深く掘り下げたい - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」 https://scienceportal.jst.go.jp Mon, 10 Nov 2025 05:04:16 +0000 ja hourly 1 基礎科学は人類の進歩につながる「赤ん坊」―未来の科学技術を生み育てる投資を(本間希樹/国立天文台教授・水沢VLBI観測所所長) https://scienceportal.jst.go.jp/explore/opinion/20251110_e01/ Mon, 10 Nov 2025 05:03:37 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55498  私は国立天文台に所属する天文学者で、水沢VLBI観測所(岩手県奥州市)の所長を務めつつ、国内外の電波望遠鏡のネットワークを使って銀河系の構造やブラックホールを研究している。天文学は純粋な好奇心に基づく基礎科学であり、私も含めて多くの研究者は自分自身の好奇心から研究を進めている。たとえ銀河系やブラックホールについて理解が深まったとしても、それが直ちに人類に経済的な利益をもたらすわけではなく、ほとんどの研究者はそのような短期的な利益とは無縁な研究をしている。では、基礎科学の本質的な価値とはいったい何なのか。私なりの考えを述べたい。

本間希樹氏
本間希樹氏

純粋な好奇心こそ研究の原動力

 多くの人々は「宇宙」と聞くと、まずはロケットや人工衛星が飛んでいる地球近傍の宇宙空間を思い起こすだろう。そこで展開されている各種の宇宙技術は既に日常生活に深く浸透しており、それらなしでは現代社会が成立しないレベルに進歩している。例えば、携帯やカーナビでGPS衛星の信号を受信し、自分のいる位置を把握した経験のある人は多いはずである。また、天気予報で気象衛星「ひまわり」を見るのも日常生活の一部となっているし、衛星放送を視聴している人も多いだろう。

筆者が所長を務める国立天文台・水沢VLBI研究所のシンボルである20メートルアンテナ(右)。鹿児島県薩摩川内市、東京都小笠原村、沖縄県石垣市に設置された同型の20メートルアンテナと結んだ巨大な観測網を形成している(国立天文台提供)
筆者が所長を務める国立天文台・水沢VLBI研究所のシンボルである20メートルアンテナ(右)。鹿児島県薩摩川内市、東京都小笠原村、沖縄県石垣市に設置された同型の20メートルアンテナと結んだ巨大な観測網を形成している(国立天文台提供)

 これらの身近な宇宙技術と基礎科学としての天文学は、一見、無関係に思えるかもしれない。しかし、歴史をさかのぼれば、天文学が現代の宇宙技術に深く関係しており、人類の技術の発展に大きく寄与していることがわかる。例えば、飛行機を飛ばしたり、人工衛星を打ち上げたりするには「力学」という物理学の体系が必須である。そして力学は、コペルニクスやガリレオによる地動説の提唱と、ケプラーによる惑星の運行法則の導出、そしてニュートンによる万有引力の理論的体系化を経て構築された学問分野である。その起源は天文学にあるといってよい。

 力学の法則なしには現代科学の発展はありえないのだが、天文学の研究を通じてそれに寄与した過去の科学者たちは、いずれも自身の研究が何かの役に立つことを目指していたわけではない。私たち現代の天文学者と同様、「自然や宇宙の真理を明らかにしたい」という純粋な好奇心が原動力だったのである。科学技術の根幹を支える基礎科学を進めるのは、時代を問わず、未知なるものに対する知的好奇心に他ならない。この視点に立てば、今後の人類の進歩のためにも、即座に役立つか否かに関わらず、好奇心に基づく基礎科学研究を継続することが重要だと多くの人に理解していただけると思う。

筆者が参画する国際プロジェクト「イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT)」が世界で初めて撮影に成功したブラックホールシャドウ(EHT Collaboration提供)
筆者が参画する国際プロジェクト「イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT)」が世界で初めて撮影に成功したブラックホールシャドウ(EHT Collaboration提供)

予算削減とコスト増に苦悩する現場

 しかし現在、日本の基礎科学がおかれている状況は極めて厳しい。私が勤務する国立天文台でも、長期的な予算の削減や、ロシアのウクライナ侵攻に端を発する電力コストの増加、円安や物価高などの影響で、研究活動の維持が困難な財政状況にある。これは国立天文台に限ったことではなく、基礎研究を支える大学や他の研究機関でも同様である。実際、最近も国立大学協会が現状を危惧するメッセージを発信したり、東京大学などが学費を値上げしたりしている事実からも、研究現場の苦境を察することができる。

 もちろん私たち研究者も、手をこまねいているわけではない。私たちの観測所は2022年、研究支援のためにクラウドファンディングを実施し、1200人以上の支援者から計3000万円を超える寄付をいただいた。研究費を確保できたというだけではなく、私たちの研究に多くの人々が関心を持ってくれていることを改めて実感することができ、観測所の研究者にとって大きな励みとなった。

 また、私たちは企業と連携し、若手研究者の共同雇用や育成なども進めてきた。任期付きの研究者が多い若手層は、予算不足による悪影響を最も受けやすい。若手が継続的に研究できる環境の整備に努めた結果、企業に採用された研究者が企業の仕事をしながら天文学の研究を続けるという新たな例も出てくるようになった。

国立天文台水沢VLBI観測所が2022年に実施したクラウドファンディングのプロジェクトページ。目標金額の3倍もの支援が集まった。
国立天文台水沢VLBI観測所が2022年に実施したクラウドファンディングのプロジェクトページ。目標金額の3倍もの支援が集まった。

「手段の目的化」は研究力を先細りさせる

 ただし、こうした新たな挑戦は、当然ながら多くの試行錯誤と時間を要する。政府は大学や国立機関に対して独自の財源確保のための自助努力を求めているが、それが行き過ぎれば、資金調達そのものが目的化し、結果として研究のための時間がますます削られるという本末転倒な事態に陥りかねない。

 そのような事態は日本の基礎科学の未来にとってマイナスであり、日本の研究力を先細りさせるだろう。研究者が一定の研究時間と研究費を安定的に確保できる状況を確かなものとすることが、基礎科学の長期的な発展には必要なのである。

 特に近年、予算やポストの削減のせいで、若手研究者は不安定な任期付きポジションを長期的に続けざるを得ない状況にある。時間はかかるが夢のある大きな研究に挑戦できる環境がないようでは、優れた人材は研究の世界からどんどん離れていってしまう。私たちが取り組んだブラックホールの撮影も10年がかりの大型プロジェクトで、数多くの研究者たちが連携して進めてきたものである。しかし、短期雇用の若手研究者がこのような長期的な成果を目指すのは、現実的にますます難しくなっている。

本質突くファラデーの「名言」

 この状況を改善するには、「基礎科学は人類の長期的な進歩のために必要である」という歴史的な事実を私たちが改めて認識し、適切に資源を配分していくことが必要である。もちろん、医療や福祉など喫緊の国民的課題を差し置いて、基礎科学を優先するべきだなどと言うつもりはない。しかしながら、基礎科学にも適切に予算を投じることが、人類の未来への重要な投資であることを強く訴えたい。

 19世紀に電磁気学の基礎となる電磁誘導の法則を発見したマイケル・ファラデーは、「その法則はいったい何の役に立つのか?」と問われたとき、「生まれたばかりの赤ん坊が何の役に立つか、誰にわかるでしょうか?」と問い返したという。この言葉は基礎科学の本質を突いた名言である。

 実際、ファラデーの電磁誘導の法則が生まれなければ、私たちが電波技術の恩恵にあずかることはなく、世界中の人々がスマホを手にしながら生活する社会も到来していなかっただろう。すぐに役立つかどうかわからない「科学の赤ん坊」を今後も生み育て、人類の進歩につなげていくことを心より願う。

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出会い、語り、体験通じて未来を考える サイエンスアゴラ2025閉幕 https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20251027_e01/ Mon, 27 Oct 2025 08:32:39 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55419  あらゆる立場の人が体験や対話を通じ、科学技術と社会をつなぐ国内最大級のイベント「サイエンスアゴラ2025」(アゴラ)が25、26日の2日間にわたり開催された。顔を合わせ語り合い、自然や科学技術の魅力や課題に触れる多彩な130超の企画が東京・お台場の2会場に集結。にぎわいを通じて知的好奇心を高め、人類や地球の未来を考えるひとときとなった。

サイエンスアゴラ2025の「サイエンスショー」。今年も硬軟取り混ぜた多彩な企画に、会場が沸いた=25日、東京・お台場のテレコムセンタービル
サイエンスアゴラ2025の「サイエンスショー」。今年も硬軟取り混ぜた多彩な企画に、会場が沸いた=25日、東京・お台場のテレコムセンタービル

「トウガラシ」効かせたメニューぎっしり!?

 アゴラは科学技術振興機構(JST)が主催し、今年で20回の節目を迎えた。例年、お台場で開催したが、コロナ禍を受け2020~23年にはオンライン形式も導入した。昨年、完全実地開催が復活。今年もテレコムセンタービルをメイン会場に、日本科学未来館を加えて開催した。小雨が降ったものの会場はにぎわい、このイベントが定着していることをうかがわせた。

 会場では例年、楽しみの工夫が凝らされる。今年の来場者は、パンフレットや掲示に描かれたトウガラシのマークに気付いたことだろう。各企画の内容の難易度を1~3個のトウガラシのアイコンで示したものだ。全企画が老若男女を歓迎するとはいえ、来場者にはエンタメの延長のように科学を楽しみたい人もいれば、“ガチ勉”しに来た人もいただろう。限られた時間の中、あらかじめレベルの心積もりができたのではないか。

(左)テレコムセンタービル会場の入り口(右)企画の難易度を示す「トウガラシマーク」を付けた掲示
(左)テレコムセンタービル会場の入り口(右)企画の難易度を示す「トウガラシマーク」を付けた掲示

 今年も「キュレーション」により、ブースの配置などを分かりやすく整えた。キュレーションとは情報を集め、テーマに沿って編集しながら意味や価値を見いだす作業、といった意味。有識者10人からなる推進委員会が、多彩な企画を参加者の興味関心に応じて価値づけ、分類するキュレーションを進めた。「地球・生き物・私たち」「食・農業・健康」「街・空間・生活基盤」「研究・対話」「学び・体験・創造」の5つのジャンル分けをしており、トウガラシマークと相まって、来場者の過ごし方に影響を与えたことだろう。

「魅力伝えたい」中高生が活躍

 会期中は登壇者からアゴラの意義や、参加のコツに関する声が聞かれた。「科学と私たちが対話し、問いを見つける場だ」「“推し”の研究を見つけて応援してほしい」「疑問に思ったことは、出展者がタジタジになるくらい質問を」などと、来場者に呼びかけた。

活発な質疑応答や意見交換が続いた
活発な質疑応答や意見交換が続いた

 各種のセッションでは健康や医療、災害、生態系の課題や、AI(人工知能)との付き合い方、科学研究のあり方など多岐にわたるテーマで、発表や議論が活発に繰り広げられた。分野は自然科学のみならず人文・社会科学にもまたがった。ブースでは研究機関や学校、有志などの出展者により、実験や観察、ワークショップ、社会課題に関する意見交換といった企画が実現した。研究者や若者が手作りで趣向を凝らしたゲームに、子供たちの行列ができた。

 例年、中高生ら若者による出展も多いが、今年は特に活躍が目立った。会場に、中学や高校による出展ブースをまとめたエリアが設定された。25日の「見どころ紹介」では生徒が「遺伝のメカニズムに、中学生の時にほれた。楽しく学んでもらいたい」「オリジナルのゲームを通じ、恐竜の魅力をいろんな人に伝えたい」などと熱く呼びかけ、続いて開かれたサイエンスショーにも協力した。高校2年生の女子生徒は「想像していたよりも多くの人がブースに来てくれてうれしく、話し合うことでさらに興味が深まっている。出展している他校とも交流したい」と声を弾ませた。

 情報工学を学ぶ大学生は「さばき切れないほどのお客さんが来ている。しかも専門の異なる人が、われわれには気付き得ない要改善点を指摘してくれた。知識を深め、展示内容をブラッシュアップする機会になっている」と手応えを語った。

次世代が次世代を育てる。中高生が企画したゲームや実験が、子供たちの人気を集めた
次世代が次世代を育てる。中高生が企画したゲームや実験が、子供たちの人気を集めた

「嫌がった子供も今、楽しんでいる」

 会場で思いを自由に書き留める「Share Wall(シェアウォール)」には、驚いたことや感動したこと、不安に思っていることなどの多彩なコメントが寄せられた。「日常の当たり前が、万人にとっての当たり前ではないことに気付いた」「AIに負けたくない」などなど。イラスト入りのものもあり、思いを表現すること自体を楽しむという、アゴラの特質がここにも見られた。

(左)来場者の思いで埋め尽くされた「Share Wall」(右)仮想現実を活用した、大学生の力作のゲーム
(左)来場者の思いで埋め尽くされた「Share Wall」(右)仮想現実を活用した、大学生の力作のゲーム

 小学4年生の子供と来場した東京都大田区の会社員の男性(50代)は「各ブースの内容が一見分かりにくいものの、子供にとって、見るだけでなく遊び、触れながら理科や算数に興味を持てる内容が多い」と話した。品川区の会社役員の男性(40代)は「子供は行くのを嫌がったが、いろいろなものに触れてほしくて連れて来たら、今は楽しいと言っている。仮説を立てて考えるゲームでは、家族3人が違うことを考えて興味深かった」と充実を語った。一方で「話が長いと感じた。科学者として説明したい気持ちは分かるが、誰にも分かるよう要点や目的をまとめて話してほしい」と改善を望む声も聞かれた。

 今年はトウガラシマークが1個の企画が最も多く、多くの人に関心を持ってほしいとの狙いがうかがえた。お祭りのような会場に足を運び、他の研究者や来場者と言葉を交わし、時に手足も動かしながら深める知識や思考。それらには、ネット検索で瞬時に得られる情報とは異質の価値があるだろう。この2日間のどのトウガラシも、来場者の心に知的なスパイスとして長く効いていくはずだ。

