深く掘り下げたい - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」 https://scienceportal.jst.go.jp Mon, 02 Feb 2026 07:24:44 +0000 ja hourly 1 女性活躍を妨げる「見えない壁」を壊すために~第7回「輝く女性研究者賞」表彰式から~ https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20260202_e01/ Mon, 02 Feb 2026 07:23:48 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=56148  科学技術振興機構(JST)の「輝く女性研究者賞」は、優れた若手女性研究者ならびに女性研究者の活躍推進に顕著な貢献を行っている機関の表彰を目的に、2019年に創設された。以来、個人・組織双方の取り組みに注目して、科学技術分野におけるダイバーシティ推進の機運を高めてきた。昨年10月26日、第7回を迎えた本賞の表彰式が日本科学未来館(東京・お台場)で開催された。当日の様子を中心に、講演内容も交えながら報告する。

3人の受賞者。左から大阪公立大学学長の櫻木弘之さん、九州大学助教の中野知香さん、東京科学大学講師の原祥子さん
3人の受賞者。左から大阪公立大学学長の櫻木弘之さん、九州大学助教の中野知香さん、東京科学大学講師の原祥子さん

海洋プラスチック、もやもや病、女性教員の人事制度が対象

 「輝く女性研究者賞(ジュン アシダ賞)」は、九州大学応用力学研究所海洋プラスチック研究センター助教の中野知香さんが受賞した。もともと海洋物理学の研究者だった中野さんは博士課程修了後、海洋中のマイクロプラスチックの動態解析の研究に参画。東京湾から東南アジア沿岸域を対象としたフィールド調査を通じて、河川流入や季節風がプラスチックの分布に与える影響を探求している。また、開発途上国でも導入できる低コストの分析手法の開発にも取り組んでいる。こうした国際的な環境問題の解決に資する成果に加え、学生や若手研究者の育成、地域社会との連携といった点も受賞理由となった。

 また、「輝く女性研究者賞(科学技術振興機構理事長賞)」は、東京科学大学脳神経機能外科学分野講師(キャリアアップ) の原祥子さんが受賞した。原さんは神経外科医としての診療と並行して、国指定難病である「もやもや病」をはじめとする脳血管障害の臨床・基礎研究に取り組み、病態の理解と治療法の開発を進めている。さらに、自身の経験を生かし、複数の学会においてダイバーシティ推進活動に携わってきた経歴が評価された。

 女性研究者の活躍を後押しする機関を表彰する「輝く女性研究者活躍推進賞(ジュン アシダ賞)」は、大阪公立大学に授与された。同大学は女性教員の拡充を目的に、一定の条件を満たした研究者をポストの枠の制約なしに昇任できる「OMU女性教員昇任制度」を導入。短期間での女性教授・准教授の登用数の進展につなげた。そのほか、次世代の女性研究者育成と研究アウトリーチを目的とした、「理系女子大学院生チームIRIS」の活動も高い評価を受けた。

表彰式に臨んだ橋本和仁JST理事長(いずれも左)と受賞者(左から中野さん、原さん、櫻木さん)
表彰式に臨んだ橋本和仁JST理事長(いずれも左)と受賞者(左から中野さん、原さん、櫻木さん)

成果を広めて可視化し、一貫した支援を

 表彰式の冒頭、挨拶に立ったJSTの橋本和仁理事長は、本賞について「女性科学者の活躍を広く社会に伝えるきっかけとなり、次の世代に希望と勇気をつなげるものであればと思う」と述べた。そして、賞の冠にもなっているファッションデザイナー・故芦田淳氏の言葉「人間は常に自分の信じる道をただ一筋に進むこと。それがたとえ人通りの少ない道であっても」を引用し、受賞者にエールを送った。

 来賓として登壇した前参議院議員の山東昭子さんは、女性科学者が着実に成果を挙げながらも、注目度が高まらない状況が続いてきたと述べた。そのうえで本賞の意義について「どれほど努力を重ねても、成果が適切に伝わらなければ評価にはつながらない。多くの関係者の協力のもとで、研究成果を広め、伝えていく姿勢が重要だ」と強調。自身も引き続き政府と連携しながら、科学技術立国の推進を支援したいとの意気込みを述べた。

 続いて挨拶した参議院議員・自由民主党総務会長の有村治子さんも、初代の女性活躍推進特命担当大臣を務めた経験を踏まえ、特に理工系の分野で活動する女性研究者に光が当たりにくい状況を経験したことを振り返った。そのうえで「女性研究者が増加し、その存在が自然に可視化されていくことは、社会全体のより健全な意思決定につながる」と述べ、ロールモデルとしての女性研究者の重要性を強調した。

 文部科学省 科学技術・学術政策局長の西條正明さんは、生成AI技術の進展などを背景として、将来的に産業構造の変化と人材需給のミスマッチが生じる可能性が高い点に言及。「理数系の素養をもつ人材の育成は、今後ますます重要になる」と展望した。一方で、特に女子における理数系離れが深刻である現状のもと、理数系を志望する女子学生を対象に、初等・中等教育から高等教育までの一貫した支援が求められていると述べた。また文部科学省として、結婚や妊娠・出産といったライフイベントに左右されず研究を継続できる環境整備に、JSTと連携しながら取り組んでいく考えも示した。

表彰式で挨拶する来賓の山東昭子さん(左)と有村治子さん(中)、西條正明さん(右)
表彰式で挨拶する来賓の山東昭子さん(左)と有村治子さん(中)、西條正明さん(右)

現地・現場が重要、継続的な取り組みに意欲

 表彰式では、各受賞者がこれまでの研究の歩みや今後の抱負について語った。

 中野さんは、受賞理由の1つとして評価された、海洋プラスチックの測定技術の国際規格化の取り組みを紹介。現在、各国の研究者と連携して、サンプリングやデータ解析までを包括したガイドラインの策定を進めていると明らかにした。関連して、実際の議論や交渉が会議本編だけでなく、会場でのランチミーティングや立ち話などでも進められている点にもふれ、実際に現地に赴くための予算拡充の必要性も訴えた。

 原さんは、結婚・出産を経た女性、また脳外科医として実臨床に携わりながら研究を続ける「マイノリティ」としてキャリアを築いてきたことにふれた。特に、大学病院で管理業務にかかわるようになってからは、研究時間が限られるなか、診療現場で得た気づきを研究につなげているという。原さんは「患者さんのより良い人生につながる成果を生み出すことが、医師として臨床研究を行うことの醍醐味」と述べ、診療を通じて見えてくる課題を今後も追求したいと語った。

 大阪公立大学を代表して登壇した学長の櫻木弘之さんは、同大が組織的に実施してきた、女性活躍推進の施策を提示した。櫻木さんは、自身が若手時代に経験した海外の学会では、女性研究者の存在がすでに当たり前であったと回想。これを念頭に、「研究者が来たい、辞めない、活躍できる大学」を実現するべく、上位職への育成・登用をはじめ、女性研究者の活躍支援を進めているという。櫻木さんは「女性研究者の活躍を見える化・魅せる化することで、大学の景色を内部から変えたい」と、さらなる継続的な取り組みへの意欲を示した。

性別を問わない人材確保は喫緊の課題

 表彰式を通じて、研究現場における女性活躍を推進するために最も必要なのは、それを妨げる「見えない壁を壊すこと」にあるとの印象を受けた。例えば、有村さんは挨拶のなかで、以前に日本のある大学の研究所を視察した際のエピソードを紹介した。当時、その研究所に所属する研究者一覧に女性の名前が一人もないことを指摘したところ、現場にいた誰もがその点に気づいていなかったという。

 このエピソードは、たとえ意図的に排除されていなくとも、研究現場における性別の偏りが温存されてきた現状を示していると考えられる。少子高齢化が進む日本において、性別を問わず科学技術人材を確保することは喫緊の課題である。そうした状況を考えれば、優秀な女性研究者の活躍の場がないことは、大きな損失といえるだろう。

 重要なのは、単にクオータ制で数をそろえることではなく、実績を挙げている女性研究者を可視化し、研究環境や評価といった支援の仕組みを整えることだ。大阪公立大学が策定した人事制度では、各部局とは別に大学としての予算を確保することで、女性研究者の積極登用を実現している。これは、研究現場におけるポジションの壁を取り払うための重要な参考事例といえるだろう。こうした取り組みが、研究現場のみならず社会全体に波及していくことを期待したい。

表彰式の様子(日本科学未来館)
表彰式の様子(日本科学未来館)
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【人生100年社会 支える科学】第1回 スーパー高齢者から解明する健康長寿 慶大百寿総合研究センター長 新井康通さん https://scienceportal.jst.go.jp/explore/interview/20260130_e01/ Fri, 30 Jan 2026 04:38:35 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=56120  希望に包まれ高らかに唱えられた「人生100年時代」は単に長く生きることを意味するものではない。人々の健康寿命を延ばして自立した生活を続けられるかが社会に求められている。老化を遅らせる生活習慣や治療の確立には科学技術の支えが欠かせない。健康長寿を巡る最先端の取り組みを描く特集の第1回は、慶応義塾大学医学部百寿総合研究センター長の新井康通氏に100歳以上の長寿者の特徴と、生活への応用技術について聞いた。

老化メカニズムや健康で長生きの要因を突き止める

―百寿者研究の狙いを教えてください。

 一つは基礎研究としてヒトが老化するメカニズムや、極めて健康で長生きする人々の遺伝的・環境的要因を突き止めることです。ここで病気と老化を区分して考える必要があります。従来の医学は病気を対象としてきましたが、百寿研究は病気の危険因子よりも、主に脳や心臓といった重要臓器の老化そのものに焦点をあてています。

 もう一つは、得られた知見を活用し、認知症やフレイル(虚弱)の予防法、新たな治療法の開発につなげ、多くの人が年齢を重ねても活力ある社会を継続できるようにすることです。「人生100年時代」のモデルケースを科学的に提示することが、私たちの使命だと強調したいです。

新井康通さん。百寿者の中で完全に自立しているのは2割程度だが、105歳以上は、100歳の時点でも自立した生活を送っている割合が高いという
新井康通さん。百寿者の中で完全に自立しているのは2割程度だが、105歳以上は、100歳の時点でも自立した生活を送っている割合が高いという

世界最大級の収集データが語る長寿の真実

―研究対象となっている百寿者にはどのような調査をしていますか。

 研究対象として100歳以上のご本人に直接の問診や身体計測はもちろん、血液サンプルの提供をお願いし、遺伝子解析やバイオマーカー(血液中の指標)の測定をしています。さらに生活習慣や食事、性格、社会的なつながりといった環境要因についても詳細に調査。可能な限り、長寿家系の関連性も分析しています。

 収集したデータは、世界最大級の規模だと自認しています。特に200人におよぶ110歳以上のスーパーセンチナリアンのデータを持っているのは世界でも当センターだけと言っても過言ではありません。現在もコホート(集団追跡調査)を実施し、さらに規模が拡大しています。莫大なデータが、老化の謎を解くカギとなっています。スーパーセンチナリアンたちは人類が到達可能な寿命の限界に挑んでいるトップランナーです。

 百寿者には多くの高齢者が罹患するがんや心臓疾患、糖尿病など加齢に伴う疾病の発症が遅い、あるいは発症しても重症化しにくいという特徴があります。単に「長く生きている」というだけでなく「老化のスピードが遅かったり、病気に対する抵抗力や回復力(レジリエンス)が高かったりする」という生物学的な優位性を保有しています。一部の亡くなった方たちには解剖をさせていただき、剖検組織を解析し続けていますが、認知機能が保たれていれば、臓器関係の働きがよく、寿命を決めている要因なのではという仮説を立てています。

 105歳、110歳という壁を超え、生きている人々は、極めて特異な「健康長寿のエリート」です。このエリートの特性を明らかにすることで、一般の人たちの健康増進に応用ができればと考えています。

血液と便から探る老化抑制のカギ

―膨大なデータの中で、特に免疫細胞や便、血液の分析から判明した長寿者の特性は何ですか。科学技術へどう応用するのでしょうか。

 血液を調べて画期的だったのは「慢性炎症」の抑制に関する発見です。加齢に伴い、体内では微弱な炎症反応が慢性的に続くようになります。これを「炎症老化」と呼びます。この炎症老化が動脈硬化や糖尿病、がん、アルツハイマー病などの加齢性疾患の引き金になることが分かっています。しかし、百寿者、特にスーパーセンチナリアンの血液を分析すると、この炎症レベルが低い状態で保たれているほど、自立度や認知機能が高く、余命も長いことが明らかになりました。

