深く掘り下げたい - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」 https://scienceportal.jst.go.jp Tue, 02 Dec 2025 08:19:30 +0000 ja hourly 1 救急車の適正利用は「タクシー代わり」の回避だけではなく、多様なアプローチで サイエンスアゴラ in 福岡 https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20251202_e01/ Tue, 02 Dec 2025 08:00:50 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55671  救急車の適正な利用について考える「サイエンスアゴラ in 福岡」が9月20日、福岡市南区の九州大学で開かれた。イベントの副題は「〜市民と大学の総合知でつくる 救急利用・救急行政への提言〜 みんなで九州大学と提言をつくろう!」。まず、福岡市消防局が持つ救急搬送データの内容を学生らが発表した上で、どこをどう工夫すれば増加する搬送数に対応できるかをワークショップ形式で話し合った。

 発表から見えてきたのは、よく言われる「タクシー代わり」の搬送だけではなく、「救急隊員が駆けつけても、様々な要因により出動先から病院に出発できない」ことによる搬送時間の長期化であることも浮き彫りになった。

福岡市の救急車は寄付によるものが多いという特徴がある。現在、常時稼働している市内の34台中25台が寄付されたものだという(福岡市消防局提供)
福岡市の救急車は寄付によるものが多いという特徴がある。現在、常時稼働している市内の34台中25台が寄付されたものだという(福岡市消防局提供)

実態把握のため、50万件のビッグデータを解析

 福岡市は人口約167万人(2025年10月現在)で、7つの区に分かれている。市の統計によると、昨年の救急出動件数は10万181件で、1日あたり平均273.7件の出動がある。この数値は毎年増加傾向にあり、持続可能な形で救急車を利用するための方策を考えることは、喫緊の課題だった。

福岡市の救急出動件数は年々増加しており、1日あたりの出動数も増加傾向にある(福岡市のデータを元に編集部作成)
福岡市の救急出動件数は年々増加しており、1日あたりの出動数も増加傾向にある(福岡市のデータを元に編集部作成)

 課題を解決するためにはまず、実態を正しく把握することが大切だ。そこで今回、同大学大学院の学生らが、福岡市消防局の過去の出動記録約50万件ものビッグデータを個人が特定できない形で譲り受け、「搬送にかかった時間」や「受診科別の搬送コスト」「軽症者が救急車を呼んだかどうか」などを詳しく解析した。なお、ここでの「軽症」は診断結果に基づく分類であり、「不適正利用」を直ちに意味するわけではない。

選定療養費徴収で「軽症」搬送数9%減の見通し

 まず、よく救急車適正利用の際、声高に指摘される「軽症なのに救急車を呼んだ」ケースについて見ていく。福岡市の場合、50万件中、約23%の11万3375件は「軽症」と判断できることが分かった。

 これを、茨城県が取り組む「緊急性が認められない救急車の利用は、一部病院で選定療養費を徴収する」「選定療養費が導入されたことで救急車を呼ぶ軽症者が減り、中等症以上の患者が増えた」という2つの事例に当てはめ、もし同様に選定療養費が導入されたら、市内でどれだけ軽症者を減らすことができるか試算した。なお、選定療養費とは診療報酬で認められた特別な料金で、紹介状がないのに大きな病院を受診した際などに徴収することができ、病院独自で額を決められる。

 茨城県では2024年12月~25年2月末の救急搬送のうち、4.2%が選定療養費の対象となり、救急搬送の総数も減っていた。同様の方法で福岡市内の救急病院で選定療養費(0円~1万1000円)を加算した場合、搬送数は11万3375件の約9%減となる約10万3000件に圧縮できる見通しという。

学生らは様々な手法を使い、ビッグデータを科学的に分析した(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)
学生らは様々な手法を使い、ビッグデータを科学的に分析した(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)

精神科系や歓楽街では「搬送コスト」高く

 次に、学生らは搬送時間の地域偏在を減らすことで、効率的に救急車を動かすことを考えてみた。福岡市の救急搬送にかかる時間は平均25.7分。この値を大きく上回っている搬送を「高コスト搬送」と定義し、7つの区における地域差や診療科の差を調べた。

 すると、呼吸器科・精神科系の診療科が高コストになっていた。呼吸器科は新型コロナウイルスによる影響が無視できないので影響は期間限定的だと仮定すると、課題となってくるのは、本人の救急要請に加え、家族も対応に苦慮して通報したケースもある精神科系の搬送だ。

 そして地域別で見ると、九州大学病院のお膝元である東区では搬送コストが抑えられていた。これは、国道3号線が縦断し、各病院までの動線が比較的確保されているためと考えられる。他方で、歓楽街の中洲や博多駅があることで有名な博多区は高コストだった。福岡空港がある博多区は、搬送が遠回りになるため、時間がかかっているのではないかと学生らは予想する。

 人口構成でみると、博多区は東区に比べ成人の割合が高く、高齢者の割合は低いという違いがあった。もし東区並みに博多区で搬送できれば、搬送数をあと55件増やせる。このような地域の特性に応じた対応も、ビッグデータを分析しないと分からない事実だ。

呼吸器系の「長時間化事例」が目立つ

 最後に、搬送がどこで長時間化するかを可視化した。搬送時間が短いものも、長いものも、通報から現場到着までの時間はさほど差がなかった。ということはつまり、救急車が患者宅に到着後、隊員が病院まで搬送するための時間に長短があると言うことを意味している。

 今回、学生らは上位1.7%を占める58.8分を超す搬送を「長時間化事例」と定義。その疾病名や発生時間帯を調べたところ、呼吸器系の長さが目立ち、消化器系は短い時間で搬送できていた。長時間化事例が生じたキーワードは、「精神・神経科」「中毒」といった症状で、時間帯は「深夜」が多かった。逆に短時間で済んだものは「乳幼児」や「心疾患」、「脳・循環器系」だった。曜日ごとの差は見られなかった。

救急現場では「受け入れられるベッドがない」

 では、これらの解析結果は、実際の救急医療の現場の「肌感覚」とどのくらい近いのだろうか。同大学病院救命救急センター長の赤星朋比古教授(救急医学)が登壇し、福岡の救急医療の現在地を語った。

心肺停止の場合、脳は5分以内に処置をしないと元に戻らないので、市民による救命処置と救急搬送時間の短縮が大切だと訴える赤星朋比古教授(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)
心肺停止の場合、脳は5分以内に処置をしないと元に戻らないので、市民による救命処置と救急搬送時間の短縮が大切だと訴える赤星朋比古教授(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)

 まず前提として、現在、政府は地域医療体制の見直しを進めており、全国的に病床数(ベッド数)を減らしている。大きな病院は近年、赤字経営解消のため、病床稼働率を上げる努力をしているが、救急車を受け入れられるベッド数は絶対的に不足している現状がある。これにより、救急搬送がすぐに受けられない現状もある。

 救急搬送の受け入れ拒否のニュースが流れると「病院が断った」「医者が足りないからだ」という過激な病院への批判意見が相次ぐ。しかし実際は、「受け入れられるベッドがない」という医療政策におけるハード面の問題である。

 この事実を踏まえ、赤星教授は、コロナ禍ではベッドをコロナ患者で埋めることになり、「普段九大で助けられる人が助からなかった」と振り返った。コロナ禍が落ち着いてきた今年は、熱中症による搬送者数の増加が予想されたが、「ファン付きベストなど、労働者への対策が進んだからか、意外と搬送は増えなかった」とした。

本人の搬送拒否と外国人の受け入れ拒否と

 そして、救急困難事例の実情は医師不足ではなく病床不足であることを前提に、スライドで、救急搬送数が年々増えていることを総務省のデータから示した。また、福岡市の50万件のデータから、「救急車の不搬送」が増加傾向にもなっていることも示した上で、「人口減少にもかかわらず、搬送数は減っていません。乳幼児の搬送数も減っていません。病院にはECMO(体外式膜型人工肺)で命をつなぐお子さんもいて、長期入院が続きます。ではなぜ出動件数や救急困難事例が減らないのでしょうか」と会場に疑問を投げかけた。

 赤星教授はその答えを「本人が『やっぱりいいです』と搬送を拒否するケースがあるから。救急車に医学部の5年生を乗せて実習を行うと、驚かれる。市民の皆さんの英知を結集して減らすのは、ここら辺かな、と思っている」と語った。

 救急外来では別の問題も起きているとして、外国人観光客の受診について触れた。「市にも伝えたが、観光に来たアジア圏の人が、医療費を払わずに帰国するということが起きている。保険に入らずに来ているので、外国人に関しては受け入れ拒否もある」と打ち明けた。

 他方で、福岡市は市民による心肺蘇生実施率が高く、通報段階で通報者に消防局が指示を出すと、「ほぼ100%」AEDや胸骨圧迫を行う助け合いの文化があり、生存率向上に一役買っているという明るい話題も提供された。

市民のアイデア「大人の保健室を」、世代間交流も成果

教員や学生を囲みながら、聴衆も参加してグループディスカッションを行った(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)
教員や学生を囲みながら、聴衆も参加してグループディスカッションを行った(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)

 最後に聴衆と学生や教員らを囲んでグループディスカッションが行われた。救急車やベッド数を増やすのではなく、「大人の保健室」を作るというアイデアが披露された。これは、精神的に苦しい本人が行ける、もしくは躁うつや統合失調症への対処で困り果てた家族からの通報の受け皿となる場を作り、高コスト搬送・長時間化事例となりやすい精神科の通報を救急車ではない方法で受け入れる案だ。他にも、119番通報を不安の解消のために使っているなら、通報にビデオ通話を導入してはどうかという提案もあった。

 元消防局員の男性は「何十年も救急車の有料化を議論してきたが、結論が出ない。現役の時にこのイベントがあれば良かった」と発言した。別の消防局に勤めている救急救命士の男性は「救急車はセーフティネットなので、個人的には(本人の)搬送拒否事案がダメとは思わない。精神疾患(の強い症状の現れ)の人の方が大変」と明かした。

 イベントを取りまとめた同大芸術工学研究院の尾方義人教授(デザイン学)は、「難しい問題に対し、様々なアプローチをするのは、高校に導入された“探究”の授業とすごく似ている。市民・行政・医療が協働し、福岡の課題を解決できれば全国モデルになる」とまとめた。

救急搬送の問題解決には、様々な分野からの知恵の結集である「総合知」が必要と語る尾方義人教授(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)
救急搬送の問題解決には、様々な分野からの知恵の結集である「総合知」が必要と語る尾方義人教授(福岡市南区の九州大学大橋キャンパス)

 参加者の60代の主婦の女性は「グループには高校生や、大学の先生といった普段話ができないような人と話せて良かった」といい、防災や消防に関するユーチューバーとしても活躍する30代男性は「防災のイベントは高齢者の参加が多いが、若い世代と話ができて斬新だった」と笑顔を見せた。

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ISSの大先輩「ミール」、北の大地で宇宙開発史の語り部に 苫小牧 https://scienceportal.jst.go.jp/explore/review/20251128_e01/ Fri, 28 Nov 2025 06:26:08 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55652  今月初め、国際宇宙ステーション(ISS)は飛行士の長期滞在が始まって四半世紀の節目を迎えた。米露や日本など15カ国の協力で、宇宙に常に誰かがいる状態で実験などが続いていることは、人類史に残る業績だ。そして、このISSには大先輩がいたことを、忘れてはならない。旧ソ連、後のロシアの宇宙ステーション「ミール」だ。北海道苫小牧市内に、飛行士らが訓練に使ったとみられる貴重な機体が展示され、宇宙開発史の語り部となっている。宇宙ファン垂涎(すいぜん)の、この科学館を訪ねた。

見学者でにぎわう宇宙ステーション「ミール」展示=北海道苫小牧市の市科学センター
見学者でにぎわう宇宙ステーション「ミール」展示=北海道苫小牧市の市科学センター

「宇宙開発の生きた姿を体感」

 JR苫小牧駅から歩くこと15分。国道を渡り、さらに少し進むと「ミール展示館」の看板が見えてきた。苫小牧市科学センターの別棟で、外からでもガラス越しに、赤いソ連国旗を身につけたミールが目に入った。入館するや「どうぞご覧下さい。記念写真もお撮りしますよ」。職員の温かい声掛けに、東京から訪れた疲れが吹き飛んだ。

来館者を蒸気機関車「C11」が迎え、そのすぐ奥に「ミール展示館」がある
来館者を蒸気機関車「C11」が迎え、そのすぐ奥に「ミール展示館」がある

 年季を感じさせつつ、静かに横たわる巨体。「これが、あのミールなんだ」と、感慨がこみ上げた。いったん離れて全体を眺めた後、見学用に取り付けられた階段を昇って船内へ。食事もできる作業台、操縦室、飛行士の個室、トイレ…飛行士たちがフワリと浮かんで暮らす姿を思い描いた。次に、機体の周囲を一周し、装備品の各種アンテナ、ドッキングポート、姿勢制御エンジンなどなど、じっくり観察。展示館の2階からは全体を見下ろすこともできた。平日も団体でにぎわう時があるが、それ以外は独占状態に近くなる。

 ミールは1986~2001年に運用され、高度400キロほどを周回した宇宙ステーション。ドッキングを重ね、最終的に主に6つのモジュール(棟、区画)で構成した。このうち、苫小牧には全長13メートルの本体「コアモジュール」に加え、天体・宇宙物理観測や姿勢制御に使われた、同6メートルのモジュール「クバント」も展示されている。

「苫小牧のミールを全国の子供達に見てほしい」と語る島崎さん
「苫小牧のミールを全国の子供達に見てほしい」と語る島崎さん

 「科学館が各地にあり独自性が求められる中で、このミールは他にない展示。苫小牧はもちろん、全国の子供達に見てほしい」と、同センター学芸員の島崎雅之(まさし)さん(47)は胸を張る。さらに「1世代前のステーションと思われがちだが、実はISSの現役のモジュール『ズベズダ』は構造がミールのコアモジュールとほぼ同じ。つまり、ここ苫小牧では宇宙開発が今、生きている姿を体感できる」と解説する。

