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[シリーズ]イノベーションの拠点をつくる〈3〉東京大学COI拠点 コヒーレントフォトン技術によるイノベーション 〜学術と産業の協創(湯本潤司 氏 / 東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 教授、理学系研究科附属フォトンサイエンス研究機構 機構長 COI拠点プロジェクトリーダー)

2015.06.19

湯本潤司 氏 / 東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 教授、理学系研究科附属フォトンサイエンス研究機構 機構長 COI拠点プロジェクトリーダー

 文部科学省と科学技術振興機構(JST)は、2013年度から「革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM※)」を始めた。このプログラムは、現代社会に潜在するニーズから、将来に求められる社会の姿や暮らしのあり方(=ビジョン)を設定し、10年後を見通してその実現を目指す、ハイリスクだが実用化の期待が大きい革新的な研究開発を集中的に支援する。そうした研究開発において鍵となるのが、異分野融合・産学連携の体制による拠点の創出である。本シリーズでは、COI STREAMのビジョンのもと、イノベーションの拠点形成に率先して取り組むリーダーたちに、研究の目的や実践的な方法を述べていただく。

 第3回は、「コヒーレントフォトン」と呼ばれる光科学の未解の領域に挑み、“生産”のパラダイムシフトを目指す、東京大学フォトンサイエンス研究機構長の湯本 潤司氏にご意見をいただいた。

※COI STREAM/Center of Innovation Science and Technology based Radical Innovation and Entrepreneurship Program。JSTは、「センター・オブ・イノベーション(COI)プログラム」として大規模産学官連携拠点(COI拠点)を形成し研究開発を支援している。詳しくは、JST センター・オブ・イノベーション(COI)プログラムのページを参照。

東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 教授、理学系研究科附属フォトンサイエンス研究機構 機構長 COI拠点プロジェクトリーダー 湯本潤司 氏
湯本潤司 氏

コヒーレントフォトンとは

 「コヒーレントフォトン技術によるイノベーション拠点」を説明しようとすると、まず、「コヒーレントフォトンとは何ですか?」という質問が返ってきます。これを正確に説明するには、それなりの時間がかかってしまいますが、一言で言うと、レーザー光と答えることができます。レーザー光は、DVDや光通信の分野で当たり前のように使われていますが、これを直接見る機会はほとんど無く、もしかしたら、舞台の照明として使われている赤や緑の光線が、一番なじみのあるレーザー光と言えるかもしれません。

 ただ、「コヒーレントフォトン」は、レーザーではあるものの、一般的に知られているレーザー光とは違い、時間幅の非常に短いパルス光、波長が10ナノメートル(nm)前後の深紫外線や、逆に、可視光よりも100倍、200倍も長い波長の光(「テラヘルツ光=THz光」と呼ばれている)など、特殊な性質を持っています。

 現在の技術では、短いパルス光として1フェムト(f)秒というパルス幅の光が実現されています。この「フェムト」という接頭辞は、10のマイナス15乗を表し、1フェムト秒は、1秒の1,000兆分の1になります。レーザーは、すでに60年になろうとする長い歴史を持っていますが、1フェムト秒のパルスレーザーや、波長が10ナノメートル付近の遠紫外光の発生に成功したのは、ここ10年という新しい技術です。下の写真は、私たちが開発しているフォトンリング(フォトンを生成する装置)で、すでに、近紫外光の発生に成功しており、今後、遠紫外、中赤外、テラヘルツ領域の光を、フォトンリングから同時に発生させることを目指しています。

拠点に参画する理化学研究所で開発したフォトンリング。基本のレーザー波長は1,030ナノメートルで、共振器内に配置した希ガスから、紫外域レーザー光の発生に成功している。今後、遠赤外からテラヘルツ光まで、広範囲な波長で、レーザー光の発生を目指す。
写真.拠点に参画する理化学研究所で開発したフォトンリング。基本のレーザー波長は1,030ナノメートルで、共振器内に配置した希ガスから、紫外域レーザー光の発生に成功している。今後、遠赤外からテラヘルツ光まで、広範囲な波長で、レーザー光の発生を目指す。

