。兒玉さんらが文部科学省との折衝を重ね、当初の案通り「コスメティックサイエンス学環」として、30人の定員で認可が下りた。今年8月のことだ。

オープンキャンパス大盛況

 今夏開いた同学環のオープンキャンパスには、北海道から沖縄まで、当日の飛び込みの参加者も含め、参加上限の560人に近い学生が詰めかけた。その多くが女子学生だった。保護者向け説明会も用意していた一部屋だけでは収容しきれず、急きょ別会場を新たに設けるほどの人気だった。同学環教授の長田(おさだ)聡史さん(生物有機化学)は「認可前に説明会を対面とオンライン併用で実施したときも、300人の定員はあっという間に埋まった」という。

 佐賀大学の志願倍率は九州の国立大学の中では高い方で、「さらに倍率が上がると、受験控えされる」という心配の声もある。また、現役志向が高まる中で、佐賀大学の受験生の大半は福岡県内の高校生が占める。そのため、「地元・佐賀県の高校生が受験してくれるのだろうか」という懸念はあるものの、課題研究指導に参画している県内のスーパーサイエンスハイスクールの生徒からも問い合わせがあり、長田さんは手応えを感じている。

現在、理工学部に所属し、来年度からコスメティックサイエンス学環で有機機器分析化学や生化学を教える長田聡史さん(2025年9月、佐賀市の佐賀大学)
現在、理工学部に所属し、来年度からコスメティックサイエンス学環で有機機器分析化学や生化学を教える長田聡史さん(2025年9月、佐賀市の佐賀大学)

 大学入学共通テスト実施前の12月までに合否が決まる「年内入試」を導入する大学も多いのに対し、同学環は一般選抜・特別選抜ともに大学入学共通テストを課し、一般選抜では理系科目の個別学力検査も課す。兒玉さんは「『こういうのを勉強したかったんです』という受験生の期待の言葉に沿えるようにしたいと思う一方で、レベルを落とさないようにしたい」と力を込める。

人材供給に県から熱視線

 佐賀大学のコスメティックサイエンス学環で、化粧品の成分分析や化学組成から生体への影響や広告まで、幅広い領域を学んだ人材が輩出すれば、県内の各化粧品メーカーに安定的に人材を供給できる。大学側としては、地元に必要とされる人材を送り出す、という国立大学の理念に沿った教育効果が見込める。県としては、これ以上の人材流出を防ぎ、専門性の高い人々が県内に残ってくれるという「願ったり叶ったり」だ。

 佐賀県はコンパクトな県だからこそ、産官学が密接な連携をしやすい。「何もなか(何もない)」と県民は自虐するが、東さんの言葉を借りると「たくさんあって気が付かない」という特産品も多い。佐賀のり、柑橘類、いちご、日本酒はそのまま楽しむこともできるが、化粧品への応用もなされている。佐賀大と佐賀県の事例は、地方創生、自治体の在り方に一石を投じるとともに、「これ以上、地方に大学は不要」という論調に異を唱えることになりそうだ。

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【特集:荒波の先に見る大学像】第3回 人々の生活から宇宙まで―時代のニーズに応える、千葉大学園芸学部長 百原新さん https://scienceportal.jst.go.jp/explore/interview/20251114_e01/ Fri, 14 Nov 2025 05:38:32 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55554  戦時中の食糧危機から高度経済成長期の公害問題、さらに昨今は気候変動や食料安全保障まで、時代の移ろいとともに社会にはさまざまな課題が浮上する。そうした課題に対し、116年もの長きにわたり「園芸学」で応えてきた千葉大学園芸学部。農学部でも環境学部でもない日本で唯一の学部として、今日も存在感を放っている。社会と「人」の問題に寄り添い続けた100年間とこれからの戦略を、副学長(研究・産学連携担当)で学部長の百原新さんに伺った。

