深く掘り下げたい - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」 https://scienceportal.jst.go.jp Wed, 15 Oct 2025 07:22:47 +0000 ja hourly 1 坂口氏と北川氏にノーベル賞、同年ダブル受賞の快挙に沸く 地道な努力重ねた2人は基礎研究への支援訴え https://scienceportal.jst.go.jp/explore/review/20251015_e01/ Wed, 15 Oct 2025 07:21:30 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55288  2025年のノーベル生理学・医学賞に大阪大学特任教授の坂口志文氏が、化学賞に京都大学特別教授の北川進氏が、それぞれ共同研究者とともに選ばれた。坂口氏は「免疫応答を抑制する仕組みの発見」が、自己免疫疾患やがんなど免疫が関わる病気の予防や治療につながると評価された。また、北川氏は気体を自由に出し入れできる「金属有機構造体(MOF)の開発」が評価され、環境・エネルギー問題や新素材開発など広範な分野での応用が期待される。

 日本人研究者が生理学・医学賞を受賞するのは7年ぶりで坂口氏は6人目、化学賞は6年ぶりで北川氏は9人目だ。2021年を最後に日本人の自然科学系3賞の受賞がなかっただけに、15年以来10年ぶりの同年ダブル受賞の快挙に国内は沸き立った。

 不遇な時代も地道に努力を積み重ねて栄誉に輝いた2人は、そろって基礎科学や基礎研究への支援を訴えた。背景には最近の日本の研究力低下がある。明るいニュースは、同時に自由で進取な気風に富んだ研究環境の大切さと、そうした環境の確保・整備が今後の課題であることも浮き彫りにした。

記者会見で受賞決定の喜びを語る坂口志文氏(左、大阪大学提供)と北川進氏(京都大学提供)
記者会見で受賞決定の喜びを語る坂口志文氏(左、大阪大学提供)と北川進氏(京都大学提供)

過剰免疫を抑える制御性T細胞を発見

 日本の免疫研究の歴史の中で過去、1987年に利根川進氏が免疫抗体の多様性を解明した業績で、また2018年に本庶佑氏が免疫細胞で働くたんぱく質「PD1」を発見した業績で、それぞれ生理学・医学賞を受賞している。このほかにも「ノーベル賞級」と言われる成果を挙げ、世界的にその名が知られる研究者は何人もいた。その一人が坂口氏だった。日本の免疫学研究のレベルは世界的に見てもかなり高かった。

 坂口氏は、1970年代末から80年代にかけて免疫細胞の研究に打ち込んだ。やがて体内に侵入したウイルスなどの病原体を異物として攻撃する免疫細胞であるT細胞の中に過剰な攻撃が体に害を及ぼさないよう抑制する役割を担う種類があることを発見し、1995年にこの免疫細胞を同定して論文を発表。2000年に「制御性T細胞」と命名した。

 制御性T細胞は、自己免疫疾患やアレルギー、がん治療などの治療や臓器移植後の拒絶反応対策にも活用できる。このため21世紀に入ってからは免疫学の中でも注目の研究テーマだった。制御性T細胞を発見した坂口氏は、ノーベル賞受賞の有力候補として毎年その名が挙がっていた。そのことはご本人も知っていたはずだ。

 「うれしい驚きに尽きる。研究がもう少し臨床の場で人の役に立つとご褒美があると思っていた。この時点で名誉をいただくのは非常に光栄だ」。大阪大学での記者会見でこう語った言葉に長い間の自分の研究に対する自負と誇り、そして喜びが率直に表れていた。

過剰な免疫反応を監視し、見つけて抑制する制御性T細胞(Treg細胞)のイメージ図(ノーベル財団提供)
過剰な免疫反応を監視し、見つけて抑制する制御性T細胞(Treg細胞)のイメージ図(ノーベル財団提供)

研究環境が変わりながら努力重ねる

 坂口氏の研究生活は決して順風満帆ではなく、苦難の時期もあった。1977年に京都大学大学院から愛知県がんセンターに転じ、胸腺を取り出したマウスが自己免疫疾患を起こすことに興味を抱いて基礎研究を始めた。その後、京都大学で博士号を取得して海外に出た。米国のジョンズ・ホプキンズ大学、カリフォルニア大学サンディエゴ校などの大学や研究所4カ所を渡り歩きながら研究を続けた。

 日本に戻り、新技術事業団(当時、現・科学技術振興機構=JST)の研究支援を受けた。制御性T細胞の論文を発表した1995年に東京都老人総合研究所免疫病理部門の部門長に。京都大学再生医科学研究所の教授として母校に戻ったのは99年。大阪大学免疫学フロンティア研究センターの教授就任は2011年のことだ。ノーベル賞受賞につながる研究は、恵まれた1カ所の研究環境で一貫して行われたわけではなかった。環境が変わりながらも辛抱強く努力を重ねてきた。

 そうした時期の主に前半、免疫学の分野では免疫力そのものを抑える働きがある免疫細胞など存在しないと考えられていた。論文を出しても掲載を断られる経験もした。そうした不遇の時期も乗り越えて栄誉に輝いた。電話で祝意を寄せた石破茂首相に「頑固にやってきたことが今日につながった」と語った。

 受賞の報は一番に妻教子(のりこ)さんに伝えたという。「家内と一緒にやってきたので喜んでくれると思っていた」(10月6日の記者会見)。愛知県がんセンターで当時皮膚科の研究をしていた教子さんと出会い、研究を共にした。そして一緒に渡米した。教子さんは1995年の論文に共著者として名を連ねている。「(制御性T細胞の存在が)世の中に認められて一番うれしい」。7日の記者会見に同席した時の言葉に苦労も分かち合った実感がこもっていた。

2025年のノーベル生理学・医学賞が坂口氏ら3人に贈られることが発表された記者会見場の様子(カロリンスカ研究所の記者会見を伝える動画から。スウェーデン・カロリンスカ研究所/ノーベル財団提供)
2025年のノーベル生理学・医学賞が坂口氏ら3人に贈られることが発表された記者会見場の様子(カロリンスカ研究所の記者会見を伝える動画から。スウェーデン・カロリンスカ研究所/ノーベル財団提供)
受賞決定翌日の10月7日に大阪大学本部事務機構棟で熊ノ郷淳学長(お祝いの垂れ幕の左)ら同大学関係者に祝福される坂口氏(垂れ幕の右)(大阪大学提供)
受賞決定翌日の10月7日に大阪大学本部事務機構棟で熊ノ郷淳学長(お祝いの垂れ幕の左)ら同大学関係者に祝福される坂口氏(垂れ幕の右)(大阪大学提供)

超微細の「ジャングルジム」が多種多様な用途に

 北川氏が開発したMOFは、金属イオンと有機分子が交互に積み上がった構造の画期的な新材料で、微細な孔が無数に規則的にある「ジャングルジム」のような構造が特徴だ。大きさを調整できる微細な空間を使ってさまざまな気体を貯蔵したり、分離したりできる。製造法も溶液を混ぜるのが基本で簡易。金属イオンと有機分子の組み合わせによる多くの構造が可能だ。

 このため、二酸化炭素(CO2)の吸着や次世代エネルギーとして注目される水素の貯蔵など環境・エネルギー分野のほか、産業分野を含めた多種多様な用途が期待されている。材料科学分野期待の新素材だが、特に注目されているのは環境分野での活用だ。大気中で増えれば地球を温暖化するCO2を回収でき、国内外の各地で一部は発がん性が否定できないとして問題になっている有機フッ素化合物(PFAS)を除去できる。

さまざまな気体を自由に出し入れできるMOFのイメージ図(ノーベル財団提供)
さまざまな気体を自由に出し入れできるMOFのイメージ図(ノーベル財団提供)

 不要な物質を吸着する材料として活性炭やゼオライトが広く知られる。だが、MOFのように孔の形状や大きさを微細に、精密に操作することは難しかった。北川氏は1990年代に入って共同研究者と研究を進め、97年に自在に製造できるMOFがメタンや酸素、窒素を吸着・貯蔵できることを示した。

 北川氏は一連の研究でまず、骨格構造の中で見過ごされがちな空間、つまり孔に注目した。1992年に実験で得た結晶材料の構造を見た時に無限の孔が開いていた。「それを見た時面白いとピンと来た。非常に興奮した」。受賞決定後の記者会見で研究の突破口になったきっかけについてこう説明した。そして「有機分子と金属イオンはすぐに壊れるというのが常識だったが、丈夫な構図を持っているのを示せた。他の受賞者とのチームワークで(成果が)認められたと思う」と喜びを淡々と語った。

北川氏ら3人へのノーベル化学賞授賞を発表するスウェーデンの王立科学アカデミーの委員会メンバー(スウェーデンの王立科学アカデミーの記者会見を伝える動画から。スウェーデンの王立科学アカデミー/ノーベル財団提供)
北川氏ら3人へのノーベル化学賞授賞を発表するスウェーデンの王立科学アカデミーの委員会メンバー(スウェーデンの王立科学アカデミーの記者会見を伝える動画から。スウェーデンの王立科学アカデミー/ノーベル財団提供)
京都大学の関係者からお祝いの花束を受ける北川氏(京都大学提供)
京都大学の関係者からお祝いの花束を受ける北川氏(京都大学提供)

常識を覆した衝撃的な発見

 北川氏は京都大学大学院工学研究科で博士課程を修了後、近畿大学理工学部の助手になった。そして助教授だった1990年ごろに金属イオンや有機化合物などの分子が自然と組み上がる「自己組織化」の手法を研究。これがその後のMOFの開発につながった。ゼオライトのような硬い無機物と異なり、軟らかい有機物では安定した多孔性物質はできないという当時の常識を覆す衝撃的な発見だった。

 発表したデータを疑問視されるという研究者として屈辱的な経験もしている。苦労は限りなくあったという。「論文を発表したらそんなの本当かという感じで非常にたたかれた。(それでも)一切揺らがずに進めていこうという気持ちになった」「たたかれて涙か汗か分からない経験をした」。現在、理事・副学長を務める京都大学での記者会見で学界の空気を乗り越えた当時をこう振り返っている。坂口氏同様、北川氏も逆境を糧としていた。

 北川氏は1981年に日本人研究者として初めてノーベル化学賞を「化学反応のフロンティア軌道理論」で受賞した故・福井謙一氏の流れをくむ研究室の出身だ。先輩に2019年の化学賞を「リチウムイオン電池の開発」で受賞した吉野彰氏がいた。「福井学派の流れにどっぷりと漬からせていただいて今日に至っています」。2人は学会などで顔を合わせていた。

 受賞が決まった日の深夜に2人は電話対談をしている。企画・取材した共同通信によると、吉野氏が「(福井さんの)DNAを私たちは受け継いでいる」と語りかけると、北川氏は「その通りです」と返答。福井氏は常々、研究では応用を意識するように言っていたと振り返った。吉野氏は後輩の偉業に「持続可能な社会への武器になる」と評価していたという。

ノーベル化学賞を受賞した故・福井謙一氏(左)。右側は73年に物理学賞を受賞した江崎玲於奈氏(1981年10月撮影)
ノーベル化学賞を受賞した故・福井謙一氏(左)。右側は73年に物理学賞を受賞した江崎玲於奈氏(1981年10月撮影)

74歳、京大出身、研究への信念、起業など、多い共通項

 坂口氏と北川氏は共通項が多い。それぞれ出身地は滋賀県、京都府と近く、現在同い年の74歳。古希を過ぎてなお旺盛な探求心で今も研究を続けている。また、自由な雰囲気の校風を誇る京都大学の出身だ。2人ともJSTの複数の研究支援を受け、研究代表者も務めている。

 日本人研究者の自然科学系3賞の受賞者は、米国籍取得者を含めると計27人に上る。そのうち京都大学出身は10人と大学別で最多だ。研究者を目指す若い学生に対して北川氏は記者会見で「京都大学の伝統でもある知的好奇心を大切にし、面白いことをやってほしい」と、また「京都大学の福井学派」については「分野は違っても思想、伝統がある。誰もやっていないことをやる、面白いことをやることが伝統として出来上がった」と述べている。

 そして2人が強調したのは苦しい時にあっても興味を持続して努力を続けることの大切さだ。研究への信念も共通していた。「自分で興味があることを大切にすると新しいものが見えてくる。ずっと続けると気が付いたら面白い境地に達する」(坂口氏)。「(どんな時も)自分の感性を信じること。(誰もが考えていないことに)チャレンジすること。そして(研究対象に対する)興味が融合して私自身の方向性を変えた」(北川氏)。

 2人の研究成果を社会の中で生かすためのスタートアップ企業が設立されている。坂口氏の成果を基に2016年に大阪大学発の「レグセル」が設立された。現在本社を米国に移し、世界を視野に自己免疫疾患やがん治療などに貢献できる創薬に取り組んでいる。また15年には北川氏の成果を社会実装につなぐことを目的に「アトミス」が設立された。同氏は現在科学顧問を務め、多様な活用を目指している。

日本の注目論文数は低迷、かつての面影なく

 自然科学系3賞の日本人研究者は2000年以降だけで20人を超え、米国に次ぐ。日本の研究力の底力を示している。ただ、授賞対象の研究成果は20~30年前が多く、研究の芽が出た時期はそれ以上さかのぼるものが目立つ。残念ながら足元の研究力はここ10年あまり、国際比較で顕著に低下している。

 文部科学省の科学技術・学術政策研究所が8月に公表した「科学技術指標2025」によると、注目され、数多く引用された「トップ10%論文」数の比較で21~23年は世界で13位と低迷。1位の中国、2位の米国に大きく差が付いている。論文数や注目論文などで常に上位に入っていた1980年代から2000年初めごろまでの面影はない。引用が多い論文が必ずしも「ノーベル賞級」と言えるわけではないが、今後も受賞者が続くかどうかは心もとない。

