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末は博士か大臣か、理系博士の未来(河田 聡 氏 / 大阪大学 教授、理化学研究所 主任研究員)

2009.03.04

河田 聡 氏 / 大阪大学 教授、理化学研究所 主任研究員

大阪大学 教授、理化学研究所 主任研究員 河田 聡 氏
河田 聡 氏

 築山桂・原作の小説がテレビドラマとして、NHKの総合放送で放映中である。「浪速の華〜緒方洪庵事件帳〜」の主人公・緒方洪庵は後に蘭方医となり、幕末の大坂に蘭学塾「適塾」を経営する。当時、日本国中から若者が適塾に集まり、西洋医学と蘭学を学んだ。「江戸にいた書生が折節大坂に来て学ぶものはあった。けれども、大坂からわざわざ江戸に学びに行くものはない。行けば則ち教えるという方であった」と福沢諭吉が「福翁自伝」に記している。

 諭吉は適塾の塾頭として活躍した後、江戸に出て時事新報社を創設し、「学問のすゝめ」を書き、そして慶應義塾を創設した。諭吉は適塾で西洋医学を学びながらも、血を見るのも嫌いであった、という。洪庵は塾生に「医学塾で学んだからといって、医者にならなくてもいい」と言っている。

 適塾からは福沢諭吉のほか、大村益次郎、佐野常民、橋本左内、大鳥圭介等々、後の幕末から維新に掛けて活躍したリーダーが多く学んでいる。蘭学塾で科学を学んだ塾生から、日本の各界のリーダーが生まれたのである。

 そして平成の現代、戦後の高度成長期の間に確立された文化や制度・慣習が破綻を来たし、維新が再び必要となりつつある。維新を推進するリーダーを養成する平成の適塾は、いま一体どこにあるのだろうか。私はそれは、理系の大学院博士課程だと思っている。経済的に苦労をし、将来と自分の才能に不安を持ちながらも、日々徹夜で実験をし科学を学ぶ博士課程の学生に、司馬遼太郎の「花神」に出てくる適塾の塾生が重なって見える。適塾で学んだ塾生が維新を切り開いたように、博士課程で学ぶ学生達が日本の未来を創るのだと、思えてくるのである。

 科学技術基本法という法律がある。これに基づいて日本の科学技術の推進が図られる。博士を倍増させ、ポスドクを1万人に増やし、留学生を10万人に増やした。何のために博士や留学生を増やすのだろうか。欧米に比べて少ないから、という数合わせが理由ではあまりに情けない。大学の教授や研究所の研究員の数は増えないのだから、博士やポスドクを増やしても彼らの就職先はない。日本の産業は大企業型であるので終身雇用の労働者は大勢必要だが、博士はあまり要らない。大企業では、学部や修士卒の方が扱いやすい。日本の産業構造もアメリカ型になれば新規産業が次々生まれ、ベンチャーや中小の開発型企業において新技術を開発する博士取得者が多数必要となるであろう。しかし日本人の安定志向には、まだそれは馴染まない。学生も、欧米はもとよりアジアや世界の発展途上国に行けば、教授や研究者として重宝されるのだが、その冒険心はない。

 その結果として、1万人のポスドク・フリーターが生まれる。市場原理に従わずにソ連型の計画政策をして、ポスドクの人数を増やしたのは失敗である。そういいながらも私は、博士課程の学生やポスドクを増やそうとしたのは、日本の将来にとって良いことであると考える。

 博士とは、職業でない。一代限りの「資格」である。組織や会社名を頼らずに、自分の名前で生きてよいという「資格」認定である。安定より不安定に強いはずであり、自立心が強く、大企業に向かないのは当然である。会社に雇用されるよりも、起業するのに適している。

 問題は、博士を取ったから研究者になりたいという人が多すぎることにある。博士は、資格であり職業ではない。「適塾」という蘭学塾(科学塾)を出たからといって、医者や科学者にならなくてもいいと緒方洪庵が言うのと同様に、理系博士を取ったからといって皆が研究者という職業につく必要はない。政治家になるのもいいし、映画監督になるのもいい、小説家、ジャーナリスト、学者、官僚、そしてもちろん起業家など。およそあらゆる知的かつ社会貢献型の職業が、博士を取ることによってより高いレベルで得られるはずである。そんなことを考えて、現代の適塾を創ろうと「科学者維新塾」なる私塾を開校した。幸い共鳴してくれる仲間たちに恵まれて、一カ月に一日だけの塾を開いている。国を支えて国に頼らず・独立自尊の福沢諭吉が、再び平成維新の未来に生まれることを夢見ている。

関連文献
河田 聡「不都合な科学」Laser Focus World Japan、2008年9月号
河田 聡「研究者人生を3倍楽しむ方法」学術月報、2007年11月号
河田 聡「適塾に学ぶ新しい大学のシステムつくり」、適塾、2005年12月号

大阪大学 教授、理化学研究所 主任研究員 河田 聡 氏
河田 聡 氏
(かわた さとし)

河田 聡(かわた さとし)氏のプロフィール
1974年大阪大学応用物理学科卒、79年同博士課程修了。工学博士。カリフォルニア大学アーバイン校研究助手、大阪大学工学部応用物理学科助手、同助教授、同教授、大阪大学大学院情報科学研究科教授、大阪大学フォロンティア研究機構長などを経て現在、大阪大学フォトニクス研究センター長。2002年から理化学研究所主任研究員を兼務。03年ナノフォトン(株)を創業。Optics Communications(Amsterdam)編集長、OSA理事・評議員・国際諮問会議議長も。専門はナノフォトニクス、特に近接場光学、プラズモニクス、2光子光重合・光異性化・光還元、バイオフォトニクス、近赤外分光、信号回復論など。「光とナノテクノロジー」(クバプロ)など編著書多数。

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