園芸学部のみが置かれる松戸キャンパスのシンボル「フランス式庭園」を背にした百原さん(2025年8月)
園芸学部のみが置かれる松戸キャンパスのシンボル「フランス式庭園」を背にした百原さん(2025年8月)

都市園芸に強み、景観や農業分野にも

―園芸学部の特色や今までのあゆみを教えてください。

 1909年(明治42年)に千葉県立園芸専門学校として創立されたのが起源です。大正時代に入ったのち千葉県立高等園芸学校に改称され、そのタイミングで現在のキャンパスができました。

食糧増産を求められていた時代に一時「農業」の看板を掲げるも、伝統の園芸学を承継。時代のニーズを汲み取りながら研究を積み重ねてきた(千葉大学ホームページ・学部案内冊子から作表)
食糧増産を求められていた時代に一時「農業」の看板を掲げるも、伝統の園芸学を承継。時代のニーズを汲み取りながら研究を積み重ねてきた(千葉大学ホームページ・学部案内冊子から作表)

 シンボルともいえるフランス式、イタリア式の西洋庭園は、当時から教員と学生の手で整えられてきたそうです。本学で園芸やランドスケープ(景観)に関する実践的な知識・技術を培った学生たちは、全国の都市公園や緑地の整備に携わりました。

 また農業分野の技術も学べるのが特徴です。東京から近いこともあって、都市部でニーズの高い都市園芸に強みを持つのも1つの売りとなり、国立大学唯一の園芸学部として現在まで歴史を重ねています。

現在も学部やキャンパスのシンボルとして整えられているフランス式庭園(千葉大学提供)
現在も学部やキャンパスのシンボルとして整えられているフランス式庭園(千葉大学提供)

―卒業生はどのような道に進む方が多いのですか。

 まずは公務員ですね。国から地方自治体まで、都市計画などの部門で活躍しています。民間だと種苗関係や造園業、食品関連の企業ですね。ほかにも農業試験場で活躍している人や農業を営んでいる人もいます。面白い方だと、植物図鑑を作った人なども。

―人材育成の一環として、学部生の卒業要件に海外留学を加えたそうですね。

 2020年度から全学で「全員留学」制度を導入しています。世界基準の幅広い知見と多面的な視点で物事を探求できるようになってもらうことが狙いです。

 制度がスタートした時期は新型コロナウイルス感染症の影響でオンライン留学にせざるを得ない学生も多く、最近ようやく現地留学できる状況になりました。まだ制度化から数年なので成果が分かるのもこれからかと思いますが、先日留学先で学生全員がお腹を壊してしまったんです。日本で生活していると便利で衛生的な環境が当たり前ですが、現地の生活をより知ることができたという意味では大事な経験だと感じています。

「外国語を学ぶ意欲も高まっている」と留学制度の手応えを語る百原さん
「外国語を学ぶ意欲も高まっている」と留学制度の手応えを語る百原さん

人の領域に踏み込んだ研究、現場で解決に取り組む

―100年続く学部の価値はどこにあるとお感じですか。

 環境や農業をめぐる課題の解決に、現場で取り組んできた実績が大きいと思います。農家さんと緊密な関係を持っていることや、地域に根付いた活動をしているのも特徴かもしれません。まちづくりなどの地域課題にも、学生参加型の実習で取り組んでいます。

―課題解決に重きを置いているのですね。

 「身近な生活」に深く関わっている学部だと思います。たとえば「環境健康学」が専門の岩崎寛さん(園芸学研究院教授)は、植物を使うことでストレスの少ない空間の創出を目指しています。オフィスの快適性はもちろん、健康や福祉の面で植物がどのような効果をもたらすかなど、人の領域に踏み込んだ研究をしています。