(左)2つの会場。手前の日本科学未来館と左奥のテレコムセンタービルはごく近い(右)未来館では、遠隔地の医療を支援するトラックの展示も
(左)2つの会場。手前の日本科学未来館と左奥のテレコムセンタービルはごく近い(右)未来館では、遠隔地の医療を支援するトラックの展示も
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【特集:荒波の先に見る大学像】第1回 システムを改革し若手の活躍願う―研究力再興の旗手、東北大学総長 冨永悌二さん https://scienceportal.jst.go.jp/explore/interview/20251024_e01/ Fri, 24 Oct 2025 07:54:10 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55387  日本の研究力低下が叫ばれて久しい。世界大学ランキングでも、国内の主要大学が諸外国の後塵を拝す状況が長く続いている。研究力の低下は優秀な人材の流出にもつながり、やがては国力の低下すら招きかねない。少子化の逆風も吹く中で、大学に巻き返しの策はあるのか。「特集:荒波の先に見る大学像」の第1回は、国際卓越研究大学の認定第1号として研究力再興の旗手を託された東北大学の冨永悌二総長に伺った。

冨永悌二さん(東北大学総長)
冨永悌二さん(東北大学総長)

若手中心のPI1800人で研究力向上を目指す

―研究力低下の根本的な原因は何でしょうか。

 事務や教育にかかる負担の増加や技術職の不足など、研究環境の悪化による研究時間の低下が大きいと思います。日本の研究者が研究に費やせている時間は32%程度との調査結果がありました。学内でもかつては50%ほどあったのが、直近では約38%と減っている。3人合わせて、ようやく1人分です。この「1人分」あたりのトップ10%論文の被引用数を見てみると、日本はかなり低い。諸外国は論文のアウトプット数も多いことを考えると、やはり1人あたりの研究時間不足と、それを招いた研究環境の悪化が非常に大きいと思います。

日本の研究者が研究に費やす時間は減少の一途を辿っている(文部科学省「令和5年度『大学等におけるフルタイム換算データに関する調査』について(2025年1月公表)をもとに編集部作成)
日本の研究者が研究に費やす時間は減少の一途を辿っている(文部科学省「令和5年度『大学等におけるフルタイム換算データに関する調査』について(2025年1月公表)をもとに編集部作成)

―国際卓越研究大学のコンセプトは、その課題に取り組むものと読み取れます。

 環境を整えて世界中から優秀な研究者を呼ぶと公約に掲げています。さまざまな策がある中で1つ挙げるとすれば、若手の活躍を願うのが私たちの戦略です。

 従来の講座制は縦型の構造で、若手は教授の指導下に入らなければなりません。一方、海外には30代から研究主宰者(PI)として独立して研究を行う環境があります。100年間日本で培われたシステムにはもちろん良い面もありますよ。ただ、研究力を上げるために1800人規模のPI制を立ち上げ、優れた若手には独立した研究環境を与えたいのです。

PI制は国際卓越研究大学の認定を受けた体制強化の大きな目玉(東北大学提供)
PI制は国際卓越研究大学の認定を受けた体制強化の大きな目玉(東北大学提供)

 まずは各PIに基盤経費と研究費を与えます。必要であれば、研究支援人材も雇用できる形にします。もちろん研究スペースも与えて。これが基本戦略ですね。構造自体は学内で概ね同意を得られました。

若手PIの成果に経験あり、医療分野は研究を切り離す

―実現には困難も伴いそうです。

 「本当に若手が独立してやっていけるのか」という不安もあると思います。ですが、独立独歩で全てやれという話ではありません。教授からのメンタリング、グループで予算を取りに行くなどといったサポートも得ながら、若手には自身のアイデアでPIになってもらう構想です。

 東北大学では2013年に学際科学フロンティア研究所(学際研)という組織を作り、世界中から公募した若手50人にPIとして研究を主宰してもらう試みを既に始めていました。非常にアウトプットが出るんです。論文指標は、全国の大学教員平均よりもずっと上の値になりました。優秀でモチベーションのある若手に環境を与えると成果が出ることは、既に経験できていたのです。

2017年~2022年のトップ10%論文割合で13.8%と高い数字を残した学際科学フロンティア研究所。分野を限定せずに若手研究者を国際公募した結果、採用倍率は10倍以上に及んだという
2017年~2022年のトップ10%論文割合で13.8%と高い数字を残した学際科学フロンティア研究所。分野を限定せずに若手研究者を国際公募した結果、採用倍率は10倍以上に及んだという

―今回も学際研で得られたノウハウを生かすのですね。

 ただですね、既にその体制が取られている部局や、必ずしも馴染まないところもあります。例えば文系は、若手も含めて各々が独立して自分のテーマで研究していますので、既にPI制になっていると言えますよね。

 また、私の出身である医学部の場合、ある程度の経験が必要ですし、技術も伝承しなければなりません。臨床・教育・研究を同時並行するのは難しいという意味でも、PI制は必ずしも馴染まない。

―医療分野ではどのような手立てをしましたか。

 研究だけを切り離してPI制をとることにしました。医学イノベーション研究所(SiRIUS)を新たに設立し、臨床系の優れた若手で研究志向の強い方を5人選抜して、この4月から稼働しました。将来的には30〜50人規模にしたいと思っています。

 大学病院の国立病院との違いは何か。やはり研究開発のプラットフォームになることです。忙しさにかまけて研究をしないのは、大学病院のあるべき姿ではありません。背後にあるアカデミアの知見を生かして新しい医療や機器をつくる、新薬を開発する、スタートアップを創出する。そうしたプラットフォームになるための機能を強化すべきと考えて、SiRIUSをつくりました。PI制をベースに、医療分野のイノベーションへつなげて欲しいと願っています。

SiRIUSの設置は病院長時代の冨永さんの肝いりでもあったという
SiRIUSの設置は病院長時代の冨永さんの肝いりでもあったという

米研究者の受け入れは3月から始動、新体制も構築

―6月には米国などから500人の研究者を雇用するとの発表もありました。

 米国だけでなく、世界中から優れた方を招聘します。背景をお話しすると、私たちは昨年、国際卓越研究大学に認定されて以降、研究者の受け入れ体制をつくってきました。新設したヒューマンキャピタルマネジメント室(HCM室)が綿密に、人事戦略会議のもとかなりの数の研究者をリクルートおよび受け入れをしています。

改革の目玉の一つであるHCM室の体制図。室長は青木孝文プロボスト(理事・副学長)が務める(東北大学提供)
改革の目玉の一つであるHCM室の体制図。室長は青木孝文プロボスト(理事・副学長)が務める(東北大学提供)

 そうした中で米国の政権が1月に替わり、在米の研究者が窮状に陥る中で、国から支援金をもらう我々こそが受け皿になるべきだと考えたのです。

 そこで、国際卓越研究大学の制度や東北大学が求める人材について、米国で若手研究者を集めて説明会をやりました。3月に動き出して、5月19日から23日にかけてサンフランシスコとボストンで計5回です。

 トランプ大統領の政治姿勢などを考慮して、当初はこのことを公表せず慎重に動いていました。国は今でこそ積極的な研究者受け入れを表明していますが、我々は3月時点で動き始めていたんですよ。

―研究者のリクルートはどのように進めているのですか。

 実務はHCM室が担いますが、リクルート自体は部局単位です。認定前の昨年9月から私やプロボストがすべての部局を回り、各トップに国際卓越研究大学のプランや期待することを説明しました。その際、向こう20年間の成長戦略を作って欲しいと要請したんです。その戦略に基づいて、部局ごとの採用基準と採用数の目安を設けました。従って、米国の問題で注目を浴びる前から、受け入れ体制は既にできていたのです。

―研究者が大量に増えますが、どのようにサポートしていきますか。

 まずは5年間で400人の研究支援人材を雇用します。ある程度の専門性を持った方をリサーチアドミニストレーター(URA)などとして。

 あとは知財も重要です。我々も将来的には収入を上げていかなければなりません。ビジネスの目線で時代が読める方に来ていただきたいです。

 実は今、アドバイザーとして米ハーバード大学副学長のアイザック・コールバーグさんに来ていただいています。ボストンにイノベーションエコシステムを作った自負を持つ方で、我々にはビジネスパーソンが少ないと指摘されました。ハーバードのやり方を伺うと、知財の活用や企業との共創において、ビジネスパーソンがいかに重要かがわかります。骨の髄までビジネスのDNAで染まっている方を呼ばないと、大学の自己収入は上がらない。そういう専門性を持った人を、研究支援人材として雇用する必要があると痛切に感じました。

東北大学参与として助言を送っているコールバーグさん(後列左から3人目、東北大学提供)
東北大学参与として助言を送っているコールバーグさん(後列左から3人目、東北大学提供)

全学部が前向き、課題は給与格差

―業績の評価のあり方についての考えは。

 昨年の段階で、評価基準は文理を分けるべきだと考えました。理系はトップ10%論文や特許のようにわかりやすい指標があるのですが、文系は同じように測れません。各部局を回ったときも温度差がありました。国際卓越研究大学の実感が湧かないのもあるし、大学の収入が伸びても自分には関係ないと感じる部分はあると思います。そこで文系の部局から責任者の先生に集まっていただき、優れた研究者を評価する基準を決めました。

 文系学部にも少しずつ変化が起きてきたように感じます。ある学部では、これまで少なかった海外発信や教授の採用をやっていこうと。そういった変化が非常に嬉しいですね。今では全学部が前向きに考えてくれていると言って良いと思います。

―人事面での課題はありますか。

 リクルートは順調に進んでいますが、課題は海外との給与格差ですね。海外のスター研究者は年収1億円超が当たり前なんですよ。円安の影響も大きいです。

 課題への対応として、企業から得る知財収入の一部を知的貢献費として給料に上乗せする仕組みが全国の大学で取り入れられていますが、東北大学はこれを特に重視しています。今までは研究者の知識や経験を無償で提供してきましたが、成果を残した人に適切な対価が支払われないと、研究職を魅力に感じる若い人がいなくなるかもしれません。昔みたいに「好きなことをやっているのだからいいじゃないか」では済まされない。それなりの見返りがある形を、少しずつ考えていきたいですね。

震災を経て整った社会との共創マインド

―東日本大震災を経て、東北大学は世界の防災研究をリードする立場になりました。

 防災研究は他の大学でも行われていますが、災害科学国際研究所(IRIDeS)は防災を多面的に捉え、研究と実践を柱にしているところが特徴です。医学部による被災者の心理的ケアや、文系学部による災害の歴史研究や文化財保護などがそうですね。

 防災・減災に投じる額と、被災からの復興に必要な額を比較すると、前者への投資は圧倒的に経済効果が高い。こういったことを、もっと世界に広めていくべきだと思います。特に災害の多い東南アジアなどですね。防災教育にも力を入れていきたいです。

IRIDeSが主体的に関与して開催されている世界防災フォーラム(東北大学提供)
IRIDeSが主体的に関与して開催されている世界防災フォーラム(東北大学提供)

―認定により地域との関係は変化しますか。

 地域との共生は東北大学のDNAにあるんです。1907年の創設時は日露戦争直後で資金がなく、宮城県の自治体や民間の財閥から資金をいただきました。そういう意味で我々は、創設時から社会とともに歴史を築いてきた自負があります。

 そして震災を経験し、学内でどれだけ研究したとしても復興には貢献できない、自分たちから社会に出ていかなければならないと、大学の人間は皆わかったんです。ですので、産業を含めた地域との共創に対するマインドセットは、既に整っていると思います。

―今、具体的に取り組みたいことは。

 産学官金による共創の場として「サイエンスパーク」を整備しています。半導体、AI、バイオ、量子、マテリアルなど重要分野の研究拠点として、投資の呼び水となることを目論むものです。

大手ディベロッパーとのパートナーシップにより、青葉山新キャンパス内で整備が進むサイエンスパーク(東北大学提供)
大手ディベロッパーとのパートナーシップにより、青葉山新キャンパス内で整備が進むサイエンスパーク(東北大学提供)

 一方で東京との距離の近さを生かし、同じ経済圏として捉える考え方もあると思っています。これまでは仙台でのエコシステムづくりに取り組んできましたが、研究開発は仙台でやって、営業は東京でする。こんなやり方もあるんじゃないかと。

 ボストンはマサチューセッツ工科大学を核にエコシステムが構築されていますが、30年かかったそうです。東北にエコシステムを一朝一夕で作ることはできないので、やはり発想の転換は必要でしょう。情報・資金・人材が集まる東京のエコシステムに、我々も加わっていくことを検討しています。

スタートアップにDX―他大学との連携盛んに

―地方の衰退が叫ばれる中、これからの大学のあり方をどのように捉えていますか。

 東北地方の本学が国際卓越研究大学第1号に選ばれた意味合いを考えていきたいです。この先、地方の人口が急激に減って、学生数も減ったときにどんな戦略を描くのか。地方の大学は、将来を非常にシリアスに考えていると思いますよ。我々東北の大学も教育・研究の両面で連携しています。

 スタートアップ支援では、東北6県と新潟県の大学・高専22校がすべて入る形で「みちのくギャップファンド」を運営しています。

 大学のDX(デジタルトランスフォーメーション)化に関しても、東北大学を母体に約80の大学と約30の企業などから500人以上が連携する「大学DXアライアンス」が日本DX大賞2025で支援部門優秀賞を獲得しました。

2023の特別賞に続く受賞。大学間・産官学の枠組みを超えた共創的なDX推進体制が高く評価された(東北大学提供)
2023の特別賞に続く受賞。大学間・産官学の枠組みを超えた共創的なDX推進体制が高く評価された(東北大学提供)

 研究面では、学際研の取り組みを「学際融合グローバル研究者育成東北イニシアティブ(TI-FRIS)」として東北地域の国立7大学に横展開しました。各大学の優秀な若手を対象に合宿・セミナーなどの開催、国内・海外各1人によるダブルメンター制での研究支援など、連携して育成に取り組んでいます。

