深く掘り下げたい - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」 https://scienceportal.jst.go.jp Wed, 02 Jul 2025 07:25:34 +0000 ja hourly 1 万博で交わったキュリー夫人の足跡と日本の女性研究者~ポーランド館のイベントより https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20250702_e01/ Wed, 02 Jul 2025 07:23:54 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=54449  開幕間もない大阪・関西万博のポーランド館で「Women in Science : In the footsteps of Marie Sklodowska Curie(科学の世界の女性たち:マリア・スクウォドフスカ=キュリーの足跡をたどって)」と題したパネルディスカッションが開催された。科学の世界でジェンダーの壁を乗り越え、女性が輝くためのヒントは何か。目覚ましい活躍を見せる日本の若手女性研究者たちが、「キュリー夫人」を生み出したポーランドの女性研究者らと熱く語り合った。

第1部のパネルディスカッション参加者。左から、オディル・アインシュタインさん、木邑真理子さん、森脇可奈さん、太田圭さん、マルタ・ミャチンスカさん(ポーランド大使館提供)
第1部のパネルディスカッション参加者。左から、オディル・アインシュタインさん、木邑真理子さん、森脇可奈さん、太田圭さん、マルタ・ミャチンスカさん(ポーランド大使館提供)

女性初のノーベル賞、名を冠した賞が日本の若手に

 キュリー博士は31歳でポロニウムを、32歳でラジウムをそれぞれ発見し、その功績が認められ女性初のノーベル賞受賞者となった。さらに男女を通じてただ一人、物理学賞(夫のピエール・キュリー氏らと1903年)と化学賞(1911年)の2分野でノーベル賞を受賞している。

 偉大な女性研究者であるキュリー博士の名を冠した「羽ばたく女性研究者賞(マリア・スクウォドフスカ=キュリー賞)」は、日本の若手女性研究者の活躍を推進するため、科学技術振興機構(JST)と駐日ポーランド共和国大使館が創設したもの。4月26日に行われたパネルディスカッションの第1部「科学におけるジェンダーの壁をどう乗り越えるか」に登壇した日本人女性3人は、いずれも同賞の受賞者だ。

 第1回奨励賞の木邑真理子さん(金沢大学理工学域先端宇宙理工学研究センター准教授)と第3回最優秀賞の森脇可奈さん(東京大学大学院理学系研究科付属ビックバン宇宙国際研究センター助教)は宇宙物理学、第3回奨励賞の太田圭さん(埼玉大学大学院理工学研究科助教)は有機典型元素化学を研究している。

ポーランド館の外観(ポーランド大使館提供)
ポーランド館の外観(ポーランド大使館提供)

偏見と戦った博士、女性研究者育成は今も課題

 キュリー博士は輝かしい功績の裏側で「常に『科学は男性のもの』という偏見と闘っていた」と指摘するのは、パネリストのオディル・アインシュタインさん(フランス科学アカデミー会員)だ。当時の科学界は男性優位の風潮が現在よりもさらに強かったとされる。しかし本来、女性は男性と対等な社会の一員であり、ジェンダーに関わらずオープンにコミュニケーションすることが重要とアインシュタインさんは強調した。

 ディスカッションでモデレーターを務めたのは、マルタ・ミャチンスカさん(ワルシャワ国際分子細胞生物学研究所所長)。さまざまなプログラムで女性研究者をサポートするメンターを務めている。日本は研究者数に占める女性の割合が経済協力機構(OECD)加盟国で最低と課題になっているが、ミャチンスカさんによるとパーセンテージが2倍近いポーランドでも女性研究者の育成は課題だという。

各国の女性研究者の比率(科学技術・学術政策研究所(NISTEP)「科学技術指標2024」及び内閣府「男女共同参画白書 令和4年版」をもとにJST作成)
各国の女性研究者の比率(科学技術・学術政策研究所(NISTEP)「科学技術指標2024」及び内閣府「男女共同参画白書 令和4年版」をもとにJST作成)

 そうした背景のもと、ミャチンスカさんと3人の日本人女性研究者らは、科学の世界で女性がキャリアを築いていくためには何が必要なのかを互いに共有した。ロールモデルや、ミャチンスカさんのようなメンターの重要性について森脇さんは「高校のとき、数学の女性教師に進学先など将来に関してのアドバスをもらい、進む道を後押ししてもらった」と振り返り、研究者となった現在も同じ女性からのサポートは心強く、自分もそのような存在になりたいと話した。

科学は魅力的な仕事、「男性だけ」に惑わされずチャレンジを

 「リーダーシップにジェンダーは関係ない」と断言するのは太田さんだ。女性であることが障壁になったことはないとしながらも、キュリー博士の時代から続く偏見がいまだ解消に至っていないことを踏まえ、楽しく研究する姿を伝えていくことが大事だと語った。

 さらに現在、2人の娘を育てながら研究を続けている木邑さんは「育児休暇や在宅勤務といった研究を続けやすい環境が整備されることも大事」とし、すべての女性研究者がキャリアを継続できるような支援を受けられるようになればと期待を示した。

 3人はこれからを担う若い世代の女性に向け、まずはオープンマインドでいろいろなことに取り組むことが大事だと口をそろえる。科学は未知の世界を見ることができるとても魅力的な仕事であり、「男性だけの仕事」という言葉に惑わされないで、ぜひチャレンジしてほしいと声を上げた。

3人にとって受賞は研究者としてのポスト獲得につながり、さらに共同研究の道が開かれるなど、キャリア形成に大きな影響をもたらしたという(ポーランド大使館提供)
3人にとって受賞は研究者としてのポスト獲得につながり、さらに共同研究の道が開かれるなど、キャリア形成に大きな影響をもたらしたという(ポーランド大使館提供)

アインシュタイン博士との交流、政治など多岐に

 キュリー博士とアルベルト・アインシュタイン博士。この偉大な2人の研究者が、約20年間にわたり書簡を交わしていたことを知っているだろうか。2人のこれまであまり知られていなかったやりとりが今年、書簡集「Maria Skłodowska-Curie Albert Einstein The Letters/1911–1932/」としてポーランドで出版された。

 同書からは、2人が個人的な内容にとどまらず、科学に対するお互いの姿勢や、第一次世界大戦期における激動の政治情勢への意見など、多岐にわたる交流をしていたことがわかる。両博士は第一次大戦後、国際関係の改善に向け研究者らが協議する国際連盟の専門機関の一つ「国際知的協力委員会(ユネスコの前身)」に参加していた。科学が国家間の理解を深めるために果たし得る役割についても意見を交わし、交流を深めていったとされる。

 第2部のパネルディスカッションでは、この書簡が持つ意味について4人のパネラーが語った。その中で「2人は科学と人間の関わりについて深い懸念を共有していた」と語るのは、パネラーの一人、ハノク・グットフロイントさん(エルサレム・ヘブライ大学名誉教授/アインシュタインセンター所長)だ。

 現在、気候変動に批判的な大統領の存在が科学に対する信頼を欠如させていることを危惧しながら、アインシュタイン氏が核戦争の廃絶を訴えていたことを例に、研究者が社会に対し声を上げていくことの重要性を指摘。「書簡は、科学と社会が密接につながり、分離されるものではないと教えてくれる」と述べ、この学びを若い人にぜひ伝えていきたいと強調した。

 パネラーの川合眞紀さん(自然科学研究機構長)は幼少期を振り返り「物理学者だった母はとても忙しく、私は仕事のことをよく知りませんでした。そんなある日、キュリー博士の伝記を読んで母の仕事を理解することができ、それ以来、親近感を抱くようになりました」と、自身とポーランドとの関係を語った。同時に「日本は科学分野への女性進出をさらに進める必要があります。活躍できる場があるので、もっとこの世界に入ってきてほしい」と次世代に呼び掛けた。

第2部に登壇した川合眞紀さん(右から2番目)とハノク・グットフロイントさん(左から2番目)(ポーランド大使館提供)
第2部に登壇した川合眞紀さん(右から2番目)とハノク・グットフロイントさん(左から2番目)(ポーランド大使館提供)

幼少期の体験が科学と社会をつなぐ

 2つのパネルディスカッションについて3人の日本人女性研究者は「アインシュタイン博士が政治などの話をしていたように、研究者として社会との接点を大事にしたい」「異分野との対話は新しい研究の種にもなる」など、万博を機に設けられたポーランドの女性研究者との交流を振り返りながら、自身の今後のあり方にも意欲を見せた。

 パネルディスカッションの企画を担当したアンナ・プラテル・ジベルグさん(ポーランド科学アカデミー国際協力部長)は、「これまで家事や育児、介護などを中心的に担ってきた女性は、社会に対する意識が強い。だからこそ、科学と社会をつなぐ上で女性が果たす役割は大きい」と、女性研究者らにエールを送った。

 同時に、科学と社会をつなぐための好事例として、ポーランドでは幼い頃に科学系の博物館を訪れる公的プログラムが設けられていることを紹介。仕組みとして科学とのつながりを知る機会を作ることが大切との見方を示した。

パネルディスカッションの会場風景(ポーランド大使館提供)
パネルディスカッションの会場風景(ポーランド大使館提供)

先達からのメッセージ、高校生に勇気を

 今回のパネルディスカッションには、ポーランドに姉妹校を持つ姫路女学院(兵庫県)の高校生が招かれた。日本やポーランドの女性研究者らと直接語り合う貴重な機会を得た生徒からは、次のような感想が寄せられている。

 「キュリー博士の困難に立ち向かう勇気と、自分の道を信じて進む意思を持ち続けたいと思います。また、私が博士に影響されたように、将来誰かに影響を与えられるような女性になりたいです」

 「ロールモデルがおらず、大学で理工学を専攻するか決めかねていました。しかし、女性差別と闘いながら研究を続け、ノーベル賞を2度受賞した博士の力強い生き方を知ることで、『周りがどうあれ、自分の軸を持って理工学を専攻してもいいんだ』と肯定されたように感じました」

 万博だからこそ交わった、キュリー博士の足跡と日本の女性研究者のリアルな姿。科学の道を目指す若い女性たちは、両国の先達たちから心強いメッセージを確かに受け取っていた。

ポーランド館で、キュリー博士が発見したポロニウムの原子モデルの模型を作る姫路女学院の高校生ら(ポーランド大使館提供)
ポーランド館で、キュリー博士が発見したポロニウムの原子モデルの模型を作る姫路女学院の高校生ら(ポーランド大使館提供)
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【特集:スタートアップの軌跡】第1回 宇宙ごみ除去するルールと技術・資金が回る仕組みを アストロスケールHD https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20250630_e01/ Mon, 30 Jun 2025 04:33:31 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=54378  SPACE SWEEPERS、宇宙の掃除人――。アストロスケール(現アストロスケールホールディングス)は、地上でごみ収集の仕組みがあるように、宇宙ごみ(スペースデブリ)を除去するルールと技術、それらを支える資金が回る仕組みが必要と2013年に創業した。「市場がない」「技術がない」「法規制が整ってない」「莫大な費用がかかる」と言われ12年。24年には日本法人が開発した人工衛星がスペースデブリに15メートルまで接近。英米など5カ国に子会社もできた。将来の宇宙のロードサービスを担う会社となりつつある。

スペースデブリに人工衛星ELSA-dが磁石でドッキングしようとするイメージ。大気圏に落下して燃焼させる(アストロスケール提供)
スペースデブリに人工衛星ELSA-dが磁石でドッキングしようとするイメージ。大気圏に落下して燃焼させる(アストロスケール提供)

 アストロスケールの創業者で最高経営責任者(CEO)の岡田光信。東京大学農学部から大蔵省(現財務省)に入り、マッキンゼー・アンド・カンパニーに移った。ITビジネスにも関わった。40歳を目前に「中年の危機」に陥り、ワクワクを求めてかつての夢である宇宙ビジネスに乗り出すことを決意した。宇宙業界のことなど知らず、宇宙航空研究開発機構(JAXA)に知り合いと呼べる友人は1人いるだけだった。

Q:ミッションドリブン(使命に基づいた意思決定や行動)の起業ですね。
A:ソフトウェア会社を経営していましたが、ソフトだけでは世界で勝てないと思っていました。ハードウェアも加えると勝ち筋があるかと思っていた頃、回り続けるコマの動画を見て美しいと思った。その美しさに、コマを作っていた会社を訪れると、JAXAから受託した宇宙機器の部品があった。「こういうレベルのハードに携わりたい」と、2012年12月に宇宙産業での起業をすると心が決まりました。
 翌年4月にさっそくドイツであった宇宙関連の学会へ出かけると、「このままでは宇宙の持続利用が不可能だ」と、スペースデブリ問題が目立たないところで議論されていた。この議論を聞いて、「安全で持続可能な宇宙環境を目指す」というビジョンが定まった。さっそく2013年5月4日にアストロスケールを設立。ハードウェアの開発の現場をみるため、設立3日後には米ロサンゼルスにあるスペースXの工場見学に訪れました。