 食や健康、公園や住居、コミュニティなどの生活空間で課題を見つけ、解決するための視点を持つこと。それが園芸学部共通のコアな部分かもしれません。

植物の療法的効果、医療福祉施設の緑化、緑による地域ケアの3つの柱で人と園芸療法に係る研究を行う岩崎さん。豆をテーマにした出前講座は地域ケアの一環(岩崎さん提供)
植物の療法的効果、医療福祉施設の緑化、緑による地域ケアの3つの柱で人と園芸療法に係る研究を行う岩崎さん。豆をテーマにした出前講座は地域ケアの一環(岩崎さん提供)

―昨今は「食の安全保障」が話題になっています。

 「高機能な作物をいかに多く作るか」だけでなく、人手の問題から流通、経済までシステム全体を総合的に解決していかなくてはなりません。昨年から続くコメ価格高騰も、結局はシステムの過程で時間とコストがかかっているのが課題なんですよね。広い視野で解決していく必要があると思っています。

―システム全体の課題に対し、園芸学部はどのような貢献ができるとお考えですか。

 今の日本では、外国人労働者に農業を担ってもらう場面もあり、農村で外国人を含めたコミュニティをどう作っていくかが重要になっています。そうした農村の問題について、食料資源学科では農業経済学や社会学の観点を、緑地環境学科ではコミュニティにおける課題解決の観点をそれぞれ生かしながら、総合的な提案ができると考えています。

気候変動と人口減少が重点テーマだと語った百原さん
気候変動と人口減少が重点テーマだと語った百原さん

「文理融合」と「教教分離」、子会社も設立

―100年を超える歴史の中で役割の変化はありましたか。

 1960年代、高度経済成長期に公害問題が注目され、当学部にも環境緑地学科ができました。環境の仕組みを解明し、環境保全・管理に関する理論や技術を学び、それらを具体的な空間領域に応用するための計画・実践方法を確立しようとしている学科です。それまで別に扱われていた環境系・園芸系が一緒になったのを機に、以降も学際的な改組・改変を繰り返して現在の形があります。

 そういった経緯もあり、園芸学部の大きな特徴には「文理融合」があります。つまり社会学と理学・農学を融合させて、いかにして人の生活を快適なものにしていくかが目標になっています。

―時代の要請に合わせて、幅広い知見を融合させているのですね。

 特にここ5年ほどですが、「教教分離」(学生が所属する教育組織と、教員が所属する教員組織を分ける)の方針で組織を改編しました。教育は従来の4学科制を採る一方で、研究組織は分野横断型の5講座制に移行させ、多くの学際プロジェクトが行われています。

研究組織(園芸学研究院)の単位である講座は、教育組織(園芸学部・園芸学研究科)のさまざまな領域を横断して教員が配置されている(千葉大学園芸学部ホームページより)
研究組織(園芸学研究院)の単位である講座は、教育組織(園芸学部・園芸学研究科)のさまざまな領域を横断して教員が配置されている(千葉大学園芸学部ホームページより)

―近年は時代の変化が速いように思いますが、どんな手立てを講じる考えですか。

 需要の中で技術は発展していくわけですが、新しいものだけが重要とは思っていません。今ある技術も応用が利くので、それを企業などにどうアピールするかも大事だと思っています。そうした協力体制が整えられればスピーディーな対応ができるのではないでしょうか。

 企業との橋渡しを支える仕組みもさまざまなものがあります。全学組織の学術研究・イノベーション推進機構(IMO)に加え、4月には意思決定のスピード感を上げるため大学の100%子会社として「千葉大学コネクト」が設立されました。さらには連綿と続く同窓会組織も、各業界に広がるOB・OGとのマッチングを支援してくれています。

宇宙園芸で「どこでも栽培」を可能に

―園芸学部の新たな取り組みとして「宇宙園芸」が出てきていますが、どのようなことを研究しているのでしょうか。

 園芸学部でもともと培われていた温室から植物工場、施設園芸における技術の究極形が「宇宙園芸」です。つまり宇宙などの「資源が少ない中、コンパクトなスペースで食糧生産をする」という技術になります。逆を言えば、この技術を応用すれば地球上のどのような環境でも栽培が可能になるので、技術が確立されれば国際的な発展にもつながると思います。

