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BMIと新しいシステム脳科学(川人光男 氏 / ATR脳情報研究所長)

2010.01.15

川人光男 氏 / ATR脳情報研究所長

ATR脳情報研究所長 川人光男 氏
川人光男 氏

 脳神経科学と情報通信技術が結びついた新技術「ブレインマシンインタフェース(BMI)」によって、種も仕掛けもありますが、超常現象の中でも人気の高い超能力について、そのいくつかが実現しつつある、と言ったら専門外の人は驚くでしょう。

 念じただけで物体を動かす“テレキネシス(念動力)”は、考えただけでコンピュータを操作し、ロボットに命令を出し、車いすを動かすBMIとして実現しています。思い浮かべたことを印画紙に写し出す“念写”は、機能的磁気共鳴画像法で計測した大脳皮質視覚野の活動から映像を復元するデコーディング(脳情報解読)技術として実現しています。瞬時に遠隔地に移動する“テレポーテーション(瞬間移動)”は、米国東海岸にいるサルの脳活動で京都にいるヒト型ロボットを制御する、インターネットを用いた双方向通信として実現しています。

 また心と心で直接情報をやりとりする“テレパシー(精神遠隔感応)”も、神経科学の研究トピックスとして研究され始めました。夢のようなBMI技術には、私たちの暮らしを豊かにする次の2つの道筋があります。

 第1は、BMI技術の医療・福祉への応用です。ここでは、BMIを次のようにとらえることができます。「脳の主要な3つの機能:感覚、中枢、運動を電気的な人工回路で再建、治療、増進する試み」。こういう風に言うと、やはりSF映画の絵空事のように思われるかもしれませんが、感覚機能と中枢機能についてはすでに実用になっています。人工感覚型BMIの代表は、世界で20万人の聴覚を再建した人工内耳です。人工網膜も実用段階に近づき、めまいを直す人工前庭器官も研究されています。薬も効かないパーキンソン病患者の震えを止める脳深部刺激は国内だけでも1,000人の方の福音となっています。

 世界各国で激しく研究開発競争が行われているのは、筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症、脊髄(せきずい)損傷、脳卒中などで失われた運動とコミュニケーションの能力を再建し、治療する運動制御型BMIです。日本は米国とドイツに10年遅れていると言われていましたが、皮質脳波を使う低侵襲型BMIとリハビリテーションに役立てる治療型BMIの2つの応用で、文部科学省脳科学研究戦略推進プログラムの後押しなどもあって、世界のトップに躍り出ました。

 第2は、BMIの情報通信分野への応用です。コミュニケーションと情報通信は言語、文字、印刷、電信、電話、インターネットなど、人を他の動物と際だたせる最も重要な技術と言えますが、いまだに、文字、符号、音声、映像などデータを通信しているのに過ぎず、データ通信の域を超えていません。言い換えれば、私たちがコミュニケーションでやりとりしている脳内の感情、感性、情動、情報など、本当に知りたい伝えたいことを選んで、直接に通信する技術はいまだに存在しません。そのために無用の大量データがネット上をさまよい、膨大なエネルギーを消費して環境を破壊しています。

 医療と福祉の範囲に限らず、広く考えますと、「BMIとは、脳と情報通信機器を直接に接続する技術」とも言えます。従来の情報通信技術は、どんなに先進的なものでも、人の感覚受容器と運動効果器という狭い帯域を持つ隘路(あいろ)を通してしか、脳と脳がコミュニケーションできなかったものが、いわばテレパシー通信、以心伝心通信が可能になるのです。その結果、本当に伝えたいことだけを選んで、少量のデータを通信すれば、たちどころに意図が分かって、情報洪水にストレスを感じることなく、低炭素消費の幸せなコミュニケーションを享受できるようになります。これ以外にもBMIの民生利用として、ゲームはすでに商品化し、ロボット操作も研究されています。