アストロスケールがSPACE SWEEPERS(宇宙の掃除人)となることをイメージしたイラスト(アストロスケール提供)
アストロスケールがSPACE SWEEPERS(宇宙の掃除人)となることをイメージしたイラスト(アストロスケール提供)

700論文を読んで研究者に会い続ける

 「衛星でデブリ除去をする」ための技術的な仮説をたてるため、岡田は学会で論文集をもらい、プリントアウトして、分野ごとにファイルにまとめた。「衛星熱設計」「軌道力学」「ロボットアーム」などグループ分けし、700論文に目を通し、300論文は精読した。学会では会社に参加してくれる人材を探した。ただ、返ってくるのは「それはそれは面白いことを始められましたね」という他人事な反応だった。それでも宇宙関連の研究者らに会い続けた。集まったのは、定年後のシニアと20代および30代前半の若者だった。

Q:とても多くの研究者らを訪れています。
A:起業して1年半は世界ツアーでした。デブリ除去の技術を学ぶために、読んだ論文に書いてある筆者名と連絡先からアポをとり、実際に会いに行った。アポとりは苦労するが、30分のアポでも会えば3時間ほど話ができることも。2014年8月に「なるほどね~成り立つかも」という研究者に会うことができた。その後は資金集めでも世界各地を回ることに。人工衛星の開発が進んでいた2018年には1年のうち飛行機内で90泊するほどでした。

英国の新拠点にて、社員らと撮った集合写真(アストロスケール提供)
英国の新拠点にて、社員らと撮った集合写真(アストロスケール提供)

 資金集めでは「基金や財団からの寄付」「投資家からの出資」「銀行からの借入」「政府などの補助金」といった資金調達の選択肢を列挙し、起業後1、2年目にその全てにトライした。世界中の財団にメールを送った。環境問題に多額の寄付をする基金や財団であれば、スペースデブリ問題に興味を持つと思っていた。だが、返事は「宇宙は守備範囲外」だという断りの連絡だった。それでも2015年には投資家から8億円の資金を調達。人工衛星の研究開発拠点を設けた。

以前の研究拠点。スタートアップらしく家にあるガレージ規模の狭さだった(アストロスケール提供)
以前の研究拠点。スタートアップらしく家にあるガレージ規模の狭さだった(アストロスケール提供)

Q:資金調達やマーケティングがうまいですね。
A:それは的外れな指摘です。2015年の8億円の資金調達は、当時は日本の宇宙ベンチャーで初となる大型資金調達で、成功例だがその裏には非常に多くの実らなかった活動がある。これまでに数百社に接触しているが、そもそもリストアップすることだって大変。それでも手応えがあり出資に結びつくのは1割程度でした。

人工衛星をロケット打ち上げ失敗で失う

 2017年11月には約2年半をかけて開発した極小デブリを観測する人工衛星をロケット打ち上げ失敗で失った。失敗を知った投資家らにどうさらなる出資を促すか。「説き伏せるのは得策ではない」と岡田は考えた。人工衛星の打ち上げ失敗は20回に1度は起きている事実、研究開発拠点を15年につくってから2年の内に自前の管制センターやアンテナを用意し人工衛星打ち上げまでこぎ着けているスピード感、打ち上げ失敗後もチームのメンバーがだれも会社を去っていない事実を愚直に説明して回った。

 2018年、当時最大の調達額となる出資を得た。資金調達が滞ることはなかった。上場までの出資は、産業革新機構(現・産業革新投資機構)、三菱グループといった組織から宇宙旅行の経験がある実業家の前澤友作氏といった個人まで多岐にわたった。

アストロスケールの資金調達
アストロスケールの資金調達

Q:資金に関しては、2025年4月期第3四半期の連結業績(2024年5月1日~2025年1月31日)を見ても営業利益が156億円の赤字です。
A:そもそも上場できたのはキャッシュフロー(現金収支)がポジティブになる道筋を説明したから。受注残や売上成長で、キャッシュフローは後からついてくる。今年度に営業赤字は底打ちと想定しています。そもそもアストロスケールは、世界同時展開で、各国に工場をもってエンジニアを雇用し、自前で衛星開発などの技術を研究開発しているという3つの特徴から分かるように、スタートアップの中でも初期にものすごくお金がかかる戦略をとっている。普通のスタートアップが地域や国内で起業して経営が回り始めると隣国などへ徐々に拡大するのとは対極的な戦略です。それでもグローバルな課題解決のために必要とされる企業だからと、投資家がその戦略を好み、資金調達ができてきました。

5カ国それぞれで研究開発 宇宙のロードサービスも

 資金を得て人工衛星を設計しても、いつ潰れるか分からないスタートアップに部品を売ってくれる会社はなかなか見つからなかった。なんとか衛星を開発しても打ち上げには法規制の壁を超えなければならなかった。民間企業が宇宙に人工衛星を打ち上げてデブリ除去をするというミッションの許可を得ようと2016年、岡田は10カ国を回った。

 日本はアストロスケールの本拠地であるが、宇宙活動法の施行前でありダメだった。「観測衛星やロケット打ち上げのような許可制度がない」「トゥーアーリー(事業化には早過ぎる」と断られたり、「そんな技術ができるのか」と疑義の念を抱かれたり。10カ国目の英国でようやく許可を出す意向を得た。許可が出ても、製造国以外での打ち上げるとなると、輸出入の許可まで必要になった。

Q:規制の壁に何度もぶつかって学んだことはありますか。
A:一次情報をつかみにいくことかな。打ち上げ許可を各国に求めていくときなどに、「(そのやり方では)難しいよ」「こんな風に言ったらいいよ」と助言のような二次情報を得る機会は多かった。だが、肝心な交渉であるほど、結局は自分が現場に行って自分の言葉で話さなければ先に進まなかった。この「自ら動く」というのは、アストロスケール社員にDNAみたいに組み込まれています。自分に関して言えば、経営のうまい下手ではなく、「これで良いか」と問い続ける姿勢がビジネス上の強みになったかもしれない。半分自信があっても半分は不安でしかたないという性格なので、問い続けてしまうのですが。

 各国を回る中で、2017年には英国、19年には米国、20年にはイスラエル、23年にはフランスにアストロスケールホールディングスの子会社ができ、650人ほどが働く。子会社はそれぞれが研究開発、事業の受注を行う。運用を終えた人工衛星や、すでに宇宙にあるデブリの除去、衛星の燃料補給などによる寿命延長、観測・点検での事業受注が続いている。燃料補給や寿命延長は、道路を走る車にガソリンを入れたり、故障車をレッカー移動させたりするイメージで、いわゆる「宇宙のロードサービス」だ。

アストロスケールの取り組む主なサービス(アストロスケール提供)
アストロスケールの取り組む主なサービス(アストロスケール提供)

Q:宇宙のロードサービスというのはどういうことですか。
A:そもそも人工衛星は使い捨てでした。ガソリンがなくなった車、タイヤがパンクした車を使い捨てるようなもの。軌道上を新幹線の100倍の速さで回っている人工衛星を「接近して」「捕獲する」技術によって、リユース、リペア、リサイクル、リフューエル、リムーブができる。ガソリンスタンドのように人工衛星に燃料補給ができ、故障車をレッカー移動するようにデブリを除去できれば、持続可能な宇宙利用が可能になる。点検や観測も含め、地上にJAF(日本自動車連盟)があるように、宇宙にはアストロスケールがあるべきだという思いは創業時からもっています。

秒速7~8キロのデブリに近づき近傍で運用する技術を確立

 情報を完全に共有するのは発注国の情報漏洩になる。しかし、5つの子会社はライバルや競合ではない。「領土や国境がない宇宙では、ビジネスも複数国で同じ目標に向かおう」という考え方だ。人工衛星が軌道上を秒速7~8キロで回るスペースデブリに速度を合わせて同一の軌道を飛行して接近し、近傍で観測といった運用を行う技術は、デブリ除去でも燃料補給でも様々な軌道上サービスミッションに応用可能な「ランデブー・近傍運用(RPO)技術」として、各子会社の技術者の知見を生かしながら洗練させている。

 2024年にはJAXAによるスペースデブリの除去に向けた「商業デブリ除去実証(CRD2)」プロジェクトのフェーズIで、人工衛星ADRAS-Jが、高度約600キロの軌道を周回するデブリ(H2Aロケットの上段)に15メートルまで接近した。このデブリを捕獲する人工衛星は27年度に打ち上げる予定だ。

 他にも、大型の衛星デブリを対象に接近と観測を行うISSA-J1ミッションで機体の基本設計等を実施から衛星組立や運用準備する段階に移行している。

 英子会社では2024年7月に役目を終えた人工衛星を磁石捕獲で複数除去する衛星ELSA-Mの軌道上実証の最終フェーズに関する契約を締結。RPO技術や捕獲機能を活用し、現在地球を周回している、役目を終えた英国の衛星2機を除去するCOSMICミッションも進む。米子会社では米宇宙軍から軌道上で衛星に燃料補給を実施する衛星のプロトタイプの開発を行うAPS-Rプロジェクトを23年9月に受注した。

岡田光信には、「スーツを着て戦闘態勢に入る」型がある。阪神タイガースの応援用の白いスーツももっている(東京都墨田区)
岡田光信には、「スーツを着て戦闘態勢に入る」型がある。阪神タイガースの応援用の白いスーツももっている(東京都墨田区)

Q:岡田さんのアストロスケールでの役目と今後の展開を教えてください。
A:ディープテック(先端技術)を製品・サービスとし、インフラレベルにするため、何もない市場で技術とビジネスモデル、ルールの3つをつくる「総合格闘技」みたいなことをやってきたと思っています。その過程において、自分が果たす役割のイメージはオーケストラのコンダクター、指揮者。楽器の仕組みを知っているが、ピアノを弾いたり、バイオリンの音色の善し悪しを評価したりする研究者のような役割はしない。ディープテックを社会実装していく過程で量産技術だけではなく販路開拓も必要なように、演奏会を開くホールを用意したり、聴衆を集めたりといった仕事も回す必要があります。全体をみて、2030年に軌道上サービスを当たり前にし、35年にインフラとして認知されるまでもっていくところに向かって指揮をとっていきたい。
 次世代も育てないといけない。事業化構想をもつ人が大学等の技術シーズを探索してスタートアップの起業をめざすJST(科学技術振興機構)早暁プログラムのメンターをやっています。ディープテックでのスタートアップは出口に向かっていろいろなパスがあるけれど、その道を進むのは簡単ではないことは自分で経験して分かっている。技術を使ったアイデアは誰でも思いつくし、プロトタイプを作る人もいるだろうが、社会のインフラまで実装していくには、幾千のハードルを潰さないといけない。落とし穴がたくさんだ。いろんな社会問題があるけど、最後は技術で解決しないといけないという思いをもって引き受けています。

 社会課題を解決して私たちの生活や社会に大きなインパクトを与える科学的な発見や革新的な技術であるディープテックから、新しいビジネスを創り出す「スタートアップ」企業の軌跡を追います(敬称略)。

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「防災立国」目指す司令塔として強い組織を 他省庁への勧告権など防災庁の概要明らかに https://scienceportal.jst.go.jp/explore/review/20250626_e01/ Thu, 26 Jun 2025 07:34:44 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=54416  石破茂政権が提唱する「防災立国」実現に向け、司令塔と期待される防災庁。その組織概要が明らかになった。防災庁の役割などを検討する政府の有識者会議(防災庁設置準備アドバイザー会議)が6月4日に報告書をまとめて公表した。これを受け石破首相は同6日に防災立国推進閣僚会議を官邸で開催し、2026年度の設置を目指す同庁の組織概要を表明した。

首相官邸で開かれた防災立国推進閣僚会議で発言する石破茂首相(6月6日、内閣官房内閣広報室提供)
首相官邸で開かれた防災立国推進閣僚会議で発言する石破茂首相(6月6日、内閣官房内閣広報室提供)

「いつか来る」ではなく、「いつ来るか」

 その組織概要によると、現在内閣府の防災担当組織が担う現行体制を一新。防災庁が平時からの「事前防災」や、災害が起きた直後の初動対応から復旧・復興までを一元的に担う。首相直属の専任大臣を置き、他省庁に対する勧告権を付与し、勧告を受けた省庁には勧告を尊重する義務を負わせる。防災の専門人材を採用、育成するなどして防災関連他省庁を調整できる組織を目指すという。

 有識者会議の報告書は「災害は『いつか来る』ではなく、『いつ来るか』という意識に切り替える」ことを求めた。活断層型の地震はいつ、どこで起きても不思議ではない。南海トラフ巨大地震や首都直下地震は30年以内にそれぞれ約80%、約70%という高い確率で起きると予測されている。防災庁には防災・減災のための適切な政策立案能力に優れた「目利き人材」をそろえた強い組織づくりが求められる。

防災庁の役割などを検討する政府の有識者会議報告書の骨子をまとめた図の一部(内閣府提供)
防災庁の役割などを検討する政府の有識者会議報告書の骨子をまとめた図の一部(内閣府提供)