 坂口氏は石破首相との電話で「日本の基礎研究に対する支援が不足している。免疫の分野では日本はドイツの3分の1です。基礎研究に対する支援をお願いしたい」と訴えた。北川氏も、阿部俊子文部科学相から祝意を伝える電話の中で「基礎研究は息が長い。皆さんが言うように基礎研究を重視して大きくする施策をお願いしたい。若い人の研究時間を確保する施策が必要で、研究支援人材が増えるようにしてほしい」と述べた。基礎研究は社会実装につながる応用研究に引き継ぐことが重要で、基礎研究には時間がかかることから人的支援も必要との考えだ。

2021~23年の「トップ10%」(左)「トップ1%」(右)それぞれの補正論文数の順位(科学技術・学術政策研究所提供)
2021~23年の「トップ10%」(左)「トップ1%」(右)それぞれの補正論文数の順位(科学技術・学術政策研究所提供)

若手研究者のための環境の整備を

 1981年に福井氏の化学賞受賞が決まった時に京都支局で取材して以来、何らかの形で日本人研究者のノーベル賞受賞の歴史を見続けてきた。経済安定成長期、バブル期・その崩壊期、経済の低成長・低迷期…。40年あまりの間に時代も社会経済も大きく変わった。だが、時代を超えて生理学・医学賞は生命・人間とは何かを問う生命科学の発展に寄与し、医学・医療の進歩につながった。物理学賞と化学賞は基礎研究の成果を生かしたイノベーションの鍵を握り、日本の経済社会にも貢献してきた。

 基礎研究の大切さや強化の必要性はこれまでも多くの日本人受賞者が強調してきた。ここ10年その声は強まっていた。北川氏は荘子の格言「無用の用」の言葉を使って、すぐには役に立たないと思われた基礎研究もやがて社会の役に立つようになった実感を伝えた。

 今年の化学賞を北川氏に授与することを発表したスウェーデンの王立科学アカデミーは「人類が直面する大きな課題の解決につながる可能性がある」と説明した。私たちにとっても誇らしい評価だった。「日本発」の研究成果や技術がこれからも長く世界的に高く評価され、国内外で生かすことができるかどうか―。それは、未来を担う若手研究者が自由で元気な研究を進めることができる研究環境を確保し、整備できるか、にかかっている。2人の言葉には今後の日本の科学界に生かすべき多くの示唆に富んでいた。

1981~2023年の主要国の研究開発費総額(名目額)の推移(科学技術・学術政策研究所提供)
1981~2023年の主要国の研究開発費総額(名目額)の推移(科学技術・学術政策研究所提供)
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大阪・関西万博閉幕 これからも脈々と未来社会のデザインを描くために https://scienceportal.jst.go.jp/explore/review/20251014_e01/ Tue, 14 Oct 2025 07:26:11 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55280  大阪・関西万博が184日間の会期を終えて13日、閉幕した。廃棄物の埋め立て人工島という立地から、メタンガスの事故リスクやアクセスの悪さなど負のイメージも先行したが、大きな事故はなく、多くの人がパビリオンに並び、ミャクミャクグッズを買い求めた。期間中の一般入場者は約2529万人(12日までの速報値)で、前回の国内万博である2005年の愛知万博(愛・地球博)より約324万人多い。運営費のみで見ると230億~280億円の黒字となる見通し。同日の閉会式で石破茂首相は「AI、ヘルスケア、モビリティ、ロボットといった新たなテクノロジーが実践された。分断よりも連帯、対立よりも寛容を大切にし、多くの方にご満足頂けた」と述べた。

国民の英知 集まるネット

 万博開幕式で、石破首相は「人類共通の課題をいかに克服するか、内外の英知を集める」と語っていた。会期中は、万博体験記の「英知」がSNS上で共有されたといえるだろう。テーマパーク巡りのように「回りやすさ」や「ショップの充実度」「混雑具合」といった体験記があふれた。酷暑の中で会場を回るためのうちわ型の「非公式マップ」や、お一人様で万博会場を巡る「わんぱく」なる言葉も誕生し、SNSに公式サイトを超える情報量が集まった。各国のパビリオンも、インターネット上でその国に造詣が深い人々の解説を読むことができ、展示会場でなくとも楽しむことができた。

会場には様々な工夫を凝らした建物が現れた。大屋根リング(写真左)の上から眺めているだけでも楽しめた

 他方で、デジタル格差とも言われる中、これらの情報になかなかたどり着けない人や、様々な理由でインターネットを使いこなすことが難しい人が置き去りになったという側面もある。万博協会は「一人ひとりが輝くことのできる世界の模式図を描く」理念を掲げていたが、入場予約システムの煩雑さなどからしても、この理念は絵に描いた餅ではなかったか。

 もちろん、「これからの社会はデジタル」という主張も理解できる。現に「デジタル万博」や「バーチャル万博」は公式サイトにも表示されていた。ただ、デジタルを使いこなすためには相応の知識や経験値、端末類が必要である。日頃から使いこなしている人は、「使えない」人々がいることに気が付きにくく、ともすれば、現代社会は「使いこなす」人々がデザインしがちだ。「未来社会のデザイン」とは、デジタル・ネイティブだけのものではないだろう。

サステナブルな未来 描けたか

 会場では、様々なリサイクル製品を目にすることができた。例えば、清水建設が3Dプリンターで作ったホタテの貝殻を使ったベンチ。通常、廃棄されるホタテの貝殻を使い、コンクリート製ベンチに比べて排出される二酸化炭素の量を削減できるように工夫した。

ホタテの貝殻を再利用して作ったベンチ。コンクリートベンチに比べ、排出される二酸化炭素量が少なくて済む

 このほかにも、ゴミの分別や提供される食事のカトラリーを木製にするなど、脱プラスチックや持続可能な社会に向けた取り組みが行われた。「BLUE OCEAN DOME」のパビリオンでは、建材に紙筒など、通常の材料よりも環境負荷が低いものを用いていた。海洋プラスチックを始めとしたごみを出さないようにするための試みを間近に見て、パビリオンが発するメッセージを受け止めることができた。

BLUE OCEAN DOMEパビリオンの屋根。再生紙の紙筒を組み合わせて強度を保つ。通常の建材よりも環境に配慮されている

 そんな企業の取り組みがあった一方で、各パビリオンで配られるプレゼントやノベルティは環境に配慮されているとは言い難かった。中には金属製のバッジなどリサイクルに不向きなものもあり、「いのちを育む」理念には反していたように思う。環境に対する考え方は各国で異なる。しかし、日本が開催国としての責任を果たそうとするならば、日本館の展示のように、より廃棄物を出さず、ものを大切にする取り組みがもっと広まってもよかったと感じている。

手が届く「海外」 諸外国を知り、分かり合う契機に

 諸外国のパビリオンでは、車いすやベビーカーの優先入場が設けられた。誰もが暮らしやすい世の中にすることはバリアフリー社会においては必須であり、他国のパビリオンの姿勢からは学びがあった。現在、首都圏や大都市の公共施設などではバリアフリーが浸透しつつあるが、まだまだ外出にはハードルが高い社会だ。今回の万博でデモが行われた空飛ぶクルマなどが実用化し、移動するための手段が個別化されて、おのおののハンディキャップに対応することができるようになれば、杞憂に終わるのかもしれないが……。

今回の万博で注目を集めた出展の一つ「空飛ぶクルマ ステーション」

 今回の万博は「まるで海外旅行のよう」との声も聞かれた。通期パスを使い、全パビリオン制覇のために足繁く通った人もいる。前回万博が開かれた2005年は、1ドル約105~111円。だが、今回の万博期間中は同143~150円と、20年前より円安が進み、外務省などのデータによると、パスポートを持っている人は国民の約17%にとどまる。

 このように海外旅行が手に届きにくくなった状況の中でも、異国文化を感じ、食事を楽しみたいという来場者のニーズに万博は合致した。グローバルな長距離移動を減らすことは、温室効果ガスの削減につながる。万博で「海外」を満喫することは、期せずとも、環境に配慮することになるともいえるのだ。

 インターネットでは「自国ファースト」の意見が飛び交うが、他国との協調関係なしには我が国は生き残れない。国名しか知らなかった国について学び、各国の新たな一面を理解することにおいて、このような社会だからこそ、万博を開催した意味があるのだろう。

 大屋根リングの理念「多様でありながら、ひとつ」――各自の楽しみ方で、ひとつのイベントに熱狂した半年間が惜しまれつつ、終わった。筆者は4人の友人たちと一緒に「EARTH MART」パビリオンを訪れた際にもらった「25年後の梅干しがもらえる万博漬け引換券」の交換が、今から楽しみである。

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学校の先生は何しに南極へ? 国立極地研「教員南極派遣プログラム」の実像をさぐる https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20251010_e01/ Fri, 10 Oct 2025 06:05:57 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55258  子どものころ、公開されたばかりの「南極物語」を映画館で見て、過酷な自然に圧倒された。かの地でさまざまな任務を遂行する人たちは、専門知識や技術だけではなく、超人的な身体能力と鋼の精神力を持ち合わせているのだろう。宇宙飛行士と同じくらい遠い存在と思い込んでいたら、意外な人たちも南極に行っている。学校の先生だ。2009年度から24年度までに29人が南極地域観測隊とともに派遣され、今年度も2人がまもなく出発するという。先生たちは、いったい何のために南極を目指すのだろうか。その実像を探るべく、国立極地研究所(極地研)広報室長の熊谷宏靖さんを訪ねた。

2016〜17年の第58次南極地域観測隊夏隊員の熊谷さん。昭和基地沖の南極観測船「しらせ」の前で仲間たちと記念撮影(左から3人目、極地研提供)
2016〜17年の第58次南極地域観測隊夏隊員の熊谷さん。昭和基地沖の南極観測船「しらせ」の前で仲間たちと記念撮影(左から3人目、極地研提供)

自然環境や観測隊の活動は教材になる

 極地研は、東京都立川市の官公庁が立ち並ぶ一角にある。創設は1973年9月。南極圏と北極圏に観測基地を持ち、その名称のとおり、極地に関する研究を牽引している。

 その極地研が文部科学省と連携して取り組んでいるのが、「教員南極派遣プログラム」。全国から公募により採用した教員を観測隊夏隊の同行者として派遣している。採用された先生は、事前訓練を経て11月下旬に南極に向けて出発。1カ月ほど昭和基地で取材などを行い、3月下旬に帰国する。

 派遣の目的は、子どもたちが南極に興味や関心を持ち、理解を深められるようにすること。そこには、先生の南極での活動や体験を通して、子どもたちに南極を多面的に知ってほしいという思いがある。その一端として滞在期間中には、先生たちの所属校と南極を衛星回線でつなぐ「南極授業」の実施も課している。

熊谷さんはこれまでに3回、観測隊に参加している
熊谷さんはこれまでに3回、観測隊に参加している

 応募資格は、「教員免許を有し、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校に現職として勤務する教員であること」。子どもたちが南極に興味を持つきっかけを増やすため、担当教科は問うていない。熊谷さんは「理科に限定せず、さまざまな分野の先生に、南極の自然環境や観測隊の活動を教材として使い切っていただきたいと考えています」と期待する。実際にこれまで派遣された教員の専門分野は、理科のほか、社会や情報、美術、養護など幅広い。

 しかし、教員南極派遣プログラムは「行きたい」という思いだけで参加できるものではない。熊谷さんは「南極に行くのは、南極にわざわざ行く必然性がある人なのです」と話す。たとえば観測隊の研究者たちは、南極でしか得られないデータを目的に南極を目指すのだ。では、最果ての地を踏んだ先生たちの必然性はなんだったのだろう。

生徒たちの仮説を検証するために応募

 南極に行きたい―子どものころからの夢がかなった先生がいる。奈良県立青翔中学校・高等学校の生田依子さんだ。2016年11月末から翌年3月末まで、第58次南極地域観測隊の夏隊に同行した。

 あるとき、「探究科学」という科目で微生物をテーマに研究を進めていた生田さんの生徒たちが、南極でも実験したいと言い出したという。微生物燃料電池(微生物が呼吸するときに放出する電子を用いて発電する装置)を研究していたグループは「南極は微生物が少ないはずだから発電しないかもしれない」と仮説を立てた。また、黄砂と大気中の微生物数の関係を調べる中で風向きや人の動きで微生物数が変わることに気づいたグループも「観測隊が南極に微生物を持ち込んでいるかもしれないし、ペンギンから微生物が出ているかもしれない」と南極での実験を望んだ。

 「これらの仮説を検証するために、生徒たちと研究計画をまとめ、教員南極派遣プログラムに応募してみたのです」と、生田さんは当時を振り返る。この企画が採択され、生田さんは憧れの南極で、生徒たちは奈良で、それぞれ調査研究を進めた。その研究成果は、南極授業として全校生徒の前で報告された。

昭和基地からリモートで生徒たちと研究発表をする生田さん(極地研提供)
昭和基地からリモートで生徒たちと研究発表をする生田さん(極地研提供)

 南極授業には思いがけない効果があったという。他の生徒たちも南極の微生物に関心を示すようになり、学校全体の研究レベルの向上につながった。同時に「研究者マインドが先輩から後輩へと引き継がれて、いま在学中の生徒たちも意気込んでいます」と、生田さんはほほ笑む。

 10年近くがたった今では、同校の生物の先生は全員、「南極のプランクトン」を教えられるようになっている。生田さんの知識と指導内容が共有された結果だ。さらに他校の地学の先生も、南極地学をテーマした探究授業を実践しているという。また、小学生向けの南極出前授業に参加した子どもたちが同校に入学してきたり、かつての生徒たちが研究者としての道を歩み始めたり、生田さんの南極への思いは次世代へと受け継がれている。