TI-FRISで連携する大学等と各々が持つ多彩な強み(東北大学提供)
TI-FRISで連携する大学等と各々が持つ多彩な強み(東北大学提供)

 他にも文部科学省の「地域中核・特色ある研究大学強化促進事業(J-PEAKS)」では、山形大学をはじめとする複数大学のプロジェクトに参画し、貢献を果たしています。

 このような貢献は、国際卓越研究大学の認定段階から考えていたことです。自校のみならず日本の大学を引っ張っていくよう求められていたので、皆でレベルアップしようと心得ながら取り組んでいます。

システム改革の先陣に

―日本の研究力向上の旗手として、決意をお聞かせください。

 国際卓越研究大学の認定第1号としての自負と責任があります。日本が置かれた状況で研究力を上げるには、研究や教育のシステムを再考し、ガバナンスや財務などの大学運営を見直す。そうした変化が世界との競争力を引き上げることにつながると思いますので、あらゆる面でのシステム改革は非常に重要だと考えています。ですから我々は、先陣を切って従来の国立大学にはない仕組みをつくっていきたいですね。

 この制度は、国も責任感を持って取り組んでいると思うんです。ですから国民が納得する結果を残さないと継続されないという危機感はありますよね。当然ですが責任重大です。

 ただ、今後第2号以降が認定されて複数校のグループになれば、東北大学の立ち位置もより鮮明になってくるのではないかと思っています。そうしたものも、今後考えていきたいですね。

「特集:荒波の先に見る大学像」は難局の時代を迎えた大学運営に焦点を当て、研究力向上を目指すさまざまな大学の特色ある取り組みを掲載します。

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「心の余白」を広げるために―テクノロジーでろう・難聴者と聴者の壁を乗り越える、本多達也さん https://scienceportal.jst.go.jp/explore/interview/20251023_e01/ Thu, 23 Oct 2025 07:21:59 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55360  私たちの周りには、人と人とを隔ててしまう見えない壁のようなものがある。例えば、耳が聞こえる人(聴者)の多くは、耳が聞こえない・聞こえにくい人(ろう・難聴者)と関わる機会がほとんどない。学校教育も別々に行われることが多い。しかしこのような壁も、少しの工夫やアイデアがあれば乗り越えられるかもしれない。

 富士通のソーシャル・イントラプレナー(社会課題を解決する社内起業家)である本多達也さんは、音を振動と光に変換する「Ontenna(オンテナ)」を発明。身体や感覚を拡張するテクノロジーを駆使し、これまで遠い存在だった人々が交じり合うことから生まれる新しい世界を創出しようとしている。

オンテナは背面のクリップで髪の毛など身体に身に着ける仕様のため、聴力に左右されず共通の情報を受け取ることができる
オンテナは背面のクリップで髪の毛など身体に身に着ける仕様のため、聴力に左右されず共通の情報を受け取ることができる

8割以上のろう学校で使用される「オンテナ」

―本多さんの代表的な発明品「Ontenna(オンテナ)」について教えてください。

 周囲の音を振動と光に変換することで、その音が持つリズムや特徴を感じ取るデバイスです。60~90デシベルの音を、256段階の振動と光の強さで伝えています。2019年7月にサービスを立ち上げ、同年8月から一般販売を始めました。

―具体的にどんな場面で活用されているのですか。

 全国の8割以上のろう学校で、聴覚障害のある子どもたちの発話訓練に使われています。音の大きさに合わせて振動しながら光を発するので、自分の声量や、自分の声が相手に届いているかが視覚的にわかるんですね。また、音楽のリズムを取るための練習でも活用されています。

オンテナを導入したろう学校では、児童生徒の発話練習での有効性に加え、先生の負担軽減にも役立ったという(富士通提供)
オンテナを導入したろう学校では、児童生徒の発話練習での有効性に加え、先生の負担軽減にも役立ったという(富士通提供)

 音を使ったパフォーマンス会場でも活用されています。例えばタップダンスのイベントでは、ろう・難聴者はその面白さを初めて感じ取ることができ、聴者は音を振動で感じるという新体験を楽しむことができました。オンテナは「拡張された感覚」をもたらすところがあって、誰にとっても楽しい体験を得ることが可能になるんです。障害を超えて会場に一体感が生まれました。

本多さんが働く富士通本店の所在地である川崎市をホームタウンとするJリーグ「川崎フロンターレ」の試合でもオンテナを試行した(富士通提供)
本多さんが働く富士通本店の所在地である川崎市をホームタウンとするJリーグ「川崎フロンターレ」の試合でもオンテナを試行した(富士通提供)

 今は海外展開も図っていて、来年から英国やドイツ、北米や南米でもオンテナを販売する予定です。ろう者の教育現場はもちろん、音楽や映像のイベントや舞台作品などのエンターテインメントの場でも利用されることを期待しています。

「音を共有したい」から始まった

―オンテナを開発したきっかけを教えてください。

 公立はこだて未来大学1年時の文化祭がきっかけでした。ろう者の方々を案内した際、初めて手話を間近で見たんです。そのときに「函館聴覚障がい者協会」の会長さんと一緒に温泉へ行くほど仲良くなり、手話を教えてもらうことになったんです。「手話って面白いな」と思うようになって、検定試験の受験、手話サークルの立ち上げ、手話ボランティア、ろう者の方たちとのNPO設立など、さまざまなことに取り組みましたね。

学生時代から手話を用いた活動に精力的に取り組んできた本多さん(ご本人提供)
学生時代から手話を用いた活動に精力的に取り組んできた本多さん(ご本人提供)

 ただ、ろう者の方とコミュニケーションが取れるようになった一方で、逆に音を共有できない瞬間をより強く意識するようにもなったんです。例えば、一緒に歩いていて横で犬が急にほえても、僕だけ驚いて隣のろう者の方は反応しない。大みそかにテレビを一緒に観ていても、紅白歌合戦を楽しめていない。それで「一緒に楽しむにはどうすればいいのかな」と考えるようになったんです。

―どのような経緯で今の形にたどり着いたのですか。

 オンテナの開発は、大学時代の研究テーマだった「情報デザイン」の一環としてろう者の方と一緒に取り組みました。2012年頃ですね。最初は、周りの音に反応して、その大きさに合わせてピカピカ光る棒のようなものを作りました。でも、ろう者の皆さんからは「目がチカチカして邪魔」と酷評されました。

 どうしようかと模索する中で、振動で伝える方法にたどり着いたんです。装着する場所もいろいろと試してみた結果、意外にも「髪の毛につけると良いぞ」とわかって。こうして音を共有できる装置を作ったら、意外にもろう者の方だけではなく、耳が聞こえる人にとっても楽しいものができ上がったんです。

社会的な幸せをどうデザインするか

―デンマークで共創デザインの勉強をされていたそうですね。

 去年まで「デンマークデザインセンター」という国営のデザインコンサルティングファームで働きながらデザインの勉強をしていました。そこで強く感じたのは、自分とは異なる存在を受け入れる「心の余白」がたくさんあるということです。デンマークにはろう学校がなく、聴者と同じクラスで学んでいることが特に印象的でした。

 私の職場の人たちも、普段はデンマーク語で話しているのに、私が輪に入ると自然と英語に変えてくれるんです。誰かが指示したわけでもなく、本当に自然に。そのとき「この国の人はお互いを包み込むような心の余白が多い」と感じたんですね。デンマークでは、このような社会的な幸せをどうやってデザインするかという観点が至るところにあるんです。感銘を受けた一方で、日本社会にはまだ分断が多いとも感じました。

デンマークの学校に表示されていた手話のサイン。街中や建築物など至るところに包摂性が感じられたという(富士通提供)
デンマークの学校に表示されていた手話のサイン。街中や建築物など至るところに包摂性が感じられたという(富士通提供)

音を視覚的に表現した「エキマトペ」

 それで帰国後、「どうすれば日本でも心の余白を広げられるのか」が、自分の大きなテーマの1つになったんです。日本にはもともと“おもてなし”の文化があり、相手の気持ちに寄り添う心があったはず。その良さをもっと発揮できる社会にしたいと思い、そのチャレンジの1つとして取り組んだのが「エキマトペ」です。

―エキマトペはどのような経緯で開発されたのですか。

 オンテナの製品化にあたって、ろう学校の先生や子どもたちに協力してもらったのですが、そのときに電車を使って通学する生徒が多いと知ったんです。そこで、より安心安全に、そして明日も学校に行きたくなるような「未来の通学」をデザインしようと、JR東日本、大日本印刷と企画を立ち上げました。

 駅には、電車の走行音、ドアの開閉音、駅員さんのアナウンスなど、さまざまな音があります。これらの音を、AIを使ってリアルタイムで文字と手話で視覚的に表現するのですが、機能性にかかわるアイデアは「駅で流れる特徴的な音を通して、もっと駅を好きになってほしい」というJR東日本の方の思いから生まれました。

駅のホームにあふれる音を視覚的に表現する装置「エキマトペ」。AIが電車の発着音やドアの開閉音、アナウンスの音などを識別し、文字や手話、オノマトペ(擬音語と擬態語の総称)のアニメーションで表示する
駅のホームにあふれる音を視覚的に表現する装置「エキマトペ」。AIが電車の発着音やドアの開閉音、アナウンスの音などを識別し、文字や手話、オノマトペ(擬音語と擬態語の総称)のアニメーションで表示する

子どもたちも共に考えた「未来の通学」

―先生・駅員さんの思いやアイデアを、どう形にしていったのですか。

 一番のテーマは、音の特徴をどう表現すれば良いか。そこで、フォント開発を手掛ける大日本印刷に、音や言葉に合わせて書体を自動的に切り替える「感情表現フォントシステム」で表現してもらいました。システム全体を作ったのは、当社でスーパーコンピューターの開発などを手がけるバリバリのAIエンジニアです。

 このように専門性の異なる企業の人たちが、ろう学校の子どもたちや先生たちと触れ合う中で、ものづくり魂に火がついたんです。子どもたちも「未来の通学」をテーマに、楽しい通学のあり方を一生懸命考えてくれました。まさに「共創デザイン」ですよね。力を合わせ、短期間で素晴らしいものを作り上げることができました。

エキマトペの着想につながった、川崎市立聾学校の生徒が考えた「未来の通学」のアイデア(富士通提供)
エキマトペの着想につながった、川崎市立聾学校の生徒が考えた「未来の通学」のアイデア(富士通提供)

―駅の利用者にはどんな反応が見られましたか。

 期間限定でしたが駅のホーム上に設置することができて、ろう学校の生徒たちからは「こんなにたくさんの音が駅にあったなんて」「耳が聞こえる人と同じ場所に立てた気がする」といった声をたくさんいただきました。聴者の方たちも、駅で音がマンガ風のオノマトペで表示されるのを見て、SNSで「面白い」「手話に興味を持った」と投稿してくれました。

 加えてとてもうれしかったのは、駅員さんたちがエキマトペに触発されて自主的に手話を学び始めたり、筆談の案内を増やすことを検討したりするようになったことです。僕がプロジェクトでいつも一番大事にしているのは、今まで接点のなかった人同士が出会い、少しでも未知の存在を受け入れる「心の余白」が広がっていくことです。

JR上野駅(東京都台東区)のホーム上に設置されたエキマトペ(富士通提供)
JR上野駅(東京都台東区)のホーム上に設置されたエキマトペ(富士通提供)

―本多さんの思いを実現する上で、テクノロジーはどんな役目を果たしてくれる存在ですか。

 必ずしも必要ではないけれど、テクノロジーがあることで立場の違う人たちの関係性が近づきやすくなると思うんですよね。モノを作るときも、いろいろな人や企業が交じり合うと相乗効果が生まれ、技術的にも次元を引き上げることができると感じます。今後さらに発想や人の輪を広げて、いろいろな人たちと共創したいですね。そして、分断されていた人たちがつながって、テクノロジーの力で感覚的な部分までを共有するための挑戦を続けたいと思っています。

交わりの場、デフリンピックとサイエンスアゴラ

―来月15日から耳が聞こえない・聞こえにくい人のための国際スポーツ大会「東京2025デフリンピック」が開催されますね。

 ぜひ会場に足を運んでください。耳が聞こえなくてもスポーツには影響が少ないと思われがちなんですが、実はすごくあるんです。スポーツに必要なリズム感って聴覚と親密に関わっているので。そんな中で選手たちは、独自の工夫でスキルを高めています。世界の頂点を決める大会なので、競技のレベルも高く観ていて楽しいと思いますよ。

―大会を通じて期待したいことは。

 デフリンピックでさまざまな人と交流することで、「心の余白」が広がってほしいと思っています。観客の拍手や声援は選手には聞こえませんが、東京大会では拍手の音をジェスチャーのサインに変えて掲示板に表示し、選手へ伝えるといった方法が検討されています。

 僕たちも、卓球競技の会場で観客にオンテナを身につけてもらうイベントを開催予定です。卓球のラリー音を振動や光でリアルに感じながら、障害の有無にかかわらずみんなでリズムに乗って楽しめる体験ができないかと。きっと新しい交わりが生まれます。そして応援してください。それが選手たちの力になります。

デフ(Deaf)は英語で「耳が聞こえない」という意味。デフ+オリンピックが名前の由来だ。11月15日から26日までの12日間、東京体育館(渋谷区)などで熱戦が繰り広げられる
デフ(Deaf)は英語で「耳が聞こえない」という意味。デフ+オリンピックが名前の由来だ。11月15日から26日までの12日間、東京体育館(渋谷区)などで熱戦が繰り広げられる

―科学フォーラム「サイエンスアゴラ2025」(10月25日・26日、東京・お台場)の推進委員も務めていらっしゃいます。イベントの魅力を教えてください。

 膨大な熱量を持った研究者や学生、サークルなどが数多く出展します。熱意を持って取り組んでいる人の活動は、単純に面白いんですよ。「科学が好き」というエネルギーと、今まで自分が知らなかった未知の世界があふれている空間―それがサイエンスアゴラです。