「戦略・戦術の再構築が必要だ」と明示

 有識者会議の報告書は冒頭、「国民と共に考え、共に備え、共に守る。災害から命を守り抜き安心して暮らせる社会、防災により新たな価値を生み出す未来を創る。そのような社会・未来を実現するのが防災庁である」と“宣言”した。防災・減災対策は政府に大きな責任があるが、全国どこでも起こり得る大地震や大災害の被害を減らすためには、中央政府と自治体、そして地域や民間企業、研究機関が連携することの大切さを強調している。

 同会議は福和伸夫・名古屋大学名誉教授や廣井悠・東京大学先端科学技術研究センター教授、喜連川優・情報・システム研究機構機構長ら、防災に関係する広い分野の有識者20人で構成。防災庁に求められる役割と責務を、これまでの大震災や大災害で明らかになった課題を整理する形で体系的に網羅している。

 報告書はまず「社会に内在する構造的・制度的な脆弱(ぜいじゃく)性により被害が劇的に拡大する現象を平時のうちに先回りして発見し、産官学が連携して被害を劇的に低減させる抜本的な防災戦略・戦術の再構築が必要だ」と明示した。「再構築」という言葉を使い、現在の国の防災・減災対策や体制では、巨大地震や直下地震には対応できないと間接的ながら指摘した形だ。

防災庁の役割などを検討する政府の有識者会議メンバーの一人の福和伸夫氏(日本記者クラブ提供)
防災庁の役割などを検討する政府の有識者会議メンバーの一人の福和伸夫氏(日本記者クラブ提供)

「ワンストップ窓口」運営や民間団体との連携強化も要望

 「地震大国」「災害大国」と呼ばれる日本。気候変動によるとみられる「極端気象」による、具体的には強い豪雨や強力になった台風などによる被害が増えている。この国の防災は分野別にこれまで内閣府や総務省、国土交通省のほか、厚生労働省、文部科学省、防衛省、警察庁など、既存の多くの省庁が関わってきた。これら既存省庁の役割は防災庁設置後も基本的には変わらない。

 そこで、報告書が明記し、政府の防災立国推進閣僚会議が決定したのは防災庁の司令塔機能だ。「あらゆる事態を想定し、起こり得る被害を先読みした防災の基本政策・国家戦略の企画・立案」「徹底的な平時からの事前防災の推進・加速」「災害発生直後の初動体制、被災自治体への迅速な応援体制の構築、過去の災害経験を生かした復旧・復興支援」を柱に据えた。

 既存の防災関連省庁はどれも、予算規模や人員が多い大きな組織だ。こうした既存組織を適切に「動かす」ためには強い組織になる必要がある。欠かせないのは山積する課題を解決する政策立案や状況判断力、決断力、そして組織に説得力を持たせることができる「目利き人材」の確保と育成だ。報告書も民間からの人材登用を含めた防災エキスパートの確保・育成や環境整備、処遇改善などの必要性を指摘している。

 これまでの大地震や自然災害の被害では、被災地自治体との連携不足から支援が遅れたケースもあった。こうした事態を改善するために、報告書は防災庁に、被災自治体の窓口を集約する「ワンストップ窓口」として現地対策本部を運営することや、地域の民間防災関連団体・ボランティア団体との連携を強化し、地域の防災力の強化を主導する役割を担うことも要望している。

南海トラフ巨大地震では東日本大震災をさらに大きく上回る日本の経済社会に深刻な影響を与える甚大被害が想定されている。写真は2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地の様子(防災学術連携体/高橋良和氏提供)
南海トラフ巨大地震では東日本大震災をさらに大きく上回る日本の経済社会に深刻な影響を与える甚大被害が想定されている。写真は2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地の様子(防災学術連携体/高橋良和氏提供)

国難級被害を大幅低減するために

 「国難級の被害は避けられない」とされる南海トラフ巨大地震の被害想定を検討してきた政府の作業部会は3月31日に「最悪29万8000人が死亡し、経済被害額は最大292兆円に上る」とする報告書を公表している。

 その後、土木学会が6月11日、南海トラフ巨大地震の発生後20年余りの経済的被害は推計1466兆円に上るとする報告書を公表。首都直下地震の被害推計も1110兆円に上るとした。災害による税収の落ち込みや復興費用を合せた財政的被害は、南海トラフでは506兆円、首都直下では433兆円に上るという。

土木学会の「国土強靱化定量的脆弱性評価・報告書」の表紙(土木学会提供)
土木学会の「国土強靱化定量的脆弱性評価・報告書」の表紙(土木学会提供)

 いずれの報告書もすさまじい規模の被害だ。これを減らすためには事前防災の徹底しかない。南海トラフ巨大地震では、想定死者の約7割を占める津波による死者は「すぐに避難できる人の割合を想定20%から70%にできれば津波犠牲者を9万4000人に減らせる」とした。

 土木学会の報告書も、例えば南海トラフ巨大地震で58兆円以上の対策により、396兆円分の、首都直下地震で21兆円以上の対策で410兆円分のそれぞれ被害を低減できる、としている。

 これらの指摘はあくまで推計ではあるが、事前防災の重要性を如実に示している。ただ、例えば死者数低減策の「すぐに避難すれば」の条件を考えてみても「言うは易し行うは難し」だ。高齢化が進み、地域コミュニティの維持が難しくなっている地方は多く、事前防災の徹底のために防災庁の実力が問われる。

赤い線内が南海トラフ巨大地震の想定震源域(地震調査研究推進本部・地震調査委員会提供)
赤い線内が南海トラフ巨大地震の想定震源域(地震調査研究推進本部・地震調査委員会提供)

防災庁設置は出発点、私たちも「備え」の徹底を

 政府は年内をめどに、防災庁の具体的な人員規模を含む組織の詳細を決定し、来年の通常国会で関連法案を提出する方針だ。

 昨年9月の自民党総裁選挙で「防災省」新設を主張した石破首相は6月6日の防災立国推進閣僚会議で「人命・人権最優先の『防災立国』の実現に向け、政府全体の司令塔になるのが防災庁だ」と断言した。「人命・人権最優先」としたその言葉は重い。強い指導力を発揮してほしい。

 政府の有識者会議の報告書は、最後に「防災庁設置によっても、すぐに全ての課題が解決できるわけではない」とした上で「(新組織)設置は全てが整った『到達点』ではなく、これからの課題解決に向けた『出発点』だ」と強調している。

 ただ、大地震はいつ、どこで起きても不思議ではない。事前防災の徹底は「待ったなし」だ。できる対策は速やかに始める必要がある。防災庁設置作業が本格化したのを機会に、政府や全国の自治体、地域の民間団体も、そして私たちも今できる「備え」を徹底したい。

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未来のエネルギーをゲーム感覚で学ぶ 暗がりの中に輝く光を堪能、大阪・関西万博の電力館 https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20250616_e01/ Mon, 16 Jun 2025 05:53:04 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=54308  大阪市此花区の人工島「夢洲」で10月まで開催している大阪・関西万博(2025年日本国際博覧会)。電気事業連合会の「電力館」は万博への出展5回目となる。1970年の大阪万博、85年のつくば科学博、90年の大阪園芸博、2005年の愛・地球博を経て、今回は「エネルギーの可能性で未来を切りひらく」がテーマだ。核融合や無線給電など将来的な実用化が期待されるエネルギーの可能性を楽しく学ぶことができるというパビリオンを訪れた。

光り震えるタマゴが体験のスイッチや記憶に

 木造の「大屋根リング」のそばにある電事連のパビリオン「電力館 可能性のタマゴたち」は、銀色のタマゴが半分ほど突き出たような外観だ。表面は多角形を組み合わせでできたように見え、最短ルート検索や都市計画で用いられる平面分割のボロノイ形状を採用。パビリオンのコンセプトである「可能性のタマゴ」を建築で表現している。

4月9日13時過ぎ(左)と17時前の電力館。太陽光や空の色を取り込んで天候や時間帯によって見え方が変化する(大阪市此花区)
4月9日13時過ぎ(左)と17時前の電力館。太陽光や空の色を取り込んで天候や時間帯によって見え方が変化する(大阪市此花区)

 パビリオン内に入ると、暗がりの中で色とりどりに光るタマゴ型デバイスが並ぶ。来館者は好きなタマゴをひとつ選び首にかける。タマゴにはセンサーチップが内部に搭載されており、光ったり震えたり、約50パターンの振る舞いを見せる。来館者の体験のスイッチになったり、どのエネルギーについて学んだのかを記憶したりする。

タマゴ型デバイスが棚に並ぶ。廃材の利活用やプラスチック削減の取り組みとして卵の殻やホタテの貝殻など廃材を配合している(大阪市此花区)
タマゴ型デバイスが棚に並ぶ。廃材の利活用やプラスチック削減の取り組みとして卵の殻やホタテの貝殻など廃材を配合している(大阪市此花区)

 タマゴを首にかけて進むのは、これから学ぶ未来のエネルギーについて概要を学ぶ「プレショー」だ。多くの画面で映像が切り替わり、タマゴの振る舞いが連動する。

未来のエネルギー体験をする前に集まるプレショーでは多くの画面が置かれている(大阪市此花区)
未来のエネルギー体験をする前に集まるプレショーでは多くの画面が置かれている(大阪市此花区)

核融合や潮流発電、うどんまで約30の展示

 プレショーの後に「可能性エリア」に進むと、核融合や潮流発電、水素など約30のエネルギーが未来を切り開く可能性を持つものとして展示されている。核融合や振動力発電、無線給電、ヒートポンプでは、タマゴがスイッチのような役目をして、手で光を追ったり足踏みしたり、シューティングしたりと、ゲーム感覚の体験ができる。中には「うどん」と題した切れ端など食べなかったうどんを発酵によってバイオ燃料にする取り組みの紹介もある。

可能性エリアでは、未来のエネルギーをゲームのような体験で学ぶことができる(大阪市此花区)
可能性エリアでは、未来のエネルギーをゲームのような体験で学ぶことができる(大阪市此花区)
手で光を追って集めることで核融合を体感したり(左)、無線給電をシューティングゲームで学んだりする(大阪市此花区)
手で光を追って集めることで核融合を体感したり(左)、無線給電をシューティングゲームで学んだりする(大阪市此花区)
レバーを回してエネルギーについて知る「うどん」の展示(大阪市此花区)
レバーを回してエネルギーについて知る「うどん」の展示(大阪市此花区)

宝塚歌劇さながらの華やかな空間

 エネルギーを「可能性エリア」で学んだ次は「輝きエリア」に移動する。天井からぶら下がった電飾が点や線、渦のような光を生み出し輝く。全体が光と闇に包まれた華やかな空間にいると、宝塚歌劇の電球で照らし出される大階段で繰り広げられるスターのレビューを思い出した。

輝きエリアでは空間いっぱいの光と音を体感するイマーシブ(没入型)ショーが繰り広げられる(大阪市此花区)
輝きエリアでは空間いっぱいの光と音を体感するイマーシブ(没入型)ショーが繰り広げられる(大阪市此花区)

 最後は図鑑のように並んだパネル展示で、電力館で紹介される全てのエネルギーを解説している「ポストショー」のエリアを見て終わる。入って出るまで約45分を想定したパビリオンだという。

最先端を知りたくてパビリオンのはしご

 1970年の大阪万博における電力館のテーマは「人類とエネルギー」で、関西電力美浜発電所から原子力発電による電気が初めて万博会場に送られた。エネルギーの科学原理を伝えたつくば科学博、様々な光を用いた大阪園芸博、地球温暖化問題を踏まえて環境配慮の取り組みを紹介した愛・地球博を経て、2011年の東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所事故後の出展となるパビリオンは「カーボンニュートラルのさらにその先を見据え、社会の基盤を支える電力業界ならではの視点で未来社会を描く」内容だという。

 筆者は興味があった核融合を、ゲーム感覚で学べて楽しかった。最新事情を含んだパネル展示もあったが、もうちょっと最先端の取り組みを詳しく具体的に知りたかったので、国際機関館にある「イーター国際核融合エネルギー機構(ITER)」も見学した。

大屋根リング内側のエンパワーリングゾーン国際機関館にあるイーター機構。テーマは「未来のための核融合エネルギー」だ(大阪市此花区)
大屋根リング内側のエンパワーリングゾーン国際機関館にあるイーター機構。テーマは「未来のための核融合エネルギー」だ(大阪市此花区)

 同機構のブースでは、EUを始め、中国、インド、日本、韓国、ロシア、米国が参画する世界最大の実験的核融合施設で使う核融合炉の模型もあった。電力館でも十分な情報量だったが、ひとつのパビリオンだけでなく、他の関連したパビリオンを探してはしごするのも万博の楽しみ方だなと思った。