南極での活動などが評価され、2019年、文部科学大臣優秀教職員表彰を受賞した(生田さん提供)
南極での活動などが評価され、2019年、文部科学大臣優秀教職員表彰を受賞した(生田さん提供)

美術作品を制作することで南極とつながる

 コロナ禍で世の中が息苦しかったころ、南極に向かった先生がいる。筑波大学附属高等学校の小松俊介さんだ。2022年11月中旬から翌年3月末まで、第64次南極地域観測隊の夏隊員とともに昭和基地とその周辺で生活した。

 小松さんは美術科の先生であり、専門は石彫である。一見、南極との関わりはない。しかしある日、校内メールで配信された募集要項に目が止まった。「教員って南極に行けるの!?」と驚き、自分だったら美術を通してどんな南極授業ができるだろうと考えてみたという。

 知れば知るほど、南極は魅力にあふれていた。「石を彫っているので、南極大陸の石が気になりました。そして、地球原初の風景を残す南極を見てみたい、そこに立ってみたいという気持ちが強くありました」と、小松さんは当時の思いを語った。

南極観測船「しらせ」に乗船して、風景や渡り鳥、波の形が刻々と変わっていくのを見ながら過ごした時間は豊かだったと小松さんは感じている(小松さん提供)
南極観測船「しらせ」に乗船して、風景や渡り鳥、波の形が刻々と変わっていくのを見ながら過ごした時間は豊かだったと小松さんは感じている(小松さん提供)

 小松さんの南極授業は、「アートを通して南極とつながる」。作品制作のテーマの一つを「南極で青写真を描く」とした。「青写真は、紫外線で感光させてネガフィルムを現像する写真技法です。また、比喩として将来設計の意味があります。それを掛け合わせて、将来の夢や関心事を写真で表現しようと試みたのです」と小松さん。そこには、「生徒たちに南極とのつながりを感じられるものを残したい」との思いもあった。

青写真を現像する小松さん(極地研提供)
青写真を現像する小松さん(極地研提供)

 実際の制作はというと——。生徒たちがまずネガフィルムを用意して、それを小松さんが南極に持ち込み、観測隊員の手を借りながら、日本の1.5倍ほどの紫外線量になる南極の光を焼き付けて青写真にした。最終的には、それぞれの青写真にそれぞれが詩を添えて、作品に仕上げ、展覧会で披露したという。

2023年7月、東京のギャラリー青羅で展覧会「アートを通して南極とつながる 昭和基地×筑波大学附属高校」を開催した(小松さん提供)
2023年7月、東京のギャラリー青羅で展覧会「アートを通して南極とつながる 昭和基地×筑波大学附属高校」を開催した(小松さん提供)

 印象的だったのは、帰国後の小松さんの進路指導。進路を思い描けない生徒には、「南極に行ってみる?」と声をかけるという。「観測隊にはいろいろな道のプロフェッショナルが参加しているので、南極に行く方法を考えることはキャリアデザインを考えることにつながると思うのです」と、その真意を明かしてくれた。

南極経験を学校教育に生かしてほしい

 極地研の熊谷さんは、南極行きの決まった先生に必ず伝えることがある。「採択された南極授業にはあまりこだわらなくていい。極論すれば、南極授業は失敗してもいい」。単発型の南極授業よりも、帰国後の通常授業で南極を教材にしてもらう方が大事と考えているからだ。「応募の段階では、南極授業の企画が成立するか否かはわかりません。また、先生の関心や子どもに伝えたい内容が、現地での経験によって変わることはありえます。なので、滞在中は南極でしかできない経験を積むのがいいと思うのです」。

 それにしてもなぜ、南極に派遣するのは先生なのだろうか。約4カ月も学校を離れるのは簡単ではないし、所属校の同僚や管理職、教育委員会の支援が不可欠だ。南極でも観測隊の隊員たちの協力なしには事が進まない。

 それでも、南極に先生を送り出す意義がある。なぜなら「学校の先生は毎年、新しい子どもたちを受け持って授業をします。子どもたちを南極に連れていくよりも、観測隊の隊員が講演会をするよりも、たくさんの子どもたちに南極を知ってもらえるからです」と熊谷さん。

 先生を通じて極地研の知見を教育現場に多様な形で届け続けることは、研究成果を社会で生かすとともに未来を担う次世代の学びにもつながる。さらに先生が周囲にもたらす波及効果に期待しているのだといい、「派遣された先生たちのネットワークも広がってきていて、今後は先生たちに教わった子どもの中から南極研究者も出てくるでしょう」と楽しみにしている。

南極に派遣された先生たちの意見交換会(極地研提供)
南極に派遣された先生たちの意見交換会(極地研提供)

 「だからこそ、先生としての経験を積み、自分の教育方針や授業スタイルを築き、これからも長くその道を歩み続ける意志のある人たちに南極へ行ってほしい。そこでの体験をあらゆる形で学校教育に生かしてほしい」と熊谷さんは望んでいる。

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最後の清流・四万十川で海藻が育む未来を考える サイエンスアゴラ in 四万十開催 https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20251001_e01/ Wed, 01 Oct 2025 06:39:04 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55179  「最後の清流」として名高い高知県の四万十川。しかし、ここ数年は海藻類の青のりの収穫量がゼロ、もしくは少量という年が続いている。有明海や宮城県沖といった他の産地でものりが取れなくなっており、和食の象徴的な一品が危機にさらされている。そんな現状を知り、のりが採れる清流を残していくにはどのような行動が必要かを考えるイベント「サイエンスアゴラ in 四万十 ~海藻が育む、四万十の未来~」が、8月25日に四万十市の文化複合施設「しまんとぴあ」で開かれた。

四季折々異なった様相をみせる四万十川の清流(四万十市観光協会提供)
四季折々異なった様相をみせる四万十川の清流(四万十市観光協会提供)

2020年に生産量ゼロ 地元に衝撃

 高知県西部を流れる四万十川は、土佐湾から海水が流入するため、汽水域が生じる。真水よりも重たい海水が川の淡水の下に潜り込み、海水と川の淡水が混じった場所を青のりは好む。古くから、この汽水を利用したスジアオノリという青のりは特産品として四万十のシンボルだった。しかし温暖化の影響か、2020年に生産量はゼロになり、地元の人々に衝撃を与えた。今年、8人の生産者によって少量採れたものの、全盛期とはほど遠く、四万十川流域の住民らは落胆している。

 スジアオノリは胞子で増殖し、鞭毛を使って適切な場所に着生する。そこで細胞分裂して「すじ」のように藻体が長く育ち、早春に漁は最盛期を迎える。しかし、通常の春~夏の海水温より温度が上昇することで、スジアオノリは藻体を伸ばせず、いつまでも短いままで育つことができない。これが近年の不作の原因と考えられている。

 このような現状に危機感を持った高知大学は、地元の漁業協同組合や自治体、商社などと協力し、「しまんと海藻エコイノベーション共創拠点」(通称:しまのば)というプロジェクトを立ち上げ、海藻の資源回復や、海藻を食以外の方法で利用するための方策などを研究してきた。とりわけ陸上での養殖は軌道に乗り始めており、今後は市場に出荷できる収量を目指していくという。二酸化炭素を閉じ込めるブルーカーボンの役割も果たす海藻は、温暖化対策の切り札になるとも考えられている。

夏の思い出に 美しい瓶を作ろう

 今回、しまのばの活動の一環としてのイベント内で、「観賞用アオノリをつくってみよう」というワークショップがあり、夏休み最後の思い出づくりの場に、日焼けした子どもたちが保護者とともに集まった。

ビーカーに入ったスジアオノリ。ビーカーを揺らすとふわふわと漂っていた
ビーカーに入ったスジアオノリ。ビーカーを揺らすとふわふわと漂っていた

 同大学農林海洋科学部の難波卓司准教授(細胞生物学、薬学)が冒頭、「コンビニで最近のりを巻いたおにぎり減りましたよね。ポテトチップスの青のりも今は天然の『スジアオノリ』ではありません」と紹介すると、子どもたちは手元のワークシートを見ながらうなずいていた。

 四万十川からのりがなくなった要因の一つとして考えられているのが、海水温の上昇だ。「温暖化を防ぐために何か行動していることがありますか」と難波准教授が尋ねると、26人の参加者は恥ずかしそうに下を向くばかり。そこで、「水温が2度上がるというのは、お風呂の42度と44度が異なるようにかなり違う。ブリも九州でたくさん捕れていたのに、今では北海道で捕れる。海藻は暑くなった場所から移動できないので、成長できない」と解説すると、「へー」と小声で納得した声があがった。

スジアオノリの生態や、全国ののりの生産について説明する難波卓司准教授
スジアオノリの生態や、全国ののりの生産について説明する難波卓司准教授

 難波准教授は、スジアオノリを各自配られた小瓶に移し、暗いところで光る夜光石と貝殻をピンセットで詰める工程を説明した。子どもたちはピンセットで細かいものをつかむことに試行錯誤しながらも、思い思いの品を作った。

先のとがったピンセットは使用が難しく、「つかめない」という声が上がった。こぼさないように慎重に作業を進めている
先のとがったピンセットは使用が難しく、「つかめない」という声が上がった。こぼさないように慎重に作業を進めている

 出来上がった小瓶を持ち上げて観察する子どもや、より多くのスジアオノリを詰めようと再びコルクを開けて押し込む子など、好きなようにアレンジしていた。この頃には緊張もほぐれたようで、「これを大きく育てるにはどうすればいいですか」といった質問や、「たくさん育ててお好み焼きパーティーやろうや」とノリノリの子どもたちで、室内は熱気に包まれた。

 最後に難波准教授が「飾るなら直射日光に当たらない場所に置く。大きく育てたいなら海水を煮沸した後、冷まして入れるようにし、数日に一度、(同じようにして)水を変えるといい。白くなってきたら、死んでいるので捨てましょう」とアドバイスすると、子どもたちは「はい」と元気よく返事をしていた。

 祖父母と参加した市内の小学2年生の男児(8)は「細かい作業が難しかった。飾るのも育てるのもどっちもしたい」と笑顔を見せた。母親に連れられて参加した市内の小学5年生(11)と2年生(7)の姉妹は「育てたいけど、家から海が遠いからできるかな……飾るようにしたい」と、出来上がった瓶をまじまじと見つめていた。

イベントに参加することで地元の特産品について子どもたちが考えるきっかけになりそうだ
イベントに参加することで地元の特産品について子どもたちが考えるきっかけになりそうだ

 難波准教授は「最盛期には多くの漁業者が漁に携わっていたと聞いている。もう一度四万十の青のりが復活するよう、新しい株の探索、高い温度でも育つような養殖方法など、様々な研究に取り組んでいきたい」と話した。

四季折々の川の変化 もう見られないのか

 午前中のワークショップが終わると、午後には高知大学の受田浩之学長、四万十市の山下元一郎市長、四万十川下流漁業協同組合の沖辰巳組合長らがパネルディスカッションを行った。

 受田学長は「最後の清流との言葉の通り、地元の自然に対する意識は高い。一方で、『最後の』という言葉はご想像の通り、自然環境が失われつつあることを示している。これまで産業振興と環境保全はトレードオフだった。産業が進行すれば公害が起こった。しかし、しまのばプロジェクトでは海藻の再生という産業振興と環境保全の両立を目指す」と語った。

 それに呼応するように、沖組合長は「春は川に出てチヌ(クロダイ)を獲り、夏はカジメ(コンブの一種)の群集をかき分け、トコブシ(貝類)を獲り、そしてウナギにテナガエビと、季節ごとに異なる漁をしていたのが四万十川。地球温暖化のせいなのか私たちには分からないが、最近はこの景色が見られなくなっている」と悔しそうに語った。

 地元の課題を肌で感じることができる山下市長も「人口減に温暖化という、市の抱える課題が数十年ずっと変わっていない」と、高知だけでなく、他の地方自治体にもいえる難題にため息をついた。

四万十川の自然保護に対する危機感をあらわにする(写真左から)受田学長、沖組合長、山下市長
四万十川の自然保護に対する危機感をあらわにする(写真左から)受田学長、沖組合長、山下市長

地元の生徒 四万十川のこと「よく分からない」

 このような地元の危機感を受け止め、中学生や高校生に出前授業を行っているのが同大学総合科学系黒潮圏科学部門の平岡雅規教授(海洋植物学)だ。平岡教授は四万十川から直線距離で500メートル離れたところに位置する高知県立中村高校などで、四万十川の今を考え、未来へのアイデアを出すワークショップを開いている。

 中村高校は四万十市にあるが、宿毛市(すくもし)や黒潮町といった別の自治体からも生徒が通う。そのため「四万十川のことはよく分からない」と言われてしまった。全国区のはずの四万十川についてあまり知られていないことに衝撃を受けた平岡教授は、児童・生徒たちに対し、様々な環境教育を行ってきた。

1980年代の漁業最盛期に比べ、現在の四万十川は壊滅的だと話す平岡雅規教授
1980年代の漁業最盛期に比べ、現在の四万十川は壊滅的だと話す平岡雅規教授

 例えば「海藻は1キログラムで二酸化炭素1キログラムを固定できる環境にとても良い生き物である」ことや、「高知県の沿岸は世界平均の2倍の速さで温暖化が進んでいる」こと、「海藻の一種であるホンダワラ類は20種近くが高知県近海に生息しているが、近年熱帯性のホンダワラ類が増えて温帯性のものが減っている」こと、「これらの海藻が減る代わりにサンゴ類が増えている」ことなどを伝えている。

 すると、児童・生徒たちは身近な環境がこれまでと様変わりしていることを自覚し、どうすればこの自然豊かな四万十を維持できるか、様々なアイデアを出してくる。例えば、青のりを原材料にしたハンガーを作る、青のりを使った衣類を生産するといった、思いもつかないようなアイデアをイラストにして発表する。そんな姿を見て、平岡教授は感激し、また出前授業に熱が入る。