 さらに老化を抑制する可能性のある特別な免疫細胞、CD4陽性キラーT細胞(細胞障害性T細胞)が普通の人より増えていることも血液検査でわかりました。どんな役割を果たしているのか完全には証明されていませんが、老化細胞やがん細胞の排除に関わっている可能性があります。

センターでは脳の老化度合いを可視化したり、重要臓器の炎症反応などから老化の進み具合の研究もしたりしている(新井康通センター長提供)
センターでは脳の老化度合いを可視化したり、重要臓器の炎症反応などから老化の進み具合の研究もしたりしている(新井康通センター長提供)

 便中の代謝産物(メタボライト)の解析も試みました。結果、胆汁酸の一種で、ある特定の成分が百寿者の便中に多く含まれていることが判明。この成分が病原性細菌に対して強い抗菌作用を示すことが分かりました。

 NfL(ニューロフィラメント軽鎖)という脳神経の細胞レベルの老化指標を血中で測定することで、脳の老化度合いを可視化する研究も進めています。こうした知見は薬の開発や予防医療に導入できます。栄養や内臓機能を改善する「抗老化薬」の開発にもつながります。

 もっと現実的なのが血液中のバイオマーカーを測定することで、個人の「生物学的年齢」の算出です。将来の疾患リスクを予測するアルゴリズムの開発も進めています。一人ひとりの体質に合わせたオーダーメイドの予防医療が可能になり、健康寿命の延伸に大きく貢献できます。百寿者の血液は、人々の健康を守るための情報の宝庫といえます。

研究の知見は薬の開発や予防医療に導入。栄養や内臓機能を改善する抗老化薬の開発にもつながる
研究の知見は薬の開発や予防医療に導入。栄養や内臓機能を改善する抗老化薬の開発にもつながる

フレイル予防に必要な社会参加の仕組み

―平均寿命と健康寿命の間には約10年の乖離があります。このギャップを埋めるための研究について教えてください。

 私が特に注目しているのは、「フレイル(虚弱)」のメカニズム解明です。フレイルとは年齢とともに体力や活動量が落ちてきた状態で、放っておくと、気力や認知機能、社会とのつながりまで弱くなってしまうことも少なくないです。

 フレイルでは「免疫老化」と「細胞老化」の両方の制御に注目しています。加齢に伴い免疫機能が低下すると、感染症にかかりやすくなるだけでなく、がん細胞を取り除く体内能力も落ちます。また、老化細胞が体内に蓄積すると、周囲の健康な細胞にも悪影響を及ぼし、臓器の機能を低下させます。

 最近の研究では、この老化細胞を選択的に除去する「セノリティクス」という科学技術が注目されています。動物実験レベルですが、老化細胞を除去することで身体機能が回復し、寿命が延びるという結果が出ています。これを人間に応用できれば、フレイルの進行を食い止める可能性が高まります。

 社会的な側面からのアプローチも忘れてはならないです。百寿者の多くは、高齢になっても何らかの形で周囲の人とつながり、精神的な充足感を得ています。逆に孤独な生活が身体的な老化を加速させることは科学的にも実証されています。生きがいを保つことによって健康がどう維持されるのか、個人と社会の健康について調査を深めたいと思います。高齢者の社会参加を促す仕組みや、多世代が交流できるコミュニティの形成といった「社会的処方箋」の研究も、生物学的な研究と同じくらい重要です。

「技術革新も重要ですが、人々が長く生きた価値を実感できるためには、老いを受け入れる社会が必要です」という
「技術革新も重要ですが、人々が長く生きた価値を実感できるためには、老いを受け入れる社会が必要です」という

老化の指標の確立とAIで個別化予防医療

―誰もが100歳まで健やかに生きるためには、どのような科学的条件が必要でしょうか。また、それを実現するためのブレークスルー(技術突破)は何ですか。

 いま着手しているのは「オミックス」と言われる数千のタンパク質解析やDNAのメチル化といった分子・細胞レベルでの解析です。DNAメチル化とは遺伝子の働きを必要に応じて抑え、体のバランスを保つ仕組みです。百寿者はこの機能維持のレベルが高い。

 私たちの研究ではこの機能をベースに人々の生物学的な現時点の年齢をはじき出す水準に届いています。ただ技術を応用して血液細胞のDNAメチル化状態から、がんや心臓病など臓器に特異的なDNAメチル化の状況を予測し、その人の未来の病気の発症リスクや死亡率をはじきだすのは未達成で、ここが挑戦領域です。

 ブレークスルーとして期待するのは「バイオマーカー・オブ・エイジング(老化の指標)の確立と人工知能(AI)の融合です。脳の老化は神経系細胞で起こるが、これをどう血液検査の結果に落とし込むか、ここでAIの出番となります。膨大な情報を統合的に解析して、個人の健康状態をシミュレーションする。健康長寿のプラットフォームができ、各個人にカスタマイズされた個別化予防医療ができます。すでに老化を治療することで寿命は伸びることが動物実験でもわかっています。

 一方、人生の終盤では機能が徐々に衰え、介護が必要になったり、誰かの支えを受けたりする時期が来ます。スーパーセンチナリアンといえども「ピンピンコロリ」は現実的には難しい。テクノロジーを活用して低下した機能を補完することで生活の質をアップする「エイジ・テック」もますます重要になるでしょう。

自立高齢者を川崎市と5月から追跡調査

―今後の研究課題や、研究成果を社会に実装していくための自治体との連携、政府への要望はありますか。

 研究課題は、これまで蓄積してきた膨大な観察データを、具体的な「介入研究」へとステージを進めることです。現在、スーパーセンチナリアンの知見を一般の高齢者の健康寿命の延伸につなげる研究を川崎市と取り組んでいます。「元気な高齢者と元気な街を創る」プロジェクトです。これまで85歳から89歳と百寿者の研究を組み合わせ、AI解析による「元気指標」の決定因子の探索も進めています。2026年5月から75歳から79歳の自立した高齢者も対象にして2年ごとに追跡調査を実施します。

 国に対しても長期的かつ安定的な研究資金の支援を求めたいです。補助金や制度の充実を希望します。長寿研究は成果がでるまでに長い時間がかかります。日本社会の医療・介護費の削減という社会的利益と、高齢化が進む国際社会への日本の貢献につながる投資だと理解してほしいです。

川崎市とは85歳以上の市民約1000人を対象に脳や臓器の画像、食事、加速度計をつけた身体活動について検査や調査を実施している(新井康通センター長提供)
川崎市とは85歳以上の市民約1000人を対象に脳や臓器の画像、食事、加速度計をつけた身体活動について検査や調査を実施している(新井康通センター長提供)

「老いは制御可能」社会に広めたい

―平均寿命の延びが鈍化しているというデータもあります。そもそも人間は、生物学的に誰もが100歳まで生きることが可能なのでしょうか。

 病気を治療して平均寿命が延びるのは60歳代から70歳代の人たちで、このゾーンはかなり医療技術が進んでいます。これからさらに平均寿命を延ばすには、老化の速度を遅くすることが重要です。多くの人たちは100歳まで生きる可能性を持っていると考えていますが「誰もが容易に到達できる未来」へのハードルは高いと思います。

 それでもスーパーセンチナリアンを見ていると、110歳を超えてもなお生命力を維持しており、人間の生命力には未知の領域があると感じます。この人たちには有利な遺伝的要因が少なからず関与していることは否定できません。

 しかし「老いは避けられない衰退」ではなく、「制御可能」という意識が社会全体に広まれば、積極的に医療やAIを活用しながら、誰もが長生きを前向きに受け止められる長寿社会の実現につながるでしょう。老化のメカニズム解明に立脚し、技術革新と老いを社会全体で支えようという共生がそろった時、その未来は近づきます。

どんなサービスやテクノロジーを取り入れれば、高齢者が元気を保ち、社会が回るのかを検証する(新井康通センター長提供)
どんなサービスやテクノロジーを取り入れれば、高齢者が元気を保ち、社会が回るのかを検証する(新井康通センター長提供)

〈百寿総合研究センター〉
■医学、生物学、社会学など多角的視点で
 「いかにして健康で幸福な長寿を実現するか」という問いに科学的に答えるために2014年に設立した。前身となる研究は慶応大学医学部老年内科(当時)の医師・広瀬信義氏が1992年に開始。2000年代に入り東京都健康長寿医療センターと組んで、百寿者を対象にした医学的・社会的な実態調査で連携した。当時はまだ100歳以上の人口は少なく、稀少な存在だったが、将来の高齢化社会の拡大を見据え、なぜ百寿者たちがこれほど元気で長く生きられるのか、その秘密を解明しようとした。
 やがて遺伝子のゲノム解析や「腸内細菌叢(さいきんそう、フローラ)」研究などに広がり、大学の多くの研究者が集まって学部横断的な組織としてセンターになった。105歳以上の「超百寿者(セミスーパーセンチナリアン)」や110歳以上の「スーパーセンチナリアン」を対象とした「全国超百寿者研究」へと規模を拡大。30年以上のフィールドワークとデータの蓄積をベースとして、医学、生物学、社会学など多角的な視点から健康長寿のメカニズムを解明し、実証した成果を社会に還元することを目的に活動している。

「人生100年社会 支える科学」では健康長寿へ挑戦を続ける大学、企業、地方自治体などの最先端の取り組みに迫ります。

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「道」は誰のものか―新興モビリティによる「混在交通」を考える(樋笠尭士/多摩大学経営情報学部 准教授) https://scienceportal.jst.go.jp/explore/opinion/20260123_e01/ Fri, 23 Jan 2026 04:08:06 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=56074  近年、自動運転バス、電動キックボード、電動車椅子、自動配送ロボットなど、新しいモビリティが道路や歩道に増えてきている。モビリティの数と種類は際限なく増加するが、道の幅は変わらない。カオス化した現代の道路事情を筆者は「混在交通」と呼び研究対象にしている。この問題について皆さんにもぜひ考えてもらいたい。

樋笠尭士氏
樋笠尭士氏

自動走行モビリティ実証の裏に課題やリスク

 まずは日本でも盛んに実証実験が行われている自動運転バスを見てみよう。すでにさまざまな技術的課題が浮上している。路上駐車車両を追い越せずに緊急停止するケースや、横断歩道ではないところを渡る歩行者や車道を走る自転車を車体横のセンサーが検知して急停止するケースなどが見受けられる。

昨年12月に香川県坂出市で行われた自動運転バスの実証実験
昨年12月に香川県坂出市で行われた自動運転バスの実証実験

 自動配送ロボットは、歩道上も走行可能(時速6キロメートルまでなら一部の歩道や路側帯の走行も認められている)であるため、歩行者とのインタラクションを行う機能を備えた製品もある。センサーで衝突を防止し、音声などで歩行者等へ声掛けを行い、何かあれば遠隔監視センターで監視員がカメラ映像と音声を用いて問題に対処する。車両ごとの性能差も大きく、メーカーの異なる車両同士や自動車との接触、センサーの不検知などのリスクももちろん存在する。

歩道を走行する自動配送ロボット
歩道を走行する自動配送ロボット

交通ルール違反相次ぐ電動キックボード

 すでに市民権を得つつある電動キックボードも、多くの課題が指摘されている。2025年2月27日の警察庁発表によると、電動キックボードに代表される特定小型原動機付自転車の違反は、解禁から1年半で4万8376件に上る。うち2万8000件近くが二段階右折(交差点で二度信号に従い、直進し渡りきった後に向きを変えて右折する)などの交通ルールに従わない「通行区分」違反であり、違反の約6割を占めている。

首都圏では日常的に見かけることも多くなった電動キックボードのポート(貸出返却場所)
首都圏では日常的に見かけることも多くなった電動キックボードのポート(貸出返却場所)

 電動キックボードは、16歳以上であれば免許不要で乗れてしまう。アプリ上で簡単な○×の設問で「教育」を受けただけの利用者は、必須である二段階右折ルールに従わないのはもちろん、歩道を6キロメートルモードではなく20キロメートルで走行してしまうこともあり、社会問題となっている。ヘルメット着用も任意であり、自転車同様、事故時の致傷・致死率が高いままである。