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「故人AI」の問題を哲学・倫理学の観点から考察し、社会受容への道筋をさぐる 佐藤啓介さん https://scienceportal.jst.go.jp/explore/interview/20250610_e01/ Tue, 10 Jun 2025 06:38:11 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=54257  AIの進化が「人」のあり方にも影響を及ぼしつつある。鬼籍に入ったはずの「美空ひばり」は新曲を披露し、「手塚治虫」も新作を発表した。AI技術による故人の復活は、死の概念を大きく変えかねない。ところが、法整備は追いつかず、明確なルールのないまま、すでに商業化にまで至っている。いま、私たちは死をめぐるAI技術とどのように向き合うべきなのか。哲学・倫理学の観点から故人AIの研究に取り組んでいる佐藤啓介さん(上智大学大学院実践宗教学研究科教授)にヒントを伺った。

インタビューは上智大学四谷キャンパスにある佐藤さんの研究室で行った
インタビューは上智大学四谷キャンパスにある佐藤さんの研究室で行った

死者倫理の研究がきっかけに

―「故人AI」とは何ですか。

 「死者AI」「デジタル故人」「死者のデジタルアバター」などとも呼ばれる、AI技術による故人のよみがえりです。故人が生前に残したテキストや画像、音声などのデータから、その行動や発言、思考のパターンをAIに学習させて、まるで生きているかのように再現できます。2019年の大晦日、AIを用いた歌声合成技術でよみがえった「美空ひばり」がNHK紅白歌合戦で新曲を歌い、翌年には、AIと人間のコラボレーションで「手塚治虫」の新作が発表され、話題になりました。

―新曲や新作は興味深いけれど、故人AIには故人の日記を勝手に読んでしまうような後ろめたさも感じます。

 故人AIに対して「故人への冒涜」と感じる人は少なくありません。日本では6割以上の人が、自分の死後にAIとして復活することに反対したという調査結果もあります。故人AIは倫理に反すると捉える人が多いものの、倫理学ではまだ研究が始まったばかりです。

―故人AIの研究を始めたきっかけをお聞かせください。

 私の専門は宗教哲学で、10年ほど前から「死者倫理」を研究しています。これは、亡くなった人の扱いについて、哲学の観点から考える学問です。大まかにいうと、なぜ故人を敬わなければいけないのか、どこまで敬えばいいのか、特に社会の中では故人を尊重するべきなのかといった問いを考察します。

 研究を進めるうちに、AI美空ひばりが登場して賛否両論が巻き起こりました。このとき、故人AIを巡る問題を考えていくと、「死者倫理とは何か」を明らかにしていけると思ったのです。2022年に米オープンAIの生成AI「ChatGPT」が公開されると、日本でもAIが一気に普及したため、「故人AIと死者倫理」は、急いで取り組まなければいけないテーマであると考えています。

佐藤さんの専門は宗教哲学。宗教が扱ってきた死と生、救いなどを哲学的に考える学問である
佐藤さんの専門は宗教哲学。宗教が扱ってきた死と生、救いなどを哲学的に考える学問である

言動を新たにつくりだすのは問題か

―佐藤さんは、故人AIの何が問題だと考えていますか。

 故人AIは、故人が生前には行わなかった言動を、新たにつくりだす可能性があります。実際にはそう言わないかもしれないし、そう振る舞わないかもしれないけれど、いかにもその人らしい言動をするというわけです。それが、故人AI固有の特徴であり、問題となりうると考えています。

―まるで本人のような故人AIが、やってもいない罪を告白するとか、ありえない事態が起こるかもしれないですね。

 故人AIではありませんが、ディープフェイク(生成AIを用いた合成技術)は問題になっていますよね。2023年には岸田文雄首相(当時)の偽動画が出回りました。この事例は、肖像権などの権利侵害となるため、「ディープフェイクは問題である」として議論できます。

 ところが、ターゲットが故人の場合、権利侵害には当たりません。故人には人権がなく、一部を除いて権利は保証されていないからです。いまのところ、直接の名誉棄損に当たらない限り、故人AIがありもしないことを語り出したとしても法的措置は取れません。

適用できる法はないが、何をしてもいいわけではない

―AIの悪用から故人の尊厳を守るにはどうしたらいいのでしょうか。

 まず、法に照らし合わせて考えなければいけません。しかし、調べれば調べるほど、故人に適用できる法はほとんどない。現行法では、故人は保護の対象ではないのです。だからといって、故人AIは何をしてもいいわけではないでしょう。

―故人AIの利用を、個々の良心に任せられますか。

 「法は倫理の最低限度」といいますが、法は倫理の一部と考えます。ただ、多様なバックグラウンドの人たちが共に暮らす現代において、倫理観を共有するのは難しい。なので、やはり最低限の法は必要でしょう。それさえ守れば、お互いに納得できないことも許容していくしかないと思います。

『いまを生きるための倫理学』には、佐藤さんが執筆の一部を担当した「生と死」のほか、「科学技術」「情報とマスコミ・映像」についても考察されている
『いまを生きるための倫理学』には、佐藤さんが執筆の一部を担当した「生と死」のほか、「科学技術」「情報とマスコミ・映像」についても考察されている

「グリーフケア」の役割を果たしうる

―故人AIにも法ができれば、規制をかけて故人を守れるのですね。

 そうですね。ただ、規制ばかりでいいのかという問題もあって。故人AIによる死後の復活を望まない人が多い反面、故人に会いたいと願っている遺族もまた多いです。故人AIのニーズは確実にあり、すでにビジネスとして展開されています。その是非はともかく、一つ言えるのは、故人AIは「グリーフケア」の役割を果たしうることです。

―グリーフケアとは?

 グリーフとは、誰かを亡くしたときの悲嘆のこと。悲しみに暮れている人に寄り添い、サポートすることをグリーフケアといいます。故人の音声を聞いて癒されたり、故人AIとちょっと会話をして、悲しみが和らいだりすると期待されているのです。

佐藤さんが兼務する上智大学グリーフケア研究所は、グリーフを抱える者「悲嘆者」がケアされる健全な社会を目指して設立された(同研究所提供)
佐藤さんが兼務する上智大学グリーフケア研究所は、グリーフを抱える者「悲嘆者」がケアされる健全な社会を目指して設立された(同研究所提供)

「故人を敬う」を定義し、議論のために交通整理

―故人AIの基準はどのあたりになりそうですか。

 おそらく、「過去を再現する」と「新たな言動をつくりだす」の間で線引きされるのではないでしょうか。過去を再現するだけなら、生前に撮影したビデオを見るのと変わりません。一方、生前にはない言動をさせるとなると、事情が異なります。このあたりを境目にして、「故人を冒涜している」「その一線を越えてはいけない気がする」と、拒絶反応が出てくるのではないでしょうか。ところが、容認できない理由を説明できる人は少ないです。

―確かに。無意識ながら判断基準はあるということでしょうか。

 その判断基準が「故人を敬う」ではないかと考えています。ただ、もう少し掘り下げていかなければなりません。「敬う」とは尊重することだとして、何を尊重するのか。故人の存在なのか、生前の姿や在り方、記憶に残っている印象なのか。それを突き詰めていくと、私たちが尊重しようと思っているのはきっと、故人の人格のようなものです。そうすると次は、「人格」とは何かという問いが出てきます。人格についても、文献や先行研究を参照しながら考察していくのです。

インタビューに応じる佐藤さん。哲学の手法について丁寧に教えてくれた
インタビューに応じる佐藤さん。哲学の手法について丁寧に教えてくれた

 このように、ある概念を取り出して、解きほぐして、整理して、分析していく。これが、哲学の基本的な手法です。正解を導き出すというよりは、議論のための交通整理をします。哲学では昔の思想家の主張をもとに議論していて、はたから見ると、この世にいない人の考えを話し合って何になるのかと思われそうですが、概念を整理するときの手がかりになるのです。そうしながら、理論を構築していきます。

 その理論を用いて、倫理学では「では、善や悪の基準とはどのようなものか」という一般的な問題や、さらに具体的な主題に引き寄せた個別の場面における判断基準や行動規範を考えていきます。

考えるべきことの連鎖は難しいが、やりがいでもある

―理論を構築できたらゴールと考えていいですか。

 もう一つ、手続きがあります。哲学の手法で重要なのは、構築した理論に反論してみること。例えば、「故人の人格を尊重する」を基準にして、故人AIで新たな言動をつくりだすのは認めないという理論を打ち立てました。この反論として考えられるのは、故人が生前に言わなかったことを言わせるのは、故人AIに始まったことではありません。これまでも小説やドラマ、ゲームなどでさんざんやってきました。

―そう反論されると、故人AIだけ規制する根拠が揺らぎます……。

 そうなんですよ。なので、著作権のような考え方ならどうでしょう。死後70年は保護期間として、新たな言動はつくらせない。あるいは、故人AIの公的利用は認めず、私的利用のみ認めるという線引きもありえると思います。つまり、遺族が故人AIに最新ヒット曲を歌わせて故人をしのぶのはいいけれど、上手に歌うからとYouTubeで公開するのは駄目という判断です。

―考えなければいけないことがどんどん広がりますね。

 故人AIの問題から出発して、ディープフェイクの問題や「故人を敬う」の定義など、考えるべきことがいろいろとありましたね。その連鎖が、故人AIを巡る倫理的問題の難しさであり、やりがいでもあります。

 故人AIに限らず、技術の発達によって新しい現象が起こり、それまでの概念を問い直さなくてはならない事態はたくさんあります。例えば、医療技術の進化で「脳死」という概念が生まれ、改めて「死とは何か」を議論したように。そこに倫理学、哲学が果たす役割は大きいと考えています。

講義中の佐藤さん(ご本人提供)
講義中の佐藤さん(ご本人提供)

―今後、故人AIはどのように社会に受容されていくとお考えですか。

 いまはまだ違和感がある技術かもしれないけれど、緩やかに受け入れられていくと思います。江戸後期に写真技術が伝来して、いつの間にか慣れていったように、故人AIにも慣れるのではないかと。あくまでも予測ですが、故人AIは故人ではなく、一種のフェイクであり、故人とは別人格であるという受け入れられ方をされていくような気がしています。

※佐藤さんは論文などで「死者AI」の呼称を用いていますが、本記事では同義として「故人AI」を採用しています。

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健やかな睡眠は健康に極めて重要―柳沢正史・筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構長・教授 https://scienceportal.jst.go.jp/explore/highlight/20250527_e01/ Tue, 27 May 2025 05:13:34 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=54155 「本田財団(石田寛人理事長)」主催講演会・懇談会「睡眠の謎に挑む~健やかな睡眠から始まるウェルネス~」(2025年4月16日)からー

 お集まりいただきありがとうございます。今日は(私たちの体と心の健康に欠かせない)睡眠についてお話ししたいと思います。私が所属する「WPI-IIIS」は筑波大学の睡眠の研究所(国際統合睡眠医科学研究機構)で、大学院生を含めると240人ぐらいで研究しています。睡眠の基礎研究に特化した研究所としては世界最大規模で、(この分野の)最先端の一翼を担っていると自負しています。大学発ベンチャーとして、(脳波測定ウエアラブルデバイスとAIを駆使した自動解析による睡眠測定サービスを行う)株式会社「S’UIMIN」を立ち上げました。

講演中の柳沢正史氏
講演中の柳沢正史氏

脳が発達する前からの根源的行動

 我々人間を含めて哺乳動物はすべての種が眠ることはご存じだと思います。2000年前後に睡眠を行動学的に定義したのですが、脊椎動物は魚も眠るし、無脊椎動物の昆虫や線虫といった我々から離れた種も眠ることが分かりました。その時点では脳を持つ動物はすべて眠るということになったのですが、2017年にクラゲも眠るという衝撃的な論文が出ました。

 クラゲは神経細胞が全身にあって、そのネットワークがあるのですが脳はありません。睡眠は脳が発達する前からの(生物に備わった)根源的な行動ということです。神経系を持つ生物はすべて眠ることが分かっています。

 眠っている間は意識が薄れた状態で、外界に対して鈍い状態でこうしたリスクを伴う行動がどうしてずっと保存されているか、という問いに明快な答えはありません。脳は生物学的なコンピューターですが、一定期間オフラインのメンテナンスをしなければならないということです。睡眠中も実は脳の神経は休んでいないのです。コンピューターに例えると、オフラインでメンテナンスをしている状態です。

 眠気をとるには眠るしかないというのは当たり前のことですが、そのメカニズム、そもそも眠気とは何かについては実はよく分かっていません。ただ哺乳動物については覚醒、レム睡眠、ノンレム睡眠という3つの状態に分けることができます。

柳沢正史氏が「眠くなる仕組み」の説明に使ったパワーポイント(柳沢正史氏提供)
柳沢正史氏が「眠くなる仕組み」の説明に使ったパワーポイント(柳沢正史氏提供)

ノンレム、レムを繰り返して朝になる

 レム睡眠ということばを聞いたことがあると思います。「ラピッド・アイ・ムーブメント(Rapid Eye Movement)」の略ですが、まぶたの下で目がきょろきょろ動くのでこう呼ばれています。きょろきょろ動くのは、実は鮮明な夢を、視覚的な夢を見ている時にその夢の内容に合わせて目が動くとされています。