 なお、展示品のミールは飛行士が体を洗うシャワー(実際にはほぼ使われなかった)の位置が異なるなど、アレンジされた部分がある。見学用階段の部分には本来、飛行士の個室の一つなどがあった。精密機器のような一部の装備は、日米など西側諸国への技術流出を避けるといった理由で、ソ連側によりダミーに取り替えられた可能性がある。

「子供たちに」地元企業が寄贈

 ミールが苫小牧にやってきたのには、特別な経緯がある。同センターの資料や島崎さん、また、地元の日本宇宙少年団分団のリーダーとしてミールの活用に深く関わってきた日本宇宙少年団理事の藤島豊久さん(73)などによると、立役者がいる。地元に本店を置く建設会社「岩倉建設」に務め、後に苫小牧市長を5期務めた岩倉博文さん(元衆院議員、今年4月死去)の熱意が実ったものという。

 1980年代後半の地方博ブームの中、89年に名古屋市で開催された「世界デザイン博覧会」にこのミールが展示された。翌年、これを岩倉建設が国内の別の企業から購入した。藤島さんによると正確な購入額は非公開で、10億円弱だったという。

展示を前に語る藤島さん。「ミールは教育に大きな役割を果たしてきた」
展示を前に語る藤島さん。「ミールは教育に大きな役割を果たしてきた」

 当時、北海道には苫小牧などに航空宇宙産業基地を構築する構想があった。そこで、日本青年会議所の幹部で北方領土問題などを通じソ連との接点もあった岩倉さんが、地域での啓蒙のシンボルの役割を、ミールに期待したようだ。岩倉建設保有の下での展示や保管の時代を経て1998年、「将来の苫小牧を担う子供たちのために」と同センター隣接地に運ばれ、市に寄贈された。当初は屋外展示だったが、風雪による劣化を避けるため、市は翌99年に専用の展示館をオープンさせた。

 岩倉さんから「ミールはお前に任せる」と言われ長年、活用に汗を流してきた藤島さん。「夜空を見上げれば星があるのだが、触れて体験できる宇宙も必要だ。小さい時の体験は一生モノ。宇宙少年団の活動をはじめ、ミールは子供たちの教育に大きな役割を果たしてきた」と振り返る。

コアモジュール内。(左)操縦室。奥にはドッキングポートが見える。(中央)飛行士の作業スペース。手前に作業台、右奥に個室、左奥にはクバントへ通じるドッキングポートがある。上の黄色い突起物がシャワーだが、本来の位置とは異なるという。(右)トイレ
コアモジュール内。(左)操縦室。奥にはドッキングポートが見える。(中央)飛行士の作業スペース。手前に作業台、右奥に個室、左奥にはクバントへ通じるドッキングポートがある。上の黄色い突起物がシャワーだが、本来の位置とは異なるという。(右)トイレ

邦人初飛行で滞在、米国と共同計画も

 冷戦体制下、米ソは激しい宇宙開発競争を繰り広げた。有人月面着陸は1969年、アポロ11号により米国が勝利。続いて、地球上空の低軌道とよばれる領域で、米ソは異なるアプローチを採った。米国は、飛行士も物資も運び多彩な用途をこなせる再使用型宇宙船、スペースシャトルの開発に注力。これに対し、ソ連は飛行士の長期滞在や宇宙実験のノウハウを積もうと、ステーションの展開へ舵(かじ)を切った。なお、米国もステーションを運用する「スカイラブ計画」を実施している。

 米航空宇宙局(NASA)などの資料によると、ソ連は1971~82年に軍事用を含め7機のステーション「サリュート」を打ち上げた。後継計画のミールは、初めて多数モジュールのドッキングを想定。86年2月にまずコアモジュールを打ち上げ、翌月に飛行士の滞在がスタートした。翌年のクバントを皮切りに、観測や実験用などのモジュールを加え、96年に完成した。全長33メートル(係留した宇宙船含む)、重さ130~140トン。ロシア語の「ミール」はよく平和と訳されるが、世界や宇宙、農民共同体などの意味もあるそうだ。クバントは量子の意味という。

(左)ミールのコアモジュールの打ち上げ準備作業、(右)医師でもあるロシアのワレリー・ポリャコフ飛行士が、船内で欧州の飛行士の採血を行う様子。ポリャコフ氏がこの飛行で達成した437日の滞在記録は、今も塗り替えられていない(ともにNASA提供)
(左)ミールのコアモジュールの打ち上げ準備作業、(右)医師でもあるロシアのワレリー・ポリャコフ飛行士が、船内で欧州の飛行士の採血を行う様子。ポリャコフ氏がこの飛行で達成した437日の滞在記録は、今も塗り替えられていない(ともにNASA提供)

 サリュートはドッキングポートを最大2個しか持たなかったのに対し、ミールは6個を備え、運用性や飛行士の滞在能力が大きく向上。1994~95年には437日もの長期滞在記録を樹立している。飛行士の往復には使い捨ての「ソユーズ宇宙船」、物資補給には「プログレス」が使われた。両機種は改良を続け、今もISSで現役だ。

 1990年には、ソ連で訓練を受け飛行士となったTBS記者(当時)の秋山豊寛(とよひろ)さん(83)が滞在し、日本人初飛行を実現。翌年にソ連が崩壊したが、ロシア連邦により運用が続いた。94~98年には米露の「シャトル・ミール計画」により、両国の飛行士が互いの宇宙船に搭乗したほか、米国のシャトルがミールにドッキング。米国人がミールに滞在するなどして、ISS計画での協力関係の基礎につながった。ロシアは93年、ISS計画への参加を正式決定している。

シャトル・ミール計画でミール(中央)にドッキングした米スペースシャトル「アトランティス」(下)=1995年7月(NASA提供)
シャトル・ミール計画でミール(中央)にドッキングした米スペースシャトル「アトランティス」(下)=1995年7月(NASA提供)

 一方、トラブルも続発した。1997年には火災が起きたほか、プログレスが衝突し地球観測モジュールが損傷する事故が発生。酸素供給装置や姿勢制御装置の故障、メインコンピューター停止なども繰り返し、危険が指摘された。米国の飛行士が到着した際、船内に使用済みや故障品の機器、ごみ袋が散乱し、適切な対策がされていなかったという。

 ロシア政府の財政難により、ミールの予算も不足。一時は民間資金で延命する道も探られたが、軌道に乗らず廃棄が決定した。2001年3月、南太平洋に落下させられ、設計寿命の5年を大幅に上回る15年の運用を終了。役割を、1998年に建設を始めたISSに引き継いだ。ミールの生涯を通じ、12カ国125人の飛行士が滞在した。

展示ミールは「精巧な訓練用機体」では

 さて、筆者は苫小牧の展示に大きな意義を感じつつ、気になることがあった。同センターはこのミールを「実物予備機」と紹介しているが、本当かどうかだ。宇宙開発取材歴の長い海外の友人が、展示を見学した上でモックアップ(模型)と認識したと、話してくれたのがきっかけとなった。

 予備機とは、人工衛星などの宇宙機が打ち上げ失敗などで失われた場合に備え、代わりに使えるようにもう1つ造っておく、バックアップのこと。資料によると展示品は、市への寄贈当時から予備機と見なされてきたようだ。同センターの展示説明は「どうして苫小牧市に宇宙ステーション『ミール』の予備機があるの?」「こちらにある『ミール』は製造から30年以上が経過しており、展示用に改装されているため動かすことはできません」などと記している。島崎さんは、コアモジュールは実物予備機を一部改装したもの、クバントは模型とみられると理解しているという。

 一方、島崎さんが「一番お詳しいのでは」という、藤島さんに尋ねた。その結果、「ミールのコアモジュールは訓練用で、クバントは模型だと岩倉さんから聞いた。いずれも宇宙に持って行けるものではない」とのことだ。また、2008年の大きな行事をきっかけに「あちこち外してみた」ところ、軽量化のための内壁の構造やエンジン内の配管など、外見で分からない部分まで造り込まれていた。訓練用として、極めて精巧に造られているとの認識を深めたという。

展示されたコアモジュールの、船内外をつなぐ見学用階段が取り付けられた部分の頭上付近。意外なほど壁が“あっさり”薄いように、筆者は感じたが…
展示されたコアモジュールの、船内外をつなぐ見学用階段が取り付けられた部分の頭上付近。意外なほど壁が“あっさり”薄いように、筆者は感じたが…

 同センターと藤島さんの認識との間に、違いがみられる。展示の基本的事実関係であるだけに、当事者による確認が望まれる。

 筆者は技術面に全く疎い素人ながら、例えば船内外の境界部分を観察し「この程度の壁で、宇宙空間で10年以上も気密性を保ち、飛行士を守れたのか」と、率直に疑問を抱いた。宇宙で使える物ではないとの印象を強めた。同時に、モックアップの語は「見た目のみ表現した実物大模型」といった意味で使われることが多く、精巧さのあるこの展示には当てはめにくいとも感じた。

宇宙開発への関心高める第一級史料

 ただし、この展示が実物予備機でないとしても、宇宙開発史を物語る第一級の史料であることは疑いないだろう。苫小牧で大切に展示され続けたことで、どれほど多くの人々の宇宙への関心を高めてきたことか。同センターが人々の熱意に支えられてきたことも、お世辞ではなく印象的だった。取材の過程で、ある宇宙関係者から「どっちでも、いいじゃないか」との声もいただいたが、価値が高いという意味では同感だ。本稿には指摘はするが、展示の意義を損ねる意図がないことをくれぐれも強調したい。

 宇宙開発に詳しい宇宙航空研究開発機構(JAXA)名誉教授の的川泰宣さん(83)も、岩倉さんから訓練用と聞いたという。「飛翔するための予備機ではなく、訓練のために装備などの要点ができていればよい空間として造られたのだろう。日本では苫小牧の展示が、ミールはどんなものだったのかと見られる唯一のものと思われ、非常に貴重だ」と話している。

(左)展示館2階からは、全体を見下ろせる。手前がクバント、奥がコアモジュール。(右)機体に刻まれたキリル文字「МИР(ミール)」とソ連国旗が印象的
(左)展示館2階からは、全体を見下ろせる。手前がクバント、奥がコアモジュール。(右)機体に刻まれたキリル文字「МИР(ミール)」とソ連国旗が印象的

 最後に私事となるが、ミールにはかつて、視野を広げてくれた恩義がある。1989年、高校の帰りに地方博の「横浜博」に寄り道し、ソ連の宇宙展示にショックを受けたのだった。見慣れぬミールのモックアップが目玉展示。スペースシャトルの説明は米国のものではなくソ連の「ブラン」。ロケット開発の立役者はゴダードなどではなく「グルシコ」…。それまで新聞や本で得たのは主に、米国中心の西側の宇宙開発情報。まるでパラレルワールドに入った気分だった。

 横浜の展示は筆者に「今まで世界の半分しか見ていなかった」と衝撃を与えた。この影響は、後に報道記者になっても続いているように思う。ミールとの36年ぶりの再会に感動しつつ、苫小牧の地を辞した。

1989年、横浜博でのソ連によるミール展示。筆者が個人で撮影したもの(草下健夫撮影)
1989年、横浜博でのソ連によるミール展示。筆者が個人で撮影したもの(草下健夫撮影)
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【特集:スタートアップの軌跡】第4回 ディープテックへの投資「哲学」、起業家に伴走し再投資で成長の循環を生む JAFCO三浦研吾・産学リーダー https://scienceportal.jst.go.jp/explore/interview/20251125_e01/ Tue, 25 Nov 2025 07:43:15 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55631  知を愛する――。哲学、フィロソフィーの語源を、古代ギリシア語までたどった意味だ。「9割はうまくいかない」などと揶揄されるにも関わらず、深い知を礎にしたディープテックのスタートアップへ人は投資をしてしまう。その「哲学」とはなにか。1973年創業で、現存する日本最古の民間ベンチャーキャピタル(VC)であるジャフコ(JAFCO)グループで、新卒入社から10年以上ディープテックスタートアップ投資に関わってきた産学・ライフサイエンス投資グループの三浦研吾・産学リーダーに聞いた。

JAFCO産学・ライフサイエンス投資グループの三浦研吾・産学リーダー(東京都港区)
JAFCO産学・ライフサイエンス投資グループの三浦研吾・産学リーダー(東京都港区)

資金提供にとどまらず経営面のサポートも

―累計投資社数は4000社以上、上場社数は1000社を超える実績があるというJAFCOですね。

 JAFCOは、日本で初めてファンドを導入した独立系VCです。2025年上半期(4~9月)には、20社に対して合計77億円の投資を行いました。創業間もないシードステージやアーリーステージの会社に対し、早い段階から厳選集中投資を行っています。資金の提供にとどまらず、世の中に必要とされる新事業をゼロから立ち上げて新たなビジネスを作る起業家に伴走し、必要に応じて経営面のサポートも行っています。

 また、再成長を目指す企業へのバイアウト投資も行い、企業の永続的な発展・拡大を支援しています。こうした多様なステージでの出資を通じて、投資先企業の成長を促し、その成果として得たリターンを次の成長企業に再投資する。そうした「成長の循環」を生み出すことで、当社の目的「挑戦への投資で、成長への循環をつくりだす」に挑戦し続けています。

―リターンを得るために厳選集中投資するのは分かりますが、なぜ成長支援までするのですか。

 投資は、「お金を出して終わり」ではありません。投資先の事業が成功するためには、できうる支援を全て行います。特にディープテックスタートアップでは、優れた技術を事業化するために、ビジネスサイドの人材と技術者をどう組み合わせるかが重要です。そのためJAFCOでは、人的資源における人材採用や組織体制作り、セールス・マーケティングなどの営業支援、ガバナンスや内部統制などバックオフィスの管理体制構築の3つを支援できるよう、専門の部署を会社に置いています。

 創業初期はもちろん、場合によっては創業前から関わることもあります。イノベーションを起こす技術であっても、研究者だけでは、最初の入り口で事業の方向性を定めるのは難しいことがあります。経営者候補を探してきてチームを組成し、コア技術をどの市場に投入して勝負するかを一緒に考える。事業の方向性が決まれば営業する人も必要ですし、管理体制を整える必要があります。そうした一つひとつの支援を重ねながら、事業の立ち上げを支えています。