 平岡教授は今、向き合っている若者たちについて、「10年、20年後のビジョンを思い描くのは大変。でも、温暖化が進んでいることを毎年感じている。若い人たちにも選んでもらえる仕事がなければ、人口減が止まらない。四万十市だけでなく、近くの市町村も巻き込んだプロジェクトで海藻を復活させなければならない」と呼びかけた。

 イベントは高知大学が主催し、国立研究開発法人科学技術振興機構・四万十市・高知県が共催した。今回、イベント出張にあたり、四万十川を含む高知の食材をたくさんいただくことができた。有名なカツオのみならず、強く味を感じられる野菜に、新鮮な魚介類、そして白米。どれもおいしく、農林水産業を守ることは国民の食生活を守ることなのだと痛感した。豊かな第一次産業を継承していくために、自分ができることを続けていきたい。

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富士山噴火による首都圏の降灰被害鮮明に 内閣府がCG公開し「国難級」への備え呼びかけ https://scienceportal.jst.go.jp/explore/review/20250929_e01/ Mon, 29 Sep 2025 06:03:56 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55152  大地にそびえる日本最高峰の富士山。その円錐形の美しい姿は周囲の景色とともに四季折々の表情を見せている。世界的に知られ、多くの外国人観光客も訪れる観光メッカだが、過去何度も噴火を繰り返した活火山でもある。その富士山について火山の専門家は「もう300年以上噴火しておらず、いつ噴火しても不思議ではない」と指摘する。

 東日本大震災の被害の衝撃があまりに大きく、その後も大地震が相次いだために日本が「地震大国」であるとの認識は広まったが、同じように「火山大国」でもあるとの危機感はそれほど強くない。そうした状況の中で内閣府が8月26日、富士山で大規模噴火が発生した場合の降灰などの被害イメージを伝えるCG動画を公開した。

 この動画は、東京などの首都圏が時間の経過とともに降灰被害が甚大化し、都市機能がマヒする様子を鮮明に伝えている。内閣府の担当者は「大規模噴火に備えるきっかけにしてほしい」と呼びかけている。南海トラフ地震や首都直下地震と同じように、富士山噴火も「国難級災害」であることを忘れないようにしたい。

火山噴火により火口付近からさまざまな噴出物が出る(政府広報オンラインから・内閣府提供)
火山噴火により火口付近からさまざまな噴出物が出る(政府広報オンラインから・内閣府提供)

「大きな噴石」など5種類に分類

 内閣府の動画は約10分間でナレーションが付いている。噴火の規模は1707年に起き、16日間にわたって断続的に続いた「宝永噴火」と同規模を想定。具体的な被害状況は政府の中央防災会議の「大規模噴火時の広域降灰対策検討ワーキンググループ」(主査・藤井敏嗣東京大学名誉教授)が2020年4月にまとめた報告書などを基に作成された。

 「日本は111の火山を有する火山国であり、これまで数多くの火山被害が発生してきた。近年は比較的規模が小さい噴火しか発生していないが、広範囲に影響が及ぶ大規模噴火がいつ起きても不思議ではない。富士山も例外ではない」。公開動画はこうしたナレーションで始まる。そして具体的な想定被害を、噴火によって火口から飛び出す「大きな噴石」、流れ落ちる「溶岩流」「火砕流」「融雪型火山泥流」、そして広範囲に影響を及ぼす「降灰」の5種類に分類した。

 このうち、大きな噴石は火口から最大4キロの範囲に飛散するとみられる。2014年の御嶽山(長野県・岐阜県県境)の噴火では約1キロに飛散し、63人が犠牲になっている。溶岩流はマグマが火口から噴出して山の斜面を流れ下り、農耕地や家屋などを焼失させる。想定では神奈川県内にも及ぶ。

大きな噴石のイメージ(内閣府公開の動画から・内閣府提供)
大きな噴石のイメージ(内閣府公開の動画から・内閣府提供)
溶岩流のイメージ(内閣府公開の動画から・内閣府提供)
溶岩流のイメージ(内閣府公開の動画から・内閣府提供)

 融雪型火山泥流は熱によって山の斜面の雪が溶けて大量の水となり、土砂や岩石を巻き込んで広範囲に流れ下る。1926年の十勝岳(北海道)の噴火の時は2つの村が埋没して140人以上が犠牲になったとの記録があり、富士山噴火でも大きな被害が想定されている。

 火山灰は直径2ミリ未満の細かい粒子で、鉱物結晶・ガラス粒子などから成り、場合によっては目を傷付けたり、鼻などを通じて健康被害をもたらしたりする。宝永噴火では当時の江戸市中にも大量の降灰が長期にわたり、最遠では房総半島まで降り注いだ。

木造家屋倒壊、水質悪化、物資輸送も困難に

 降灰についての動画も、宝永噴火時をモデルケースとした。降灰は時間の経過とともに影響が大きくなる。富士山の火口からの距離を、約25キロ、約60キロ、約100キロに分けて詳しくシミュレーションした。

 約25キロ地点では主に直径2ミリを超える火山礫(れき)が降り、より火口に近いところでは直径数センチの噴石が飛来する危険があるという。富士山から約60キロ離れた神奈川県相模原市付近では噴火後間もなく直径2ミリ以下の砂浜の砂のような灰が降り、2日後には約20センチ積もる。また約100キロ離れた東京都新宿区付近では直径0.5ミリ以下の微細な灰が降り、2日後には5センチ以上の厚さになるとした。

降灰による影響範囲の変化。図は噴火15日目の状況(内閣府提供)
降灰による影響範囲の変化。図は噴火15日目の状況(内閣府提供)

 降灰による被害については、木造家屋の屋根に30センチ以上積もって雨が降ると火山灰と水分の重みで倒壊する。下水管や雨水管も降灰により詰まって汚水などがあふれ、上水道は原水の水質が悪化し、施設も処理能力が落ちて断水の恐れがあるという。

 動画はさらに生活上重要なインフラへの影響も示した。3ミリ以上の降灰があり雨が降ると、碍子(がいし)の絶縁低下による停電の可能性が出る。降灰が微量でも鉄道に影響が出て、3センチ以上になった上に雨が降ると、自動車の走行にも支障をきたす。生活物資の輸送が困難になる状況も示した。

 また、降灰被害に伴う安否確認などで通信が集中して通信設備の能力を超えると通じないか通じにくくなるという。このほか、農作物にも甚大な被害が出る可能性が高いという。

降灰量に応じた影響の概念図(内閣府提供)
降灰量に応じた影響の概念図(内閣府提供)

「静かな状態は少し異常で必ず噴火する」

 富士山の噴火の歴史ははっきりしないことも多いが、「富士山火山防災対策協議会」によると、過去5600年間に約180回の噴火があったという。このうちの96%は小~中規模噴火だったとされる。この中で確かな記録が残る大噴火は864~866年ごろにかけて発生したとされる「貞観噴火」で、広大な樹海(青木ヶ原樹海)ができたとされる。その後の宝永噴火が発生。以降噴火はしていない。

 公開動画の基になる報告書をまとめた藤井氏は、富士山の噴火のリスクについて公開動画の中で次のように語っている。「富士山は元々非常に活発な火山で、平均すると30年に1回噴火してきた。それが最近300年以上非常に静かな状態が続いていて、富士山の活動としては少し異常な状態だ。(平均より)10倍以上休んでいる。次の噴火がいつ起きても不思議ではない。富士山は若い活火山なのでかならず噴火する」。日本の火山研究の第一人者の言葉は重い。

藤井敏嗣氏(内閣府提供)
藤井敏嗣氏(内閣府提供)

 富士山噴火のリスクが指摘され、国や自治体も2000年以降対策に大きく動き出していた。00年秋から01年春にかけて富士山の地下で低周波地震が頻発した。この地震はマグマに由来する流体が揺れることにより発生したと分析され、噴火を前提とした防災対策の強化が求められるようになった。

 2012年には政府と山梨、静岡、神奈川3県と関係市町村に火山の専門家らを交えた富士山火山防災対策協議会が設立され、対策の検討作業が本格化した。14年には「広域避難計画」を策定。21年には富士山火山防災マップ(ハザードマップ)を改定し、被害想定区域を拡大するなどしてきた。

 近年では、同協議会が2023年3月、最新のハザードマップを基に9年ぶりに避難計画を改定し、新たな「富士山火山避難基本計画」をまとめている。溶岩流が24時間以内に到達する地域の住民は原則徒歩避難で、遠方に身を寄せることができる住民は噴火前に自主避難することなどが柱だ。

1都10県、降灰30センチ以上で原則避難

 ただ、この避難基本計画は溶岩流や火砕流が襲う恐れがある山梨、静岡、神奈川の3県の住民らが主な対象で「逃げ遅れゼロ」を目指した。降灰による首都圏の広範な被害は想定していない。3県以外の東京都など首都圏住民はどうしたらいいのか。

 こうした指摘に応え、内閣府の有識者会議はことし3月、降灰量が「30センチ以上」の場合は「原則避難」とする首都圏の広域降灰対策指針を公表している。微量も含めて降灰する可能性がある福島、栃木両県も含む1都10県が対象だ。

 指針は、降灰量に応じて対応を4ランクに分類。降灰量3センチ未満は「ステージ1」、3センチ以上30センチ未満は「2」、「2」と同じ降灰量でも大規模な電力障害など被害が比較的大きくなれば「3」、30センチ以上は「4」とした。「1」「2」は鉄道、電気・ガスなどのライフラインに影響が出るも復旧できる状況を想定。自宅で暮らしを続け、地域内にとどまる。「3」は復旧に長時間かかる可能性がある場合、自宅がある地域外への移動も検討する。

 雨が降れば灰の重みが増し、木造家屋が倒壊する恐れなどがあり、命の危険がある降灰量「30センチ以上」の「4」は原則避難だ。車で避難できない状況が考えられるため、高齢者や重病人など歩行が難しい場合は早い段階での避難が必要になる。住民への呼びかけは自治体が行うことを想定し、地域の防災計画づくりにも生かすという。

 とはいえ、避難呼びかけのタイミングなどは自治体に委ねられていて、富士山噴火という国難級災害に地域が的確に判断できるか難しい面がある。気象庁などの観測情報を基に、何らかの形で国・政府が関与する必要がありそうだ。

ステージに応じた被害の様相と広域降灰対策の基本的な考え方(内閣府提供)
ステージに応じた被害の様相と広域降灰対策の基本的な考え方(内閣府提供)

「火山灰警報」「注意報」を導入へ

 現在、運用されている火山防災情報には噴火警戒レベルにより出される「噴火警報」や登山者、周辺住民らに警戒を呼びかける「噴火速報」、降灰に関しては「降灰予報」があり、「定時」「速報」「詳細」の3種類がある。

 もっとも、降灰予報は最も多い場合でも「1ミリ以上」を想定し、大量の降灰には対応していない。このため、富士山を含む火山で大規模噴火が発生した際の情報発信の在り方を議論する気象庁の有識者検討会は4月、「火山灰警報」導入に向けた報告書をまとめた。

 この報告書によると、降灰量の累積が3センチ以上予想される場合に「火山灰警報」(仮称)を、0.1ミリ以上で「火山灰注意報」(同)をそれぞれ市町村ごとに発表する。大規模な噴火に至らない場合でも降灰量によって発表される見通しで、例えば活動が活発な桜島(鹿児島県)の周辺では注意報が出る可能性が高いという。

 報告書は降灰量が「30センチ以上」の場合では火山灰警報よりさらに強い警告をする必要があるとし、気象庁などで検討する見込みだ。警報、注意報は市町村単位で発表される見込みで、気象庁は富士山だけでなく全国の活火山を対象に、数年以内の運用開始を目指して準備を進めている。

 気象庁の説明では、現行の降灰予報は噴煙の高さなどから火山灰の噴出量を予測し、風力や風向きなどの気象データも加味。スーパーコンピューターを駆使して降灰予想地域や降灰量を発表している。富士山噴火のような巨大、大規模噴火の場合は影響が各段に大きいだけに、噴火の兆候を捉える技術だけでなく、噴火に伴う被害予測の技術向上もより重要になってくる。そのための予算措置も必要だ。

現行の主な火山防災情報(政府広報オンラインから・内閣府提供)
現行の主な火山防災情報(政府広報オンラインから・内閣府提供)

古来の「詠嘆的な無常観」に代わる覚悟を

 政府の火山調査研究推進本部・火山調査委員会は昨年9月、日本の111火山の現状を評価した結果を公表した。この中で活動状況などに変化が見られるなどとして岩手山(岩手県)や焼岳(長野、岐阜両県)、桜島(鹿児島県)、八幡平(岩手、秋田両県)、硫黄島(東京都)、薩摩硫黄島(鹿児島県)、口永良部島(同)、諏訪之瀬島(同)の8火山を重点的に監視・評価していくことを決めている。

 富士山については「活動は平穏」としてこの中には含まれなかった。噴火が切迫した状況ではなさそうだ。だが、火山活動は火山性微動や低周波地震などから始まって急に活発になることがある。大規模噴火の影響が極端に大きいだけに油断は禁物と言うべきだろう。

日本の主な火山の地図(気象庁資料を基に政府広報室作成・政府広報室提供)
日本の主な火山の地図(気象庁資料を基に政府広報室作成・政府広報室提供)

 日本は世界の7%の火山がある世界有数の火山大国だ。マグマ学が専門で、藤井氏と並んで日本を代表する火山学者の巽好幸・神戸大学海洋底探査センター客員教授は、日本人には古来特有の災害倫理観があると言う。