 では、パルス幅1フェムト秒がどんな世界かについて考えてみましょう。このような短い時間のパルス光では、さまざまな周波数の光が重なり合い、さらに、ある瞬間だけ、全ての波の強い部分(“山”)が重なると、その時だけ非常に強い光となります。一方、“山”と“谷”がばらばらの時は、お互いに打ち消し合い、光の強度が限りなく小さくなります。この状態は、さまざまな周波数のエネルギーが、ある瞬間に凝縮されることになり、その結果、光パルスの最大のピークパワーは、100億ワット(W)にもなります。

 100億ワットと聞いてもピンと来ないと思いますが、原子力発電1基の1時間の発電量が約10億ワット程度ですので、「えっ」と思われるでしょう。しかし、フェムト秒光パルスの場合、時間幅がほんの1,000兆分の1秒ですから、トータルの電力は、懐中電灯程度です。とは言うものの、物質にとってみると、この凝縮された光は、やはり、すさまじいエネルギーを瞬間的に与えられたことになり、予期もしない変化を起こすことになります。私たちは、このような極限的な光と物質の相互作用を用い、温度上昇を限りなく抑えた切断や融着、従来では見えないものを可視化する技術などを開発し、新しい製造技術を社会に提供することを目指しています。

レーザー加工は、極限の物理

 実は、このような光と物質の極限的な相互作用については未解明の部分が多く、物理の世界では、レーザー加工は、「非平衡」「非線形」「開放系」という最も難しい領域の学問です。さらに、この問題を難しくしているのは、時間領域がフェムト秒からミリ秒(=1,000分の1秒)の12桁にわたる時間幅を考えなければならないことです。また、切断を考えると、一つ一つの原子の振る舞いを考え、さらに、数億個の原子が蒸発したり、脱離したりするプロセスを考え、その上、物理や化学、さらには、材料科学など多種多様な学問が必要となります。

 その結果、レーザー加工技術は、非常に当たり前に使われるようになったとはいえ、経験的で、また、直感に頼る技術にとどまっています。そのため、企業が製品として市場に出す時は、その性能やコストだけでなく、長期信頼性を確認しなければならず、そのための学術的な裏付けが、実際に使っている産業界から強く求められています。

被加工材料の個性

 私たちは、レーザー加工の中でも、特に難しいとされている炭素繊維強化プラスチック(CFRP)やガラスといった難光加工材料を対象として研究を開始しました。CFRPは、最近では、航空機の材料として非常にポピュラーになっていますが、これは、炭素繊維(CF)を樹脂で固め、板材にしたものです。CFは軽くて非常に強い材料で、さらに、高温下でも安定性を有しています。理想的なCFになると、3,600℃までは変化しません。しかし、CFは直径が0.005mm程度の繊維ですので、固めておかなければばらばらになってしまいます。そのために、CFを樹脂で固めていますが、その樹脂は、200〜300℃で柔らかくなり、さらに、燃焼してしまうこともあります。

 このように特性が大きく異なる材料で構成されているCFRPをレーザー光で切断しようとすると、CFが切れる温度にまで高温にすると、樹脂がドロドロに溶けてしまい、CFRPとしての強度が劣化してしまいます。そのような劣化した材料を使用すると、その部分から破断が進むため、到底航空機に使うことはできません。そのため、現在は、刃先にダイヤモンドの粉をつけた研削装置で切断しています。しかし、その刃先はすぐに劣化してしまい、頻繁に歯を交換する必要があり、切断コストが高くなるのが難点です。

 CFRPに限らず、ガラスやサファイア、ダイヤモンドも非常に加工しにくい材料です。現在は、CFRPの加工技術からスタートしましたが、そこで得られた成果は、他の材料のレーザー加工技術にも展開することができ、従来の機械加工技術から光加工技術へのパラダイムシフトにつなげることを目指しています。さらに、どんな技術でも、それを使う以上、メカニズムをきちんと理解することが不可欠です。もし、それを怠ると、製品の発売しから数年後には、その信頼性が低下してしまうという問題も起こり得ます。