―それでもスタートアップは9割が失敗するといわれます。そもそもスタートアップに投資をする意義って何でしょう。

 「9割が失敗する」という見解には異論がありますが、確かに大成功するのが一握りであることは事実です。それでもディープテックであれば、日本の技術が世界に通用するポテンシャルがあると感じています。多くのスタートアップのように国内展開から隣国へ拡大していくようなやり方ではなく、最初からグローバル市場を見据えて展開し、その先で社会的課題を解決できれば、インパクトは非常に大きいものになります。

 突出した成功を挙げた企業が出れば、社数ベースでは成功する率は低くとも、投資を継続することができます。ディープテックは難易度が高く、開発に時間も資金もかかりますが、VCとしてあえて割が悪い投資をしている訳ではありません。チャレンジングではありますが、その分、成功した時の社会的価値やリターンも大きいです。挑戦的な分野であるからこそ、やりがいがあり、社会に貢献できる可能性が高いのです。

 私たちの仕事は、投資を通じて新しい事業や産業を生み出すことです。挑戦する様々な人に資金提供し、その成功確率を高める支援をしていく。VCの担当者というと、スタートアップ企業の経営会議で助言をするイメージを持たれがちですが、実際には、経営会議に参加するだけでなく、社員の方と同じように営業に回ったり、人材採用の面接に同席したりと、頭だけでなく、現場でも一緒に汗をかいています。

JAFCO産学・ライフサイエンス投資グループの三浦研吾・産学リーダーがこれまでに関わった主な投資先(JAFCOサイトより)
JAFCO産学・ライフサイエンス投資グループの三浦研吾・産学リーダーがこれまでに関わった主な投資先(JAFCOサイトより)

資源の少ない日本、研究技術シーズでグローバルに戦う

―大学発ベンチャーに対して、JAFCOは創業初期から「共同創業者」として関与し、事業開発・資金調達・チームビルディングなどを支援。これまでに146社以上の大学発ベンチャーに約332億円を出資していますね。

 日本は資源の少ない国です。今の経済規模になっているのは、技術でモノに付加価値を付ける事業の貢献が大きいです。現在、研究力の低下が指摘されることもありますが、過去の研究の成果である技術シーズをみても、まだまだグローバルで十分に戦うことができるものがあります。この強みを生かしたいと考えています。

 そもそも基礎研究費は、投資のようなもので、成果を社会実装して回収できなければ、新たな研究費へと循環していきません。私は新卒から10年以上ディープテック投資に携わってきましたが、研究成果を社会に還元し、次の研究へとつなげることが日本経済にとって重要だと感じています。大学発ベンチャーこそ、その要を担う存在だと思います。

―投資家の視点では、どういうディープテックスタートアップにどのように投資するのですか。

 一般のスタートアップ投資と判断基準に大きな差はありません。ただし、技術の評価が加わる点がディープテックへの投資で難しいところです。私たちはそれに加えて、研究者のスキルやポテンシャルといった「人」を見ます。さらに、「市場」にどんな商品・サービスを投入するかという観点や、事業の進め方である「戦略」を含め、技術と人、市場、戦略の4つがバランスをとりながら会社が成長できるかを重視しています。

 これら4つが最初からすべてそろっている企業はなかなかありません。人材を探して補強したり、新たなアイデアを取り入れたりすることで、事業が行き詰まるリスクをどの程度コントロールできるかを、これまでの経験から得た一定の仮説に基づいて判断しています。

 世界最先端の技術があってもディープテックの事業化がつまずきうる理由の一つとして、マーケット選定があります。大学発スタートアップでは、研究成果を起点に企業を立ち上げるため、技術を中心に会社を組み立てがちです。一方、世の中の課題解決を市場側から見ると、当該の最先端技術が必ずしも最良の選択肢とはならないことがあるのです。

―どういうことですか。

 たとえば製造機械を例に考えてみましょう。機械のスペックや性能が優れていても、価格が高すぎるため、多少性能が劣っても手頃な価格の製品が選ばれる業界もあれば、スペックや性能よりも安全性が優先される業界もあります。テクノロジーとマーケットをどうフィットさせるかが重要です。ライフサイエンス分野なら、開発する治療薬の対象疾患を、いまだに満たされていない医療ニーズや競合の開発動向などから検討し、選定します。ロボット分野であれば、ロボットを活用する領域の優先順位を、実際にサービスや製品を提供する企業のニーズを踏まえて決めていきます。

 事業の成功に明確な方程式はありませんが、多くの企業と関わってきた経験から、つまずきやすいポイントはある程度共通していると感じています。例えば、ディープテックは先端技術であるがゆえに、事業方針を定めにくく、一方でいったん決めた方針をITベンチャーのようにピボットすることは簡単ではありません。設備投資や開発、人材採用がある程度進んだタイミングで判断の間違いに気がついても、取り返しが付きません。だからこそ、できるだけ起業の早い段階から投資とともに支援をして、つまずきの芽を事前に摘んでいくことが重要です。そうしないと、成功確率は上がりません。

明確な社会課題に直結する技術は学問的にも理解しやすい

―ディープテックスタートアップ、特に大学発ベンチャーの場合、技術は優れていても事業化の経験が乏しいケースが多いと思います。一般的なスタートアップと比べて投資判断や支援のアプローチに違いはありますか。

 一般的なスタートアップであれば、売上や利益、その成長率といった数値で評価できますが、ディープテックスタートアップでは研究開発が想定通りに進まないことも多く、5年や10年利益が出ない場合も珍しくありません。そもそも「ディープテック」といっても、創薬や医療製品を扱うライフサイエンス領域から、ロボット、核融合、宇宙など多岐にわたります。そのため、投資判断や支援のあり方を一律に語るのは難しいです。

―ディープテックスタートアップにおいて、その分野の研究の最先端である科学技術を投資家はどのように理解するのですか。

 主に創薬を扱うライフサイエンス分野では、身近な社会課題に直結することや、弊社側にも製薬企業出身のキャピタリストが多いことから、技術の理解が比較的進みやすいです。一方、様々な分野があるディープテックで、全ての領域において研究者レベルで技術を理解して評価することは、正直なところ難しいです。ただし、技術の本質的な価値は理解しなければいけないので、専門であるかに関わらず、私たちは論文や技術資料を読み込み、なぜその技術がブレークスルーを生んだのか、社会にどのような形で実装できるのかを見極めます。

 アカデミアで「良い技術」と評価されるものが、必ずしも「社会で役立つ技術」になるとは限りません。しかし、人の健康など社会課題が明確な領域では、良い技術がそのまま社会に貢献する可能性が高いと感じています。そうした技術は、学問的にも本質がシンプルで理解しやすいことが多い。私たちは、アカデミアと社会の橋渡し役として、研究成果を社会実装できる形に翻訳し、事業化を後押ししています。

区切りを付けて投資を引き継いでいくことも大切

―老後資金を増やすために投資をしている私としては、予定した期間で目一杯リターンをもらいたいです。

 ファンドには通常10年ほどの運用期間があり、その間に出資者へリターンをお返しする必要があります。ただ、ディープテックスタートアップの場合、計画を立てていても研究開発に想定以上の時間がかかることも珍しくありません。そのため、たとえ今後大きな成果が見込まれる場合でも、投資に一区切りをつけてリターンを確定し、その成果を次の投資へと引き継ぐ判断をすることもあります。

 ひとつの案件で最大の結果を出すことも重要ですが、投資を継続し、挑戦の流れを止めないことも同じくらい大切です。あくまでもスタートアップが主役で、JAFCOは、スタートアップが自走できるまでの一定期間、伴走していくのが役目です。投資先にとって上場は一つの通過点です。

―小粒上場や投資を回収したい期間と実際の開発期間の不一致など様々な課題がディープテックスタートアップ界隈にはありますよね。

 はい。東京証券取引所は4月に、2030年以降、上場5年経過後に時価総額が100億円に達しない企業は上場廃止とするという上場維持基準の見直し案を出しています。他方で、レイター期の資金調達では、未公開株(プライベートエクイティ)の取引をおこなうセカンダリー(2次流通)市場への金融機関の参加が増えつつあります。課題感としては、ディープテックの成功事例がまだまだ限られていることが挙げられると思います。

 大きな成功事例を増やしていくためには、スタートアップの裾野を広げるとともに、「ディープテック・スタートアップ国際展開プログラム」(D-Global)のような、成功確率は低くても、成功した時のインパクトが大きい事業に絞り込み、集中的に支援することも重要だと考えています。

 スタートアップエコシステムをより強くするためには金融関係者や関係官庁の方々と連携し、リスクを取って挑戦を後押しし、挑戦が報われる環境を整えることが不可欠だと感じています。私たちもその一端を担い、挑戦する起業家、研究者の力になり続けたいと思います。

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【特集:荒波の先に見る大学像】第4回 化粧で気分も大学もアゲていく 地元を「メイク」する佐賀大学コスメティックサイエンス学環 https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20251117_e01/ Mon, 17 Nov 2025 06:34:43 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55570  「少子化の時代、これ以上、大学を増やすべきでない」という論調にあらがう県がある。人口10万人当たりの大学の数が全国で最も少ない佐賀県だ。県立大が2029年に新設されるほか、県内唯一の国立大学である佐賀大学に「コスメティックサイエンス学環」ができ、来年度には初めて学生を迎える。なぜ今、コスメティックサイエンスなのか、なぜ今、大学が必要なのか。佐賀県庁や佐賀大学の取材で見えてきたのは、「地方の生き残り」が大学の存在そのものと直結しているという現実だった。

佐賀県の「コスメティック構想」と、佐賀大学の新しい「コスメティックサイエンス学環」がタッグを組み、企業誘致に加え、雇用や研究を進めていく(2025年9月、佐賀市)
佐賀県の「コスメティック構想」と、佐賀大学の新しい「コスメティックサイエンス学環」がタッグを組み、企業誘致に加え、雇用や研究を進めていく(2025年9月、佐賀市)

「コスメ構想」で企業誘致

 人口78万人の佐賀県は、福岡県と長崎県に挟まれている。福岡市まで電車で30分、長崎市まで新幹線で1時間と、両県に通勤・通学する人も少なくない。とくに、アジアの玄関口である福岡とのアクセスの良さは、佐賀県にとって人口流出の「脅威」だ。

 県は2000年代に入り、県外からの企業進出や定住を進めるため、映画のロケ地誘致や県立九州シンクロトロン光研究センターの設置など数々の政策を打ち出してきた。その中の一つが、13年に始まった「コスメティック構想」。この構想の下、玄界灘に面する県北の唐津市にコスメティック関連企業を集め、その他の地域でも工場や企業の誘致を支援した。

コスメティック産業が集まった唐津市の一帯。日本三大松原の一つ、虹の松原に沿うように化粧品やヘアケア関連の企業や工場が並ぶ(佐賀県庁提供)
コスメティック産業が集まった唐津市の一帯。日本三大松原の一つ、虹の松原に沿うように化粧品やヘアケア関連の企業や工場が並ぶ(佐賀県庁提供)

 県ものづくり産業課・コスメティック産業推進室長の東(ひがし)泰史さんによると、コスメ業界は分業が進んでおり、1つの製品をとっても、原料や資材のメーカー・商社、OEM工場、梱包資材メーカー、販売ブランドなどそれぞれに企業が存在する。1社で完全に自社製品を作り上げるのは珍しく、「1社を誘致すると、他の関連会社も続いた」と振り返る。

 とりわけ、輸入される化粧品には安全検査などが必要で、成分分析の大手「ブルーム」が唐津市に進出したことで勢いがついた。同市は港が近く、通関業の許可を持つ地元企業もあり、輸出を視野に入れる化粧品関連企業にとっては好都合だった。県は、コスメティック構想を打ち出した後、17社の企業誘致に成功している(2025年11月現在)。

 さらに佐賀県は農業も盛んで、特産品の嬉野茶(うれしのちゃ)の茶の実を生かした化粧品など、新製品も開発できた。その際、老人ホームの協力で、高齢者が茶の実の殻むきをすることになった。茶の実を使うことで、耕作放棄地を生かすことができる上、高齢者にとっては手先を動かす軽作業の仕事ができるという効果もある。

大学少なく、人材供給に難

 一方、佐賀県は久光製薬の創業の地だ。同社の強みである貼付剤の技術を生かし、進出企業と協業で顔パックの販売を始めるなど、企業のコラボレーションが進んだ。

佐賀県の大学進学率は全国平均より低い。大学への期待感を語る東泰史さん(2025年9月、佐賀市の県庁)
佐賀県の大学進学率は全国平均より低い。大学への期待感を語る東泰史さん(2025年9月、佐賀市の県庁)

 このように企業が活性化すると、問題となるのは働き手の確保だ。研究・開発分野の人材を求める企業側と、県内の大学進学率や既存大学の専攻とでミスマッチが起きつつあった。東さんは「コスメ大国のフランスでは、シリコンバレーならぬコスメティックバレーがあり、人材の供給と働く場所が確保されている。それを佐賀県でもできないか、と思っていたところにでてきたのが、佐賀大学の『コスメティックサイエンス学環設置の構想』だった」と明かす。

 人材が供給できないと企業の撤退につながる。福岡県への女性の人材流出が多い中で、女性の活躍の場が多いコスメ産業分野は、この問題を解決できる可能性がある。

 「福岡に流出することなく佐賀に残り、地元を支える人材を育てる。大学が最初からたくさんあれば気が付かなかっただろうが、大学が少ないからこそ、大学の大切さが分かる。コスメ業界に限らずだが、新卒採用は大卒を優先する企業が多いので、『このご時世で作るのか』という批判があっても、大学が必要」。自身も大卒の東さんは、そう説く。

化粧品科学に冷ややかな声も

 佐賀大学にコスメティックサイエンス学環の構想があることがメディアで報じられると、「メイクは専門学校の領域」などという批判のコメントが見られたが、大学側は「想定内」だった。

 佐賀大学は国立大学法人制度が導入された2004年当初から、故・長谷川照学長(当時)が大学中長期ビジョンを掲げてきた。今でこそ当たり前のように国立・私立を問わずビジョンがあるが、当時、大学がビジョンを持つのは珍しく、その後の学長もビジョン策定を踏襲してきた。独立行政法人化後4人目の学長である兒玉(こだま)浩明さん(前学長、現・西九州大学長)は、着任した19年10月、新たなビジョンの内容を考えていた。