 レム睡眠はある意味ちぐはぐな睡眠です。鮮明な夢を見ていて大脳の一部は覚醒に近い状態なのに、脳はオフライン化されています。音を聞かせて睡眠の深さを測ると、ノンレム睡眠並みに深いのです。レム睡眠中は運動に関して、体は完全に力が抜けています。ただ、心拍や呼吸が不規則になるということも起きます。

 一方、ノンレム睡眠は脳波が大きな波になるのが最大の特徴で、人間では3段階の深さで表示します。健康な若い人の睡眠だと、覚醒から最初ノンレム睡眠に入り、3段階を経てレム睡眠に切り替わります。レム睡眠は夢を見るから浅い睡眠と思われがちですが、決して浅い睡眠ではありません。

 寝るとノンレム、レムを繰り返して朝になるわけですが、前半はノンレムが多く、眠りが深いですが、次第にノンレムは浅くなっていってその代わりレムが増えるのです。レム睡眠は心身の健康を保つ上で極めて重要であることが、ここ15年ぐらいの間で分かってきました。

 70歳、80歳になると深い睡眠が減り、レム睡眠も残念ながら減ってしまいます。睡眠は不安定になって途中で起きることが増え、続けてぐっすり眠る能力がなくなっていきます。ただこういう変化は30歳、40歳ぐらいから徐々に起きています。

日本は睡眠時間が短い特異な国

 睡眠不足と不眠はよく混同されますが、全く違うコンセプトです。睡眠不足は十分な睡眠時間を確保しない生活習慣を続けている状態。不眠は思うように眠れない状態です。日本人の平均睡眠時間は世界一短いことが多くの調査で示されています。

 国民1人当たりのGDPと睡眠時間には強い相関関係があるという調査があります。豊かな国の人ほどよく眠る傾向があります。「寝る間を惜しんで頑張る」とか「24時間戦えますか」(のメッセ-ジ)は(今や)ナンセンスです。

 日本は(国民1人当たりのGDPは低くないが)平均睡眠時間が短く、データサイエンス的には「外れ値」で、睡眠に関しては特異な国と言えます。

 生物学的には女性の方が少し長く眠るようにできていますが、日本は女性も育児、介護など社会的な問題が反映されて睡眠時間は短いです。1960年ごろは日本人も今より1時間ほど長く眠っていました。その後2010年あたりまでに直線的に睡眠時間が短くなり、その後そのレベルが続き、睡眠に関して日本は特異な歴史があります。

メタボの最大の敵は寝不足

 眠ることの「御利益」についてですが、まず記憶が整理される。あと洞察力、気づきの能力が上がるという研究があります。逆に寝ないとどうなるかに関する有名な論文があります。徹夜明けのパフォーマンス状態は、血中アルコール濃度0.1%程度相当でかなり酔った状態と同じ。「徹夜して頑張った」という人がいますが、酔っ払って仕事するようなものです。慢性的な睡眠不足は怖くて、いつの間にかパフォーマンスが落ちるだけでなく、感情コントロールもしにくくなるのです。

 感情、情動に関係する扁桃体がうまく制御できなくなります。パワハラをする人間はもしかしたら寝不足なのかもしれません。寝不足だと利他的な行為が抑制されるという論文も出ています。米国で冬時間から夏時間に切り替わる日は夜が1時間短くなるわけですが、寄付額が3~4%減る一方、冬時間に戻る日は変わらないというデータがあります。

 また、慶應大学の研究者の論文で平均睡眠時間が長い企業ほど業績がいいという調査結果もあります。

 健康面では、睡眠不足が続くと免疫系が落ちて風邪をひきやすくなります。ある種のがんのリスクも高まるという研究もあります。「メタボ」については、1日4時間しか寝ない「睡眠制限」をたった2週間続けた研究結果でも、摂取カロリーが増えて体重や内臓脂肪が増えたという研究があります。

 「寝る子は育つ」と言いますが、寝ない大人は横に育つ(太る)のです。メタボの最大の敵は寝不足です。一方、睡眠時間を増やすと摂取カロリーが減って体重や脂肪が減ったという研究結果もあります。このほか、寝不足気味の人はアルツハイマー病の原因物質とされるアミロイドベータが多いという恐ろしい研究の論文もあります。

天井の白っぽい明るい光が有害

 65歳以上の高齢者数千人を平均12年追跡した大規模調査で、睡眠全体の20%ほどあるレム睡眠の量が1%減るごとに12年の間に認知症を発症するリスクが9%増えるという論文も出ています。レム睡眠は夜の後半に増えてきますが、一晩きちんと眠ることが非常に重要です。

 「夢ばっかり見ていたのでよく眠れなかった」という人がいますが、むしろレム睡眠が十分取れたと喜んでもらいたいですね。レム睡眠によってストレス耐性が作られるという研究もあります。悪い夢を見ることで、現実に起こり得る嫌なことに対する予行演習をして、ストレス耐性が高まるということです。

 時差ぼけは体内時計による制御が原因ですが、脳の奥深くの「視床下部」に「視交叉上核」という米粒程度の小さな構造があって、そこに集積している神経細胞が体内時計の「ご本尊」です。

 明るさや暗さを感じる細胞は「ブルーライト」という短波長の可視光線にチューニングされていて、例えば、朝から午前中にかけて強いブルーライトが目に入ると体内時計の針がリセットされて時計は朝というシグナルになります。「朝は光を浴びましょう」と言われるのはそうしたことからです。

 逆に深夜に強い光が目に入ると体内時計の針が遅れるので、夜のスマホのブルーライトは避けてくださいと言いますが、実は天井の白っぽい明るい光の方が(健康な睡眠には)有害なのです。(脳から分泌される睡眠・覚醒を調節する)メラトニンも夜、目に強い光が入ると抑制されます。

 (寝る前)光以上に気にしてほしいのはスマホのコンテンツで、ゲームやSNSの書き込みやショート動画などの双方的コンテンツは、ドーパミンがたくさん出て睡眠に良くないです。リラックスできる自分の入眠儀式として習慣化できるコンテンツを見つけてください。

睡眠の質を高めるノウハウを説明する柳沢正史氏
睡眠の質を高めるノウハウを説明する柳沢正史氏

「癖にならない」オレキシン受容体拮抗薬

 子どものころは朝型ですが、思春期から20代ぐらいの若者は夜型、そして加齢によりだんだん朝型に戻って60歳ぐらいは朝型になり、後期高齢者になると超朝型になりますが、これは社会的な(要因による)ものではなくて生物学的変化です。なので、中高生や大学生、若い社員を含めた若者を朝たたき起こすのは非生産的と言えます。

 この後、私の研究について触れます。25年から30年近く前に「オレキシン」という(睡眠と覚醒を制御するために重要な役割を果たしている神経ペプチド)物質を発見しました。その経緯は今回お話しませんが、純粋な生化学的手法で発見しました。

 オレキシンは脳内の覚醒系の親玉みたいな立場で、その作用を薬理学的にブロックすると眠くなるわけです。このアイデアは既に実用化されていて、処方睡眠薬として3種類の薬が使われています。これらはオレキシン(受容体)拮抗薬という全く新しいタイプの睡眠薬です。自分でいうのは何ですが、オレキシン拮抗薬は本当にいい薬です。耐性や依存性、さらに長い間使っていて急に服用を止めるともっと眠れなくなる性質などそういうことがありません。長年睡眠薬を使っている人がいるかもしれませんが、そのように「癖にならない」といった顕著な特徴があります。

オレキシンの説明をする柳沢正史氏
オレキシンの説明をする柳沢正史氏

怖い睡眠時無呼吸症候群

 自覚している睡眠の時間や質はあてになりません。(柳沢教授らが開発した脳波計測などによる客観的な睡眠の質検査法を使った)日本人を対象にした調査では、自分は十分睡眠を取れていますと言う4割5分は睡眠不足で、逆に不眠を訴える人の3分の2は客観的にはよく眠れていました。本当に眠れていない人は3分の1でした。これを「睡眠誤認」と言います。これが不眠症の(訴えの)実態です。

 また、自分の睡眠に問題ありませんという人の4割は(睡眠に良くない)睡眠時無呼吸症候群が見つかっています。睡眠時無呼吸症候群は若い間は圧倒的に男の病気です。女性ホルモンの作用が関係しているらしい。ところが女性も中高年、高齢になると割合が増えて最終的には1対1になります。

 睡眠学的にはお酒は良くなくて、寝付けはしますが睡眠の質は悪くなります。深睡眠もレム睡眠もなくなります。無呼吸も誘導される。私もお酒は好きで「飲むな」とは言いませんが、お酒を寝るために飲む、睡眠薬代わりに飲むのはやめください。睡眠学的な理想では就寝時間の3時間前、できれば4時間前までに、量は少ないですが「1ポーション」(1ドリンク)でしたら問題ないです。

 無呼吸症候群の人でも夜間、CPAP療法(経鼻的持続陽圧呼吸療法)をやっていると理想的な睡眠が取れています。しかしやっていないで放置して重症になると怖いです。重症の無呼吸症候群を放置すると、12年間の調査で心筋梗塞や大動脈解離とか脳卒中といった致命的な心血管障害で(重症患者の)2割近くが亡くなっています。しかし治療をすればそのリスクは抑えられます。

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野生動物にとってメディアは諸刃の剣―情報の「裏側」への意識を(安家叶子/ROOTs代表・国際自然保護連合日本委員会副会長) https://scienceportal.jst.go.jp/explore/opinion/20250521_e01/ Wed, 21 May 2025 07:12:02 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=54107  皆さんは、テレビやインターネットで野生動物のコンテンツを見て、心が動かされた経験はないだろうか。画面の向こう側に映る力強さ、繊細さ、時にはかなく見える姿。メディアを通して知った、厳しい野生の世界で生きるさまに心を奪われ、彼らのことをもっと知りたくなって研究者を目指すことになった。しかしメディアは、野生動物にとって好ましくない状況を生むこともある。私たち一人ひとりにできることは何かを考えたい。

安家叶子氏
安家叶子氏

増えるよりも速い取引が野生動物を絶滅に追いやる

 テレビには、時に人生を変えるほどの力がある。最近も、ボツワナの野生動物を扱ったドキュメンタリー番組をきっかけにリカオン(アフリカに生息するイヌ科の動物)の研究者を目指す高校生から連絡があり、メディアが夢や希望を与える力を改めて感じた。しかし、私たちが目にする野生生物の描かれ方が、知らず知らずのうちに彼らを危険な状況に追いやることもある。

筆者の研究対象種のリカオン。アフリカで最も絶滅に近い哺乳類の一種と言われる
筆者の研究対象種のリカオン。アフリカで最も絶滅に近い哺乳類の一種と言われる

 「持続可能ではない野生生物取引」という言葉を聞いたことがあるだろうか。簡単に言うと、野生の生き物たちが自然の中で子どもを産み増えるスピードよりも速く、人間が彼らを採取したり捕まえたりして、取引されることだ。

 この取引は、ペット飼育はもちろん、飾り物、食べ物、薬の材料など、いろいろな目的で行われている。爬虫類、鳥、ほ乳類、魚、昆虫など、対象はさまざまだ。

 何かのきっかけで人気が出ただけで、あっという間に自然の中から姿を消してしまう動物もいる。SNSやテレビで人気が急上昇したコツメカワウソはその典型で、ペットとしての需要から密輸が横行し、国際取引が原則禁止されるほど野生での数が減ってしまった。また、動画サイトなどで見られる愛らしい姿によって生態が誤解されたまま人気となった霊長類のスローロリスも、ペット目的の違法な捕獲や取引によって、野生での生存が脅かされている。

 こうした捕りすぎが、多くの野生生物を絶滅の危機に追いやる大きな原因になっているのだ。自然界のバランスを崩し、外来生物の問題や、新しい感染症が広がる危険までも大きくする。

アフリカでの研究風景。この広大な大地で多種多様な生き物が関わり合いながら暮らす
アフリカでの研究風景。この広大な大地で多種多様な生き物が関わり合いながら暮らす

光が当たりにくい違法取引の「需要側」

 特に問題なのが、違法な野生生物取引だ。薬物や武器の密輸にも匹敵すると指摘されるほど巨大な違法市場を形成しており、象牙を目的としたアフリカゾウの密猟のように、組織化された犯罪グループが関与しているケースも少なくない。

 インターポール(国際刑事警察機構)が2023年に133カ国と連携して行った野生生物の違法取引に対する一斉摘発では約500人が検挙され、絶滅の恐れがある種を含む2100件以上の動植物が押収された。インターポールの事務総長は、これらの犯罪の多くが「暴力、汚職、金融犯罪などの国際組織犯罪グループと強いつながりがある」と指摘しており、その根深さを物語っている。海外では「アルバイト」感覚で勧誘された若い日本人が希少動物の運び屋として利用され逮捕される事例も報告されている。その背景には、日本を含む先進国など、買う側の国々からの強い需要があることが分かっている。

2024年の生物多様性条約締約国会議(COP16、開催地コロンビア)にて、消費国の需要が供給国の密猟問題に繋がる現状について、アフリカ諸国の参加者から話を聞き、議論
2024年の生物多様性条約締約国会議(COP16、開催地コロンビア)にて、消費国の需要が供給国の密猟問題に繋がる現状について、アフリカ諸国の参加者から話を聞き、議論