 「日本人は古来自然の恩恵を受けてきた一方で大きな自然災害に見舞われる宿命にあった。そうした経験から特有の災害観ができたが、災害に対して無力さを認めてしまった」。巽氏は約6年前に科学技術振興機構(JST)が主催したシンポジウムでこう語っていた。仏教の「諸行無常」と相まって「詠嘆的な無常観」になったという。

 その上でこう強調していた言葉が忘れられない。「(火山大噴火や巨大地震には)無常観に代わる倫理観で対応しなければならない。今こそ(地震・火山大国に住む)覚悟を持つべきだ。その覚悟は諦念ではなく、自然災害に立ち向かう覚悟だ」。富士山噴火についてはプレート境界型の巨大地震のような発生予想確率はない。しかし、いずれは「必ず来る」とされる大規模噴火の被害を最大限低減するための覚悟と備えも求められている。

冬の富士山。周囲の景色と相まって四季折々の表情を見せるが、いずれは噴火するとされる(筆者撮影)
冬の富士山。周囲の景色と相まって四季折々の表情を見せるが、いずれは噴火するとされる(筆者撮影)
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あなたも私も生まれ変わろう 万博の大阪ヘルスケアパビリオンで「2050年のじぶん」に会いに行く https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20250926_e01/ Fri, 26 Sep 2025 04:43:06 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55126  「健康で長生きしたい」という希望を多くの人が抱く。大阪市の人工島・夢洲でまもなく閉幕する大阪・関西万博では、未来の医療や美容を目で見て体験できる「大阪ヘルスケアパビリオン」が盛況だ。自分の身体の状態を調べた後、様々な企業のブースを巡り、最適な医療技術や美容のパーソナルケアを体験できる。パビリオンのテーマは「REBORN(リボーン)」。「再生した」「生まれ変わった」という意味の英語で、“「人」は生まれ変われる”、“新たな一歩を踏み出す”との思いが込められている。筆者も生まれ変わるべく、パビリオンを体験してきた。

肌、髪、歯、脈拍…。「現在のじぶん」を測定

 「水都大阪」と言われるように、大阪には水路や川があちこちにある。そんな大阪の街をイメージし、膜状の屋根に水を循環させ、建物の周囲に水を配置したのが大阪ヘルスケアパビリオンだ。事前に公式アプリを入れておくよう促されていたので、スマートフォンとタブレット端末にインストールし、アプリがきちんと起動することも確認した。いざ、パビリオン内へ。

大阪ヘルスケアパビリオンの建物。外は水をたたえ、中は日光が降り注ぐ作りになっている(2025年7月、大阪・関西万博会場)
大阪ヘルスケアパビリオンの建物。外は水をたたえ、中は日光が降り注ぐ作りになっている(2025年7月、大阪・関西万博会場)

 入館してみると、屋根から太陽光が降り注ぎ、開放感がある。修学旅行生も来館し、混雑している。まず初めに、アプリに表示されたQRコードから「リボーンバンド」というリストバンドを発行する。自分のニックネームとQRコードが印刷されており、館内の体験コーナーでかざしながら進んでいく。QRコードは1人に1つずつ発行されており、再び来場したときにも同じQRコードを使うことができる。

発行した「リボーンバンド」。自分の名前の一部である「のぶ」の文字が入っている。夏のイベントを感じられて、テンションが上がった(2025年7月、大阪・関西万博会場)
発行した「リボーンバンド」。自分の名前の一部である「のぶ」の文字が入っている。夏のイベントを感じられて、テンションが上がった(2025年7月、大阪・関西万博会場)

 最初に向かったのは「カラダ測定ポッド」。ここでは試着室のようにカーテンで仕切られた部屋の中に入り、大きな画面に向かって肌や髪、歯などを撮影したり、手をかざして脈拍などを測定したりする。画面に表示された絵と同じ絵を目で追うゲーム感覚のものもあった。痛くもかゆくもないものばかりなので、「どこで測定しているのだろうか」と不思議な気分になる。測定終了とともにカーテンを開け、次のブースがある2階に進んだ。

個別化された商品 「あなただけ」に提供

 2階には協賛企業による「ミライのヘルスケア」ゾーンがある。各企業のブースでバンドをかざすと、未来のヘルスケアを感じさせる展示や体験が展開される。例えば、「あなたに必要な食品」や「あなたにおすすめのシャンプー・コンディショナー」などがもらえるといった具合だ。

 実際に「パーソナルフードスタンド」という機械の前でバンドをかざしてみると、自分に必要な栄養素とおすすめのレシピを提案され、最後に乳酸菌のサプリメントを提供された。ヘアケア製品を取り扱う企業のブースでは、番号が振られた棚からチューブに入ったヘアケアの試供品が配られた。

サンプル品が出てくる機械。隣の来場者にはゼリー飲料が提供されていた(2025年7月、大阪ヘルスケアパビリオン)
サンプル品が出てくる機械。隣の来場者にはゼリー飲料が提供されていた(2025年7月、大阪ヘルスケアパビリオン)

 こうして個別に最適な製品が提供されるにあたり、いくつかの質問に答えるだけでよい。ヘアケア製品も、先ほどの「カラダ測定ポッド」で取ったデータを基に、相性の良い製品が提供される。今後、髪質の判定などは人工知能(AI)を含めたコンピューターの仕事になっていくのだろう。人口減少社会では、美容師や理容師、医療職などの専門職の仕事内容はより「AIなどにはできない仕事」にシフトしていくのだと強く思った。

ヘアケアメーカーのブースでは、筆者の髪質にそぐう製品が出てきた。使ってみると、髪の毛がきしまず、香りも良かった(2025年7月、大阪ヘルスケアパビリオン)
ヘアケアメーカーのブースでは、筆者の髪質にそぐう製品が出てきた。使ってみると、髪の毛がきしまず、香りも良かった(2025年7月、大阪ヘルスケアパビリオン)

ありそうでなかった「未来の目薬」

 個別化された商品の他に、「MA-T(マッチング・トランスフォーメーション・システム) 亜塩素酸イオン水溶液」から生成した水性ラジカルによるウイルス不活化や殺菌、「卵の殻から作った繊維」など新しい技術が展示されていた。特に筆者が注目したのは「上を向かずにさすことができる目薬」だ。前を向いたまま目に器具を当てるとミスト状の点眼薬が噴射される仕組みで、子どもだけでなく、高齢や病気で首を動かすのが難しくなった人にももってこいだと感じた。「早く実用化されるといいな」とワクワクした。

ありそうでなかった「前を向いたままさせる目薬」の機械。高齢化社会で役立ちそうだ(2025年7月、大阪ヘルスケアパビリオン)
ありそうでなかった「前を向いたままさせる目薬」の機械。高齢化社会で役立ちそうだ(2025年7月、大阪ヘルスケアパビリオン)

 「2050年のじぶん」に会いに行く。最初に体験したカラダ測定ポッドの結果を見るために、モニターが並んだ小部屋に進む。モニターには現在の髪・肌・視覚・脳・歯・骨格筋・心血管の項目についてA~Eの5段階の評価が表示された後、2050年のアバター「ミライのじぶん」が現れた。筆者は歯科衛生士の資格を持っているので、「せめて歯だけは実年齢より若く判定されますように」と祈ったところ、結果は「32歳、B判定」。「良かった、若い」と小躍りした。

 アバターをまじまじと眺めて「これが25年後の私か」と驚くと同時に、「それまで健康に過ごさないといけないな」と改めて思った。ただし、25年前の10代の頃から現在までを振り返ると、スマートフォンをはじめとした科学技術や、社会の様々な制度が急激に変わったように思う。これからの25年のほうがもっとスピーディーなのではないかと思うと、「老いもあるのに、ついていけるのだろうか」と少々不安になった。

 「ミライのじぶん」アバターと対面したあと、順路に沿って進むと、大阪の街を映し出したアニメーションの中で25年後の私が軽やかに踊っていた。他の人のアバターも映し出され、「あっ、あれ俺だ」「私がいない」「これこれ」と歓声が上がる。見知らぬ人と一緒になって興奮するのは、袖振り合うも他生の縁だ。「いのちを響き合わせる」という万博のテーマ事業の一つに一致していると感じた。

2050年に60代になる筆者のアバター。25年後を考えると、将来の自身の健康のみならず社会保障などのあり方も不安を覚えてしまった(2025年7月、大阪ヘルスケアパビリオン)
2050年に60代になる筆者のアバター。25年後を考えると、将来の自身の健康のみならず社会保障などのあり方も不安を覚えてしまった(2025年7月、大阪ヘルスケアパビリオン)

 様々な技術を見て回ってすっかり「生まれ変わった」後、らせん状の柱が見えるアトリウムに戻ってくる。柱はDNAがモチーフで中は階段状になっているが、「安全上の理由」で上り下りすることはできない。ただの飾りになっているのは残念で、物足りない気がした。

らせん状の柱はDNAをモチーフにしている。階段を使うことはできないものの、木の曲線が美しい(2025年7月、大阪ヘルスケアパビリオン)
らせん状の柱はDNAをモチーフにしている。階段を使うことはできないものの、木の曲線が美しい(2025年7月、大阪ヘルスケアパビリオン)

並ばずにすむ「穴場スポット」も

 1階ではiPS細胞で作られた心筋シートが不思議な動きで脈打っており、京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥教授のビデオが流れていた。ミライ人間洗濯機といった前回の大阪万博で好評だった展示物もリニューアルしてお目見え。再生医療や美容の未来を眺めながら、大阪ヘルスケアパビリオンを後にした。

iPS細胞から作られた心筋シートは、脈打つように動いていた(2025年7月、大阪ヘルスケアパビリオン)
iPS細胞から作られた心筋シートは、脈打つように動いていた(2025年7月、大阪ヘルスケアパビリオン)

 カラダ測定ポッドはJR新大阪駅などにもあり、こちらはほぼ並ばずに体験できる穴場スポットになっている。今回の万博は「並ばない万博」を掲げているものの、実際の会場では並んでいる時間も短くないため、「カラダ年齢を測定してみたい」という人は会場から少し離れた穴場スポットで体験してみるのもいいだろう(大阪ヘルスケアパビリオンのものよりも簡易なものとなっている)。

 大阪ヘルスケアパビリオンは体験予約が取れない、といった口コミをネット上で見かける。大人も子どもも楽しめることや、体験型であることで人気が広がっているせいではないかと思う。他の国家パビリオンは、ほぼ「見て楽しむ」ことに重きを置いた没入体験なので、大阪ヘルスケアパビリオンのような体験できる没入感はユニークだ。25年後の自分の姿に思いをはせ、「自分がどうなりたいのか?」という根源的な問いと向き合う点において、諸外国のパビリオンとは一線を画しているといえるだろう。

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量子フェスから始まる「これからの100年」―量子が文化になる日を目指して https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20250919_e01/ Fri, 19 Sep 2025 05:04:58 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=55089  ユネスコが2025年を「国際量子科学技術年」と定めているのに合わせて日本物理学会が主催した「量子フェス」が、6月14日(土)・15日(日)の2日間にわたり日本科学未来館(東京・お台場)で開催された。研究者による講演、科学コミュニケーターによる展示解説、量子力学に基づいて作曲された交響曲の演奏会と盛りだくさんの内容を通して、参加者たちは量子の面白さや社会的重要性、そして量子技術がひらく未来に思いを馳せた。

イベントは2日間ともに同じ内容で実施され、合計で500人を超える参加者が集まった
イベントは2日間ともに同じ内容で実施され、合計で500人を超える参加者が集まった

量子技術で何をするべきか、という空気感を

 「量子」とは、肉眼では見えない原子や分子のレベル、あるいはそれよりも小さな極微の世界を形作る物質やエネルギーの基本単位のこと。量子の振る舞いや性質は「量子力学」という名の“ルールブック”にまとめられている。国際量子科学技術年は、ドイツの理論物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクが量子力学の完成に決定的な役割を果たした論文を発表した1925年から100周年を迎えるのを記念して設けられたものだ。

 “ルールブック”を手にした人類は、量子技術の開発を推し進めた。スマートフォンなどに使用されている半導体はその成果の代表格である。つまり、量子は100年のときを経て暮らしを支える存在になり、私たちも日常的に恩恵を受けているのだ。

 一方で、量子技術は原子爆弾の開発にも活用された暗い過去を持つ。量子フェス実行委員長の山本貴博さん(東京理科大学理学部物理学科教授)は「人類は量子力学という“ルールブック”をプラスの方向にもマイナスの方向にも使った。量子を使ってこれからは何をすべきか。これは科学者だけの問題ではない。その空気感をここでつくって、これからの100年に向けた新たなスタートを切りたい」とイベントの意義を語った。

オープニングで挨拶をする司会の五十嵐美樹さん(日本物理学会アンバサダー、左)と山本さん(右)
オープニングで挨拶をする司会の五十嵐美樹さん(日本物理学会アンバサダー、左)と山本さん(右)

量子コンピューターがマストな技術になる

 イベントの第1部では、4人の研究者による講演を通して、多彩な視点から量子の魅力に触れた。一人目の講演者は量子コンピューター開発の第一人者である藤井啓祐さん(大阪大学大学院基礎工学研究科教授)。

量子力学の不思議なルールを説明する藤井さん
量子力学の不思議なルールを説明する藤井さん

 量子力学の不思議さを応用した新しいコンピューターとして近年開発が盛んに進められているのが量子コンピューターだ。現在、私たちが使用しているコンピューターは、「0」と「1」からなる「ビット」を基本単位とし、その組み合わせでさまざまな情報を表現したり、処理したりしている。一方の量子コンピューターは、「0」と「1」が併存する性質(重ね合わせ)を利用した「量子ビット」を基本単位として、並列計算量(一度に計算できる量)を増やしている。また、複数の量子が互いに相関し合う性質(量子もつれ)を用いて効率的に解を導き出し、情報処理量を飛躍的に向上させる仕組みを持つ。