 ビジョンを決めるために学部長らと意見交換していた矢先、新型コロナウイルスが猛威をふるい、「それどころではなくなった」。感染が収まってきた頃に仕切り直しをした。他大学の取り組みも基に、文理融合、スマート○○、AIなどを話し合ってみたが、「地元の人はどのような人材を求めているのか。地域に求められる人材を育成しているのか」と考えれば考えるほど、教授陣は袋小路に陥った。

今年9月末の学長退任までのコスメティックサイエンス学環に関する出来事を振り返る兒玉浩明さん(2025年9月、佐賀市の佐賀大学)
今年9月末の学長退任までのコスメティックサイエンス学環に関する出来事を振り返る兒玉浩明さん(2025年9月、佐賀市の佐賀大学)

 そんな折、「県の取り組みにもつながる化粧品科学」という案が挙がった。「美容は専門学校のイメージ」という意見も出たが、「理工学部と農学部、医学部がある。化学と生物をベースに、皮膚科学の医学も学べるというのはどうか」と説明を受けた。「佐大がやらなくてもどこか別の大学がやるのでは」との一部の冷ややかな声をよそに、「芸術地域デザイン学部でパッケージデザインの勉強もできそうだ」などと気運が高まった。

 兒玉さんが主に理工学部生の進路を調べると、化粧品関連会社への就職希望が多かった。「これはいいかもしれない」と、ビジョンにするべく地元でヒアリングをしたところ、「会社を誘致しても研究力が弱い」という意見があった。「ならばコスメティックサイエンスでいこう」。兒玉さんの腹は決まった。

 学環の名称が国立大学では珍しいカタカナ表記であることに懸念の声もあった。しかし、学内教員は「ジャーナル名にもコスメティックサイエンスはある」「海外の大学ではコスメティックを冠にしている学部が多々ある」と譲らない。兒玉さんらが文部科学省との折衝を重ね、当初の案通り「コスメティックサイエンス学環」として、30人の定員で認可が下りた。今年8月のことだ。

オープンキャンパス大盛況

 今夏開いた同学環のオープンキャンパスには、北海道から沖縄まで、当日の飛び込みの参加者も含め、参加上限の560人に近い学生が詰めかけた。その多くが女子学生だった。保護者向け説明会も用意していた一部屋だけでは収容しきれず、急きょ別会場を新たに設けるほどの人気だった。同学環教授の長田(おさだ)聡史さん(生物有機化学)は「認可前に説明会を対面とオンライン併用で実施したときも、300人の定員はあっという間に埋まった」という。

 佐賀大学の志願倍率は九州の国立大学の中では高い方で、「さらに倍率が上がると、受験控えされる」という心配の声もある。また、現役志向が高まる中で、佐賀大学の受験生の大半は福岡県内の高校生が占める。そのため、「地元・佐賀県の高校生が受験してくれるのだろうか」という懸念はあるものの、課題研究指導に参画している県内のスーパーサイエンスハイスクールの生徒からも問い合わせがあり、長田さんは手応えを感じている。

現在、理工学部に所属し、来年度からコスメティックサイエンス学環で有機機器分析化学や生化学を教える長田聡史さん(2025年9月、佐賀市の佐賀大学)
現在、理工学部に所属し、来年度からコスメティックサイエンス学環で有機機器分析化学や生化学を教える長田聡史さん(2025年9月、佐賀市の佐賀大学)

 大学入学共通テスト実施前の12月までに合否が決まる「年内入試」を導入する大学も多いのに対し、同学環は一般選抜・特別選抜ともに大学入学共通テストを課し、一般選抜では理系科目の個別学力検査も課す。兒玉さんは「『こういうのを勉強したかったんです』という受験生の期待の言葉に沿えるようにしたいと思う一方で、レベルを落とさないようにしたい」と力を込める。

人材供給に県から熱視線

 佐賀大学のコスメティックサイエンス学環で、化粧品の成分分析や化学組成から生体への影響や広告まで、幅広い領域を学んだ人材が輩出すれば、県内の各化粧品メーカーに安定的に人材を供給できる。大学側としては、地元に必要とされる人材を送り出す、という国立大学の理念に沿った教育効果が見込める。県としては、これ以上の人材流出を防ぎ、専門性の高い人々が県内に残ってくれるという「願ったり叶ったり」だ。

 佐賀県はコンパクトな県だからこそ、産官学が密接な連携をしやすい。「何もなか(何もない)」と県民は自虐するが、東さんの言葉を借りると「たくさんあって気が付かない」という特産品も多い。佐賀のり、柑橘類、いちご、日本酒はそのまま楽しむこともできるが、化粧品への応用もなされている。佐賀大と佐賀県の事例は、地方創生、自治体の在り方に一石を投じるとともに、「これ以上、地方に大学は不要」という論調に異を唱えることになりそうだ。

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【特集:荒波の先に見る大学像】第3回 人々の生活から宇宙まで―時代のニーズに応える、千葉大学園芸学部長 百原新さん https://scienceportal.jst.go.jp/explore/interview/20251114_e01/ Fri, 14 Nov 2025 05:38:32 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55554  戦時中の食糧危機から高度経済成長期の公害問題、さらに昨今は気候変動や食料安全保障まで、時代の移ろいとともに社会にはさまざまな課題が浮上する。そうした課題に対し、116年もの長きにわたり「園芸学」で応えてきた千葉大学園芸学部。農学部でも環境学部でもない日本で唯一の学部として、今日も存在感を放っている。社会と「人」の問題に寄り添い続けた100年間とこれからの戦略を、副学長(研究・産学連携担当)で学部長の百原新さんに伺った。

園芸学部のみが置かれる松戸キャンパスのシンボル「フランス式庭園」を背にした百原さん(2025年8月)
園芸学部のみが置かれる松戸キャンパスのシンボル「フランス式庭園」を背にした百原さん(2025年8月)

都市園芸に強み、景観や農業分野にも

―園芸学部の特色や今までのあゆみを教えてください。

 1909年(明治42年)に千葉県立園芸専門学校として創立されたのが起源です。大正時代に入ったのち千葉県立高等園芸学校に改称され、そのタイミングで現在のキャンパスができました。

食糧増産を求められていた時代に一時「農業」の看板を掲げるも、伝統の園芸学を承継。時代のニーズを汲み取りながら研究を積み重ねてきた(千葉大学ホームページ・学部案内冊子から作表)
食糧増産を求められていた時代に一時「農業」の看板を掲げるも、伝統の園芸学を承継。時代のニーズを汲み取りながら研究を積み重ねてきた(千葉大学ホームページ・学部案内冊子から作表)

 シンボルともいえるフランス式、イタリア式の西洋庭園は、当時から教員と学生の手で整えられてきたそうです。本学で園芸やランドスケープ(景観)に関する実践的な知識・技術を培った学生たちは、全国の都市公園や緑地の整備に携わりました。

 また農業分野の技術も学べるのが特徴です。東京から近いこともあって、都市部でニーズの高い都市園芸に強みを持つのも1つの売りとなり、国立大学唯一の園芸学部として現在まで歴史を重ねています。

現在も学部やキャンパスのシンボルとして整えられているフランス式庭園(千葉大学提供)
現在も学部やキャンパスのシンボルとして整えられているフランス式庭園(千葉大学提供)

―卒業生はどのような道に進む方が多いのですか。

 まずは公務員ですね。国から地方自治体まで、都市計画などの部門で活躍しています。民間だと種苗関係や造園業、食品関連の企業ですね。ほかにも農業試験場で活躍している人や農業を営んでいる人もいます。面白い方だと、植物図鑑を作った人なども。

―人材育成の一環として、学部生の卒業要件に海外留学を加えたそうですね。

 2020年度から全学で「全員留学」制度を導入しています。世界基準の幅広い知見と多面的な視点で物事を探求できるようになってもらうことが狙いです。

 制度がスタートした時期は新型コロナウイルス感染症の影響でオンライン留学にせざるを得ない学生も多く、最近ようやく現地留学できる状況になりました。まだ制度化から数年なので成果が分かるのもこれからかと思いますが、先日留学先で学生全員がお腹を壊してしまったんです。日本で生活していると便利で衛生的な環境が当たり前ですが、現地の生活をより知ることができたという意味では大事な経験だと感じています。

「外国語を学ぶ意欲も高まっている」と留学制度の手応えを語る百原さん
「外国語を学ぶ意欲も高まっている」と留学制度の手応えを語る百原さん

人の領域に踏み込んだ研究、現場で解決に取り組む

―100年続く学部の価値はどこにあるとお感じですか。

 環境や農業をめぐる課題の解決に、現場で取り組んできた実績が大きいと思います。農家さんと緊密な関係を持っていることや、地域に根付いた活動をしているのも特徴かもしれません。まちづくりなどの地域課題にも、学生参加型の実習で取り組んでいます。

―課題解決に重きを置いているのですね。

 「身近な生活」に深く関わっている学部だと思います。たとえば「環境健康学」が専門の岩崎寛さん(園芸学研究院教授)は、植物を使うことでストレスの少ない空間の創出を目指しています。オフィスの快適性はもちろん、健康や福祉の面で植物がどのような効果をもたらすかなど、人の領域に踏み込んだ研究をしています。

 食や健康、公園や住居、コミュニティなどの生活空間で課題を見つけ、解決するための視点を持つこと。それが園芸学部共通のコアな部分かもしれません。

植物の療法的効果、医療福祉施設の緑化、緑による地域ケアの3つの柱で人と園芸療法に係る研究を行う岩崎さん。豆をテーマにした出前講座は地域ケアの一環(岩崎さん提供)
植物の療法的効果、医療福祉施設の緑化、緑による地域ケアの3つの柱で人と園芸療法に係る研究を行う岩崎さん。豆をテーマにした出前講座は地域ケアの一環(岩崎さん提供)

―昨今は「食の安全保障」が話題になっています。

 「高機能な作物をいかに多く作るか」だけでなく、人手の問題から流通、経済までシステム全体を総合的に解決していかなくてはなりません。昨年から続くコメ価格高騰も、結局はシステムの過程で時間とコストがかかっているのが課題なんですよね。広い視野で解決していく必要があると思っています。

―システム全体の課題に対し、園芸学部はどのような貢献ができるとお考えですか。

 今の日本では、外国人労働者に農業を担ってもらう場面もあり、農村で外国人を含めたコミュニティをどう作っていくかが重要になっています。そうした農村の問題について、食料資源学科では農業経済学や社会学の観点を、緑地環境学科ではコミュニティにおける課題解決の観点をそれぞれ生かしながら、総合的な提案ができると考えています。

気候変動と人口減少が重点テーマだと語った百原さん
気候変動と人口減少が重点テーマだと語った百原さん

「文理融合」と「教教分離」、子会社も設立

―100年を超える歴史の中で役割の変化はありましたか。

 1960年代、高度経済成長期に公害問題が注目され、当学部にも環境緑地学科ができました。環境の仕組みを解明し、環境保全・管理に関する理論や技術を学び、それらを具体的な空間領域に応用するための計画・実践方法を確立しようとしている学科です。それまで別に扱われていた環境系・園芸系が一緒になったのを機に、以降も学際的な改組・改変を繰り返して現在の形があります。

 そういった経緯もあり、園芸学部の大きな特徴には「文理融合」があります。つまり社会学と理学・農学を融合させて、いかにして人の生活を快適なものにしていくかが目標になっています。

―時代の要請に合わせて、幅広い知見を融合させているのですね。

 特にここ5年ほどですが、「教教分離」(学生が所属する教育組織と、教員が所属する教員組織を分ける)の方針で組織を改編しました。教育は従来の4学科制を採る一方で、研究組織は分野横断型の5講座制に移行させ、多くの学際プロジェクトが行われています。

研究組織(園芸学研究院)の単位である講座は、教育組織(園芸学部・園芸学研究科)のさまざまな領域を横断して教員が配置されている(千葉大学園芸学部ホームページより)
研究組織(園芸学研究院)の単位である講座は、教育組織(園芸学部・園芸学研究科)のさまざまな領域を横断して教員が配置されている(千葉大学園芸学部ホームページより)

―近年は時代の変化が速いように思いますが、どんな手立てを講じる考えですか。

 需要の中で技術は発展していくわけですが、新しいものだけが重要とは思っていません。今ある技術も応用が利くので、それを企業などにどうアピールするかも大事だと思っています。そうした協力体制が整えられればスピーディーな対応ができるのではないでしょうか。

 企業との橋渡しを支える仕組みもさまざまなものがあります。全学組織の学術研究・イノベーション推進機構(IMO)に加え、4月には意思決定のスピード感を上げるため大学の100%子会社として「千葉大学コネクト」が設立されました。さらには連綿と続く同窓会組織も、各業界に広がるOB・OGとのマッチングを支援してくれています。

宇宙園芸で「どこでも栽培」を可能に

―園芸学部の新たな取り組みとして「宇宙園芸」が出てきていますが、どのようなことを研究しているのでしょうか。

 園芸学部でもともと培われていた温室から植物工場、施設園芸における技術の究極形が「宇宙園芸」です。つまり宇宙などの「資源が少ない中、コンパクトなスペースで食糧生産をする」という技術になります。逆を言えば、この技術を応用すれば地球上のどのような環境でも栽培が可能になるので、技術が確立されれば国際的な発展にもつながると思います。

3軸方向に常時回転させることで無重力環境を再現し、宇宙空間で植物がどのように根を張り実を付けるのかを実験する装置。育てていたのは千葉らしく落花生だった
3軸方向に常時回転させることで無重力環境を再現し、宇宙空間で植物がどのように根を張り実を付けるのかを実験する装置。育てていたのは千葉らしく落花生だった

―宇宙園芸が既存技術の応用というのは新たな視点でした。

 培われた技術は他でも応用できます。たとえば植物工場ではコンパクトな植物を作らないといけませんが、ブドウを作るために、既存のブドウ棚では大きすぎます。だから今では、植木鉢サイズのポットで作れるようにしているんです。それが可能になれば多品種のブドウが一度に作れますし、環境を調整することで色々な味のワインも作れます。同じようなことが、今後さまざまな作物で進むのではないでしょうか。