 ワシントン条約などの国際ルールや各国の法律による取引規制は存在するが、密輸や法の抜け穴を突く取引は後を絶たない。また、規制はどうしても「供給側」(捕獲や密輸をする人)への対策が中心になりがちで、その根本にある「需要側」、つまり、欲しがる人や利用する人の問題には、なかなか光が当たりにくいのが現状だ。

需要を刺激するメディアの影響力と責任

 では、野生生物を「欲しい」「買いたい」という気持ち(需要)は、どこから生まれてくるのだろう。 その背景には、私たちの日常に深く入り込んでいる「メディア」の影響があることが、研究や専門家によって指摘されている。

 これは「メディア・フレーミング」とも呼ばれ、メディアが特定の情報(例えば、動物のかわいらしさや珍しさ)を強調したり、逆に一部の情報(飼育の難しさや生態系への影響など)を伝えなかったりすることで、私たちの生き物に対する印象や認識が無意識のうちに形作られていく現象を指す。

 テレビ番組、映画、インターネット動画、SNS、広告などで珍しい動物が愛らしく描かれたり、簡単に手に入るかのように紹介されたりするのも、その一例と言えるだろう。結果として、「触ってみたい」「飼ってみたい」という気持ちが刺激されることがあるのだ。

 もちろん、情報を受け取る私たち自身の知識や判断力(メディアリテラシー)を高めていくことも非常に大切だ。しかし、それと同時に、情報の発信源であるメディアが持つ大きな影響力と、その発信に伴う責任も忘れてはいけない。メディアでの動物の扱いが時に視聴者から批判を受け、いわゆる「炎上」につながるケースも少なくない。

 例えば、希少動物をペットのように見せる演出が「安易な飼育を助長する」として視聴者や専門家が強く批判し、番組に協力していた動物園からも抗議の声が上がった事例がある。ある人気番組が生態系に関する誤った情報を発信したとして専門家から指摘を受けたり、特定の地域で実施した希少種捕獲のロケ企画の内容が問題視され、地元議会が放送局へ公式な抗議文を送付したりしたケースも報じられている。タレントが動物園の飼育エリアに落下し、動物への配慮や安全管理のあり方が厳しく問われたことも記憶に新しい。

表現内容や動物への配慮の監修、リテラシー研修を実施

 こうした現状から、私は「需要」に影響を与えるメディアの役割に着目した。本来メディアには、人々の価値観を動かす素晴らしい可能性がある。そこで作り手であるメディア企業やクリエイターの方々と連携し、表現を通じて自然への敬意や共感を育むことができれば、社会を良い方向に動かせると信じ、「ROOTs(Rooting Our Own Tomorrows)」を立ち上げた。メンバーには動物福祉に詳しい法獣医の専門家、生き物の研究に情熱を燃やす学生、ビジネスの視点を持つコンサルタントなどが名を連ね、それぞれの知見を共有しながら活動している。

 ROOTsでは主に二つの取り組みを行っている。一つは「クリエイティブ・サポート」だ。テレビ局や制作会社、広告会社などに対して、野生生物に関する専門的な情報を提供したり、表現内容が誤解を招かないか、動物への配慮がなされているかなどをチェックする監修サービスを行ったりするほか、社員全体のリテラシーを上げるための社内研修やガイドライン導入を実施している。

 例えば、私はTBS系列のドラマ『Eye Love You』で、ラッコをはじめとする登場動物に関する監修を実施した。主な役割は、研究室の雰囲気、研究対象となる動物種の選定、彼らが置かれる状況設定など、リアリティを高めるため物語の土台となる設定段階からアドバイスをすること。さらに台本においては、動物の描写が生態学的に正確であるか、そして誤解を招いたり不適切だったりする表現が含まれていないかを細かくチェックした。

作品の向こう側にある「命」への想像を

 もう一つが「クリエイター・パートナーシップ」。クリエイターの中には野生生物や自然に対し、深い敬意と忍耐を持って向き合い、対話を重ねながら創作活動をされている方もいる。

 しかし、誰もが発信者になれる今の時代では、丁寧な創作活動よりも、一瞬の注目を集める内容の方が評価されやすい面もある。私たちは、本来評価されるべきクリエイターたちの情熱や、作品に込められた思いがより多くの人に届くよう、作品の「向こう側」を発信し、応援していきたいと考えている。

 その一つが『クリエイターインタビュー』だ。作品の「向こう側」にある制作プロセスや自然との向き合い方、そして作品に込められた思いや願いを取材し、発信していく。動物絵本作家の高岡昌江さんは、丁寧な取材と生き物への深い敬意から、安易な「かわいい」という言葉だけに頼ることなく、思いを込めた真摯な言葉を一つひとつ紡ぎ出してくれた。

 また、元昆虫研究者のイラストレーター、横山拓彦さんは、研究者ならではの鋭い観察眼をもって、見る者を圧倒する細密画を描き、生き物の世界の奥深さや驚きを伝えてくれる。クリエイターたちが示すこうした自然への敬意、創作への情熱、作品に託された思いや願い、そして彼らのまなざしを通して改めて発見する“生き物たちのわくわくするような魅力”を伝えるインタビューを、順次公開していきたい。

クリエイターとの協力を通じて、子どもたちに自然の大切さを伝えたイベント(TBS「地球を笑顔にする広場」)展示より
クリエイターとの協力を通じて、子どもたちに自然の大切さを伝えたイベント(TBS「地球を笑顔にする広場」)展示より

 メディアが持つ力は、野生動物にとって「両刃の剣」だ。大切なのは、私たち一人ひとりがメディアの情報にどう向き合うか。一つ一つの映像や写真の裏にある影響を想像し、画面の向こう側にいる「命」を思うこと。そうした意識の変化こそが、「野生生物を守りやすい社会」を築くための、確かな一歩になると信じている。

筆者が描いたリカオンのイラスト
筆者が描いたリカオンのイラスト
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超早期に疾患を予測・予防できる社会へ ムーンショット研究者たちが公開対話 https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20250512_e01/ Mon, 12 May 2025 06:51:56 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=54032  健康で長生きしたい―大小あれど、ほとんどの人が抱く願いと言って良いだろう。そんな願望に一歩でも近付こうと、国が推進する研究開発プロジェクトがある。ムーンショット型研究開発事業の目標2「2050年までに、超早期に疾患の予測・予防をすることができる社会を実現」(以下「目標2」)だ。研究開始から約4年半が経過した3月29日、東京・お台場の日本科学未来館で「公開フォーラム2025―治すから防ぐ医療へ(主催:科学技術振興機構=JST)」が開かれた。

目標2全体を統括するプログラムディレクター(PD)を筆頭に、5つのプロジェクトでリーダーを務めるプロジェクトマネージャー(PM)が勢ぞろい。現地・オンライン合わせて170人超が参加した。
目標2全体を統括するプログラムディレクター(PD)を筆頭に、5つのプロジェクトでリーダーを務めるプロジェクトマネージャー(PM)が勢ぞろい。現地・オンライン合わせて170人超が参加した。

「未病」段階で積極介入、健康な状態に引き戻す

 かの楊貴妃が不老不死を追い求めた時代から1300年が経った今も、健康や長寿は人類にとって不変のテーマであり続けている。むしろその願望は、個人の域を超えたといって良い。ひっ迫する医療リソースや膨らみ続ける社会保障費が、私たちの将来に暗い影を落としているからだ。

 加えて、ひとたび重大疾患を患うと、生命の危機はもとよりQOL(生活の質)までもが著しく低下する。10のプロジェクトを傘下に置くムーンショット事業共通のミッションである「ウェルビーイング(心身の健康)」を成し遂げるためにも、「治すから防ぐ医療へ」の実現は悲願といえるだろう。

目標2のPDと、5人のPMが担当するプロジェクト(PJ)名(イベントのフライヤーより)
目標2のPDと、5人のPMが担当するプロジェクト(PJ)名(イベントのフライヤーより)

 ところで、現在の「医療」が既に病気へ罹患した人に対処する行為であるのは言うまでもない。しかし目標2が目指すのは、発病に至る前の「未病」段階を予測し、健康な状態に引き戻すべく積極的な介入を行うことで、重大疾患への移行や重症化を未然に防ぐというもの。だが、未病の定義がややこしく難しい。

膨大なデータを数理モデルで分析、定量的な特定へ

 この難しさの定義付けに挑んだのが、1人目の登壇者の合原一幸さん(東京大学 特別教授/名誉教授)。数理工学の専門家である合原さんは未病の定義について「従来は定性的に幅広く捉えられており、『ここが未病の状態だ』と特定するのが難しかった。しかし膨大な生体データを数理解析することにより、定量的な特定が可能になった」と研究の成果を強調した。

合原一幸さん
合原一幸さん

 健康な人は、多少体調を崩しかけても休息をとれば回復することが大半だ。他方、未病状態にある人は、そのまま放置すると状態が大きく悪化して発病してしまう傾向にあるという。こうした人のさまざまな生体指標を数理解析すると、発病の直前に遺伝子発現のゆらぎが異常に増えるなどの変化が起こることが分かり、合原さんはこの変化をもとに介入すべき未病状態の人を特定するに至った。

健康状態から未病状態を経て、病気状態へと至るイメージを描いた図。合原さんは未病状態の人に発現する生体指標の変化を「ゆらぎ」と表現している(合原さん提供)
健康状態から未病状態を経て、病気状態へと至るイメージを描いた図。合原さんは未病状態の人に発現する生体指標の変化を「ゆらぎ」と表現している(合原さん提供)

 非常に興味深かったのは、こうした予兆検出の方法論は電力網の安定性や経済動向、交通渋滞などの場面とも共通するという合原さんの弁。目標2では多くのプロジェクトが合原さんらと組み、数理モデルや数理解析を取り入れた分野横断型の研究で成果を上げている。医療分野へデータサイエンティストが盛んに参画するようになれば、さらに研究が加速されるのではと期待を抱かせる内容だった。

がん抑制メカニズムを解明、社会制度改革の機運醸成

 ここからは疾患別の事例が紹介され、初めに登壇したのは大野茂男さん(順天堂大学大学院医学研究科 特任教授)。大野さんの研究は、がん化する前の症例を集め、そこで何が起きているのかを調べるもの。こうした症例の収集は従来あまり行われてこなかった。

大野茂男さん
大野茂男さん

 既知のとおり、がんは細胞の遺伝子変異が蓄積されることによって引き起こされる。しかし最近の研究では、正常な細胞でも遺伝子変異が起きていることが分かってきた。そこで大野さんらの研究チームは、人間には本来、遺伝子が変異してもがん化には至らないよう抑制するメカニズムが備わっているはずだと仮説を立て、がん発症プロセスの解明などを推進している。

 課題もある。従来行われていなかった取り組みであるが故に、普及には社会制度改革や臨床試験の迅速化などが求められることだ。そのために大野さんは、国民と産業界を巻き込んだムーブメントが必要だと考えており、「研究成果が機運醸成の引き金となれば」と意気込んでいた。

糖尿病を予測、スマートウォッチや顔画像も活用

 続いて登壇した片桐秀樹さん(東北大学大学院医学系研究科 教授)は、糖尿病を研究対象としている。厚生労働省の最新調査によると、国内で糖尿病の治療を受けている人の数は550万人超。がんや脳卒中と並び、国の5疾病に数えられる国民病だ。

片桐秀樹さん
片桐秀樹さん

 糖尿病の厄介なところは、症状が現れないうちに進行するところにある。そこで、採尿や採血といった患者に負担がかかる従来型の手段ではなく、簡便な方法で日常的なモニタリングを促進することで「早く知って、早く防ごう」というのが片桐さんのチームの主な取り組みだ。

 チームの研究では、スマートウォッチを活用した方法はもちろんのこと、顔の静止画像から糖尿病の超早期予備軍であることを予測する技術にも見通しが立ったという。いずれも特許出願できるところまで研究が進んでおり、実用化が期待される。

 片桐さんは「医者には患者の生活を制限する権利などない。患者が追求する幸せをできる限りサポートしたい」と患者に寄り添う姿勢を示し、話題提供を結んだ。

認知症の兆候をつかむ、脳と臓器の相互関係から

 休憩をはさんだ後半のトップバッターは高橋良輔さん(京都大学大学院医学研究科 特命教授)。高橋さんは認知症の原因として指摘される、脳に異常たんぱく質がたまるメカニズムを解明するとともに、脳との「相互関係」によって臓器へ出現する兆候をつかみ、発症を未然に防ごうとしている。

高橋良輔さん
高橋良輔さん

 この相互関係として興味深いのが、異常たんぱく質は脳へ蓄積する前に腸管にたまるケースが多いことで、認知症の1つであるパーキンソン病の発症前には便秘を訴える人も多いという。ただし、便秘だけを理由に認知症を疑うことは当然不可能であり、研究によって因果関係をさらに証明していくことが必要だと高橋さんは考えている。