子どもや高齢者への衝突リスクが高まっている

 このように、今日の歩道ではある程度の速度で走行する電動キックボード・自動配送ロボットなどの新興モビリティが、電動車椅子や自転車とも合わさって通行している。子どもや高齢者など歩行者が占有する空間は相対的に狭くなり、不安感・不快感だけでなく、客観的に衝突のリスクも増加している。

 また、車道でも、時間的制限のなか法定速度を超えがちなフードデリバリーなどの配送ギグワーカーのバイクや、シェア形態が主流の電動キックボードなどは、場面に応じた走行速度・場所が安定せず、事故の可能性も高まっている。

 さらに歩道がない道路においては、これらすべてのモビリティが車道や歩道で競合し、生活道路として利用する子どもや高齢者等の交通弱者が危険に晒されている。これらは、「混在交通」に関する社会問題といえよう。

今日の道路上にはこれだけ多くの利用者・モビリティが集中している
今日の道路上にはこれだけ多くの利用者・モビリティが集中している

知識をつけて地域における合意形成を

 では、地域や社会がどのように「混在交通」と向き合えばよいのだろうか。

 自動運転バスについては、「完璧ではないし、隣に近づかれると困るし、路上駐車車両が苦手です」という「弱さ」や「リスク」と、その「回避方法」(近づかない、路上駐車しない)を、利用をしない非受益者を含む地域住民が知るのが第一歩だろう。その上で、地域においてどのような支援体制が必要で、誰がどのような負担を負うべきかの合意形成が必要だ。

 電動キックボードなどの特例特定小型原付の場合には、6キロメートルモードに変更すると、緑色のランプが点滅し、歩道走行モードであることを周囲に知らせる機能があるが、この仕組み自体が歩行者に認知されていない。よって、違反者の行為を歩行者側が「違反」だと思わないで黙認するケースも見受けられている。我々も、点滅していないのに歩道を走っている者を注意できるような、そもそもの知識をつける必要があるだろう。同時に、自転車にも同様のことが言えるため、自転車やキックボードが歩行者を危険に晒さないための交通教育も重要だ。

京都市内に設置された電動キックボード用の標識
京都市内に設置された電動キックボード用の標識

移動の価値と権利を多角的視点から考察

 モビリティを利用する受益者に対し、利用しない非受益者の負担(危惧感やリスクの受け入れ)が生じ得る新興モビリティについては、「混在交通」という上位のフレームで議論をすべきだ。つまり、そもそも「道のなかで、誰が優先されるべきか」という根源的な問題に立ち向かう必要がある。

 筆者が研究代表を務める混在交通プロジェクトでは、「混在交通の道はだれのものであるか」を検討するために、「交通とは何か」を根源的な問いとして設定している。これは、人類が求める普遍的な価値の一つとして、移動の価値(=モビリティ/移動性、可動性、動きやすさ)と権利に関わる問いだ。同時に、リスクと安全・安心、公と私、効率と公正を内包する問いであり、技術、法、心理、倫理の視点から連携して考察する必要がある。

筆者が研究代表者を務める混在交通プロジェクトは、法・心理、技術、倫理の各専門家が集い、快適な道路環境づくりを目指している
筆者が研究代表者を務める混在交通プロジェクトは、法・心理、技術、倫理の各専門家が集い、快適な道路環境づくりを目指している

 多種多様な新興モビリティは人々の移動の可能性を拡げるものだ。では、人間の移動能力が拡張するとき、社会はどのようにそれを受容するのか、どのように法やガイドラインを整えていけばよいのか。これらは言説化すべき課題の一つである。混在交通の道をどのようにシェアすべきかを議論することは、人や社会のより良いあり方と密接に関係するため必要不可欠だ。

新たなモビリティは今後も登場する

 日本でも将来的に自動運転タクシーが実装されるだろう。一歩先を行く米国では、人の運転よりも事故率は少ないものの、スクールバスを追い越す違反事例や、停電で止まってしまう事例も発生して社会問題になっている。

 また、免許返納者向けのシニアモビリティとして4輪バギータイプの特定小型原付も登場している。高齢者の移動手段として利用の増加が予想されるが、交通教育を受ける機会はないという状況の悪化も同時に懸念される。

 さらに経済産業省は、中速(最高時速20キロメートル)の配送ロボットの開発・実装も推進している。

 このように、今後もモビリティは次から次へと登場するだろう。その流れに対しては、歩道や車道、すなわち「道」のあり方を全てのステークホルダーで議論し、優先度について合意形成を図る取り組みが期待される。

答えは地域や習慣などで変わりうる

 筆者が小学生を対象に行った「混在交通学」では、子どもから「自動配送ロボットを優先すべきだ」や「すぐ避けられるかどうかが決め手だから、子どもより俊敏でない車椅子が一番優先だ」など、さまざまな判断基準が提示された。

混在交通学の授業で用いた問い
混在交通学の授業で用いた問い

 混在交通の優先度に対して、何もしないままなのは不正解だが、正解を探そうとすることも果たして正解なのであろうか。少なくとも各地域の人口やインフラ、慣習や移動形態によっても答えが変わりうるので、一般化は難しいものかもしれない。

 さて、あなたは、道で誰が優先されるべきだと考えますか?

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誕生から100年、未来を変える「量子科学」 理研講演会で研究の魅力を紹介 https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20260119_e01/ Mon, 19 Jan 2026 08:23:58 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=56025  理化学研究所(理研)は「世界が抱える課題の解決には科学・技術の力がますます重要になる」と考え、毎年、中高大学生を対象にした科学講演会を催している。47回目となった昨年は、国連が2025年を「国際量子科学技術年」に定めたのに合わせ、「No 量子,No Life!」をテーマに掲げた。私たちの生活にも生かされつつある量子科学は、今後も多くの技術につながると期待される。量子コンピューターをはじめとする理研の専門家が最先端の研究を紹介した(25年9月7日、東京・お台場の日本科学未来館で開催)。

徹底的に次世代目線で設計された科学講演会2025では、理研の研究者たちが量子力学をめぐる多角的な研究の魅力を生き生きと語った
徹底的に次世代目線で設計された科学講演会2025では、理研の研究者たちが量子力学をめぐる多角的な研究の魅力を生き生きと語った

ミクロの世界の現象を説明する「量子力学」

 リンゴが木から落ちる、太陽の周りを惑星が回る――。私たちが日常的に目にする現象は、ニュートン力学(古典力学)によって説明できる。その一方で、原子やそれを構成する原子核、電子のように小さくなると、ニュートン力学では説明できない現象が起こる。こうしたミクロの世界の現象を説明するために誕生したのが量子力学だ。

 国際量子科学技術年は、ドイツの物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクが量子力学の基本的な理論を発表した1925年から100周年の節目を記念して定められた。世界中で量子関連のイベントが開かれており、今回の講演会もその1つだった。

開会あいさつで科学講演会の趣旨を語る理化学研究所理事長の五神真さん
開会あいさつで科学講演会の趣旨を語る理化学研究所理事長の五神真さん

 これまでの100年間、量子力学は多くの研究者によって研究され、議論され、発展してきた。量子の世界の特徴といえば、マクロの世界では同時には起こり得ない現象が起こることだ。粒子と波の両方の性質を併せもつ「粒子と波の二重性」、1つの粒子が同時に複数の状態をとることができる「量子重ね合わせ」、複数の粒子間で量子状態が共有された場合、一方の状態が決まるともう一方の状態も決まる「量子もつれ」などが知られている。

 これらの現象を日常生活で目にすることはないが、量子力学はすでにスマートフォンやテレビ、GPSなどの技術で生かされている。

超高性能のコンピューター、20年以内に普通に使えるように

 最初に登壇したのは、阿部英介さん(量子コンピュータ研究センター 超伝導量子エレクトロニクス連携研究ユニット ユニットリーダー)。

阿部英介さん
阿部英介さん

 私たちが日常的に使っているコンピューター(古典コンピューター)は、電流のオンを1、オフを0とする「ビット」によって情報の伝送や計算をする。一方、量子コンピューターは、量子重ね合わせの性質を利用して0と1が同時に存在する「量子ビット」により、はるかに高効率の計算を可能にする。1981年にリチャード・ファインマンが「自然現象をシミュレートしたいなら、自然界の法則である量子力学そのものを計算に使うべきだ」と発言したことをきっかけに開発が始まった。

 以来、世界中で量子コンピューターの研究開発が進んでいる。理研では1999年、中村泰信さん(量子コンピュータ研究センター長)が超伝導回路による世界初の量子ビット(超伝導量子ビット)を実証し、この分野のパイオニアになった。

 その中で阿部さんらのチームは、1センチ角のチップ上に16量子ビットに相当する超伝導人工原子を配置した「量子ビットチップ」を開発したという。「この量子ビットチップはマクロのサイズですが、『量子重ね合わせ』や『量子もつれ』といった量子力学の法則に従って動作します。この性質によって古典コンピューターよりも膨大な情報を素早く処理できます」。

 理研を中心とするチームが開発した量子ビットチップ。グレーの大きな円1つで1量子ビット。タイルのように並べて増やせるのが特徴で、144量子ビットまで成功している(理研提供)
理研を中心とするチームが開発した量子ビットチップ。グレーの大きな円1つで1量子ビット。タイルのように並べて増やせるのが特徴で、144量子ビットまで成功している(理研提供)

 阿部さんは各要素技術の開発後、それらを統合して日本初の量子コンピューター「叡(えい)」の完成を目指しているという。ただ、開発の現状に関する自己評価はなかなか厳しく、「量子コンピューターは、まだ何ら期待に応えられていません」。

 それでも、「20年以内に量子コンピューターが当たり前に使える時代にしたい」と目標を示した。理研が所有するスパコンとのハイブリッド運用など、量子コンピューターがその力を早期に発揮できる環境を整えようと考えながら研究を進めているそうだ。

「宇宙のどこにもない物質」で100年後の未来を変える

 続いて登壇したのは、博士号を取得して4年目の若き研究者、藤代有絵子さん(創発物性科学研究センター極限量子固体物性理研ECL研究ユニットリーダー)。物質中に潜む電子の「量子力学のパワー」を引き出し、宇宙のどこにもない物質を作ろうとしている。

藤代有絵子さん
藤代有絵子さん

 現在、材料開発の世界では、データサーバーやメモリ素子、電力用や通信用のケーブルなど情報社会を支えるインフラ技術の省エネルギー化・コンパクト化につながる新規物質の開発が求められている。

 物質の性質や機能には電子が大きく関与していることから、研究者たちは、物質中の電子が集まった時の振る舞いに注目している。そうした電子の振る舞いは、量子力学の法則に従うのだという。

 藤代さんは大学生の頃から、「磁気スキルミオン」と呼ばれるトポロジカルな性質をもつ(変形しても性質が保たれる)電子のスピン構造を研究してきた。高圧力下で新しいトポロジカルな磁気構造を発見するなど、これまで大きな成果を上げている。

 「以前は『結局、地球上の環境で作ることができる物質は限られている』と悔しい思いをしていたのですが、圧力を変えると思いもよらない物質ができることがわかって感激しました」。藤代さんは高圧研究にとりつかれたそうで、理研に入所してからもダイヤモンドアンビルセルという加圧装置などを使い物質の超高圧実験を続けていると話した。

実験に使用したダイヤモンドアンビルセルとその模式図(理研提供)
実験に使用したダイヤモンドアンビルセルとその模式図(理研提供)

 「私たちが探索している物質は、社会ですぐに役立つものではありません。しかし、100年後の未来を根本から変えるかもしれない。そう思うとワクワクします」。情報社会が進展し、いよいよ新しい物質が必要となるとき、藤代さんのチームが研究している物質が活躍の場を得ているかもしれない。

2000億年後も正確な原子核時計、持てる技術を結集して作る

 最後に登壇したのは、2000億年たっても1秒もずれない原子核時計を作ろうとしている山口敦史さん(光量子工学研究センター 時空間エンジニアリング研究チーム 専任研究員)だ。

山口敦史さん
山口敦史さん

 山口さんはまず、そもそも時計がどのような仕組みで時を刻んでいるのかを説明した。「周期的な現象を起こす発振器と、その振動を数えるカウンターからできています。現在よく使われているクオーツ時計では、電圧をかけると1秒間に3万回振動する水晶が発振器として使われています」。