現在のコンピューターで用いられているビットは、0と1を1つずつ組み合わせて計算しているが、量子ビットでは複数の組み合わせを同時につくることができるため、計算量が飛躍的に向上する(藤井さん提供)
現在のコンピューターで用いられているビットは、0と1を1つずつ組み合わせて計算しているが、量子ビットでは複数の組み合わせを同時につくることができるため、計算量が飛躍的に向上する(藤井さん提供)

 藤井さんは、量子コンピューターを「これからの100年にマストな技術」であると強調した。光合成や窒素固定など、自然界ではありふれているにもかかわらず、そのメカニズムに未解明な部分がある現象も、量子コンピューターを用いれば解明できるかもしれないという。「自然界のメカニズムを量子コンピューターを使って理解することで、新しいものづくりに貢献したい」と藤井さんは展望を語った。

光の量子で見る新しい宇宙の姿

 量子技術を応用することによって、人類は宇宙の「見える」範囲を広げてきた。さまざまな天体現象にともなう宇宙線や電磁波、重力波などを観測することで宇宙の謎に迫る「マルチメッセンジャー天文学」に取り組む石原安野さん(千葉大学ハドロン宇宙国際研究センター教授)の講演は、金属などの物質に光を当てると電子が飛び出す現象「光電効果」の説明から始まった。光電効果は光が持つ量子性(光の量子は「光子」と呼ばれる)による現象で、CCDカメラなどに活用されて観測研究を支えている。石原さんは光電効果について「これがなければ現代の宇宙科学は成り立たないと言って良いくらい、本質的に研究の発展を支えてきた」とその価値を表現した。

「私にとって宇宙はとても楽しい実験場」と宇宙研究の魅力を語る石原さん
「私にとって宇宙はとても楽しい実験場」と宇宙研究の魅力を語る石原さん

 マルチメッセンジャー天文学では、可視光だけではなくガンマ線(高エネルギーの光)やニュートリノ(原子よりも小さな素粒子の一種)などの観測も欠かせない。ここでも量子技術が大きく貢献している。石原さんたちの研究で使われている南極のニュートリノ望遠鏡「アイスキューブ」にも光電効果を用いた検出器が使用されている。講演ではアイスキューブの研究成果の一つとして、宇宙から飛来する約300テラ電子ボルト(TeV、可視光の1000兆倍)という非常に高エネルギーのニュートリノ検出も紹介された。石原さんは講演の最後に「我々は新しい観測技術とともに宇宙を何度も見つめ直して、新しい発見をしている」と量子技術の発展とともに宇宙研究が進展していることを強調した。

ニュートリノ望遠鏡「アイスキューブ」の模式図。南極の氷中1.5~2.5キロの深さにある1立方キロの領域に多数の球体の検出器を設置し、宇宙から飛来するニュートリノを観測している(石原さん提供)
ニュートリノ望遠鏡「アイスキューブ」の模式図。南極の氷中1.5~2.5キロの深さにある1立方キロの領域に多数の球体の検出器を設置し、宇宙から飛来するニュートリノを観測している(石原さん提供)

サイバー攻撃の脅威に対抗する量子暗号の最前線

 サイバーセキュリティの分野で、絶対に盗み読みをされない安全な方法として注目を集める暗号化技術がある。「量子暗号」だ。書籍を通じてその存在を知り、感動したことが研究に関わるきっかけだったと話すのは鯨岡真美子さん(株式会社東芝 総合研究所)。鯨岡さんからは量子暗号研究の最前線について話があった。

量子暗号の重要性について話す鯨岡さん
量子暗号の重要性について話す鯨岡さん

 情報を安全に送受信するために使われている暗号通信では、暗号を解読(復号)するための「鍵」を送受信者間で共有する必要があり、決して第三者に盗まれてはならない。鯨岡さんは「量子コンピューターによって計算量が飛躍的に向上すれば、現在の暗号通信は簡単に解読されてしまうといわれている。サイバー攻撃の進化に対抗できるソリューションが今から必要だ」と強調する。その一つが光の量子である光子を活用する「量子暗号通信」だ。光子は、第三者が情報を盗み読むなど、手を加えようとすると性質が変化する量子的な特徴を持つ。そのため分割やコピーが絶対に不可能で、送受信者が鍵を安全に共有できるというわけだ。

量子暗号通信の中核となるのが量子鍵配送。鍵の情報を光子一つひとつに載せて送信者から受信者に送る。光子は分割やコピーができない性質のため、盗聴を判別することができる(鯨岡さん提供)
量子暗号通信の中核となるのが量子鍵配送。鍵の情報を光子一つひとつに載せて送信者から受信者に送る。光子は分割やコピーができない性質のため、盗聴を判別することができる(鯨岡さん提供)

 量子暗号通信は機密性の高い情報を扱う行政や医療、金融などの分野から活用が期待されている。講演では、東芝で開発された量子暗号通信システムの導入例についても紹介された。鯨岡さんは、量子暗号を「今すぐに使える量子」と表現した。その言葉のとおり、2030年ごろには商業化と社会実装、そして2040年ごろには量子暗号とともに「どこでも、誰でも、安心して通信できる世界」の実現を目指しているそうだ。

最先端エレクトロニクスを支える量子力学

 最後の講演者は、齊藤英治さん(東京大学大学院工学系研究科教授)。スピン(電子などの素粒子の“自転”のような量子的な性質)とエレクトロニクス(電子工学)を融合した「スピントロニクス」分野の研究に取り組んでいる。この分野の成果は、ハードディスクでデータの読み書きをする磁気ヘッドなどに広く活用され、近年は次世代メモリー「MRAM(磁気抵抗メモリー)」の開発も盛んだ。

量子の世界を研究する面白さについて語る齊藤さん
量子の世界を研究する面白さについて語る齊藤さん

 齊藤さんは自身の研究を支える磁石の不思議な性質について「量子力学なしに説明することはできない」と紹介してくれた。磁石はスマートフォンのスピーカーやバイブレーター、あるいは自動車の部品など身近なところで暮らしを支えている。冷蔵庫に貼り付けられた磁石は黒くて硬くて動かないが、実はその内部では電子が絶え間なく“自転”しているという。

電子は「スピン」と呼ばれる量子的な性質を持ち、小さな磁石のように振る舞う。たくさんの電子のスピンが同じ方向にそろうと、大きな磁石としての性質が現れる。鉄はスピンが揃いやすいため磁石として用いられている(齊藤さん提供)
電子は「スピン」と呼ばれる量子的な性質を持ち、小さな磁石のように振る舞う。たくさんの電子のスピンが同じ方向にそろうと、大きな磁石としての性質が現れる。鉄はスピンが揃いやすいため磁石として用いられている(齊藤さん提供)

 齊藤さんは、量子力学を「ミクロな世界を支配する基本法則だ」と力説する。いま進められている最先端エレクトロニクスの研究開発も、冷蔵庫に貼られた磁石が持つ性質も、背景には量子力学がある。つまり、何気ない日常の風景も量子の視点で見れば捉え方がまるで変わる。齊藤さんは「これが研究者のものの見方だ」と力強く語っていた。

 ちなみに齊藤さんはかつて、作曲家を目指していたそうだ。楽譜を読むだけで旋律が想起され感動するように、数式を見てもその美しさに感動できるという。これも研究者ならではものの見方なのかもしれない。

科学コミュニケーターによる特別解説、量子×音楽で参加者もてなす

 第2部の前半では、日本科学未来館が4月に公開した新展示「量子コンピュータ・ディスコ」(藤井さんが総合監修)と「未読の宇宙」(石原さんが監修者の1人)の特別解説があった。いずれも量子と関わりのあるもので、日本科学未来館の科学コミュニケーターが設計秘話なども交えながら参加者に展示の魅力を説明した。

「量子コンピュータ・ディスコ」(左)と「未読の宇宙」(右)の特別解説
「量子コンピュータ・ディスコ」(左)と「未読の宇宙」(右)の特別解説

 後半では、量子と芸術を融合させる試みが紹介された。作曲家のヤニック・パジェさんと物理学者の橋本幸士さん(京都大学大学院理学研究科教授)は、創作活動と物理研究の間に共通性を見出し、量子力学の考え方を反映させた交響曲を作曲するという、耳を疑うような共同研究をしている。

共同研究の経緯を語る橋本さん
共同研究の経緯を語る橋本さん

 その成果である「演奏会弦理論交響曲『Consciousness』基本相互作用」が、7時間を超えるイベントの結びに披露された。プロのオーケストラによる演奏はもちろん、映像や音響効果も融合させた新しい世界観とパフォーマンスは観るものを圧倒し、終演後は拍手が鳴り止まなかった。

ヤニック・パジェさん(作曲・指揮・パーカッション・電子楽器)と演奏家グループ「N’SO KYOTO(エンソーキョウト)」の演奏
ヤニック・パジェさん(作曲・指揮・パーカッション・電子楽器)と演奏家グループ「N’SO KYOTO(エンソーキョウト)」の演奏

量子力学のエンタメ化で広がる社会の理解

 難解な量子力学をテーマとした量子フェスであったが、2日間にわたり全国各地から多くの参加者が集まった。量子フェスの意義や今後の展望について、実行委員長の山本貴博さんに聞いた。

インタビューに答える山本さん(量子フェス実行委員長/東京理科大学)
インタビューに答える山本さん(量子フェス実行委員長/東京理科大学)

―たくさんの参加者が集まりました。

 開催に必要な資金を得るためにクラウドファンディングをして、300人以上から応援していただきました。こういった科学のイベントが一般の方からも支援されたことで、1つの「文化」になる瞬間だと感じました。

 原子爆弾をはじめ、20世紀の人類には反省すべき量子技術の使い方もありました。この先、技術がさらに進んだときに、再び使い道を誤るわけにはいきません。一般の方も含め、みんなでどんな使い方をすべきかを話し合う必要があると思っています。難しいからと量子力学にそっぽを向く人が多いと、間違った使い方を止められる人の数が減ってしまいます。

―今回のような機運が続くためには何が必要ですか。

 例えばヒーローのような存在ですね。子どもたちに「科学ってかっこいい」と思わせるような科学界のヒーローが必要だと私は思います。それと、科学をうまくエンタメ化できていないという点も課題です。今日は、みんなが難しいと思っている量子力学をエンタメ化することで専門家と非専門家の間に一体感が生まれました。素晴らしい瞬間だったと思っています。

 山本さんは量子フェスについて、「100年後の人たちが『ここから始まったんだな』と思ってもらえるような日にしたい」とも語っていた。今回は多くの人が量子の魅力に熱狂した。量子と芸術という新しい世界観も提示された。山本さんが目指す、量子力学が文化になり得る可能性を示した一日と言って良いだろう。そして、これからの100年で私たちと量子の関係性はどのように変遷していくだろうか。いずれにせよ、これからの100年を創るのは科学者だけではない。量子フェスは、人々の量子や量子技術に対する関心を高める好機となった。

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プラごみ防止条約、生産規制で対立解けず合意先送り 各国は早期に交渉再開し成立を https://scienceportal.jst.go.jp/explore/review/20250827_e01/ Wed, 27 Aug 2025 06:13:01 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=54905  プラスチックごみによる世界的な環境汚染を防ぐ国際条約制定を目指す第6回政府間交渉会合(INC6)が、8月5日から15日まで180カ国以上の政府代表らが参加してスイス・ジュネーブで開かれた。しかし、プラスチックの生産規制などを巡り最後まで賛成・反対両派の対立は解けず、合意に至ることなく今後に先送りされた。

 身近で便利なだけに世界的に生産と消費が増える一方のプラチック。だが、環境中に放出すると分解されにくいことから、使い捨て容器などがごみとなって一部が海洋に流出する。このため、問題は国境を超え、気候変動や生物多様性の損失と並んで「3大地球環境問題」とも言われる。

 プラごみ問題は気候変動枠組条約の下の「パリ協定」のような国際枠組みによる解決が必要とされていた。それだけに韓国での会合に続く今回の合意先送りは極めて残念だ。だが、国際社会が一つになって強力な対策を進める必要がある。各国は早期に交渉を再開して実効性あるプラごみ防止条約内容の合意、条約成立に向けた努力が求められる。

スイス・ジュネーブで開かれたINC6の一幕(UNEP提供)
スイス・ジュネーブで開かれたINC6の一幕(UNEP提供)

欧州+島嶼国VS産油国+米中

 防止条約は、深刻化する一途のプラごみ問題を食い止めるために2022年3月に開かれた国連環境総会で策定が決まった。同年11~12月にウルグアイで開かれたINC1以降、廃棄物管理の在り方や生産量の規制など広範な項目で議論を重ねてきた。国連環境総会では24年末までの条約合意を目指していたが、期限となる韓国でのINC5でも生産規制などを巡って意見の隔たりは大きく、会合は合意を断念。先送りされた今回のINC6での条約成立が期待されていた。

 条約策定の事務局的役割を担う国連環境計画(UNEP)によると、INC6には183カ国から1400人を超える政府代表のほか、400以上の環境保護関連団体など1000人以上のオブザーバーが参加した。開幕日の5日にINC6のルイス・バジャス議長(エクアドル)は「(プラごみ汚染は)人類が起こした危機であり、人類の努力と協力で取り組まなければならない」と述べ、会期内での合意に期待を寄せた。

 しかし、UNEPや会合に参加した関係者によると、今回会合の最大の焦点だった生産段階からの規制の在り方を巡っては、早い段階からINC5を引きずった形で折り合わない議論が続いたという。プラごみ規制に積極的な欧州連合(EU)や海洋に流れ出たごみが標着する島嶼(とうしょ)国は、INC5から一致して生産量と消費量の国際的な削減目標を条文に盛り込むことを要求した。一方、プラスチックの原料となる石油を産出するサウジアラビアやロシアなどの産油国は、「廃棄物管理を優先すべき」との立場を今回の会合でも崩さなかった。そして米国や中国も生産規制には反対の意向を示したという。