 高橋さんは未病期に適切な介入をするための具体策として「バイオマーカーや発症予防法の開発が最終目標」と意欲を語った。

ウイルス感染時の身体反応、パターンごとに予防策を開発

 最後の登壇者である松浦善治さん(大阪大学微生物病研究所 特任教授)は、やや趣が異なる感染症の未病期介入に取り組んでいる。感染症は先の話題提供にあった疾病と違い未病期が短い場合が多く、その兆候も捉えづらい。そこで松浦さんは、重症化に至るメカニズムなどの解明を目指している。

松浦善治さん
松浦善治さん

 研究チームはウイルスへ感染したときの身体反応を、免疫学と数理科学の連携によって分類。パターンごとの特徴に応じた予防策を開発することで、未知の感染症に対する超早期治療を可能にし、まん延を防ごうとしている。

実験で得た膨大なデータを数理科学チームに託し、自然界にあまたある感染症のパターン分類を目指している(松浦さん提供)
実験で得た膨大なデータを数理科学チームに託し、自然界にあまたある感染症のパターン分類を目指している(松浦さん提供)

 新型コロナウイルス感染症やエボラ出血熱など、近年人類を不安に陥れた感染症の多くは動物が感染源とされる人獣共通感染症だ。ただ、これ自体は驚くことではなく、新興感染症の実に75%が人獣共通であると松浦さんは指摘。人為的要因で生態系の健全性を損なうことがパンデミックを招くとして、「ワンヘルス(人間、動物、環境の一体的な健全状態を目指す考え方)」の重要性を訴えた。

外れるかもしれない治療をするか、患者側の姿勢も問われる

 最後のパートでは全登壇者によるパネルディスカッションが行われた。この日ファシリテーターを務めた科学コミュニケーターの本田隆行さんは、10代学生が事前に寄せた「『予防する医療』では、特定する条件が限られていても病気だと診断するのか」という質問を紹介。

本田隆行さん
本田隆行さん

 この問いに反応した目標2プログラムディレクターの祖父江元さん(愛知医科大学 理事長・学長)は「簡単なようで、本質的な難しい質問だ」と頭をかいた。「患者へリスクとして伝え、予防する努力を促すことはできる。しかしいつ頃、何%の確率で発症するのかを問われると容易ではない」と、今の医療における「診断」との違いを指摘。膨大なデータに基づいて多角的に確度を高めることが肝要だとした上で、「天気予報のような確率論なので、利用価値を高めるための仕組みも目標2で試行する必要があるだろう」と考えを述べた。

祖父江元さん
祖父江元さん

 これに対し高橋さんが「降水確率30%だと、傘を持っていく人といかない人に分かれるだろう。外れるかもしれない可能性を許容して、それでも治療するか否か、患者は選択を迫られることになる」と課題を上げると、「患者側の姿勢も問われてくる」と本田さんも合いの手を入れた。

7割が容認の姿勢を見せる、課題はルールづくり

 パネルディスカッションの後半は、ELSI(倫理的・法的・社会的課題)についての話題が展開された。従来にない概念ともいえる未病期への介入は、先の議論にもあったとおり患者側も無関心ではいられない。目標2の一環として日本科学未来館で行った調査では、予防のために生体データが使われることに7割が容認する態度を見せたというが、比較的高関心層が集まる場で行われた部分は割り引いて捉える必要があるだろう。

 そもそも詳細な生体データは個人情報に限りなく近い、慎重に利用されるべき情報だ。このことは目標2の面々も課題として捉えており、ルールづくりを急ぐ発言が度々見られたのも印象的だった。

 祖父江さんは目標2の進捗について「いくつかの光が見えてきた」と手応えを語るとともに、「次の世代に大きなインパクトを残せる」と研究の価値に触れた。その「価値」を示すかのように、ムーンショット事業には巨額の国費が投入されている。だからこそ国民へ成果や課題を包み隠さずに伝えていく場は、今後も必ず続けていくべきだろう。

 そして、国民をしっかりと巻き込んだ議論により、今の医療では定義できない「未病期介入」のあり方が形づくられていくことに期待したい。

イベント後には日本科学未来館の科学コミュニケーター加藤昂英さんによる館内ツアーも催された
イベント後には日本科学未来館の科学コミュニケーター加藤昂英さんによる館内ツアーも催された
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「柔軟な心を育てる教育」「考え続けること」の大切さ共有 ハラリ氏囲み東大で公開イベント https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20250507_e01/ Wed, 07 May 2025 04:53:39 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=53975  世界各国で出版された「サピエンス全史」などの著者でイスラエルの歴史学者・哲学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏が来日した。その言動が注目されている同氏を囲んだ公開イベント「デジタル時代の教育と科学の役割」が3月17日に東京大学安田講堂(東京都文京区)で開かれた。 議論や意見交換を通じてハラリ氏は「加速化する時代の変化に対応できる『柔軟な心』を育てる教育の重要性」を強調した。

 ハラリ氏は斬新な視点で人類史を考察し、「世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)」などの国際会議や各国での講演の場を通じ、人工知能(AI)に代表される先端テクノロジーの進歩が人間社会に与える影響について積極的に発言している。この中で、過去の技術が人間の手にあった道具であったのに対し、AIは自ら決定する能力を持ち得るため、人間の対応力が問われるなどと問題提起してきた。

 東大安田講堂で行われた公開イベントは東京大学国際高等研究所東京カレッジ、ドイツ日本研究所、河出書房新社が共催した。科学と社会の関係に詳しい林香里・東京大学理事・副学長・教授と江間有沙・東京大学東京カレッジ准教授も参加。江間氏はどんなにAIが進歩しても「世界の問題を考え続けること」の大切さを指摘した。AIの進歩は予測不可能だが、利便性とリスクをしっかり認識しながら開発と規制のバランスを取ること、そして人間しか持たない感情や共感力、創造性の可能性に期待する視点が印象的だった。

 約1時間半にわたる、ハラリ氏を中心とした貴重なやり取りの中からテーマに即したポイント部分をレポートする。

「デジタル時代の教育と科学の役割」案内図の一部(東京大学国際高等研究所東京カレッジ提供)
「デジタル時代の教育と科学の役割」案内図の一部(東京大学国際高等研究所東京カレッジ提供)
ユヴァル・ノア・ハラリ氏
ユヴァル・ノア・ハラリ氏

生成AIの能力を評価しつつリスクを警鐘

 公開イベントのやり取りやハラリ氏の発言の真意を理解するために同氏のプロフィールを改めて紹介する。

 ハラリ氏は1976年、イスラエル北部のキリヤトアタ生まれの49歳だ。同国のヘブライ大学、英国のオックスフォード大学で中世史、軍事史を学び、2002年に博士号取得。現在、ヘブライ大学教授、英ケンブリッジ大学特別研究員を務めている。

 「サピエンス全史」は世界60カ国以上で出版されたとされる。このほか「ホモ・デウス」などの著書の累計は全世界で4500万部を超え、邦訳も多い。近著に情報ネットワークの歴史と今直面する危機の関係に焦点を当てた「NEXUS 情報の人類史」(河出書房新社)がある。

 2018年のダボス会議では基調講演を行い、AIやバイオテクノロジーの発展により人間の身体や心、社会構造にどのような影響を与えるかの課題をいち早く指摘。20年のダボス会議でも講演し、AIにより個人データが収集、解析される危険性を強調している。

 ダボス会議での発言は出席した各国の指導者に大きなインパクトを与えた。報道内容や公開された講演内容から判断される2回の会議での共通した問題意識のポイントは、テクノロジーの進歩が人間の自由や社会構造に与える影響と、個人・プライバシー保護の重要性、さらに地球規模の課題に対処するための国際協力・連携の重要性だ。

 最近では、ここ数年世界的に普及している生成AIの利便性と課題についての言及も注目されている。AIの発展を否定せず、その潜在能力を評価しつつ無規制、無制限に使用するリスクへの警鐘だ。こうした危機感がこの日の公開イベントでの発言の背景にある。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏
ユヴァル・ノア・ハラリ氏

AIアルゴリズムが人間に代わる時代に

 公開イベント「デジタル時代の教育と科学の役割」はドイツ日本研究所所長のフランツ・ヴァルデンベルガー氏がモデレーターを務めた。近著「NEXUS 情報の人類史」を引き合いに「この本の中で情報は『ストーリー(物語)』を作るために使われていると書いているが」とその意味をハラリ氏にたずねた。

 ハラリ氏は「ストーリーを語れる人は力がある。今やそうした力を持てるのは人間だけでなく、AIも新しいストーリーを開発できる存在だ」と述べた。ストーリーを使って情報を伝えたり、印象付けたりする手法「ストーリーテリング」が注目されており、最近ビジネスやマーケティングなど広い分野で活用されているこの手法を念頭に置いた発言とみられる。

 東京大学副学長を務めながら社会情報学担当の教授で、同大学Beyond AI研究推進機構「AIと社会」創設ディレクターも務める林氏は、メディアのデジタル化が進んで誰もが発信でき、ジャーナリストになれる現象を指摘した。そして「誰でも社会のどこにいても自分自身のストーリーを作り出している」とAI時代、SNS時代の新たなメディアやジャーナリズムをめぐる課題を指摘し、「事実確認(ファクトチェック)は今のジャーナリストの世界では難しいが、デジタル化が進んでいる時代ではしなければならない」と述べた。

 「これまで人間が担ってきた編集の仕事を(AI)アルゴリズムが行うようになった。フェイスブックも旧ツイッター(X)もアルゴリズムが編集の仕事を人間から奪っている。AIが単に人間の書いた記事を編集するだけでなく自分でストーリーをつくる時代が来ている」。ハラリ氏はこう強調している。

「情報ネットワーク」の歴史と今直面する危機の関係に焦点を当てた「NEXUS 情報の人類史」(上・下)の表紙(河出書房新社提供)
「情報ネットワーク」の歴史と今直面する危機の関係に焦点を当てた「NEXUS 情報の人類史」(上・下)の表紙(河出書房新社提供)

求められる「AIガバナンス」

 東京大学東京カレッジの江間氏は科学技術社会論が専門で、AIやロボットを含む情報技術と社会の関係について研究し、特にAIガバナンスの問題に詳しい。

 江間氏は「AIアルゴリズムは我々の世界や認知的考え、ソーシャルメディアといったものに影響を及ぼしている。ただ、ファクトチェックとかAIガバナンスとか(人間による)メカニズムが良い方で機能するならば悲惨な、カオスのような状況にはならないのではないか」と述べ、AIによる製品やサービスに対して人間が責任を持つことの重要性を強調した。

 ハラリ氏は「AIは行為主体として大きなパワーを持っていて、今や金融の世界でも軍事の世界でも行為の主体になっている」としながらも、「究極的な責任はやはり人間にある」と江間氏と認識を共有していた。そして、AIアルゴリズムのガバナンスはSNSを運営する事業者が担うことから「事業者の責任」を指摘。「AIが関係していることが開示されなければならない」と語り、必要に応じて法律による規制も必要との考え方を示している。

 討論、議論はAIと教育の問題に移った。「社会のデジタルトランスフォーメーション(DX)化が進んで教育が果たすべき役割は何か」はこの日の公開イベントの重要テーマだ。

 「世界は10年後どのようになるか分からない。このため我々教育者の責任はより大きくなっている」「人間は生きている間はずっと(時代、社会の)変化を学習し続ける。今、最も重要なのは教育が、加速化する(時代の)変化に若者が対応できる『柔軟な心』を育てることができるかどうかだ」。イスラエルのヘブライ大学の教壇にも立つハラリ氏のこの指摘は重い。

左からヴァルデンベルガー、ハラリ、林、江間の各氏
左からヴァルデンベルガー、ハラリ、林、江間の各氏

AIが進歩するだけに「批判的思考」が重要

 そしてハラリ氏は、AIが持つことができない、人間特有のものが感情であり、意識だという。大学の教育でも「身体と感情を(上手に)つなげなくてはならない」と言う。「身体」が何を指すのか抽象的だが、DX化の中で生じるさまざまな感情を自分(身体)がうまくバランスを取る大切さを説いた発言とみられる。

 今の時代の教育の役割について江間氏はこう述べている。「世界に対し、社会に対して好奇心を追求し、継続して考え続けることがよいことであると教えることが教育の役割だと思う。生成AIに質問すると良い答えもあるが間違った情報も含め何らかの答えが戻ってくる。このため自分で考えることをやめてしまうリスクがある。私たちは社会的、政治的、環境的な問題、世界に関する問題について考え続けなければならない。継続して考え続けることがクリティカルシンキング(批判的思考)につながるかもしれない」。

 生成AIは教育の現場でも普及している。AIによる社会の利便性が注目されるだけに批判的思考がますます重要になってくるのだという。

 東京大学の副学長でもある林氏はAI時代に対応するために学内で進めている学際的取り組みの具体例を紹介した。続いてモデレーターのヴァルデンベルガー氏が、「大学は(基本的に)マス教育、大衆教育だがAIを使うことによって教育をパーソナライズ(個別化)できるのではないか。そうすると危険もあるのではないか」と述べ、ハラリ氏に教育の個人化について考えをたずねた。