 1秒間の振動数を増やせば増やすほど、より正確な時計を作ることができるという。例えば、1967年から「1秒」の定義に用いられているセシウム原子時計の場合、セシウム原子が吸収するマイクロ波が発振器となり、1秒間に約90億回も振動する。これを基準に作られたのが、約3000万年たっても1秒もずれない時計だ。

 そこまで正確な時計がありながら、どうして原子核時計を作ろうとしているのか。山口さんは「原子時計は、周囲の電場や地球の磁場などの影響をどうしても受けしまいます。一方、原子核は原子の10万分の1ほどのサイズなので周囲の影響を受けにくいのです」と述べた。

 研究を始めたころは、原子核が吸収する光のエネルギーが大きく、発振器となるレーザー光を作ることができないという壁に突き当たってしまったという。その後、トリウム229の原子核が低いエネルギーの光をも吸収できることを発見したのがブレークスルーとなり、2000億年で1秒もずれない時計の開発が本格化したそうだ。

 「さまざまな壁に突き当たってきましたが、その都度、理研が持つ技術に助けられました」と山口さん。超高性能の原子核時計の研究開発には、理研の技術の粋が集められていることを強調した。

興味あるテーマを見つけ、一歩踏み込もう

 講演会の最後には、登壇者の3人と司会の寺倉千恵子さん(創発物性科学研究センター 強相関物性研究グループ 上級技師)による全体ディスカッションと質問セッションがあった。

 最初に「研究でワクワクする瞬間」が話題になり、3人とも「世界初の瞬間に自分だけが立ち会えること」と口を揃えた。

 一方、研究者を目指すようになった時期については、子供の頃から研究者を身近に感じていた藤代さん、高校時代の化学がきっかけで意識するようになったという山口さんに対して、阿部さんは非常に遅く、海外留学や論文執筆を経験した後の博士課程になってからだったそうだ。

 研究者を目指そうとした時期は違っても、好きなテーマを見つけて追究した結果として研究職を続けてこられた点では共通している。なかなか成果が上がらなくて辛い時も、好きな研究だからこそ乗り越えられたという。

普段は上級技師として研究現場を支える寺倉千恵子さん(左)。登壇者から研究の魅力を存分に引き出した
普段は上級技師として研究現場を支える寺倉千恵子さん(左)。登壇者から研究の魅力を存分に引き出した

 「研究で行き詰まったときの対処法は?」という質問に対して、藤代さんは「理研にはさまざまな分野の研究者がいる。相談してみると解決の糸口が見つかる」と回答。阿部さんは「人や環境とのめぐり合わせがとても大事だ」と、自身の研究人生を振り返りながら答えた。また、「研究者に必要な資質は?」との質問には、寺倉さんが「自分で課題を見つけて解決する力」を挙げた。

 閉会にあたって山口さんは「これからいろいろなことを知れば、ビビッとくるものがあるはず。興味を持ったら一歩、踏み込んで欲しい」と若者たちにエールを送った。国際量子科学技術年の科学講演会は、重要さを増す量子科学の最新研究の現在地と、その根底にある想いやモチベーションを知ることのできる貴重な機会となった。

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【特集:スタートアップの軌跡】第5回 歯科技工士不足でもAI活用し精密な被せ物や入れ歯を エミウム https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20260114_e01/ Wed, 14 Jan 2026 05:19:25 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=56003  進行した虫歯や歯周病の治療では、被せ物や入れ歯などを入れることが多い。これらやマウスピース類を補綴物(ほてつぶつ)という。補綴物は国家資格を持った歯科技工士が緻密な熟練の手作業で作るが、その技工士の数が今、国内で不足。歯科技工士の養成校がない県や、補綴物を輸入している歯科医院もある。このような現状に、クラウドや人工知能(AI)などの先端技術を用いて、歯科技工の従来の景色を塗り替えようとしているのが、東京科学大学発ベンチャーの「エミウム」(東京都新宿区)だ。同社は、クラウド上で技工サービスを提供することで、歯科技工士や歯科医師らの手間を減らしている。

保険診療から自費診療まで 広がるニーズ

 2025年10月、紅葉が美しい北海道大学の構内にエミウム代表取締役の稲田雅彦の姿はあった。学会に集まった歯科医師や歯科メーカーの社員が、稲田が語るこれからの歯科医療に起こる技術革新に耳を傾けていた。「歯科技工士問題は、ただ人の数だけで解決するのではなく、こういったAIで解決することができる。今の戦力で十分戦えるかもしれない」という稲田の言葉に、参加者はうなずきながらメモを取っていた。

歯科医療従事者らの質疑応答に応じる稲田雅彦(2025年10月、札幌市の北海道大学)
歯科医療従事者らの質疑応答に応じる稲田雅彦(2025年10月、札幌市の北海道大学)

 口の中は、髪の毛が1本入っただけで感知できるほど繊細な部位で、補綴物もミクロン(1ミクロンは1000分の1ミリ)単位での調整が求められる。予防歯科や口腔ケア意識の高まりから虫歯の患者数は減っているが、近年は、高齢者の入れ歯や矯正歯科のほか、審美を目的としたマウスピースや、スポーツ用のマウスガード、白い歯にするために元々の歯を削って着ける補綴物などもあり、ニーズは年々拡大している。歯科医師も6年間の歯学部教育で補綴物の作り方を習うが、歯科技工士はより「ものづくり」に特化した資格で、適合の良さだけではなく、色味や、患者さんの口の特徴に合わせたものを作ることができる。

 歯科医院に患者が来院し、補綴物を作ることになった場合、歯科医師らが患者の歯の型取りや写真撮影などデータの採取を行う。続いて、歯科医師が「歯科技工指示書」という書類に、どのような補綴物を、どのような素材で作るかを記入した上で、歯科技工所に送付する。歯科技工士がこの書類を元に、補綴物を仕上げる。

「平均離職年齢は26歳 20代で8割が離職」

 補綴物の価格は、自費診療でなければ診療報酬に基づいている。歯科医院が算定する診療報酬は決まりがあるものの、歯科技工所に渡す額には決まりがないため、不当に安くなってしまうケースもゼロではない。そうして歯科技工に見切りを付けた歯科技工士は、業界を去ってしまう。粉じんが舞う技工所の環境や、長時間労働も歯科技工士を離職する原因と言われている。稲田が調べたところ、歯科技工所あたりの技工士数は3人以下が9割を占める。そして、歯科技工士は20代で8割が離職し、その平均年齢はなんと、26歳だった。

歯科で国家資格が必要な3職種の就業者数の推移。歯科技工士は圧倒的に少ない
歯科で国家資格が必要な3職種の就業者数の推移。歯科技工士は圧倒的に少ない

 歯科衛生士は増加傾向にあり、歯科医師の数はほぼ横ばいなのに、技工士が減少している現状に危機感を持った稲田は、前職の製造業スタートアップでの経験を生かし、エミウムを創業した。前職では、巨大な3Dプリンターで自動車大手の部品を作る仕事をしていた。これを生かせば、歯科業界に参入し、軌道に乗せられるのではないかと考えた。

Q:製造業は同じ物を大量に作るイメージがあり、歯科は「個別化」が必要だと思いますが、違いをどう受け止めていますか。
A:車の製造は「無機的」です。小ロットで生産することもあれば、大量製造も行います。歯科でのものづくりはヒトが相手なので、全てが一点物です。これを「有機的」だと言っています。最初に歯科業界を調べたとき、よくこの状況で100万個、1000万個と補綴物をマネジメントしているなと思いました。
 国産車のようにクオリティも高いのに、クルマほど儲からない。2040年の予測である歯科技工士が今の3分の1の1万人になっても引き続き需要を支えられるように、賃金構造も変えられるシステムが必要だと思いました。製造業の時の生産管理システムを、同様に歯科業界に採り入れられるのではないかと考えました。

 稲田がまず教えを請うたのは、金属用の3Dプリンターを持つ歯科技工士だ。老舗の大手歯科技工メーカーに在籍していたその社員から3Dスキャンと3Dプリンターで補綴物を作る手順を教わった。「これをクラウド上で行えないか」と発表したのが、「エミウムクラウド技工」サービスだ。

法律上の文書保存義務 クラウドで紛失防止

クラウド技工サービスでは、データ管理から工程管理までを一つのソフトで行える。製造業の生産管理から着想した(エミウム提供)
クラウド技工サービスでは、データ管理から工程管理までを一つのソフトで行える。製造業の生産管理から着想した(エミウム提供)

 先ほどの「型取り」の手順を、光学スキャナーで行い、通信技術を用いて歯科技工指示書を技工所に送る。クラウド技工を操作する歯科技工士が、3Dプリンターで補綴物を完成させる。補綴物を作る際には、「ワックスアップ」というかみ合わせをろうそくのロウで再現する工程があるが、人の手で15分かかる作業も、デジタルで行えば2分で済む。この手法で、少ない技工士でも多くの補綴物が作れるよう、生産管理を整えた。加えて、法律で歯科技工指示書は2年間の保存義務が課せられているが、クラウド上で保管すれば紛失リスクが低下するというメリットもある。

 エミウムが今、取り組んでいるのがAIを用いた補綴物の削り出し部分の検出だ。歯ぐきと補綴物の境目は、短すぎると補綴物を口の中にセットした後に虫歯になりやすくなり、長すぎると歯ぐきを傷つけたり、合わなかったりする。この削る部分を決めるのは特に技術が必要とされる部分だが、大量の補綴物の完成画像を機械学習させることで、自動化を進めた。

Q:歯科業界では人の手を介することが是とされている側面もあります。デジタルを入れることに抵抗感があるとされたことはありませんか。
A:AIは万能のように言われますが、蓄積されたデータが無いと動けないという最大の欠点もあります。今までの歯科医療で培った様々なデータをAIに学習させないといけないという点では人間の手仕事は必須です。AIはまだ臨床の中心ではないので、ふわっと受け止められがちですが、これからは中心になっていくと思います。
 AIの技術開発そのものでは日本は後れを取っていますが、実は規制緩和の最先端をいっています。歯科技工用の設計や製図を行うコンピューターのCADは、医薬品の承認審査が必要ないため、デジタルの参入がしやすい分野です。
 クラウン(歯を全て覆う被せもの)を作る場合、全てを手作業で行うと約190分かかりますが、パソコン上で行うと30分ほど短縮できます。手書きの技工指示書は「読めない」こともありますが、クラウドではそれがない。これを歯科医師の方々に伝えると、納得してくださることが多いですね。歯科技工士制度がある国は多くないため、日本のクオリティを持って世界に打って出れば、サプライチェーンまるごと整備できるチャンスなのです。

歯科技工指示書をオンライン化したもの。部位や材料、申し送りのためのメモなど様々な情報が入力できる(エミウム提供)
歯科技工指示書をオンライン化したもの。部位や材料、申し送りのためのメモなど様々な情報が入力できる(エミウム提供)

 AIを使ったベンチャーは世の中にたくさんあるが、医療分野でみると、歯科では医院の多さゆえに独自の商習慣があることや、医科と違い、自費診療と保険診療を両方行う診療所が多いこと、同じ治療でも歯科医師の好みによって材料や手技の方法が異なるという点で医療の中でも特異的である。

 それでもAIに委ねやすいのが歯科技工の部分であり、「AI社会の到来でも、AIの使い方は人間が考えなければならない」というのを具現化しているといえそうだ。エミウムは2023年11月に東京科学大学発ベンチャーの認定を受け、25年3月には6億円の資金調達に成功した。歯科メーカーは新規参入の壁が高いとされる。売上高、営業利益等は非開示だが24年度の1年間で、技工物受発注の取引数量は26倍、ユーザー数は32倍にまで増えたという。他方で歯科業界ならではの商習慣も多いため、「周囲の意見を聞きながら」と、稲田は今後の展開に慎重な姿勢も見せる。

 従来のサービスでは、事前に登録しなければ使えない項目が多いという課題があった。興味を持った歯科技工士らから「お試しで使ってみたい」という声があったことから、アカウント登録したあと、すぐに試せるように2026年1月にリニューアルした。