―宇宙園芸によって、園芸のすごさや難しさが伝えられると感じました。

 いえ、難しさではなく「簡単に作れる」を売りにしたいんです。条件さえそろえれば誰でもできるという方向性にしたい。コストを下げられれば、ビジネスにつながって、いろんな人に関わってもらえます。

 果物の品種改良をするにも、今までは数十年かかる作業でした。でもデータサイエンスや遺伝子工学の延長の技術を使って、芽が出た段階で遺伝子の組成を調べて、おいしいものだけを選んで育てることも可能になりつつあります。手間も技術も必要だったものが、新しい技術によってシンプルにできてしまう。そのような農業を目指していく方向性が重要なのではないでしょうか。

 こうして担い手不足の解消や質の向上につながれば、農業の魅力が高まって裾野が広がります。さらには気候変動による環境変化で収量が下がっている作物なども、再び作れるようになるかもしれません。

宇宙園芸研究センター長の髙橋秀幸さん(左)と同特任教授の日出間純さんは「未解明の植物のメカニズムが宇宙園芸の研究を通じて明らかにできるかもしれない」と期待している
宇宙園芸研究センター長の髙橋秀幸さん(左)と同特任教授の日出間純さんは「未解明の植物のメカニズムが宇宙園芸の研究を通じて明らかにできるかもしれない」と期待している

植物の力は未知数、どれだけ引き出せるか

―千葉大学は文部科学省のJ-PEAKS(地域中核・特色ある研究大学強化促進事業)に採択されていますが、園芸学部はどのように関わるのでしょうか。

 後藤英司さん(園芸学研究院教授)などが、機能性食品や薬用食物、特にワクチン米の開発に関与しています。園芸学部では以前から、光・栄養などを制御することで作物が持つ機能性を高めるための研究を行ってきました。今はその応用として、遺伝子操作によってワクチン米の研究が行われています。こうした医学部と連携した研究などは、J-PEAKSへの採択により加速されるのではないでしょうか。

コレラなどによる下痢症への有効性が期待されているワクチン米(ムコライス)。インフルエンザウイルスへの対応に向けた研究も進めている(千葉大学提供)
コレラなどによる下痢症への有効性が期待されているワクチン米(ムコライス)。インフルエンザウイルスへの対応に向けた研究も進めている(千葉大学提供)

―最後に、千葉大学園芸学部の面白いところを教えてください。

 やはり植物の可能性をどれだけ引き出せるか。植物が持つ潜在的な力はいまだわかっていません。わかっていないから、まだまだチャレンジできるんですよね。宇宙に植物を持って行ったときには、また違う力が引き出せると思っています。

 植物の底力は、研究すればするほど明らかになってきます。それが植物の魅力や面白さです。生命進化の歴史の中で植物が誕生し、それが多様にあり、生態系となっています。そういった植物の魅力を発掘し、生かしていくことができるのが、この園芸学部だと思います。

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【特集:荒波の先に見る大学像】第2回 「Give」から業界の変革を目指す―冬の時代を越えて、信州大学繊維学部長 村上泰さん https://scienceportal.jst.go.jp/explore/interview/20251111_e01/ Tue, 11 Nov 2025 05:56:12 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55522  明治時代に外貨獲得の手段として日本の近代化を支えた蚕糸業。その輸出量が世界一となった翌年の1910年、信州の地で一つの専門学校が産声を上げた。それから115年。繊維業の主役はカイコから化学へと置き換わり、産業構造も大きく変化する中、難局を乗り越え、旧制の専門学校から姿を変えて歴史を紡いできたのが信州大学繊維学部だ。日本唯一の学部は、なぜ今なお存続できているのだろうか。そのカギを探りに副学長(研究担当)で学部長の村上泰さんを訪ねると、業界と密な関係を築く独自の戦略が見えてきた。

前身の旧上田蚕糸専門学校時代に建てられた講堂前に立つ村上さん。講堂は国の登録有形文化財に指定されている
前身の旧上田蚕糸専門学校時代に建てられた講堂前に立つ村上さん。講堂は国の登録有形文化財に指定されている

蚕糸業界のリーダー育成から始まった「繊維×異分野」

―「繊維学部」は日本の大学で唯一です。どんな特徴があるのですか。

 一般の方は繊維と聞くと、服などの衣類を思い浮かべるかもしれませんね。しかし実は自動車や航空機の部品、浄水器フィルターなど身近にある多様な製品に繊維技術が使われています。今や繊維は、建築、電子、機械などさまざまな産業で使われる要素技術の一つなのです。

 本学部一番の特徴は「繊維×異分野」です。「先進繊維・感性工学科」「機械・ロボット学科」「化学・材料学科」「応用生物科学科」の4学科があり、農学、理学、工学、医学などを横断して、材料や機械、ロボットなどの先端的な技術と繊維を組み合わせた教育と研究を展開しています。

長野県上田市の信州大学上田キャンパスには繊維学部のみが置かれ、教職員約200人、学生約1500人が在籍する。女子学生比率約30%、大学院進学率70%超は学部の特色の一つ
長野県上田市の信州大学上田キャンパスには繊維学部のみが置かれ、教職員約200人、学生約1500人が在籍する。女子学生比率約30%、大学院進学率70%超は学部の特色の一つ

―100年以上に及ぶ歴史の歩みを教えてください。

 1910年の上田蚕糸専門学校の設立に始まります。当時、最大の輸出産業であった蚕糸業の人材育成拠点として上田の地が選ばれたのは、長野県内や隣の群馬県に製糸場があったことに加え、「蚕種(さんしゅ)」の製造が盛んだったからでしょう。記録があまり残っていないのですが、蚕種を全国各地に出荷していたこともあって、蚕糸業界のリーダーがこの学校で多く育ちました。

蚕種とはカイコの卵のこと。台紙の和紙に卵を産ませた「蚕卵紙(さんらんし)」が欧州へ多く出荷されていた。写真は明治初期に信州上田塩尻村(現在の上田市の一部)でつくられたもの(農林水産省提供)
蚕種とはカイコの卵のこと。台紙の和紙に卵を産ませた「蚕卵紙(さんらんし)」が欧州へ多く出荷されていた。写真は明治初期に信州上田塩尻村(現在の上田市の一部)でつくられたもの(農林水産省提供)

貿易摩擦にオイルショック…長い冬の時代を越えて生まれた特色

―蚕糸から現在の繊維全般まで対象が広がったきっかけは。

 1930年代に米デュポンが「ナイロン」を発明したことです。これはインパクトが大きかった。一気に化学繊維の時代が訪れます。上田蚕糸専門学校も1940年に日本で初めて化学繊維の専門学科を設置しました。京都大学より1年、京都工芸繊維大学より2年早い開設です。

1930年代頃の上田蚕糸専門学校の様子(信州大学提供)
1930年代頃の上田蚕糸専門学校の様子(信州大学提供)

 そして1949年に信州大学が発足。長野県内にあった複数の高等教育機関を包括するような形で誕生したのですが、上田繊維専門学校はその伝統の長さから信州大に加わるのをためらうところもあったようです。ただ、最終的には「繊維学部」として合流しました。

 戦後復興期、日本の化学繊維は輸出が拡大して国を支える一大産業に発展していました。当時の繊維学部も活気があったようです。ただ1970年代になると、日米貿易摩擦で繊維の輸出制限が厳しくなってしまったんです。オイルショックが重なったこともあって、そこから繊維業界には長い冬の時代が訪れました。本学部も存続の危機に直面し、「お取りつぶし」が本格的に検討された時期もあったようです。

―村上さんも冬の時代を経験された一人なのですか。

 私が着任したのは、冬の時代真っ只中の1993年でした。研究資金が乏しく機材は旧式。重さを測るときは電子式の計量器ではなく、重りを使ったてんびん式でした。学生の実習はその使い方を学ぶところから始まっていたんです。もちろん高分解能電子顕微鏡もありません。使いたいときは松本キャンパスにある医学部までわざわざ行っていましたね。

 しかしその後、大転換が起きました。文部科学省が卓越した研究拠点の形成を目的に実施した「COE形成基礎研究費」に地方大学として初めて採択されたのです。

 当時のリーダー白井汪芳(ひろふさ)学部長(当時、現名誉教授)は、教員たちに「繊維に関わる研究なら予算を出す」と方針を掲げ、選択と集中により底上げを図ることを重視しました。すると、繊維と自身の専門分野を掛け合わせた新たな研究が次々に立ち上がって、今日まで続く「繊維×異分野」の特色が生まれたのです。この頃の研究の多くは成果を上げ、その後もコンセプトを踏襲した構想がさまざまな支援事業に採択されることになりました。

 そうした中で先進ファイバー(繊維)技術の研究拠点として最新設備の導入が実現し、産業界との連携もこの時期から加速しました。顕著な成果の1つが、地域における産学連携等を推進する文部科学省の「知的クラスター創成事業」において、谷口彬雄先生(現名誉教授)が手掛けた有機ELの研究です。保土谷化学工業との共同研究により、消費電力が従来比70%減の有機EL材料を開発するなどの成果が生まれました。こうした成果が認められ、平成17(2005)年度の第4回産学官連携功労者表彰では私たちの長野・上田スマートデバイスクラスターが文部科学大臣賞を受賞しています。

学部の歴史を振り返る中で「幾度もの難局と大転換があった」と語る村上さん
学部の歴史を振り返る中で「幾度もの難局と大転換があった」と語る村上さん

メリットを提供し求められる存在に

―産業界とのつながりの強さは現在も学部の特色ですね。

 私たちの大きな特徴の一つは、名称から重点分野が明確であるという点でしょう。工学部や農学部で「繊維分野に力を入れる」と言ったら反対があるかもしれませんが、繊維学部では反対する人はいません。国もその役割を本学部に期待してくれていると思います。ただし日本で唯一の学部としての使命があるので、もし繊維業界から「何もしてくれない」と思われたら、その時点で存在価値を失います。

 企業との連携は簡単なものではありません。共同研究を持ちかけても、彼らにメリットがなければ絶対にやりません。では、どうすればいいのか。例えば、産学連携施設「ファイバーイノベーション・インキュベーター施設(Fii)」には先端的な評価装置や試作装置を意図的にそろえているのですが、これは企業の方たちが性能試験や試作品製作をやりやすくするためです。この施設の研究室に入れば、高価な装置を使って少量の試作や性能テストなどが容易にできますし、共同研究にもスムーズに進むことができます。

 このような連携支援の枠組みを生かし、例えば優れた耐火・耐熱性能をもつ防護服素材を、消防庁との共同研究などを通じて開発しています。最近では環境問題となっている繊維材料のリサイクルにも取り組んでいて、HKRITA(香港)、H&M財団(スウェーデン)、愛媛大学との連携によりポリエステルと綿を分離して再利用する技術の実現などの成果もFiiから生まれました。さまざまな工夫によって大学と企業の双方が利益を得られる仕組みをつくり、繊維業界から求められる存在になろうとしているわけです。

産学連携施設のFiiでは企業側のメリットを明示することで多くの共同研究が実現している。現在50室全てが埋まっているそうだ(信州大学提供)
産学連携施設のFiiでは企業側のメリットを明示することで多くの共同研究が実現している。現在50室全てが埋まっているそうだ(信州大学提供)

業界の知見と人材拠点に、発想転換のタネは学部にある

―日本の繊維業界における課題は何ですか。

 今の繊維業は技術だけで利益を得るのは難しいです。日本の企業は繊維に高い機能性を付加しようとしますが、グローバルマーケットではあまり評価されません。中国やインド企業が大量生産する安価なものが、どうしても好まれるんです。

 安定的に利益を生むには、製品化から販売までのサプライチェーン全体を押さえることが必要です。本学部ではサプライチェーン自体の研究にも取り組んでいて、繊維関連の企業で実務を担う方を特任教授として積極的に迎え入れています。給料は払えないのですが、本学部の教員や他の特任教授たちと研究して得た知見は、企業に戻ったときに生かされるはずです。そうなれば、繊維のサプライチェーンを日本主導で構築することにつながります。

 こうした発想の転換が必要であり、そのタネこそ本学部にあるものです。それを日本の企業、特に地域産業の中核を担う中堅・中小企業に提供したい。本学部は海外大学とも盛んに連携しているので、今後は海外の大学を通して国内外の企業を有益に結び付けることも計画しています。

―業界を外から変えていくような存在になろうとしているんですね。

 そうですね。本学部が繊維業界の知見と人材が集まる拠点になれば、企業はますます人を出してくれるようになるでしょうし、本学部の研究力も高めることができます。そうなるためには、まずは大学側から企業に「Give」することが重要だと思っています。そして、企業が元気になった暁には大学に返してもらう―そんな良い循環を作りたいですね。

 この循環が実現すれば、学生の集め方も変わるかもしれません。繊維業の企業が地元の若者を集めて本学部に送ってもらい、ここでしっかり育てて企業にお返しするという「里帰り」の仕組みも作ることができるかもしれない。これからの地方大学は、教育・研究のための資源をいろいろな方法で集める必要があります。本学部のファンになってくれる繊維業の企業をたくさん作ることが大切だと思っています。

キャンパスから仰ぎ見る東信のシンボル「浅間山」。県内の他地域から入学する学生も多く約9割が一人暮らしをしているそうで「自立心の強い学生が多い」と村上さん
キャンパスから仰ぎ見る東信のシンボル「浅間山」。県内の他地域から入学する学生も多く約9割が一人暮らしをしているそうで「自立心の強い学生が多い」と村上さん

「繊維学部」で良かったと思える発展を

―これからますます不透明な時代がやってきます。繊維学部は何を目指しますか。

 私が着任した冬の時代には「学部名から『繊維』を外せ」という声もありました。しかし今は、多くの関係者が「繊維学部で存続したほうがいい」と考えています。むしろ「繊維学部という名前で良かった」と思えるような発展を遂げなければ、やがて消滅してしまうでしょう。