3軸方向に常時回転させることで無重力環境を再現し、宇宙空間で植物がどのように根を張り実を付けるのかを実験する装置。育てていたのは千葉らしく落花生だった
3軸方向に常時回転させることで無重力環境を再現し、宇宙空間で植物がどのように根を張り実を付けるのかを実験する装置。育てていたのは千葉らしく落花生だった

―宇宙園芸が既存技術の応用というのは新たな視点でした。

 培われた技術は他でも応用できます。たとえば植物工場ではコンパクトな植物を作らないといけませんが、ブドウを作るために、既存のブドウ棚では大きすぎます。だから今では、植木鉢サイズのポットで作れるようにしているんです。それが可能になれば多品種のブドウが一度に作れますし、環境を調整することで色々な味のワインも作れます。同じようなことが、今後さまざまな作物で進むのではないでしょうか。

―宇宙園芸によって、園芸のすごさや難しさが伝えられると感じました。

 いえ、難しさではなく「簡単に作れる」を売りにしたいんです。条件さえそろえれば誰でもできるという方向性にしたい。コストを下げられれば、ビジネスにつながって、いろんな人に関わってもらえます。

 果物の品種改良をするにも、今までは数十年かかる作業でした。でもデータサイエンスや遺伝子工学の延長の技術を使って、芽が出た段階で遺伝子の組成を調べて、おいしいものだけを選んで育てることも可能になりつつあります。手間も技術も必要だったものが、新しい技術によってシンプルにできてしまう。そのような農業を目指していく方向性が重要なのではないでしょうか。

 こうして担い手不足の解消や質の向上につながれば、農業の魅力が高まって裾野が広がります。さらには気候変動による環境変化で収量が下がっている作物なども、再び作れるようになるかもしれません。

宇宙園芸研究センター長の髙橋秀幸さん(左)と同特任教授の日出間純さんは「未解明の植物のメカニズムが宇宙園芸の研究を通じて明らかにできるかもしれない」と期待している
宇宙園芸研究センター長の髙橋秀幸さん(左)と同特任教授の日出間純さんは「未解明の植物のメカニズムが宇宙園芸の研究を通じて明らかにできるかもしれない」と期待している

植物の力は未知数、どれだけ引き出せるか

―千葉大学は文部科学省のJ-PEAKS(地域中核・特色ある研究大学強化促進事業)に採択されていますが、園芸学部はどのように関わるのでしょうか。

 後藤英司さん(園芸学研究院教授)などが、機能性食品や薬用食物、特にワクチン米の開発に関与しています。園芸学部では以前から、光・栄養などを制御することで作物が持つ機能性を高めるための研究を行ってきました。今はその応用として、遺伝子操作によってワクチン米の研究が行われています。こうした医学部と連携した研究などは、J-PEAKSへの採択により加速されるのではないでしょうか。

コレラなどによる下痢症への有効性が期待されているワクチン米(ムコライス)。インフルエンザウイルスへの対応に向けた研究も進めている(千葉大学提供)
コレラなどによる下痢症への有効性が期待されているワクチン米(ムコライス)。インフルエンザウイルスへの対応に向けた研究も進めている(千葉大学提供)

―最後に、千葉大学園芸学部の面白いところを教えてください。

 やはり植物の可能性をどれだけ引き出せるか。植物が持つ潜在的な力はいまだわかっていません。わかっていないから、まだまだチャレンジできるんですよね。宇宙に植物を持って行ったときには、また違う力が引き出せると思っています。

 植物の底力は、研究すればするほど明らかになってきます。それが植物の魅力や面白さです。生命進化の歴史の中で植物が誕生し、それが多様にあり、生態系となっています。そういった植物の魅力を発掘し、生かしていくことができるのが、この園芸学部だと思います。