Q:歯科医師のみならず、歯科衛生士の業務も効率化できそうに思えます。
A:そうですね。型取りなどがデジタルですので、後処理が必要なくなります。
 今、政府は国民総歯科検診の実施を検討していますが、アナログですと、これに対応できないでしょう。今後、歯科業界は変わらざるを得ないというのが正直なところでして、入れ歯を作るのに1カ月待ち、といった現状も解消されるはずです。
 AIは2029年には130兆円の市場規模にまで大きくなると言われています。デジタルが理解できる歯科技工士を養成し、AIをうまく使っていけば、労働問題も解決できると思っています。歯科技工士の労働環境を良くしていき、歯科医院の業務も効率化され、患者さんも満足度が上がるという「三方良し」が理想です。

 歯科の展示会でも近年はデジタルやAIを使った業務支援システムが展示されるようになってきた。筆者が歯科業界に携わり始めた10年前にはあまり見られなかった光景だ。エミウムのサービスが市中の歯科医院でも通常の風景として見られるようになれば、歯科技工士が抱える問題は大部分が解決できるように思う。そして同時に、歯科技工士の職務内容が時代と共に変化し、志願する人が増えれば良いなと感じた。稲田が描く「歯科医療の地域格差をなくしたい」という夢にもそぐうことになるだろう。

(敬称略)

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感じて考えて伝えて、ゲリラ豪雨に立ち向かう サイエンスアゴラ2025「ソラヨミ講座」から https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20260108_e01/ Thu, 08 Jan 2026 06:54:28 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55977  ゲリラ豪雨に打たれ、洗濯物も自分の心もグショグショになったあの夕方。もしも「ソラヨミ」ができていたならば――東京・お台場で行われた科学フォーラム「サイエンスアゴラ2025」において、「異常気象へのレジリエンスを高めよう~ソラヨミ講座~」が昨年10月26日に開催された(主催=東京大学COI-NEXT「ClimCOREプロジェクト」、ウェザーニューズ)。気象情報提供サービスを運営するウェザーニューズ(千葉市)の気象予報士らが登壇。同社が提唱する「ソラヨミ」をキーワードに、気象災害から身を守るための考え方ならぬ「読み方」を、クイズなども交えながら解説した。

子どもから大人までさまざまな参加者がクイズにトライしながらソラヨミを学んだ
子どもから大人までさまざまな参加者がクイズにトライしながらソラヨミを学んだ

精度の高い予報は至難の業

 「ソラヨミ」とは、空を見て「感じる」こと。次にどうなるかを「考える」こと。そして「伝える」こと。「それが災害からみんなを守ることにもつながる」と教えてくれたのは、杉田雄輝さん(ウェザーニューズ予報センター気象予報士)だ。

普段は世界中から収集したデータの解析などを通じて天気予報を作成しているという杉田さん
普段は世界中から収集したデータの解析などを通じて天気予報を作成しているという杉田さん

 私たちが普段見る天気予報は、アメダスや気象レーダー、気象衛星から得られた観測データをもとに、スーパーコンピューターで分析することによって出ている。しかし異常気象の発生が毎年増加している中で、現在のシステムでは地域ごとに精度の高い情報を出すことは難しい。特にゲリラ豪雨は局所的・短時間に集中して雨が降るため、予報するのは至難の業である。しかし「ソラヨミ」をすることで、自ら天気急変の可能性を察知し対策をとることが可能だと杉田さんは言う。

天気の悪化を招く雲は? 2題に挑戦してみよう

 読者の皆さんにも実際にソラヨミクイズに挑戦してもらいたい。次のうちどちらの雲が近づくと、天気が悪化するだろうか。

会場で実際に出されたクイズの写真をお借りした(ウェザーニューズ提供)
会場で実際に出されたクイズの写真をお借りした(ウェザーニューズ提供)

 正解はモクモクとした形の左の雲で、夏場を中心によく見られる「積乱雲」だ。ゲリラ豪雨の前触れとされている。

 積乱雲は、地上の暖かい空気と上空の冷たい空気の気温差があるときに急激に発達する。近年増加傾向にある都市部のゲリラ豪雨は、アスファルトなどで空気が強烈に熱せられることで積乱雲が発達しやすくなっているためだと考えられている。

平均気温の上昇に加え、都市部ではビルからの排熱などによるヒートアイランド現象も積乱雲の発達に影響する(ウェザーニューズ提供)
平均気温の上昇に加え、都市部ではビルからの排熱などによるヒートアイランド現象も積乱雲の発達に影響する(ウェザーニューズ提供)

 では次のクイズに移ろう。いかにも天気が崩れそうな空模様だが、どちらの雲の下にいると危険だろうか。

いずれも暗雲立ち込める様子だが―(ウェザーニューズ提供)
いずれも暗雲立ち込める様子だが―(ウェザーニューズ提供)

 正解は右の写真の、つぶつぶとした小さな塊が集まっているように見える雲。「乳房雲」といい、ゲリラ豪雨直前に雲の中で激しい対流が起こっているため、丸みを帯びた形になるのだという。ニュースなどでよく耳にする「大気の状態が非常に不安定」なときには、この雲が見られることが多い。

乳房雲は積乱雲の中に発生しやすい(ウェザーニューズ提供)
乳房雲は積乱雲の中に発生しやすい(ウェザーニューズ提供)

 積乱雲の中では、重たい氷や雨の粒を含んだ下降流が、上昇気流と釣り合うことで渦を巻き乳房雲となる。やがて乳房雲が発達し、下降流の力が上回ると、対流の中から氷や雨の粒がゲリラ豪雨となって地上へ一気に落ちてくる。

アプリへの投稿が他者に快適や安全をもたらす

 このように、雲がくれるヒントをもとに変化の兆候を「感じる」ことができれば、洗濯物を取り込んだり、より安全な場所に移動したり、次の行動を「考える」ことができるようになる。

 さらに杉田さんは、「みんなに伝える」ことも重要だという。実はウェザーニューズのアプリにも、伝えるためのシステムがある。ユーザー同士で各地の天気に関するリポートを投稿し合える仕組みだ。

 ある日の天気予報レーダーとリポートをこちらに示す。

左の「雨/雪レーダー」は雨を青系色で、雪を赤系色で表している。右はユーザーのリポート情報。リポートがあった場所の天気をアイコンで示している。コメントがついているものもある(ウェザーニューズのアプリより)
左の「雨/雪レーダー」は雨を青系色で、雪を赤系色で表している。右はユーザーのリポート情報。リポートがあった場所の天気をアイコンで示している。コメントがついているものもある(ウェザーニューズのアプリより)

 雨/雪レーダーでは、札幌付近は青(雨)と赤(雪)が入り混じり実際の天気が見極めにくい。そこで右のリポートを見てみると、アイコンやコメントによって雨やひょうが降っていることがひと目で分かる。それを見たユーザーは、傘を持ったり外出を控えたりと、対策を打つことが可能だ。自分の気づきを「伝える」ことは、他のユーザーに快適さや安全をもたらすことにつながるため、ソラヨミにおいて重要なのだと杉田さんは語ってくれた。

球形モニターで国境を越える問題を体験

 最後に、会場に持ち込まれていた球形のモニターで、地球上の気温観測データや未来のシミュレーションデータを見せてもらった。

使い方をレクチャーする西祐一郎さん(ウェザーニューズテクニカルディレクター)。球形のモニターに地球上の観測データを映し出しており、手の温度に反応して見る場所を変えられる
使い方をレクチャーする西祐一郎さん(ウェザーニューズテクニカルディレクター)。球形のモニターに地球上の観測データを映し出しており、手の温度に反応して見る場所を変えられる

 筆者が体験させてもらうと、「エルニーニョ監視海域」(北緯5度から南緯5度、西経150度から西経90度)の矩形が目に付いた。ハワイ諸島のはるか南の赤道域からガラパゴス諸島に至る範囲だ。エルニーニョ現象との関連が深いとして気象庁が定義した海域で、そのデータは常に観測されている。

 エルニーニョ現象によって平年より海域が暑いと他の地域で上昇気流がうまく起きず、雨が降るべき場所に降らない、もしくは雨の降る場所がばらけるので、干ばつにつながる可能性がある。水不足は国境を越え、最悪の場合、食糧問題や紛争へと発展しかねない。そうした事態への予見可能性を高めるためにも、注視しながら観測をしているそうだ。

空を読む力が災害に強い社会を形作る

 参加した小学3年生の女児は「つぶつぶ(乳房雲)がゲリラ豪雨のサインだと初めて知って、心に残りました 」と話してくれた。子どもたちも空を見て考えるきっかけをもらえたようだ。

 「ソラヨミ」は天気を読み解くだけでなく、考えた結果、自分が逃げたり、他者へ伝えたりすることも含めての力だった。気象衛星、気象レーダー、スーパーコンピューターなど科学技術の発展によって天気の予測精度は高まっているが、全ての地域を予想するのは今も困難だ。対策を打つのは自分しかいない。空を読む力で、これから起こるかもしれない災害やそれに付随する問題を想定し、伝えていくことが、より災害に強い個人、そして社会を形作るのだと心に刻むことができた。

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「ひのえうま迷信」をデータから科学的に読み解く(吉川徹/大阪大学大学院人間科学研究科教授) https://scienceportal.jst.go.jp/explore/opinion/20260107_e01/ Wed, 07 Jan 2026 06:52:50 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55961  丙午(ひのえうま)は、日本で最もよく知られている暦の迷信である。一般には、その年生まれの女性の気性や運勢についてよくない言い伝えがあるため、(女児)出生が避けられ、60年に1度出生数が減る現象として知られている。2026(令和8)年はその丙午年にあたる。年間出生数が約69万人という超少子化状況にあって、今回の「令和のひのえうま」では、一段の出生減があるのかどうかに注目が集まっている。科研費を得て進行中の、「ひのえうま人口減の社会科学的解明」も踏まえて、丙午の迷信をデータから科学的に読み解く研究の一端を紹介したい。

吉川徹氏
吉川徹氏

江戸の「フェイクニュース」拡散

 2026年、令和のひのえうまは、直前になるまで話題にされることはほとんどなく、出産を考える肝心の若い世代では、丙午を知らない人も少なくなかった。それでも昨年末から年明けにかけて、にわかにマスメディアでの報道が急増し、ソーシャルメディアでの言及も多くなった。

 そもそも十干十二支による暦法は古代中国に由来する。日本社会で流布している丙午をめぐる迷信俗言の事実上の始まりは、江戸初期であることがわかっている。よく知られているのは、八百屋お七という若い娘が好きな男を想うあまり引き起こした江戸の放火事件である。この恋愛悲劇は草紙や歌舞伎、浄瑠璃などの庶民文化を介して広く拡散した。

八百屋お七を題材にした人形浄瑠璃「伊達娘恋緋鹿子」の火の見櫓の段(淡路人形座提供)
八百屋お七を題材にした人形浄瑠璃「伊達娘恋緋鹿子」の火の見櫓の段(淡路人形座提供)

 お七の生まれ年は、「寛文のひのえうま」であったとされる。これすら真偽不明なのだが、丙午女は「気性が荒い」となり、やがて「夫を食い殺す」などともいわれ、婚姻が避けられるようになった。

 丙午の女性たちが実際に厄難に苛まれるようになると、この年に女児を産むことを避けるべきだとされて、子流し(中絶・堕胎)、間引き・子捨て(嬰児密殺)、祭り替え(届出操作)などにより、この年の出生を抑制する風習が広まった。「ひのえうま迷信」は、今でいうところの「フェイクニュース」の拡散により、意図せざる結果として成立したものなのだ。

科学による迷信の「ブレイクスルー」

 こうした「ひのえうま現象」は、社会学の研究対象として示唆に富んでいる。迷信とは道理に合わない言い伝えなどを信じることなのだが、さらに突き詰めると、その要件は以下となる。

 第1は悪弊や不利益、すなわち厄難を伴う、ちまたに言い伝えられてきたことわざである俚諺(りげん)であるということ。吉兆をもたらす、あるいは実益につながる縁起のよい迷信はそもそも少なく、その実効性も確実だとはみられていない。しかし厄難のほうは、過剰に怖れられ、避けられる。

 第2の要件は、科学的、論理的な根拠が明らかではないということ。言い換えれば、成立プロセスが無根拠、非合理、理解不能だということで、これにより言説はかえってミステリー性を帯び、人びとの恐怖と忌避は一段と高まる。