 僕は委員の一人として、来場者が出展者たちの熱量に触れることで「自分も一歩踏み出してみよう」と思えるような場をつくることを心がけてきました。異質なものと出会ったときこそ、今までになかったものが生まれるんです。ぜひ、サイエンスアゴラでたくさんの人たちと交わってほしいですね。

「サイエンスアゴラ2024」で手話通訳者とともに登壇した本多さん
「サイエンスアゴラ2024」で手話通訳者とともに登壇した本多さん
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南海トラフ巨大地震、二つの発生確率を併記 「いつ起きてもおかしくない」と地震調査委 https://scienceportal.jst.go.jp/explore/review/20251022_e01/ Wed, 22 Oct 2025 06:54:44 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55351  政府の地震調査委員会が、南海トラフ巨大地震の今後30年以内の発生確率を、これまでの「80%程度」から「60~90%程度以上」に見直した。過去の地盤隆起データの誤差などを考慮し、新たな計算方法によってはじき出した。また、他の地域の地震に使われている別のモデルで計算した「20~50%」という数値も併記した。いずれも「3段階ある発生確率ランクで最も高い」という。

 一つの地震について二つの発生確率が併記されるのは初めてで、地震の発生確率をめぐる科学の限界を示した形だ。各地の防災の現場には戸惑いの声もあるが、南海トラフ巨大地震の危険度が変わったわけではなく、調査委は「いつ起きてもおかしくない状況に変わりない」(平田直委員長)と強調している。幅のある数値に振り回されることなく、巨大地震の被害を少しでも減らすための警戒と備えが求められる。

赤い線は南海トラフ巨大地震の想定震源域。オレンジ色の線は震源域を類型化するために用いた領域分けの境界線(地震調査研究推進本部・地震調査委員会提供)
赤い線は南海トラフ巨大地震の想定震源域。オレンジ色の線は震源域を類型化するために用いた領域分けの境界線(地震調査研究推進本部・地震調査委員会提供)

 南海トラフ巨大地震は、静岡県の駿河湾から九州東岸沖の日向灘にかけて延びるトラフ(溝状の海底地形)に沿って発生するマグニチュード(M)8~9程度の地震だ。西暦684年以降、少なくとも9回あったことがわかっている。間隔はおおむね100~150年で、前回の地震から約80年がたつ。

 調査委は、日本周辺の海溝や全国の活断層で想定される地震の発生確率を毎年1月1日時点で計算し、必要に応じて更新して公表してきた。南海トラフ巨大地震については2013年から公表されているが、併記された二つの発生確率が意味するところは確かにわかりにくく、それぞれの数値がどのようにはじき出されたのかを理解する必要がある。

計算方式を見直し「60~90%程度以上」

 一つ目は、新しい研究内容を加味してはじき出された「60~90%程度以上」だ。

 2011年3月、東日本大震災という未曾有の大災害を起こした東北地方太平洋沖地震が発生し、「甚大な被害をもたらす海溝型の巨大地震や大地震の発生確率を知りたい」という社会的な要請が強まった。このため調査委は13年の長期評価で、過去の南海トラフでの地震の発生状況や、1700年以降の3回の地震による室津港(高知県室戸市)の地殻変動(隆起量)に基づく計算方式を用いて、30年以内の発生確率を「60~70%」とした。

南海トラフ巨大地震などの海溝型地震の発生メカニズムの概念図(地震調査研究推進本部・地震調査委員会提供)
南海トラフ巨大地震などの海溝型地震の発生メカニズムの概念図(地震調査研究推進本部・地震調査委員会提供)

 ここで使われた計算方式は「時間予測モデル」と呼ばれる。大きな地震が起きた後はしばらく平穏な時期が続くが、やがて海側のプレートの沈み込みに伴って陸側のプレートが引きずり込まれる。両プレートの境界に徐々にひずみが蓄積し、限界に達すると陸側プレートがはねて再び大きな地震が起きるーー。そうした地震学的理論が前提になっている。

 時間予測モデルに基づく発生確率は、時間の経過とともに高くなっていく。今年1月には「80%程度」に引き上げられた。

 今回、室津港の隆起量のデータに誤差があるとの研究成果を反映したのに加えて、データの不確実性も考慮し、従来の時間予測モデルと、他の地域の地震に用いるBPTモデルを融合した「すべり量依存BPTモデル」に基づいて改めて計算した。その結果、はじき出されたのが「60~90%程度以上」という数値なのだ。

「20~50%」でも危険度は最高ランク

 もう一つは、初めて併記された「20~50%」だ。

 調査委が公表した資料によると、南海トラフ地震の確率計算に使う684年の白鳳(天武)地震以降、1605年の慶長地震までの6回の地震には室津港の隆起量データがない。その後の1707年の宝永地震から、連動した可能性が高いとされる1854年の安政地震(東海地震・南海地震)、1946年の昭和地震(昭和南海地震)までの3回の地震には隆起データがあった。このため、従来の南海トラフ巨大地震の発生確率計算では、この過去3回のデータが特別に加味されていた。

 南海トラフ以外の地震の長期評価では、当然ながら室津港の隆起量データを使うことはできず、かつ、同様のデータもないことから、時間予測モデルではなくBPTモデルが使われている。今回、南海トラフ巨大地震の発生確率についても、他の地震と同じようにBPTモデルだけで算出した数値が「20~50%」だ。

室津港の南海トラフ巨大地震時の隆起量データと地震発生間隔の関係(地震調査研究推進本部・地震調査委員会提供)
室津港の南海トラフ巨大地震時の隆起量データと地震発生間隔の関係(地震調査研究推進本部・地震調査委員会提供)
南海トラフ巨大地震の発生確率の分布のグラフ。左はすべり量依存BPTモデル右はBPTモデル(地震調査研究推進本部・地震調査委員会提供)
南海トラフ巨大地震の発生確率の分布のグラフ。左はすべり量依存BPTモデル右はBPTモデル(地震調査研究推進本部・地震調査委員会提供)
南海トラフで過去に起きた大地震の震源域の空間分布(地震調査研究推進本部・地震調査委員会提供)
南海トラフで過去に起きた大地震の震源域の空間分布(地震調査研究推進本部・地震調査委員会提供)

「どちらが適切か」の二者択一でなく

 この二つの数値が併記された背景には、従来の確率について「室津港の隆起データの誤差が考慮されていない」「南海トラフ巨大地震だけに特別なモデルを使うため発生確率が高くなっているのでは」との指摘や問題提起があった。こうした声を受け、調査委は詳細に再検討した上で二つの数値を併記することにした。

 調査委は、海溝型地震の危険度をわかりやすく伝えるために、発生確率に基づく危険度を3ランクに分けている。最も危険度が高いのが「IIIランク」で、発生確率の数値が26%以上の場合だ。今回の二つの発生確率のうち、低い方の「20~50%」でもIIIランクに当たる。

 調査委は「二つのモデルを用いて地震確率を計算し、どちらが適当か科学的に優劣をつけられないため両方を併記する」と説明している。その上で、「『疑わしい時は行動せよ』の考え方に基づいて、より高い方の『60~90%程度以上』を強調することが望ましい」としている。防災の観点からの推奨といえる。

 別々の計算方式ではじき出された二つの確率を合わせて「20~90%程度以上」ととらえるのは正しくない。どちらのモデルや計算方式がより適切なのかという議論は、地震学的には(つまり、科学的には)意味があっても、防災・減災の観点からは二者択一をするべきものではない。大事なのは、南海トラフ巨大地震が「いずれ必ず起きる」という点だ。

切迫感を共有し、防災対策の推進を

 政府は7月1日に開いた中央防災会議(会長・石破茂首相=当時)で「防災対策推進基本計画」を改訂。南海トラフ巨大地震について、想定される最悪29万8千人の死者数を今後10年間で8割減らす、という目標を掲げた。改訂基本計画では、最大292兆円と見込まれる経済被害も、数値目標はないものの、大幅に減らすことを目指している。対策推進地域として6県16市町村を追加して723市町村に拡大した。津波避難施設整備や建物の耐震改修の推進、避難訓練の強化、自治体レベルの地域対策計画支援などが柱だ。

 こうした計画に基づいて、地域ごと防災・減災対策も進んでいる。それだけに対策推進地域からは、今回の発生確率の計算方法の見直しや二つの発生確率の併記に困惑の声も聞かれるという。現場の戸惑いは理解できるものの、忘れてならないのは、どんな数値であろうと危機管理上の目安の一つにすぎないという点だ。

 今回の見直しをめぐって、危険度を上げる地殻変動などの新たな現象や、逆に危険度を下げる新たな知見が得られたわけではない。言い換えれば、最新の知見を生かして従来の計算方法を見直し、同時に、別の方法(モデル)でも計算してみたということに尽きる。

 調査委の平田委員長も記者会見で「地震は不確実な現象で、いつ発生するか明言できない」と述べ、「(だからこそ)引き続き防災対策を進めてほしい」と訴えた。南海トラフのような巨大地震だけでなく「全国どこも危ない」(平田委員長)とまで言われる活断層型地震についても、「明日、いや今日起こるかもしれない」という切迫感を、それぞれの地域で一人一人が共有することが大切だ。

7月1日に開かれた中央防災会議に出席した石破茂首相(当時、右から2番目、内閣広報室提供)
7月1日に開かれた中央防災会議に出席した石破茂首相(当時、右から2番目、内閣広報室提供)
平田直氏(日本記者クラブ提供)
平田直氏(日本記者クラブ提供)
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【特集:スタートアップの軌跡】第3回 グローバルに戦う製薬企業へ 「ペプチド創薬」で次世代医薬品に挑む ペプチドリーム https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20251017_e01/ Fri, 17 Oct 2025 05:49:00 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55313  薬九層倍(くすりくそうばい)――。江戸時代、「薬は原価の9倍で売れる」と言われるほどもうかる商売だったようだが、今は新薬の開発に何百億円もの投資が必要な時代だ。グローバル市場で国内外のメガファーマ(巨大製薬会社)がしのぎを削る中、2006年に東京大学発バイオベンチャーのペプチドリームは創業した。基礎研究で得た技術からペプチド医薬品の創薬開発プラットフォームを生み出し、10年を経てビジネスはゼロからイチに前進した。持続的な成長を確かなものにしていく第二創業期にあって、製薬企業としてグローバルに戦っていけるかどうかの正念場を迎えている。

川に面した壁面の一部が湾曲した現在の本社・研究所と多摩川スカイブリッジの間に、2028年竣工予定の新しい研究棟ができる予定(川崎市川崎区殿町、ペプチドリーム提供)
川に面した壁面の一部が湾曲した現在の本社・研究所と多摩川スカイブリッジの間に、2028年竣工予定の新しい研究棟ができる予定(川崎市川崎区殿町、ペプチドリーム提供)

「フレキシザイム」がつくる10兆種類の特殊ペプチド

 ペプチドリームの創薬技術の根幹は、触媒としてはたらく人工のリボ核酸(RNA)触媒「フレキシザイム」だ。東京大学教授の菅裕明が開発した。

 生物の体内では通常、DNAの遺伝情報がmRNA(メッセンジャーRNA)に写し取られ、それに従ってtRNA(トランスファーRNA)がアミノ酸を運び、タンパク質やペプチドが生み出される。フレキシザイムを使うと、天然アミノ酸だけでなく多種多様な非天然型アミノ酸もtRNAに運ばせることができ、従来はない特殊ペプチドをつくることが可能になる。リング状の構造をもつ環状ペプチドなど10兆種類にものぼる特殊ペプチドのライブラリーをつくり、その中から次世代医薬品とされるペプチド医薬品につながる有用なヒット化合物を見つける。そんな「ペプチド創薬」のプラットフォームを、フレキシザイムは生み出したのだ。

創薬開発プラットフォームの概要。天然と非天然のさまざまなアミノ酸を組み合わせたペプチドライブラリーを作り、そこから標的物質に作用するヒット化合物を見つける(ペプチドリームのサイトより)
創薬開発プラットフォームの概要。天然と非天然のさまざまなアミノ酸を組み合わせたペプチドライブラリーを作り、そこから標的物質に作用するヒット化合物を見つける(ペプチドリームのサイトより)

 菅が経営者としてコンビを組んだのは、研究開発型ベンチャー立ち上げの経験がある窪田規一(現・株式会社ケイエスピー代表取締役社長)だ。窪田はフレキシザイムが生み出す環状ペプチドと創薬開発プラットフォームの可能性を見いだした。それとともに、米国での研究経験が長く、アカデミアとビジネスを独立したものとして考え、見ることのできる菅の感性や人柄にも惹かれたという。

 2006年7月にオフィスを東京都千代田区に、ラボを東京大学駒場キャンパスに置いてペプチドリームを起業。10年に創薬開発プラットフォームシステムを確立した。

 薬を創ることを目標とすると、達成までに10年以上はかかる世界。その間、売り上げは入らない。ペプチドリームは投資家からの資金調達を抑え、自己資金を中心とした運営を貫き、創業から7年目の2013年に東証マザーズに上場。15年に東証一部に市場変更してからも基本的に黒字が続く。「当初のゴールは達成した」として窪田が17年に取締役会長を退任し、菅も一線から退いた。民間ベンチャーキャピタルの運用期間や事業継続性の観点から「スタートアップは10年一区切り」とされる。まさにその10年を迎え、社長は創業メンバーだったリード・パトリックに交代した。

 同じ頃、外資系コンサルティング会社にいた金城聖文は、企業経営の腕を見込まれ、副社長としてペプチドリームに入社することになった。

Q:金城さんがペプチドリームに入社した経緯を教えてください
A:2018年1月にジョイン(入社)しました。そもそも創業の06年より前、現在は社長兼CEOを務めているパトリックが客員助教授として東大に在籍していたとき、私は隣の研究室にいて顔なじみでした。当時、大学院生だった私はパトリックと一緒にセミナーなどに出ていました。私は、博士課程を終えてから企業経営に関する戦略コンサルティングをする外資系企業に勤めていたのですが、17年、久しぶりにパトリックに再会し、経営体制の見直しと刷新のために「一緒に仕事をしないか」と誘われたのです。