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【特集:荒波の先に見る大学像】第2回 「Give」から業界の変革を目指す―冬の時代を越えて、信州大学繊維学部長 村上泰さん https://scienceportal.jst.go.jp/explore/interview/20251111_e01/ Tue, 11 Nov 2025 05:56:12 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55522  明治時代に外貨獲得の手段として日本の近代化を支えた蚕糸業。その輸出量が世界一となった翌年の1910年、信州の地で一つの専門学校が産声を上げた。それから115年。繊維業の主役はカイコから化学へと置き換わり、産業構造も大きく変化する中、難局を乗り越え、旧制の専門学校から姿を変えて歴史を紡いできたのが信州大学繊維学部だ。日本唯一の学部は、なぜ今なお存続できているのだろうか。そのカギを探りに副学長(研究担当)で学部長の村上泰さんを訪ねると、業界と密な関係を築く独自の戦略が見えてきた。

前身の旧上田蚕糸専門学校時代に建てられた講堂前に立つ村上さん。講堂は国の登録有形文化財に指定されている
前身の旧上田蚕糸専門学校時代に建てられた講堂前に立つ村上さん。講堂は国の登録有形文化財に指定されている

蚕糸業界のリーダー育成から始まった「繊維×異分野」

―「繊維学部」は日本の大学で唯一です。どんな特徴があるのですか。

 一般の方は繊維と聞くと、服などの衣類を思い浮かべるかもしれませんね。しかし実は自動車や航空機の部品、浄水器フィルターなど身近にある多様な製品に繊維技術が使われています。今や繊維は、建築、電子、機械などさまざまな産業で使われる要素技術の一つなのです。

 本学部一番の特徴は「繊維×異分野」です。「先進繊維・感性工学科」「機械・ロボット学科」「化学・材料学科」「応用生物科学科」の4学科があり、農学、理学、工学、医学などを横断して、材料や機械、ロボットなどの先端的な技術と繊維を組み合わせた教育と研究を展開しています。

長野県上田市の信州大学上田キャンパスには繊維学部のみが置かれ、教職員約200人、学生約1500人が在籍する。女子学生比率約30%、大学院進学率70%超は学部の特色の一つ
長野県上田市の信州大学上田キャンパスには繊維学部のみが置かれ、教職員約200人、学生約1500人が在籍する。女子学生比率約30%、大学院進学率70%超は学部の特色の一つ

―100年以上に及ぶ歴史の歩みを教えてください。

 1910年の上田蚕糸専門学校の設立に始まります。当時、最大の輸出産業であった蚕糸業の人材育成拠点として上田の地が選ばれたのは、長野県内や隣の群馬県に製糸場があったことに加え、「蚕種(さんしゅ)」の製造が盛んだったからでしょう。記録があまり残っていないのですが、蚕種を全国各地に出荷していたこともあって、蚕糸業界のリーダーがこの学校で多く育ちました。

蚕種とはカイコの卵のこと。台紙の和紙に卵を産ませた「蚕卵紙(さんらんし)」が欧州へ多く出荷されていた。写真は明治初期に信州上田塩尻村(現在の上田市の一部)でつくられたもの(農林水産省提供)
蚕種とはカイコの卵のこと。台紙の和紙に卵を産ませた「蚕卵紙(さんらんし)」が欧州へ多く出荷されていた。写真は明治初期に信州上田塩尻村(現在の上田市の一部)でつくられたもの(農林水産省提供)

貿易摩擦にオイルショック…長い冬の時代を越えて生まれた特色

―蚕糸から現在の繊維全般まで対象が広がったきっかけは。

 1930年代に米デュポンが「ナイロン」を発明したことです。これはインパクトが大きかった。一気に化学繊維の時代が訪れます。上田蚕糸専門学校も1940年に日本で初めて化学繊維の専門学科を設置しました。京都大学より1年、京都工芸繊維大学より2年早い開設です。

1930年代頃の上田蚕糸専門学校の様子(信州大学提供)
1930年代頃の上田蚕糸専門学校の様子(信州大学提供)