 ハラリ氏は「教育の個別化はAIのポジティブな可能性の一つだ」としつつ、AIと「親密な関係」をつくってしまうと人間同士の双方向の親密性が阻害される恐れがあるとの見方を示した。

江間有沙氏
江間有沙氏
林香里氏
林香里氏

自分を見失わないように「情報ダイエット」が必要

 公開イベントの終盤で議論のポイントは「AI規制に関して日本が果たせる役割」に移った。

 江間氏は2023年5月に広島で開かれた先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)で決まったAI規制の国際枠組み策定のための「広島AIプロセス」を紹介。「日本は米国のようなAI技術は持っていないが、開発競争が激化する中で米国、欧州、中国とも異なる日本は仲介者になれるのではないか」と述べた。また開発と規制は車の両輪で両者のバランスの重要性も指摘した。

 ハラリ氏は「AIが人間のコントロールを外れてしまわないように全ての国が協力すべきだ」と国際協調の重要性を訴えた。林氏は「日本社会はお互いの信頼があり、安心感がある、安定していると感じられる社会だ。相手を思いやる、共感するという視点から日本は(AIの開発と規制について)何か貢献できるのではないか」と語っていた。

 公開イベントの最後に会場からの質疑が行われた。「友人が陰謀論を信じ始めている。どうしたらいいか」との質問に対するハラリ氏の回答は「多くの人が陰謀論に陥るのは彼らが社会に対する信頼を失い、阻害されていると感じ孤独感を持っているからで、まずは彼らと事実に基づいて議論することで、鍵は互いに共感を持つことだ」。

 また高校生の「SNSの投稿で『いいね』を期待するあまり自分の個性が失われつつあると感じる」との問いに対しては「ジャンクフードばかり食べていると健康を害するようにジャンク情報しか入らないと不健康な精神状態になる。(ネット上にあふれる)情報のダイエットをする必要がある」とアドバイスしていた。

 ハラリ氏を中心とした4人の議論、討論は「AI技術の進歩に対して人間ができること、人間がすべきこと」を考える上で示唆に富んでいた。

進行役のヴァルデンベルガー氏(一番左)の問いかけを聞くハラリ、林、江間の各氏
進行役のヴァルデンベルガー氏(一番左)の問いかけを聞くハラリ、林、江間の各氏
ユヴァル・ノア・ハラリ氏
ユヴァル・ノア・ハラリ氏
公開イベント会場になった東京大学安田講堂
公開イベント会場になった東京大学安田講堂
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ノーベル賞受賞者が語る生命の未来~先端技術 「ノーベル・プライズ・ダイアログ東京2025」開催 https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20250423_e01/ Wed, 23 Apr 2025 06:14:57 +0000 https://scienceportal.jst.go.jp/?post_type=explore&p=53903  ノーベル賞歴代受賞者が集い、自身の研究の講演や、これからの科学について議論を交わすイベント「ノーベル・プライズ・ダイアログ東京2025」が3月9日、横浜市で開催された。今回の副題は「生命の未来~先端技術とわたしたちのこれから~」。人間らしさと科学のかかわり、遺伝子に関する技術の進歩、コンピューターや生成AI(人工知能)など多岐に渡るテーマについて研究者たちが話し合った。(カッコ内はノーベル賞受賞年と分野)

ノーベル・プライズ・ダイアログ東京2025では、ノーベル賞受賞者らがAIとヒトとの違いなどについて討論した(2025年3月、横浜市のパシフィコ横浜)
ノーベル・プライズ・ダイアログ東京2025では、ノーベル賞受賞者らがAIとヒトとの違いなどについて討論した(2025年3月、横浜市のパシフィコ横浜)

 イベントはスウェーデンのノーベル財団組織と日本学術振興会の共催で行われた。

ヒトとロボットは何が違うのか

 まず、ヒトの歴史をたどるために、スバンテ・ペーボ氏(2022年、生理学・医学)がネアンデルタール人はなぜ滅んだのか、また、現生人類とどのように違うのかについて、自身の研究内容を踏まえて講演した。ペーボ氏は4万~5万年前の骨をゲノム解析し、ネアンデルタール人固有のDNAを調べている。

 ペーボ氏によると、ネアンデルタール人のゲノムの中には現生人類に受け継がれているものがあるという。しかし、現生人類が世界各地に広がり、人口が増え、文化や技術の進化があって、ネアンデルタール人は滅んだ。

今の人の祖先はアフリカ大陸から広まったと語るペーボ氏(2025年3月、横浜市のパシフィコ横浜)
今の人の祖先はアフリカ大陸から広まったと語るペーボ氏(2025年3月、横浜市のパシフィコ横浜)

 このように、人間も「絶滅」する可能性があるというプロローグ講演の後、人間とロボットの関係性について研究者が語り合った。

 リチャード・ロバーツ氏(1993年、生理学・医学賞)は、ヒト発祥の地であるアフリカには動物も多く住んでいるが、これら動物と人間を分けているものは「脳」であると指摘した。そして、今回のシンポジウムのテーマである先端技術に絡め、ロボットは「洞察や問いを立てることができるのか。好奇心を持っているのか」と問題提起した。

 これに乗じ、元京都大学総長で霊長類学者の山極壽一氏が「ゴリラと(人が)話すとき、態度や表情でお互い理解できる。ロボットは曖昧(あいまい)さを伝えたり、感情的な会話をしたりすることはできるのか」と尋ねた。ゴリラは、時として我々を驚かせるような高い知能を示すとされる。

「現生人類は知識に基づき知性が生じ、複雑な情報の統合化ができるようになった」と解説する山極壽一氏(スクリーン内、一番右の椅子、2025年3月、横浜市のパシフィコ横浜)
「現生人類は知識に基づき知性が生じ、複雑な情報の統合化ができるようになった」と解説する山極壽一氏(スクリーン内、一番右の椅子、2025年3月、横浜市のパシフィコ横浜)

 これに応じたのは、ロボット学者で、2025年大阪・関西万博でアンドロイドのパビリオンを出している大阪大学大学院基礎工学研究科教授の石黒浩氏だ。石黒氏は、両氏が指摘するような難解な対応は現時点では難しいとした。また、「ロボットかどうかは、会話で判別できる。短い会話ならロボットとできるが、長くなればヒトでないと分かる」とした上で、「あと20~30年で自然な会話ができるようになるはずだ」と展望を語った。

会場の一角に設けられた石黒浩氏のアンドロイド。話しかけると会話ができる(2025年3月、横浜市のパシフィコ横浜)
会場の一角に設けられた石黒浩氏のアンドロイド。話しかけると会話ができる(2025年3月、横浜市のパシフィコ横浜)

 だが、ロバーツ氏は「ヒトが賢くなるに従いクリエイティブになった。実を採るだけでなく、農業をやるようになった。ロボットは農業ができますか」とより踏み込んで問うた。そして、「誰がロボットをコントロールするのか。ロボットは我々を助けるのか。例えば科学者同士は意見が一致しなくても、殺さないで話ができる。AIは間違った方向で使わないようにしなければならない。プログラムに独裁主義が入っているなら取り除かないと。誤情報を入れないことが大切で、正しい問いをすることが必要だ」と、科学技術の使用に際し、警鐘を鳴らした。

 この後のセッションでも、AIや量子コンピューターには、プライバシーに注意した事項や正しい研究データ、人権に配慮した情報を入れるべきだという指摘が各研究者から相次いだ。

教育への期待 SNSにとらわれず真実見抜け

会場には様々な立場の研究者や市民が集まり、立ち見が出るほど盛況だった(2025年3月、横浜市のパシフィコ横浜)
会場には様々な立場の研究者や市民が集まり、立ち見が出るほど盛況だった(2025年3月、横浜市のパシフィコ横浜)

 続いて、「未来」をテーマに、近年横行しているフェイクニュースや疑似科学との向き合い方を討議した。

 まず、ロバーツ氏が過去にあった話として、「GMO(遺伝子組み換え作物)は収量・栄養を改善していけるが、ヨーロッパで米モンサント社(当時、独バイエルが買収)がGMOを展開しようとすると、グリーンピースという(環境保護)団体が『危険だ』と言い出した。反対すると(団体に)寄付が入ってきて、ハリウッドでもプロパガンダが流れた」という事例を挙げた。米ソーク研究所教授のジョセフ・エッカー氏は「テクノロジーのメリットが伝えられていない」とため息をつき、同調した。グリーンピースは、GMOは危険が多いとして、なくすよう活動している。

 この解決策として、科学とは少し異なる立場からも意見が出た。経済学者で九州大学主幹教授の馬奈木俊介氏は「ある物事についてリスクと考える人は、知識が増えても考え方を変えない。フェイクは真のニュースより早く広まることが知られるようになってきた。行動科学からいえるのは、(正しい情報の)出発点が重要だ」と述べた。

 ロバーツ氏は「人々は教育を渇望しているのに、教育をSNSが乗っ取ろうとしている。科学は(反対運動に)対抗したくても金を持っていない。ノーベル賞受賞者197人はGMOが良い技術であると署名している」と口にすると、馬奈木氏が「科学者がソーシャルメディアに届ける能力を持っていなくても、国連などの力を借りてやっていくべきだ」と進言した。

 エッカー氏は「子どもが救われるならそれを支持する。例えばインスリン注射が、『遺伝子組み替えだから与えない』とは言わないだろう」としつつ、「科学的に素晴らしいと言うだけでなく、相手の意見も受け入れる必要がある」と歩み寄る姿勢をみせた。

5歳の精神を忘れず、恐れず挑戦を

今回のイベントに登場したノーベル賞受賞者一覧
今回のイベントに登場したノーベル賞受賞者一覧

 最後のセッションでは、ノーベル賞受賞者のベルナルト·フェリンハ氏(2016年、化学)、アダ·ヨナット氏(09年、化学)、アンドリュー·ファイアー氏(06年、生理学・医学)、ウィリアム·D·フィリップス氏(1997年、物理学)、リチャード·ロバーツ氏、の5人が一堂に会し、当日の感想や、来場した研究者らへ伝えたいことを述べた。

 まずフェリンハ氏が「若い研究者と話して、エネルギーをもらえた。キャリアをどうするかといった話ができ、大学に身を置く理由がはっきりした。新鮮な気持ちになった」と切り出すと、ファイアー氏も「研究をすることは、コミュニティに貢献するリーダーになれると思う。誰かに言われて研究しているわけではない。若い研究者にはより良い世界を作っていただけると思うので、先に感謝しておく」と頭を下げて謝意を示した。

 続いて、フィリップス氏は「ノーベル賞受賞者は特別な科学者と思っているかもしれません。それは違う。確かにそういう人もいる。例えばシュレディンガー、アインシュタイン、ハイゼンベルクのように……そうならなくていい。クリエイティブはどんな環境でも生まれる。新しいことを学べば、価値がある」とあらゆる研究者にもチャンスがあると説いた。

 研究を続けるアドバイスとして、ロバーツ氏は「なんで失敗したのかな、と考えることができるから、成功しなくてもいい。学生が私のところに来て『うまくいきませんでした』と言うとき、私にとってはとても幸せな瞬間だ。私自身もこうしろ、ああしろと言われるのはいやだった。間違っていると思ったら、正しい方向を考えること」とした。ヨナット氏も「若い頃、なぜ、いかに自然はこのように働くのかと思った。なぜそうなのか、なぜこっちの方向に働くのかを考えてください」とゆっくりとした口調で呼びかけた。

今年86歳になるヨナット氏(左から2人目)は、娘に付き添われて会場に姿を見せた(2025年3月、横浜市のパシフィコ横浜)
今年86歳になるヨナット氏(左から2人目)は、娘に付き添われて会場に姿を見せた(2025年3月、横浜市のパシフィコ横浜)

 するとおもむろにフィリップス氏が立ち上がり、「私が液体窒素を幼稚園に持って行き、こぼすと、煙が出てすごく驚く」とわっと驚くジェスチャーをし、「その5歳の精神を忘れないこと」と締めくくると、会場からは盛大な拍手が沸き起こった。

フィリップス氏が席を立って会場の研究者に力強いエールを送ると、割れんばかりの拍手が起きた(2025年3月、横浜市のパシフィコ横浜)
フィリップス氏が席を立って会場の研究者に力強いエールを送ると、割れんばかりの拍手が起きた(2025年3月、横浜市のパシフィコ横浜)

 「わたしたちのこれから」は、AIがフェイクをさも本物かのように見せる一方で、恩恵を受けるという、いわば毒にも薬にもなるAIをどう取り扱うか、が大切になってくるだろう。現に、2024年のノーベル賞はAI関連が受賞している。

 ノーベル賞科学者というと恐れ多く、生真面目な方々のように思えるが、実は非常にユーモラスで、チャーミングな側面を持ち合わせていることが分かり、温かい気持ちで会場を後にした。

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