 バジャス議長は会合終盤になって生産規制に直接言及する条項を削った条文案を提示した。しかし、規制賛成派の反発は激しく、会期を1日延長した15日になっても合意点は見いだせなかった。結局再び合意はまたも先送りされた。会合参加者は今回の結末について「中国のほか、トランプ政権になった米国が規制反対派に回ったことが大きかった」と述べている。

プラスチックの生産規制を巡って激しい議論が続いたINC6の議長席周辺(UNEP提供)
プラスチックの生産規制を巡って激しい議論が続いたINC6の議長席周辺(UNEP提供)

生産規制以外はかなり固まっていた条文

 このように条文案は生産規制を巡る対立から合意に失敗した。このため、会場ではバジャス議長の議事運営に厳しい声も聞かれたという。だが、条文案はプラスチックの不適切な管理による廃棄物(ごみ)を削減するための条項など、生産規制に関する部分以外はかなり固まっていたことが議長案からも分る。成果は一定程度あったのだ。

 議長が15日に提示した条文案は31条から成る。まず第1条で条約の目的を「海洋環境を含む環境と人間の健康をプラスチック汚染から保護する」と明記。第2条の「原則」では「(条約参加の)国家が自国の管轄権または管理下にある活動が他国の環境または管轄権の限界を超える地域に損害を与えない責任」にも言及している。

 また、第4条「プラスチック製品」では条件付きながら、製品の製造や消費を削減する方向を示している。さらに有害化学物質を含むプラスチックの生産削減の必要性にも触れていることも注目される。このほか、プラごみの原因とされる不適切な管理についても細かく規定している。

会合最終場面で提示されたバジャス議長による条約案の前文(UNEP提供)
会合最終場面で提示されたバジャス議長による条約案の前文(UNEP提供)

 UNEPのインガー・アンダーセン事務局長は会合を終えた後「プラスチック汚染は私たちの地下水、土壌、川、海洋、そして私たちの体の中にも存在している」と述べ、UNEPとして引き続きプラごみという人類共通の危機と闘うことを宣言している。

INC6で演説するアンダーセンUNEP事務局長(UNEP提供)
INC6で演説するアンダーセンUNEP事務局長(UNEP提供)

年間610万トンが海などに流出

 プラスチックは安価で軽く丈夫で加工しやすい。1970年代から生産量は先進国を中心に急拡大した。経済協力開発機構(OECD)の報告書などによると、世界の生産量は1950年から2019年の約70年間で年間200万トンから4億6000万トンへと約230倍にも増えた。今後約30年間に世界中で260億トン以上が生産されるとの推計もある。

 問題は生産、消費された製品の多くが不適切な形で環境中に放出されることで、再利用される割合は世界平均で1割未満とされる。2019年の廃棄量(ごみ)は3億5300万トンで20年間に倍増したという。川や海に流れ込むプラごみ量は年間約800万トンとされてきたが、OECDの最新の推計では19年時点で年間610万トン。推計数字は減ったが、いずれにせよたいへんな量だ。50年までにその量は魚の総重量を超えるとの試算もある。

増加傾向が続く世界のプラスチック消費量を示すグラフ(OECD提供)
増加傾向が続く世界のプラスチック消費量を示すグラフ(OECD提供)

健康リスクを示す研究が相次ぐ

 プラごみは漂流中に砕けて微小になる。直径5ミリ以下は「マイクロプラスチック」(MP)と呼ばれる。これを魚やウミガメ、海鳥などの海洋生物がえさと間違って食べると、こうした生物が死んでしまうだけでなく、食物連鎖を通じて人間の健康に悪影響を与える。このようなリスクを示す研究が相次いでいる。

 例えば、イタリアの研究グループが頸(けい)動脈疾患の患者257人の血管にできたプラーク(塊)を切って分析したところ、患者の6割からMPなどの微小なプラスチックが検出されたという。微小プラと疾患との関係ははっきりしないものの、研究論文は2024年3月の米医学誌に掲載され、世界的に反響を呼んだ。

 日本では東京農工大学の高田秀重名誉教授(環境汚染化学)らのグループが長くプラごみが海洋生態系に与える影響調査を続けている。この中で特に製品に含まれる難燃剤や紫外線吸収剤などに添加される化学物質の有害性について再三警鐘を鳴らしている。

海を汚染するプラごみのイメージ画像(UNEP提供)
海を汚染するプラごみのイメージ画像(UNEP提供)

実効性ある国際条約策定は急務

 INC6にオブザーバー参加した環境シンクタンク関係者によると、トランプ米大統領の地球環境問題での国際協調に後ろ向きの姿勢がそのまま米政府の対応に反映し、会合に影を落としていたという。同大統領はバイデン前政権が進めた紙製ストローへの転換を中止する大統領令を出すなど、「プラスチック回帰」を鮮明にしている。

 米国は1人当たりのプラ容器廃棄量が世界で一番多い。米政府の現在の「自国第1主義」は地球環境問題に不可欠の多国間協調体制と相容れない場面が多い。憂慮される事態だ。この廃棄量が2番目に多いのは日本だ。日本は2019年に大阪で開かれた20カ国・地域(G20)首脳会議で議長国として「50年までの海洋プラごみの新たな汚染をゼロにする」との目標策定を先導した経緯がある。

 現地からの報道は、「日本政府は今回、多くの国が参加できる条約にすべきだと訴え、中立的な立場を取りながら調整役としても奔走した」と伝えた。だが、時間的な制約もあり、残念ながら合意に向けて存在感は十分に示せなかったようだ。

 次回のINCの時期や場所は未定だが、実効性ある国際条約策定は急務だ。交渉が再開されても生産規制を巡る対立解消は容易ではないだろう。具体的な規制策は、気候変動枠組条約の下のパリ協定のような形で条約成立後でも盛り込める。

 各国はまず条約をまとめることに努力すべきだろう。同時に各国内でプラごみの海洋流出防止策や代替品の開発、リサイクル率の向上などできる対策は多いはずだ。

使い捨てにされ、環境中に放置されたプラスチック容器類のイメージ画像(UNEP提供)
使い捨てにされ、環境中に放置されたプラスチック容器類のイメージ画像(UNEP提供)
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日本の小麦をもとにスーダンで品種改良―内戦・コロナ禍を乗り越えて、辻本壽さん https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20250825_e01/ Sun, 24 Aug 2025 23:59:48 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=54877  横浜市で開催されていた第9回アフリカ開発会議(TICAD9)が22日閉幕した。近年のアフリカでは中国など諸外国からの投資が盛んな一方で、日本は相対的な存在感低下が指摘される。政府開発援助(ODA)の全体予算もピーク時の半分まで落ち込んでいるが、TICADの成果文書「横浜宣言」ではAIや医薬品分野などで日本がアフリカの発展へ貢献する意欲が示された。

 そこで今回、これまでにアフリカで大きな貢献を果たしてきた研究事例を取材した。気候変動や紛争などにより世界中で小麦生産が大きな危機に直面する中、スーダンで日本の小麦をもとにした品種改良が進んでいる。食糧危機は政情不安へとつながる恐れもあり、この研究は平和にも貢献するものだ。これまでの歩みを伺うため、プロジェクトを率いた辻本壽さん(鳥取大学乾燥地研究センター特任教授)のもとを訪ねた。

乾燥や暑さに強い小麦の品種改良に向けた実証実験をスーダンで進める辻本さん(中央、ご本人提供)

世界的な功績を学び、45年にわたり研究

 鳥取大学にある乾燥地研究センターは、日本で唯一の乾燥地研究の拠点だ。乾燥地とは、降雨量より蒸発する水の量が多い乾燥した土地のことで、世界の陸地面積の4割を占め、世界人口の35%が暮らす。日本はアフリカを含む世界中の乾燥地から多くの食糧やエネルギーを輸入する。つまり気候変動に伴う乾燥地の砂漠化や干ばつは、日本にも影響が及びかねない。そこで乾燥地研究センターでは、乾燥地の持続可能な開発に向けた研究を行っている。

鳥取大学乾燥地研究センターにあるドーム状のガラス温室「アリドドーム」は、乾燥地の条件を再現したシミュレーション実験の舞台になっている

 ここで小麦の品種改良に取り組むのが辻本さんだ。約45年にわたり小麦の研究に携わっている。小麦は世界の主要穀物の一つであり、乾燥地で栽培される代表的な作物だ。小麦の研究において日本は、著名な遺伝学者だった故木原均博士が祖先種を発見するなど、実は世界的な功績を残してきた。大学で育種学を学んでいた辻本さんは、指導教官から木原博士の教えを学んだことがきっかけで小麦研究の道を選んだ。

2015年に現地で実証実験を開始

 卒業後は横浜市立大学木原生物学研究所で小麦のDNA解析などの研究を進めていたが、2002年に鳥取大学農学部の教授に就任したことがターニングポイントとなった。100年の歴史を持つ同大農学部は、伝統的に麦類の研究が盛んなことで知られている。2011年からは、長年海外の研究施設と連携する乾燥地研究センターへと移り「国際的な観点から小麦研究の重要さを肌で感じた」という。

 ちょうどその頃、米国などの干ばつの影響で小麦価格が高騰し、パンを主食とする北アフリカや中近東の国々では価格の高騰で暴動が起こり、特にチュニジアでは大規模な反政府デモ「アラブの春」にも至った。「自分の研究をもっと役立てたい。もっと行動を起こさなくてはいけない。そう駆り立てられました」と振り返る。

研究センターには、辻本さんが生み出してきた数万にも上る小麦の種が保管されている

 乾燥地研究センターでは、1990年代からスーダン共和国農業研究機構と小麦の品種改良について共同で研究を続けていた。スーダンでは気候変動が進むと同時に、人口増加や都市化の影響で小麦の需要が拡大。より乾燥や暑さに強い小麦の品種改良が喫緊の課題だった。辻本さんらは2015年にスーダンでの実証実験を開始した。

 2019年には国際協力機構(JICA)と科学技術振興機構(JST)が連携し、ODAの一環として実施されている国際共同研究プログラム「地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)」に採択され、研究を加速することができた。

村に出向いて丁寧に説明、収量は3割増加

 辻本さんが交配を重ねて作り出した約1万種類の小麦の種の中から暑さと乾燥に強い性質を持つ1000種類を選び、スーダンで試験栽培すると、6種類がスーダンの環境に適しているとわかった。その種を用い、乾燥地研究センター内の農地やスーダンの気候を再現したアリドドームなどで交配や分析を繰り返し、暑さや乾燥への耐性などに関する実験を重ねた。

スーダンで行った高温耐性小麦を選抜するための実験(辻本さん提供)

 一方で新しい品種の開発には長い年月がかかるため、並行してスーダンの実用品種の改良や種子の増産にも取り組んだ。内戦の勃発やコロナ禍など困難な状況に直面しながらも、「目に見えて収量が低下する切実な状況をなんとかしなければ」と、村々へ直接出向き、新しい技術を押し売りするのではなく丁寧な説明を重ねた辻本さん。改良した種を用いることで収量は約3割増加した。

収量が増えたことへの謝意としてスーダンの農家から贈られた盾

ゲリラが施設を破壊するも共同研究は続く

 新しい品種を生み出すための材料となる遺伝資源の開発にも成功し、スーダンの実用品種と交配を重ね、次の一歩を踏み出そうとした矢先、スーダンで再び内戦が勃発した。

 「スーダンで新たに小麦の研究施設を設置し、サブ・サハラ地域全体で研究成果を共有できるようにしていきたいと考えていましたが、建設途中の建物や既存の研究所がゲリラによって破壊され、私が長年交配してきたスーダンの小麦の種も失ってしまったのです」

 そう語るのは、SATREPSのプロジェクトでスーダン側の研究代表者を務めた、スーダン共和国農業研究機構教授のイザット・タヘルさんだ。内戦で母国に戻ることができず、現在は鳥取大学で研究を続けている。

ゲリラの襲撃によって破壊されたイザットさんの研究室。保管していた種もばらまかれた(辻本さん提供)

 「もともと私は、パンを求めて長蛇の列に並ぶスーダンの人々の苦しみを目の当たりにし、小麦の研究を始めました。これまでも多くの困難を乗り越えてきました。だから内戦が勃発しても希望を失うことはありません」というイザットさん。幸いにも自ら交配して作り出した種は、鳥取大学で保管されていた。その種を再びスーダンに送り返そうと、現在クラウドファンディングでの協力を呼び掛けている。

 「国際共同研究で最も重要なのは人間関係です。スーダンの小麦をどうにかしたいという情熱を持つイザットさんをはじめ、スーダン側の研究者とは毎週オンラインで協議するなど綿密なコミュニケーションがあったからこそ、成果を上げることができました」と辻本さんは述べる。SATREPSのプロジェクトは今年3月に終了したが、この先も新しい品種の開発に向けた共同研究は続いていく。

鳥取大学の研究施設では、スーダンの気候に適した新品種の開発に向けて交配を重ねている

日本は創意工夫と自立的維持・発展の支援を

 今回の成果は、日本が積み重ねてきた農業技術が基盤にあったからこそ得られたものだ。一方で辻本さんは「世界に誇る技術を海外で生かそうとする動きがあまりなく、もったいない」と指摘する。山積する農業課題の解決に貢献することは、日本の国際的なプレゼンス向上にも役立つ。グローバル化が進んだ今、研究も近視眼的な考えに陥るのではなく「世界とのつながりを意識することが必要だ」と辻本さんは強調する。

スーダンの農家との対話を大切しながら、実証実験を進める辻本さん(右、ご本人提供)

