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災害に無免疫化する日本の都市と地域(小松利光 氏 / 九州大学大学院 教授)

2009.09.16

小松利光 氏 / 九州大学大学院 教授

九州大学大学院 教授 小松利光 氏
小松利光 氏

 本年7月末の福岡・山口の水・土砂災害や8月の兵庫県佐用川の水害などに見られるように、近年地球温暖化によると思われる想定以上の豪雨、干ばつ、台風の強大化などの災害外力(災害を引き起こす力)の増大が実感されるようになってきた。それに対し、わが国の社会基盤・防災基盤は高度成長期に整備されたものが多く、その大部分は老朽化しつつあるが、公共事業費の削減などでその更新すらままならない状況となっている。

 災害外力のレベルが従来通りの一定の水準を保っているのであれば、わが国のインフラもかなり整備できたからという理由で、公共事業費をある程度削減していくのもやむを得ないのかもしれない。しかし、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第4次報告によるまでもなく、地球温暖化による今後の災害外力の強大化はほぼ確実となっている。今後低下していくと思われる社会の防災力に対し、災害外力が増大していくということは、即わが国の都市や地域が無防備化(無免疫化)していくことにつながる。

 これらの状況を考慮すると、今こそ将来の防災基盤の整備のために思い切った手を打たねばならない。明日への投資を怠っているときではないのである。将来十分予測される大災害を「想定外だった」ではすまされないのである。

災害免疫力の視点

 災害は災害外力が防災力を上回ったときに発生し、両者の差が大きくなったとき、被害の程度や規模も大きくなる。一方、両者が拮抗(きっこう)しているか、災害外力がわずかに上回る程度であればそれほどの大事には至らない。しかしながら何らかの理由で防災力が低下するか、災害外力が増加して両者の間に大きなギャップが生じた場合、人間社会はどこが破綻(たん)するか分からないというもろさをさらけ出し、災害の質も規模も大きく変化し、極めて危険な状況となる。災害の様相は両者の相対的関係に依存している。

 一方、自然界も人間社会も永年風雨などの外力にさらされていると耐える力(耐力)が付いてくる。自然界は加えられた気象条件に適応し、人間社会も意識の変化や智恵や投資による基盤整備などで災害に強くなっていく。このように常に変化していく両者の関係は病原菌と生体の免疫力の関係に酷似していることから、災害外力に対する相対的な防災力の概念を「災害免疫力」と呼ぶことを提案したい。この人々に身近な「免疫力」の概念は、気候変動下の災害発生のメカニズム理解と災害に対する備えへの助けになると期待されるからである。

平衡状態から非平衡状態へ

 気候は変動を繰り返しながら、永い年月をかけて現在の国土を造り上げてきた。人間社会を襲う自然災害に対して人類は、被災という経験を通してその日々の営みの中で適応し、人工的な防災施設による抵抗力と併せて「災害免疫力」を高めてきた。自然界もまた同様である。被災のたびに災害に順応し、防災インフラの整備などを背景に常時経験する発生頻度の高い中小災害に対してはかなりの程度まで被害を抑えられるようになってきた。つまり、発生頻度の低い巨大災害が発生しない期間においては、自然界ならびに人間社会は中小災害に順応して災害免疫力が形成され、災害外力とぎりぎり平衡状態を保つまでに至っていたと理解することができる。

 一方、常時経験する規模を超える災害に対しては免疫が無く、ほとんど無力となる。これから秋にかけて新型インフルエンザの流行が危ぶまれているが、頑健なスポーツ選手でも免疫がないといとも簡単にかかってしまうのと類似している。

 最近の地球環境の変化によると思われる災害外力の急激な上昇によって近い将来このバランスが大きく崩れ、新たな非平衡状態が生じることが危惧(ぐ)される。過去100年間で地上の平均気温は0.74℃上昇した。わが国の夏冬の一年の温度差は場所により異なるが40-50℃にも及ぶ。これほど大きな温度差の中で、平均気温の上昇はわずか0.74℃であるにもかかわらず、気候は大きな変調を来たし始めている。たくさんの要因が複雑に絡み合ってバランスを保っている精緻(せいち)な気候システム・自然の環境システム・人間の社会システムのレジームの移行は、われわれの想像以上の激しい変化を伴うものであるのかもしれない。このことが、水災害に対する適応策が不可欠であるゆえんとなっている。