良くも悪くも研究開発に偏った会社

 入社した金城が見た上場から5年目の会社は、売り上げこそ年間50億円に迫っていたが、70人ほどいる社員の9割以上が研究員という構成だった。研究員以外の社員は5人いるかいないか。渉外はおろか法務や知財の専門チームも存在せず、他企業との共同研究を決めた契約書を見ると、基本的に相手方の提示した内容で、自社の主張を通せずにいる様子が見て取れた。研究条件も自社に有利な内容とは言えず、研究相手との交渉で押し切られている心配があった。

 金城は「技術とビジネスの両輪がバランス良く回らず、うまくいかなくなるベンチャーが多い」ことを知っていた。ペプチドリームが持続的に成長していくには、研究開発に偏らずビジネス部門や管理機能の強化を進め、両輪のバランスをとる必要があると改めて認識した。

Q:会社の状況を考えずに入社してしまったのですか。
A:良くも悪くも「研究開発だけが進んでいる」会社で、いわゆるディープテック系のスタートアップの多くがそうであるように、素晴らしい技術をもっていました。ただ、2017年、本社と研究所の竣工式パーティーに参加したとき、知人の証券アナリストらに「とんでもない時期に来ますね(入社しますね)」と言われたのです。投資家やアナリストは、バイオベンチャーというのは上場時に時価総額が最大となり、その後ピークアウトして業績も株価も下がってしまうのが大半だと見ている。私のことも「火中の栗を拾いにきた」ぐらいに思われていたのでしょう。「とんでもない時期に来たのかなぁ」とのんびり構えていましたが、入社してビジネスの実情を目の当たりにすると、「自転車操業でいつ赤字になってもおかしくない。世の中の言うことにも一理あるな」と妙に納得する一方で、日本の産業界がよく揶揄されるように「技術で勝ってビジネスで負ける」という結果にならないよう、ビジネス・管理面の強化のために自分が果たせる役割がありそうだと前を向いたことを思い出します。

ペプチドリーム本社玄関前に立つ金城聖文(川崎市川崎区殿町)
ペプチドリーム本社玄関前に立つ金城聖文(川崎市川崎区殿町)

 売り上げは、2013年に東証マザーズに上場するときは6億円、東証一部に市場変更をする15年には24億円まで伸びていた。スイスのノバルティスファーマや英国のアストラゼネカといった海外メガファーマとパートナーとなり、創薬の共同研究をするプログラムが立ち上がっていた。診断薬や治療薬開発の初期における共同研究開発の契約一時金や、開発の進捗に応じて支払われるマイルストーン収入などの実績を重ねたことで、本社・研究所を川崎市に移転した17年には売り上げが48億円となり、ビジネス的にも「ゼロからイチを生み出した」と胸を張れるところまで成長していた。

ペプチドリームの沿革。売上高について2021年12月期までは日本基準、22年度以降はIFRS基準。25年度の売上高と人員数は予想値(ペプチドリーム提供)
ペプチドリームの沿革。売上高について2021年12月期までは日本基準、22年度以降はIFRS基準。25年度の売上高と人員数は予想値(ペプチドリーム提供)

Q:「9割はうまくいかない」といわれるスタートアップですが、なぜペプチドリームの起業はゼロからイチを生み出せたのでしょうか。
A:特にバイオベンチャーでは、日本国内での取引に終始してしまう会社が多い。ビジネスがうまく回るようになり始めてから海外市場に出ていくのは、一般的なセオリーとしては理解できます。ですが、ヘルスケア市場の9割以上が海外に広がるのに、国内にとどまって「井の中の蛙」でいるのは機会損失のデメリットが大きい。ペプチドリームが創業当初からグローバル展開をして、海外の大手製薬会社に臆することなく技術の説明を積み重ねてきた努力は尊敬に値します。技術そのものの素晴らしさを礎に、パートナープログラムの拡大による着実な成長により、ペプチド創薬のグローバルハブとしてのポジションを確立する足場固めができました。また、当初から早期の黒字化を目指していたことも、ゼロからイチを生み出した理由でしょう。ただ、ゼロをイチにするために必要な努力とイチを10にするのは別もので、第二創業期を担うには「別の筋肉」が必要です。ゼロからイチの延長線上で10まで成長するのはまれで、ギアチェンジが必要なのです。

プロジェクト増による成長は実現不可能

 バイオベンチャー界隈では、株式の時価総額がせいぜい100億円前後にとどまる「百均問題」が指摘されている。入社当時、金城はペプチドリームの成長の参考にできるようなバイオベンチャーを国内に見つけることができなかった。その中で、まずは売り上げ100億円の壁を目標として、次に300億円の壁に向けたチャレンジをスタートしようと考えた。

 金城は「実現可能なステップを一つずつ踏んでいくこと、そしてゴールから逆算して必要なことを戦略に落とし込んでいくことが、あらゆるベンチャーに通ずる重要な考え方だ」という。当時はプロジェクトの契約一時金は概ね数億円。ひとつのプロジェクトの契約と交渉に半年はかかる中で、プロジェクトを増やして持続的に売り上げを伸ばすのは実現可能性がないと判断した。

 創業時から続けていた創薬開発プラットフォーム事業は、共同研究プロジェクトにおいて創薬ヒットのタネを売って、プラスアルファでライセンス収入も得るビジネスモデルだ。社員数には限りがあるため、年間のプロジェクト数を激増させることはできない。増やしたとしても、利益はある時期にプラトー(停滞・安定期)に達する一方、積み重なるコストが徐々に増えて損益分岐点を超え、黒字から赤字に転落してしまうのは目に見えていた。

Q:プロジェクトを増やして売り上げを伸ばすのは実現可能性がないと。
A:プロジェクト数を年間5つぐらいから大幅に増やすことが難しいとすると、最終的に500億円の売り上げを目指すならば、プロジェクト単価を100億円にするしかないという単純な結論でした。ヒット化合物の同定が初期のビジネスモデルでしたが、見つけたヒット化合物を共同研究先に譲り渡し、その後の創薬工程の後半は完全に任せてしまっていました。ヒット化合物の同定だけではバリューチェーン(価値創造のプロセス)が狭く、契約一時金は数億円程度にとどまります。目星をつけた化合物を磨いていき、細胞や動物を用いた試験や臨床試験まで取り組むよう研究開発機能を広げていくことで薬の完成に近づければ、プログラムの付加価値が上がるのです。「将来どうなるか分からないけど、これはダイヤの原石です」と石を売るのではなく、原石を磨いた宝石のダイヤモンドとして売れば、元は同じでも高く売れるでしょう。製薬業界でも開発の不確実性を抑えて、短期的な収益につながる導入品が求められるようになっている。「高価でも結果の見えるものが欲しい」というパートナーは多いのです。

 創薬工程の後半にも手を広げるために、新たな人材を採用して組織も変えた。創業当初は、バイオ系出身の研究員が多かったが、化合物の特性に関する知識や経験を実務にいかせる化学系の研究員を増やした。薬効を確かめる細胞実験や動物実験の段階を見越し、薬理を学んだ薬学系の人材や獣医学部で動物の扱いを学んだ人も積極的に集めるようになった。製薬会社の開発担当者を引き抜くことさえあった。臨床試験を進めるためには、医師をはじめとした医学系の人材も確保した。

 工程ごとに部門・チームを作り、業務に応じた人材を採用する組織作りをビジネスとの両輪として進め、創薬工程全体をコントロールできるようになった現在、組織作りにM&Aを組み合わせて300億円の売り上げを達成した。次は500億円の壁に向けたチャレンジをする段階になっている。

ペプチドリームの国際基準での売上収益と資本金(ペプチドリーム資料より)
ペプチドリームの国際基準での売上収益と資本金(ペプチドリーム資料より)

売り上げ500億円へ、放射性医薬品を新たな柱に

 創薬工程の後半まで自社で取り組むことでプロジェクトの単価は上がった。それに伴い、売り上げは2017年6月期の48億円から24年12月期の466億円と10倍ほどまで増加した。だが、創薬工程全体をコントロールする取り組みだけでは目標の500億円には届かない。そこで18年ごろから、新たな領域への挑戦を始めた。放射性医薬品だ。ペプチドと放射性物質を結合させ、がん細胞などの標的に放射性物質をデリバリーするアプローチが海外で注目を集め始めていた。放射性物質を病巣まで運ぶ際に、抗体や低分子に比べ、環状ペプチドの相性がとりわけ高いこともわかってきた。

Q:ペプチドをドラッグデリバリーに用いればいいというのは、理屈で考えれば容易に思いつきそうなアイデアですが。
A:後から振り返れば当たり前のようにも聞こえますが、創薬の世界では、理屈で考えた通りにはいかないことも多いのです。当社の創薬開発プラットフォームは、欲しい機能を持つペプチドを探す汎用性の高いプラットフォームであることは確かなのですが、汎用性が高いということは、うまく扱わないと、必ずしも薬には向かない化合物ばかり探索してしまう面もある。失敗も想定外なら、成功も想定外に起きるのです。理屈で四の五の考え過ぎず、実際に実験を繰り返すことで試行錯誤を重ね、事業の柱になるとの確信を深めました。まさに今、放射性医薬品の開発は大詰めを迎えています。

 放射性医薬品の開発を進めるに当たっては、富士フイルム富山化学の放射性医薬品事業を継承したPDRファーマ(東京都中央区)を2022年に買収して子会社にした。今年7月、前立腺がん向け放射性医薬品2種類の有効性を調べる臨床試験(治験)の計画を医薬品医療機器総合機構(PMDA)へ届け出た。実際に患者へ投与する治験を年内にも始め、早期の承認取得を目指す。一方、スタートアップのリンクメッドとは23年に戦略的パートナーシップを結び、悪性脳腫瘍治療薬の開発を始めた。治験は最終段階の臨床試験第3相に進んでいる。

Q:PDRファーマのM&A発表時には「本業からの方向転換」とか「マルチ事業化しすぎではないか」と批判されたそうですね。
A:当初、投資家や株主の反応は冷ややかでした。投資家に「本業のペプチド医薬品の開発がうまくいかないから方向性を変えたのだろう」と面と向かって言われたこともあります。放射性医薬品の開発という新しい領域でのストーリーは、多くの人にとってなじみのないものです。潜在的なポテンシャルを理解してくれる人もいましたが、私たちが説明する優位性について、あまり胸に響かない人もいました。その後しばらくして、大手製薬会社が同じ領域に大型投資をしたというニュースが次々と報じられ、雲行きが変わりました。

 PDRファーマを子会社にしてから放射性医薬品開発のプロジェクトが一気に加速し、臨床段階まで進むものが年1、2個のペースで増えた。子会社化の決断時に金城の頭にあったのは「創薬工程の後半を他者に託すとコントロールできず、創薬が期待通りに進まないことが起きるようになる」という考えだ。「マーケティングでいう川下の工程を持つことでプラットフォーム自体の価値も上がる。プラットフォームだけだと『いろいろ可能性のあるペプチドがあるけど買いませんか』というアプローチになるが、『この疾患に対してこのペプチドがあります。価値がありますよ。欲しいでしょ』となれば、市場を売り手優位に変えることができる」と金城は説明する。

前臨床後期ステージ以降まですすんでいる放射性医薬品開発の主要パイプライン。腎細胞がんや胃がんは自社品として開発を進めている(ペプチドリーム提供)
前臨床後期ステージ以降まですすんでいる放射性医薬品開発の主要パイプライン。腎細胞がんや胃がんは自社品として開発を進めている(ペプチドリーム提供)

Q:コンサル出身で、放射性医薬品の事業がうまくいくと先を見通すのはお得意だったのでしょうか。
A:最初からうまくいくとは思っていませんでした。正しいと信じていることをやり続けるしかないと思っていました。プログラムの質と量を上げる本業は続けつつ、創薬アプローチの幅を広げるため、環状ペプチドでなければできないことを突き詰める「スイートスポット」探しを続けた結果です。ベンチャーは、既存のビジネスに安住せず、成長し続けなければなりません。成長のためにはトライ・アンド・エラーを積み重ねていく必要があり、失敗はどの段階でもつきものなのです。コンサルでは、いろいろなステージにおける数多くの失敗例と数少ない成功例を見て、失敗しても大コケしないことが重要だと学びました。企業ごとの成長段階での落とし穴を想像しながら、新しいチャレンジを続けていきたいですね。ペプチドリームの成長ステージは、まさにこれからが本番。放射性医薬品は一本目の柱になりつつありますが、さらに新しい柱が増えていく見通しで、楽しみしかありません。

工学博士である金城は、がん領域を専門にする研究者の一面もある。研究室から一歩出た廊下で研究員と会話することも(川崎市川崎区殿町)
工学博士である金城は、がん領域を専門にする研究者の一面もある。研究室から一歩出た廊下で研究員と会話することも(川崎市川崎区殿町)

 2017年7月に本社と研究所を川崎市川崎区殿町にある国際戦略拠点内の新社屋に移転してから、医薬品開発製造受託機関や、ペプチドの開発・製造・販売を担う合弁会社、新型コロナウイルス感染症治療薬の開発をする合弁会社などの設立、放射性医薬品事業会社の子会社化を進めてきたペプチドリーム。今後は、新製品の上市を見据え、約100億円を投じ、28年の操業予定で放射性医療品の製造工場を千葉県のかずさアカデミアパークに新設することも決まっている。

(敬称略)