 第3の要件は社会的に共有されていること。つまりその言説をだれもが知り、信じられている、正確には広く信じられていると認識されている、ということである。特定の個人が信じているだけならば、ゲン担ぎや秘密のマジナイの類になる。社会的な共有知であることによって、ある言説が正否にかかわらず、人々の個々のミクロな行為がマクロな社会構造に影響する「ミクロ・マクロリンク」の過程を経て実体化する、いわゆる予言の自己成就という因果性を誘発する。

 そして第4に伝統や因習による権威付けによって、その信ぴょう性が保たれていること。全く新しく生起した言説の場合、昨今話題のデマや陰謀論の類になるだろう。伝統性に裏打ちされることにより、迷信言説は根強く継承されていくことになる。

 四つの要件を満たす迷信の本質とは、古くからの、悪い、謎の、広まりだということになる。だからこそ、迷信と近代科学の相性は悪い。これまで、丙午研究は、歴史人口学と民俗学の研究がわずかにあるのみだった。逆にいえば、謎とされる部分の科学的な解明は、迷信のブレイクスルーの糸口となりうる。過去の丙午における「ミステリー」が、エビデンスに基づいて暴かれてしまえば、この現象はもはや迷信の要件を満たさなくなる。

人口減の隠れた機能とメカニズム

 過去および現在進行中のひのえうま現象について、人口動態統計、社会心理学、メディア報道、生殖科学、公衆衛生の制度史、近代家族・核家族論などの分野横断的なアプローチによって探究する研究として、2025(令和7)年度から3カ年の計画で、日本学術振興会の科研費挑戦的研究(萌芽)25K21919の支援で「ひのえうま人口減の社会科学的解明」を行っている。これにより、人びとに妄信され、畏怖されてきたひのえうま迷信は、理解可能な社会現象になっていく。

 資料が残っている弘化、明治、昭和のひのえうま周辺年の性生年別人口の統計をみると、180年前、120年前、60年前いずれも、この年に限って出生数や同年人口の落ち込みを確認できる。さらによく見ると、出生減の規模、前後年の人口変化のパターン、男女比が毎回少しずつ異なっていることにも気が付く。そして直近の1966(昭和41)年は、切り欠きが最も顕著であり、約50万人近い変動がみられる(前後年比約70%減)。これほどの規模の一時出生減は世界的にも例がない。

弘化、明治、昭和のひのえうま周辺年の性生年別の人口統計(各グラフの左が男性、右は女性)
弘化、明治、昭和のひのえうま周辺年の性生年別の人口統計(各グラフの左が男性、右は女性)

 ひのえうま迷信は、数十年を隔てた二つの社会現象で成り立っている。一つは出産回避および女児出生の忌避であり、もう一つは丙午年からおよそ20年後、当該女性たちが婚姻の適齢期に会う厄難である。つまり、出生と婚姻についての二つの現象が、繰り返されてきたのが丙午の歴史的経緯なのだ。

 この二つのひのえうま現象はともに、ある社会的機能を担っていたことを指摘できる。それは、家父長制の規範を逸脱するスケープゴートを無理やり作って折々に苛み、このイデオロギーの存在を強固にするというはたらきである。家父長制とは、男性主導の社会において、男性支配の家族・氏族システムに、女性が婚姻と子孫形成によって従属するという社会システムである。

 江戸期以降の日本では、慎ましく男性を立てる気性をもち、嫁ぎ先に望んで迎えられ、離縁されたり再婚を繰り返したりすることなく、世間に恥じない子を産み、夫唱婦随で平穏に結婚生活を送ることが、女性にとって望ましいこととされた。にもかかわらず、丙午の女性は、そうした人生を歩むことができないと、いわれなく決めつけられたというわけだ。

 人びとに明示的に意図されることはなかったが、60年に一度、女性だけという120分の1の確率でスケープゴートを作って、そこに社会からの圧力を加えることは、家父長制規範の望ましさを再確認し、明確化する作用をもっており、だからこそ江戸から昭和の日本に広く流布したのだと解釈することができる。そうであるならば、ひのえうま現象を指標とすれば、ジェンダーやイエ意識や生命倫理についての社会意識変容の趨勢を知ることができる。丙午をある種の自然実験だとみるこの考え方は、計量経済学者の石瀬寛和氏も実践し、研究成果を論文発表しているもので、丙午に生まれた集団は「Japanese Firehorse cohort」として海外の経済学や人口学の研究でも一定の関心が示されている。

昭和のひのえうまの出生秘話

 現代のわたしたちが広く知るひのえうま迷信現象は、この昭和の大出生減なのだが、科学性と合理性に基づく豊かさを求めて邁進した高度経済成長期の只中において、旧来の迷信がなぜこれほど大きな力を発揮したのだろうか。このときの実態について、実際の年次出生数を示す折れ線グラフを見ると、緩やかな出生増の趨勢のなかで、山―谷―山の変動があったことを捉えている。

 これは、丙午年に限って妊娠が回避されたわけではなく、前後3年ないし5年の期間で出産前倒し(約10万6000件)、出産先送り(約14万3000件)がなされていたということを示唆している。つまりこのときには、単なる出産断念ではなく、長期にわたる計画的な受胎調節(避妊によるバースコントロール)がなされていたのだ。

 約50万人の大出生減というのは、山―谷―山の3年の推移の差分をそのままみたものだが、1966年の出生数の純減は、じつは約16万4000件にすぎない。ちなみに、1966年だけ妊娠中絶数が増加したという事実もない。約280日の妊娠期間を考えれば、当事者たちにとっての「昭和のひのえうま」の始まりは1963(昭和38)年の下半期であり、丙午の余波の終わりは1968(昭和43)年だったという驚くべき事実が明らかになる。

緩やかな出生増だった傾向を踏まえて想定出生数を算出し、実際の出生数との差を求めた
緩やかな出生増だった傾向を踏まえて想定出生数を算出し、実際の出生数との差を求めた

 昨年にだした光文社新書「ひのえうま 江戸から令和の迷信と日本社会」に詳しいが、「ひのえうま騒動」を想定以上に拡大させたのは、このとき発達していた大衆メディアの報道であった。けれども、これに加えて生殖科学の知識、とくに第二子以降の受胎調節の公衆衛生としての伝播が、期間を正確に区切った出生減をこれほど大規模にした知られざる要因であったのだ。

どうなる令和のひのえうま

 このように、過去の丙午についてわざわざ調べ直して話題にすると、忘れかけていた迷信を蒸し返すな、という非難もあるかもしれない。しかし、正確なエビデンスに基づく総括的事実の周知こそが、この迷信を本当に終わらせる早道であるだろう。他方では、歴代の丙午の構造の解明によって、令和のひのえうままで何が起きるかということの予測も可能になり、日本社会が直面している少子化問題に知見を活かすこともできる。

 目下の結論は、昭和のひのえうまの大出生減は、いくつかの要因が重なった、史上まれにみる暴発的現象であったのであり、令和のひのえうまでは同様の現象は生じえないということである。そして、残念ながら昭和のひのえうまのメカニズムを逆の方向に作動させることで、少子化を食い止めることも容易にはなしえないといえる。

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2050年の「食」は世界に行き渡るか、90億人の笑顔を目指す ムーンショット目標5イベントから https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20260105_e01/ Mon, 05 Jan 2026 06:31:57 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55935  2026年現在、約82億人といわれる世界人口は、40年頃に90億人を超えるとみられている。その結果、50年には穀物需要量が現在の1.7倍にまで増えると指摘されている。そのとき、食料は世界の隅々まで行き渡るだろうか。そうした問題意識を背景に、サイエンスアゴラ2025においてトークセッション「目指そう90億人の笑顔!“いただきます”を未来にも」が去年10月25日に開催された。化学農薬を使う代わりにレーザーで害虫を狙い撃ちして駆除する方法や、廃棄される食材を凍らせ粉末にしておいしくムダなく使う方法が紹介され、未来の農業と食料について参加者とともに考える機会となった。

会場の日本科学未来館に所属する科学コミュニケーター久保知瑛里さん(左)の進行により、ライブ中継も交えてセッションが行われた
会場の日本科学未来館に所属する科学コミュニケーター久保知瑛里さん(左)の進行により、ライブ中継も交えてセッションが行われた

取り組みは自然科学と社会科学の両側面から

 セッションは、内閣府のムーンショット型研究開発制度の目標5「2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出」の一環として、研究開発を推進する生物系特定産業技術研究支援センター(BRAIN)が主催した。ムーンショットは、破壊的イノベーションの創出を目指した大胆かつ挑戦的な研究開発を推進する制度で、10の目標が設定されている。

 冒頭、目標5プログラムディレクターの千葉一裕さん(東京農工大学学長)は、セッションに込めた思いとして研究開発の背景にある課題に触れた。世界の食料供給にはさまざまな課題がある。例えば、農業は環境にやさしいイメージがあるが、実際には化学肥料や化学農薬による土壌汚染、肥料の輸入時の温室効果ガス排出など環境に負荷をかけている面もある。また、世界では毎年、農作物生産量の3分の1ほどにあたる約25億トン分が廃棄されている。キズがあり販売できないこと、豊作で収穫しきれないことなどが理由だ。また、降水量の少ない地域では淡水の奪い合いも発生している。

目標5では「食料供給の拡大と地球環境保全を両立する食料生産システム」と「食品ロスゼロを目指す食料消費システム」の2本の柱を立て研究開発を推進している(内閣府提供)
目標5では「食料供給の拡大と地球環境保全を両立する食料生産システム」と「食品ロスゼロを目指す食料消費システム」の2本の柱を立て研究開発を推進している(内閣府提供)

 千葉さんは「歴史を振り返っても、農業の発祥と同時に人々の間で格差が生まれた。農業におけるさまざまな課題には、自然科学と社会科学の両側面から取り組む必要がある。人口が増え続ける一方で、農地面積はこれ以上増やせない。科学技術を活用し、環境負荷を抑えながらいかに効率良く食料を生産するかが重要だ」と話した。

ムーンショット目標5プログラムディレクターとして研究を総括する千葉さん
ムーンショット目標5プログラムディレクターとして研究を総括する千葉さん

蛾の飛行パターンを解析、狙撃精度は90%以上

 続いて、登壇者が2つのプロジェクトを紹介した。

 日本(ひのもと)典秀さん(京都大学大学院農学研究科教授)らが取り組むプロジェクトは「先端的な物理手法と未利用の生物機能を駆使した害虫被害ゼロ農業の実現」だ。驚くことに、農作物の総生産量のうち42%が、害虫と病気と雑草により失われている。そこでプロジェクトでは害虫による損失の軽減に、化学農薬に頼らない手法で取り組んでいる。

さまざまなアプローチを駆使し害虫被害ゼロを目指す日本さん
さまざまなアプローチを駆使し害虫被害ゼロを目指す日本さん

 取り組みのひとつは、幼虫期に農作物を食べてしまう蛾を1匹ずつ青色レーザー光線で撃ち落とす装置の開発だ。飛び回る蛾を単純に狙撃するのは難しいが、蛾の飛行パターンを解析し、次の瞬間に蛾がいる場所を予測することで、個体数ベースで90%以上の狙撃精度(100匹いたら90匹を撃てる)を実現した。

会場で行われた「レーザー害虫駆除システム」の実演。レーザーが自動で蛾(模擬)を捉えている
会場で行われた「レーザー害虫駆除システム」の実演。レーザーが自動で蛾(模擬)を捉えている

「すぐに諦めない」天敵で害虫被害ゼロを目指す

 天敵のタイリクヒメハナカメムシを放って、農作物の汁を吸う害虫のアザミウマを減らす手法も紹介された。農薬の散布は、夏場に防護服を着ての重労働である。それに比べて、天敵を放つほうが農家の負担が少ない。プロジェクトに参画する世古智一さん(農業・食品産業技術総合研究機構植物防疫研究部門上級研究員)は、捕食対象のアザミウマがすぐに見つからなくても農作物に留まって定着する、「すぐに諦めない」性質を持つ個体を選抜。何世代も交配を繰り返して捕食効果を高めることに成功した。

世古さんは茨城県つくば市の農研機構からのライブ中継で、「すぐに諦めない」タイリクヒメハナカメムシを実際に放つ様子を見せてくれた
世古さんは茨城県つくば市の農研機構からのライブ中継で、「すぐに諦めない」タイリクヒメハナカメムシを実際に放つ様子を見せてくれた