 革新的な技術は光の部分が強ければ強いほど、陰も暗くなると言われます。BMIもまさにそのような例で、医療・福祉だけでなく将来の産業構造さえ変える可能性がある一方、さまざまな倫理的問題が生じます。まず、軍事利用の危険性があります。また、脳と情報通信機器を直接つなげば、脳がシナプス可塑性で変化します。BMIは脳と直結しているのですから、人が車やワープロを使うことによって脳が変わる以上に、劇的な変化が起きる可能性もあります。また、脳深部刺激などの電気刺激は、薬と違って脳の特定の部位にだけ影響を与えるのだからかえって安全であるという見方もある一方で、何千年の歴史を持つ薬と違って、どんな長期的影響が現れるか予想しがたいともいえます。

 また、治療は良いが、スーパーマンを作り出すかもしれない能力増進にBMIが使われるのは道義的に許されるのかとか、脳が激しく変化する可能性があるのにゲームに使って良いのかという反論もあるでしょう。日本神経科学学会は新しく改訂した倫理規定でBMIを取り扱い、また文部科学省脳科学研究戦略推進プログラムでは、研究のスタートから複数の倫理の専門家にプロジェクトに入っていただくという画期的な試みを行い、いわゆる“神経倫理学”に真正面から取り組んでいます。私たち研究者はBMI研究の実態と将来の影響についてできるだけわかりやすく社会に伝え、社会とのコミュニケーションを広くそして深くしていく必要があります。

 BMI技術は応用だけでなく、システム神経科学を根本的に変革する新しい研究の道具立てになりつつあります。これまでのシステムレベルの脳研究は、対象がヒトの脳の高次認知機能などあまりに複雑であるために、ある仮説に従い、限られた局面で実験を行い、得られた脳活動や行動データを、仮説に現れるある説明変数と相関があるかないかということで、仮説を検証する方法論がほとんどでした。したがって、脳科学特有の深い階層を越える議論は、逸話的にならざるを得ませんでした。

 まとめると、これまでの研究方法は、仮説主導で、相関が主な道具で、データを解釈するものでした。これでは満足できないという研究者が増えてきています。データ主導で、脳活動や行動のダイナミクスを予測し、脳内情報表現を実験的に操作して、因果律まで含めて理論やモデルを証明する方向性です。

 このような新しい学問の流れは、BMIやその基礎技術である脳情報解読アルゴリズムによって、脳活動からさまざまな物理・心的状態が予測できること、また大量のデータからある縮約した脳と身体と環境の共通表現を導き出せること、また脳を実験系の中に組み込みつつ、脳内情報表現をリアルタイムに操作できる可能性が出てきたことなどが大きな契機となっています。

 BMIが今後も脳科学の一大応用分野として社会に貢献するとともに、脳科学自体を変革する起動力として、立派に育っていってほしいと切に希望しています。

ATR脳情報研究所長 川人光男 氏
川人光男 氏
(かわと みつお)

川人光男(かわと みつお) 氏のプロフィール
1976年東京大学理学部物理学科卒、81年大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程修了(工学博士)、大阪大学基礎工学部助手、講師を経て88年エイ・ティ・アール視聴覚機構研究所主任研究員、92年同人間情報通信研究所第3研究室長、2001年国際電気通信基礎技術研究所(ATR) 人間情報科学研究所 第3研究室長、03年から現職。04年からATRフェロー。04年科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業ICORP計算脳プロジェクト研究総括、08年科学技術振興機構さきがけ「脳情報の解読と制御」領域研究総括、文部科学省「脳科学研究戦略推進プログラム」”ブレイン・マシン・インターフェースの開発”中核拠点代表研究者も。奈良先端科学技術大学院大学客員教授、大阪大学大学院生命機能研究科客員教授など兼務。日本神経科学学会理事。著書に「脳の計算理論」(産業図書)、「脳の仕組み」(読売科学選書)など

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