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坂口氏と北川氏にノーベル賞、同年ダブル受賞の快挙に沸く 地道な努力重ねた2人は基礎研究への支援訴え https://scienceportal.jst.go.jp/explore/review/20251015_e01/ Wed, 15 Oct 2025 07:21:30 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55288  2025年のノーベル生理学・医学賞に大阪大学特任教授の坂口志文氏が、化学賞に京都大学特別教授の北川進氏が、それぞれ共同研究者とともに選ばれた。坂口氏は「免疫応答を抑制する仕組みの発見」が、自己免疫疾患やがんなど免疫が関わる病気の予防や治療につながると評価された。また、北川氏は気体を自由に出し入れできる「金属有機構造体(MOF)の開発」が評価され、環境・エネルギー問題や新素材開発など広範な分野での応用が期待される。

 日本人研究者が生理学・医学賞を受賞するのは7年ぶりで坂口氏は6人目、化学賞は6年ぶりで北川氏は9人目だ。2021年を最後に日本人の自然科学系3賞の受賞がなかっただけに、15年以来10年ぶりの同年ダブル受賞の快挙に国内は沸き立った。

 不遇な時代も地道に努力を積み重ねて栄誉に輝いた2人は、そろって基礎科学や基礎研究への支援を訴えた。背景には最近の日本の研究力低下がある。明るいニュースは、同時に自由で進取な気風に富んだ研究環境の大切さと、そうした環境の確保・整備が今後の課題であることも浮き彫りにした。

記者会見で受賞決定の喜びを語る坂口志文氏(左、大阪大学提供)と北川進氏(京都大学提供)
記者会見で受賞決定の喜びを語る坂口志文氏(左、大阪大学提供)と北川進氏(京都大学提供)

過剰免疫を抑える制御性T細胞を発見

 日本の免疫研究の歴史の中で過去、1987年に利根川進氏が免疫抗体の多様性を解明した業績で、また2018年に本庶佑氏が免疫細胞で働くたんぱく質「PD1」を発見した業績で、それぞれ生理学・医学賞を受賞している。このほかにも「ノーベル賞級」と言われる成果を挙げ、世界的にその名が知られる研究者は何人もいた。その一人が坂口氏だった。日本の免疫学研究のレベルは世界的に見てもかなり高かった。

 坂口氏は、1970年代末から80年代にかけて免疫細胞の研究に打ち込んだ。やがて体内に侵入したウイルスなどの病原体を異物として攻撃する免疫細胞であるT細胞の中に過剰な攻撃が体に害を及ぼさないよう抑制する役割を担う種類があることを発見し、1995年にこの免疫細胞を同定して論文を発表。2000年に「制御性T細胞」と命名した。

 制御性T細胞は、自己免疫疾患やアレルギー、がん治療などの治療や臓器移植後の拒絶反応対策にも活用できる。このため21世紀に入ってからは免疫学の中でも注目の研究テーマだった。制御性T細胞を発見した坂口氏は、ノーベル賞受賞の有力候補として毎年その名が挙がっていた。そのことはご本人も知っていたはずだ。

 「うれしい驚きに尽きる。研究がもう少し臨床の場で人の役に立つとご褒美があると思っていた。この時点で名誉をいただくのは非常に光栄だ」。大阪大学での記者会見でこう語った言葉に長い間の自分の研究に対する自負と誇り、そして喜びが率直に表れていた。

過剰な免疫反応を監視し、見つけて抑制する制御性T細胞(Treg細胞)のイメージ図(ノーベル財団提供)
過剰な免疫反応を監視し、見つけて抑制する制御性T細胞(Treg細胞)のイメージ図(ノーベル財団提供)

研究環境が変わりながら努力重ねる

 坂口氏の研究生活は決して順風満帆ではなく、苦難の時期もあった。1977年に京都大学大学院から愛知県がんセンターに転じ、胸腺を取り出したマウスが自己免疫疾患を起こすことに興味を抱いて基礎研究を始めた。その後、京都大学で博士号を取得して海外に出た。米国のジョンズ・ホプキンズ大学、カリフォルニア大学サンディエゴ校などの大学や研究所4カ所を渡り歩きながら研究を続けた。

 日本に戻り、新技術事業団(当時、現・科学技術振興機構=JST)の研究支援を受けた。制御性T細胞の論文を発表した1995年に東京都老人総合研究所免疫病理部門の部門長に。京都大学再生医科学研究所の教授として母校に戻ったのは99年。大阪大学免疫学フロンティア研究センターの教授就任は2011年のことだ。ノーベル賞受賞につながる研究は、恵まれた1カ所の研究環境で一貫して行われたわけではなかった。環境が変わりながらも辛抱強く努力を重ねてきた。

 そうした時期の主に前半、免疫学の分野では免疫力そのものを抑える働きがある免疫細胞など存在しないと考えられていた。論文を出しても掲載を断られる経験もした。そうした不遇の時期も乗り越えて栄誉に輝いた。電話で祝意を寄せた石破茂首相に「頑固にやってきたことが今日につながった」と語った。

 受賞の報は一番に妻教子(のりこ)さんに伝えたという。「家内と一緒にやってきたので喜んでくれると思っていた」(10月6日の記者会見)。愛知県がんセンターで当時皮膚科の研究をしていた教子さんと出会い、研究を共にした。そして一緒に渡米した。教子さんは1995年の論文に共著者として名を連ねている。「(制御性T細胞の存在が)世の中に認められて一番うれしい」。7日の記者会見に同席した時の言葉に苦労も分かち合った実感がこもっていた。

2025年のノーベル生理学・医学賞が坂口氏ら3人に贈られることが発表された記者会見場の様子(カロリンスカ研究所の記者会見を伝える動画から。スウェーデン・カロリンスカ研究所/ノーベル財団提供)
2025年のノーベル生理学・医学賞が坂口氏ら3人に贈られることが発表された記者会見場の様子(カロリンスカ研究所の記者会見を伝える動画から。スウェーデン・カロリンスカ研究所/ノーベル財団提供)
受賞決定翌日の10月7日に大阪大学本部事務機構棟で熊ノ郷淳学長(お祝いの垂れ幕の左)ら同大学関係者に祝福される坂口氏(垂れ幕の右)(大阪大学提供)
受賞決定翌日の10月7日に大阪大学本部事務機構棟で熊ノ郷淳学長(お祝いの垂れ幕の左)ら同大学関係者に祝福される坂口氏(垂れ幕の右)(大阪大学提供)

超微細の「ジャングルジム」が多種多様な用途に

 北川氏が開発したMOFは、金属イオンと有機分子が交互に積み上がった構造の画期的な新材料で、微細な孔が無数に規則的にある「ジャングルジム」のような構造が特徴だ。大きさを調整できる微細な空間を使ってさまざまな気体を貯蔵したり、分離したりできる。製造法も溶液を混ぜるのが基本で簡易。金属イオンと有機分子の組み合わせによる多くの構造が可能だ。

 このため、二酸化炭素(CO2)の吸着や次世代エネルギーとして注目される水素の貯蔵など環境・エネルギー分野のほか、産業分野を含めた多種多様な用途が期待されている。材料科学分野期待の新素材だが、特に注目されているのは環境分野での活用だ。大気中で増えれば地球を温暖化するCO2を回収でき、国内外の各地で一部は発がん性が否定できないとして問題になっている有機フッ素化合物(PFAS)を除去できる。

さまざまな気体を自由に出し入れできるMOFのイメージ図(ノーベル財団提供)
さまざまな気体を自由に出し入れできるMOFのイメージ図(ノーベル財団提供)

 不要な物質を吸着する材料として活性炭やゼオライトが広く知られる。だが、MOFのように孔の形状や大きさを微細に、精密に操作することは難しかった。北川氏は1990年代に入って共同研究者と研究を進め、97年に自在に製造できるMOFがメタンや酸素、窒素を吸着・貯蔵できることを示した。

 北川氏は一連の研究でまず、骨格構造の中で見過ごされがちな空間、つまり孔に注目した。1992年に実験で得た結晶材料の構造を見た時に無限の孔が開いていた。「それを見た時面白いとピンと来た。非常に興奮した」。受賞決定後の記者会見で研究の突破口になったきっかけについてこう説明した。そして「有機分子と金属イオンはすぐに壊れるというのが常識だったが、丈夫な構図を持っているのを示せた。他の受賞者とのチームワークで(成果が)認められたと思う」と喜びを淡々と語った。

北川氏ら3人へのノーベル化学賞授賞を発表するスウェーデンの王立科学アカデミーの委員会メンバー(スウェーデンの王立科学アカデミーの記者会見を伝える動画から。スウェーデンの王立科学アカデミー/ノーベル財団提供)
北川氏ら3人へのノーベル化学賞授賞を発表するスウェーデンの王立科学アカデミーの委員会メンバー(スウェーデンの王立科学アカデミーの記者会見を伝える動画から。スウェーデンの王立科学アカデミー/ノーベル財団提供)
京都大学の関係者からお祝いの花束を受ける北川氏(京都大学提供)
京都大学の関係者からお祝いの花束を受ける北川氏(京都大学提供)

常識を覆した衝撃的な発見

 北川氏は京都大学大学院工学研究科で博士課程を修了後、近畿大学理工学部の助手になった。そして助教授だった1990年ごろに金属イオンや有機化合物などの分子が自然と組み上がる「自己組織化」の手法を研究。これがその後のMOFの開発につながった。ゼオライトのような硬い無機物と異なり、軟らかい有機物では安定した多孔性物質はできないという当時の常識を覆す衝撃的な発見だった。

 発表したデータを疑問視されるという研究者として屈辱的な経験もしている。苦労は限りなくあったという。「論文を発表したらそんなの本当かという感じで非常にたたかれた。(それでも)一切揺らがずに進めていこうという気持ちになった」「たたかれて涙か汗か分からない経験をした」。現在、理事・副学長を務める京都大学での記者会見で学界の空気を乗り越えた当時をこう振り返っている。坂口氏同様、北川氏も逆境を糧としていた。

 北川氏は1981年に日本人研究者として初めてノーベル化学賞を「化学反応のフロンティア軌道理論」で受賞した故・福井謙一氏の流れをくむ研究室の出身だ。先輩に2019年の化学賞を「リチウムイオン電池の開発」で受賞した吉野彰氏がいた。「福井学派の流れにどっぷりと漬からせていただいて今日に至っています」。2人は学会などで顔を合わせていた。

 受賞が決まった日の深夜に2人は電話対談をしている。企画・取材した共同通信によると、吉野氏が「(福井さんの)DNAを私たちは受け継いでいる」と語りかけると、北川氏は「その通りです」と返答。福井氏は常々、研究では応用を意識するように言っていたと振り返った。吉野氏は後輩の偉業に「持続可能な社会への武器になる」と評価していたという。

ノーベル化学賞を受賞した故・福井謙一氏(左)。右側は73年に物理学賞を受賞した江崎玲於奈氏(1981年10月撮影)
ノーベル化学賞を受賞した故・福井謙一氏(左)。右側は73年に物理学賞を受賞した江崎玲於奈氏(1981年10月撮影)

74歳、京大出身、研究への信念、起業など、多い共通項

 坂口氏と北川氏は共通項が多い。それぞれ出身地は滋賀県、京都府と近く、現在同い年の74歳。古希を過ぎてなお旺盛な探求心で今も研究を続けている。また、自由な雰囲気の校風を誇る京都大学の出身だ。2人ともJSTの複数の研究支援を受け、研究代表者も務めている。

 日本人研究者の自然科学系3賞の受賞者は、米国籍取得者を含めると計27人に上る。そのうち京都大学出身は10人と大学別で最多だ。研究者を目指す若い学生に対して北川氏は記者会見で「京都大学の伝統でもある知的好奇心を大切にし、面白いことをやってほしい」と、また「京都大学の福井学派」については「分野は違っても思想、伝統がある。誰もやっていないことをやる、面白いことをやることが伝統として出来上がった」と述べている。

 そして2人が強調したのは苦しい時にあっても興味を持続して努力を続けることの大切さだ。研究への信念も共通していた。「自分で興味があることを大切にすると新しいものが見えてくる。ずっと続けると気が付いたら面白い境地に達する」(坂口氏)。「(どんな時も)自分の感性を信じること。(誰もが考えていないことに)チャレンジすること。そして(研究対象に対する)興味が融合して私自身の方向性を変えた」(北川氏)。

 2人の研究成果を社会の中で生かすためのスタートアップ企業が設立されている。坂口氏の成果を基に2016年に大阪大学発の「レグセル」が設立された。現在本社を米国に移し、世界を視野に自己免疫疾患やがん治療などに貢献できる創薬に取り組んでいる。また15年には北川氏の成果を社会実装につなぐことを目的に「アトミス」が設立された。同氏は現在科学顧問を務め、多様な活用を目指している。

日本の注目論文数は低迷、かつての面影なく

 自然科学系3賞の日本人研究者は2000年以降だけで20人を超え、米国に次ぐ。日本の研究力の底力を示している。ただ、授賞対象の研究成果は20~30年前が多く、研究の芽が出た時期はそれ以上さかのぼるものが目立つ。残念ながら足元の研究力はここ10年あまり、国際比較で顕著に低下している。

 文部科学省の科学技術・学術政策研究所が8月に公表した「科学技術指標2025」によると、注目され、数多く引用された「トップ10%論文」数の比較で21~23年は世界で13位と低迷。1位の中国、2位の米国に大きく差が付いている。論文数や注目論文などで常に上位に入っていた1980年代から2000年初めごろまでの面影はない。引用が多い論文が必ずしも「ノーベル賞級」と言えるわけではないが、今後も受賞者が続くかどうかは心もとない。

 坂口氏は石破首相との電話で「日本の基礎研究に対する支援が不足している。免疫の分野では日本はドイツの3分の1です。基礎研究に対する支援をお願いしたい」と訴えた。北川氏も、阿部俊子文部科学相から祝意を伝える電話の中で「基礎研究は息が長い。皆さんが言うように基礎研究を重視して大きくする施策をお願いしたい。若い人の研究時間を確保する施策が必要で、研究支援人材が増えるようにしてほしい」と述べた。基礎研究は社会実装につながる応用研究に引き継ぐことが重要で、基礎研究には時間がかかることから人的支援も必要との考えだ。