 このような問題を回避するためには、学術のレベルにまで掘り下げ、さらに、産業として使える技術を確立する必要があります。私たちは、物理や化学などの学術をコアコンピタンス(核となる知)としており、この知識を深堀するとともに、その成果を論文で終わらせるだけでなく、産業を通して社会に貢献していきます。

組織、世代を超えたディスカッション

 私たちのプロジェクトを進める上で、産業界と大学のメンバーの意識の共有が重要なポイントになります。それを促進するために、「オープンラウンドテーブルディスカッション」と呼ばれる意見交換の場を設けています(下図)。ここでは、産業界から、現場で抱えている問題、課題、最近の技術や製品の動向などについて話題提供がなされ、また、大学側からは、最先端の知識、技術が紹介され、参加者が“ワイワイガヤガヤ”議論することによって、研究開発のテーマやスケジュールを設定していきます。

「オープンラウンドテーブルディスカッション」のイメージ。組織や世代を越えたディスカッションの場を作り、チーム全体の意識共有を高めます。さらに、研究開発の進展に合わせ、オープンステージ、フォーカスステージ、クローズドステージと研究開発体制を最適化します。
図.「オープンラウンドテーブルディスカッション」のイメージ。組織や世代を越えたディスカッションの場を作り、チーム全体の意識共有を高めます。さらに、研究開発の進展に合わせ、オープンステージ、フォーカスステージ、クローズドステージと研究開発体制を最適化します。

 この議論の場は、月に1回程度開催していますが、結構議論が白熱し、4時間以上にわたることもあります。このオープンな場での議論が発展していくと、その事業化に興味のある企業は、大学を含めた関係者のみでの新たな守秘義務を定めて次のフェーズに移ります。さらに、事業化を本格化する場合には、本プロジェクトメンバーであっても、当事者以外のメンバーには情報を一切入れず、事業化企業を主体とする体制に移行させます。

 この3つの段階を、初期の状態から、オープンステージ、フォーカスステージ、クローズドステージと分類しており、研究開発の進捗に合わせて形態を変化させることで、組織や世代を超えた発想を活用し、さらに、その成果をスピーディーに社会に移管できるように考えています。とはいっても、研究開発ですから、どんな成果も会社で受け入れることができるわけではありません。特に、私たちのプロジェクトでは、基礎研究にも力を入れていますので、既存の企業でのビジネス化が難しい成果があり得ます。そのような成果は、大学発ベンチャービジネス設立などによって社会に提供することを考えています。

生産技術のパラダイムシフト

 レーザーによるものづくりは、製品を一つずつ作る個別生産技術です。これまでの大量生産技術は、高品質な製品を安く手に入れることを可能しましたが、将来は、個別生産であっても安価に提供できる産業形態を実現できるでしょう。そのようなものづくり技術は、個々人に合わせたものづくり、個人の発想を生かしたものつくりにも発展し、個性を大切にし、個性を生かした社会づくりにも貢献できると考えています。さらにインターネットの活用により、個人がものづくりに参加できる時代が来るでしょう。

東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 教授、理学系研究科附属フォトンサイエンス研究機構 機構長 COI拠点プロジェクトリーダー 湯本潤司 氏
湯本 潤司(ゆもと じゅんじ)氏

湯本 潤司(ゆもと じゅんじ)氏のプロフィール
1984年慶應義塾大学大学院工学研究科博士課程修了後、NTTに入社、基礎研究所に配属。非線形光学や半導体光物性の研究に従事した後、波長変換技術の新規事業化も担当。その後、NTT物性科学基礎研究所、フォトニクス研究所長を務めた後、2011年からNEL America, Inc. President & COO。14年10月より東京大学教授。

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