 そして1949年に信州大学が発足。長野県内にあった複数の高等教育機関を包括するような形で誕生したのですが、上田繊維専門学校はその伝統の長さから信州大に加わるのをためらうところもあったようです。ただ、最終的には「繊維学部」として合流しました。

 戦後復興期、日本の化学繊維は輸出が拡大して国を支える一大産業に発展していました。当時の繊維学部も活気があったようです。ただ1970年代になると、日米貿易摩擦で繊維の輸出制限が厳しくなってしまったんです。オイルショックが重なったこともあって、そこから繊維業界には長い冬の時代が訪れました。本学部も存続の危機に直面し、「お取りつぶし」が本格的に検討された時期もあったようです。

―村上さんも冬の時代を経験された一人なのですか。

 私が着任したのは、冬の時代真っ只中の1993年でした。研究資金が乏しく機材は旧式。重さを測るときは電子式の計量器ではなく、重りを使ったてんびん式でした。学生の実習はその使い方を学ぶところから始まっていたんです。もちろん高分解能電子顕微鏡もありません。使いたいときは松本キャンパスにある医学部までわざわざ行っていましたね。

 しかしその後、大転換が起きました。文部科学省が卓越した研究拠点の形成を目的に実施した「COE形成基礎研究費」に地方大学として初めて採択されたのです。

 当時のリーダー白井汪芳(ひろふさ)学部長(当時、現名誉教授)は、教員たちに「繊維に関わる研究なら予算を出す」と方針を掲げ、選択と集中により底上げを図ることを重視しました。すると、繊維と自身の専門分野を掛け合わせた新たな研究が次々に立ち上がって、今日まで続く「繊維×異分野」の特色が生まれたのです。この頃の研究の多くは成果を上げ、その後もコンセプトを踏襲した構想がさまざまな支援事業に採択されることになりました。

 そうした中で先進ファイバー(繊維)技術の研究拠点として最新設備の導入が実現し、産業界との連携もこの時期から加速しました。顕著な成果の1つが、地域における産学連携等を推進する文部科学省の「知的クラスター創成事業」において、谷口彬雄先生(現名誉教授)が手掛けた有機ELの研究です。保土谷化学工業との共同研究により、消費電力が従来比70%減の有機EL材料を開発するなどの成果が生まれました。こうした成果が認められ、平成17(2005)年度の第4回産学官連携功労者表彰では私たちの長野・上田スマートデバイスクラスターが文部科学大臣賞を受賞しています。

学部の歴史を振り返る中で「幾度もの難局と大転換があった」と語る村上さん
学部の歴史を振り返る中で「幾度もの難局と大転換があった」と語る村上さん

メリットを提供し求められる存在に

―産業界とのつながりの強さは現在も学部の特色ですね。

 私たちの大きな特徴の一つは、名称から重点分野が明確であるという点でしょう。工学部や農学部で「繊維分野に力を入れる」と言ったら反対があるかもしれませんが、繊維学部では反対する人はいません。国もその役割を本学部に期待してくれていると思います。ただし日本で唯一の学部としての使命があるので、もし繊維業界から「何もしてくれない」と思われたら、その時点で存在価値を失います。

 企業との連携は簡単なものではありません。共同研究を持ちかけても、彼らにメリットがなければ絶対にやりません。では、どうすればいいのか。例えば、産学連携施設「ファイバーイノベーション・インキュベーター施設(Fii)」には先端的な評価装置や試作装置を意図的にそろえているのですが、これは企業の方たちが性能試験や試作品製作をやりやすくするためです。この施設の研究室に入れば、高価な装置を使って少量の試作や性能テストなどが容易にできますし、共同研究にもスムーズに進むことができます。