 業界とのつながりを重視するのも、本学部が困難に直面したときに支え合える関係を築くためです。業界を応援し元気にしておくことが、いざというときの自分たちの支えになります。政策を作る官の人も巻き込み、関連産業、特に地域に根ざした中堅・中小企業を活性化することで、地方大学も生き残る。そのモデルの一つを本学部が作ることができれば、他にも展開できます。これからも独自色を出し続け、挑戦し続けます。それが本学部の宿命なのです。

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基礎科学は人類の進歩につながる「赤ん坊」―未来の科学技術を生み育てる投資を(本間希樹/国立天文台教授・水沢VLBI観測所所長) https://scienceportal.jst.go.jp/explore/opinion/20251110_e01/ Mon, 10 Nov 2025 05:03:37 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55498  私は国立天文台に所属する天文学者で、水沢VLBI観測所(岩手県奥州市)の所長を務めつつ、国内外の電波望遠鏡のネットワークを使って銀河系の構造やブラックホールを研究している。天文学は純粋な好奇心に基づく基礎科学であり、私も含めて多くの研究者は自分自身の好奇心から研究を進めている。たとえ銀河系やブラックホールについて理解が深まったとしても、それが直ちに人類に経済的な利益をもたらすわけではなく、ほとんどの研究者はそのような短期的な利益とは無縁な研究をしている。では、基礎科学の本質的な価値とはいったい何なのか。私なりの考えを述べたい。

本間希樹氏
本間希樹氏

純粋な好奇心こそ研究の原動力

 多くの人々は「宇宙」と聞くと、まずはロケットや人工衛星が飛んでいる地球近傍の宇宙空間を思い起こすだろう。そこで展開されている各種の宇宙技術は既に日常生活に深く浸透しており、それらなしでは現代社会が成立しないレベルに進歩している。例えば、携帯やカーナビでGPS衛星の信号を受信し、自分のいる位置を把握した経験のある人は多いはずである。また、天気予報で気象衛星「ひまわり」を見るのも日常生活の一部となっているし、衛星放送を視聴している人も多いだろう。

筆者が所長を務める国立天文台・水沢VLBI研究所のシンボルである20メートルアンテナ(右)。鹿児島県薩摩川内市、東京都小笠原村、沖縄県石垣市に設置された同型の20メートルアンテナと結んだ巨大な観測網を形成している(国立天文台提供)
筆者が所長を務める国立天文台・水沢VLBI研究所のシンボルである20メートルアンテナ(右)。鹿児島県薩摩川内市、東京都小笠原村、沖縄県石垣市に設置された同型の20メートルアンテナと結んだ巨大な観測網を形成している(国立天文台提供)

 これらの身近な宇宙技術と基礎科学としての天文学は、一見、無関係に思えるかもしれない。しかし、歴史をさかのぼれば、天文学が現代の宇宙技術に深く関係しており、人類の技術の発展に大きく寄与していることがわかる。例えば、飛行機を飛ばしたり、人工衛星を打ち上げたりするには「力学」という物理学の体系が必須である。そして力学は、コペルニクスやガリレオによる地動説の提唱と、ケプラーによる惑星の運行法則の導出、そしてニュートンによる万有引力の理論的体系化を経て構築された学問分野である。その起源は天文学にあるといってよい。

 力学の法則なしには現代科学の発展はありえないのだが、天文学の研究を通じてそれに寄与した過去の科学者たちは、いずれも自身の研究が何かの役に立つことを目指していたわけではない。私たち現代の天文学者と同様、「自然や宇宙の真理を明らかにしたい」という純粋な好奇心が原動力だったのである。科学技術の根幹を支える基礎科学を進めるのは、時代を問わず、未知なるものに対する知的好奇心に他ならない。この視点に立てば、今後の人類の進歩のためにも、即座に役立つか否かに関わらず、好奇心に基づく基礎科学研究を継続することが重要だと多くの人に理解していただけると思う。

筆者が参画する国際プロジェクト「イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT)」が世界で初めて撮影に成功したブラックホールシャドウ(EHT Collaboration提供)
筆者が参画する国際プロジェクト「イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT)」が世界で初めて撮影に成功したブラックホールシャドウ(EHT Collaboration提供)

予算削減とコスト増に苦悩する現場

 しかし現在、日本の基礎科学がおかれている状況は極めて厳しい。私が勤務する国立天文台でも、長期的な予算の削減や、ロシアのウクライナ侵攻に端を発する電力コストの増加、円安や物価高などの影響で、研究活動の維持が困難な財政状況にある。これは国立天文台に限ったことではなく、基礎研究を支える大学や他の研究機関でも同様である。実際、最近も国立大学協会が現状を危惧するメッセージを発信したり、東京大学などが学費を値上げしたりしている事実からも、研究現場の苦境を察することができる。

 もちろん私たち研究者も、手をこまねいているわけではない。私たちの観測所は2022年、研究支援のためにクラウドファンディングを実施し、1200人以上の支援者から計3000万円を超える寄付をいただいた。研究費を確保できたというだけではなく、私たちの研究に多くの人々が関心を持ってくれていることを改めて実感することができ、観測所の研究者にとって大きな励みとなった。

 また、私たちは企業と連携し、若手研究者の共同雇用や育成なども進めてきた。任期付きの研究者が多い若手層は、予算不足による悪影響を最も受けやすい。若手が継続的に研究できる環境の整備に努めた結果、企業に採用された研究者が企業の仕事をしながら天文学の研究を続けるという新たな例も出てくるようになった。

国立天文台水沢VLBI観測所が2022年に実施したクラウドファンディングのプロジェクトページ。目標金額の3倍もの支援が集まった。
国立天文台水沢VLBI観測所が2022年に実施したクラウドファンディングのプロジェクトページ。目標金額の3倍もの支援が集まった。

「手段の目的化」は研究力を先細りさせる

 ただし、こうした新たな挑戦は、当然ながら多くの試行錯誤と時間を要する。政府は大学や国立機関に対して独自の財源確保のための自助努力を求めているが、それが行き過ぎれば、資金調達そのものが目的化し、結果として研究のための時間がますます削られるという本末転倒な事態に陥りかねない。

 そのような事態は日本の基礎科学の未来にとってマイナスであり、日本の研究力を先細りさせるだろう。研究者が一定の研究時間と研究費を安定的に確保できる状況を確かなものとすることが、基礎科学の長期的な発展には必要なのである。

 特に近年、予算やポストの削減のせいで、若手研究者は不安定な任期付きポジションを長期的に続けざるを得ない状況にある。時間はかかるが夢のある大きな研究に挑戦できる環境がないようでは、優れた人材は研究の世界からどんどん離れていってしまう。私たちが取り組んだブラックホールの撮影も10年がかりの大型プロジェクトで、数多くの研究者たちが連携して進めてきたものである。しかし、短期雇用の若手研究者がこのような長期的な成果を目指すのは、現実的にますます難しくなっている。

本質突くファラデーの「名言」

 この状況を改善するには、「基礎科学は人類の長期的な進歩のために必要である」という歴史的な事実を私たちが改めて認識し、適切に資源を配分していくことが必要である。もちろん、医療や福祉など喫緊の国民的課題を差し置いて、基礎科学を優先するべきだなどと言うつもりはない。しかしながら、基礎科学にも適切に予算を投じることが、人類の未来への重要な投資であることを強く訴えたい。

 19世紀に電磁気学の基礎となる電磁誘導の法則を発見したマイケル・ファラデーは、「その法則はいったい何の役に立つのか?」と問われたとき、「生まれたばかりの赤ん坊が何の役に立つか、誰にわかるでしょうか?」と問い返したという。この言葉は基礎科学の本質を突いた名言である。

 実際、ファラデーの電磁誘導の法則が生まれなければ、私たちが電波技術の恩恵にあずかることはなく、世界中の人々がスマホを手にしながら生活する社会も到来していなかっただろう。すぐに役立つかどうかわからない「科学の赤ん坊」を今後も生み育て、人類の進歩につなげていくことを心より願う。

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出会い、語り、体験通じて未来を考える サイエンスアゴラ2025閉幕 https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20251027_e01/ Mon, 27 Oct 2025 08:32:39 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55419  あらゆる立場の人が体験や対話を通じ、科学技術と社会をつなぐ国内最大級のイベント「サイエンスアゴラ2025」(アゴラ)が25、26日の2日間にわたり開催された。顔を合わせ語り合い、自然や科学技術の魅力や課題に触れる多彩な130超の企画が東京・お台場の2会場に集結。にぎわいを通じて知的好奇心を高め、人類や地球の未来を考えるひとときとなった。

サイエンスアゴラ2025の「サイエンスショー」。今年も硬軟取り混ぜた多彩な企画に、会場が沸いた=25日、東京・お台場のテレコムセンタービル
サイエンスアゴラ2025の「サイエンスショー」。今年も硬軟取り混ぜた多彩な企画に、会場が沸いた=25日、東京・お台場のテレコムセンタービル

「トウガラシ」効かせたメニューぎっしり!?

 アゴラは科学技術振興機構(JST)が主催し、今年で20回の節目を迎えた。例年、お台場で開催したが、コロナ禍を受け2020~23年にはオンライン形式も導入した。昨年、完全実地開催が復活。今年もテレコムセンタービルをメイン会場に、日本科学未来館を加えて開催した。小雨が降ったものの会場はにぎわい、このイベントが定着していることをうかがわせた。

 会場では例年、楽しみの工夫が凝らされる。今年の来場者は、パンフレットや掲示に描かれたトウガラシのマークに気付いたことだろう。各企画の内容の難易度を1~3個のトウガラシのアイコンで示したものだ。全企画が老若男女を歓迎するとはいえ、来場者にはエンタメの延長のように科学を楽しみたい人もいれば、“ガチ勉”しに来た人もいただろう。限られた時間の中、あらかじめレベルの心積もりができたのではないか。

(左)テレコムセンタービル会場の入り口(右)企画の難易度を示す「トウガラシマーク」を付けた掲示
(左)テレコムセンタービル会場の入り口(右)企画の難易度を示す「トウガラシマーク」を付けた掲示

 今年も「キュレーション」により、ブースの配置などを分かりやすく整えた。キュレーションとは情報を集め、テーマに沿って編集しながら意味や価値を見いだす作業、といった意味。有識者10人からなる推進委員会が、多彩な企画を参加者の興味関心に応じて価値づけ、分類するキュレーションを進めた。「地球・生き物・私たち」「食・農業・健康」「街・空間・生活基盤」「研究・対話」「学び・体験・創造」の5つのジャンル分けをしており、トウガラシマークと相まって、来場者の過ごし方に影響を与えたことだろう。

「魅力伝えたい」中高生が活躍

 会期中は登壇者からアゴラの意義や、参加のコツに関する声が聞かれた。「科学と私たちが対話し、問いを見つける場だ」「“推し”の研究を見つけて応援してほしい」「疑問に思ったことは、出展者がタジタジになるくらい質問を」などと、来場者に呼びかけた。

活発な質疑応答や意見交換が続いた
活発な質疑応答や意見交換が続いた

 各種のセッションでは健康や医療、災害、生態系の課題や、AI(人工知能)との付き合い方、科学研究のあり方など多岐にわたるテーマで、発表や議論が活発に繰り広げられた。分野は自然科学のみならず人文・社会科学にもまたがった。ブースでは研究機関や学校、有志などの出展者により、実験や観察、ワークショップ、社会課題に関する意見交換といった企画が実現した。研究者や若者が手作りで趣向を凝らしたゲームに、子供たちの行列ができた。

 例年、中高生ら若者による出展も多いが、今年は特に活躍が目立った。会場に、中学や高校による出展ブースをまとめたエリアが設定された。25日の「見どころ紹介」では生徒が「遺伝のメカニズムに、中学生の時にほれた。楽しく学んでもらいたい」「オリジナルのゲームを通じ、恐竜の魅力をいろんな人に伝えたい」などと熱く呼びかけ、続いて開かれたサイエンスショーにも協力した。高校2年生の女子生徒は「想像していたよりも多くの人がブースに来てくれてうれしく、話し合うことでさらに興味が深まっている。出展している他校とも交流したい」と声を弾ませた。

 情報工学を学ぶ大学生は「さばき切れないほどのお客さんが来ている。しかも専門の異なる人が、われわれには気付き得ない要改善点を指摘してくれた。知識を深め、展示内容をブラッシュアップする機会になっている」と手応えを語った。

次世代が次世代を育てる。中高生が企画したゲームや実験が、子供たちの人気を集めた
次世代が次世代を育てる。中高生が企画したゲームや実験が、子供たちの人気を集めた

「嫌がった子供も今、楽しんでいる」

 会場で思いを自由に書き留める「Share Wall(シェアウォール)」には、驚いたことや感動したこと、不安に思っていることなどの多彩なコメントが寄せられた。「日常の当たり前が、万人にとっての当たり前ではないことに気付いた」「AIに負けたくない」などなど。イラスト入りのものもあり、思いを表現すること自体を楽しむという、アゴラの特質がここにも見られた。

(左)来場者の思いで埋め尽くされた「Share Wall」(右)仮想現実を活用した、大学生の力作のゲーム
(左)来場者の思いで埋め尽くされた「Share Wall」(右)仮想現実を活用した、大学生の力作のゲーム

 小学4年生の子供と来場した東京都大田区の会社員の男性(50代)は「各ブースの内容が一見分かりにくいものの、子供にとって、見るだけでなく遊び、触れながら理科や算数に興味を持てる内容が多い」と話した。品川区の会社役員の男性(40代)は「子供は行くのを嫌がったが、いろいろなものに触れてほしくて連れて来たら、今は楽しいと言っている。仮説を立てて考えるゲームでは、家族3人が違うことを考えて興味深かった」と充実を語った。一方で「話が長いと感じた。科学者として説明したい気持ちは分かるが、誰にも分かるよう要点や目的をまとめて話してほしい」と改善を望む声も聞かれた。

 今年はトウガラシマークが1個の企画が最も多く、多くの人に関心を持ってほしいとの狙いがうかがえた。お祭りのような会場に足を運び、他の研究者や来場者と言葉を交わし、時に手足も動かしながら深める知識や思考。それらには、ネット検索で瞬時に得られる情報とは異質の価値があるだろう。この2日間のどのトウガラシも、来場者の心に知的なスパイスとして長く効いていくはずだ。