 また、「害虫ゼロ」ではなく「害虫被害ゼロ」を目指しているのも重要な点だ。害虫を絶滅させると生態系のバランスが崩れる可能性があるためだ。千葉さんが述べた「環境負荷を抑える」意味でも、人為的な介入の影響をできる限り抑える意欲が感じられた。

無駄になっていた食材とLNG冷熱を活用

 古川英光さん(山形大学大学院理工学研究科教授)らは、地元山形県の企業とともに「低温凍結粉砕含水ゲル粉末による食品の革新的長期保存技術の開発」に取り組んでいる。

「やわらかさ」をキーワードに研究やものづくりを続けている古川さん
「やわらかさ」をキーワードに研究やものづくりを続けている古川さん

 凍らせた後に水分を飛ばすフリーズドライではなく、食材の水分を保ったまま急冷して粉砕し、「凍結粉砕含水ゲル粉末」にする。これまでの凍結粉砕は、液体窒素を用いて零下196度で行われていたが、古川さんらは同80度でそれを可能にした点も大きな成果である。この手法では、野菜や果物はもとより、魚などの長期保存に向かない食材も粉末にして長く保存できる。

穀物や野菜などさまざまな食材の含水ゲル粉末(左)と、廃棄されるタコの皮から含水ゲル粉末をつくり、3Dフードプリンターで再成型したタコの寿司
穀物や野菜などさまざまな食材の含水ゲル粉末(左)と、廃棄されるタコの皮から含水ゲル粉末をつくり、3Dフードプリンターで再成型したタコの寿司

 特徴は、液化天然ガス(LNG)の火力発電所と連携し、従来は無駄になっていたエネルギーを活用する点だ。火力発電の燃料であるLNGは零下160度に冷却された液体の状態で運搬・保管されている。発電時に熱を与えて気化させる仕組みだが、古川さんらはここで発生する冷熱を用いて食材を凍結粉砕する技術を確立。エネルギーを無駄なく活用できるというわけだ。

 さまざまなステークホルダーとの協働により、含水ゲル粉末の用途を広げることにも余念がない。後述する地元の菓子製造企業とのラスクの共同開発や、料理人とのレシピの考案に取り組んでいる。「長期保存に向かず無駄になっていた食材と、未利用エネルギーとして課題になっていたLNG冷熱。2つの『もったいない』を活用することでフードロスが削減され、しかもおいしい」と古川さんはアピールした。

密に連携する生産者と和気あいあいの交流

 両プロジェクトは、地域の生産者などと密に連携している。セッションにはそうした当事者らも招かれており、登壇者と和気あいあいとした雰囲気の中で交流した。日本さんと対談したのは茨城県で有機農業を手がける伏田直弘さん(ふしちゃん代表取締役社長)。

大手外食チェーンや金融業界を経て10年前に就農したという伏田さん
大手外食チェーンや金融業界を経て10年前に就農したという伏田さん

 伏田さんの農園には120棟ものビニールハウスがある。その全てに害虫がいないか目を光らせ、駆除するのは大変な作業だ。一度ハウスに入ってきてしまうと、蛾はどんどん増えてしまう。伏田さんは害虫対策に苦慮する様子を見せながら「レーザー害虫駆除システムを導入し、最初の1匹をハウスに入られる前に撃退したい」と期待を寄せた。

 古川さんは鈴木健太郎さん(大山製菓代表取締役社長)と対談した。大山製菓では、米の含水ゲル粉末から米粉ラスクを製造している。

大山製菓の4代目として山形の食文化を支えている鈴木さん
大山製菓の4代目として山形の食文化を支えている鈴木さん

 大山製菓は山形の正月を彩る伝統菓子「初飴」を製造する、現在唯一の企業だ。以前は飴だけに専念していたが、鈴木さんの代で飴以外の製品を初めて手がけた。その1つが、米の含水ゲル粉末から作った米粉ラスクだ。「古川さんとの連携は思い切った決断だったが、会社の未来を考えると必要な挑戦だった」と鈴木さんは話す。

会場で配布された大山製菓の米粉ラスク。パンから作る一般的なラスクとは全く異なり、ボーロのような食感だ。「飲み込みやすいので介護食にもなる」と鈴木さんは米粉ラスクに新たな価値を見出している
会場で配布された大山製菓の米粉ラスク。パンから作る一般的なラスクとは全く異なり、ボーロのような食感だ。「飲み込みやすいので介護食にもなる」と鈴木さんは米粉ラスクに新たな価値を見出している

 1日に3トンものマッシュルームを手作業で収穫しているという長澤大輔さん(舟形マッシュルーム社長)は、山形県舟形町からライブ中継で登場。マッシュルームの日持ちは通常2週間程度だが、含水ゲル粉末にすることで鮮度を保ったまま半年から1年ほど保存できるようになったという。また、「マッシュルームの風味も保たれるため、粉末を料理にかけるとトリュフの代わりにもなる」と古川さんとの連携により活用機会が広がったことにも触れた。

「マッシュルームは生でも食べられる」とその場で摘み採って実食してくれた長澤さん
「マッシュルームは生でも食べられる」とその場で摘み採って実食してくれた長澤さん

 ムーンショット目標5では他にも6つのプロジェクトが進行中だ。冒頭で千葉さんが語った「人口が増え続ける一方で、農地面積はこれ以上増やせない」という現実や、農業が抱えるさまざまな課題をシビアに認識しつつ、未来でも私たちが十分においしく食べられるように、農家や企業と協力しながら多角的に研究へ取り組んでいる様子が伝わったセッションだった。

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首都を襲う大地震に備え、ガス供給の安全と安心を確保する 東京ガスネットワークの24時間監視システム https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20251226_e01/ Fri, 26 Dec 2025 01:09:43 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55860  首都直下地震は30年以内に70%という高い確率と甚大な被害が想定され、マグニチュード(M)7クラスの強大な揺れが電気やガスといった重要な社会インフラにも容赦なく襲いかかる。太いガス管が破損してガスが大量に漏れれば火災などの大きな被害を引き起こす危険性があるため、大地震が発生したら速やかにガス供給を停止して二次被害を未然に防ぐシステムが社会の災害対応力向上のためにも重要だ。

 首都圏1都6県の約1200万戸にガスを供給する東京ガスネットワーク(東京都港区、沢田聡社長)は、震災時の安全・安心の確保と社会インフラの早期復旧を担う。同社が運用する24時間遠隔監視の「SUPREME(シュープリーム)」は、世界でも例を見ないリアルタイム地震防災システムと言われる。SUPREMEを中核とする同社の地震防災・インフラ老朽化対策を取材した。

東京ガスネットワークが入った東京ガス本社ビル(東京都港区海岸1丁目、東京ガスネットワーク提供)
東京ガスネットワークが入った東京ガス本社ビル(東京都港区海岸1丁目、東京ガスネットワーク提供)

地震防災の中核担う「供給指令センター」

 東京ガスネットワークは、政府の方針に基づく導管事業の法的分離に伴い、2022年4月に東京ガスの導管事業を引き継ぐ形で分離・独立した。

 沢田社長は「24時間365日、都市ガスを安定的に供給し続けることが最大の使命で、設備の定期点検と維持管理、万が一のガス漏れの際の迅速な緊急対応、そして、地震などの自然災害への備えと被災時の早期復旧、さらに都市ガス普及を通じた快適な暮らしの実現を担っている」と説明する。

 安全にガスを供給し、安心して使ってもらうために、自然災害の甚大化やインフラの老朽化といった社会課題に対する対策強化を重点的に進めているという。地震防災の中核は、都市ガスの製造と供給設備の稼働状況を常時監視・コントロールする「供給指令センター」だ。

 供給指令センターはグループ各社が入る東京ガス本社ビル内の広いフロアにあり、独自の地震防災システムSUPREMEの司令塔となっている。センターを訪れると、その日の担当者が緊張感をもって監視を続けていた。

東京ガスネットワークの供給指令センター(東京ガスネットワーク提供)
東京ガスネットワークの供給指令センター(東京ガスネットワーク提供)

「二次被害防止」「早期復旧」の鍵はガス管網のブロック化

 都市ガスの地震対策の基本である「二次被害防止」と「早期復旧」の鍵は、ガス管網のブロック化だという。ブロック化の導入は早く、1995年の阪神・淡路大震災より前の80年代にさかのぼる。83年に東京ガスが国の災害対策基本法指定公共機関になったことを受け、各戸につながる低圧管網のブロック化が始まり、89年には広大な供給範囲が100ブロックに細分化された。

 その後、95年の大震災を受けて、同社は地震防災対策を拡充・強化した。2001年には地震防災システムSUPREMEを稼働させ、東日本大震災や熊本地震を経て液状化や水害対策などの機能も追加してきた。

 タンカーで輸入されたLNG(液化天然ガス)はLNG基地で気化させた後、「ガバナステーション」で高圧ガスから中圧に減圧し、さらに「地区ガバナ」と呼ばれる圧力調整器で低圧にする。 これらのガスを運ぶ導管は重要なライフラインで、総延長は6万4000キロにも及ぶ。その9割は各戸につながる低圧管だ。

 現在、低圧管網は300以上、中圧管網は25以上のブロックに分割され、万が一の際には、被害が大きく対策が必要な地域(ブロック)だけガス供給を停止し、それ以外の地域は供給を継続する仕組みになっている。一連の作業は供給指令センターで遠隔操作する。システム導入前は担当者が現地に行って作業するために40時間かかっていた停止操作が、わずか10分でできるようになったという。

 このシステムでは、ガス供給エリア内に約4000の地区ガバナが設置されている。その内部には、東京ガス(当時)が中心になって精密機器企業と共同で開発した「SIセンサー」という地震計が入っている。この地震計は「地震によって建物がどれだけ大きく揺れるか」を数値化した「SI値」を計測する。震度5強はSI値21~40、6強は同71~120相当で、地震発生に伴うSI値の情報は5分以内に供給指令センターに送信される。平均で約1キロの間隔の高密度地震計ネットワークは、地震防災の専門家も「世界に例を見ない」と指摘している。

地震防災システム「SUPREME」の概要図(東京ガスネットワーク提供)
地震防災システム「SUPREME」の概要図(東京ガスネットワーク提供)

耐震性の向上と老朽化対策は一体

 2025年1月に埼玉県八潮市内の交差点付近の道路が突然陥没してトラック運転手が死亡した事故は、老朽化した下水道管の破損が原因だった。高度経済成長期に作られて耐用年数を超えたインフラの老朽化対策は、その必要性が事故前から指摘されており、事故を受け一層大きな社会問題となった。

 東京ガスネットワーク取締役常務執行役員の今井朋男さんによると、最初の陥没が発生した直後に同社の緊急対応車が出動し、陥没孔の周辺でガス漏れがないことを確認したという。一方で、もしものガス漏れを防止するため、緊急に新たなバルブの設置工事をしてガスを止める範囲をできるだけ狭めた上で、130戸の供給を停止した。安全のためのガス管迂回ルートを確保して、事故後2日半で供給を再開したそうだ。

 都市ガスのインフラ老朽化対策は地震防災対策と一体で、ガス管をはじめとするさまざまな設備の強化が柱になる。例えば、以前の低圧管は黒鉛を含む「ねずみ鋳鉄(ちゅうてつ)管」で、強い力が加わると破損する恐れがあった。今井さんによると、1996年時点では4000キロ超にこの管が残存していたが、腐食せず破断しにくいポリエチレン管に順次取り替えており、2025年度中には全てのねずみ鋳鉄管の更新が完了する予定だ。

 このほか、高圧管や中圧管には、強度や柔軟性に優れ、阪神・淡路大震災や東日本大震災でも高い耐震性が確認された溶接接合鋼管が使われている。球形のガスタンクのガスホルダーにも耐震設計が施され、揺れの減衰装置などが導入されている。インフラ老朽化対策について今井さんは「高品質な導管の建設、設備の適切な維持管理、緊急時の迅速な措置が3本柱」だと言う。