2021~23年の「トップ10%」(左)「トップ1%」(右)それぞれの補正論文数の順位(科学技術・学術政策研究所提供)
2021~23年の「トップ10%」(左)「トップ1%」(右)それぞれの補正論文数の順位(科学技術・学術政策研究所提供)

若手研究者のための環境の整備を

 1981年に福井氏の化学賞受賞が決まった時に京都支局で取材して以来、何らかの形で日本人研究者のノーベル賞受賞の歴史を見続けてきた。経済安定成長期、バブル期・その崩壊期、経済の低成長・低迷期…。40年あまりの間に時代も社会経済も大きく変わった。だが、時代を超えて生理学・医学賞は生命・人間とは何かを問う生命科学の発展に寄与し、医学・医療の進歩につながった。物理学賞と化学賞は基礎研究の成果を生かしたイノベーションの鍵を握り、日本の経済社会にも貢献してきた。

 基礎研究の大切さや強化の必要性はこれまでも多くの日本人受賞者が強調してきた。ここ10年その声は強まっていた。北川氏は荘子の格言「無用の用」の言葉を使って、すぐには役に立たないと思われた基礎研究もやがて社会の役に立つようになった実感を伝えた。

 今年の化学賞を北川氏に授与することを発表したスウェーデンの王立科学アカデミーは「人類が直面する大きな課題の解決につながる可能性がある」と説明した。私たちにとっても誇らしい評価だった。「日本発」の研究成果や技術がこれからも長く世界的に高く評価され、国内外で生かすことができるかどうか―。それは、未来を担う若手研究者が自由で元気な研究を進めることができる研究環境を確保し、整備できるか、にかかっている。2人の言葉には今後の日本の科学界に生かすべき多くの示唆に富んでいた。

1981~2023年の主要国の研究開発費総額(名目額)の推移(科学技術・学術政策研究所提供)
1981~2023年の主要国の研究開発費総額(名目額)の推移(科学技術・学術政策研究所提供)
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大阪・関西万博閉幕 これからも脈々と未来社会のデザインを描くために https://scienceportal.jst.go.jp/explore/review/20251014_e01/ Tue, 14 Oct 2025 07:26:11 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55280  大阪・関西万博が184日間の会期を終えて13日、閉幕した。廃棄物の埋め立て人工島という立地から、メタンガスの事故リスクやアクセスの悪さなど負のイメージも先行したが、大きな事故はなく、多くの人がパビリオンに並び、ミャクミャクグッズを買い求めた。期間中の一般入場者は約2529万人(12日までの速報値)で、前回の国内万博である2005年の愛知万博(愛・地球博)より約324万人多い。運営費のみで見ると230億~280億円の黒字となる見通し。同日の閉会式で石破茂首相は「AI、ヘルスケア、モビリティ、ロボットといった新たなテクノロジーが実践された。分断よりも連帯、対立よりも寛容を大切にし、多くの方にご満足頂けた」と述べた。

国民の英知 集まるネット

 万博開幕式で、石破首相は「人類共通の課題をいかに克服するか、内外の英知を集める」と語っていた。会期中は、万博体験記の「英知」がSNS上で共有されたといえるだろう。テーマパーク巡りのように「回りやすさ」や「ショップの充実度」「混雑具合」といった体験記があふれた。酷暑の中で会場を回るためのうちわ型の「非公式マップ」や、お一人様で万博会場を巡る「わんぱく」なる言葉も誕生し、SNSに公式サイトを超える情報量が集まった。各国のパビリオンも、インターネット上でその国に造詣が深い人々の解説を読むことができ、展示会場でなくとも楽しむことができた。

会場には様々な工夫を凝らした建物が現れた。大屋根リング(写真左)の上から眺めているだけでも楽しめた

 他方で、デジタル格差とも言われる中、これらの情報になかなかたどり着けない人や、様々な理由でインターネットを使いこなすことが難しい人が置き去りになったという側面もある。万博協会は「一人ひとりが輝くことのできる世界の模式図を描く」理念を掲げていたが、入場予約システムの煩雑さなどからしても、この理念は絵に描いた餅ではなかったか。

 もちろん、「これからの社会はデジタル」という主張も理解できる。現に「デジタル万博」や「バーチャル万博」は公式サイトにも表示されていた。ただ、デジタルを使いこなすためには相応の知識や経験値、端末類が必要である。日頃から使いこなしている人は、「使えない」人々がいることに気が付きにくく、ともすれば、現代社会は「使いこなす」人々がデザインしがちだ。「未来社会のデザイン」とは、デジタル・ネイティブだけのものではないだろう。

サステナブルな未来 描けたか

 会場では、様々なリサイクル製品を目にすることができた。例えば、清水建設が3Dプリンターで作ったホタテの貝殻を使ったベンチ。通常、廃棄されるホタテの貝殻を使い、コンクリート製ベンチに比べて排出される二酸化炭素の量を削減できるように工夫した。

ホタテの貝殻を再利用して作ったベンチ。コンクリートベンチに比べ、排出される二酸化炭素量が少なくて済む

 このほかにも、ゴミの分別や提供される食事のカトラリーを木製にするなど、脱プラスチックや持続可能な社会に向けた取り組みが行われた。「BLUE OCEAN DOME」のパビリオンでは、建材に紙筒など、通常の材料よりも環境負荷が低いものを用いていた。海洋プラスチックを始めとしたごみを出さないようにするための試みを間近に見て、パビリオンが発するメッセージを受け止めることができた。

BLUE OCEAN DOMEパビリオンの屋根。再生紙の紙筒を組み合わせて強度を保つ。通常の建材よりも環境に配慮されている

 そんな企業の取り組みがあった一方で、各パビリオンで配られるプレゼントやノベルティは環境に配慮されているとは言い難かった。中には金属製のバッジなどリサイクルに不向きなものもあり、「いのちを育む」理念には反していたように思う。環境に対する考え方は各国で異なる。しかし、日本が開催国としての責任を果たそうとするならば、日本館の展示のように、より廃棄物を出さず、ものを大切にする取り組みがもっと広まってもよかったと感じている。

手が届く「海外」 諸外国を知り、分かり合う契機に

 諸外国のパビリオンでは、車いすやベビーカーの優先入場が設けられた。誰もが暮らしやすい世の中にすることはバリアフリー社会においては必須であり、他国のパビリオンの姿勢からは学びがあった。現在、首都圏や大都市の公共施設などではバリアフリーが浸透しつつあるが、まだまだ外出にはハードルが高い社会だ。今回の万博でデモが行われた空飛ぶクルマなどが実用化し、移動するための手段が個別化されて、おのおののハンディキャップに対応することができるようになれば、杞憂に終わるのかもしれないが……。

今回の万博で注目を集めた出展の一つ「空飛ぶクルマ ステーション」

 今回の万博は「まるで海外旅行のよう」との声も聞かれた。通期パスを使い、全パビリオン制覇のために足繁く通った人もいる。前回万博が開かれた2005年は、1ドル約105~111円。だが、今回の万博期間中は同143~150円と、20年前より円安が進み、外務省などのデータによると、パスポートを持っている人は国民の約17%にとどまる。

 このように海外旅行が手に届きにくくなった状況の中でも、異国文化を感じ、食事を楽しみたいという来場者のニーズに万博は合致した。グローバルな長距離移動を減らすことは、温室効果ガスの削減につながる。万博で「海外」を満喫することは、期せずとも、環境に配慮することになるともいえるのだ。

 インターネットでは「自国ファースト」の意見が飛び交うが、他国との協調関係なしには我が国は生き残れない。国名しか知らなかった国について学び、各国の新たな一面を理解することにおいて、このような社会だからこそ、万博を開催した意味があるのだろう。

 大屋根リングの理念「多様でありながら、ひとつ」――各自の楽しみ方で、ひとつのイベントに熱狂した半年間が惜しまれつつ、終わった。筆者は4人の友人たちと一緒に「EARTH MART」パビリオンを訪れた際にもらった「25年後の梅干しがもらえる万博漬け引換券」の交換が、今から楽しみである。

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学校の先生は何しに南極へ? 国立極地研「教員南極派遣プログラム」の実像をさぐる https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20251010_e01/ Fri, 10 Oct 2025 06:05:57 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55258  子どものころ、公開されたばかりの「南極物語」を映画館で見て、過酷な自然に圧倒された。かの地でさまざまな任務を遂行する人たちは、専門知識や技術だけではなく、超人的な身体能力と鋼の精神力を持ち合わせているのだろう。宇宙飛行士と同じくらい遠い存在と思い込んでいたら、意外な人たちも南極に行っている。学校の先生だ。2009年度から24年度までに29人が南極地域観測隊とともに派遣され、今年度も2人がまもなく出発するという。先生たちは、いったい何のために南極を目指すのだろうか。その実像を探るべく、国立極地研究所(極地研)広報室長の熊谷宏靖さんを訪ねた。

2016〜17年の第58次南極地域観測隊夏隊員の熊谷さん。昭和基地沖の南極観測船「しらせ」の前で仲間たちと記念撮影(左から3人目、極地研提供)
2016〜17年の第58次南極地域観測隊夏隊員の熊谷さん。昭和基地沖の南極観測船「しらせ」の前で仲間たちと記念撮影(左から3人目、極地研提供)

自然環境や観測隊の活動は教材になる

 極地研は、東京都立川市の官公庁が立ち並ぶ一角にある。創設は1973年9月。南極圏と北極圏に観測基地を持ち、その名称のとおり、極地に関する研究を牽引している。

 その極地研が文部科学省と連携して取り組んでいるのが、「教員南極派遣プログラム」。全国から公募により採用した教員を観測隊夏隊の同行者として派遣している。採用された先生は、事前訓練を経て11月下旬に南極に向けて出発。1カ月ほど昭和基地で取材などを行い、3月下旬に帰国する。

 派遣の目的は、子どもたちが南極に興味や関心を持ち、理解を深められるようにすること。そこには、先生の南極での活動や体験を通して、子どもたちに南極を多面的に知ってほしいという思いがある。その一端として滞在期間中には、先生たちの所属校と南極を衛星回線でつなぐ「南極授業」の実施も課している。

熊谷さんはこれまでに3回、観測隊に参加している
熊谷さんはこれまでに3回、観測隊に参加している

 応募資格は、「教員免許を有し、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校に現職として勤務する教員であること」。子どもたちが南極に興味を持つきっかけを増やすため、担当教科は問うていない。熊谷さんは「理科に限定せず、さまざまな分野の先生に、南極の自然環境や観測隊の活動を教材として使い切っていただきたいと考えています」と期待する。実際にこれまで派遣された教員の専門分野は、理科のほか、社会や情報、美術、養護など幅広い。

 しかし、教員南極派遣プログラムは「行きたい」という思いだけで参加できるものではない。熊谷さんは「南極に行くのは、南極にわざわざ行く必然性がある人なのです」と話す。たとえば観測隊の研究者たちは、南極でしか得られないデータを目的に南極を目指すのだ。では、最果ての地を踏んだ先生たちの必然性はなんだったのだろう。

生徒たちの仮説を検証するために応募

 南極に行きたい―子どものころからの夢がかなった先生がいる。奈良県立青翔中学校・高等学校の生田依子さんだ。2016年11月末から翌年3月末まで、第58次南極地域観測隊の夏隊に同行した。

 あるとき、「探究科学」という科目で微生物をテーマに研究を進めていた生田さんの生徒たちが、南極でも実験したいと言い出したという。微生物燃料電池(微生物が呼吸するときに放出する電子を用いて発電する装置)を研究していたグループは「南極は微生物が少ないはずだから発電しないかもしれない」と仮説を立てた。また、黄砂と大気中の微生物数の関係を調べる中で風向きや人の動きで微生物数が変わることに気づいたグループも「観測隊が南極に微生物を持ち込んでいるかもしれないし、ペンギンから微生物が出ているかもしれない」と南極での実験を望んだ。

 「これらの仮説を検証するために、生徒たちと研究計画をまとめ、教員南極派遣プログラムに応募してみたのです」と、生田さんは当時を振り返る。この企画が採択され、生田さんは憧れの南極で、生徒たちは奈良で、それぞれ調査研究を進めた。その研究成果は、南極授業として全校生徒の前で報告された。

昭和基地からリモートで生徒たちと研究発表をする生田さん(極地研提供)
昭和基地からリモートで生徒たちと研究発表をする生田さん(極地研提供)

 南極授業には思いがけない効果があったという。他の生徒たちも南極の微生物に関心を示すようになり、学校全体の研究レベルの向上につながった。同時に「研究者マインドが先輩から後輩へと引き継がれて、いま在学中の生徒たちも意気込んでいます」と、生田さんはほほ笑む。

 10年近くがたった今では、同校の生物の先生は全員、「南極のプランクトン」を教えられるようになっている。生田さんの知識と指導内容が共有された結果だ。さらに他校の地学の先生も、南極地学をテーマした探究授業を実践しているという。また、小学生向けの南極出前授業に参加した子どもたちが同校に入学してきたり、かつての生徒たちが研究者としての道を歩み始めたり、生田さんの南極への思いは次世代へと受け継がれている。

南極での活動などが評価され、2019年、文部科学大臣優秀教職員表彰を受賞した(生田さん提供)
南極での活動などが評価され、2019年、文部科学大臣優秀教職員表彰を受賞した(生田さん提供)

美術作品を制作することで南極とつながる

 コロナ禍で世の中が息苦しかったころ、南極に向かった先生がいる。筑波大学附属高等学校の小松俊介さんだ。2022年11月中旬から翌年3月末まで、第64次南極地域観測隊の夏隊員とともに昭和基地とその周辺で生活した。

 小松さんは美術科の先生であり、専門は石彫である。一見、南極との関わりはない。しかしある日、校内メールで配信された募集要項に目が止まった。「教員って南極に行けるの!?」と驚き、自分だったら美術を通してどんな南極授業ができるだろうと考えてみたという。