 このような連携支援の枠組みを生かし、例えば優れた耐火・耐熱性能をもつ防護服素材を、消防庁との共同研究などを通じて開発しています。最近では環境問題となっている繊維材料のリサイクルにも取り組んでいて、HKRITA(香港)、H&M財団(スウェーデン)、愛媛大学との連携によりポリエステルと綿を分離して再利用する技術の実現などの成果もFiiから生まれました。さまざまな工夫によって大学と企業の双方が利益を得られる仕組みをつくり、繊維業界から求められる存在になろうとしているわけです。

産学連携施設のFiiでは企業側のメリットを明示することで多くの共同研究が実現している。現在50室全てが埋まっているそうだ(信州大学提供)
産学連携施設のFiiでは企業側のメリットを明示することで多くの共同研究が実現している。現在50室全てが埋まっているそうだ(信州大学提供)

業界の知見と人材拠点に、発想転換のタネは学部にある

―日本の繊維業界における課題は何ですか。

 今の繊維業は技術だけで利益を得るのは難しいです。日本の企業は繊維に高い機能性を付加しようとしますが、グローバルマーケットではあまり評価されません。中国やインド企業が大量生産する安価なものが、どうしても好まれるんです。

 安定的に利益を生むには、製品化から販売までのサプライチェーン全体を押さえることが必要です。本学部ではサプライチェーン自体の研究にも取り組んでいて、繊維関連の企業で実務を担う方を特任教授として積極的に迎え入れています。給料は払えないのですが、本学部の教員や他の特任教授たちと研究して得た知見は、企業に戻ったときに生かされるはずです。そうなれば、繊維のサプライチェーンを日本主導で構築することにつながります。

 こうした発想の転換が必要であり、そのタネこそ本学部にあるものです。それを日本の企業、特に地域産業の中核を担う中堅・中小企業に提供したい。本学部は海外大学とも盛んに連携しているので、今後は海外の大学を通して国内外の企業を有益に結び付けることも計画しています。

―業界を外から変えていくような存在になろうとしているんですね。

 そうですね。本学部が繊維業界の知見と人材が集まる拠点になれば、企業はますます人を出してくれるようになるでしょうし、本学部の研究力も高めることができます。そうなるためには、まずは大学側から企業に「Give」することが重要だと思っています。そして、企業が元気になった暁には大学に返してもらう―そんな良い循環を作りたいですね。

 この循環が実現すれば、学生の集め方も変わるかもしれません。繊維業の企業が地元の若者を集めて本学部に送ってもらい、ここでしっかり育てて企業にお返しするという「里帰り」の仕組みも作ることができるかもしれない。これからの地方大学は、教育・研究のための資源をいろいろな方法で集める必要があります。本学部のファンになってくれる繊維業の企業をたくさん作ることが大切だと思っています。

キャンパスから仰ぎ見る東信のシンボル「浅間山」。県内の他地域から入学する学生も多く約9割が一人暮らしをしているそうで「自立心の強い学生が多い」と村上さん
キャンパスから仰ぎ見る東信のシンボル「浅間山」。県内の他地域から入学する学生も多く約9割が一人暮らしをしているそうで「自立心の強い学生が多い」と村上さん

「繊維学部」で良かったと思える発展を

―これからますます不透明な時代がやってきます。繊維学部は何を目指しますか。

 私が着任した冬の時代には「学部名から『繊維』を外せ」という声もありました。しかし今は、多くの関係者が「繊維学部で存続したほうがいい」と考えています。むしろ「繊維学部という名前で良かった」と思えるような発展を遂げなければ、やがて消滅してしまうでしょう。

 業界とのつながりを重視するのも、本学部が困難に直面したときに支え合える関係を築くためです。業界を応援し元気にしておくことが、いざというときの自分たちの支えになります。政策を作る官の人も巻き込み、関連産業、特に地域に根ざした中堅・中小企業を活性化することで、地方大学も生き残る。そのモデルの一つを本学部が作ることができれば、他にも展開できます。これからも独自色を出し続け、挑戦し続けます。それが本学部の宿命なのです。

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