埼玉県八潮市の道路陥没現場(東京ガスネットワーク提供)
埼玉県八潮市の道路陥没現場(東京ガスネットワーク提供)
ねずみ鋳鉄管とポリエチレン管(東京ガスネットワーク提供)
ねずみ鋳鉄管とポリエチレン管(東京ガスネットワーク提供)
低圧ガス管の老朽化対策の進ちょくを示すグラフ(東京ガスネットワーク提供)
低圧ガス管の老朽化対策の進捗を示すグラフ(東京ガスネットワーク提供)

東日本大震災では早期復旧のためガス各社が集結

 東日本大震災をもたらした東北地方太平洋沖地震では、東京ガスのガス供給対象地域も大きく揺れた。東京ガスネットワーク担当者の説明では、SUPREMEが地震発生直後から稼働したほか、震度5程度以上の揺れを感知した地域では、各戸に設置されたガスメーター(マイコンメーター)の安全装置が作動してガス供給を自動的に遮断し、対象地区で約300万戸の安全を確保できたという。

 筆者も大震災後の取材体験で、仙台市の素早いガス復旧を実感している。東京ガスネットワークによると、東京ガスグループなど全国の都市ガス事業者が宮城県仙台市や石巻市、福島県いわき市、茨城県土浦市などでガス供給の復旧作業に取り組んだ。このうち約36万戸のガス供給が停止した仙台市では、同社を中心に約50の事業者が集まって現地救援対策本部をつくり、4月16日にはガスの供給を完全に復旧させた。

 東京ガスネットワークの今井さんは、地震防災の基本について、設備の耐震化による「予防」、SUPREMEを活用した適切なエリアを対象にした迅速なガス供給停止の「緊急」、そして全国のガス事業者が相互に連携・協力する「復旧」の3つが柱だと説明する。

供給指令センターとは別に保安指令センター(左)が設置され、ガスに関する緊急の通報受け付けから緊急の出動指示(右)までのを担当する(東京ガスネットワーク提供)
供給指令センターとは別に保安指令センター(左)が設置され、ガスに関する緊急の通報受け付けから緊急の出動指示(右)までを担当する(東京ガスネットワーク提供)
ガスを貯蔵するガスホルダー。1日の需要に応じてガスが送り出される。ここも耐震対策が施されている。(東京ガスネットワーク提供)
ガスを貯蔵するガスホルダー。1日の需要に応じてガスが送り出される。ここも耐震対策が施されている(東京ガスネットワーク提供)

電力、通信、水道とも連携して対策を強化

 供給指令センターには内閣府や東京都と情報を共有する専用端末やホットラインが設置され、相互に連携して被害の拡大を防止するための体制を構築している。また、電気、通信、上水道といった重要社会インフラを担う東京電力、NTT東日本、東京都水道局とも連携し、情報交換しながら対策の強化を進めている。

 「自然災害の激甚化などの環境変化や(インフラ老朽化対策などの)社会課題が顕在化している。これらに的確に対応しながら、お客さまの暮らしや産業活動を支えるための都市ガスを届け続ける都市ガス事業者として、使命と責任を果たすために日夜取り組んでいる。今後もデジタル技術なども活用しながら、都市ガスが将来にわたって不可欠なエネルギーとして選ばれ続けるように強固な事業基盤を確立していきたい」。沢田社長は首都直下地震なども想定しながら、そう語る。

 東京ガスネットワークの広報動画も、次のように強調している。「過去の地震の教訓から災害対策を進化させてきた。首都直下地震への備えも引き続き強化しなければならない。ライフラインを守るものとして、我々都市ガス事業者は地震防災と老朽化対策の強化について、これからも見えない場所で見える努力を続けていく。安心、安全と信頼は私たちの責任だ」

 甚大な被害が想定される首都直下地震に備えて事前防災を徹底し、もしもの際にも基幹エネルギーである都市ガスの安定供給を維持する――。公共性の極めて高い事業を展開する企業としての取り組みは続く。

供給指令センターの担当者は24時間交代で監視を続ける(東京ガスネットワーク提供)
供給指令センターの担当者は24時間交代で監視を続ける(東京ガスネットワーク提供)
東京ガスネットワークの沢田聡社長(12月11日、筆者撮影)
東京ガスネットワークの沢田聡社長(12月11日、筆者撮影)
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首都直下地震の新被害想定、死者1万8000人、経済被害82兆円超 12年前より減るも目標に届かず https://scienceportal.jst.go.jp/explore/review/20251225_e01/ Thu, 25 Dec 2025 08:08:21 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55888  マグニチュード(M)7級の激しい揺れが襲う首都直下地震について、政府の作業部会は19日、新たな被害想定の報告書を公表した。最悪の場合、全壊・焼失建物は約40万棟、死者は約1万8000人に達し、工場損壊や流通網の壊滅などによる経済被害は総額82兆円を超えるという。「国難級」の甚大な被害規模が明らかになった。

 被害想定の見直しは、前回の2013年から12年ぶり。建物の耐震化や木造住宅密集地域での防火対策が進んだことから、死者数は前回想定の2万3000人から減ったものの、「首都直下地震緊急対策推進基本計画」で15年に定めた「10年間で死者数半減」との目標には届かなかった。政府は今後、同計画を改定し、26年度中に設置されることになっている防災庁を司令塔に首都機能の維持と被害軽減に向けた取り組みを強化する方針だ。

政府の作業部会の報告書の表紙(内閣府提供)
政府の作業部会の報告書の表紙(内閣府提供)
首都直下地震による被害イメージを紹介する内閣府の動画の一場面(内閣府提供)
首都直下地震による被害イメージを紹介する内閣府の動画の一場面(内閣府提供)

都心南部直下地震、国民生活や経済活動に深刻な影響

 政府の中央防災会議・首都直下地震対策検討作業部会は、2023年12月から被害想定の見直しと新たな防災対策の検討を開始。「30年以内に70%程度の確率」での発生が予想され、首都中枢への影響が極めて大きい「都心南部直下地震」のタイプで被害を想定した。

 今回まとまった報告書は、首都圏には政治、行政、経済といった中枢機能が集積し、都心南部で直下地震が起きれば、国全体の国民生活・経済活動のほか海外にも大きな影響が出ると指摘。人口や建物が密集していることから、揺れや火災によって多くの直接死が出ることが避けられないとした。

 1都4県で想定される死者は、M7.3の地震が冬の夕方に発生して風速8メートルの場合に最大になり、建物倒壊の約6000人と火災の約1万2000人を合せて約1万8000人になるという。このうち、東京都が約8000人で全体の4割を超えている。

 東京都以外で想定される最大死者数は、神奈川県5200人、埼玉県3200人、千葉県1500人、茨城県10人。建物の全壊は最大で約13万棟、焼失が約27万棟で、全壊・焼失の総計は40万棟余りとなった。

関東直下で過去に発生した大地震(内閣府提供)
関東直下で過去に発生した大地震(内閣府提供)
 都心南部直下地震の想定震度分布図(内閣府提供)
都心南部直下地震の想定震度分布図(内閣府提供)

災害関連死4万人超、帰宅困難者840万人、食料不足1300万食

 避難者数は地震発生直後から徐々に増え、想定では2週間後に480万人になり、帰宅困難者は平日正午に発生した場合は840万人になるという。これとは別に海外から観光や出張で訪れた65万~88万人も滞留する恐れがあると想定された。今回、避難生活に伴う体調悪化などで起きる災害関連死についても初めて推計し、最大1万6000~4万1000人との数字が出た。

 このほか、最悪の被害想定として停電が約1600万軒、断水で上水道が使えない人が約1400万人、下水道が使えない人が約200万人、エレベーター内に閉じ込められる人が約1万6000人、地震後1週間の食料不足は約1300万食にものぼるという。

 前回の最大の被害想定と比較すると、死者では約5000人が、全壊・焼失建物では約21万棟が、避難者数では240万人が、それぞれ減っている。また、経済的な被害は約13兆円も減った。2015年の対策が一定の効果を上げているとされたものの、首都直下地震緊急対策推進基本計画の目標には及ばなかった。

 作業部会の増田寛也主査(野村総合研究所顧問)は「(首都圏を襲う地震被害を)自分事として捉え、社会全体で態勢を構築することが重要だ」などと述べた。

阪神・淡路大震災では直下型地震により住宅密集地の建物が倒壊して多くの犠牲者を出した(神戸市/内閣府提供)
阪神・淡路大震災では直下型地震により住宅密集地の建物が倒壊して多くの犠牲者を出した(神戸市/内閣府提供)
首都圏で想定される地震には、さまざまなタイプがある(内閣府提供)
首都圏で想定される地震には、さまざまなタイプがある(内閣府提供)

「関東大震災型」では最悪2万3000人近くが死亡

 東京を含む関東地方は、北米プレートに向かって南側からフィリピン海プレートが、さらに東側から太平洋プレートがそれぞれ沈み込む極めて複雑な地下構造の上にある。このため、想定される地震のメカニズムも多様だ。

 作業部会は今回、都心南部直下地震のほか、相模トラフ沿いを震源とする「関東大震災型」のM8級地震についても想定被害を出した。海溝型の地震であるために津波による大きな被害が想定され、押し寄せる津波の規模は千葉県と神奈川県では最大10メートル、東京都の島しょ部と静岡県では8メートルになるという。

 冬の夕方に発生して風速8メートルの風が吹く場合の最悪の想定では、死者については津波の約3500人、火災の約1万3000人、建物崩壊の約6300人などを合せて2万3000人近くにのぼり、負傷者は約8万6000人に達する。災害関連死も最大で約3万3000人という想定だ。

 建物の全壊と焼失は約41万4000棟、半壊は約47万3000棟と想定された。停電は最大で約1600万軒と全体の約5割に及び、完全復旧には1カ月以上かかる。情報通信分野への被害も大きく、固定電話・インターネット回線は最大で約750万回線に支障が出て、震災後の通信や連絡への影響は避けられないという。

 一方で、経済被害については、東京に集中する企業の被災が比較的軽く、都心南部型より少ない60兆5000億円だという。内訳は経済活動への影響分が約20兆3000億円、民間、公共、準公共部門合せた資産への影響が約40兆2000億円と大きかった。

関東大震災型大地震の想定震度分布図(内閣府提供)
関東大震災型大地震の想定震度分布図(内閣府提供)

ネットのデマ・流言の拡散で被災地に混乱も

 東京という巨大過密都市を襲う人的被害や経済的被害の他の被害もまとめた。中でも情報発信の遅れは深刻で、適時適切な情報の伝達に支障をきたすほか、SNSなどによるデマや流言が大量に拡散して被災地の混乱を深刻化させることから、こうした分野での対策も必要であることを指摘した。

 政府が2014年3月に閣議決定した首都直下地震緊急対策基本計画に基づいて翌年に策定された減災目標は、その当時に想定されていた最大被害(死者約2万3000人、建物の全壊・焼失約61万棟)を概ね半減することを掲げた。しかし今回、前回の想定と同じ揺れが襲ってくる条件で出した結果、被害想定は死者で3割強、建物被害では約4割の軽減にとどまった。

 今後の対策の中でも特に重要なのは、死者数の3分の2を占める住宅密集地などの火災対策だ。現在、道路拡幅などの施策により東京都内の密集地域は減ったものの、依然として老朽化した住宅が密集した地域や、消防車などの緊急車両が通れない狭い道路も多い。

 火災対策の鍵は揺れを感知すると自動的に電気を止める「感震ブレーカー」だが、設置率は伸び悩んでおり、今後の具体的な課題の柱になる。民間企業なども本社・本部の代替機能を地方に置いたり、生産拠点を地方に移したりするなどの取り組みを進めているものの、まだ途上だ。SNSなどによるデマ・偽動画対策については、効果的な方法が見つかっていない。

 大地震は全国どこでも、いつでも起こり得る。被害を少なくするには、一人一人が命を守るために備えておくことが大切だ。

首都直下地震により火災が発生するイメージを紹介する内閣府の動画の一場面。想定死者数の約3分の2は火災による(内閣府提供)
首都直下地震により火災が発生するイメージを紹介する内閣府の動画の一場面。想定死者数の約3分の2は火災による(内閣府提供)
首都東京を襲う大地震による甚大被害を少しでも軽減する対策が急がれている(首都直下地震の想定被害を紹介する内閣府の動画の一場面、内閣府提供)
首都東京を襲う大地震による甚大被害を少しでも軽減する対策が急がれている(首都直下地震の想定被害を紹介する内閣府の動画の一場面、内閣府提供)
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