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豊かな暮らし創り出す生活見守り技術(松岡克典 氏 / 産業技術総合研究所 企画本部企画副本部長)

2009.09.09

松岡克典 氏 / 産業技術総合研究所 企画本部企画副本部長

産業技術総合研究所 企画本部企画副本部長 松岡克典 氏
松岡克典 氏

 20世紀の科学技術の進歩は、私たちの暮らしを便利で快適なものにしてくれた。これからの科学技術は、利便性や快適性に加えて、生活者の各々の状況に合わせた生活サービスを提供してくれるようになるだろう。このことは、健康と安全・安心を約束してくれる“信頼できる暮らし”創りに貢献すると考えている。

 生活様式や生活価値観の多様化が進む中で、私たちの暮らしぶりも大きく変わってきた。その中で、日常生活の中で解決しなければならない大きな課題にも直面している。

 一つは少子高齢化社会の到来である。見守らなければならない人が増える中で、見守る人が減少している。例えば、日本の家庭内の不慮の事故死は近年増加の一途をたどり、2007年度には交通事故死の1.5倍となり、65歳以上の高齢者では2.4倍になってしまった。生活者の状態を見守り、異常を察知し、他の人に知らせる技術があれば、必要な時に人の助けを提供できるようになる。ところが、生活が多様化している中で、個々に異なる異変状態を一律に検知することは非常に難しい。そこで、個別生活者の状態を常時計測し、蓄積して、普段と異なる異変を自動的に判別できる仕組みが必要になる。つまり日常生活の蓄積と理解が重要な技術課題となる。このような生活見守り技術は、離れて生活する高齢者の暮らしぶりや健康状態の把握、あるいは防犯・防災にも役立つ。

 一方、地球温暖化問題も日常生活の中で考えていかなければならない重要な課題である。わが国では、2006年5月に発表された「新・国家エネルギー戦略」で、2030年までに30%以上のエネルギー消費効率の改善を図ることを目標として掲げている。しかし、ライフスタイルの多様化、高齢社会への推移などに伴って、世帯当たりのエネルギー消費は継続的に増加し、現在では1973年度の1.4倍になっている。省エネ機器を家庭内に導入するだけでなく、生活の中で無駄なエネルギー消費を細かく省く仕組みが必要になっている。しかし、我慢を強いる省エネや面倒な操作を必要とする省エネでは、実効性と持続性のある仕組みにはならない。そこで、個別の生活パターンを理解して、その理解の基に無駄を見出して省く新しい家庭用エネルギー管理システム(HEMS:Home Energy Management System)の開発が期待されている。操作が面倒な細かな無駄を排除できるだけでなく、本当に不要なエネルギー消費のみを排除することができ、従来型HEMSよりも幅広い普及と持続性が期待できる。

 このような観点から、生活者の状態を理解して人に合わせる技術(生活見守り技術)の研究開発を進めてきた。この技術のポイントは、生活者の状態をシームレスに計測して蓄積し、その情報から普段の生活状態や癖・好み、あるいは異変などの生活状態にかかわる情報(知識)を導き出すところにある。10年以上前であれば、生活情報をシームレスに長期蓄積することは計測環境を整えるだけで大変なことであり、実現性の低いものであった。しかし、現在では、エコーネットという宅内ネットワークの国内標準化が進み、それにつながる家電機器も850万台が国内で使われる時代になった。また、ICタグを付けて個別の生活用品を識別することや、心拍・体重・身体加速度などの生理情報も生活の中で簡便に計測することができるようになった。

 では、このような計測技術やネットワーク技術を利用すると、どのような知識を導き出すことができるのだろうか。例として、私たちが進めてきた研究開発の内容を紹介する。

 まず、「人間行動適合型生活環境創出システム技術」(NEDO、1999〜2003年度)の研究開発では、住宅内に設置した家電機器などの運転情報を統合して、いつ、どこで、誰が、何をしているかを自動判別できる技術を開発した。人感センサ(赤外線センサ)や照明・家電機器など167個の機器を住宅内に設置し、生活を記述するために必要となる13種類の基本生活行動を自動推定できるようにした。1カ月間の居住実験を通して、4人家族の生活行動を個別に約70%の精度で推定することができた。つまり、個別生活者の生活行動の時系列を自動蓄積できるようになった。その結果、普段と違う状態や生活リズムの変調など、従来技術で検知が困難な生活異変を自動検知できるようになった。

 また、「生活行動応答型省エネシステム(BeHomeS)の研究開発」(NEDO、2007〜2009年度)では、宅内ネットワークを通じて得られる家庭内機器などの運転情報を用いて、各生活状態に合わせた合理的な省エネを実現する生活行動応答型省エネシステム(BeHomeS: Behavior-Based Home Monitoring and Energy-saving System)の研究開発を進めている。BeHomeSにより、(1)照明や空調などの消し忘れの自動停止だけでなく、(2)天窓・地窓やブラインドと空調機の協調運転により最適な排熱・採光・遮光・遮熱などの省エネ制御を実現し、(3)普段の給湯量から次の日に必要な給湯量を予測して無駄な湯沸かしを防止することや、(4)自動判別された生活シーンに合わせた照明・温熱状態を作り出して省エネを実現することなど、人間では判断が難しい省エネ制御が可能になる。これまでに、既存住宅で冬季に収集した家電機器などの運転データにBeHomeSの省エネ制御ルールを適用してみると、約12%の省エネが達成できる可能性のあることが分かった。そこで、ことし8月から半年間にわたって、BeHomeSを組み込んだ実験住宅での実証実験において、実生活での省エネ効果を調べている。最終的には、生活者が意識せずとも、10%程度の省エネ効果が達成できる技術の構築を目指している。

 このような生活見守り技術の研究開発は、海外でも実施されている。例えば、米国のジョージア工科大学で行われたアウェア・ホーム(Aware Home)の研究やマサチューセッツ工科大学でのHouse_nプロジェクトが有名である。独居高齢者の生活アクティビティを離れた家族に知らせるサービスや、調理の進捗(ちょく)に合わせた調理ナビゲーション・サービスなどの新しい生活サービスに関する実験的な模索と検証が進められている。

 生活見守り技術は、従来の人間が機器を上手に操作して使う時代から、生活環境(住宅や街など)が生活状態を判断して、適切さと最適さを保証した新しい生活サービスを提供する時代に変える原動力となるであろう。人の行動を推定し、生活状態を理解し、先回りすることで、技術が新しい生活の豊かさを提供してくれるようになる夢を実現したいと思っている。

産業技術総合研究所 企画本部企画副本部長 松岡克典 氏
松岡克典 氏
(まつおか かつのり)

松岡克典(まつおか かつのり) 氏のプロフィール
1982年大阪大学大学院工学研究科後期課程応用物理学専攻修了、日本学術振興会奨励研究員(大阪大学)を経て、83年大阪工業技術試験所入所。情報光学研究室長を経て、2001年産業技術総合研究所ヒューマンストレスシグナル研究センター副研究センター長。同研究所人間福祉医工学研究部門総括研究員、企画本部総括企画主幹、研究業務推進部門長、関西センター所長代理を経て09年から現職。工学博士。大阪大学大学院基礎工学研究科招へい教授を併任。生活見守り技術、ウェアラブル・センシング技術、アフォーダンス環境設計技術、光情報処理の研究に従事。

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