(左)2つの会場。手前の日本科学未来館と左奥のテレコムセンタービルはごく近い(右)未来館では、遠隔地の医療を支援するトラックの展示も
(左)2つの会場。手前の日本科学未来館と左奥のテレコムセンタービルはごく近い(右)未来館では、遠隔地の医療を支援するトラックの展示も
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【特集:荒波の先に見る大学像】第1回 システムを改革し若手の活躍願う―研究力再興の旗手、東北大学総長 冨永悌二さん https://scienceportal.jst.go.jp/explore/interview/20251024_e01/ Fri, 24 Oct 2025 07:54:10 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55387  日本の研究力低下が叫ばれて久しい。世界大学ランキングでも、国内の主要大学が諸外国の後塵を拝す状況が長く続いている。研究力の低下は優秀な人材の流出にもつながり、やがては国力の低下すら招きかねない。少子化の逆風も吹く中で、大学に巻き返しの策はあるのか。「特集:荒波の先に見る大学像」の第1回は、国際卓越研究大学の認定第1号として研究力再興の旗手を託された東北大学の冨永悌二総長に伺った。

冨永悌二さん(東北大学総長)
冨永悌二さん(東北大学総長)

若手中心のPI1800人で研究力向上を目指す

―研究力低下の根本的な原因は何でしょうか。

 事務や教育にかかる負担の増加や技術職の不足など、研究環境の悪化による研究時間の低下が大きいと思います。日本の研究者が研究に費やせている時間は32%程度との調査結果がありました。学内でもかつては50%ほどあったのが、直近では約38%と減っている。3人合わせて、ようやく1人分です。この「1人分」あたりのトップ10%論文の被引用数を見てみると、日本はかなり低い。諸外国は論文のアウトプット数も多いことを考えると、やはり1人あたりの研究時間不足と、それを招いた研究環境の悪化が非常に大きいと思います。

日本の研究者が研究に費やす時間は減少の一途を辿っている(文部科学省「令和5年度『大学等におけるフルタイム換算データに関する調査』について(2025年1月公表)をもとに編集部作成)
日本の研究者が研究に費やす時間は減少の一途を辿っている(文部科学省「令和5年度『大学等におけるフルタイム換算データに関する調査』について(2025年1月公表)をもとに編集部作成)

―国際卓越研究大学のコンセプトは、その課題に取り組むものと読み取れます。

 環境を整えて世界中から優秀な研究者を呼ぶと公約に掲げています。さまざまな策がある中で1つ挙げるとすれば、若手の活躍を願うのが私たちの戦略です。

 従来の講座制は縦型の構造で、若手は教授の指導下に入らなければなりません。一方、海外には30代から研究主宰者(PI)として独立して研究を行う環境があります。100年間日本で培われたシステムにはもちろん良い面もありますよ。ただ、研究力を上げるために1800人規模のPI制を立ち上げ、優れた若手には独立した研究環境を与えたいのです。

PI制は国際卓越研究大学の認定を受けた体制強化の大きな目玉(東北大学提供)
PI制は国際卓越研究大学の認定を受けた体制強化の大きな目玉(東北大学提供)

 まずは各PIに基盤経費と研究費を与えます。必要であれば、研究支援人材も雇用できる形にします。もちろん研究スペースも与えて。これが基本戦略ですね。構造自体は学内で概ね同意を得られました。

若手PIの成果に経験あり、医療分野は研究を切り離す

―実現には困難も伴いそうです。

 「本当に若手が独立してやっていけるのか」という不安もあると思います。ですが、独立独歩で全てやれという話ではありません。教授からのメンタリング、グループで予算を取りに行くなどといったサポートも得ながら、若手には自身のアイデアでPIになってもらう構想です。

 東北大学では2013年に学際科学フロンティア研究所(学際研)という組織を作り、世界中から公募した若手50人にPIとして研究を主宰してもらう試みを既に始めていました。非常にアウトプットが出るんです。論文指標は、全国の大学教員平均よりもずっと上の値になりました。優秀でモチベーションのある若手に環境を与えると成果が出ることは、既に経験できていたのです。

2017年~2022年のトップ10%論文割合で13.8%と高い数字を残した学際科学フロンティア研究所。分野を限定せずに若手研究者を国際公募した結果、採用倍率は10倍以上に及んだという
2017年~2022年のトップ10%論文割合で13.8%と高い数字を残した学際科学フロンティア研究所。分野を限定せずに若手研究者を国際公募した結果、採用倍率は10倍以上に及んだという

―今回も学際研で得られたノウハウを生かすのですね。

 ただですね、既にその体制が取られている部局や、必ずしも馴染まないところもあります。例えば文系は、若手も含めて各々が独立して自分のテーマで研究していますので、既にPI制になっていると言えますよね。

 また、私の出身である医学部の場合、ある程度の経験が必要ですし、技術も伝承しなければなりません。臨床・教育・研究を同時並行するのは難しいという意味でも、PI制は必ずしも馴染まない。

―医療分野ではどのような手立てをしましたか。

 研究だけを切り離してPI制をとることにしました。医学イノベーション研究所(SiRIUS)を新たに設立し、臨床系の優れた若手で研究志向の強い方を5人選抜して、この4月から稼働しました。将来的には30〜50人規模にしたいと思っています。

 大学病院の国立病院との違いは何か。やはり研究開発のプラットフォームになることです。忙しさにかまけて研究をしないのは、大学病院のあるべき姿ではありません。背後にあるアカデミアの知見を生かして新しい医療や機器をつくる、新薬を開発する、スタートアップを創出する。そうしたプラットフォームになるための機能を強化すべきと考えて、SiRIUSをつくりました。PI制をベースに、医療分野のイノベーションへつなげて欲しいと願っています。

SiRIUSの設置は病院長時代の冨永さんの肝いりでもあったという
SiRIUSの設置は病院長時代の冨永さんの肝いりでもあったという

米研究者の受け入れは3月から始動、新体制も構築

―6月には米国などから500人の研究者を雇用するとの発表もありました。

 米国だけでなく、世界中から優れた方を招聘します。背景をお話しすると、私たちは昨年、国際卓越研究大学に認定されて以降、研究者の受け入れ体制をつくってきました。新設したヒューマンキャピタルマネジメント室(HCM室)が綿密に、人事戦略会議のもとかなりの数の研究者をリクルートおよび受け入れをしています。

改革の目玉の一つであるHCM室の体制図。室長は青木孝文プロボスト(理事・副学長)が務める(東北大学提供)
改革の目玉の一つであるHCM室の体制図。室長は青木孝文プロボスト(理事・副学長)が務める(東北大学提供)

 そうした中で米国の政権が1月に替わり、在米の研究者が窮状に陥る中で、国から支援金をもらう我々こそが受け皿になるべきだと考えたのです。

 そこで、国際卓越研究大学の制度や東北大学が求める人材について、米国で若手研究者を集めて説明会をやりました。3月に動き出して、5月19日から23日にかけてサンフランシスコとボストンで計5回です。

 トランプ大統領の政治姿勢などを考慮して、当初はこのことを公表せず慎重に動いていました。国は今でこそ積極的な研究者受け入れを表明していますが、我々は3月時点で動き始めていたんですよ。

―研究者のリクルートはどのように進めているのですか。

 実務はHCM室が担いますが、リクルート自体は部局単位です。認定前の昨年9月から私やプロボストがすべての部局を回り、各トップに国際卓越研究大学のプランや期待することを説明しました。その際、向こう20年間の成長戦略を作って欲しいと要請したんです。その戦略に基づいて、部局ごとの採用基準と採用数の目安を設けました。従って、米国の問題で注目を浴びる前から、受け入れ体制は既にできていたのです。

―研究者が大量に増えますが、どのようにサポートしていきますか。

 まずは5年間で400人の研究支援人材を雇用します。ある程度の専門性を持った方をリサーチアドミニストレーター(URA)などとして。

 あとは知財も重要です。我々も将来的には収入を上げていかなければなりません。ビジネスの目線で時代が読める方に来ていただきたいです。

 実は今、アドバイザーとして米ハーバード大学副学長のアイザック・コールバーグさんに来ていただいています。ボストンにイノベーションエコシステムを作った自負を持つ方で、我々にはビジネスパーソンが少ないと指摘されました。ハーバードのやり方を伺うと、知財の活用や企業との共創において、ビジネスパーソンがいかに重要かがわかります。骨の髄までビジネスのDNAで染まっている方を呼ばないと、大学の自己収入は上がらない。そういう専門性を持った人を、研究支援人材として雇用する必要があると痛切に感じました。

東北大学参与として助言を送っているコールバーグさん(後列左から3人目、東北大学提供)
東北大学参与として助言を送っているコールバーグさん(後列左から3人目、東北大学提供)

全学部が前向き、課題は給与格差

―業績の評価のあり方についての考えは。

 昨年の段階で、評価基準は文理を分けるべきだと考えました。理系はトップ10%論文や特許のようにわかりやすい指標があるのですが、文系は同じように測れません。各部局を回ったときも温度差がありました。国際卓越研究大学の実感が湧かないのもあるし、大学の収入が伸びても自分には関係ないと感じる部分はあると思います。そこで文系の部局から責任者の先生に集まっていただき、優れた研究者を評価する基準を決めました。

 文系学部にも少しずつ変化が起きてきたように感じます。ある学部では、これまで少なかった海外発信や教授の採用をやっていこうと。そういった変化が非常に嬉しいですね。今では全学部が前向きに考えてくれていると言って良いと思います。

―人事面での課題はありますか。

 リクルートは順調に進んでいますが、課題は海外との給与格差ですね。海外のスター研究者は年収1億円超が当たり前なんですよ。円安の影響も大きいです。

 課題への対応として、企業から得る知財収入の一部を知的貢献費として給料に上乗せする仕組みが全国の大学で取り入れられていますが、東北大学はこれを特に重視しています。今までは研究者の知識や経験を無償で提供してきましたが、成果を残した人に適切な対価が支払われないと、研究職を魅力に感じる若い人がいなくなるかもしれません。昔みたいに「好きなことをやっているのだからいいじゃないか」では済まされない。それなりの見返りがある形を、少しずつ考えていきたいですね。

震災を経て整った社会との共創マインド

―東日本大震災を経て、東北大学は世界の防災研究をリードする立場になりました。

 防災研究は他の大学でも行われていますが、災害科学国際研究所(IRIDeS)は防災を多面的に捉え、研究と実践を柱にしているところが特徴です。医学部による被災者の心理的ケアや、文系学部による災害の歴史研究や文化財保護などがそうですね。

 防災・減災に投じる額と、被災からの復興に必要な額を比較すると、前者への投資は圧倒的に経済効果が高い。こういったことを、もっと世界に広めていくべきだと思います。特に災害の多い東南アジアなどですね。防災教育にも力を入れていきたいです。

IRIDeSが主体的に関与して開催されている世界防災フォーラム(東北大学提供)
IRIDeSが主体的に関与して開催されている世界防災フォーラム(東北大学提供)

―認定により地域との関係は変化しますか。

 地域との共生は東北大学のDNAにあるんです。1907年の創設時は日露戦争直後で資金がなく、宮城県の自治体や民間の財閥から資金をいただきました。そういう意味で我々は、創設時から社会とともに歴史を築いてきた自負があります。

 そして震災を経験し、学内でどれだけ研究したとしても復興には貢献できない、自分たちから社会に出ていかなければならないと、大学の人間は皆わかったんです。ですので、産業を含めた地域との共創に対するマインドセットは、既に整っていると思います。

―今、具体的に取り組みたいことは。

 産学官金による共創の場として「サイエンスパーク」を整備しています。半導体、AI、バイオ、量子、マテリアルなど重要分野の研究拠点として、投資の呼び水となることを目論むものです。

大手ディベロッパーとのパートナーシップにより、青葉山新キャンパス内で整備が進むサイエンスパーク(東北大学提供)
大手ディベロッパーとのパートナーシップにより、青葉山新キャンパス内で整備が進むサイエンスパーク(東北大学提供)

 一方で東京との距離の近さを生かし、同じ経済圏として捉える考え方もあると思っています。これまでは仙台でのエコシステムづくりに取り組んできましたが、研究開発は仙台でやって、営業は東京でする。こんなやり方もあるんじゃないかと。

 ボストンはマサチューセッツ工科大学を核にエコシステムが構築されていますが、30年かかったそうです。東北にエコシステムを一朝一夕で作ることはできないので、やはり発想の転換は必要でしょう。情報・資金・人材が集まる東京のエコシステムに、我々も加わっていくことを検討しています。

スタートアップにDX―他大学との連携盛んに

―地方の衰退が叫ばれる中、これからの大学のあり方をどのように捉えていますか。

 東北地方の本学が国際卓越研究大学第1号に選ばれた意味合いを考えていきたいです。この先、地方の人口が急激に減って、学生数も減ったときにどんな戦略を描くのか。地方の大学は、将来を非常にシリアスに考えていると思いますよ。我々東北の大学も教育・研究の両面で連携しています。

 スタートアップ支援では、東北6県と新潟県の大学・高専22校がすべて入る形で「みちのくギャップファンド」を運営しています。

 大学のDX(デジタルトランスフォーメーション)化に関しても、東北大学を母体に約80の大学と約30の企業などから500人以上が連携する「大学DXアライアンス」が日本DX大賞2025で支援部門優秀賞を獲得しました。

2023の特別賞に続く受賞。大学間・産官学の枠組みを超えた共創的なDX推進体制が高く評価された(東北大学提供)
2023の特別賞に続く受賞。大学間・産官学の枠組みを超えた共創的なDX推進体制が高く評価された(東北大学提供)

 研究面では、学際研の取り組みを「学際融合グローバル研究者育成東北イニシアティブ(TI-FRIS)」として東北地域の国立7大学に横展開しました。各大学の優秀な若手を対象に合宿・セミナーなどの開催、国内・海外各1人によるダブルメンター制での研究支援など、連携して育成に取り組んでいます。

TI-FRISで連携する大学等と各々が持つ多彩な強み(東北大学提供)
TI-FRISで連携する大学等と各々が持つ多彩な強み(東北大学提供)