 知れば知るほど、南極は魅力にあふれていた。「石を彫っているので、南極大陸の石が気になりました。そして、地球原初の風景を残す南極を見てみたい、そこに立ってみたいという気持ちが強くありました」と、小松さんは当時の思いを語った。

南極観測船「しらせ」に乗船して、風景や渡り鳥、波の形が刻々と変わっていくのを見ながら過ごした時間は豊かだったと小松さんは感じている(小松さん提供)
南極観測船「しらせ」に乗船して、風景や渡り鳥、波の形が刻々と変わっていくのを見ながら過ごした時間は豊かだったと小松さんは感じている(小松さん提供)

 小松さんの南極授業は、「アートを通して南極とつながる」。作品制作のテーマの一つを「南極で青写真を描く」とした。「青写真は、紫外線で感光させてネガフィルムを現像する写真技法です。また、比喩として将来設計の意味があります。それを掛け合わせて、将来の夢や関心事を写真で表現しようと試みたのです」と小松さん。そこには、「生徒たちに南極とのつながりを感じられるものを残したい」との思いもあった。

青写真を現像する小松さん(極地研提供)
青写真を現像する小松さん(極地研提供)

 実際の制作はというと——。生徒たちがまずネガフィルムを用意して、それを小松さんが南極に持ち込み、観測隊員の手を借りながら、日本の1.5倍ほどの紫外線量になる南極の光を焼き付けて青写真にした。最終的には、それぞれの青写真にそれぞれが詩を添えて、作品に仕上げ、展覧会で披露したという。

2023年7月、東京のギャラリー青羅で展覧会「アートを通して南極とつながる 昭和基地×筑波大学附属高校」を開催した(小松さん提供)
2023年7月、東京のギャラリー青羅で展覧会「アートを通して南極とつながる 昭和基地×筑波大学附属高校」を開催した(小松さん提供)

 印象的だったのは、帰国後の小松さんの進路指導。進路を思い描けない生徒には、「南極に行ってみる?」と声をかけるという。「観測隊にはいろいろな道のプロフェッショナルが参加しているので、南極に行く方法を考えることはキャリアデザインを考えることにつながると思うのです」と、その真意を明かしてくれた。

南極経験を学校教育に生かしてほしい

 極地研の熊谷さんは、南極行きの決まった先生に必ず伝えることがある。「採択された南極授業にはあまりこだわらなくていい。極論すれば、南極授業は失敗してもいい」。単発型の南極授業よりも、帰国後の通常授業で南極を教材にしてもらう方が大事と考えているからだ。「応募の段階では、南極授業の企画が成立するか否かはわかりません。また、先生の関心や子どもに伝えたい内容が、現地での経験によって変わることはありえます。なので、滞在中は南極でしかできない経験を積むのがいいと思うのです」。

 それにしてもなぜ、南極に派遣するのは先生なのだろうか。約4カ月も学校を離れるのは簡単ではないし、所属校の同僚や管理職、教育委員会の支援が不可欠だ。南極でも観測隊の隊員たちの協力なしには事が進まない。

 それでも、南極に先生を送り出す意義がある。なぜなら「学校の先生は毎年、新しい子どもたちを受け持って授業をします。子どもたちを南極に連れていくよりも、観測隊の隊員が講演会をするよりも、たくさんの子どもたちに南極を知ってもらえるからです」と熊谷さん。

 先生を通じて極地研の知見を教育現場に多様な形で届け続けることは、研究成果を社会で生かすとともに未来を担う次世代の学びにもつながる。さらに先生が周囲にもたらす波及効果に期待しているのだといい、「派遣された先生たちのネットワークも広がってきていて、今後は先生たちに教わった子どもの中から南極研究者も出てくるでしょう」と楽しみにしている。

南極に派遣された先生たちの意見交換会(極地研提供)
南極に派遣された先生たちの意見交換会(極地研提供)

 「だからこそ、先生としての経験を積み、自分の教育方針や授業スタイルを築き、これからも長くその道を歩み続ける意志のある人たちに南極へ行ってほしい。そこでの体験をあらゆる形で学校教育に生かしてほしい」と熊谷さんは望んでいる。

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最後の清流・四万十川で海藻が育む未来を考える サイエンスアゴラ in 四万十開催 https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20251001_e01/ Wed, 01 Oct 2025 06:39:04 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55179  「最後の清流」として名高い高知県の四万十川。しかし、ここ数年は海藻類の青のりの収穫量がゼロ、もしくは少量という年が続いている。有明海や宮城県沖といった他の産地でものりが取れなくなっており、和食の象徴的な一品が危機にさらされている。そんな現状を知り、のりが採れる清流を残していくにはどのような行動が必要かを考えるイベント「サイエンスアゴラ in 四万十 ~海藻が育む、四万十の未来~」が、8月25日に四万十市の文化複合施設「しまんとぴあ」で開かれた。

四季折々異なった様相をみせる四万十川の清流(四万十市観光協会提供)
四季折々異なった様相をみせる四万十川の清流(四万十市観光協会提供)

2020年に生産量ゼロ 地元に衝撃

 高知県西部を流れる四万十川は、土佐湾から海水が流入するため、汽水域が生じる。真水よりも重たい海水が川の淡水の下に潜り込み、海水と川の淡水が混じった場所を青のりは好む。古くから、この汽水を利用したスジアオノリという青のりは特産品として四万十のシンボルだった。しかし温暖化の影響か、2020年に生産量はゼロになり、地元の人々に衝撃を与えた。今年、8人の生産者によって少量採れたものの、全盛期とはほど遠く、四万十川流域の住民らは落胆している。

 スジアオノリは胞子で増殖し、鞭毛を使って適切な場所に着生する。そこで細胞分裂して「すじ」のように藻体が長く育ち、早春に漁は最盛期を迎える。しかし、通常の春~夏の海水温より温度が上昇することで、スジアオノリは藻体を伸ばせず、いつまでも短いままで育つことができない。これが近年の不作の原因と考えられている。

 このような現状に危機感を持った高知大学は、地元の漁業協同組合や自治体、商社などと協力し、「しまんと海藻エコイノベーション共創拠点」(通称:しまのば)というプロジェクトを立ち上げ、海藻の資源回復や、海藻を食以外の方法で利用するための方策などを研究してきた。とりわけ陸上での養殖は軌道に乗り始めており、今後は市場に出荷できる収量を目指していくという。二酸化炭素を閉じ込めるブルーカーボンの役割も果たす海藻は、温暖化対策の切り札になるとも考えられている。

夏の思い出に 美しい瓶を作ろう

 今回、しまのばの活動の一環としてのイベント内で、「観賞用アオノリをつくってみよう」というワークショップがあり、夏休み最後の思い出づくりの場に、日焼けした子どもたちが保護者とともに集まった。

ビーカーに入ったスジアオノリ。ビーカーを揺らすとふわふわと漂っていた
ビーカーに入ったスジアオノリ。ビーカーを揺らすとふわふわと漂っていた

 同大学農林海洋科学部の難波卓司准教授(細胞生物学、薬学)が冒頭、「コンビニで最近のりを巻いたおにぎり減りましたよね。ポテトチップスの青のりも今は天然の『スジアオノリ』ではありません」と紹介すると、子どもたちは手元のワークシートを見ながらうなずいていた。

 四万十川からのりがなくなった要因の一つとして考えられているのが、海水温の上昇だ。「温暖化を防ぐために何か行動していることがありますか」と難波准教授が尋ねると、26人の参加者は恥ずかしそうに下を向くばかり。そこで、「水温が2度上がるというのは、お風呂の42度と44度が異なるようにかなり違う。ブリも九州でたくさん捕れていたのに、今では北海道で捕れる。海藻は暑くなった場所から移動できないので、成長できない」と解説すると、「へー」と小声で納得した声があがった。

スジアオノリの生態や、全国ののりの生産について説明する難波卓司准教授
スジアオノリの生態や、全国ののりの生産について説明する難波卓司准教授

 難波准教授は、スジアオノリを各自配られた小瓶に移し、暗いところで光る夜光石と貝殻をピンセットで詰める工程を説明した。子どもたちはピンセットで細かいものをつかむことに試行錯誤しながらも、思い思いの品を作った。

先のとがったピンセットは使用が難しく、「つかめない」という声が上がった。こぼさないように慎重に作業を進めている
先のとがったピンセットは使用が難しく、「つかめない」という声が上がった。こぼさないように慎重に作業を進めている

 出来上がった小瓶を持ち上げて観察する子どもや、より多くのスジアオノリを詰めようと再びコルクを開けて押し込む子など、好きなようにアレンジしていた。この頃には緊張もほぐれたようで、「これを大きく育てるにはどうすればいいですか」といった質問や、「たくさん育ててお好み焼きパーティーやろうや」とノリノリの子どもたちで、室内は熱気に包まれた。

 最後に難波准教授が「飾るなら直射日光に当たらない場所に置く。大きく育てたいなら海水を煮沸した後、冷まして入れるようにし、数日に一度、(同じようにして)水を変えるといい。白くなってきたら、死んでいるので捨てましょう」とアドバイスすると、子どもたちは「はい」と元気よく返事をしていた。

 祖父母と参加した市内の小学2年生の男児(8)は「細かい作業が難しかった。飾るのも育てるのもどっちもしたい」と笑顔を見せた。母親に連れられて参加した市内の小学5年生(11)と2年生(7)の姉妹は「育てたいけど、家から海が遠いからできるかな……飾るようにしたい」と、出来上がった瓶をまじまじと見つめていた。

イベントに参加することで地元の特産品について子どもたちが考えるきっかけになりそうだ
イベントに参加することで地元の特産品について子どもたちが考えるきっかけになりそうだ

 難波准教授は「最盛期には多くの漁業者が漁に携わっていたと聞いている。もう一度四万十の青のりが復活するよう、新しい株の探索、高い温度でも育つような養殖方法など、様々な研究に取り組んでいきたい」と話した。

四季折々の川の変化 もう見られないのか

 午前中のワークショップが終わると、午後には高知大学の受田浩之学長、四万十市の山下元一郎市長、四万十川下流漁業協同組合の沖辰巳組合長らがパネルディスカッションを行った。

 受田学長は「最後の清流との言葉の通り、地元の自然に対する意識は高い。一方で、『最後の』という言葉はご想像の通り、自然環境が失われつつあることを示している。これまで産業振興と環境保全はトレードオフだった。産業が進行すれば公害が起こった。しかし、しまのばプロジェクトでは海藻の再生という産業振興と環境保全の両立を目指す」と語った。

 それに呼応するように、沖組合長は「春は川に出てチヌ(クロダイ)を獲り、夏はカジメ(コンブの一種)の群集をかき分け、トコブシ(貝類)を獲り、そしてウナギにテナガエビと、季節ごとに異なる漁をしていたのが四万十川。地球温暖化のせいなのか私たちには分からないが、最近はこの景色が見られなくなっている」と悔しそうに語った。

 地元の課題を肌で感じることができる山下市長も「人口減に温暖化という、市の抱える課題が数十年ずっと変わっていない」と、高知だけでなく、他の地方自治体にもいえる難題にため息をついた。

四万十川の自然保護に対する危機感をあらわにする(写真左から)受田学長、沖組合長、山下市長
四万十川の自然保護に対する危機感をあらわにする(写真左から)受田学長、沖組合長、山下市長

地元の生徒 四万十川のこと「よく分からない」

 このような地元の危機感を受け止め、中学生や高校生に出前授業を行っているのが同大学総合科学系黒潮圏科学部門の平岡雅規教授(海洋植物学)だ。平岡教授は四万十川から直線距離で500メートル離れたところに位置する高知県立中村高校などで、四万十川の今を考え、未来へのアイデアを出すワークショップを開いている。

 中村高校は四万十市にあるが、宿毛市(すくもし)や黒潮町といった別の自治体からも生徒が通う。そのため「四万十川のことはよく分からない」と言われてしまった。全国区のはずの四万十川についてあまり知られていないことに衝撃を受けた平岡教授は、児童・生徒たちに対し、様々な環境教育を行ってきた。

1980年代の漁業最盛期に比べ、現在の四万十川は壊滅的だと話す平岡雅規教授
1980年代の漁業最盛期に比べ、現在の四万十川は壊滅的だと話す平岡雅規教授

 例えば「海藻は1キログラムで二酸化炭素1キログラムを固定できる環境にとても良い生き物である」ことや、「高知県の沿岸は世界平均の2倍の速さで温暖化が進んでいる」こと、「海藻の一種であるホンダワラ類は20種近くが高知県近海に生息しているが、近年熱帯性のホンダワラ類が増えて温帯性のものが減っている」こと、「これらの海藻が減る代わりにサンゴ類が増えている」ことなどを伝えている。

 すると、児童・生徒たちは身近な環境がこれまでと様変わりしていることを自覚し、どうすればこの自然豊かな四万十を維持できるか、様々なアイデアを出してくる。例えば、青のりを原材料にしたハンガーを作る、青のりを使った衣類を生産するといった、思いもつかないようなアイデアをイラストにして発表する。そんな姿を見て、平岡教授は感激し、また出前授業に熱が入る。

 平岡教授は今、向き合っている若者たちについて、「10年、20年後のビジョンを思い描くのは大変。でも、温暖化が進んでいることを毎年感じている。若い人たちにも選んでもらえる仕事がなければ、人口減が止まらない。四万十市だけでなく、近くの市町村も巻き込んだプロジェクトで海藻を復活させなければならない」と呼びかけた。

 イベントは高知大学が主催し、国立研究開発法人科学技術振興機構・四万十市・高知県が共催した。今回、イベント出張にあたり、四万十川を含む高知の食材をたくさんいただくことができた。有名なカツオのみならず、強く味を感じられる野菜に、新鮮な魚介類、そして白米。どれもおいしく、農林水産業を守ることは国民の食生活を守ることなのだと痛感した。豊かな第一次産業を継承していくために、自分ができることを続けていきたい。

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