免疫力のなさによるギャップの怖さ

 今後の災害外力の短時間の急上昇に対抗して「災害免疫力」を向上させるには、長い時間と多額の経費と多くの犠牲が必要となる。つまり、災害外力の増大に対し、防災力の向上が追いつかず両者の間に大きなギャップが生じ非平衡状態となる。

 わずか数十年から百年程度の期間で生じるこのような急激な非平衡化は自然界にも人間社会にも災害に対して免疫のない無防備な状態を作り出すため、われわれは想定外の災害に見舞われる可能性が高い。地球温暖化の議論をするとき、温暖化が進んだ後のことが話題になることが多い。例えば、将来東北地方でリンゴが穫れなくなり代わりにミカンが栽培され、リンゴは北海道で穫れるようになるなどである。確かに温暖化後の新たな平衡状態になったときはそういう議論もできるであろうが、それまでには永い年月が必要であり、その移行の間の非平衡状態の怖さがほとんど認識されていない。

 では、どういう災害が考えられるであろうか? 文字通り想定外なのでなかなか予測し難いが、大洪水、大規模土砂災害、天然土砂ダムの崩壊、既存のダムの事故、高潮、土砂災害に起因する新幹線事故、大熱波、台風の強大化による風災害…。最近のゲリラ豪雨による被害も従来なかった新しい雨の降り方のため社会の免疫力のなさを突かれたものと言えよう。今後わが国は、少子化・高齢化により国力・経済力は低下する。防災インフラ設備の増強などが今後ますます難しくなる現状を踏まえると、「自然の耐力」の将来的な増加も適切に考慮した「災害免疫力を高める」という視点が今後不可欠と思われる。限られた事業費のもとで、大規模災害だけでも何とか防ぎ、安全・安心を一定レベルに保つために、今研究者・技術者の努力と知恵が求められている。

新しい学問体系の構築を

 地球温暖化は災害外力の増大を伴うが、災害外力増大の延長線上だけで防災策を考えるわけにはいかない。わが国は長い年月をかけて、また人類が営営として築き上げてきた防災インフラによって温帯の気候になじみ、自然も人間の社会システムも温帯における災害外力にほぼ(まだまだ不完全だが)拮抗する防災力を備えてきた(平衡状態)。しかしながら、わずか数十年から百年間での今後の急激な亜熱帯化は、災害外力と自然ならびに社会の防災力との間に大きな乖(かい)離(ギャップ)を生じさせ、非平衡状態を生じさせる。このような状況下では自然も社会も災害外力に対して免疫のない状態となり、非常にもろく、一体どこがいつどのような形で破綻するか分からない状況が既に生じ始めている。

 このような状況下で、想定外大規模災害だけは何としてでも防ぐために早急に災害免疫力の素因の抽出と定量評価、また温暖化に伴って自然界や社会に生じる軽微な予兆・前兆から災害や環境変化の芽を見つけ、予知することにより事前に予防する新しい学問体系の構築が必要である。また、環境に負担をかけず、コストも低く抑えた新しい視点からの柔軟な防災技術の開発も喫緊の課題となっている。

九州大学大学院 教授 小松利光 氏
小松利光 氏
(こまつ としみつ)

小松利光(こまつ としみつ) 氏のプロフィール
大分県津久見市生まれ。1970年九州大学工学部水工土木学科卒、75年同大学院工学研究院 水工土木学専攻博士課程修了、九州大学工学部助手。同助教授、教授を経て2000年から現職。中国の四川大学、大連理工大学、武漢大学客員教授も。専門は環境水理学。日本学術会議水・土砂災害分科会委員長。2002-04年度文部科学省科学研究費基盤研究「有明海の流れの構造の解明と蘇生・再生のための研究調査」、08-11年度同「沿岸海域環境再生に関する総合的研究」の研究代表者も。

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