 最後に日本の技術を世界、とりわけアフリカで生かすために必要な考え方を尋ねてみた。

 「日本人の哲学には、『自然を征服する』のではなく『自然の中で生かされている』という謙虚さがあります。自然の恵みに感謝し、自然と競合しないよう創意工夫する精神です。ところが技術を押し売りのような形でアフリカへ持ち込むと、生活の礎である自然に負の影響をもたらしかねません。日本人の哲学に立ち返り、長期目線での継続性と現地の事情にも配慮すべきでしょう。そのためにはニーズをよく聞きながら信頼関係を築き、人材育成や施設整備などを通じて自立的な維持・発展までを支援していくことが重要だと考えます」(辻本さん)

 辻本さんも気候変動に対応した小麦品種の開発に取り組む中で、イザットさんらとともに育種から普及、生産、加工、消費までバリューチェーンをつなぎ、現地の人々が自ら手掛けることのできる仕組みを模索してきた。自然への感謝、相手国の長期的な発展を念頭に置いた支援―日本ならではの哲学を背景にした辻本さんの挑戦には、日本の技術を世界でより輝かせるためのヒントがたくさん詰まっていた。

イザットさん(左)と辻本さん
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蚊の吸血「腹八分目」を発見、生態解明から感染症対策に貢献へ、佐久間知佐子さん https://scienceportal.jst.go.jp/explore/interview/20250820_e01/ Wed, 20 Aug 2025 06:46:28 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=54848  断りもなく血を吸い、かゆみだけを残して去っていく蚊。迷惑千万な存在である彼女ら(吸血するのはメスのみだ)を愛せる人は、おそらく皆無に近いだろう。かゆみだけでも許しがたいのに、実は最も人類をあやめている生物でもある。世界保健機関(WHO)などが2014年に出した推計によると、マラリアをはじめとする感染症の媒介者として実に年間72万人を死に至らしめている。

 そんな恨めしい蚊の吸血行動について、昨年ユニークな研究成果が出た。「腹八分目」で吸血をやめるというのだ。今日8月20日は、イギリスの細菌学者ロナルド・ロスが蚊の体内からマラリア原虫を発見した日にちなんで制定された「世界蚊の日」。朗らかにインタビューに応えてくれた佐久間知佐子さん(理化学研究所生命機能科学研究センター上級研究員)に免じて、少しだけ広い心で蚊の生態に目を向けてもらいたい。

佐久間知佐子さん
佐久間知佐子さん

リスクある吸血行動に疑問と関心

―はじめにどうしても確認したいのですが…佐久間さんは蚊がお好きなんですか。

 いやいや、皆さんと何も変わりませんよ。見つけたら追い払いますし、寝ているときに耳元で飛ばれるのも許せません。血を吸われるのも、もちろん嫌です。

―安心しました。では、そんな憎き蚊の研究をなぜ始めたのですか。

 もともとはショウジョウバエを対象に、どのように神経が形づくられるかを研究していました。複雑な遺伝学を駆使して脳内の神経細胞を1つだけ変異細胞に変え、形状に異常が起きるメカニズムを解明する研究です。細胞の形が目に見えて変わるので面白い研究ではあったのですが、多くの人が行動研究を始める時期でもありました。

 そんなとき、当時のボスから「吸血生物は面白いよ」と誘いを受けたんです。ちょうど蚊の遺伝子配列が明らかになったばかりで、研究している人も少なかったので興味を持ちました。調べてみると、ますます面白い。「宿主に襲われるリスクがあるのに、なぜわざわざ危険を犯すのだろう」と。そんな疑問と関心から、蚊の研究へと舵を切りました。

研究対象のネッタイシマカ。デング熱などを媒介することで知られ、アフリカを中心に熱帯・亜熱帯に分布している。ヤブカの一種だが日本にはいないとされている
研究対象のネッタイシマカ。デング熱などを媒介することで知られ、アフリカを中心に熱帯・亜熱帯に分布している。ヤブカの一種だが日本にはいないとされている

手当たり次第の実験で突き止めた血液凝固成分

―人間でも難しい「腹八分目」で、なぜ蚊は吸血をやめるのですか。

 おそらく先程触れたリスクへの対応ではないかと。宿主の忌避行動(追い払う、叩くなど)に遭うのを避けるため、満腹(膨満)状態になる前に吸血をやめるというのが私の仮説です。

人工吸血法で色の付いた溶液を吸う蚊。吸血後は約2.5倍もの重さになり、飛ぶためのエネルギーが増えるのでしばらくは必要以上に動かない。元の重さに戻るのは約1日後(サイエンスポータル編集部・腰高直樹撮影)
人工吸血法で色の付いた溶液を吸う蚊。吸血後は約2.5倍もの重さになり、飛ぶためのエネルギーが増えるのでしばらくは必要以上に動かない。元の重さに戻るのは約1日後(サイエンスポータル編集部・腰高直樹撮影)

―今回明らかにした「腹八分目を知る」メカニズムはどのようなものですか。

 宿主の血液に含まれるフィブリノペプチドA(FPA)という成分が関係していることがわかりました。ケガをすると、傷口の血液が固まって出血が止まりますよね。これを血液凝固というのですが、FPAはその初期段階で作られる物質です。血液凝固が進む中でFPAは血液から切り出され、宿主にとっては不要になりますが、蚊は切り出されたFPAに反応して吸血をやめることを突き止めました。

―どのような実験で突き止めたのですか。

 吸血を促進する物質として、やはり血液に含まれるアデノシン三リン酸(ATP)の存在が以前から明らかになっていました。これを溶かしたATP溶液を蚊に吸わせたところ、膨満状態になるまで吸い続けたんです。つまり血液とは違い、腹八分目でやめることをしなかった。

FPAは吸血開始からある程度の時間が経過し血液凝固が始まったタイミングで作られる。それをシグナルに蚊は膨満に至る前の「腹八分目」で吸血をやめる(理化学研究所提供)
FPAは吸血開始からある程度の時間が経過し血液凝固が始まったタイミングで作られる。それをシグナルに蚊は膨満に至る前の「腹八分目」で吸血をやめる(理化学研究所提供)

 そこで今度は、ATP溶液に血清(血液が固まるときに残る上澄み部分の液体)を加えてみました。蚊は血清単独だと吸わないことが以前から知られていましたが、ATP溶液との混合の場合、膨満になるまで吸い続ける蚊が大きく減ったのです。

 つまり血清に含まれる何らかの成分が、吸血を止める効果を持っているのだろう、と。そうは言っても、血清には膨大な成分が含まれていますからね。小学生の科学実験のごとく、手当たり次第に可能性を試しました。血清に熱を加えてみたり、血そのものをカエルやポリプテルス(ハイギョ)のものに変えてみたり。

佐久間さんらの実験プロセス
佐久間さんらの実験プロセス

新しい情報や技術で裏付けに成功も研究は道半ば

―なぜ宿主の血液に秘密があると見込んだのですか。人間でいうところの満腹感のように、蚊の身体に理由があると考えるのが自然のように思います。

 先ほど言った「手当たり次第」の結果論でもあるのですが…。そもそも1960年代の研究で、蚊が物理的に膨満を感知し、吸血を制御する機構の存在が示唆されていました。満腹感を脳に伝達するための神経が腹部にあるようなのです。

 ただ、例えば犬の毛深い部分に上手く針が刺さらず、吸血が順調に進まないときなどは、腹八分目にならなくても途中でやめるんですよ。つまり吸った「量」だけではなく、血液が固まり出す「タイミング」でも制御する仕組みが別にあると考えたのです。忌避行動に遭うリスクを避ける上でも、一定のタイミングで吸血をやめるのは理にかなっていますよね。

時折満面の笑みを浮かべながらインタビューに応じてくれた佐久間さん
時折満面の笑みを浮かべながらインタビューに応じてくれた佐久間さん

―満腹感を感知する神経の存在が示唆されてから50年以上経った今、なぜ新たな発見に至ったのでしょうか。

 「針を何分で抜いたか」といった、吸血行動を現象論として扱った研究は、これまでにも多くありました。しかし、ここ10年ほどで蚊の遺伝子情報の精度が上がり、クリスパー・キャス9(注:現在主流のゲノム編集ツール)などの技術も登場したことで、メカニズムを裏付けることに成功したわけです。

 ただし、宿主のFPAに吸血抑止効果があると今回わかった一方で、やはり蚊の身体側にもセンサー(受容機構)が備わっているはずなんです。その存在はまだ明らかにできていないので、研究はまだまだ道半ばですね。

1匹で感染症を大きく広げる恐ろしさ

―蚊は人間以外の血も吸いますよね。FPAはどんな生き物にも含まれているのですか。

 はい、哺乳類の血液には必ず。「高度な保存」と言って、FPAは種を超えて遺伝子配列に組み込まれていて、血液中に存在します。蚊が吸った血液を調べてみると、吸血を途中でやめるのを繰り返したこともわかりますよ。複数の人の血が含まれていることはもちろん、人・馬・犬といった組み合わせになっていることも。腹八分目になるまでは、基本的に何度も吸血を試みますからね。

―人から人、動物から人、さまざまな形で蚊が感染症を媒介するのも納得です。

 蚊が恐ろしいのは、感染症を大きく広げてしまうところにあります。今触れたように1匹の蚊が複数の人から短時間で血を吸うことも珍しくありませんし、逆に1人が複数の蚊に吸われることもありますよね。日本では2014年に、東京の代々木公園を訪れた人を中心に160人がデング熱に罹患しました。患者の血液を調べると、ほぼ全ての感染者が同じウイルス株だったのです。つまり感染源はたった1人で、蚊の吸血の連鎖によって広がったというわけです。

―普段から知らない間に血を吸われていることを考えると、どう防げば良いのか…。

 代々木公園の一件で見事だったのは、医者がデング熱を疑ったことだと思うんです。デング熱の初期症状は普通の風邪と共通する部分も多いので、診断が難しい。早期にデング熱だと特定できたことで、速やかに公園を封鎖するなどして感染拡大を防ぐことができました。

2014年に代々木公園周辺で罹患した都内のデング熱患者の推移(発症日不明者除く)。速やかな対応が感染拡大を防いだことがわかる(東京都感染症情報センター資料をもとに編集部作成)
2014年に代々木公園周辺で罹患した都内のデング熱患者の推移(発症日不明者除く)。速やかな対応が感染拡大を防いだことがわかる(東京都感染症情報センター資料をもとに編集部作成)

 この事例からもわかるように、蚊が媒介する感染症を防ぐのは容易でなく、さまざまな立場の人による統合的な対応が必要なのです。私が所属する動物衛生学会にも、公衆衛生の専門家、医者、自治体・行政関係者などが参加しています。

代謝阻害や産卵モード誘導…吸血減らしにさまざまな努力

―佐久間さんをはじめとする研究者にできることは。

 これも単一的な手段で対応できるものではありません。私は蚊を殺さずに、人に対する興味を失わせることができないかと考えていて、最近は「代謝」に注目しています。蚊の代謝メカニズムって、実は人とほぼ同じなんですよ。例えば抗がん剤などの代謝阻害薬を飲んでいる人の血を飲んだ蚊は、同じように代謝が阻害されます。

 そこで蚊の代謝を人為的に促進することで、腹八分目に近い状態に誘導できないかと考えているところです。それができれば、人の健康のためにも技術を生かせると思っています。

幼虫(ボウフラ)時は水中で生活し、成虫になってからは飛び回るため、蚊の飼育はなかなか大変だという
幼虫(ボウフラ)時は水中で生活し、成虫になってからは飛び回るため、蚊の飼育はなかなか大変だという

 また、吸血後3日間、蚊は宿主に近寄りません。栄養を卵へ集中的に送り込むためです。そうした産卵モードへ人為的に誘導できれば、吸血を減らせるかもしれません。

 ほかにも、蚊は花蜜も吸うのでベイト(エサ)に毒を混ぜる研究をしている人や、飛ぶための筋力を弱める研究をしている人など、さまざまな努力が重ねられています。ただ、遺伝子改変した蚊を自然界に放つことの是非や、生態系への影響など、クリアすべき課題も多いのが実情ですね。

温暖化で高まるリスク、研究者の輪を広げたい

―今すぐに蚊から逃れることは難しそうですね。

 残念ながら、しばらくは今までと同じような対策が必要ですね。ボウフラが好む水場を作らない、茂みに入るときは長袖を着る、虫除けを適切に使う―これらを怠らないことが、不快な生活だけでなく感染症を防ぐ第一歩でもあります。

 ただし、地球温暖化に伴って憂慮すべき変化も起きています。昨年話題にもなりましたが、猛暑によって真夏の時期には蚊が活動せず、かわりに年末頃まで蚊が当たり前のように活動するような事態も起きました。また、関東が北限と言われていたヒトスジシマカの生息域は徐々に北へと広がり、数年前には青森県で越冬した事例も確認されています。

「ヤブカ」と呼ばれ東北以南でよく目にするヒトスジシマカ(腰高直樹撮影)
「ヤブカ」と呼ばれ東北以南でよく目にするヒトスジシマカ(腰高直樹撮影)

 私の研究対象であるネッタイシマカも、今は日本に定着していませんが、再び必ず入ってくると予測する研究者もいます。媒介者としての能力が非常に高いため、感染症のリスクが高まることにもなりますよね。ちなみに、蚊媒介感染症による死者の半数以上を占めるマラリアを媒介するハマダラカは日本国内にも生息していますが、今のところ温暖化によるリスク増加は指摘されていません。

―今後の意欲をお聞かせください。

 蚊は私たちが日常的に出会う生物なので、簡単にできる対策が求められます。そのために、同じ方向を向いて一緒に取り組める研究者の輪を広げたいですね。

 また、日本の蚊は系統分類学的にユニークだと言われています。日本だからこそできることがあるはず。いつ何時、何が起きても良いように、研究者として貢献したいと思っています。

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