 他にも文部科学省の「地域中核・特色ある研究大学強化促進事業(J-PEAKS)」では、山形大学をはじめとする複数大学のプロジェクトに参画し、貢献を果たしています。

 このような貢献は、国際卓越研究大学の認定段階から考えていたことです。自校のみならず日本の大学を引っ張っていくよう求められていたので、皆でレベルアップしようと心得ながら取り組んでいます。

システム改革の先陣に

―日本の研究力向上の旗手として、決意をお聞かせください。

 国際卓越研究大学の認定第1号としての自負と責任があります。日本が置かれた状況で研究力を上げるには、研究や教育のシステムを再考し、ガバナンスや財務などの大学運営を見直す。そうした変化が世界との競争力を引き上げることにつながると思いますので、あらゆる面でのシステム改革は非常に重要だと考えています。ですから我々は、先陣を切って従来の国立大学にはない仕組みをつくっていきたいですね。

 この制度は、国も責任感を持って取り組んでいると思うんです。ですから国民が納得する結果を残さないと継続されないという危機感はありますよね。当然ですが責任重大です。

 ただ、今後第2号以降が認定されて複数校のグループになれば、東北大学の立ち位置もより鮮明になってくるのではないかと思っています。そうしたものも、今後考えていきたいですね。

「特集:荒波の先に見る大学像」は難局の時代を迎えた大学運営に焦点を当て、研究力向上を目指すさまざまな大学の特色ある取り組みを掲載します。

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「心の余白」を広げるために―テクノロジーでろう・難聴者と聴者の壁を乗り越える、本多達也さん https://scienceportal.jst.go.jp/explore/interview/20251023_e01/ Thu, 23 Oct 2025 07:21:59 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55360  私たちの周りには、人と人とを隔ててしまう見えない壁のようなものがある。例えば、耳が聞こえる人(聴者)の多くは、耳が聞こえない・聞こえにくい人(ろう・難聴者)と関わる機会がほとんどない。学校教育も別々に行われることが多い。しかしこのような壁も、少しの工夫やアイデアがあれば乗り越えられるかもしれない。

 富士通のソーシャル・イントラプレナー(社会課題を解決する社内起業家)である本多達也さんは、音を振動と光に変換する「Ontenna(オンテナ)」を発明。身体や感覚を拡張するテクノロジーを駆使し、これまで遠い存在だった人々が交じり合うことから生まれる新しい世界を創出しようとしている。

オンテナは背面のクリップで髪の毛など身体に身に着ける仕様のため、聴力に左右されず共通の情報を受け取ることができる
オンテナは背面のクリップで髪の毛など身体に身に着ける仕様のため、聴力に左右されず共通の情報を受け取ることができる

8割以上のろう学校で使用される「オンテナ」

―本多さんの代表的な発明品「Ontenna(オンテナ)」について教えてください。

 周囲の音を振動と光に変換することで、その音が持つリズムや特徴を感じ取るデバイスです。60~90デシベルの音を、256段階の振動と光の強さで伝えています。2019年7月にサービスを立ち上げ、同年8月から一般販売を始めました。

―具体的にどんな場面で活用されているのですか。

 全国の8割以上のろう学校で、聴覚障害のある子どもたちの発話訓練に使われています。音の大きさに合わせて振動しながら光を発するので、自分の声量や、自分の声が相手に届いているかが視覚的にわかるんですね。また、音楽のリズムを取るための練習でも活用されています。

オンテナを導入したろう学校では、児童生徒の発話練習での有効性に加え、先生の負担軽減にも役立ったという(富士通提供)
オンテナを導入したろう学校では、児童生徒の発話練習での有効性に加え、先生の負担軽減にも役立ったという(富士通提供)

 音を使ったパフォーマンス会場でも活用されています。例えばタップダンスのイベントでは、ろう・難聴者はその面白さを初めて感じ取ることができ、聴者は音を振動で感じるという新体験を楽しむことができました。オンテナは「拡張された感覚」をもたらすところがあって、誰にとっても楽しい体験を得ることが可能になるんです。障害を超えて会場に一体感が生まれました。

本多さんが働く富士通本店の所在地である川崎市をホームタウンとするJリーグ「川崎フロンターレ」の試合でもオンテナを試行した(富士通提供)
本多さんが働く富士通本店の所在地である川崎市をホームタウンとするJリーグ「川崎フロンターレ」の試合でもオンテナを試行した(富士通提供)

 今は海外展開も図っていて、来年から英国やドイツ、北米や南米でもオンテナを販売する予定です。ろう者の教育現場はもちろん、音楽や映像のイベントや舞台作品などのエンターテインメントの場でも利用されることを期待しています。

「音を共有したい」から始まった

―オンテナを開発したきっかけを教えてください。

 公立はこだて未来大学1年時の文化祭がきっかけでした。ろう者の方々を案内した際、初めて手話を間近で見たんです。そのときに「函館聴覚障がい者協会」の会長さんと一緒に温泉へ行くほど仲良くなり、手話を教えてもらうことになったんです。「手話って面白いな」と思うようになって、検定試験の受験、手話サークルの立ち上げ、手話ボランティア、ろう者の方たちとのNPO設立など、さまざまなことに取り組みましたね。

学生時代から手話を用いた活動に精力的に取り組んできた本多さん(ご本人提供)
学生時代から手話を用いた活動に精力的に取り組んできた本多さん(ご本人提供)

 ただ、ろう者の方とコミュニケーションが取れるようになった一方で、逆に音を共有できない瞬間をより強く意識するようにもなったんです。例えば、一緒に歩いていて横で犬が急にほえても、僕だけ驚いて隣のろう者の方は反応しない。大みそかにテレビを一緒に観ていても、紅白歌合戦を楽しめていない。それで「一緒に楽しむにはどうすればいいのかな」と考えるようになったんです。

―どのような経緯で今の形にたどり着いたのですか。

 オンテナの開発は、大学時代の研究テーマだった「情報デザイン」の一環としてろう者の方と一緒に取り組みました。2012年頃ですね。最初は、周りの音に反応して、その大きさに合わせてピカピカ光る棒のようなものを作りました。でも、ろう者の皆さんからは「目がチカチカして邪魔」と酷評されました。

 どうしようかと模索する中で、振動で伝える方法にたどり着いたんです。装着する場所もいろいろと試してみた結果、意外にも「髪の毛につけると良いぞ」とわかって。こうして音を共有できる装置を作ったら、意外にもろう者の方だけではなく、耳が聞こえる人にとっても楽しいものができ上がったんです。

社会的な幸せをどうデザインするか

―デンマークで共創デザインの勉強をされていたそうですね。

 去年まで「デンマークデザインセンター」という国営のデザインコンサルティングファームで働きながらデザインの勉強をしていました。そこで強く感じたのは、自分とは異なる存在を受け入れる「心の余白」がたくさんあるということです。デンマークにはろう学校がなく、聴者と同じクラスで学んでいることが特に印象的でした。

 私の職場の人たちも、普段はデンマーク語で話しているのに、私が輪に入ると自然と英語に変えてくれるんです。誰かが指示したわけでもなく、本当に自然に。そのとき「この国の人はお互いを包み込むような心の余白が多い」と感じたんですね。デンマークでは、このような社会的な幸せをどうやってデザインするかという観点が至るところにあるんです。感銘を受けた一方で、日本社会にはまだ分断が多いとも感じました。

デンマークの学校に表示されていた手話のサイン。街中や建築物など至るところに包摂性が感じられたという(富士通提供)
デンマークの学校に表示されていた手話のサイン。街中や建築物など至るところに包摂性が感じられたという(富士通提供)

音を視覚的に表現した「エキマトペ」

 それで帰国後、「どうすれば日本でも心の余白を広げられるのか」が、自分の大きなテーマの1つになったんです。日本にはもともと“おもてなし”の文化があり、相手の気持ちに寄り添う心があったはず。その良さをもっと発揮できる社会にしたいと思い、そのチャレンジの1つとして取り組んだのが「エキマトペ」です。

―エキマトペはどのような経緯で開発されたのですか。

 オンテナの製品化にあたって、ろう学校の先生や子どもたちに協力してもらったのですが、そのときに電車を使って通学する生徒が多いと知ったんです。そこで、より安心安全に、そして明日も学校に行きたくなるような「未来の通学」をデザインしようと、JR東日本、大日本印刷と企画を立ち上げました。

 駅には、電車の走行音、ドアの開閉音、駅員さんのアナウンスなど、さまざまな音があります。これらの音を、AIを使ってリアルタイムで文字と手話で視覚的に表現するのですが、機能性にかかわるアイデアは「駅で流れる特徴的な音を通して、もっと駅を好きになってほしい」というJR東日本の方の思いから生まれました。

駅のホームにあふれる音を視覚的に表現する装置「エキマトペ」。AIが電車の発着音やドアの開閉音、アナウンスの音などを識別し、文字や手話、オノマトペ(擬音語と擬態語の総称)のアニメーションで表示する
駅のホームにあふれる音を視覚的に表現する装置「エキマトペ」。AIが電車の発着音やドアの開閉音、アナウンスの音などを識別し、文字や手話、オノマトペ(擬音語と擬態語の総称)のアニメーションで表示する

子どもたちも共に考えた「未来の通学」

―先生・駅員さんの思いやアイデアを、どう形にしていったのですか。

 一番のテーマは、音の特徴をどう表現すれば良いか。そこで、フォント開発を手掛ける大日本印刷に、音や言葉に合わせて書体を自動的に切り替える「感情表現フォントシステム」で表現してもらいました。システム全体を作ったのは、当社でスーパーコンピューターの開発などを手がけるバリバリのAIエンジニアです。

 このように専門性の異なる企業の人たちが、ろう学校の子どもたちや先生たちと触れ合う中で、ものづくり魂に火がついたんです。子どもたちも「未来の通学」をテーマに、楽しい通学のあり方を一生懸命考えてくれました。まさに「共創デザイン」ですよね。力を合わせ、短期間で素晴らしいものを作り上げることができました。

エキマトペの着想につながった、川崎市立聾学校の生徒が考えた「未来の通学」のアイデア(富士通提供)
エキマトペの着想につながった、川崎市立聾学校の生徒が考えた「未来の通学」のアイデア(富士通提供)

―駅の利用者にはどんな反応が見られましたか。

 期間限定でしたが駅のホーム上に設置することができて、ろう学校の生徒たちからは「こんなにたくさんの音が駅にあったなんて」「耳が聞こえる人と同じ場所に立てた気がする」といった声をたくさんいただきました。聴者の方たちも、駅で音がマンガ風のオノマトペで表示されるのを見て、SNSで「面白い」「手話に興味を持った」と投稿してくれました。

 加えてとてもうれしかったのは、駅員さんたちがエキマトペに触発されて自主的に手話を学び始めたり、筆談の案内を増やすことを検討したりするようになったことです。僕がプロジェクトでいつも一番大事にしているのは、今まで接点のなかった人同士が出会い、少しでも未知の存在を受け入れる「心の余白」が広がっていくことです。

JR上野駅(東京都台東区)のホーム上に設置されたエキマトペ(富士通提供)
JR上野駅(東京都台東区)のホーム上に設置されたエキマトペ(富士通提供)

―本多さんの思いを実現する上で、テクノロジーはどんな役目を果たしてくれる存在ですか。

 必ずしも必要ではないけれど、テクノロジーがあることで立場の違う人たちの関係性が近づきやすくなると思うんですよね。モノを作るときも、いろいろな人や企業が交じり合うと相乗効果が生まれ、技術的にも次元を引き上げることができると感じます。今後さらに発想や人の輪を広げて、いろいろな人たちと共創したいですね。そして、分断されていた人たちがつながって、テクノロジーの力で感覚的な部分までを共有するための挑戦を続けたいと思っています。

交わりの場、デフリンピックとサイエンスアゴラ

―来月15日から耳が聞こえない・聞こえにくい人のための国際スポーツ大会「東京2025デフリンピック」が開催されますね。

 ぜひ会場に足を運んでください。耳が聞こえなくてもスポーツには影響が少ないと思われがちなんですが、実はすごくあるんです。スポーツに必要なリズム感って聴覚と親密に関わっているので。そんな中で選手たちは、独自の工夫でスキルを高めています。世界の頂点を決める大会なので、競技のレベルも高く観ていて楽しいと思いますよ。

―大会を通じて期待したいことは。

 デフリンピックでさまざまな人と交流することで、「心の余白」が広がってほしいと思っています。観客の拍手や声援は選手には聞こえませんが、東京大会では拍手の音をジェスチャーのサインに変えて掲示板に表示し、選手へ伝えるといった方法が検討されています。

 僕たちも、卓球競技の会場で観客にオンテナを身につけてもらうイベントを開催予定です。卓球のラリー音を振動や光でリアルに感じながら、障害の有無にかかわらずみんなでリズムに乗って楽しめる体験ができないかと。きっと新しい交わりが生まれます。そして応援してください。それが選手たちの力になります。

デフ(Deaf)は英語で「耳が聞こえない」という意味。デフ+オリンピックが名前の由来だ。11月15日から26日までの12日間、東京体育館(渋谷区)などで熱戦が繰り広げられる
デフ(Deaf)は英語で「耳が聞こえない」という意味。デフ+オリンピックが名前の由来だ。11月15日から26日までの12日間、東京体育館(渋谷区)などで熱戦が繰り広げられる

―科学フォーラム「サイエンスアゴラ2025」(10月25日・26日、東京・お台場)の推進委員も務めていらっしゃいます。イベントの魅力を教えてください。

 膨大な熱量を持った研究者や学生、サークルなどが数多く出展します。熱意を持って取り組んでいる人の活動は、単純に面白いんですよ。「科学が好き」というエネルギーと、今まで自分が知らなかった未知の世界があふれている空間―それがサイエンスアゴラです。

 僕は委員の一人として、来場者が出展者たちの熱量に触れることで「自分も一歩踏み出してみよう」と思えるような場をつくることを心がけてきました。異質なものと出会ったときこそ、今までになかったものが生まれるんです。ぜひ、サイエンスアゴラでたくさんの人たちと交わってほしいですね。

「サイエンスアゴラ2024」で手話通訳者とともに登壇した本多さん
「サイエンスアゴラ2024」で手話通訳者とともに登壇した本多さん
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